生命叙事詩

先日、2014年公開アメリカ映画『インターステラー』をようやく見て。2時間49分もあるけれど退屈せず、コテコテしたハリウッドらしさも感じず(監督はイギリス出身らしい)、静かに穏やかに冷静に、感動する・・ような、エレガンスの効いたSFを楽しませて頂いた。

自分の中にあるものと、色々と響くポイントがあり。

まず、この作品の世界観。さらりとだけど「they」と語られる宇宙存在、宇宙人たちへの言及がある。というか、それはこの物語には不可欠な要素で。砂漠化が進み、あと数十年で酸素がなくなるという追い詰められた地球。(設定はいつなんだろう?近未来という感じではなく、ごくごく現代に近い様子) NASAが密かに研究・活動を続けていて、「土星近くに急に開いた」ワームホールの存在が明かされる。

「5次元の中に3次元を創り出し」、人類を見守ってきた「they」(彼ら)が、このままでは危ないという瀬戸際にある人類に活路を開くため、人類でも行ける土星近くのある場所に、別の銀河へと抜けるトンネル=ワームホールを作ったらしい。

この世界観と、ワームホールの描写の仕方、作品後半で出てくる「四次元立方体」という、「they」(5次元存在)がテクノロジーで必要に応じて開いたり閉じたりする時空の狭間のような場所(タイムマシン的な働きをするのだろう)の描き方などが、本当にその通り、というか・・自分が体験を通じて「そうだ」と思っていること、体験していないのになぜか「そうだ」と思って来ていることと、ナチュラルに一致する部分が多かった。

・・が、作品の解説などを読むと、最新の科学的な研究結果、宇宙論を反映しているとのことで・・ このところ続いている、自分の魂が知っていること、エナジーヒーラーとして、また個人的瞑想を通じて得てきたものと、実学的な情報が繋がっていくという感覚をここでも。

まだヒーラーになる前に書いた「ハピの巫女姫」「ガイアナ神謡集」でも、ワームホールを仕掛けた施設(古代遺跡の形で残っている)、神なる存在がすぐにその場で呼び出せる小型ワームホール(「渦」と作中で呼んでいる)、それらを抜ける時には意図した場所へ運ばれるという点など。「古代の宇宙人」を見ていても「わかる!」「私それ20年前に書いている!」という事が多く、創作というのは本当に、人間としての自分を超えた、魂のなせる技なのだなと改めて思う。

話の次元が違うケド、韓国ドラマを私が初めて見たのは2012年、『チャングム』の再放送(ブームよりかなり年数が経ってから)。その時はそれだけで終わって、「いや〜女子には必要な体験だな。娘にいつか見せたいな。」と思っていたところ、高校二年になった娘と共に二度目の『チャングム』を見たのが2017年。・・そこからノンストップで今でも、何らかの韓国ドラマを常に見ている生活が続いているわけだけど、

2002〜2003年に書いた『ハピ』、2005〜2006年に書いた『ガイアナ』、とくに「ハピ」と、韓国時代劇のストーリーの流れ方や、登場人物の設定、物語に現れるパターンなどが、「似ている!」と想う要素が多くて、これはどういう訳か。と考えている。日本の歴史物よりも、韓国史劇のほうが、似ていると感じる。まるで私が、幼い頃から見てきて韓国時代劇に強い影響を受けているかのように。

けれど実際はそうではない。1973年生まれの私は、「ベルばら」や「キャンディキャンディ」などをテレビアニメで見て、「王家の紋章」や「あさきゆめみし」「天上の虹」などなどの、今思えば巨匠のような漫画家先生の作品をリアルタイムで愛好しているマンガ少女だった。それから何故か・・小学生〜高校時代までの長きに渡り時代劇が好きで(笑!)家族の誰も見ないのに、一人で夕方や昼間の再放送から、夜の放送も見ていた(歴史好きの反映だろうと・・)。

大人になってから好きになった萩尾望都先生の作風や世界観には、わりと影響を受けているかなと自分では思っていたけど・・20代から好きで見てきたイギリス系のハリウッド作・歴史映画や、ファンタジーなどよりも、明らかに韓国時代劇が、とくに「ハピ」には最も似ている要素が多い。ジェネシス原型論で考えるとやはり「シリウス」要素なのだろうか。特に古典的な史劇のパターンを一つ一つ踏んでいるようなタイプの韓国時代ドラマと、その点では一致しているのかも。

そして、最新科学の知見とも符号していく要素も散りばめられている。ガイアナなどは本当にほぼ自動書記で執筆していたから・・これからも作品から私自身が教えられ学んだり、驚かされたりすることが多々、あるのかもしれない。

「インターステラー」に話を戻すと・・

地球は、残念ながら終わってしまう。人類が住めない星になる。けれど、移住先への活路が開き、人類の文明はつづく。物語の中でなされたことがもし、次の新たな文明に語り継がれたなら、それはあらたな「始まりの神話」つまり「創世記」であり、主人公たちは神話的英雄、ということになる。

プラス、神智学の観点を挟むと、いったん砂漠化して人が住めなくなった地球も、何らかの変化が起きて再び、地表世界が整えられる日が来るのかも。神智学では、惑星で魂たちが一時代を体験したあと、別の星に移動する。その間、留守になった惑星は休眠状態に入るのだ。

色々な意味で、自分の執筆活動や、メタフィジカル分野を探究しそこで仕事をしてきた感覚や体験から、納得したり共鳴したり出来る映画であった・・

見終わった時、「これは生命叙事詩だ」と感じた。

そして、まさに自分が望む事、20年前にハピやガイアナで少しだけやり掛けた事も、それ。「生命叙事詩」を謳い上げ、刻むこと。

利己・生存本能を見せるもの、利他・愛で行動しようとするもの、後者でも、何が利他の正しい行動なのかと幾つかの選択肢が示される。「愛は未知のパワー」「生命の基本は変異」など、メモしておきたいセリフも多い映画だった。

Love and Grace

小さな長老

涼しい筈のヨーロッパや、広いアメリカでも国土の多くが猛暑。元々暑い地域では自然発火で山火事。世界各地で次々と洪水。見る人、感じる人によってはこれは「黙示録」の時代の始まりだと思ってしまうのも無理はない。。とは言え、心配したり憂いていても仕方ない。

これからもっと大変になるかもしれない。けれど、時代に翻弄され過ぎていく時間は、私たち一人一人にとっては(輪廻転生はするけれど..)たった一度の人生。自分というアイデンティティや、人生に対する意図を持っていないと、名前の通りの「平成」の頃とは違い、令和そしてこれ以後は、次々起きる大きな波に飲まれていってしまいそうだ。

「レムトラ」ページを編集していてつくづく思ったのは、今から14年前だから文章表現は稚拙、視点は浅薄で、スピ業界からの影響が強く出ていて、やれやれという感じはするけれど、高次から受け取っていることの核心は同じで、ずっとずっと変わらず、ブログ等でも他のワークでも、同じことを言い続けている。
それは、「意識の進化」

意識は急には変わらないから、システム全体からそこを目指していく。システムというのはオーラ、チャクラ、肉体も含めたホリスティックなシステム。けれどメタフィジカルを担当しているので、エネルギーワークによって整えていくという立場に立っている。

整える、と言っても揺り戻しやアップダウンがあるのが人間で。そうさせる仕組み、つまり進化しないように働く仕組みとは何であるかを研究する流れになって(しまって..)、今あるような、アルガンザの活動になっている。けれど、核心はずっと変わらず。「意識の進化」

そのために、努力を惜しまず活動を続けている人々を、私は「仲間」だと考える。どんな分野であれ。

小さい子供は、「なんで?」「どうして?」と何でも訊いてくるものだけど、あの純粋な疑問は、大人たちが作った世界の不思議な、不自然な理不尽さや矛盾を突いてくるもの。 子供の頃、ハートの中心にあるものが私たちの魂の「自然」であり、その目線を通して『??』と思うことが、「不自然」なものとして発展してきたルールや現実なのだろう。

人間は、生まれ出た当日が最も賢いそうで、アメリカで行われた研究によると、小さな脳の中に、大人の2倍ものニューロン(神経細胞)が存在した状態で、人はこの世に出てくるそうだ。 ヒトの魂の歴史が、人間の一生に反映されるという観点からすれば納得できる。

アルガンザのジェネシスに照らせば、新生児はアンドロメダから創造の為にやって来ているセラフィムたち、ということだ。 セラフに出会った時、確かに新生児のような姿をしていた。しかし彼らは叡智の存在、銀河系の長老なのだ。アンドロメダに戻っても、他の形態存在たちよりも波動高く、創造主つまり宇宙の始まりのエネルギーに極めて近い。

赤ちゃん、子供たちは、小さな賢者。

地球という惑星をデザインしたセラフィムたちにとって、相変わらず囚われの多い地球人類の意識状態のもと、地球自体が危険に晒されるような破壊と自然界の混乱が強まっていくばかりのこの状況は、もどかしい限りだろう。けれど、人間は生まれ出た時に彼らの叡智を体現している一時がある。

世の中が変わっていけば、いつか、新生児の時に持っていたニューロンを失うことなく、人は賢いまま育って、年を重ねていくような時代が来るのかもしれない。

Love and Grace

オーラ写真

2010年・・だからもう10年以上前になるか。。お世話になっている取引先に出向いた時、オーラ写真を勧められて、そんな事でもないと自分からは体験しないだろうから、せっかくだからとお願いした事がある。

が、ヒーラーをやっているとは言え、奈良から横浜への引越しの直後のことで、しばらく引越作業のためにサロンは休んでいたし、瞑想やセルフワークの時間も思うように取れない自分的にはかなりの非常事態といえるタイミングで、ちょっとドキドキしながらの事だった。

案の定、「かなりお疲れですね・・」というお話になり、オーラ写真は嘘つかない。チャクラの状態がボロボロで、一般的な人のそれよりも「パワー不足です」というレベルになっていて、予想していた通り。「あはは、引越しを終えたばかりなので・・」と苦笑い。普段のヒーラーとしての日常と、エナジーワークによって活力を頂いている、その中でも調子が良いと自覚出来た時に録れたら良かったンだけど、これもまた何かの縁。そして参考に、勉強になったことは確か。

最近、オフィスの書類の整理をしていて、その時のファイルが出て来て、改めてフムフムと眺めていた。予想していた通り、そしてよく人にも言われる通り、私のオーラのメインはインディゴブルーで、ロイヤルブルーや、左右にマゼンタとパープルが広がっていて、ハートから上にはターコイズ。これはだいたい、中学生くらい(ちょっとした魂の目覚めを体験したころ)から自覚していた「自分の色」たちだ。

アポロン&アルテミスのエルフ界の男女性の混合(マゼンタとブルー)。そして、ターコイズとパープルの組み合わせは、オーラソーマのバースボトルの色(ニューメッセージ)でもある。

チャクラの状態が肉体的、神経的な疲労と乱れを反映してボロボロだったという点は置いておいて。このオーラの色彩は、まったくもって「ええ、私のオーラです」と言える結果だった。

(ヒーラーをしているので)「白系かなと思いましたが・・」と、担当の方は仰っていて、実は私も少しそう思っても居たけれど・・あの色彩で、調子が良い時、さらに純化がうまく進んでいる時は、全体に白を混ぜたような色になるのかもしれない。

それにしても、肉体的不調と神経的乱れを現したチャクラの状態・・の中で、サードアイだけが人並み外れて大きく活性していた。これはどういう事だろう。引越しって、何度も何度も人手と時間が足りてない状況で経験していて、本当に命がけだと思うほどいつも大変だ。私の場合は、自宅とサロン、両方一緒の事もある。業者さんとの連絡や、ゴミ捨てや工事・引き渡しの立ち合いなど日程調整だけでもかなり大変で、ショップ仕事を殆ど休まずに、強行突破でいつも行って来た。この時もそうだ。

クラウンチャクラもさすがに、三次元でアタフタしていた日々を象徴して、ションボリしていた(笑)というのに、サードアイだけはギンギン・・これは良いことなのか、どうなのか。今回、12年ぶりに眺めていて、考えていた。

人間には、主に2種類のサイキック能力があるという。赤のタイプ(念力、つまり発動)と、青のタイプ(受動・透視など)。明らかに青のタイプだけど、仕事としてのサロンや、自分のメンテ、瞑想などもろくに出来ない状態でもサードアイだけは元気。これを時に封じる・フタをするという工夫も必要なのかもしれない。情報を拾いすぎてしまうだろう。そうね・・当時に比べれば今は、無意識ながらに制御出来るようになっているかも。

ヒーリングや瞑想をしていると、脳の不思議についていつも感じる、考える。常に脳が変化することで、自分が変わっていくからだ。ワークを受けても、最後のその段階を受け入れないことで、変化せずに止まるという選択肢もあると感じる。クライアントさんにはぜひ、セッションそのものだけでなく、その後のプロセスの中での気づきや、自分の頑なな部分や、変化することへの恐れを、カチっと切り替える瞬間を、大事にして欲しい。それによって、ヒーリングの効果が、自分の一部となっていくから。

そうそう、ヒストリーチャンネルの(「古代の宇宙人」ではなく)世界の怪奇現象を紹介する番組から。西洋の「エクソシズム」つまり悪魔払いの事をやっていて・・おっかなびっくり見ていると、ユダヤ教のラビの方のコメントで、

「現代社会にはエクソシズムは必要無いと思う人も居るかもしれないが・・『悪魔憑き』とは何かというと、魂が地上に縛られている状態。言い換えると、魂が成長することを恐れている状態です。だから・・現代社会の普通の人々にも、悪魔払いは必要なのです」

と言っていて、おお・・その通り!と納得した。

もちろん、憑いてしまうモノは色々で、動物的に大暴れしてしまうモノから、一見静かでわかりにくいモノもある。

ある程度の癒しは起きていくものの、どうしてこんなにスピリチュアルな成長が難しいのだろうという事例を多く見る中で、ネガティブなエネルギーが外側に蔓延していて、その原型フィールドがあり、個人の中の成長したくない、魂に戻りたくないというエゴセルフの自己保存本能や、恐れなどの埋め込まれたパターンとその外からの力が結びつき、足を引っ張られる。または道を逸らされる、ということを知った。

そこで悟ったのは、平安文学のように、起きる問題すべてを「もののけ」のせいにして加持祈祷するというのは、ある意味、正しいのだということ。それと同じような話だな、と。

(エクソシズム、では決して検索しないで下さい・笑・・ホラー映画の題材になりやすいので、映画等のとても怖い画像が出て来ます。)

全ての人間は、完全に悟ったブッダでない限りはその状態にあり、自分の欲望や恐れ、つまり愛ではないものが作動して様々なネガティブな想念や現実が生まれていく。ここで生きるということは、それらを削ぎ落とし続け、濾過して純化しつづけること。ちょっとハードコアな伝統的な加持祈祷やエクソシズムが、ヒーリングに変わっても、その仕組みは同じ。

「成長したくない」傾向が強い日本の人々には、それなりの原型エネルギーが、集合場から、そして肉体的に受け継いだエーテル体の情報から、入り込んで(巣食って)いるのでしょう。

それでも、人の中心には「成長したい」「宇宙の源へ戻りたい」という強い善の力が備わっている。

だからこそ、その両者が摩擦をし、苦しんだり、切なかったりするのが人間。

自分の中のエゴと魂の折り合いをつけながら、やはり魂として、愛の中心軸で生きていくことを選択していこう。

アルガンザワークやカレッジはセルフワークを基本に置いているので、常に自分の魂が、自分の中で強く響くようにチューニングしていくツールとして活用して頂きたいと思ふ。

Love and Grace

意識の波長

日記のタイトルを決めて書き出したものの、筆が進まず削除、ということが何度かつづいた。こんな事って、本当に珍しい。いかに、今、情報の混乱、情報操作、それによる人心の混乱が起きているか・・

こんな時は、感じ取って不安を抱いたり、それゆえに何かをしようと落ち着かなく思考したり、低迷したり、逆にその本能的な感受性を茶化して変に明るく、あるいは怠惰になって凌ぐ・・など、その人の性質がそれぞれ現れるのかもしれない。

気象は「天気」、天の気、という日本語のとおりに、人間界を超えた世界の気(エネルギー)および、人類のアストラル集合場の顕れだと言える。このところの落ち着かない、一定しない天気が、エネルギー状態を表していると言えそう。

前回の「白い聖堂」が終わった頃から、やや久しぶりにアリス・ベイリー著書を読みたい気持ちになっていた。チャレンジ済みの方は分かると思うけど、難解と言われるけどそれよりも、周波数を合わせてその波長で読んでいくところに自分をチューニングするのにコツが要ると言う感じ。

出ている著書は全巻揃えて、街中でもフラリと片手に持って読めるようになっていた私でも、ここ1〜2年は「襟を正して真摯な態度で」という意味で、普段、そう簡単には読まないようになっていた。ケド、メッセージ的に受け取っていたそのことの意味が分かった。情報の混乱、混戦・・きっとこれからはずっと続くと思うけど、特に6月半ばから現在はかなりのもので(通信障害もそれを体現していますね)・・

毎日瞑想やワークをする人にとっても、なかなか厳しい最近。アリス・ベイリーを読んでいれば、変わらないシャンバラの、マスター界の周波数に自分の意識、脳のチャンネルを合わせることが出来るから、防護策として受け取ったメッセージだったのだ・・と気づく。ある意味で アリス著書はバロメータと言える。

だいぶ前・・カレッジ一期だったかな、生徒さんが石の卸売をしている長老的な方に「ヒーリングの勉強をしています」と言ったら、「アリス・ベイリーを読んでる先生がいいよ」とアドバイス貰ったそう。「はい、そういう先生です」と答えましたよという話をしてくれた。そうそう、分かる人には分かるのだ〜。

とは言え・・神智学さえやっていれば大丈夫ともきっと言えない。アリスを読みこなすアンチな人だってきっと居るだろうし。。(笑)。。カレッジで最初に神智学を紹介すると、生徒さんの何人かがネット検索をして「良からぬ情報」を見たと言って、不安を訴えて来る。毎年1〜2名はいらっしゃったかな。。。そうそう。そういう世界なのだ。

検索すると、「ちゃんと」良からぬ情報も出てくるようになっている。

自分自身で感じる、選べる、という自信が確率していない人は、パパっと出てきた情報に左右されて不安になったりしてしまう。

では、自分で感じる、「分かる」と自負している人が絶対大丈夫かというと、そうでもない。ネガティブになった時(自分自身の未解決・未消化のネガティビティと外から来る力がつながった時)、「感じやすい私ですから分かるのです」と言って、びっくりするような事を言い出して、周囲が唖然としているうちに、あっという間にそれまでの努力、癒しや浄化の道のりを捨てていってしまう事もある。

それこそ情報操作、脳内操作、感覚操作、なのです。そういう世界で、ものごとが「どんどん良くなっていく」メカニズムが、働かないようになっている。だからある意味で「思考停止」してしまっている専門家も多いのではないかと思う。

せめてもの揺るぎない「善」が、この世に示されていることにいつも感謝している。宗教ではないから、妄信している訳ではない。というか、妄信できるような、甘いものでもない。細っそりした糸かもしれないけど、常に私たちの前から、愛の道を辿っていけるようになっている。

それを見失ってしまう人が多いのかもしれない。「光の時代が来たからもう大丈夫」ではない。自分自身の中に善は、光は、愛は築かれていく。それに磨きをかけながら、周囲や世界の変容を願い、エネルギーを広げていくのが、メタフィジで生きる人の姿。

先日紹介した、ババ・ヴァンガの予言はある意味、真実味があるなあと思う。遺伝子に変化が起き、脳の30%を使えるようになった時(現在は数%しか使っていない)、人間はもう悪意を抱かなくなり、地上は平和になる(二元性の終焉)・・・それは、あと2000年以上先のこと。(と予言されている)

スピもそうだけど、全てにおいて、情報時代。ゆえに、情報戦の時代。

何を信じるか、誰を信じるか、つまり自分自身のその判断を信じられるか。日和見ではなく。・・そんな自分作りを早急に、進めるべき時代だと、私は思うし、変換点の時代の危うさも大いに感じている。

Love and Grace