「スマホ断ち」とアナログ回帰、そして「青い光」

自分が苦手なこともあって、モバイル、つまりスマホについてどうにかならないかしら.. という長年の気持ちを発端に、いわゆる「スマホ脳」「脳のハッキング」「スマホ依存」について本を幾つか読んでみた最近。

前もどこかに、書いた記憶がありますが、最初にパソコンを使わなければならないことになった時、「こんな小さな箱に自分が支配されるのは嫌だな」となぜか、多分20歳くらいの頃に感じました。その後、マックの楽しい画面や機能と出会い安心し、寧ろ人よりもPCを使う時間が長いかも?という状況で、仕事をしてきました。20年。

けれども、私にとってPCが必要なのは、ネットの情報を閲覧するほかには、仕事でサイトを作ったり、メールやブログの文章を書くなど、シンプルな創造を目的としていて、本当は、それ以上は要らない。増して、長年PCを常に使っているので、スマホでウェブを見たり、何かを操作する必要は、本当は無い。

本当は、というのは、やはりついつい、時代の流れもあってスマホで色々とすることはあるから。けれども、メールを打つ、などの作業や、最近ではネットの閲覧も、スマホでは(急いでいる時意外は)しないようにして、どうしても.. のアプリ以外は削除するなど。出来れば、本当に、ただの「携帯する電話」であってほしい。通信ツールとして、確かに小さくてどこにでも持ち運べるのは、素晴らしい事とは思う。

音楽を鳴らす、写真を撮る、なども。本当ならばそれぞれ別でいいのではと思ってしまうし、最近は何でも、アプリを強要される社会で、辟易することもたびたび。

『スマホ断ち〜30日でスマホ依存から抜け出す方法〜』
キャサリン・プライス著(角川新書)
新書で読みやすいので、興味ある方はぜひ読んでみてください。

本に巻かれている帯からの引用でご紹介するだけでもかなり、この本のお勧め具合が伝わるかと思うので、以下に。

スティーブ・ジョブズもビル・ゲイツも子供にデジタル機器を持たせなかった。
「脳のハッキング」IT企業はドーパミンの仕組みを利用、スマホへの依存を高めている。
正しく付き合い、本来の自分を取り戻すための無理のないノウハウを伝授
スマホ習慣を変えれば、脳の力が回復する
スマホを手放す時間が増えると、創造力・計画力・集中力が必ずアップします

著者はアメリカで活躍する気鋭の女性ジャーナリスト。心理学、脳科学、マインドフルネスの知見を交えながら、4週間で自分を取り戻せるメソッドを開発。150名が参加したそうです。アメリカ人は平均4時間以上スマホを使うとのこと。そんな人たちが、完全に断つのではなく、様々な工夫でスマホをなるべく遠ざける生活をしたことで、「自分を取り戻せた」と実感したそう。

私自身自分の仕事がウェブショップであり、ウェブを通じてアルガンザも、発信も行っているので、矛盾しているようですが… やはりスマホの小さな画面と、オンオフが簡単で様々な世界が次々と現れる仕組みが、脳の機能を低下させ、依存性を生み出しているようです。

<勝手なお願い>
もし.. PCをお持ちの方は、急ぎの時以外は、アルガンザやソフィアの図書館やブログ、世界樹なども、宜しければぜひ、PCで見て頂けると嬉しいです^^ 特にアルガンザは、PCで見ていただく仕様で作っています。大きな画面で見ていただけるとまた、伝わるものも違うと思います。歴代のサロンのサイトは、見ているだけで癒しや光を感じていただけるように、作って来ましたので。

情報を急ぎチェックする時は、スマホで。じっくりとワークを選んでいただく時などは、PCで。その時、写真や文字や文章にこめているエナジー、ページ全体で表現している周波数なども、感じて頂ければ幸いです。

本の中で紹介されていた幾つかのこと。道が複雑なロンドンのタクシー運転手はプロフェッショナルだと聞いた事がありますが、ロンドン大学の研究で、ロンドンのタクシー運転手は脳が大きくなっていて、長く仕事している人ほど、という事が分かったそう。人の脳は、きちんと使う事を続けていれば、年をとってからでも「育つ」のですね。

そしてその逆に、スマホによる害はさまざま指摘されていますが、中でも顕著なのは「脳が萎縮する」、睡眠障害や、依存性、注意散漫になる… エナジーワーカーとして、ここで自分の言葉を挟んで表現するならば、ヘッドセンター(ヒーリング的にはそこは自己の意識の中心、意識そのもの)が、自分のものでない状態になる… =乗っ取られる と、言えるのではないか、と。

そのような状況に対して、去年はセラピスベイの「エターナルノット」や、「ブルーソーマ」のワークが誕生しました。セラピスベイでは、前頭葉に入れるエネルギーを提供されましたが、今回それが先日あった「プロテクション専科」で伝授した「ヴェガの叡智」シンボルと関係していると感じました。また、紹介した本では「前頭前野」の働きが、自分の現実の今ここに集中する力を維持するそうで、それらのワークやシンボルとも、シンクロすると実感したところです。

また、エナジーワーク(エネルギーワーク)は、脳にとても良いという意見もあります。マインドフルネス、瞑想やヨガ、呼吸法もそうなのですから、エネルギーワークはもちろんですね。

関連して、私なりにこの件について感じていること、少し付記しておきます。何となく、人間の本能として、スマホに縛られ、何でもあの小さな中に用事があるという状況が得意ではありません.. 個人的には、アプリではなく、なるべく、アナログで出来るものはアナログのままにしておいて、世間の流れや企業の思惑とは逆になりますが、紙で出来るものは紙にしておこうかなと最近思います。

付きまして… 自分の仕事においても、アルガンザのサイトの内容(ワークの説明)をそのまま印刷した冊子や、ソフィアの図書館についても、紙版で発行するということも考えています。対面でのセミナーや講座がスタート、カレッジが再開するのも同じくで。出来る範囲で「アナログ回帰」していきたいなという気持ちがあります。もちろん一部の試み、ではありますが。

複数のサイトの作り替えなどがずっと続いていた数年でしたが、ようやく落ち着きましたので、対面スクールの再開も含め、アナログ回帰、紙へのこだわり.. ということで、今後動いてみようかと思います。

ウスイレイキのヘッドポジションや、カルナレイキの幾つかのシンボルも、脳の働きを守り、進行形の(現在社会が晒されている)脳への脅威から守ってくれそうなものがあります。アルガンザの光線だとやはりブルーソーマやノストラムなど、青い光がヘッドセンターを活性し、高い意識へと繋げてくれます。

今年以後のテクノロジー、技術革新でますます空間を行き交う電波が、人々の脳に影響するかもという話もあり。脳へのヒーリング、そしてプロテクション、日々の調整・修復など。気をつけて行きましょう。

今日はこのくらいで。

Love & Gratitude

Amari

「目覚め」に必要な「心のあり方」

今年の前半、そして7月にあったと感じる「回転」の区切り目以後は「沈んでいるもの」の昇華と浄化が実際に(アースワーク的な意味での「物理的に」)起きていて、エネルギー的に厳しいなと感じる事が何度かあったのですが、最近は大気に含まれる気の流れ、プラーナやグレースが「シン」と周波数を上げて、とても気持ちが良い。一方で、その光に照らされてこれまで、見なくても済んでいたような人々の各自の歴史の中の闇のようなものが人それぞれ、浮上してくる時期なのかも。

心のあり方が本当に試される時です。3~4年前に(その当時の)学びの扉のようなものが、内界(地球人類の背後にある高次元の愛の領域=神界)側では締め切られたような時がありました。これは確かにそうだったと思っています… が、いつでもどのタイミングでも「間に合う」というのも事実で。

間に合う、そのコースはそれぞれ変わりますが、もちろん人間として生まれて来て生きることは常に学びであり、いつでも切り替える事は出来るし、「間に合う」ことも出来る。

早く気づいている人はこれまで以上に、そうではない人々の道に迷う姿、それでも気づかずにいる姿、時に、気づいている人を「間違っている」と指摘してくる姿に、出会うのではないでしょうか。多くの偉大な宗教家がそうであったように… その神話的なパターン(原型)が、多くの人々に適用されるという時代が来ているような気がします。

もっとも、それを小さく再現したモデルタイプは常に、スピリチュアル、や、癒しの世界や、人生観などに目覚めが起きた人々には付き物ではありますが。そのような体験を通じて、自分自身の目覚めや覚悟を試される。つまり全て、反対する人や邪魔する人、そう見えている人々や物事があったとしても、自分自身の魂がこの現象界に映し出している、エネルギーであるということ。

小さく再現した個人ヴァージョンではなく、社会全体でそのモデルタイプを体験し、試されるのが、歴史上時折巡ってくる時代の周期の変わり目だろうと思うのですが、今はとても大きい勢いでその周期の入れ替えが来ているタイミングだろうと感じます。

神智学(リードビーター)の人類と太陽系、宇宙の進化サイクルについての理論では、地球のソウルが体験する七つの進化段階の中で、もっとも「波動が下がる」=物質的 のがアトランティスであり、そこを抜けて現在は5番目のサイクルに入った。恐らく12000~13000年前の大洪水以後のことを言うのだと思いますが。

私たちの文明期に残っている伝承・伝説の類では、アトランティス末期の混乱を生き延びて(避難して)、現在の文明のスタートに立ち会った人々から伝わっているものと、現在の文明の始まりを表した創世神話的なものが混ざっていると考えています。

進化サイクルの話に戻ると、5つめの人種期に入ったとは言え、一つ前の人種期のカルマ精算や、情報の整理・おさらいをする時期が必要で、恐らくそこに1万年くらい掛かって、今に至っているのではないでしょうか。

アトランティスの終盤、持っていた能力、ライトボディやチャクラシステム、サードアイ・松果体の活用や、当時なりの生殖システムなど、多くの「宇宙的」遺伝子の働きを封じられて、物質界に閉じ込められてしまった人類。その封印を解いていく時だと考えます。

とは言え、失った、「神々により」封じられたことにはそれなりの理由があり、取り戻していくに当たって、利己的な動機によってただ力、能力だけを開発しようとしても、寧ろ逆効果であろうと思います。ここでは、個人ではなく「人類全体」の歴史やカルマ精算が働く。

能力を拓く、のではなく、もともとあったものを取り戻す。ただ、そこには、「なぜ失ったか」を知り、贖いや、新たな決意・意図といった、心の持ちようの洗礼が必要なのだと思います。

聖書が伝えるように、やはり人間が「利己主義」に陥ったために、光や音や波動といった微細なものを扱う、感じる力を封じられていった。急にではなく、徐々に。

ゆえに「利己的」であること、フィジカルな世界や目に見えるものだけに注意や思考を集中している現在の在り方を頭から「外して」、体や骨格や遺伝情報や隅々に刻まれている「物質的な感性で生きている状態にとどめておく仕組み」を、ほどいていく行程が必要です。

そのプロセスの歩みの中で、ひとつずつ、封印が解かれていく。

私が考える人類の「覚醒」「進化」とはそのようなものです。もちろん、全体を引き上げる力が働いているので、集合意識フィールドの協力体制にシナジー効果が起これば、一気にグンとステップアップするようなことも、準備されているとは思います。ですがそれには、

まずは「心のありよう」を切り替えて、自然界や母なる地球、世界中のすべての人々とともに在るという、ワンネス意識、ホールネス意識、全てはつながり合い、関わりあって、支え合っているのだという意識を持ち、生活や思考を変えていくことから、全てが始まる。

研究者の発表などから、スマートフォンやデジタル生活による人間の脳の危険が問われている最近ですが、100年前に書かれた神智学の先人たちの情報によると、人間は意識の持ちようや自己浄化に励むことで「魂が肉体脳を支配する」という状態になるそうです。

「支配する」というと言葉がよくないかもしれませんが、自分自身がソウルとして生きることで、物質的な肉体的な自分ではない大きな宇宙的な存在として、肉体や、脳を、機能させることが出来る状態になる、ということ。

本当ならば恐らくパンデミック前に、自我をしのぐ魂の力を各自の中で強めておくことが、特にメタフィジカルな探求をしている人々、スピリチュアルに興味を持ったりかじったりしている人々には、求められていたのだろうと思うのですが…(「内界」の「神なる領域」、人類進化を導く世界はそれを促進していたのですが)

というのは、社会における「脳への脅威」はすでに始まっているので。ソウルが優勢、魂に道を開け渡す準備が出来ている、あるいは葛藤はするけれどその用意はある、というような段階の人々は、やすやすと脅威に絡め取られていくようなことはない。けれどもそうでないと、社会や個人にかかるマジックやトリックに、翻弄されてしまう。

「物質的ではない存在である自分」に気づき、目覚めていく。クラウンチャクラやソウルシステムの縦軸から、流れ込んでくるその光と成長のウェーブを受け取り、利己ではなく利他、地球や自然界を愛する方向へ導いていく力に、心と現実を沿わせていきましょう。

「上から来る」、光であるように装って違うものが来ることも多い最近。見分ける、感じ分けるには、左脳的な情報(数字や三次元的な上下関係・地位)ではなく、右脳やハートの感性で測る力も必要で、それにはやはり、自分自身をクリアリングして、淀みを洗い流していく事が大事です。恐れや怠惰や怒りなど、重たい感情を清めることが、最初の一歩です。

2024年、冬至を目前にして。

Love and Grace

Amari

闇と愛と光と

なかなかハードボイルドな日々が続きます。と言ってもあくまでも自分の内側でのことだけれど。「ジェネシス層」が今年は特に動く。動きっぱなしな気がする… いつも一般の人々よりも少し前にずれて、シャンバラの采配による「人類進化プログラム」のフローが、先に適用されるようなところがあるので、2025が境目とよく言われているけれど、それってこういうことか!と、明らかになる頃に、多くの人々が味わうような感覚、リリースであったり、内側の鋳型からのシフトであったり… を、体験している年のような気がします。

その中で、自分個人としてはあまり、フォーカスしたくないな、と日頃から考えている「光と闇」の二元について、どうしても周囲から、状況から、考えざるを得ないような事が多く。私が身を置いて来たようなニューエイジ系の癒しはやはり「愛」を絶対的な基盤としている訳なので、すべての究極的なベクトルは「宇宙の無限の愛」であると、答えが分かっている中で、まだ発展途上のこの物理世界で繰り広げられる二元性に対して、どのような臨機応変な「(暫定的な)答えを出していくか」が、テーマでもあります。

今、4名の受講生の方々と進めている「アースワークカレッジ」でも、参考図書として挙げている「チベッタンヒーリング」という本で、チベットの僧籍を持っていると思われる著者の方が、「シャーマニズム」「タントラ」「ゾクチェン」という、チベットにおける宗教的なアプローチが3階層ある、という説明をしてくれていて、とても分かりやすい。

それらを行ったり来たりしながら、この世は幻想・唯物是真であると分かりつつも、目の前の事象に対処するという時間がまた、「修行者」には必要とされるのだということを実感します。

仏教の世界では、闇と光(仏教では光の代わりに「仏」というのかもしれません。仏はブッディなので「慈悲・智慧」であり、光というよりは愛に近いのですが..)は拮抗し、31vs32で、1点の差で光が勝利すると仏典に書かれています。若い頃から、その「1」とは何なのだろうとずっと思って来ました。が、Harry Potter でも、the Lords of the Rings でも良いのですが、光と闇の相剋が、ああいった「魔法戦争」であるとイメージすると、分かりやすい。

有史以来ずっとあんな感じで世界の見えない部分で摩擦して来ている。いや、個人個人の内部でも、同じです。

神智学では、もっとも闇を極めたのはアトランティス末期であると伝えています。それは、数億年単位で地球を見た場合のこと。そして、仏教やそのベースであるインド哲学では、現在を含む時代は暗黒の世で、光が伝わらない、思想が乱れ、人々が正気を失う時代であると。

神智学のほうは正確には「闇を極めた」というよりは「物質を極めた」のであって、少し意味が違うのかもしれません。。もっと深淵、神妙な、人間のライトボディとフィジカルボディ全体の「システム」が、「物質」というテーマを極めた、という感じなのかも。。仏教が行っているような、心理および社会の「暗黒」と、違う層の話なのかもと最近は思っていますが…

ともあれ、
現在は物質的には豊かな社会が(昔よりは)世界の広範囲に渡っているけれども、人々の心は大事なものを見失い、おそらく最大の問題は、自分たち自身の「存在にまつわる知恵」を失ってしまっているという状況。

インド哲学の文献を残した当時の賢者たちからしたら、「そんな時代が来たら恐ろしい」と思えたのでしょうね。哲学が生き生きと存在していた古代からの視点からすると、それくらい、大事なものを欠如している状況。ゆえの「暗黒時代」という表現なのでしょう。

冷静に考えてみると、自分が何者であり、なぜ人は生きているのか。などの本源的な思想や理解や直感を失った状態で生きるというのはやはり、とてもとても、ある意味「不幸」なことであると私も本能的に思います。それで「人間」なのだろうか、と。

31と32、ほぼ互角に戦ってしまう「光と闇」。それでは、最後の勝利を決める「1」とは何なのだろうか。

やはり、というか当然ですが、「愛」ですよね。
誰もが分かっていること、と言えるかもしれません。そう、本当は誰もが分かっていること。けれども分からない振りをしている。

「愛」ってなんだ?というと、きっとキリストの言葉などを聖書で読むととても分かりやすいのかな。愛は、感情でも、思考でもなく、エネルギーで。宇宙の本源と言えるでしょう。それが、さまざまな階層に降りて来る中で、最終的には感情などになるとも言えそうです。現時点での地球の人間世界では、人々同士の間で行き交う、または感じられるフィーリングとして「愛」をその階層まで下ろして来て、その一端を体験している。

愛は宇宙のエネルギーである。
浄めて育てる「光」と、滅ぼし壊す「闇」
その双方さえ内包しているのが「愛」なのでしょうけれども、科学的に(宇宙レベルの意味で)、闇は愛とは結びつくことが出来ない。光は愛を意識して存在している。

それゆえの「1」の違いで、光により、最終的に闇は浄化され中和される。

なぜ「闇」は愛と結びつくことが出来ないか。もし結びついたならその時点で「闇」ではなくなる。「光」になるのです。なぜなら、「愛を失った光」が、「闇」であるから。

「宇宙の本源(愛)」を見失った世界こそが、「光と闇」の二元の相剋を体験している。

思い出した人からその次元を抜けていく?いや、世界というのは一つのユニットになっていて、他の魂が、思い出すまで手助けをするのだそうです。(仏教にいう「菩薩道」)ニューエイジで活躍している「アセンデッドマスター」はまさにその意味で菩薩たち、ですね。

実はこれは、ヒーリング(癒し)の世界で個人個人の中で起きていることと同じ。「愛を見失った」迷子の過去生やインナーチャイルド、シャドウセルフが、私たちの中で自己主張をしているから、不具合や苦しみや不完全感などが生まれる。それらに「愛」を思い出させることで、癒しが起きる。小世界と、外の世界は、フラクタル構造。同じことが起きています。

本能的・潜在的に「愛」をどのくらい知っているか。魂によりその深さ・度合いが違う。ただ、家系的に受け継がれる性質もそこに加わって、愛により近い魂は「光=生み出し育てる」ことに惹かれてそのように生きようとするし、その逆もある。滅びや破壊に、そのための支配に惹かれるというベクトルもある。

けれども… 「愛を思い出した闇」は、その瞬間に「光」になる。

個人の中では、そんなことを小さく日々、繰り返して、揺れ動いている。それが、現在の人間の世界であるのだろうと。常々、ヒーラー目線でそう思っています。

Love and Grace
Amari(青野芹)

英雄神話・魂からの「召命」

NHKの「100分de名著」で最近取り上げられた、一冊。Joseph Campbell 「千の顔を持つ英雄」。キャンベル博士は神話学という、地味だけど好きな人には大事な、そして様々な別ジャンルの人々への影響力も多大な分野の学問の大家で。神話は Myth だから、Mythology ですね、「ミソロジー」。

個人的な体験としては、遡ること30年(!)、短大の授業で…英文購読だったかな、たまたま先生が選んだテキストがキャンベル博士の、この本ではなく別の「神話の力」。ジャーナリストの方との対談を書籍化したもの。高校の頃から考古や歴史、神話などが好きだったので、ここではまりました。ちょうどNHKでその特集番組が放送されたことがあり、録画したのを覚えています。

神話学というのは日本ではなかなか学べる所も少なく、以前留学できないかと考えていた時代(高校〜短大)、探していると英米だと割と学部や学科がありました。ギリシャ神話などが文化に色濃く残るゆえかもしれません。

そんな神話学の代表的な学者の名著と言われる本で、ただそれ自体難しくはないので、正直なところ100分de名著に登場したのは意外、そして嬉しいことでした。立ち寄った本屋で目についたので買って、すぐに読み始めて、とても響いたので早速。(ちなみに、まだ番組は視聴してはいません、笑。これからオンデマンドで。)

英雄神話を分析した研究書ですが、実はこの著作が「スターウオーズ」に多大な影響を与えたらしい。私は同作をあまり見ていないのですが、言いたい事は何となく分かります。やはり英雄神話というのは、「ロードオブザリング」(この場合はフロド)でも、ドラマの「ゲームオブスローンズ」(やっぱり英雄ポジションはジョンかな)でも、そして韓国時代劇(頭に浮かんだのは「チュモン」とかそのほか色々、女性主人公でも)… みんな、英雄神話のパターンを思い出させる。

拙著「ハピの巫女姫」ならば女性だけどセイレン、「ガイアナ」ならばレオダイ。レオダイはかなり、神話的な英雄パターンをあてはめた存在だと自分でも思っています。苦労つづきな所も。女神を得るところも。それで終わらない部分は、北欧など北国系の神話のパターンかもしれません。ジョージ・ルーカス監督も博士の英雄神話の解説に胸打たれ、その概念を軸として「スターウオーズ」の脚本を書いたそうです。

そう、それで。今回こちらの解説本で、解説者である佐宗先生(多摩美術大特任准教授)によるわかりやすい説明を読んでいた中で、響いたのは。表題の「召命」という言葉。
英雄神話の基本構造は「行きて帰りし物語」。大きく円を描くように、そしてその一周回った頃には高い位置に登っている、つまり螺旋構造。

詳細はまた、番組を見て.. そして大事にコレクションにしている(そういう本が多くて/.. 部分的には読んだのですが..)同書を読了した暁には、このブログに戻って来て、書きたいなと思いますが、今日は「召命」というものについて。

主人公は最初、英雄になる前なので、普通の人として暮らしている。そこに、何らかの招待が来る。冒険が始まるから旅に出なさい、飛び込みなさい、というのが「冒険への召命(しょうめい)」だそうです。

「ハピ」のセイレンならば、隠れるように暮らしている少女時代のセイレンに「実はハピ国の落胤だった。あなたは巫女姫を継ぐべき人です。」と言って王城の遣いであるリーヴが迎えに来る。… ここに当たる。

その召命を受けるか否か、という選択の「自由意志」についても、キャンベル博士は言及されていて、「召命拒否」と言うそうです。

拒否をせず、平凡な生活を捨てる、というリスクを超えて危険なチャレンジの旅に出た場合、「思いもよらない援助」(大抵は師匠との出会いなど)が起こり、その後まあ色々な段階が。試練と苦難と、壁を越えて目的を達成した後の「帰還」の段階には、「帰還の拒否」も起こり得るそうです。

それに関しては、フロドがホビット村に帰らず、エルフたちの旅立ちに同行したのを想起しました。そういうケースもありますね。けれど、元の世界、日常の世界へと戻るパターンもある。大抵、そこではヒーローや王として、輝く存在、特別な存在になる。あるいは、精神的な成長をテーマにしている場合もあるかも。「青い鳥」など。

「召命」というのは、メタフィジカル、スピリチュアルな観点や言葉を通すと「インスピレーション」や「ハイヤーセルフからの導き」や「高次からのサイン」とも表現できる。神話学的にはそれは「魂」への招待状であり、平凡な人間としてそのまま、日常の安全をキープして生きていくか、魂の使命に向かう流れに乗って、本来の自分の力や知恵を取り戻し、違うものへと変容を果たすか、という事。

日頃、ヒーラー、メタフィジストとしては、「ソウルで生きましょう」「ソウルと人格の統合を果たしましょう」と言っていることと、同じだと思ったのです。ゆえに「召命」が響きました。思い起こすと、自分にもそれが間違いなくあったのですよね。その流れに乗った、飛び込んだ時には、それまでの人生とは確実に違う時間が流れる。エネルギーの高揚感とスピードが違う。

神話のように「降ってくる」出会いやご縁で、苦労して探さなくても、やるべきことが次々と目の前に運ばれて来るし、そのために必要な情報は人から伝えられたり。「これが運命、ソウルの決めて来た道だよ」と言われているかのよう。ただ、私の場合はその流れに乗ったのは、当時どうにもならないほど「谷底」のような心境で生きていたから、なのですよね。だから「危険な旅に出る」のではなく、「失う物は何もない」気分だった。

召命というより、当時の自分にしたら「蜘蛛の糸」ですね。。笑

ただ、月日が経ってみるとあれは、魂からの招待状であり、魂=高次=自分自身の高い部分 からの、導きであったと思います。ただ、恐らくそれに「はいはい!」と言って飛び乗るためには、やはり一度かなりの所まで、落ちている、降りている(少なくとも自分はそう思っている)という状況が必要だった。そうしないと、人生がうまく行って快適に暮らしていたら、召命拒否、になっていただろう。自分の性格からしても。そう思います。

主人公たち(一般の我々も同じく)は、なぜ召命を拒否するのだろうか… という点について、キャンベル博士は次のように書いています

つまり、日本人としては耳が痛いですが「現状維持」ということ。エゴセルフの本能、本音とも言えますね。

ただ、解説の佐宗先生がおっしゃるに、人は皆、深層では冒険に出たい、本当の自分を見つけたいと思っているので、

とのこと。(p36)
英雄神話でも召命を拒否した主人公は、何らかの「よからぬ結果」に陥り、結局それにより「旅に出る」(魂が示す方向へ向かう)事を選択するよう促されるのだとか。

ここで思い出したのは、ソフィアのブッククラブ(サブスクリプションの読書記事)で前にご紹介した知花先生の「我は道なり 我は神理なり」の中で、同じような事が書かれていた… 「神には絶対服従」で、己の使命に関する導きを無視していると、何もかもうまく行かない、ような現実になる..とのこと。先生もそのような時期を経て、「使命」を受け入れたのだとか。

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英雄神話は奥が深くて、まだまだ沢山の面白いお話が、この「100分de 名著」の薄い冊子の中にも溢れているのですが、今日はひとまずは「召命」について..に絞っておきたいと思います。

ヒーリングサロンやスクールをしていると、癒されてその人らしく生き生きしてきた人が、更に学んで、自分が癒されてきたプロセスや魂の素質を生かしたことが出来るかも、という次の創造と探検の段階に踏み込もうとした時、足を一歩踏み出したことで、ソウルが応えてたくさんのサインで導いていながらも、恐れや「現状維持」の心が働いて、踵を返してしまう姿は、割と目にして来ました。

英雄神話というのは、私の感覚では全ての人に捧げられたものであり、ここでいう英雄とは、その人の魂が舞い降りて人格と一体化した状態で地上で生きること。英雄たちが物語のプロセスで数々の苦労をしているように、確かに簡単なことではないかもしれない。

けれど、早かれ遅かれ、全ての人が、そのプロセスを体験してソウルとの統合を果たすのだろうと思います。転生を繰り返す中で、召命が来た時に「来た!」と思えるか「違う!」と逃げてしまうか。

英雄神話のパターンが沢山、古典や文学や最近の映画にも、刻まれているのは、私たちの集合意識場には、しっかりとその原型パターン、教訓、知恵が、共有されているのだろうと改めて思いました。

たくさんの神話的、原型的エッセンスが、魂を揺さぶる小説を書いていきたいです。

世界樹ブックスのページを作りました

https://www.earthkeeper.jp/sekaiju-books

22年前に書いた現代小説(ブロマンスです/笑)を公開しています

https://note.com/sekaiju_books

そして、新作は有料サブスクの「ソフィアブッククラブ」にて執筆スタート

と、かなり宣伝のようになりましたが、こちらの..
ジョゼフ・キャンベル『千の顔をもつ英雄』 をちゃんと読みまして、また書こうかと思います。あ、そうだ。ソフィアブッククラブで読むことに致します。。(更に宣伝を!)

https://sekaiju.net/sophia/category/bookclub

ではでは、

今日はこのくらいで

Love and Gratitude

Amari

自己表現への夢を抱く人々。

こんにちは 新しいブログサイトへと移行して最初に書く記事です。

また「ソフィアの図書館」もオープンしました。サロン顧客様専用の「世界樹メンバーズ」、今月下旬スタート予定のオンライン読書会「ソフィア・ブッククラブ」により構成されたメンバー専用の有料サブスクリプションサイトです。

さてさて。最近 テレビも見ないし俗世間に疎い私を案じた友人に(笑)薦められ、以前よりYoutubeを見るようになりました・・時代の移り変わりを痛感しています。(年寄り臭いですネ)

それで、ヒストリーチャンネルに去年やっと目覚めたのですが、同じような領域を紹介しているyoutuber のナオキマンさんの番組を見ていて知った話題がとても興味深かったので、今日は記録しておきたいと思います。皆様にもぜひ知って頂きたく。

アメリカの政治学者、ロナルド・イングルハート による世界中の国民性における「価値観」の研究。

『世界価値観調査』(wikipedia)

このウィキのページを読んでいただくと概要は書かれているので、興味ある方はお読みいただければと思いますが、結論、「日本人とは」

Naokiman さんのまとめの言葉をお借りすると、

ということが、浮かび上がった結果だったと。

同調圧力がとても強いと言われている日本や韓国よりも、アメリカのほうがよほどに「他人と同じでありたい」と望んでいることが分かったという。意外ですよね。

どうも日本の人々は自分たちを「集団主義」だと思い込んでいるけれど、深層心理、表に出さない本心を探っていくと、本当は「人と同じで」ありたいわけではない。ただ、同じであるように振る舞うことで失敗を回避して、本来とてもとても何よりも価値があると思っている「自己表現」を犠牲にして、合理的に振る舞っている。ということが読み取れそうです。

リンク先のwikiページの、「価値マップ」を見ていただくと、この調査で見えてきた各国の価値観を地図にして視覚化しているので、分かりやすい。日本はちょっと飛び抜けた位置にあり、不思議なポジションだということが分かります。これで見ると、とても近いと思っている日本と韓国はまただいぶ違っているのだな、という距離感も分かりますね。

日本人は「世俗性(伝統や因習にとらわれるのではなく現代的な合理性)」が非常に高くて、また、他のどのアジア人よりも、北欧の人々なみに、自己表現を望んでいることが見えて来ます。本当に求めているもの、それは自己表現。

けれど、社会的に安全であるためにそれを封じている。社会的な「空気」に紛れることを演じているために、かなりストレスが掛かっているのではないかな。同調圧力ゆえ、ではなく、自由な自己表現をしないという選択の影で、エゴセルフと(社会とは関係のない無垢な)ソウルセルフが摩擦を起こしているであろうと、メタフィジスト視点では推察されます。

そしてある意味で、ソウルとパーソナリティが統合されている人、自己表現を経て活躍している人、自己表現を懸命に叶えようとしている人などを、本人は無意識でも嫉妬している、羨ましいと思っている人々が、マスメディアやSNSを通じて叩いたり引き下ろそうとしたりするのだろうと。ヒーラーの視点、ヒーリングの観点から言うと、やはりそう思えてくる。

それにしても・・

最近、スピリチュアルな領域でさかんな「日本人=特別」という考え方は、賛同する/しないは私個人的には50/50 なのですが、世界価値観調査マップを見ると、やはりちょっと普通ではないのだな・・・ある意味、飛び抜けた立ち位置。

本心:合理主義で、自己表現に価値を抱いている

実際:非合理主義的にふるまい、自己表現を封印

「くる時が来たら、化ける」というのは、こういう人々なのかもしれない。と、客観的に感じた。その意味では私などは、まったくもって外国人だなあ。と。「自己表現」と「合理主義」を表に出して、そうでありたい、と努めているので。。。ソウルとしては、この重要で不思議な国に、興味を持って今世選んで生まれて来たのかもしれない。

皆さんはどう感じましたか?

・・ああ、だから、日本人は職人気質なのか。淡々とした職人作業の中に、自己表現の道を見出す。けれども職人の世界も長らく男性のフィールドであった時代、日本の女性たちは一体どこに、秘めた自己表現願望を流し込んだのだろうか。

と、エンドレスに考えてしまうこの話題。レヴィ・ストロースの『月の裏側』(世界的な文化人類学者による日本文化論)、買って以来本棚にしまってあるけれど。読んでみようという気持ちになりました。

今日はこのくらいで。

Love and Gratitude

Office Earthkeeper のサイトを新設しました。ぜひ覗いてください^^

https://www.earthkeeper.jp

日本とジェンダーと第四光線

 
ナチュラルスピリット刊 森由里子さん著

ものすご〜く久しぶり(6~7年振り)に、それも突然、ナチュラルスピリットさんのサイトを直感で覗いて、目が合ったので何かありそうに感じるものがあり。著者の森さんは人気の作詞家でとてもご活躍、成功されたキャリアをお持ちで、時々私が呟いたり動画を貼り付けたりしているももクロさん(←母娘でもののふ、「女子のふ」というのかな。けれどマニアックな事をいうと「もののふ」とは古代豪族の物部氏の武者のことを言うので、ソガ系を自称する私としては複雑である。笑)の曲も手がけておられるとのこと。

スピリチュアルなこともされているようなので、もしや私が「シャンバラっぽい」と言って動画など掲載してきた曲は、森さんの手によるものなのだろうか?それはさておいて。

愛子さまに、女性天皇になって頂く。

という選択は、とても重要な日本という国にとっての分岐点になると私も思っています。なので輝かしい経歴をお持ちの森さんが、こういったデリケートな領域に掛かる著書を勇気を持って出された事に、「一票」を投じる思いで自分でも書いておこうと思いました。

スピの界隈ではよく言われているのが「日本は特別な指命を持った国である」ということ。これにも個人的には同意。その背景としての「ジェネシス層」の理由、地球47億年の精神史としての「the Genesis」の中でも少し触れて(仄めかして)書いています。

 

構想は30年前、執筆は20年前になる『ハピの巫女姫』も最後まで読んで頂いた方にはお分かり頂いているかと思いますが、その部分、日本の神秘性についての「はじまり」を作品のラストで描いていますし、そもそも、ハピの執筆のキッカケが、20歳で奈良や伊勢の一人旅をし始めた頃に見ていた白昼夢のような瞑想体験から生まれた、日本のスピリチュアリティの中心軸に流れる、宇宙由来の神秘な力や遺伝子・・を、歴史絵巻にしようという構想の、プロローグ的な作品として、超古代の「ムウ」大陸を描いたという経緯があります。

つまりは、森さんが27年かけて様々な神秘体験や導きをされて、その結論は「愛子天皇」というのと、ルートは別ながらも、私も同じような30年の歩み・神秘体験により、今とこれからのこの国にとって重要な課題は、やはりそこであると思っていて。一緒だなと感じたし、何しろ以前、奈良に移住していた時期のサロン名が「セイリオス三輪」であったけれど、森さんは「セイリオス」という名称の音楽ユニットをされているそう。シリウス存在とのコンタクトがあり、それでのご著書もあるようで。

「ハピの巫女姫」の終盤「新しい時代」が到来(1万1000年前)、そこでの導き手はシリウスの宇宙船団。続編である「ガイアナ神謡集」も時代の守護神たちはシリウス存在。当時は何気なく書いていたけど、それが今のヒーラーとしての仕事に繋がっていて、仕事全般を導くのは常にそのラインである訳で、冷静に考えると「情報ソース」「導き手」が一緒だから、導かれている方向が一緒であるのは当然なのだな、と。

よくある事、のように聞こえるかもしれない。けれど実はスピリチュアル業界においては、むしろ、表向き、ではなく本当にシリウスの仕事をしている人って寧ろ少数派。以前はそうではなかったけど、今はそう感じる。神智学が伝えているシャンバラ、地球のロゴス意識やその守り手たちは、シリウス由来であるのですが・・何故か、地上の「ライトワーカー」たちはその逆の方向に導くところに、接続しているのが最近の風潮だと感じる。

そんな背景を思うと、社会的ステイタスのある方がこういった本を書いていらっしゃる事も、納得出来る。そんなチャレンジを必要とする、本当に良き事をするために勇気を出さなくてはいけない仕事というのは、シリウスが背景にある。

古代日本史、民俗学を趣味で探求してきた者として、「アマテラス」は本来は男性神かもしれないと思ってはいる。けれど、それは今この話においては重要ではなくて、日巫女(ヒミコ)であった女性部族長が魏志倭人伝によって「卑弥呼」と記載されて、要するに日本の古代は縄文時代からの母系社会、女性部族長の伝統があり、その伝統が破壊されながら新興勢力の父権社会や文明に吸収されていったという流れが「ヤマト」の国の始まりや、天皇制と関わり合っているということ。

色々省略して・・7〜8世紀に記紀が編まれた時、女神と古代の女性首長たち=日の巫女が、当時の君主であった持統女帝の存在感とも重ねられて、日本の神話に「アマテラス」という女神が誕生した。少し表現の仕方を私流に変えると、「新時代のアマテラス」は「新時代の日の巫女(古代日本の女王たちの総称)」という事になる。それを「女神アマテラス」と表現されているのが、こちらの本のスタンス。言葉のチョイスが違うけれども言いたい事は同じです。

今、この時代の、さらに特別な短い時期、愛子様が生まれて成長されたこのタイミングで、日本は大変換点を迎えようとしている。女性天皇を受け入れるという選択を国が達成することで、ようやく、日本は歴史上、文明史において、高次によって遠い遠い昔に託された役目を、果たすことが出来るのではないか・・・ちなみに国民の8〜9割が世論調査によると女性天皇に賛成しているという。

この本に導かれて、もうひとつ、良かった、嬉しかった事があり、

30年前になる。実家で見ていたテレビ番組で、世界各地から予言者を招いて日本の未来について予言してもらうという企画があり、他の男性予言者たちの顔や雰囲気や予言の内容などは全く覚えていないのに、一人だけ、短髪の白人女性が言ったこととその人の印象はなぜか強烈に残っていました。

「イランと中国がアメリカに対して宣戦布告し、第三次世界大戦が始まる」

「日本に、三大宗教をひとつにまとめる救世主的な人物が現れる」

あの女性予言者は誰だったんだろう?と、その後、自分がヒーラーになりスピ視点に基づく思想を展開する中で、何度も思い出していて。調べようとしても見つからなかったことも。

それが、森さんのこの本の中で、ブルガリアのベラ・コチェフスカ女史であったと偶然知ることができ、1992年に来日しているというから、テレビ出演のタイミングからしてもきっと間違いない。

ベラさんは前世が日本人であったそうで、思い入れも強かったよう。ある時に霊視で古代日本の指導者の女性を見た、その人のクニが NARA にあったと語ったとか。素直に受け止めればヤマトの連合国家が樹立した際の三輪王朝の、日巫女(=魏志倭人伝の卑弥呼?)、オオヒルメ、トヨ、あるいはヤマトヒメ、その辺りの女性司祭長であっただろうと。

また、来日時に伊勢神宮に行かれたベラさんは、外宮の多賀宮を目掛けて走り出して、境内で涙を流して「ここは、ユダヤ、キリスト、イスラムの『ヤハウェ』を祀っている」と言ったとか。・・・この感覚は私もよく理解できる。20歳、初めて伊勢に言った(1993年、ベラさん来日と1年違い?)時、最も感動してそれこそ泣きそうになったのは多賀宮でした。

最近になって(昨年秋ころから今年にかけて)アルガンザの瞑想ワーク等で一歩一歩、感覚を掴んで来た結果として、「白い炎」の聖地として、中東も日本も、そのほかの各地も、同じものが形を変えて点在し守られている事を、ワークの実感とともに噛み締めて来た所でもあります。

この流れからして、ベラさんについても改めてよく知るために本を買うことに。まだ読めていないけれど・・手元に届いたところ。(こちらはヒカルランドから出版されている)

書籍を探す際に検索していると、2025年7月、日本に起こる大地変について、ベラさんのみならず、ババ・ヴァンガ(前にこのブログでも紹介)、漫画家のたつきさん、そしてシュタイナーまで!予言していると、Youtuberの方の紹介でかなり話題になっているよう。Youtubeでスピ系をよく見ているという友人に「そうなの?」と聞いてみると、私が逆に「予言」を求められた(笑)・・翌週には、別の知人と話していたら同じ事を聞かれて。

アルガンザでは以前から、神智学で伝えられている2025年の「第四光線の顕現」については、ずっと意識をして来て、何度も書いて来ている。それは天災という事ではなく、おそらく「ゆっくり顕現する」と言うので、実際に世の中に変化が起きていくのを後押しするエネルギーなのではないか、と考えています。

で、そのための準備がうまく進まない場合、自然界、その背後にある高次元も致し方なく大地変を起こして、物理面から社会をひっくり返さなくてはならなくなる。という事ではないかと。なので、絶対に来年7月に巨大地震や噴火や隕石落下などのディザスターが起こるとは思ってはいません。ただ、日本は第四光線を宿した国でもあるので、宇宙的に決められている進化のタイミングにおいて日本がキーになっている事は確かで、その主軸は「ジェンダーと聖性」であり、言ってみれば「ヒミコ」(森さんや美内すずえ先生の言葉ではそれが「アマテラス」)であり、イコール「女性天皇」なのではないか、と。

来年7月までに、少しでも動きがあれば。人心や、エネルギー面、意識、集合場の周波数において。愛子さまを天皇に。という象徴的な事象を通じて、日本は高次に試されているようにも思う。それだけではなく、父権社会的な構造の中で起きている弊害や、愛ではない要素が、リリースされるべき時であると、言えるのでしょう。

来年7月に日本に大災害が・・と伝える4つの予言の中で、シュタイナーのものは「日本がなくなる」という衝撃的な言葉だけれど・・ネット上で取り上げているブログなど幾つか拝見すると、その解釈はいろいろです。日本の国土がすべて、海に沈んでしまうとか、壊滅してしまうというのは、少々、考えにくい。次の2つのうちどちらかだろうと思う。。。

  1. 日本語を話す日本人や日本文化が「無くなる」(戦争を経て他国の一部になるかも?)
  2. 日本=日本の皇室(それこそまさに日本人が民族文化の拠り所、精神とするもの)が、なくなる。

どちらも、決して起きてほしくはない。

森さんの本から、幾つか引用させて頂いて、締めくくりとしたい。

何気なく見た青い空。しかし、空が青いのは当たり前ではない。毎日不自由なく生活ができること、争いごとなく安心して暮らせることも、当たり前だと思ってはいけない。なぜなら、戦時中の人々は、それが当たり前にできなかったのだから。日常の生活の一つひとつ、ほかの人からの親切一つしとつに感謝し、他の人を思いやるところから、「平和」は始まるのではないだろうか。

そして、唯一の被爆国に生まれた私たち日本人は、自分の目で見て、感じたことを世界に広く発信していく必要があると思う。「平和」は、人任せにするのではなく、一人一人の思いや責任ある行動で築き上げていくものだから。

(愛子内親王殿下 中学生時代の作文より・p101)

このように国民から愛されるお人柄やご聡明さにおいて比類のないお方が天皇家の直系長子であるのに、もし女性というだけで皇太子の座を閉ざされてしまうとしたら、まさに国民・国家にとっての大きな損失と言わざるを得ない。

片や、愛子さまが立太子されて天皇への道が開かれたら、皇位継承の危機も少なくなり、日本国内に一気に明るい光が差し込むと共に、民主主義国家として世界的に高い評価を得ることだろう。現在、ヨーロッパ王室は、すでに男女の区別のない長子継承制に移行しているという。

(p103)

私はいつも思うのだが、「未来志向」の人間は、時代に吹く風に敏感で、軽やかに前を向いて生きている。「過去思考」(そんな言葉はないが)の人だけが残念な因習にこだわって同じ場所にとどまっている。そして時代の風に乗って進んでいる人の方が現実もうまくいく。つまり運もよくなるのだ。これは個人だけに限らず、集団や国家にも言えると思う。(p111)

参考文献・引用:

『新時代のアマテラス — 愛子天皇の未来へ』

森由里子著 (出版:ナチュラルスピリット)

長子相続制がスタンダードになりつつあるヨーロッパ諸国では、続々と女性の皇太子が誕生していて、いずれ愛子様と同年代のその姫君たちが、女王として即位される時期が巡ってくるそうです。21世紀は女性そして多様性の時代と言われていますが、第四光線の顕現に責任を持つ日本が、進化しようとしている世界基準の波に乗れるでしょうか。大事な分岐点です。

今日はこのくらいで。

Love and Grace

Amari

大祈願(A.ベイリー)

神の御心の光の源より

光をあまねく流れ入れさせ給え

光を地上に降らせ給え

神の御心の愛の源より

愛をあまねく人の心に流れ入れさせ給え

キリスト(如来)よ、地上に戻られ給え

神の意志、明らかなる中心より

大目的が人の乏しき意志を導かんことを

如来は大目的を知り、これに仕え給う

我らが人類と呼ぶ中心より

愛と光の大計画を成させ給え

悪の棲処の扉を封じ給え

光と愛と力とをもて地上に大計画を復興させ給え

 

『以上の祈願つまり祈りは特定の個人やグループのものではなく、全人類のためのものである。この祈願の美しさと強さはそのシンプルさと、すべての人々が生来自然に受け入れている中心となる真理の表現にある。その真理とは、私たちが漠然と神と呼んでいる知的存在の真理、すべての外的なものの背後にあり、宇宙を動かしている力が愛であるという真理、キリスト教徒がキリストと呼ぶ偉大なる個性が地上に現われ、私たちに理解できるようその愛を体現したという真理、この愛と知性が「神の意志」と呼ばれるものの結果であるという真理、そして、人類を通してのみ神の大計画が成し遂げられるという自明の真理である。』(A. ベイリー)
​石川道子訳:AABライブラリー各著の冒頭に収録される。

A.ベイリーを愛読される方々は重要視しているこの「大祈願」。

個人的には自分で祈りの言葉を作ったりも、スクールのメソッドに導入するなどもして来たけれど、この「大祈願」は敷居が高く、今まであまり触れることはなく。

けれども今回、2023年12月末ころから(山羊座の満月から?)の、「用意されている時代の変わり目のお膳立て」の勢いが今までとは比較にならず、昨日1月21日の冥王星の水瓶座移動=風の時代の本格始動、水瓶座時代が具現化して来るタイミング・・で、世界が変わっていく舞台裏と、それを受信して自分たちが格段とギアチェンジしなくてはいけないという五次元と三次元のこちらを結ぶ「通信」のようなものを感じていると、

ふと、響いて来たのがこちらの「大祈願」です。

A.ベイリーが伝えるマスター界からのメッセージは、水瓶座時代の準備をせよという内容で。神智学の先達が、苦労しながらもこれからの時代のために、世に出され受け継がれて来たもの。正式な「神智学徒」ではなく、横から斜めから自分の仕事を通じて学ばせて貰っている私などは、ほんのうわべしか触れていない訳ですが、ますますこれまで以上に、これらのメッセージや用意されていた知恵が、時代を導いて行くことを感じます。

神智学、人智学、インド思想、「哲学としての仏教」など。

世界が平和に向かっていくよう・・変わり目には、人の癒しと一緒で色々な事が起こり、社会が「無事(なにごともない)」事は無いのだろうと思いますが・・

宗派などの垣根のない、神智学の先達が提唱する「新しい世界のスピリチュアリティ」が、人々を、人類を、地球を、守り導いていくことを願います。

Love and Grace

「理由」は必ず訪れる

必ず「理由」がある。

その時、理由を知って解決したいと思っても、幾ら考えても答えは出なくて、もう忘れた頃、別のことに一生懸命に対処していたり、新しい感じ方考え方をするようになった時にふと急に、過去の出来事の意味、理由、エネルギー背景がするすると解けるように分かったりする。そういう時はだいたい、知ろうとするのではなく、「知ることになる」という感じだ。

ずっと前・・と言ってもデジカメが存在する範囲内の過去、プライベートな友人との旅行のエピソード。最初に予定していた数名(4〜5人)が次々と来れなくなるという不安になるような現象の後に、私ともう一人の友人だけで出かける事になり。旅は至って順調で何の問題もなく楽しく終えたのだけど、思えば最初の待ち合わせに、私がなぜかハプニング続きで大幅に遅れていたっけ。それだけ。

最近、古い写真データの整理を画面上でしていて、その旅の画像を見かけて、ほぼ無意識に友人の顔を「+」マークで拡大していた・・すると、穏やかで問題ない人柄の人だけど、その日はドヨンと黒く曇った目をしていた。当時、私は一緒に旅していても全く気づかず。親しい友人で普段から何の問題も起こさない人だったし、当時は目を見て人の状態を判断するなんていうことも、あまり意識的にはしていなかった。

それで・・なるほど、他の多くの友人たちが来れなくなったこと、当日私が現地に着くまで普段ないような公共の交通機関や道路のトラブルで大幅に遅れていたこと、の理由が分かった・・20年近くを経て。当日の様子、本人は至って普段通りに見えたけど、病弱な人ではあった。今はヒーラーになって長く、「闇の力」というのは何も、激しかったり分かり安く破壊的だとは限らないということを知るに至っている。

「闇」の影響が「ヤミ=病み」として体質に出ているということがある。障害、病弱などとして、その家系に出やすい。その人においては人間性や魂がこれまで培ってきた人格により闇は精神などには反映されず肉体の「病み」として出ている。けれども同じ闇であることに変わりなく、周囲には影響を落とす。

「自分はトラブルメーカーだ」とその友人がよく静かに呟いていたっけ。私は呑気なほうなので友人として余り気にしていなかったけど・・彼女いわく、自分はいつもただその場に居るのだけど、周囲の人々が何か調子が狂い、トラブルが生まれる。旅の当日、私はお気に入りのとても麗しい感じの女神のような水晶原石を連れていっていて、彼女に何故か持たせていた。それにより、

その日、そして事前に、発動していた他の友人たちを来れなくし、私もあやうく当日行けなくなりそうなトラブルの連続・・を引き起こしていた、その友人のエネルギー状態に、石のお陰で浄化が起こり、旅も平穏だったのかもしれない。あの石を持っていって良かった、と20年近く経た今、ようやく思えて理解できた。

人はみな、両面のエネルギーが行き交う世界に生まれ、生きている。

よく「光」と「闇」の二元で物事を考えがちだけど、本当は「愛」か「病み」か。と言い換えられるかもしれない。光とは目で見えるもの、視覚的なものだから、反対語として「闇」という漢字を当てるのだろう。けれどもヤマト語としては恐らくおなじ「やみ」であるはず。つまり「病み」であり、その自動詞が「病む」なのだろうと・・思っている。

愛とは、生み出すこと、潤し活力をあたえ育てること、恵むこと、癒し安心させること、そして成長させること、導くこと。

病み・あるいは闇とは、その反対。生み出されたもの・存在するものを弱らせること、止まること、止めること、恐れること、恐れさせること、成長させないこと。

闇・・というと何か恐ろしい感じがしてくるけれど、「病み」ならばあてはまる多くの「愛では無い」要素について、人は、今の時代の人間たち、人間社会は、考えていかなくてはいけない時が来ていると思う。

そして簡単に言ってしまえば、人が考えるべきことは「愛になっていくこと」だけ。

恐れず、「病み」に囚われず、純化の道をゆく。

自分の(ソウルの)どの部分が「病み」であるのかが、この現象界で、現実として人や事象として見えてくる。ある種のヴァーチャル体験である、この世界での人生。感情はそのまやかしであり、また同時に「病み」を自ら見つける手掛かりにもなる。

「光」と「闇」の二元ではなく、

「愛」と「病み」の相剋だと考えると、もつれた糸がほどけて、理解が進むことも多い。

Love and Grace
Amari

今年もありがとうございました。どうぞ、良いお年を!

愛であれ

先日瞑想していたら、アメリカのヒーローものドラマ「Flash」(長年見ているのですが..)の主人公の母親役の女優さんが、女神のようにヴィジョンに現れて「アビス」と何度も言うという(ウトウトしていて)夢を見ました。

最近、「アピス(エジプトの牡牛の神様)」や「アヌビス(エジプトの犬の神様)」は話題にしていたので、それかな?と思いつつ、何かもっと深い意味がありそうと気になっていました。

Flashは、メタヒューマンという、なんらかの性能が進化した(よくも悪くも)存在たちが沢山出てくるドラマですが、主人公 Flashはスピードスターで、その力は宇宙の「スピードフォース」という量子場?と繋がる事で、成立している。

亡くなった実の母親の姿をまとって、ある時に「スピードフォース=神のようなもの」が三次元の現実界に顕現するので、夢のメッセンジャーがその女優さんだった(神として現れた時の雰囲気だった)という点から、これは地球のロゴスである、白山姫からのメッセージなのかなと受け止めました。あるいは、地球の自然霊ロゴスであるガイアからの。

「アビス」=Abyss? ということで、J.キャメロン監督作品『Abyss』(1988)も見てみました。

米ソ冷戦時代、米軍の潜水艦が事故を起こし、その収集に関わった民間会社のダイバーたちが、アビス=深海、最終的にはワケあって6000mの深淵に。6000mだなんて。富士山より高い、海溝です。

そこには、宇宙人(ピンク紫の光るクラゲのような美しい存在たち)の海底都市があり。水のエレメントを操る彼らは、人間たちが地球を滅ぼす道を歩んでいるといって、30mの津波をまさに起こした所でしたが・・

互いに交流したことで、事態は収拾される。もう35年前の映画なので、少しレトロな感じもあり。そこがまた新鮮だったりします。ここに込められたメッセージはとてもシンプルに、

『争うな。愛であれ。』

高周波の輝くピンクパープルの光を放つエイリアンたちも可愛くて、長かったけれど(2時間45分!)、良い映画でした。

最近気になっている「深い海溝」にまつわる情報かもしれない。地球のほとんどが海で、人間が到達し得ない海溝の深みも沢山ある。そういう場所から、地震や巨大津波が寄せて来るのかもしれず。

私たちは、自分たちが地球の住民だと思い込んでいるけれど、実際はそうではないのかもしれない。

ガイアの奥深さ、壮大さを思えば。ほんの一部の住民でしか、無いのかも?

少なくとも、そういう心を忘れてはならないのだろうと思ふ。

Love and Grace

空気を読まずに流れを読もう

互いに空気を読む、という国民性は、とても便利ではある。通じるなあ、という見知らぬ人々との無言の空気の「読み合い」に、妙に心が安堵感を覚えることもある。哲学者のマルクス・ガブリエル氏はこの国民性を「テレパシー」と英語にしていた。やはり海外の異なる文化意識の方々から見るとある種の、テレパシーとも言えるのかも。

けれども・・エナジーワーカーという仕事をして来て、エナジー、つまり「空気」とここで称しているものにも種類があるという部分、職業グセで分析をしたくなる。この場合は神智学の言葉を借りると「アストラル」、そして「エーテル」に関わるのではないかと思っている。

アストラルとは感情、であり。やや動物的な、モノノケ的な成分で、その人から発しているにも拘らず、発した当人が意識しないまま他の人にも伝播して影響を与えるし、横に接続し合うと大きなアストラルフィールドが出来る。良い例としてはコンサートやスポーツ観戦などの感動や一体感。良くない例として、ネガティブな雰囲気が集団で広がってそうでない人まで染まってしまう、という感じの。

また、人から分離して個別の存在(?!)になることもあるという記述も神智学文献にはあり、人間が生み出しているけれど、動いたり独立したりし始めるもの。ゆえにやや動物的。

もうひとつのエーテル、は、生体エネルギーフィールドの量子の波のようなものが、肉体の周りに存在していて、そこに遺伝情報や健康に関することなど(おそらく国民性、なども)私たちのプログラムがその人その人にセットされているもの。「肉体の一部の見えていない部分」という考え方もある。

日本人が互いに「読み合い」をしている「空気」とは、これらの二つがメインではないかと思う。そこに、アストラル体よりも外側にあるメンタル体のより機械的・粒子的な情報が、さらに外側から影響を与えて、「成分」としてのアストラル情報と、情報帯として私たちが「肌で感じる」エーテル体のあり方がその時々、個人個人から発せられている。

つまり・・人が集まった時。グループで何かをしなくてはいけない時。私たちは無意識に、(アストラルとエーテルをひとことでまとめると)「気持ち」を読み合う。それが習慣化されているので、無意識にやってしまう。そして、「調和」という、全体が同じような響きである状態を「良し」と感じる。そうでない場合、その「調和」状態にしなくては・・と、言葉を掛けたり、自分のやるべき事、発言・行動を考えたりする。

それは、何のための集いであるか・・によって、評価が変わってくる。「これから宜しく。仲良くしましょうね。」という顔合わせであれば、上の段落に書いたような、無意識の努力は必要かもしれない。誰かの「気持ち」が損なわれたら、目的が果たされなくなってしまうから。

けれども、会社のプロジェクト、研究や何らかの目的を持つタスクフォースのような場であったとしたら・・(政治や経済やボランティア活動やあらゆる「活動」は皆、目的があることだろう)・・「気持ち」を読み合い、調和することに尽力していたら、どうなるだろうか。

余程、安定している人々の集まりでなければ、集まるたびに違う「空気のゆらぎ」が発生して、誰かの気持ちや調子の低迷を他の人々が「読み取り」、気遣い、調整することに時間とエネルギーを費やすことになる。そんな光景は、人々の集まる場所で、よく繰り広げられているのではないかと思う。小さな池(感情エネルギーは水であるからそのイメージ)の周りに集まって、皆で水を覗いているような風に、私には(心の目で)見える事がある。

大きな流れは遠くから来ていて、この先も流れに乗せて目的を現実化して行きたいのならば、小さな池を覗き込む輪を作らずに、遠くから来ている流れが自分たちの前へ、そしてその先の(存在している、決めているはずの目的=ゴール)に向かう様子を見据えて、流れて来ているエネルギーの上に乗らなくてはならない。

ここでは、ひとりひとりの「気持ち」へのフォーカスは超えていなくてはいけなくて、それは既に個々で、仕上げた上で集まっているか、舞台裏でその都度解決するよう試みながら、大人として参席しなくてはいけないのだろうと思う。

神智学、アリス・ベイリー著書からも、(チベット人のマスターからの教えではあるけれど)インテンション、緊張感を良い意味でキープして、それにより成長をし続けることの大切さが説かれていて、私はそれを「シリウス的」(ひいては「ヴェガ」由来の宇宙思想)と捉えて来た。(余談:地上でそれを体現しているのが、ユダヤ精神なのかもしれない。ニューエイジのスピリチュアルはそもそも欧米発で、ユダヤ的なエッセンスが含まれているかもしれないことに、最近、読書をしていて気づいた・・)

日本における議論だと、池をみんなでじっと見つめていて、波が立って乱れたら様子を見て、「池」の平穏さを守ろう・・の状況について、

「そこからも、何かが生まれてくるかもしれないし、それも良いんじゃないかと僕は思うよ」・・みたいな声が聞こえて来そう。(笑)もちろん悪いことではない。

けれども、そんな日本人精神は「プロジェクト向き」ではないのだろう。大きな視点で流れを見て、見据えて、流れに乗っていこう・・・というよりも、お題や課題を与えられてその中でコツコツと頑張る時間を貰えたら、(職人仕事的に)良い成果を出します・・というのが、日本ダマシイといったところかもしれない。

目的意識が明確にあり、流れを読んで過去(状況)と未来(目的地)の間にある「今」の、「必要なこと」をしようという意図があったとして。目的は全体のものであった筈が、集まった人たちは、各自の「気持ち」をそのまま持ち込み、互いにそれを調整して調和させることに、その集まり=池 を使おうとしているようなことは、日本の色々な場所で繰り広げられているだろう。

特に女性たちは(私も含めて)自分の「気持ち」を大事にすること、他者の「気持ち」を気遣うことを重視するような土壌で、それを期待され、お互いに期待し合いながら育って来ている。ヤマトナデシコとは、[永遠の少女]のような原型エネルギーを被ること、なのかもしれない。

自分の古いブログ記事を整理している中で、「気持ち」重視の自分に気づいた、という文章もちょうど昨日読んでいて・・確かにその気づきは何度もあったっけ。ヒーラー仕事をして来る上で、「気持ち」が壁に引っ掛かって進めなくなることが多々あったから。ヒーラー、というかメタフィジカルはある意味「大いなる(地球規模の)プロジェクト」の一員になることだから、個人的な仕事ではなく、ある一定の法則の中に、自分を合わせていかなくては、上手くいかないという局面が多々、現れて来る。

A.ベイリー著書などはそんな話をしている。「見習いの道」「弟子道」とも呼ばれたりする。あらゆる宗教や文化のジャンルに分かれていたとしても、(正しい思想や哲学の)行き着く所はひとつの筈で、地球を動かしているプロジェクトには、ひとつの法則があるのだ。絶対善と表現したりもしている。

ゆえに、日本人の一人、それも日本女性の一人として、空気を読み合う文化の優しさも良さも十分に分かって居るけれど・・その上でやはり思うのは、それは「プロジェクト向きではない」ということ。自分自身も修正し続けて来たけれど。

折しも最近読書していた「ユダヤ思想」についての勉強から、世界中で結果を出している、つまりプロジェクトに強いという性質として、ニューエイジのスピリチュアルでもよく語られる「フロー」や「豊かさ」などの思想の源泉を見つけた気がした。

ユダヤ、のキーワードについて問題が連想されるとしたら、今も起きている紛争、争いという局面だけれど。それは、一神教ゆえであり、勤勉さや上昇志向や、よく言われる「無から有を生み出す」というユダヤ精神とはまた別の話であろうと今のところはまだ思っている。が、もう少しよく学んでみないと・・

私なりに、それ(一神教のはじまり)に関しては最近ひとつの(秘教的な)答えを得ている。(by 「古代の宇宙人」・笑)それについてはまたの機会に書きたいと思ふ。

アリス・ベイリー著書のような神智学の教え、緊張感や成長(進化)主義のような思想が、日本ではなぜ受けないか・・も、ジェネシス原型論からも今では良く理解できる。

「流れを読み取ろう」といつも、スクールでは言い続けて来て、みんなちゃんと在学中は出来るのだけど(アルガンザのエネルギーメカニズムに乗せられるというか、乗らない訳にはいかない仕組み?ゆえに)、日常に戻ってしまうと、自ら流れを読み取ったり、増して乗り続けるために自分自身を成長させ変化変容させ続ける、という状況を、自ら積極的に作ろうというのは難しいのだろう。

なぜかそれが出来る、そういうものだ、そうあらねばと思える人は、前世ユダヤ人を何度かやっているとか(あるいは人生とは成長だという思想が強い人生を複数回経ているとか)、シリウス遺伝子が強いとか、神智学や「絶対善」への道、魂の進化の道というものをよく分かっている人・・なのかもしれない。

メタフィジカル、スピリチュアルな道を学ぶということは、池のほとりを離れて、大河の流れを常に見定め、自らそこに乗る、乗り続ける努力が必要、ということになる。

Love and Grace

Amari