「理由」は必ず訪れる

必ず「理由」がある。

その時、理由を知って解決したいと思っても、幾ら考えても答えは出なくて、もう忘れた頃、別のことに一生懸命に対処していたり、新しい感じ方考え方をするようになった時にふと急に、過去の出来事の意味、理由、エネルギー背景がするすると解けるように分かったりする。そういう時はだいたい、知ろうとするのではなく、「知ることになる」という感じだ。

ずっと前・・と言ってもデジカメが存在する範囲内の過去、プライベートな友人との旅行のエピソード。最初に予定していた数名(4〜5人)が次々と来れなくなるという不安になるような現象の後に、私ともう一人の友人だけで出かける事になり。旅は至って順調で何の問題もなく楽しく終えたのだけど、思えば最初の待ち合わせに、私がなぜかハプニング続きで大幅に遅れていたっけ。それだけ。

最近、古い写真データの整理を画面上でしていて、その旅の画像を見かけて、ほぼ無意識に友人の顔を「+」マークで拡大していた・・すると、穏やかで問題ない人柄の人だけど、その日はドヨンと黒く曇った目をしていた。当時、私は一緒に旅していても全く気づかず。親しい友人で普段から何の問題も起こさない人だったし、当時は目を見て人の状態を判断するなんていうことも、あまり意識的にはしていなかった。

それで・・なるほど、他の多くの友人たちが来れなくなったこと、当日私が現地に着くまで普段ないような公共の交通機関や道路のトラブルで大幅に遅れていたこと、の理由が分かった・・20年近くを経て。当日の様子、本人は至って普段通りに見えたけど、病弱な人ではあった。今はヒーラーになって長く、「闇の力」というのは何も、激しかったり分かり安く破壊的だとは限らないということを知るに至っている。

「闇」の影響が「ヤミ=病み」として体質に出ているということがある。障害、病弱などとして、その家系に出やすい。その人においては人間性や魂がこれまで培ってきた人格により闇は精神などには反映されず肉体の「病み」として出ている。けれども同じ闇であることに変わりなく、周囲には影響を落とす。

「自分はトラブルメーカーだ」とその友人がよく静かに呟いていたっけ。私は呑気なほうなので友人として余り気にしていなかったけど・・彼女いわく、自分はいつもただその場に居るのだけど、周囲の人々が何か調子が狂い、トラブルが生まれる。旅の当日、私はお気に入りのとても麗しい感じの女神のような水晶原石を連れていっていて、彼女に何故か持たせていた。それにより、

その日、そして事前に、発動していた他の友人たちを来れなくし、私もあやうく当日行けなくなりそうなトラブルの連続・・を引き起こしていた、その友人のエネルギー状態に、石のお陰で浄化が起こり、旅も平穏だったのかもしれない。あの石を持っていって良かった、と20年近く経た今、ようやく思えて理解できた。

人はみな、両面のエネルギーが行き交う世界に生まれ、生きている。

よく「光」と「闇」の二元で物事を考えがちだけど、本当は「愛」か「病み」か。と言い換えられるかもしれない。光とは目で見えるもの、視覚的なものだから、反対語として「闇」という漢字を当てるのだろう。けれどもヤマト語としては恐らくおなじ「やみ」であるはず。つまり「病み」であり、その自動詞が「病む」なのだろうと・・思っている。

愛とは、生み出すこと、潤し活力をあたえ育てること、恵むこと、癒し安心させること、そして成長させること、導くこと。

病み・あるいは闇とは、その反対。生み出されたもの・存在するものを弱らせること、止まること、止めること、恐れること、恐れさせること、成長させないこと。

闇・・というと何か恐ろしい感じがしてくるけれど、「病み」ならばあてはまる多くの「愛では無い」要素について、人は、今の時代の人間たち、人間社会は、考えていかなくてはいけない時が来ていると思う。

そして簡単に言ってしまえば、人が考えるべきことは「愛になっていくこと」だけ。

恐れず、「病み」に囚われず、純化の道をゆく。

自分の(ソウルの)どの部分が「病み」であるのかが、この現象界で、現実として人や事象として見えてくる。ある種のヴァーチャル体験である、この世界での人生。感情はそのまやかしであり、また同時に「病み」を自ら見つける手掛かりにもなる。

「光」と「闇」の二元ではなく、

「愛」と「病み」の相剋だと考えると、もつれた糸がほどけて、理解が進むことも多い。

Love and Grace
Amari

今年もありがとうございました。どうぞ、良いお年を!

愛であれ

先日瞑想していたら、アメリカのヒーローものドラマ「Flash」(長年見ているのですが..)の主人公の母親役の女優さんが、女神のようにヴィジョンに現れて「アビス」と何度も言うという(ウトウトしていて)夢を見ました。

最近、「アピス(エジプトの牡牛の神様)」や「アヌビス(エジプトの犬の神様)」は話題にしていたので、それかな?と思いつつ、何かもっと深い意味がありそうと気になっていました。

Flashは、メタヒューマンという、なんらかの性能が進化した(よくも悪くも)存在たちが沢山出てくるドラマですが、主人公 Flashはスピードスターで、その力は宇宙の「スピードフォース」という量子場?と繋がる事で、成立している。

亡くなった実の母親の姿をまとって、ある時に「スピードフォース=神のようなもの」が三次元の現実界に顕現するので、夢のメッセンジャーがその女優さんだった(神として現れた時の雰囲気だった)という点から、これは地球のロゴスである、白山姫からのメッセージなのかなと受け止めました。あるいは、地球の自然霊ロゴスであるガイアからの。

「アビス」=Abyss? ということで、J.キャメロン監督作品『Abyss』(1988)も見てみました。

米ソ冷戦時代、米軍の潜水艦が事故を起こし、その収集に関わった民間会社のダイバーたちが、アビス=深海、最終的にはワケあって6000mの深淵に。6000mだなんて。富士山より高い、海溝です。

そこには、宇宙人(ピンク紫の光るクラゲのような美しい存在たち)の海底都市があり。水のエレメントを操る彼らは、人間たちが地球を滅ぼす道を歩んでいるといって、30mの津波をまさに起こした所でしたが・・

互いに交流したことで、事態は収拾される。もう35年前の映画なので、少しレトロな感じもあり。そこがまた新鮮だったりします。ここに込められたメッセージはとてもシンプルに、

『争うな。愛であれ。』

高周波の輝くピンクパープルの光を放つエイリアンたちも可愛くて、長かったけれど(2時間45分!)、良い映画でした。

最近気になっている「深い海溝」にまつわる情報かもしれない。地球のほとんどが海で、人間が到達し得ない海溝の深みも沢山ある。そういう場所から、地震や巨大津波が寄せて来るのかもしれず。

私たちは、自分たちが地球の住民だと思い込んでいるけれど、実際はそうではないのかもしれない。

ガイアの奥深さ、壮大さを思えば。ほんの一部の住民でしか、無いのかも?

少なくとも、そういう心を忘れてはならないのだろうと思ふ。

Love and Grace