過去の扉が未来への扉

つい最近まで、「古代の宇宙人」のシーズン14まで見れるということに気づいていなかった私。古いシーズン〜S13までを繰り返し見ていた訳だけど、「まあ!」と気づいて早速、S14(2021年制作かな)を見進めると、最近この日記で2度UFO?? 「またそういう時期が来た?」と書いていたのでタイムリーだった・・世界各国のUFO案件への対応の色々を特集する回があった(#198)。まさにリアルタイムの最新情報。

近年、目撃情報はどんどん増えているようで、特に中国。閉ざされた国家である中国でも、国民の間で加熱するUFO現象への関心、100万人規模のメンバーを有するUFO調査グループが民間に存在するという状況から、それらと連携しながら情報の収集・調査を進めているという。
日本は先進国の中でも保守的な態度で2018年には政府が公式に「そんなものは存在しない」という発表をした?そうだけど、翌年には防衛大臣とアメリカの国防長官との会談を機に、(アメリカからの打診があったようで)方針を変えたのだという。もしかすると知られている事?かもしれない、、私が10年以上日本のテレビを見ていないので、国民的周知のことだったらゴメンナサイ(笑)。

2021年に亡くなられたイギリスの女王の夫君であったフィリップ殿下が、個人的に熱心にUFO研究をしていたということが、崩御後に明らかになり、アメリカでは(これはきっと有名な話)2021年にUFOに関する調査報告を政府が約束し、その後は更新された情報が開示される時代が来ている。フランスではなんと以前から、「政府が把握している情報はすべて国民に開示する」というスタンスだそうだ–さすが、大人の国。国民に情報を与えることで、国民自身に判断の責任を負わせている。

そのような潮目の変化の中で、以前カナダの元国防大臣のヘリヤー氏が(前にも書いたけど)テレビに出演し、宇宙人と一部の政府が協議をしていること、宇宙勢力も様々でひとつの考えではないこと、などを証言した。更には、イスラエルの「宇宙開発の父」と言われている、教授・博士・科学者・政治家・将軍である(元国防省宇宙局長官)のエシェド氏が、「宇宙連邦」とのコンタクトが行われているとインタビューで証言したとか。
「地球はまだ銀河連邦に迎え入れる準備ができていない」と言われているとの情報に対して、番組としてのコメントは「人類が成長し世界を良くしていかないといけない」と。・・まあ何と言うか、宇宙時代はすぐそこまで来ている、という感じが確かに、伝わって来る。E. マスク氏は「2050年には100万人が火星に住んでいる」と語っているとか。2050年??もうすぐ!?

番組を信頼しているのでフムフムと思って見ているけれど、同じことをネットで検索に掛けると、まあ色々と出て来て。同じ情報でも、様々なベクトルで様々なエネルギーで、利用されている感じがする。だからこそ、日々、これほど世界の空気、波長が混沌としているのかもしれない。もう本当に「そういう時代」に入っているのだ。
コンタクトが始まれば良いという訳ではない。あちら側、こちら側、そちら側・・・と、まだ幼子のような人類をめぐって、様々な仕掛けがあるはず。だから真に正しく導こうというスタンスの宇宙存在たちならば、調子の良いことなど言わないだろう。慎重に、まずは人間たち同士の問題や、意識の低さゆえに起きている地球上の課題を乗り越えるように導くはず。だからまだ数十年は先なのでは?と個人的には思う。けれど、UFOの出現が増えているのは、そのオフィシャルなラインだけではなく、違う方向へと人類を持っていきたい力もまた動いているのだろうし、そこを「受信」している個人や組織もあるのかも。

日本の幕末、明治維新でもそうだけど、何が正しいのかという意見は、同じように善良で真面目な人々の中でも時に意見や進む方向が分かれてしまったりもするもの。これからそういう時代に入っていくのだろうから、自分自身の軸と意志を持っていないと、と思う。パンデミックで既にその辺り、揺さぶられて、少しずつ人々、日本人も、変化が起きてはいるのだろう。
そう。それで、そんな未来に向かう流れを、より良いものにしていく為には。過去にそのキーがあると、以前から感じて来た。個人の癒しと成長が起きていくプロセスでも必ず必要な、「問題の自覚」「向き合い」「受容(問題を問題として理解する)・赦し」「癒し」「手放し」「そして前に進む=成長」の流れが、「人類史」についても同じであるべきだと。宇宙時代の到来を、ただ扉を開かれるのではなく、過去を整理して自らを知り、人類10万年の歴史を理解した上で、選択するからこそ、「進化」=よりよくなる が叶うのだと。
宇宙の法則は数字、数学であり、プラス、マイナスをきちんと整理してこそ、奇跡のような進化の数式が成り立つのだと思う。・・この感覚は仏教の宇宙観と通じるのではないかな。

ゆえに、古来の「人という存在として個人が自らを浄め、煩悩を手放し、ホトケになる(次元上昇する)」この教えこそに真実、真理があると。トリックやトラップで多くの人々がパニックになってはいけない。だから、地球を本当に運営している高次は、別次元から見つめて静かにしているのかもしれない。自然現象などを通じて、メッセージを送りながら。人類を生み出した親である「神々」は、慎重であるはず。直感やエネルギーを、マヌやエルたちの転生者に送りながら、人類自身の足と意志で立ち上がるよう、促しているはず。
古きものを、大事にしていく。
古来の叡智に、導きを見出す。
いまだ解決していない古来の(現文明にまつわる、さらにはその下にあるジェネシス層の)マイナスのパターンを浄化し、歴史を昇華させる。

過去が未来への扉となっている。
「岩戸開き」からの、未来への道筋。
地球を守るための、スピリチュアル。(人類がどうこうなる、が最優先ではなく)←ここがバロメーターで、分岐点になるだろう。利己から利他への進化が予定されている訳なので、「皆で協力して地球を守ろう。地球上でまだ起きている問題を解決しよう」という思考に向かうのが自然。それらを差し置いて「自分たちがどうしたい」という方向に向かうのは、利己から全く抜けていないし、むしろ進化とは逆の方向へ走ることになる。

「クリスタルラボ・春期」ラスト4回目のメディテーションは、参加生の皆さん自身のジェネシス層を癒すような内容にし、1〜3回で壮大に開けたマニアックな路線は「秋期」に持ち越し、本格的な「過去からの未来への扉」に向き合っていこうと思う。詳細はまた後日。

Love and Grace

憧れと尊敬

前回、15日の日記に載せたUFO?の映り込みから、「そう言えば全然意識してなかったけど、普段から意外と写っているのかも?」と思って最近撮った画像を見始めた直後、20日の夕方に撮っていたこちらの写真。左下に、Vの字のような5つの黒い点を発見。おお、本当に・・?
拡大すると、

これだとちょっと確認難しいけど、15日に載せたお寺での写真に写っていたアダムスキー似の形状が、特に一番後ろ(あるいは前)のひとつ、に見られる。伝わってくるものが鳥、という雰囲気ではないし。円盤型。同じ場所を4秒前、1秒後に写した画像にはこの5つの点は写っていなかった。何か、またそういう時期が始まったのだろうか。

日頃から小規模、レコンセクレーションを使った身の回りの空間へのワークは行っているけれど、私は基本的にリモートでも実地でも、土地や歴史へのワークには消極的だ。見えない世界に関わることを魂がよく知っている、経験してきていることに由来するのかナチュラルに遠慮、無闇にやるものではないという考え方もその理由にあるし、もうひとつは、若い頃に受けた「教え」ゆえでもある。
幼い頃から歴史、というか、物事の「はじまり」にとても興味があった。それゆえにメタフィジカルな学びをするようになると、土地の歴史への見えないレベルの理解を深めようという関心が自然にあり。さらに、そこにあるマイナス要素へ、自分が出来ることはないかと考えた。

それに対して師匠的な方は、「歴史には無闇に(スピリチュアルな意味で)首をつっこむべきでない」と言った。それは、もっともだと当時も感じたし、今ではよく理解できる。更には、当時私が「気になる」といって指摘したその土地(都道府県レベル)の歴史に由来するカルマとその影響について、当時は「関わるな」と言った「師匠」が、後に連絡をくれて、実際にその影響と思われる難病、精神的不調に困っている人々から相談を受けたことにより、以前私が軽く調べていた部分に関して、「対処をすることになった、その必要性を感じた」と仰ったことも、
今では、その展開や師匠のその時々の判断についても、よく理解できる。
「必要に迫られる」という部分が、重要なキーなのだ。そして周辺事情を調べて知った上で、判断して、何らかのアクションを行う。
調べる、と言ってもネット検索、というレベルではなく。責任をとる立場にある人が、公式の調査、考察、報告、としてまとめた信頼できる「資料」をあたる。最初のきっかけはネットでもいいけれど。

ここでいう「歴史」は、レムリアだとか、果てしない感じの規模であっても同じこと。もちろん「ジェネシス」もそうであり、私の立場での「研究」のベースは「サロンでのセッション」であり、そこで出て来た内容を調査する段階で時には「直感」や「導き」も混じりつつ、スタートも、前に進む時のキッカケや後押しも、すべてサロン仕事という「現場」での発見、検証を土台としている。ただ何となく興味を惹かれて・・とか、自分が「気になる」から言ってみる、という感覚だけでは動かない。

日本の古代史、神話関連も何というか本当に・・・私が興味を持って積極的に本を読み、自分でも頭を捻り、会社のお給料をほとんど全て投じていた現地への旅・・あの頃、30年前に比べると、今は興味を持っている人、ネット上の情報もかなり溢れている。私と同じ頃に梅原先生等をきっかけに興味を持った作家さんたちの恐らく影響もあるのだろう。
けれども、進展しているかといったらそれほど。相変わらずという感じがしている。
そもそも、「神代」の世界を縄文時代だと考える人、レムリアや宇宙時代だと言う人、本当に天上界だと考える人、人間世界だけど神々を「祖先たち」、天から降る=大陸や半島から渡来する、とリアリティの中で捉えている人、中にはそれらが混在したまま、神なのか人なのか宇宙人なのか、ただどの神様がどれと同じとか、系譜がどうとか、どこにあった、正体はなんだ、という話が展開している。若い頃の短期間それにズブっとはまって以後、これはもうお手上げだなと距離を置くようになって・・

今は原点に還り。地道にお仕事としてコツコツと勤しんでおられる学者の先生方の見解を中心に頼りにしつつ、時に都合よく(笑)自分の直感、体感で、自分なりの神代〜古代史を何となくぼんやりと掴むようにしている。そう、秘訣は普遍的なものと、当時の特有なものと、古代人にも分からなかった神代や太古への表現方法を古代人の気持ちになって想像、理解すること。それに描かれている神代には、今とは違う常識がたくさんで、けれど私たちが失ってしまったものをありありと知覚していただろうことを、エナジーヒーラーとして体験して来た別次元の感覚とともに、共感していく。
スピリチュアル、に関しても言えることだし、「宇宙人」や「高次元」についても同じ。・・・『そんなに我々に都合よく・分かりやすく、すべてが起きるわけではない』
こうあってほしい、こうだったらいいなという願望、更には一切の情緒的な反応、期待、同調、などがない状態で、本来、歴史やアースワークに臨まなくてはいけないと思う。一切なし、は難しいと思う。けれど極力、そう努める。偏見も好き嫌いもなく。先入観も時にフィルターとなってしまうから、ニュートラルに。

タイトルと全く関係ない話で長くなってしまった。笑
だいぶ前、去年の秋ころかな、この日記に「嫉妬」や「憧れ」について何度か書いていた。アリストテレスいわく「嫉妬とは悲しみである」とか、エミリー・ディキンソン「憧れの裏には嫉妬がある」とか。なぜか消えてしまった記事もひとつあったけど、恐らくそこに、「好き」と「嫉妬」が混在する女心?のようなものが、私には分からない・・という話を書いていた。アリストテレスの「悲しみ」は何となく分かる。それはどちらかというと、被害者意識を持つ人や、自尊心が弱い人が、恵まれている(ように見える)人の立派な姿を見た時に、自分を可哀想に感じて沈んでしまう事、だろうから、子供の頃まで遡れば、それは何となく理解できる。

が、「憧れている」人に対
して、「その裏に嫉妬」・・というフレーズがどうしてもハテナであり。けれど実際に、「そのようにして」近づいて来た人が、「そんな風にして」ちょっとイヤな空気を置き土産に去っていき、キョトンとするような体験は何度かあった。存在していることは分かる、けれど、共感はできないなあ、タイプが違うのだろうなと考えて来た。
自分の過去、「憧れの人」にはどう間違っても嫉妬なんていう結果に転ぶことはあり得ない。だって憧れているんだもの、なのにどうして、それが反転なんてするのかしら・・・と考えていると、ふと気づいた。「憧れ」という漢字は、心に「童」と書くではないか。つまり、子供っぽい心、言い換えると「利己」=エゴイズム なのではないか、と。
「この人のようになりたい」が、多くの人にとって「憧れる」ということなのだろう・・な?と、ようやく気づいた。
「この人のようになりたい」ならば、自分が「そうなりたい」のだから、利己に発端しているのは当たり前で、始まりが利己(自分のため)だから、自分に都合が良くない流れになった時には負の感情を抱く、など・・最後まで利己的、自分勝手な感情へと変転していく可能性はメカニズムとして理解できる。

では、私自身が過去に「その裏には嫉妬がある」だなんて絶対にあり得ない「あこがれ」を抱いた方々への感情、感覚って何だったのだろうと振り返ると、「尊敬」だった。憧れとはまったく違っていた。尊敬、「尊ぶ」「敬う」・・そうなってしまうほど相手が素晴らしいと自分が思っている。だから、その先、どこまで言っても「裏には嫉妬が」なんていう結末は来ない。
英語で尊敬は「respect」つまり、re(もう一度)spect(見る)
素晴らしいから何度でも見る、振り返って見てしまう、ということ。
一方で「憧れ」あこがれ、の日本語は「その場所から離れる」=「あくがる」という動詞が語源らしい。グラウンディングを失い、ぽわん、として自分自身から離れてしまうような感じか。

そう考えていくと、尊敬する人、はたくさん居る。では、憧れる人は・・・?
う〜ん。居ないのかもしれない。というか、そういう発想がそもそも、無い、無かったかもしれないと気づく。そう言えば若い時分、「自分という個性を追求して生きていきたいから憧れの人はいません、自分の個性や理想を知っている分だけ、自分自身がいちばん自分の理想に近いのかもしれないです」なんて、どこかで誰かに語っていたっけ。生意気な娘だったなあ、本当に。
「憧れ」は、その人が、その人自身のためにするものだ。それが急に違うものに変わったり、豹変したりもするということ。たくさんの「憧れ」に囲まれても、自分が愛や敬意を受けている訳ではないということを、人は知っておかなくてはいけないのかも。(みんな最初から知ってるって・・?そうなのかもしれないネ・・笑)
尊敬は利他、というよりは無条件に相手に抱く、向ける、信頼・信愛・賞賛(評価)である。誰のため、などの思惑はなく、自然発生する響きの良い感覚、感性でもある。

子供のうちは、たくさんの憧れを抱くと良いかもしれない。けれど大人としては「自分自身から離れて」しまわずに、着地して軸を守り、自分の前を歩く人、素晴らしい仕事をしている人々に敬意を抱きながら、自分自身を作っていくことに努めるのが良いのだろうと思う。そしてもちろん、人に尊敬されるような大人として生きていかねば、とも思う。常に内省しながら。静かにそっと尊敬してくれている人と、憧れを寄せている人を、見分ける感性も必要だ。先日のInfo の通り、やはり今は「利己と利他」を徹底的に、考えさせられる時期かもしれない。

Love and Grace

これが時代感覚?

私が生活を自然派、地球に優しく人間に優しく・・と、切り替えた20年前からすると、考えられないくらい、商品も情報も、つまりきっと利用者も増えている。まだまだ、とは思うけど、確実に。

それから、AIの普及などの行末を懸念する情報を耳に入れると確かに色々と恐ろしくなったりもする。。けど、冷静に考えると、実は個人的には「人類の進化」とは人間が動物的でなくなることである訳なので、恐らくきっと、肉体労働的なことから解放されていくことは、スピリチュアルな「進化」とはセットであるとも思って来た。

いつだったか、数年前にサロン仕事の後だったかでエネルギーが高まっている状態で用事があって家電量販店に立ち寄った時、普段行かないし、家電好きな男手も家庭内に居ないし、テレビなどの情報にもあまり触れていないことから、「今こんなことになっているのかあ!!」という、進化した家電たちに取り囲まれて感動し・・何かエネルギーの作用が相まって、ちょっとしたワンネス体験のようなことになってしまった。(笑)

主婦としても、男手の代わりとしても、自営業の店主としても、本当に日々雑多なことに時間を割かれ、体も頭も動かし続けていなくてはならない状況で自分は生きているけど、未来になると、人類はそれらから解放されることで、もっと豊かに創造的に時間とエネルギーを使えるのだろうな。こうして人類は、脳の別の場所を使えるための下地が整うのかもしれない。進化は着実に進んでいるのだ!!と、

なぜか、家電量販店でハートが全開の、「ああ、素晴らしい!神よ!」という、時々ある、ワンネスフィールドに行ってしまい。(笑)涙ぐみながら、店を後にし。

そうは言っても、いまだにうちには電子レンジもテレビもなく、最近ようやく久しぶりに時短目的で炊飯器を。という調子だけれど、それはまた別の話。電磁波もあるし。

人類の進化の一側面にテクノロジーの進歩は欠かせない、という事が言いたかった。けれど、その移行期にあたって、多くの課題に、人間社会は直面していくことだろうとも思っている。悪用する、利己主義で開発・普及を狙う、ようなネガティブなヒトの性質とテクノロジーが結びつけば、自滅するだけ。発展していくテクノロジーをうまく活用して、今人類が抱えている旧来の問題、眼前の問題を解決していくことに、力を注ぐことが出来れば。うまく未来へ、歴史を繋いでいけるのだろう。

移行期、変換期ゆえの、摩擦によって起こる不協和音に、人任せな人は掻き乱されて人や外にあるもののせいにしてしまうだろう。

また、善良であっても体質的に受容的な人は、鳴り続ける不協和音を受信してしまう形で、移行期のネガティブな要素を受信してしまうだろう。そのどちらも、質の良い善意の情報や、誰かの努力によって、少しは防げる、改善できるはず。

日々巻き起こる異常気象や、そんな中で次々と伝えられる情報、世界各地の変動、テクノロジーの発展、それによる弊害・・・テンポの早いこの時代という空間の感触に慣れていって、かつ、汚染されない。それが大事。

Love and Grace

頭の中の螺旋

ヴァイアマスな雲がたちこめる梅雨空の下、だいぶ前・・5年前くらい?からの宿題であった方面に足を向ける。予報ではずっと雨だった時間帯。もしも辛うじて曇りになってくれたら、歩こう。もし、雨が滔々と?降っているようなら立ち寄りません、帰ります・・というつもりで消極的な構え半分、今回は行くことになるのだろうなという予感半分で用事を済ませていると、

空が少し明るくなり、時折パラパラと細い雨が降る程度で傘をさす必要もない、ちょうどよい気象に。今色々とテーマが動いている中で、どうやら「白い聖堂」の役割分担とも関係して、幾つもの小世界でそれぞれのストーリーが展開しながら、反響しあい、時折混じり合ったり、また別々の場所へ戻されたりしながら、全体の曼荼羅が編まれていくよう。

この日の私は男性性的なストーリーを担当していたよう。仏閣の裏山を歩くうちに、体がどんどん(単に歩いているからというだけでなく)温泉に浸っているように上気していって、不思議な世界感。五重塔の下に至って空を見上げると、何か「おわします」感じの雲。ご挨拶する気持ちで写真を撮って・・帰宅してPCの画面で画像を見ていて気づいたのが、右上の黒い影。鳥かな?と思ったけど・・・
↓ 切り取って拡大すると↓

鳥ではなさそう。普通に考えると・・・
「アダムスキー型」??

今朝ちょうど、「古代の宇宙人」のアカウント(twitter)で動画が載せられていたUFOが、以前横浜の青葉台サロンで2014~2018年にたびたび見えていたのとそっくりで、ひとまずイイネをしておいた。興味ある方は見てみて下さい・・だいたい4〜5機でMやWやVの字を書いたり、広がってまた集まったり、ヒュッと瞬間移動したり、フェイドアウトで消えたりまた滲むように現れたりするオレンジ色の光。UFO画像はいろいろあるけれど、今日見た動画はほんとにそっくりで。

様々なバックグラウンドがあるのだろうな・・UFOと言っても。あの頃、ジェネシス情報が一気に進んで2017年12月でまとまるまでの時期、生徒さんやお客様の居る時にも頻出していた。その後は滅多に姿を見せなくなり、私がひとりで仕事をしている日に、時折、1〜2機で比較的静かな動きだけになっていて。最も反応して盛大に長時間、フォーメーションを変えたり繰り返し出没したりと「サービス」してくれていたのは、セイキム伝授の時。何度も。生徒さんたちと長時間眺めていたっけ。

あの時飛んでいたものは、何のUFOだったんだろう?と、ここ数年考える。

ジェネシスが完成していく、プラクティショナーになる人たちが集まっていく様子を、応援しに来ていたのか、もしくは、監視していたのか。高次元由来ならば、私たちのオーラ体の様子や、ソウルシステムに入っているエネルギー、周波数、宇宙遺伝子なども、よく見えるのだろうし、遠隔で計測することも出来るのかも。その後、起きたことを考えると、応援ではなかったのかもしれない、と思うこともある。けれど、地球の中心に在る神なる世界も時に厳しい学びを投げかけ、静観することがある。

先日見たこれは? いやいや、見てはいない。向こうが見ていた、のかな。全く同じ場所で6秒後にシャッターを押した画像には、もう写っていなかった・・・以前来ていたものと、同じなのか、別系統なのか。この時、シリウス系のワークをここでしていたので、いずれにせよ、反応したのではないか?と思っている(これが鳥やドローンであれば別だけど。笑)

たびたび書くことの繰り返しだけど、心と感覚と思考の「奥行き」を育てていくことがやはり大切だ。三次元の価値観や意識のままで、スピリチュアルなことを分類したり判断したり、反応したりしていると、ずっと同じところをグルグルと回ってしまう。スピリチュアルでさえ無くなってしまって、「スピリチュアルな事を題材に何かしているヒト」、となってしまう。ソウル中心の存在として、地上で生きるソウルとして、螺旋を昇りながら成長していく。そのためには、都度、奥行きを持って感じたり気づいたり理解したり、が必要になってくる。

自分の感覚で話をした場合に、聞く人はその人の立ち位置のフィルターを通して理解する。すると返ってくる言葉や反応も当然、そのフィルターが処理した結果となる。その法則をうまく運用できる人は、良きティーチャー、良きセラピト、良きプロフェッショナルとして活動できるのだろうと思う。そのためのコツの一つとして、自分自身が螺旋を回っていることを理解し、相手の話を聞いたり起きている事を見聞きしながら螺旋のめぐりを本能的に想起出来ていたりすると、良き助言者となれる。

その為には、自分自身がたどってきた螺旋を、ちゃんと理解出来ていなくては、ということでもある。過去に固執するのではなく、理解し、受容するために自己や過去の出来事を反芻することは、やはり大事だと思う。自分の為だけではなく、その後、出会う人や未来の出来事を、うまく受け止めていく為にも。そこでもエゴセルフは「自分可愛い」フィルターを掛けて、「歴史」を改竄しようとしてしまいがち。そうならないようにするには、ハートの力。ハートに愛があり、オープンかつニュートラルに思索できるか、という。

スピリチュアルで基本と言われていること、ハートの力、グラウンディング、センタリング、ノンジャッジメント、などなどは、やはり螺旋を幾つ廻っても、その都度また度量を試されるものだ。

 

Love and Grace
Amari