ジェンダーギャップと女性詩人

I held a Jewel in my fingers-

I held a Juwel in my fingers –

And went to sleep –

The day was warm, and winds were prosy –

I said “Twill keep” –

I woke – and chid my honest fingers,

The Gem was gone –

And now, an Amethyst remembrance

Is all I own

(Emily Dickinson)

 

 

わたしは宝石を握りしめ 眠りに就いた

その日は暖かく 風はさりげない

わたしは言った なくなったりはしない

目覚めると わたしは正直な自分の手を責めた

宝石は消えていて

アメジストの想い出だけが わたしに残されたすべてだ

(翻訳: by Amari)

 

大寒波、関東(東京・神奈川付近)では夜中の暴風と降雨が明けて、翌日(昨日のこと)は終日すご〜く気温が下がっていたもののそれだけで済んで、相変わらずの青空と太陽の日が続く。その分、雪雲を受け止めている日本海側では、ニュースは見ていないけど、ヤマトさんの荷受けが止まっているのでさぞ大変なことになっているのでしょう。新潟の海沿い出身者として、降雪だけでなく日本海から来る(シベリア発?)強風の大変さ、どれほど体力や気力を奪われるかは今もって忘れることは無く、心よりお見舞い申し上げます。

さて、表題。少し前の休日に、見る映画を何気なく探していて『静かなる情熱 (エミリ・ディキンスン)』を見つけて。ここに書こうかなと思っていることは殆ど、視聴後に見てみたオフィシャルのトレイラーのナレーションで語られていたので、興味のある方はそれを見て頂ければと。。

ディキンソンは、どこでも同じ、キャッチコピーのようなフレーズで常に紹介されているようだ。「生前はわずか10遍の詩を発表したのみ、無名のまま死去。その後発見された1800の詩が公開され、今では『アメリカを代表する天才詩人』と呼ばれる」というような。先に何の準備もなく映画を見てしまったので、一言でいうと私の印象は、「とてもよくわかる」そして、アルガンザの言語で語ると「人間界が生きづらかったアンドロ族」といったところだ。それもエルフ的、シャンバラ的(シリウス的)高潔さが強く。

南北戦争時代のアメリカ、良い家に生まれて良い教育を受けて・・という恵まれた環境にあって、学校やキリスト教的縛りや、当時の上流階級のしきたりや「常識」などに、反発する勢いが若い頃にはあった。少し斜めに見るとそれはやはり、家がちゃんとしていたからだろうと思う(言い換えると、土台が安定しているからこそ、強い態度でぶつかるというワガママも通用したという)。社会に対して、自分の魂は自分自身のもの、誰の言いなりにもならない、と、自分の「自由」を掲げていたところから、

最終的にはその社会にやはり負けてしまうというか、地上で生きる中で、魂の自由を叫ぶことの限界、肉体の限界(難病にかかる)、家族や周囲で起きる現実の諸問題での疲弊、などなど。「気持ち」や「高潔な意識」では、どうにもならないという現実世界の厳しさに、一個人としては敗北していくように見える。多くの芸術家、文芸家などがそうであったように。日本の金子みすずをも思い出させる。確か、家族を養うなどの生活の重圧で、自ら命を絶ってしまったのだよネ。上げたらキリが無いくらい、そのような芸術家は無数に居る。

ディキンソンは病気に掛かるという形で、自らこの世を去って行ったのかも。50代半ばの早逝であったよう。持っているかも?と本棚を探したけど無かったので、幾つかの詩集を買った。映画の中でも印象的かつ「わかるわかる」とアンドロ気質が深くうなづいたセリフが幾つかあった。兄の不倫を許せまじと咎めて喧嘩になった時、妹が「みんな人間なのよ」と、人々の心が決して清廉ではないのだと諭すと、「世界はなぜこんなにも汚れてしまったのか?」などなど。人の心の穢れにさえ、自分が傷ついてしまうのだ。

若い頃は詩人であるという自負と、家に守られて強気で、世の中を批判することも出来ただろうけれど、40代、50代と・・辛かっただろうな。金子みすずのような「家族を養う」重圧は無かったかもしれないけど、欧米の当時の上流社会は、結婚だとか女性の役割だとか、かなりのプレッシャーがかかっていただろうし。そんな社会はお断りよという強気な態度であったところから、次第に自分自身が、社会に出れない引きこもりのような状態になっていき、敗北感を感じ始めた頃の混乱や不安は大きかっただろうと。そこから患っていったのではないかと、勝手ながらに想像する。

この時代に、手の届くところにヒーリングやニューエイジ概念があったなら。きっと元気に生きていられただろうに。魂はそう、自由だし、自分自身のもの。教会の指示や世間の偏見にあなたまで染められなくてもいい。自由に選択して、生きていっていい。・・・ああ、それを思うと、今はアンドロさんたちが生きやすい時代なのだと悟った。それでも生きづらいけど(笑)、社会的な重圧や環境は、このころ(150年前くらい)とは比べものにならない。

本人は社会と同調できずに崩れていくが、「没後に発見された」作品から、「アメリカを代表する」「天才詩人」にまで昇り詰めるという極端な大逆転。時代のズレがあったのは仕方ないけれど、もしかすると何か手立てがあったのでは?と、今の私は思う。もし若いころディキンソンについて深く知る機会があったらば、恐らくかなり同情し、ファンになっていたかもしれない。この手のパターンを過去生で繰り返した気がするから。けれど今世、ヒーリングと出会ったお陰で、そんなアンドロシリウスの高潔系エルフ種族の芸術家?たちが、何も社会に幻滅して滅びていく必要は無いと思っていて。

究極は、ある意味、期待しなければいいのだ。

自分がやりたいことをして生きている、それで十分、と。ディキンソンは映画の中で「後世に残せれば良い」と語りながらも、落ち込む事があると「なにひとつ思い通りにならない」と嘆いたり、「誰もが自分を見捨てて去っていく」と悲しんでいる。アメリカ映画はかなり周到に研究などを踏まえて作られるものなので、恐らくそういったセリフの根拠になるような傾向が、作品から伺えたりするのかもしれない。1800遍をすべて眺める事は難しいけど、幾つかセレクトした詩集で、しばらくその世界に浸ってみよう。

それで思い出した!

私は小説を(読まないけど)書く。詩は(時々読むけど)自分では書かない・・・長文を書いたり長いストーリーを組み立てていく小説と、言葉をパーツにして伝えたい気持ちを刻む詩は、まったく違うもの。けれど、2014年に突然、ヒーラーとしての感覚をそのまま詩にしてみるという企画を、ひっそりと行っていて、リュミエールブランシュのショップカードの裏面にそれらのポエムを載せてみたり。その後、専用ブログを作って掲載したのが16篇。

当時作ったブログがなんとまだ残っている。歴代のブログを閉じたり、アーカイブブログでまとめたりとしている現状の中、その、幻の詩集ブログへの秘めた入り口があるのが(・・今回自分でも探してしまった・・)、旧ブログ「神様は青い鳥の中」の右カラムのリンクコーナー 一箇所のみ。きっと存在に気付いている人も居ないのではなかろうか。

(そういえばこのタイトル「神様は〜」は、金子みすずの詩の一部を文字ったのだった…)

今回のエミリー・ディキンソン試聴もまた、何かの導きと思って、この幻の詩集ブログをリンクしておくことに。

https://seripoem.exblog.jp

ではでは、今日はこのくらいで。

Love and Grace

Amari

P.S. 旧ブログ「神様は青い鳥の中」の最初の記事で、ネーミングの背景として金子みすずの詩や詩人について少し語っています。こちらもリンクしておこう。

https://blueandwhitecastle.blogspot.com/2015/09/blog-post_25.html

緑豆の花

関東はようやく「恵みの雨」。個人的なガイアワークを行なうために出歩いていた或る日。当日は雲一つない青空で「おしるし」は出ないのかなと思っていると、翌日はほぼ一日、盛大にイシルコン系の雲が広がっていた。先日Info に書いたような大規模なワークが起きると、信じられないくらいにエネルギーがスッキリして、「ああ、ひと仕事終わった」と感じられるものだけど、今回はそれが無いまま、翌日、さらに翌日と経ち。

おかしいな、と思いながら翌朝に出ていた「イシルコン系」の空模様の写真をよくよく、スマホではなくデスクトップのMacの大画面で見てみると、おしるしが出た、と安心していたものの、決して空の様子もスッキリしてはいなかった。珍しく全ての方角に、それぞれ長細くたなびく、羽毛をもつような壮大な「ナガ系」の雲が広がっているけれど、炙り出されただけで、先日の(白い聖堂の翌日の)ワークのように昇華されていく自然界のエネルギーたち、主たちを見送ったという訳ではないことに気づいた。

そうなんだ、きっと、アルガンザの関係するある程度の範囲でワークしたのが、過日Infoに書いた内容であったけど、更にその外周や、もしかすると世間全般か、少なくともより離れた集合場のグループで、同じ系統の作用の波及が起きていますよ、という、空模様のおしるしだったのかもしれない。そう思うと、昨年2月にやはり同じように、最初は個人レベル、さらにアルガンザの周囲のグループ的なソウルの集合場、さらには世界全体?と、同じ原型テーマが波状に規模を広げながら伝わっていくような感覚の中で、Face Book に同じような空模様の写真を載せて「戦いを感じる」と呟いていた直後(翌日だったかな、)ウクライナ侵攻のニュースを耳にしたあの時によく似ている。

炙り出されたけれど、その波及と浄化と昇華はこれから起きていく。そういうことなのか・・と、画像を整理しながら感じていた。

と同時に、確か「火星逆行」が1月13日までだったっけ、と気づく。今日は14日だから、昨日までということか。そう言えば昨日の夕方ころ、急に何とも言えず不穏な「天が落ちて来る」という感覚で次元が、時空がゆがむような数分間があり、「これは何だ?」と思っていて・・昨夜、就寝前に瞑想をしておこうと座ったらば、火星的な(戦い、争い)エネルギーの集合場の乱れ、のようなものを感じて、これは寝てられないな・・・と、3時間くらいずっとワークをすることに。その中で見えたメッセージ的なものや、体感などから、ちょうど今見ていた韓流時代ドラマ「緑豆の花」の影響もあるかも・・少なくともそれが刺激になって、

130年ほど前、世界の作り替えの激動期のアジア情勢や日本軍のイメージ、さらには中国、朝鮮半島、日本列島の古代からの人種や人の往来、混血、文化や宗教がかつて日本で合流していく、良くも悪くも「日本」が作られていく歴史の流れとカルマ的エネルギーを、アカシックを通じて受信しているような状態になっているかも・・・と、3時間ほど経過したところで気づいて(!)

その後、自分が普段周りに置いて寝るような高波動の石たち(マスターウラルたち、ウラルの水晶、トパーズたち等)をいつもどおり配置したら、問題なくスイっと周波数が上がって眠りに就けた。。自ら見に行ってはまって何をしているのだろう?という感じだけど、上に書いたウクライナ戦線と同じように、というかそれ以上に、日本、半島、中国・・つまり東アジアでの情勢は、いつ表面化するかという所もあって、まだ先だと思っているけれど、水面下では着々と進んでしまっているのか、まだエネルギーレベルの情報を察知しているに過ぎないのか、色々と考えさせられた。

『緑豆の花』は、

1894年の日清戦争のころ、明治維新後の日本が「文明国」として「急成長」し、西洋の列強の真似をしてアジアの覇者になろうと動き出した最初の足がかりとなってしまった、朝鮮の、李朝末期の人々の戦いを描いている。史実に基づいて作られた、どこか日本の大河ドラマ的な真面目さをも感じさせる韓国ドラマだ。とは言え、スピード感と、恋愛なども程よく絡め、サイコパス的に壊れていく主要キャストの描き方などはやはり、韓流ならではの仕上がりで、面白くて全48話(1話が30分)、1日2話ペースであっという間に見終わった・・けれど、実際の歴史という明確な軸があるせいか、とても長く見ていたような感覚が残り、歴史体験をした、新たな体験が記憶に入ったという感じさえあった。

韓流ファンの日本人女性の方々からは「暗い」「男くさい」などの理由で、見れなかったという声もあるそうで、考えてみれば私は「ゲームオブスローンズ」などを全編見ていたし、『緑豆』を見て「暗い」とはまったく思わなかったけれど。確かにずっと、歴史に基づいた戦乱の積み重ねなので、好みに合わない方もいらっしゃるかとは思う。何しろ戦闘つづきで、リドリー・スコット作品のような戦場のリアルな描写のようなものは見ていて辛い。

日本人は見ておいたほうが良い。大日本帝国・・の所業、知ってはいたけど、侵略された国の人の目線で見ておくことは、重要だとも思う。初めての韓流ドラマとして「チャングム」を見た時から、おかしな倭人たちが出て来てチャングムに迷惑を掛けていたっけ(笑)・・その時から、いつかちゃんと時間を掛けて、李氏朝鮮王朝をいかに日本が侵略したのか・・を、勉強しなくてはと思っていて。だいたいの韓流時代劇では侵略者として登場するのは中国の各王朝な訳だけど、秀吉軍の侵略から300年振り、滅多に来ないだけに日本の侵攻、上陸はインパクトが強い。

ずっと李朝の、それ以前の高麗、さらに三国時代の歴史ドラマを見て来ていると、綿々と続いてきたその国の歴史を、蹂躙しにやって来ることの罪深さが、ただただ日本で歴史を習った時とは比べものにならない感覚で入ってくるものだ。

もちろんドラマはドラマなので、変に感情的になったりはしない。静かな気持ちで48話見ていたけど、戦争に良いも悪いもなく、侵略に言い訳や綺麗ゴトなど、無いのだよなあ。。と。日本に限らずどこの国でも、いつの時代も、戦争に正統な理由など存在しない。ただ仕掛けた者がいれば、正義や国の権利のために応戦しなくてはならず。いやはや、せっかくの生命、人生、なぜ闘う事に費やさなくてはならないのか、人間のサガを改めて悲しく思う。革命軍を組織し、国に代わって立ち上がり戦った市民たちの実話。東学党の乱、農民戦争、と呼ばれているらしい。

物語は実在する東学党の革命軍の主幹的な人々と絡む形で、ドラマの架空の人物である「ペク家の兄弟」が中心軸として描かれる。兄だけど庶子であるイガンと、弟のイヒョン。逞しく荒くれ者のイガン、理知的で理想主義者のイヒョン。ドラマ冒頭では、父親(ブラック系のどうにもならないような人格)の影響を受けて、悪行が多かったイガンは、革命軍との出会いにより改心、義兵として成長していく。一方で貴公子のような一家の自慢の息子イヒョンは、時代の変換点の混乱の中で受けた傷により、人格的に壊れてどこまでも落ちていく。時代の犠牲者、という役どころだ。

良かった点。革命軍の男たちがかっこいい。まあそうだよね、それが醍醐味のドラマだろうから。イヒョンの壊れ具合は、痛々しいを通り越して、お茶の間もちょっと辟易するほどのサイコパス振りで、同情できる余地がないほどだった。けど、アルガンザの世界観で「ブラックソウル」と呼ぶ、ハートも血も涙もないようなタイプは父親の血筋で、けれど父親よりはずっと薄まっていて(母が比較的まともなお陰で?)・・父のように完全に魔性に自分を明け渡すようなことにはならず、何とかその性質の遺伝的な連鎖を断ち切ったという終わり方。

父親も次に生まれる時には、だいぶ薄まって人間らしくなることだろうと思わせる。同じ父から生まれつつ(異母兄)、母親の太陽のような?性質を受け継いだせいか、イガンは闊達で、底抜けに頼れるヒーロー的人格に成長していく。

もう一つ良かった点は、女性陣がみな強くてしなやかであった事。女性キャストはそれほど多くはないが、男性をしのぐ真っ直ぐさ、安定感で、「男らしい」女性たちが見ていて安心出来た。

それにしても・・「日本軍め、もう辞めてくれ」と何度思ったことか。王統や歴史はその国の精神、真髄のようなもので。フランス革命のように国民自らが倒したという訳ではなくて、弱体化・腐敗化していたとはいえ、他国からやって来て歴史あるものを簡単に壊すなんて。清朝の最後も同じく・・・ 世界中同じような事はたくさんある訳だけど。戦争をしない、他者を侵略しない在り方、存在の仕方を人類が学べるのは、いつなのだろうかというため息と共に。

それでもまっすぐしなやかに自分を生きようとする陽であり善である人々の心の強さに、静かに胸打たれつつ、見え終えたところ。

しばらくの雨で、火星的な力の強まっていた時期に、炙り出されたものが鎮静されるのだろう。乾燥も程よく収まって、バランスが取れることを願ふ。

Love and Grace

自分の時間

ジェネシス神話の世界に向き合う、その時間軸や集合場の周波数に自分のチャンネルを合わせる時期が終わり、自分の時間の流れに戻ってホっとしている最近。現実は自分が作るというけれど、確かに意識によって、時間の流れという有機的なエネルギーが質や波長を変えるというのはよく実感出来る。

日本人は「空気が重い」と表現する事がある様に、アストラル(感情)エネルギーがそれも調和的でない方へ向かっている時の、集団で共有する場の重さというのは確かにあるし、人によって、作り出すエネルギーの流れが時間となって刻まれるというのは間違いない。だからこそ自分の作りたいものではないという時、とても苦しく感じたりもするのだろう。

個々人が、意識でもって「自分の時間の流れ」を生み出していけるよう訓練するのは、大事なことだ。幸せ、というものを考えていくにあたって。人からの評価は関係なく、自分で「自分の(周波数の)時間」を作り出す事が出来れば、幸福感、満足感を感じるものだろうと思う。

自分らしい時間の流れ方は、自分にだけは肌で分かるし、次に何がどう流れていく、などの予感のようなものが当然のようにある。ただそれらを深く考えたり掘り下げたりはしない。上手くいくだろうということだけ、自覚している、という感じ。

この法則は、おそらくシリウスが地球を運営している上での、私たちのライトボディおよびソウルシステムをも含んだ設計図、ホリスティックに展開する現実創造の仕組みなんだろうと思う。よくも悪くもこうなったらこうなる・・とか、内面が外に反映されるとか、引き寄せとか、投影が起きるとか、野生のカンのようなもので、何となく察知出来るもの。それが、シリウスの波長であり、因果律、人類が生きる世界の量子的な法則。

そうそう、そんなフローに乗っかってい続けるには、感情のパターンを手放していないと、しばしば、フローから降りなくてはいけなくなる。調子のアップダウンのパターン、出来事でフックして陥ってしまうような思い癖は、卒業していなくてはいけない。もっとも、多くの人々はその意味で発展途上で、学びながら、調子がいい時は「フロー」の感触を掴みつつ、という感じなのだろう。

Judy Hall 著書につづいて、ショップではガイアブックスのおすすめ本の紹介を少しずつ進めていく予定で。最近、その準備のために読んでいたプロテクション系の本が、とてもとても勉強になる良書で、うんうんと深く頷いたり、時にう〜むと唸ったりしながら。やはりイギリスは、魔法や神秘研究の下地があるから、本格的なスピリチュアルをちゃんと説明する書籍や専門家が多くて、良いなと思う。

日本のスピの穏やかな波の上に居ると(私が勝手にそう思い込んでしまっていただけかもしれないが)、サイキックアタックのようなものも、愛で光に還してあげましょう・・とか、「赦し」が強調されたりとか。やはりどことなく平和ボケな感じも否めないけれど・・

「プロテクション」専門書なので、さまざまな視点からとても詳しく説明がされている。対処の仕方、ワークのメソッド、多方面からの考え方など。

私も去年くらいから、「愛で光に還し」てばかりいては、ストーキングのような事例は、ずっと続くのではという疑問もあり、そのあたりとても納得のいく見解、対処法も書かれていて、付箋をいっぱい貼り付けながら読んでいる。。。

そろそろショップに出すべく、出版社さんから仕入れをしたところなので、気になる人はぜひまたチェックしてみてネ(宣伝)

Love and Grace,

Amari

NO “no-words” ・「月のセラフ」補足&怖いけど大事な話

(2022.1月の「Diary記事)

謹賀新年。今日は FaceBook 「オフィス日記」も更新。

元旦の今朝、瞑想を終えてコーヒータイムに何気なくヒストリーチャンネルを着けたらば、なんともハードコアな番組をやっていて、もう年末もかなりハードボイルドだったので、見ることにして(笑)きっと学べる情報が来るのだろうという予感とともに、ノートとペンを脇に。わずか15分ほどでその番組は終わったけれども、中々の内容だった。ハードコアなので置いておいて、まずは別の話題を。

年末に向かうに連れて、リリス・イワナガから更に「月のセラフ」までが、一枚、一枚、ベールを剥がしていくような感じで、先日のInfo にまとめた通り。2017年春からのアンドロ系統の糸をたぐることで見てきた「ジェネシス」が、天空文明のセラフがその後どのような経緯を経て、多くの魂がその影響を受けながら人間界に転生し、ダークな力に少しずつ晒されて天使性を失っていったか・・の私なりの「歴史」体系を編んで来た。それが一段落。

サロンでの仕事で「どうしてだろう?」と感じて来た事の答えとしてのジェネシス神話は、もう完結だ。けれど、私の系統とは違うものを持っているソウルにとっては、全ての答えとは言えないだろうから、神話としてはまだまだ、隙間を埋めていく作業は続くだろう。けれど、私自身の鋳型に無いものはきっと、体験して消化する必要がないため、直接、ジェネシスの編集なり、小説の形なり、で、自動書記という方法で、あるいは直感・直観などがその時々起こって、進んでいくのだろうと思う。

「月セラフ」について、補足情報を載せておく。

二系統あると考えていて、ひとつは、先日Info で書いた通りの経緯で、天空都市の活動樹セラフに、リラによる(自然界の)遺伝情報の挿入(=「卵の植え付け」とジェネシスでは呼ぶ)を経て、氷床に隠されていたものが、遥かな時を経て発見され、そのうちの一部が奪われて、月に運ばれて別の生命にされてしまったという直接的な段階を踏んでいる、転生ソウル。

こちらの方々はアルガンザで考える「セラフっぽい」外見や特徴を持っていて、まずはとにかく身長が低め。骨格全体が小さくて、腕や指などのパーツも短かめ。いわゆる「小柄な人」で、日本人女性ならば、大きめでも150cm代前半くらいまで。月のセラフ、だけでなく、「セラフが強めですね」という方はここに該当する。今回の情報整理で、長年の謎が解けて、今書いたような特徴の方々で、黄色っぽく見える(外側のオーラの情報を私はどうもキャッチするよう)人が多いことを前から不思議に思っていて、、

ラベンダーやマゼンタに見える人を「アンドロっぽい」と最初にインプットした為、上記のような方々にアンドロ的な性質(過敏さや自然界との親和性)を感じたり、恐れが強めだったり、セラフ系の情報がセッションで出て来くると、「アンドロにも色々な系統があるのだな」で、ひとまず済ませる他なかった。けれど、今では、大天使系、エルフ系、ケルブ系、セラフ系(2通り)は、ひとまず、外見や雰囲気からでも察知出来るように思う。

もうひとつの系統として、

ジェネシスでいう「アンタレスの女性戦士」との複合型タイプの方。こちらは中肉中背で、160cm前後の平均〜やや高めな身長、アーユルヴェーダでピッタ体質を説明する時に似ていて、筋肉質でガシっとしている。今までは「女戦士」タイプの方を見分ける雰囲気というのがこれに該当していたものの、今回、「月セラフ」の特徴として出て来た「ケルトの土地でドルイド、からの黒魔術の使い手」という情報と、重なっていることに気づくと同時に、リアルタイムでネガティブなエネルギーのチャネルになってしまった「女戦士」強めの方々のセッション記録等から、やはり、「月のセラフ」と重なる部分がある事に、複数の事例で気づいた。

恐らくは、天空都市を破壊する実戦部隊として戦っていた、葡萄色の肌をした女性たちは、セラフたちの犠牲を刻み付ける形で、地球への転生ソウルとなることを許可されているようなので、実際にそうなのだろうと考える。天空都市と共に倒れた活動樹のセラフィムの情報をソウルシステムに搭載することで、ケルトの土地への転生の際にはやはり、月のセラフたちの亡骸と共鳴し、場合によってはそちらに引っ張られただろう、と。非進化系統の波長で、共鳴が起きたとも考えられる。

もちろん、体格の良い大天使強めの人、リラのマザー濃いめの方でかなりの高身長で肩幅が広いタイプの方でも、「月のセラフ」を合わせ持っていたり、ケルビムさんも中肉中背の痩せ型の方が多いけれど同じくセラフや、月セラフを両方持っている、ということもあるので、外見的な特徴は必ずしも・・だけど、かなり参考にはなると思うので、ご自身のタイプなど、癒しと解放の手がかりにして貰えたらと、書いておく。

結局ソウルは、色々な(一人の人の中で4〜5つくらいの)原型テーマを持ちつつ、何か特にひとつ的を絞ってフォーカスしたいものを、決めて来ていると思うので。(同じ血筋、兄弟でも身長や雰囲気がまったく違う事もありますよね)

シリウス強め・エルフ系強めだと比較的長身で、首や腕や指などのパーツがひょろっと長くなる。それでも、エルの中にはセラフが入っているので、セラフの原型テーマは自分自身のソウルの解放の道のりとして辿って来て・・なんと6年。他に大天使や、後期エルフなど、以前かなり長引きながら自分も痛みを感じながら情報を紐解いてきたものに関しては、恐らく今世で自分が強調的に向き合う事に決めて来ていた原型なのだろうと思っている。

今思えば「月のセラフィム」的な方々が、それゆえに出て来た恐れ、恐怖、半ばパニックのような様子になって癒しや学びから逃げて行かれても、私はまったく何も感じなかった。どこかで仕方無い、と、思えていたのかもしれない。一方で、そこにリリス(に含まれるリラ)などの非進化の力がかかると、「シリウスの叫び」Info記事で書いたような、叫びたくなるような正義の怒りや、嫌悪感を生じることがあった。今思えばすべて、「なるほどなあ・・」と、「原型あなどれないな」とため息と共に思う。

Info にもこの前の日記にも書いたように、次の人間への転生よりも先に、中間生でセラフ、ケルブ、ソロネ(エル)のいずれか(?全部かな?)の「人生」があるというのだから、そしてそこに、今の人生での人としての生き様、ここで作った「原因」が、カルマ、結果として反映される。同じように、すぐ前の人間としての過去生よりも「最近」の中間生で天使としてどう生きたか、何を体験したか・・が、今の人間の人生に影を落としているというのだから・・

ジェネシス原型は、やはりあなどれず。こうして三次元のフィールドに情報が齎されているという事は、次元が折り畳まれる時の、準備に入ったということなのかもしれない。

No “no words”

アルガンザ・ヒーラーズカレッジでもテキストに記載し、お願いしているキャッチコピー。

「間違っているかもですが」「自分には無理かもと思いつつ」「勘違いかもしれませんが」などの、否定的な前置きを、一切やめましょう、という。学ぶと決めたならば、もろもろ浮上してくる「気持ち」や雑念や、自分自身の揺らぎなどは、大人として自分で処理をして、処理出来ない、分からない事があればティーチャーに質問や相談をすればいいし、人に頼まれてやっている訳ではないので、否定的な言葉を口にするのは、ある種の甘えであり、止めましょうね、というお願いをカレッジでしていた。

この言葉を私が知ったのは、たまたま読んだスピ系の雑誌で登場していた海外のヒーラー女性が、日本でのワークショップで事前の約束事として強調したという話があり。日本人はワークショップで、やはりそのような曖昧で消極的な態度が多いゆえの、対策だったよう。スイッチが一段、変わるはず。ティーチャーやヒーラーは、背もたれや、感情の吐口ではなく、専門技術でニーズに応えようとしている専門家である。学ぶ機会を無駄にせず、自ら積極的に歩んでいこう。

もうひとつ、書いておこう。(元旦から長い・・)

上記、今朝のヒストリーチャンネルから。元旦の午前中からなんとエクソシズム(悪魔払い)についてやっていて、でも以前書いたのとはまた別の番組で。正式な資格を持ったカトリックの神父が現場に入るより先に、依頼の有ったクライアントに面談し、家を訪問し、状況を審査する専門家が居るとのことで、その方の仕事を主に紹介していた。短い時間の中で、とても役に立つ話だったので、メモ&シェア

良からぬモノに近づかれた人は、3段階で状態が変わっていく。最初は「抑圧」次は「侵入」そして本格的に乗っ取られる「憑依」

これは本当にその通りだとヒーラーとして実感してしまった。抑圧から、侵入・・いわゆる「サイキックアタック」とか「エネルギーストーキング」と呼んでいる状態の中で、確かにその通りに遷移する。この段階で、健全な人であれば抑圧、あたりで低迷したり調子が下がったりしても、復活出来るのだろう。3つめの段階になると、精神疾患の状態になると思われる。破壊行為がそのサインだそうだ。

この、事前調査に同行した番組スタッフが現場に一緒に入る際に、

「胃がむかむかしたり、めまいがしたり、ささいな事でイライラする、という変化が起きたら注意してください」と言っていた。・・うん。これも納得、、

さらには、ヒーリングサロンでも時々まれに起こる、今まで大丈夫だった方が急に、セッションやリーディングに対してゴネ始めるような状況。番組の中で、家族で決断して専門家を呼んだ本人であるその家の主人が、急にゴネ初めて「帰ってくれ」とか言い出したらば、

その審査専門の男性は「よくあること」と言っていて、専門家がいざ近づくと、先方(つまり祓われる対象の存在)が、なんとか阻止しようと騒ぎ出す現象、とのこと。私の経験上こういう時、その方はもう目つきがいつもと違っていたりする。セッションをお断りして一旦帰ってもらう、などの対処をしたこともある。ゴネが出て来たらそのような、貴方を進化させることを阻む、日頃から周りに居るようなエネルギーの、妨害だろうと思ってみると良いかも。

インナーチャイルド、では片付かないケースもあるのだろうと思う。その場合、学びや癒しを妨害してくるはず。そうなると、ヒーラー側に断られてしまう可能性も高く、自分自身のエネルギー状態を改善する努力をかなり真剣にする必要がある。私はそのような方(非常に稀な事だけど)がいらっしゃると、カルナレイキをお勧めしている。

当然カルナにも強く抵抗する人の姿も見たことがある・・伝授日程がなかなか決まらなかったり、なぜかご本人が一度決めたのにその後、避けようと後回しにしたり、伝授の当日その場で、お腹が痛いと言って倒れ込む方が確か・・私の経験では3人。普段他のセッションでそんな事は起こらないのだけど、お腹の中に沈んで隠れているシャドウセルフが、やはり騒ぎ出すゆえ、なのだろうと思う。

・・と、なんともまあハードボイルドな日記を元旦から書いている。が、また別の同チャンネルの番組でこんな言葉があった。

「現代のように誰もが懐疑的だと、こっそりと「良からぬ事」が行われる」つまり、情報がタブーになっているせいで、はびこる、ということだ。正しい知識を多くの人が持てていれば、そんな事にはならない。二十年前、私は当時仏教信仰の先輩方が語る、良いものとそうでないものの闘い、とか、様々なストーキングが起きているという話を嫌がって、自分は関わりたくないと、その場を遠ざかった。

愛と光と調和と・・・というメッセージだけが存在していたこの癒しの世界には、そんな法則は存在しないとしばらく信じていた。けれども今は、かつての先輩たちの言うとおりなのだと思うに至った。考えてみれば当然のことだけど。。

恐れる、怖がる必要はなく、ただ知っていくことが大事だと思う。

自分自身は大丈夫だとしても、このようなジャンルで困っている人はきっと、周囲に誰か居るだろうと。私が思うに肉体的な疾患でも、多くはエネルギーやカルマや何らかのネガティブな波動ゆえに起きてしまう、と。人間をエネルギーシステムとして考え、よりよい状態にしていくホリスティックな知識・叡智は昔から伝えられてはいるものの、全ての人がそれを自分の生きる手がかりとしている訳ではない。上に書いたような話は、そのホリスティックな視点の中の一部分であると考える。恐れず、誰もが知っておいた方が良いのかもしれない。

今年、2023年は頭の硬い部分や、これまで思い込んで来たフィルターなどを外して、新しい意識を作っていく事を意図してみてはどうでしょう。ノーノーワーズのスローガンと共に。

Love and Grace