報われない偉業

大シフトの8月、も終盤のせいか、糸を手繰っているうちに自分でも深い、大きめのもの(消化・昇華するべきテーマ)が出て来た。

去年から少しずつ、奈良の家からオフィスへと、古い書類群を送っていた段ボール数箱。なかなか本腰を入れて整理できずに月日が過ぎていたところ、今週は助っ人の手もあり、作業を進めることが出来て・・

 アルガンザになる前の「ロザリア」「天と大地」時代のサロンの記録のボリュームと、当時の自分の集中したエネルギーの注ぎ方が書類群から激しく伝わって来て、古代史探求や、20代の仏教信仰、さらには受験勉強なども同じくだったが、いつも必ずタイムマシーンを開ける作業(記録の整理)は、決まって物悲しくなってしまう。
もう定番だったので、そういうものだと思って気にして来なかった・・・が、今回スタッフさんが手伝いに入っていたことで、客観的な視点が自分の中にも生まれて、「この悲しい感じ、変ではないか?」と、自覚するに至った。実際には過去の努力・奮闘は報われなかった訳ではなく、必ず良い結果を連れて来てくれた。パーソナリティの中心はその部分をちゃんと分かっていて、信念のようなポジティビティもある。けれど、そこから分離している「何か」が、悲哀に変換してしまうのだ。
冷静に堀り下げてみようと決意した瞬間に、整理している書類の中から、2007〜8年ころ、当時メル友のような関係だった東北に住む女性 — 同じ歳、同じ本名の、タロットや占星術やチャネリングアートをしていた女性が見てくれた、星読み&サイキックリーディングの鑑定結果の書類が、出て来た。
「秘教の研究においてトラウマがある」と書いてあった。当時は「秘教の研究」と言われても読み流していたようで印象に残っていない。けれど今ならば、「秘教徒を前世でもしていて、続きをしに来ている」と数年前から生徒さんたちにも話していたからよく分かる。加えて、何らかの研究者としての「トラウマ」については、ちょうど考えていた所でもあった。
石巫女クラスで取り上げたウェーゲナーの「大陸と海洋の起源」を、最近持ち歩いて電車で読んでいたりもしていた。私はこういう、「先駆的な研究を堂々とやってのけたけど、悲壮感の中で死んでいった」とか、「まだ時代に受け入れられず当人は絶望の中で早逝した」とか・・「研究者の悲哀」に妙に敏感なのだ。そしてこれは、最後に残った「理由のない感情パターン」でもある。
ヒーリングと出会ったころ、今世では身に覚えが無いにも拘らず自分の中に深く入っていて、ネガティブな感情反応を生み出しているパターンを多く抱えていた。私の場合、ネガティブの中身はほとんど「悲しみ」や「虚しさ」「恐怖」などだった。父権制への恐怖、十字架、ギロチン、高所恐怖症、閉所恐怖症、伴侶である男性の死と犠牲、そこへの罪の意識(「ハピの巫女姫」のリーヴ、「ガイアナ神謡集」のレオダイなどに反映)、などなど。それらが一つ一つ、セルフワークやセッションを通じて癒されていった。
自分になぜか入っている多くの原型的エネルギーからの感情パターンがクリアリングされると、本当に嘘のように「反応」も消えていき、そのような感情に理由もなく落ちるようなことは、無くなるもの。これは或る意味とても「科学的」だと言える。感情や思考が情報の注入、セッティングであり、的確な手順でそれを外したり中和できれば、翻弄される自分のメカニズムそのものが、無くなっていく。
この数年どうも、悲しい末路のエピソードがあったり、偉業の割にはパっとしない人生、みたいな先人たち(研究者・執筆家)にシンパシーを感じていた。かつて若いころは上記のほかに、「狂ってしまった人」や「自殺する芸術家」に同情するクセがあったが、これらもまた、過去生を癒すことであっさりと消えていた。この二つは、実際にそのような過去生が、比較的新しい時代にあった為に、影響が強く出ていたパターンだった。
「秘教研究や執筆の、(前世の)続きを、今世でやっている」と自覚している今、その仕事に直結する、打破しなくてはいけないトラウマがあるのだと、漸く気付く。これを綺麗にしなかったら、この先には進めないというくらいに自分の今世の「本題」であるがゆえに、むしろ子供の頃や若い頃は息を潜めていて、ここ数年で浮上して来ていたのだろうという事にも、やっと気付く。
過去の自分の「反応」パターンを振り返り、その本質を理解するのに時間は必要なかった。。過去生では、自分の弟子、または共同研究者のような立場の人々に裏切られてしまったのだろうと納得する。そして過去生のさらに深層にある原型パターンを既に「ジェネシス」で紐解いて、体験もしているから、断定しやすかった。
アトランティス文明期、叡智のマトリックス「ソフィア」から、情報だけ取り出してソフィアとその守り手のエルフ界を破壊した「革命派」の人々。数年前、このジェネシス情報が開示された時、私はソフィアの意識になって、ウオンウオンと大泣きしていた(笑)。
先にそれを体験していた(鋳型を癒していた)から、もっとも近い過去生だったゆえに生々しくお腹の中に沈んでいたとは言え、意識を向けただけでスルスルと解け始めた。過去に大きなテーマと向き合うには、かなり大掛かりな体勢が必要だったり、長期的に少しずつ分かっていったりしたものだけれど。鋳型に先に触れていたから残照のようなものだけが残っていたか、またはこれからの仕事に直接関わるからこそ今、ソウルのデーターバンクから改めて降りてきて、お腹に入ったとも言えるかもしれない。
悪気のないちょっとした不注意(利己の波動)、人がついついやってしまうというレベルの利己による他者の侵害に、過度に悲しくなる性癖も、ここに起因していそうだ。人魚姫に助けられた王子がそれに気づかず魔女が化けた女性が命の恩人だと勘違いするシーンに、子供のころに号泣した理由も(笑)
ウェーゲナーの大陸移動説は、すぐには理解・評価・賛同を得ることは難しかったけれど、当人の死後、価値に気づいて取り上げる学者が出て来て、評価されるに至る。さらに技術革新からデータによって彼の気づき、研究、主張が正しいと認定される時代が到来した。こういったタイムラグが生まれるのは、「天才と凡人が居るから」で片付けられる問題ではない。自身に感情的な違和感があったとしても、それは自分の中に在るものが反応しているのではないか?という謙虚さとともに、「普通ではない」ことを言い出す人々の声と真摯な態度に、ハートを開く感性が、人々にあれば解決すること。
ある程度のワンネス的叡智の周波数の共有は、やはりこれからは必要だと思う。そうでないと、自由になった人類は各自の利己で暴走する。地球は持続可能ではなくなる。
・・と、話が逸れたけど。私個人の記憶だけではなく、
アトランティスにおいて、自我の目覚めを体験しつつある人類の中から、神なる世界に手厚く保護され、闇に染まる、利己で暴走する、という状態にさえ未だなりようが無い仕組みの中に居たところから、「俺たちは結構賢いから、何でも自分たちでやってみようゼ」という「革命」が起こった時、彼らは宇宙的叡智のマトリックス「ソフィア」を電磁的に攻撃して破壊し、かつ、ソフィアに蓄えられていた情報だけは自分たちが活用するために吸い取った(アルガンザ「ジェネシス」でのストーリー)。・・ここで、ソフィア側だったソウルは人類の(愛を注いでいた存在たちの)仕打ちを深い傷として刻んでいる。
「愛しんでいたものたちに、情報だけ持っていかれ、自分は滅ぼされる」
このパターンを持っている人々は、少なからず居るはず。ソフィアを守っていた存在たち、その世界、人間界に居てソフィア側だった魂も多く居たのだから。・・そういえば日本人は「判官贔屓」で、民族のDNAとしてはやはり、自然界系、レムリア系、ソフィアの守り手たち・・の流れを濃く継いでいるのかもしれない。そのために「大人になれない(進化に乗れない)」人々が多いのだろうか?
タイムカプセル、自分の過去の「頑張った記録」を見るにつけ、悲壮感に包み込まれていたことも、過去に多くの「反応パターン」が嘘のように消えた、思い出せないくらいに関係なくなった事例と同じように・・過ぎ去っていくものなのだなあ。。。と、意外な、不意にやって来た新しい秋の風の到来を予感している。
ちなみに上記の、占星術とタロットで鑑定してくれた女性は、私がまだ奈良に居たころに急な発病を経てあっという間に天に還られた。亡くなる直前、彼女が好きだった「マグダレーナ」という洗礼名で洗礼を受けてクリスチャンになっていたということを思い出して、これは偶然ではなく、彼女のスピリットがくれたメッセージだったのでは?と思った。というのも、ちょうど執筆物のための文献として、マグダラ関連の本を4冊並べて、読んでいた最近だったから。
太古フェミニズムが、縁を繋いでくれたのだった。女性性や女神のテーマは、自分がずっと前に昇華したために、最近はほとんど頭を過ぎることもなく。『聖娼』のキーワードで私を検索で見つけたと言っていたっけ。。もう15、6年も前のこと。マグダラの読書をしていても、申し訳ないことに彼女を思い出さなかった。けれど、私は当時何を読んでどんなふうに感動し、母系社会や聖娼制度の国を舞台にした「ハピ」や「ガイアナ」を書いたのだっけ・・・と記憶を辿ってはいた。なぜか抜け落ちていたけど、書き上げたばかりの「ハピ」をメルマガで購読してくれ、まだ高揚感でワクワクしているような当時の私の世界観を、ひととき一緒に、喜びとともに感じてくれていた一人だったのだ。
「過去の努力を振り返ると押し寄せる悲壮感」のパターンは過去生ゆえだと気付いたことで、過去も現在も未来も、創造の1本の流れにあるという、何か、「魂の生み出す力」のようなものが戻って来た。
そう言えば、世界史の中でもっとも「報われない偉業」と呼ぶべきは、近年までのマグダラのマリアの立場、だったかもしれない。ここ30年くらいで、報われつつある。2000年越しの誤解と偏見を超えて。本来、イエスと対等に扱われるべき人物なのではないか・・とさえ、思っている(ジョン&ヨーコのように)。世が世なら。つまりちょうどあの頃に盛っていった父権制・男社会へのシフトの波の中で、情報を改竄されることが起きていなかったならば。
いろいろと話が枝葉を広げつつも。
まさしく、変容の夏。
読んでくれたみなさまにも、華麗なる変容を!
Love and Grace,
Amari

New エソテリ、或いはメタスピ。

 

こちらのブログは「スピリチュアル」が好きではない、どこか怪しいと思っている(笑)人々にも読んで欲しい、そしてその「すぴ」の括りの先入観を外して、メタフィジカルな探求者の中には、宇宙文明とか惑星の進化とか言いながらもそれを歴史として取り扱い、真剣に人類の過去と未来、そして現在を研究し模索する中に身をおいて、何とかプロ(専業)として目に見えないエネルギー、魂というものをケアし導くという仕事をしようとしている者たちが居るということを伝えたいと、スタートして2年半が過ぎた。

同時に、そのような在り方をする新しい時代の「すぴ」を超えた、バランスのとれたエナジーワーカーたちが次世代、次々世代に生まれて欲しい、という両方向からの目的で、以前の「いかにもエナジーヒーラー」のブログ群を閉じて、リニューアルするべく開設したもの。

今書いた「目的」はこのブログに限ったことではなく、数年前からの、そして今後の私の活動指針でもある。2016年で一般クライアントの受付を終了し、2017年にはスクールの縮小、小数精鋭を育てていくマスタークラス、伝授、勉強会に的を絞って来た。来年春にそれらも終えることになっていて、一部の例外的活動(既にアルガンザワークのプラクティショナーである人々だけを対象にする伝授が幾つか来年まで続く)を除き、「エナジーヒーラー」としての仕事を「引退」する。

現場に立つ専業者は、一つ一つの事例に集中し、クライアントのニーズを満たすことで、サービス業としてお客様に報いる必要がある。それと、研究や新たな道を切り拓くための模索、広角で広い視野を持ち、未来に焦点を当ててその分野ごと「進化させていく」ためのチャレンジを、同時に行うことは出来ないからだ。

上記の、「真剣に人類の過去と未来、そして現在を研究し模索する中に身をおいて、何とかプロ(専業)として目に見えないエネルギー、魂というものをケアし導くという仕事をしようとしている者たち」は、もちろん昔からずっと居た。それは「秘教」とか「オカルト」とか呼ばれて綿々と一部の知識人たちに受け継がれ、時にアブナイ集団や思想を生んだ事もあるだろうし、最近ならば140年前のブラヴァツキーを初代とし、シュタイナー、アリス・ベイリー、そしてクリシュナムルティを輩出した『神智学教会』が知られている。

現在、ニューエイジと呼ばれている(日本ではいわゆる「スピリチュアル」)ジャンルは、ここから派生している。多くのチャネリング情報、ヒーリング体系、出版、スクールがどんどん生まれ、特に日本では「江原さん効果」でスピに参入した人々も加わって、質や方向性が錯綜し、今はかなり混乱している。

メタフィジカルな分野は、神智学、があれば十分だと実は思っている。そもそもブラヴァツキー夫人、2代目のアニー・ベサントの試みは、古今東西の秘教的叡智からエッセンスを追いつつ、直観や東洋の聖人の教えも取り入れ、、リードビーターやアリス・ベイリーは更にインドのヨーガ思想や哲学、チャクラやオーラの概念、ソウルシステムまでを現在の表現でわかりやすく説明した。思想の違いで離脱したシュタイナーは、単に思想や癒しだけでなく医学・建築・農業・教育・美術などあらゆる分野に神智学と直観的世界を活用しメソッド化するという「人智学」を打ち立てた。

そして、神智学教会の幾らか犠牲のような側面もあったクリシュナムルティは、人生の後半、そんな彼だからこそ説得力のあった独特の思想哲学を、ボームなど科学者とコラボしながら紹介し続けた。これだけ、天才たちが集まり、完璧な役割分担を演じたのだから、もうこれ以上、何も必要ないというくらいに、「すべて」が詰まっている。私はそう感じている。

けれど・・・アリス・ベイリー著書の中で、情報源であるチベット僧のジュワルカルは言っている。時代に応じて、探求者たちは変化(進化)していく。地球の表面世界に届く高次元世界からの光線、意識やチャクラに刺激を与えるウェーブも、変わっていく。その時代時代に生きる人々や状況に合わせて、伝えるための表現も、変化していく必要がある。

今は過渡期だと信じたい・・情報だけではなく、メタフィジカルなエネルギーも錯綜し、混乱している。向かう方向、引っ張っていこうとするベクトルがバラバラで、このジャンル自体が、以前のような心地よさや輝きを感じさせない。

深淵な神智学の語りに触れ、または効果のあるヒーリングと出会い、歩み始めた人々がそんな混乱の中で道に迷い、中にはガッカリしてしまうケースも多々あるだろう。

2002年、このジャンル(ニューエイジ、癒し)に本腰を入れて付き合うことになった私のキッカケは1本のフラワーエッセンス(花のエネルギーを転写した波動水)。なぜか最初から体感もあり、起きるものごととエネルギーの仕組みもすんなりと、理解できるという今思えば不思議な「初心者」だった。エッセンスを一回飲んだだけで起こる自分と周囲と体の変化や浄化の強さに驚いて、2本目を試すと、エッセンスの中に入っている植物の意識のようなものをヴィジョンで見るという体験をした。

20代の10年間、仏教徒として真冬の水行や、白装束での未明の登山などの修行をしていたという下地?があったからかもしれない・・過去生でも繰り返し「秘教」に触れていたからかもしれない・・・ともあれ、あっという間に強い信念を気づけば抱くようにになり、半年後にはヒーリング雑貨や石を扱うウェブショップをオープンした。計画したわけではなく、娘を保育園に入れるために「仕事を作らねば」という状況にお尻を叩かれた故だったが(幼稚園ママは自分には無理だと悟っていたので・・)。

当時のスピの主流である、女性的なハートの勢いで、エナジーヒーラーとして一気に駆け抜けた。来年春、15周年での引退となるが・・実際には、密度としては、それ以上だったと思う。これもまた計画していたわけではなく、シングルマザーゆえに娘を育てるという大業を前に、休む間もなく構えているところへ、うちのサロンの見えないマネージャーたちは次々と仕事を運んで来た。ヒーリングをする立場でも、そのエネルギーに常に自分が癒され、いつでも元気、やる気満々で駆け抜けていた。最初の・・前半の8年くらいは。

9年目に入った頃、あるキッカケから「パチン」とエネルギーの膜が弾けて、「スピ」というグラマー的集合エネルギーから、数秒間の時空変動のような体感とともに、醒めてしまった。ヒーリングスクールである「カレッジ」3期の真ん中、中級と上級の間の夏休み、8月のことだった。

カレッジ3期は、急に起こった自分自身の変化を反映させた章がテキストに幾つか追加され、また、1期を行いながら構築していったフルで1時間の「虹と大地の瞑想」を、知人の作曲家に頼んでオリジナルで音源化し、CDの形で仕上げた。つまりカレッジとしてはここで完成を見ていた。今振り返ると、カレッジだけではなく「新たに作る」「広げる」というエネルギーはその夏までの、前半の8年に凝縮されていたのだと思う。今整理してリニューアルしているオリジナルワークも、その頃までに原型が出来ていたり、情報を既に受け取り終えていたものばかり。その後のマスタークラス、ジェネシス、プラクティショナー育成も然り。

山のピークを登り切り、ゆっくりと降りながらその山を去るために整理をしている。2015年の夏からはそんな歩みの中にあった(当時は自覚なく、自分もやや混乱していた)。このブログを作った頃は、最初に記事に書いたようにまだ名前もなく、この先の表現活動を何と呼ぶべきか分からなかった。が、最近ふと「メタスピ」(「スピリチュアル」を超えたもの)で良いんではないかと思いつく。

そして昨夜、自宅でのこと。

デスク脇の小さなアンティーク風の棚の石は、手にとるというよりは置いてあるだけで高周波を発する「装置」のような位置づけが多い。シュンガイトやヌーマイト、メテオライト、サルファーなど。そのコーナーから珍しくグリーンアパタイトに引きつけられ、何となく手にして階下での夕食に向かった。部屋に戻り、元の位置に戻した時に側にあるシチリア島のサルファーを落としてしまった。が、何とも思わずそのまま明かりをつけずに、薄暗い部屋で瞑想し、就寝。

今朝起きて、朝日を浴びているデスク上に、レモンイエローのキラキラしたものが散らばっているのに気づいて、状況を察した。そうだった、サルファーは脆い。忘れた訳ではないけれど、近距離でちょっとした高低差だったのに・・あたりどころが悪かったか。同時に悟ったのは、昨夜はアポフィライトに呼ばれていた訳ではなく、それを戻す時にサルファーを落として欠けさせるというセレモニーが、必要だったのである。昨日、一昨日と、シチリア島サルファーが2014〜15年に関わって起きた「ジェネシス世界観」にまつわる一部の情報について、プラクティショナーさんへのメールで触れていたところだった。

その関連は、こちらよりも右脳的なブログ「アルガンザ・アップデート」で後日、記事にしようかと思う。それは秘教的・神秘的な水面下の流れであるとして。以前同じサルファーが粉々になったという記事を書いたっけ、と自分の古い記事アーカイブ「パサージュ」を覗いた。こちらの記事:

これを読んで当時と今を同時に比べた時に、上に書いたように2015年8月に起こったキッカケから、既に山の頂上を去る歩みが始まっていたことに気づく。この記事は同年9月13日に書いたもの。丸々一つ、約3センチ四方のサルファーが割れてしまっていた。

今までも、ただならぬ変化は2017年から、も少し視点を変えると2016年から・・と書いて来たけど、確かにグラマーが醒めるという経験をしていたのが2015年8月であり、カレッジ体系の完成も同じくその頃だった。この、興味ない人々にはどうでも良さそうな話—私の仕事の背後にあった設計図が(笑)、私自身に思い出させられたことによって・・実はこちらのブログにとっても、小さからぬテーマであった「今後の新たな表現方法を何と呼んでいくべきか」の答えを見つけることに繋がった。

古い記事の粉々のサルファーの画像を眺めていたら、「新しいエソテリシズム(神智学)」=「水瓶座時代の New エソテリ」と、頭の中で響いた。「エソテリ」と外来語を途中で止めるといういい加減さ、ユルさが、新しい日本語っぽくて良いではないか?

皆で流行らせましょう。。。笑

天才たちが集った100年前のムーブメント「神智学」が、現代と調和しながら、「秘教」ではなく「常識」になっていく日を夢見て。それは世界平和、地球環境、人類の進化、全てにとって持続可能な流れに乗せていくための「必然」のように私には思われる。いやいや地球など、人類など壊して終わらせたいのだよ・・という意見の持ち主以外の、すべての人々にそれが伝わるように。怪しいものではない、秘められたものでもない、日本的に混乱した「すぴ」でもなく、怖いものでもない・・・ヒトという形をとって、魂がこの地上で生きていくための常識的な知恵であり、全ての人が健康と幸福のためにそれを知るべきであるし、その時代が来ているという事が、伝わるように。

「新エソテリ」「メタスピ」、どちらも使って行こうかな。

まずは、このブログのカテゴリーとして作ってみた今日。その記念を刻むべく記事を書いてみました。

Love and Grace,  Amari

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「好き」「嫌い」と魂の道

 

いつもより早起き出来たので目が合った石たちとゆっくりワーク。珍しくマスタークリスタルでもトパーズでもなく、小さめの結晶たち。フェナカイト、スキャポライト、タンザナイトに、パープルサファイア。それにしても、昔から人に私のイメージ、と言われることも多いけれど、青紫、タンザナイトの色はほんとに落ち着く。セントジャーメイン、インディゴチルドレン、と言ったところか。

さて、皆さんは食べ物の好き嫌いはどれくらい、あるでしょう

ヒーラーとして、人間としての経験上、やはり食べ物の好き嫌いが多い人は、チャクラのバランスが悪いと考えるに至っている。アレルギーや、体質的に受付ない・・という事は除外しての話で。大概は、子供の頃に苦手だった食べ物(野菜、薬味、香りや味の強いもの、食感が独特のもの、強めの調味料など)を、そのまま食わず嫌いしているケースが殆どと思う。

子供はまだ、味覚の器官、味蕾が完成していないので、苦味・辛みなど味の強いものは食べられない。ここで、親が成長に応じて、チャレンジさせて「あ、美味しい!」と知る機会を作らないと、ずっと嫌いなまま大人になってしまう。

うちは若大将にもたびたび、昔の思い出として言われる独自の教育(=「ママ部」とあだ名されていた・笑)の中で、小学六年生くらいから、「好き嫌いは克服せよ」と言って、幼い頃から「嫌い」と言っていたものを食べるように促したり、例えば、なぜ、寿司にはワサビが必要か、昔の人がなぜこの組み合わせを考えたかについての講釈をたれ「寿司にはワサビが必要なのである」と理解させ「文化として慣らす」など、試みたものだ(笑)。結果、娘は小さい頃は食べれなかったものの多くを、食べれる大人になった(&ママのお陰、と感謝もされている)。

私の母は厳しくない母だったけれど(– 私も親として厳しいという訳ではない– )、私はなぜか成長段階で自分自身でこれをやっていて、体が受け付ない青魚や生臭いお肉系以外は、何でも大丈夫という大人に気づいたらなっていた。。故に、娘にもその手法を受け継いだというわけ・・ 幼少期から無意識に「修行好き」だったよう。自分が変化していくこと、苦手を克服していく事に、喜びを感じたのだろうと自己分析。

食事に行くと、嫌いなものを避けるのが大変、という人も割と居るものだけど、そういう人は人間、他者についても苦手が多くて、結果、人付き合いがストレスになっていたりもする。

メタフィジカルが目指すところは「バランス」であり、あらゆる囚われから自分を解放していくこと。嫌いなものを避けて心地よいほうへ向かうのではなく、外側の変化で自分を満たすのではなく、自分自身の心の力で常に、幸福を生み出せるように変化していくことが問われる。

ライトボディの作りとして、内側(ひいては肉体)がエネルギーで満たされないと外のオーラの活性が始まらないという仕組みがある。それゆえに、体、食べ物や行動から始まって、感情、意志・・と、順番にコツコツと自分と付き合いながら、「良いものを入れて」「良からぬものを排出する、以後は取らないようにする」という道を、歩き続けるものなのだ。何のために・・って、「幸せ」のために。見せかけや、一時的な幸せではなく、本当の幸せのために。

肉体で感じた幸福感(食べ物などもココ)は、外側のオーラにも少しの影響は与える。同じように、感情体・メンタル体で感じた感情や思考レベルの情報もまた、魂の領域である外側のライトボディにも響いていく。けれど一時的なもので、それら下位のサトルボディ(オーラ)での働きは常に、反作用の可能性を宿している。「好き」があれば「嫌い」があり、「満足」があればまた「不満」がやってくる、という具合に。

内側の体を安定させ、(感情や食べ物ばかりでなく)エネルギーで満たしながらも、扱うテーマ、意識を向ける焦点を徐々に外側のライトボディ、魂領域、精妙な宇宙領域へと向けていくように移行していくのが本当の幸せを目指す本物のメタフィジカル(スピリチュアル)である。徐々にブッディ、アートマ、そしてモナド体へとフォースがまわっていくようになると、そこにはもう「好き」「嫌い」の感覚も消えていき、自分個人の執着よりも、世界全体の秩序、宇宙や自然界の法則の中に生きるということに意識が向くようになる。=これが宇宙に言う「愛」である。宇宙という秩序の中に融けることを「知っている」状態。

ライトボディはどの層も綺麗に光を湛え、影や隙間や偏りや滞り、エネルギーの流れを悪くするものがない状態を目指していく。ここでようやく、魂は「幸福感」で完全に満たされる。肉体からモナドまで。フィジカル体から、七つ目のモナド体まで。 関係ないようでいて、関係があるのが肉体レベルや感情・思考レベルの「好き」「嫌い」。この偏りがあるうちは外側のライトボディへの活性に進めず、真の幸福にはメカニズム的に至れない。

けれど個々によって性質・体質は違い、自分なりの「バランス」を掴んでいくことが重要。その「自分なり」を知り発見するにあたって、欲望や感情などのエゴを入れないことも不可欠であり、そうなると、常に浄化と純化を続けるのがメタフィジカルだと気づく。そのための手法を、自ら持っていなくてはいけない。レイキやヨーガや瞑想、危険ではない、他者に利用されない何らかの信念、知識、魂まで扱える、かつ現実・肉体を疎かにしないヒーリングメソッド。

好き嫌い、食わず嫌い がたくさんあるという人は、まずはそこを見つめてみよう。変化・成長・進化できない理由がそこに隠されているかもしれない。

Love and Grace,

Amari