日本とジェンダーと第四光線

 
ナチュラルスピリット刊 森由里子さん著

ものすご〜く久しぶり(6~7年振り)に、それも突然、ナチュラルスピリットさんのサイトを直感で覗いて、目が合ったので何かありそうに感じるものがあり。著者の森さんは人気の作詞家でとてもご活躍、成功されたキャリアをお持ちで、時々私が呟いたり動画を貼り付けたりしているももクロさん(←母娘でもののふ、「女子のふ」というのかな。けれどマニアックな事をいうと「もののふ」とは古代豪族の物部氏の武者のことを言うので、ソガ系を自称する私としては複雑である。笑)の曲も手がけておられるとのこと。

スピリチュアルなこともされているようなので、もしや私が「シャンバラっぽい」と言って動画など掲載してきた曲は、森さんの手によるものなのだろうか?それはさておいて。

愛子さまに、女性天皇になって頂く。

という選択は、とても重要な日本という国にとっての分岐点になると私も思っています。なので輝かしい経歴をお持ちの森さんが、こういったデリケートな領域に掛かる著書を勇気を持って出された事に、「一票」を投じる思いで自分でも書いておこうと思いました。

スピの界隈ではよく言われているのが「日本は特別な指命を持った国である」ということ。これにも個人的には同意。その背景としての「ジェネシス層」の理由、地球47億年の精神史としての「the Genesis」の中でも少し触れて(仄めかして)書いています。

 

構想は30年前、執筆は20年前になる『ハピの巫女姫』も最後まで読んで頂いた方にはお分かり頂いているかと思いますが、その部分、日本の神秘性についての「はじまり」を作品のラストで描いていますし、そもそも、ハピの執筆のキッカケが、20歳で奈良や伊勢の一人旅をし始めた頃に見ていた白昼夢のような瞑想体験から生まれた、日本のスピリチュアリティの中心軸に流れる、宇宙由来の神秘な力や遺伝子・・を、歴史絵巻にしようという構想の、プロローグ的な作品として、超古代の「ムウ」大陸を描いたという経緯があります。

つまりは、森さんが27年かけて様々な神秘体験や導きをされて、その結論は「愛子天皇」というのと、ルートは別ながらも、私も同じような30年の歩み・神秘体験により、今とこれからのこの国にとって重要な課題は、やはりそこであると思っていて。一緒だなと感じたし、何しろ以前、奈良に移住していた時期のサロン名が「セイリオス三輪」であったけれど、森さんは「セイリオス」という名称の音楽ユニットをされているそう。シリウス存在とのコンタクトがあり、それでのご著書もあるようで。

「ハピの巫女姫」の終盤「新しい時代」が到来(1万1000年前)、そこでの導き手はシリウスの宇宙船団。続編である「ガイアナ神謡集」も時代の守護神たちはシリウス存在。当時は何気なく書いていたけど、それが今のヒーラーとしての仕事に繋がっていて、仕事全般を導くのは常にそのラインである訳で、冷静に考えると「情報ソース」「導き手」が一緒だから、導かれている方向が一緒であるのは当然なのだな、と。

よくある事、のように聞こえるかもしれない。けれど実はスピリチュアル業界においては、むしろ、表向き、ではなく本当にシリウスの仕事をしている人って寧ろ少数派。以前はそうではなかったけど、今はそう感じる。神智学が伝えているシャンバラ、地球のロゴス意識やその守り手たちは、シリウス由来であるのですが・・何故か、地上の「ライトワーカー」たちはその逆の方向に導くところに、接続しているのが最近の風潮だと感じる。

そんな背景を思うと、社会的ステイタスのある方がこういった本を書いていらっしゃる事も、納得出来る。そんなチャレンジを必要とする、本当に良き事をするために勇気を出さなくてはいけない仕事というのは、シリウスが背景にある。

古代日本史、民俗学を趣味で探求してきた者として、「アマテラス」は本来は男性神かもしれないと思ってはいる。けれど、それは今この話においては重要ではなくて、日巫女(ヒミコ)であった女性部族長が魏志倭人伝によって「卑弥呼」と記載されて、要するに日本の古代は縄文時代からの母系社会、女性部族長の伝統があり、その伝統が破壊されながら新興勢力の父権社会や文明に吸収されていったという流れが「ヤマト」の国の始まりや、天皇制と関わり合っているということ。

色々省略して・・7〜8世紀に記紀が編まれた時、女神と古代の女性首長たち=日の巫女が、当時の君主であった持統女帝の存在感とも重ねられて、日本の神話に「アマテラス」という女神が誕生した。少し表現の仕方を私流に変えると、「新時代のアマテラス」は「新時代の日の巫女(古代日本の女王たちの総称)」という事になる。それを「女神アマテラス」と表現されているのが、こちらの本のスタンス。言葉のチョイスが違うけれども言いたい事は同じです。

今、この時代の、さらに特別な短い時期、愛子様が生まれて成長されたこのタイミングで、日本は大変換点を迎えようとしている。女性天皇を受け入れるという選択を国が達成することで、ようやく、日本は歴史上、文明史において、高次によって遠い遠い昔に託された役目を、果たすことが出来るのではないか・・・ちなみに国民の8〜9割が世論調査によると女性天皇に賛成しているという。

この本に導かれて、もうひとつ、良かった、嬉しかった事があり、

30年前になる。実家で見ていたテレビ番組で、世界各地から予言者を招いて日本の未来について予言してもらうという企画があり、他の男性予言者たちの顔や雰囲気や予言の内容などは全く覚えていないのに、一人だけ、短髪の白人女性が言ったこととその人の印象はなぜか強烈に残っていました。

「イランと中国がアメリカに対して宣戦布告し、第三次世界大戦が始まる」

「日本に、三大宗教をひとつにまとめる救世主的な人物が現れる」

あの女性予言者は誰だったんだろう?と、その後、自分がヒーラーになりスピ視点に基づく思想を展開する中で、何度も思い出していて。調べようとしても見つからなかったことも。

それが、森さんのこの本の中で、ブルガリアのベラ・コチェフスカ女史であったと偶然知ることができ、1992年に来日しているというから、テレビ出演のタイミングからしてもきっと間違いない。

ベラさんは前世が日本人であったそうで、思い入れも強かったよう。ある時に霊視で古代日本の指導者の女性を見た、その人のクニが NARA にあったと語ったとか。素直に受け止めればヤマトの連合国家が樹立した際の三輪王朝の、日巫女(=魏志倭人伝の卑弥呼?)、オオヒルメ、トヨ、あるいはヤマトヒメ、その辺りの女性司祭長であっただろうと。

また、来日時に伊勢神宮に行かれたベラさんは、外宮の多賀宮を目掛けて走り出して、境内で涙を流して「ここは、ユダヤ、キリスト、イスラムの『ヤハウェ』を祀っている」と言ったとか。・・・この感覚は私もよく理解できる。20歳、初めて伊勢に言った(1993年、ベラさん来日と1年違い?)時、最も感動してそれこそ泣きそうになったのは多賀宮でした。

最近になって(昨年秋ころから今年にかけて)アルガンザの瞑想ワーク等で一歩一歩、感覚を掴んで来た結果として、「白い炎」の聖地として、中東も日本も、そのほかの各地も、同じものが形を変えて点在し守られている事を、ワークの実感とともに噛み締めて来た所でもあります。

この流れからして、ベラさんについても改めてよく知るために本を買うことに。まだ読めていないけれど・・手元に届いたところ。(こちらはヒカルランドから出版されている)

書籍を探す際に検索していると、2025年7月、日本に起こる大地変について、ベラさんのみならず、ババ・ヴァンガ(前にこのブログでも紹介)、漫画家のたつきさん、そしてシュタイナーまで!予言していると、Youtuberの方の紹介でかなり話題になっているよう。Youtubeでスピ系をよく見ているという友人に「そうなの?」と聞いてみると、私が逆に「予言」を求められた(笑)・・翌週には、別の知人と話していたら同じ事を聞かれて。

アルガンザでは以前から、神智学で伝えられている2025年の「第四光線の顕現」については、ずっと意識をして来て、何度も書いて来ている。それは天災という事ではなく、おそらく「ゆっくり顕現する」と言うので、実際に世の中に変化が起きていくのを後押しするエネルギーなのではないか、と考えています。

で、そのための準備がうまく進まない場合、自然界、その背後にある高次元も致し方なく大地変を起こして、物理面から社会をひっくり返さなくてはならなくなる。という事ではないかと。なので、絶対に来年7月に巨大地震や噴火や隕石落下などのディザスターが起こるとは思ってはいません。ただ、日本は第四光線を宿した国でもあるので、宇宙的に決められている進化のタイミングにおいて日本がキーになっている事は確かで、その主軸は「ジェンダーと聖性」であり、言ってみれば「ヒミコ」(森さんや美内すずえ先生の言葉ではそれが「アマテラス」)であり、イコール「女性天皇」なのではないか、と。

来年7月までに、少しでも動きがあれば。人心や、エネルギー面、意識、集合場の周波数において。愛子さまを天皇に。という象徴的な事象を通じて、日本は高次に試されているようにも思う。それだけではなく、父権社会的な構造の中で起きている弊害や、愛ではない要素が、リリースされるべき時であると、言えるのでしょう。

来年7月に日本に大災害が・・と伝える4つの予言の中で、シュタイナーのものは「日本がなくなる」という衝撃的な言葉だけれど・・ネット上で取り上げているブログなど幾つか拝見すると、その解釈はいろいろです。日本の国土がすべて、海に沈んでしまうとか、壊滅してしまうというのは、少々、考えにくい。次の2つのうちどちらかだろうと思う。。。

  1. 日本語を話す日本人や日本文化が「無くなる」(戦争を経て他国の一部になるかも?)
  2. 日本=日本の皇室(それこそまさに日本人が民族文化の拠り所、精神とするもの)が、なくなる。

どちらも、決して起きてほしくはない。

森さんの本から、幾つか引用させて頂いて、締めくくりとしたい。

何気なく見た青い空。しかし、空が青いのは当たり前ではない。毎日不自由なく生活ができること、争いごとなく安心して暮らせることも、当たり前だと思ってはいけない。なぜなら、戦時中の人々は、それが当たり前にできなかったのだから。日常の生活の一つひとつ、ほかの人からの親切一つしとつに感謝し、他の人を思いやるところから、「平和」は始まるのではないだろうか。

そして、唯一の被爆国に生まれた私たち日本人は、自分の目で見て、感じたことを世界に広く発信していく必要があると思う。「平和」は、人任せにするのではなく、一人一人の思いや責任ある行動で築き上げていくものだから。

(愛子内親王殿下 中学生時代の作文より・p101)

このように国民から愛されるお人柄やご聡明さにおいて比類のないお方が天皇家の直系長子であるのに、もし女性というだけで皇太子の座を閉ざされてしまうとしたら、まさに国民・国家にとっての大きな損失と言わざるを得ない。

片や、愛子さまが立太子されて天皇への道が開かれたら、皇位継承の危機も少なくなり、日本国内に一気に明るい光が差し込むと共に、民主主義国家として世界的に高い評価を得ることだろう。現在、ヨーロッパ王室は、すでに男女の区別のない長子継承制に移行しているという。

(p103)

私はいつも思うのだが、「未来志向」の人間は、時代に吹く風に敏感で、軽やかに前を向いて生きている。「過去思考」(そんな言葉はないが)の人だけが残念な因習にこだわって同じ場所にとどまっている。そして時代の風に乗って進んでいる人の方が現実もうまくいく。つまり運もよくなるのだ。これは個人だけに限らず、集団や国家にも言えると思う。(p111)

参考文献・引用:

『新時代のアマテラス — 愛子天皇の未来へ』

森由里子著 (出版:ナチュラルスピリット)

長子相続制がスタンダードになりつつあるヨーロッパ諸国では、続々と女性の皇太子が誕生していて、いずれ愛子様と同年代のその姫君たちが、女王として即位される時期が巡ってくるそうです。21世紀は女性そして多様性の時代と言われていますが、第四光線の顕現に責任を持つ日本が、進化しようとしている世界基準の波に乗れるでしょうか。大事な分岐点です。

今日はこのくらいで。

Love and Grace

Amari

大祈願(A.ベイリー)

神の御心の光の源より

光をあまねく流れ入れさせ給え

光を地上に降らせ給え

神の御心の愛の源より

愛をあまねく人の心に流れ入れさせ給え

キリスト(如来)よ、地上に戻られ給え

神の意志、明らかなる中心より

大目的が人の乏しき意志を導かんことを

如来は大目的を知り、これに仕え給う

我らが人類と呼ぶ中心より

愛と光の大計画を成させ給え

悪の棲処の扉を封じ給え

光と愛と力とをもて地上に大計画を復興させ給え

 

『以上の祈願つまり祈りは特定の個人やグループのものではなく、全人類のためのものである。この祈願の美しさと強さはそのシンプルさと、すべての人々が生来自然に受け入れている中心となる真理の表現にある。その真理とは、私たちが漠然と神と呼んでいる知的存在の真理、すべての外的なものの背後にあり、宇宙を動かしている力が愛であるという真理、キリスト教徒がキリストと呼ぶ偉大なる個性が地上に現われ、私たちに理解できるようその愛を体現したという真理、この愛と知性が「神の意志」と呼ばれるものの結果であるという真理、そして、人類を通してのみ神の大計画が成し遂げられるという自明の真理である。』(A. ベイリー)
​石川道子訳:AABライブラリー各著の冒頭に収録される。

A.ベイリーを愛読される方々は重要視しているこの「大祈願」。

個人的には自分で祈りの言葉を作ったりも、スクールのメソッドに導入するなどもして来たけれど、この「大祈願」は敷居が高く、今まであまり触れることはなく。

けれども今回、2023年12月末ころから(山羊座の満月から?)の、「用意されている時代の変わり目のお膳立て」の勢いが今までとは比較にならず、昨日1月21日の冥王星の水瓶座移動=風の時代の本格始動、水瓶座時代が具現化して来るタイミング・・で、世界が変わっていく舞台裏と、それを受信して自分たちが格段とギアチェンジしなくてはいけないという五次元と三次元のこちらを結ぶ「通信」のようなものを感じていると、

ふと、響いて来たのがこちらの「大祈願」です。

A.ベイリーが伝えるマスター界からのメッセージは、水瓶座時代の準備をせよという内容で。神智学の先達が、苦労しながらもこれからの時代のために、世に出され受け継がれて来たもの。正式な「神智学徒」ではなく、横から斜めから自分の仕事を通じて学ばせて貰っている私などは、ほんのうわべしか触れていない訳ですが、ますますこれまで以上に、これらのメッセージや用意されていた知恵が、時代を導いて行くことを感じます。

神智学、人智学、インド思想、「哲学としての仏教」など。

世界が平和に向かっていくよう・・変わり目には、人の癒しと一緒で色々な事が起こり、社会が「無事(なにごともない)」事は無いのだろうと思いますが・・

宗派などの垣根のない、神智学の先達が提唱する「新しい世界のスピリチュアリティ」が、人々を、人類を、地球を、守り導いていくことを願います。

Love and Grace

「理由」は必ず訪れる

必ず「理由」がある。

その時、理由を知って解決したいと思っても、幾ら考えても答えは出なくて、もう忘れた頃、別のことに一生懸命に対処していたり、新しい感じ方考え方をするようになった時にふと急に、過去の出来事の意味、理由、エネルギー背景がするすると解けるように分かったりする。そういう時はだいたい、知ろうとするのではなく、「知ることになる」という感じだ。

ずっと前・・と言ってもデジカメが存在する範囲内の過去、プライベートな友人との旅行のエピソード。最初に予定していた数名(4〜5人)が次々と来れなくなるという不安になるような現象の後に、私ともう一人の友人だけで出かける事になり。旅は至って順調で何の問題もなく楽しく終えたのだけど、思えば最初の待ち合わせに、私がなぜかハプニング続きで大幅に遅れていたっけ。それだけ。

最近、古い写真データの整理を画面上でしていて、その旅の画像を見かけて、ほぼ無意識に友人の顔を「+」マークで拡大していた・・すると、穏やかで問題ない人柄の人だけど、その日はドヨンと黒く曇った目をしていた。当時、私は一緒に旅していても全く気づかず。親しい友人で普段から何の問題も起こさない人だったし、当時は目を見て人の状態を判断するなんていうことも、あまり意識的にはしていなかった。

それで・・なるほど、他の多くの友人たちが来れなくなったこと、当日私が現地に着くまで普段ないような公共の交通機関や道路のトラブルで大幅に遅れていたこと、の理由が分かった・・20年近くを経て。当日の様子、本人は至って普段通りに見えたけど、病弱な人ではあった。今はヒーラーになって長く、「闇の力」というのは何も、激しかったり分かり安く破壊的だとは限らないということを知るに至っている。

「闇」の影響が「ヤミ=病み」として体質に出ているということがある。障害、病弱などとして、その家系に出やすい。その人においては人間性や魂がこれまで培ってきた人格により闇は精神などには反映されず肉体の「病み」として出ている。けれども同じ闇であることに変わりなく、周囲には影響を落とす。

「自分はトラブルメーカーだ」とその友人がよく静かに呟いていたっけ。私は呑気なほうなので友人として余り気にしていなかったけど・・彼女いわく、自分はいつもただその場に居るのだけど、周囲の人々が何か調子が狂い、トラブルが生まれる。旅の当日、私はお気に入りのとても麗しい感じの女神のような水晶原石を連れていっていて、彼女に何故か持たせていた。それにより、

その日、そして事前に、発動していた他の友人たちを来れなくし、私もあやうく当日行けなくなりそうなトラブルの連続・・を引き起こしていた、その友人のエネルギー状態に、石のお陰で浄化が起こり、旅も平穏だったのかもしれない。あの石を持っていって良かった、と20年近く経た今、ようやく思えて理解できた。

人はみな、両面のエネルギーが行き交う世界に生まれ、生きている。

よく「光」と「闇」の二元で物事を考えがちだけど、本当は「愛」か「病み」か。と言い換えられるかもしれない。光とは目で見えるもの、視覚的なものだから、反対語として「闇」という漢字を当てるのだろう。けれどもヤマト語としては恐らくおなじ「やみ」であるはず。つまり「病み」であり、その自動詞が「病む」なのだろうと・・思っている。

愛とは、生み出すこと、潤し活力をあたえ育てること、恵むこと、癒し安心させること、そして成長させること、導くこと。

病み・あるいは闇とは、その反対。生み出されたもの・存在するものを弱らせること、止まること、止めること、恐れること、恐れさせること、成長させないこと。

闇・・というと何か恐ろしい感じがしてくるけれど、「病み」ならばあてはまる多くの「愛では無い」要素について、人は、今の時代の人間たち、人間社会は、考えていかなくてはいけない時が来ていると思う。

そして簡単に言ってしまえば、人が考えるべきことは「愛になっていくこと」だけ。

恐れず、「病み」に囚われず、純化の道をゆく。

自分の(ソウルの)どの部分が「病み」であるのかが、この現象界で、現実として人や事象として見えてくる。ある種のヴァーチャル体験である、この世界での人生。感情はそのまやかしであり、また同時に「病み」を自ら見つける手掛かりにもなる。

「光」と「闇」の二元ではなく、

「愛」と「病み」の相剋だと考えると、もつれた糸がほどけて、理解が進むことも多い。

Love and Grace
Amari

今年もありがとうございました。どうぞ、良いお年を!

愛であれ

先日瞑想していたら、アメリカのヒーローものドラマ「Flash」(長年見ているのですが..)の主人公の母親役の女優さんが、女神のようにヴィジョンに現れて「アビス」と何度も言うという(ウトウトしていて)夢を見ました。

最近、「アピス(エジプトの牡牛の神様)」や「アヌビス(エジプトの犬の神様)」は話題にしていたので、それかな?と思いつつ、何かもっと深い意味がありそうと気になっていました。

Flashは、メタヒューマンという、なんらかの性能が進化した(よくも悪くも)存在たちが沢山出てくるドラマですが、主人公 Flashはスピードスターで、その力は宇宙の「スピードフォース」という量子場?と繋がる事で、成立している。

亡くなった実の母親の姿をまとって、ある時に「スピードフォース=神のようなもの」が三次元の現実界に顕現するので、夢のメッセンジャーがその女優さんだった(神として現れた時の雰囲気だった)という点から、これは地球のロゴスである、白山姫からのメッセージなのかなと受け止めました。あるいは、地球の自然霊ロゴスであるガイアからの。

「アビス」=Abyss? ということで、J.キャメロン監督作品『Abyss』(1988)も見てみました。

米ソ冷戦時代、米軍の潜水艦が事故を起こし、その収集に関わった民間会社のダイバーたちが、アビス=深海、最終的にはワケあって6000mの深淵に。6000mだなんて。富士山より高い、海溝です。

そこには、宇宙人(ピンク紫の光るクラゲのような美しい存在たち)の海底都市があり。水のエレメントを操る彼らは、人間たちが地球を滅ぼす道を歩んでいるといって、30mの津波をまさに起こした所でしたが・・

互いに交流したことで、事態は収拾される。もう35年前の映画なので、少しレトロな感じもあり。そこがまた新鮮だったりします。ここに込められたメッセージはとてもシンプルに、

『争うな。愛であれ。』

高周波の輝くピンクパープルの光を放つエイリアンたちも可愛くて、長かったけれど(2時間45分!)、良い映画でした。

最近気になっている「深い海溝」にまつわる情報かもしれない。地球のほとんどが海で、人間が到達し得ない海溝の深みも沢山ある。そういう場所から、地震や巨大津波が寄せて来るのかもしれず。

私たちは、自分たちが地球の住民だと思い込んでいるけれど、実際はそうではないのかもしれない。

ガイアの奥深さ、壮大さを思えば。ほんの一部の住民でしか、無いのかも?

少なくとも、そういう心を忘れてはならないのだろうと思ふ。

Love and Grace

空気を読まずに流れを読もう

互いに空気を読む、という国民性は、とても便利ではある。通じるなあ、という見知らぬ人々との無言の空気の「読み合い」に、妙に心が安堵感を覚えることもある。哲学者のマルクス・ガブリエル氏はこの国民性を「テレパシー」と英語にしていた。やはり海外の異なる文化意識の方々から見るとある種の、テレパシーとも言えるのかも。

けれども・・エナジーワーカーという仕事をして来て、エナジー、つまり「空気」とここで称しているものにも種類があるという部分、職業グセで分析をしたくなる。この場合は神智学の言葉を借りると「アストラル」、そして「エーテル」に関わるのではないかと思っている。

アストラルとは感情、であり。やや動物的な、モノノケ的な成分で、その人から発しているにも拘らず、発した当人が意識しないまま他の人にも伝播して影響を与えるし、横に接続し合うと大きなアストラルフィールドが出来る。良い例としてはコンサートやスポーツ観戦などの感動や一体感。良くない例として、ネガティブな雰囲気が集団で広がってそうでない人まで染まってしまう、という感じの。

また、人から分離して個別の存在(?!)になることもあるという記述も神智学文献にはあり、人間が生み出しているけれど、動いたり独立したりし始めるもの。ゆえにやや動物的。

もうひとつのエーテル、は、生体エネルギーフィールドの量子の波のようなものが、肉体の周りに存在していて、そこに遺伝情報や健康に関することなど(おそらく国民性、なども)私たちのプログラムがその人その人にセットされているもの。「肉体の一部の見えていない部分」という考え方もある。

日本人が互いに「読み合い」をしている「空気」とは、これらの二つがメインではないかと思う。そこに、アストラル体よりも外側にあるメンタル体のより機械的・粒子的な情報が、さらに外側から影響を与えて、「成分」としてのアストラル情報と、情報帯として私たちが「肌で感じる」エーテル体のあり方がその時々、個人個人から発せられている。

つまり・・人が集まった時。グループで何かをしなくてはいけない時。私たちは無意識に、(アストラルとエーテルをひとことでまとめると)「気持ち」を読み合う。それが習慣化されているので、無意識にやってしまう。そして、「調和」という、全体が同じような響きである状態を「良し」と感じる。そうでない場合、その「調和」状態にしなくては・・と、言葉を掛けたり、自分のやるべき事、発言・行動を考えたりする。

それは、何のための集いであるか・・によって、評価が変わってくる。「これから宜しく。仲良くしましょうね。」という顔合わせであれば、上の段落に書いたような、無意識の努力は必要かもしれない。誰かの「気持ち」が損なわれたら、目的が果たされなくなってしまうから。

けれども、会社のプロジェクト、研究や何らかの目的を持つタスクフォースのような場であったとしたら・・(政治や経済やボランティア活動やあらゆる「活動」は皆、目的があることだろう)・・「気持ち」を読み合い、調和することに尽力していたら、どうなるだろうか。

余程、安定している人々の集まりでなければ、集まるたびに違う「空気のゆらぎ」が発生して、誰かの気持ちや調子の低迷を他の人々が「読み取り」、気遣い、調整することに時間とエネルギーを費やすことになる。そんな光景は、人々の集まる場所で、よく繰り広げられているのではないかと思う。小さな池(感情エネルギーは水であるからそのイメージ)の周りに集まって、皆で水を覗いているような風に、私には(心の目で)見える事がある。

大きな流れは遠くから来ていて、この先も流れに乗せて目的を現実化して行きたいのならば、小さな池を覗き込む輪を作らずに、遠くから来ている流れが自分たちの前へ、そしてその先の(存在している、決めているはずの目的=ゴール)に向かう様子を見据えて、流れて来ているエネルギーの上に乗らなくてはならない。

ここでは、ひとりひとりの「気持ち」へのフォーカスは超えていなくてはいけなくて、それは既に個々で、仕上げた上で集まっているか、舞台裏でその都度解決するよう試みながら、大人として参席しなくてはいけないのだろうと思う。

神智学、アリス・ベイリー著書からも、(チベット人のマスターからの教えではあるけれど)インテンション、緊張感を良い意味でキープして、それにより成長をし続けることの大切さが説かれていて、私はそれを「シリウス的」(ひいては「ヴェガ」由来の宇宙思想)と捉えて来た。(余談:地上でそれを体現しているのが、ユダヤ精神なのかもしれない。ニューエイジのスピリチュアルはそもそも欧米発で、ユダヤ的なエッセンスが含まれているかもしれないことに、最近、読書をしていて気づいた・・)

日本における議論だと、池をみんなでじっと見つめていて、波が立って乱れたら様子を見て、「池」の平穏さを守ろう・・の状況について、

「そこからも、何かが生まれてくるかもしれないし、それも良いんじゃないかと僕は思うよ」・・みたいな声が聞こえて来そう。(笑)もちろん悪いことではない。

けれども、そんな日本人精神は「プロジェクト向き」ではないのだろう。大きな視点で流れを見て、見据えて、流れに乗っていこう・・・というよりも、お題や課題を与えられてその中でコツコツと頑張る時間を貰えたら、(職人仕事的に)良い成果を出します・・というのが、日本ダマシイといったところかもしれない。

目的意識が明確にあり、流れを読んで過去(状況)と未来(目的地)の間にある「今」の、「必要なこと」をしようという意図があったとして。目的は全体のものであった筈が、集まった人たちは、各自の「気持ち」をそのまま持ち込み、互いにそれを調整して調和させることに、その集まり=池 を使おうとしているようなことは、日本の色々な場所で繰り広げられているだろう。

特に女性たちは(私も含めて)自分の「気持ち」を大事にすること、他者の「気持ち」を気遣うことを重視するような土壌で、それを期待され、お互いに期待し合いながら育って来ている。ヤマトナデシコとは、[永遠の少女]のような原型エネルギーを被ること、なのかもしれない。

自分の古いブログ記事を整理している中で、「気持ち」重視の自分に気づいた、という文章もちょうど昨日読んでいて・・確かにその気づきは何度もあったっけ。ヒーラー仕事をして来る上で、「気持ち」が壁に引っ掛かって進めなくなることが多々あったから。ヒーラー、というかメタフィジカルはある意味「大いなる(地球規模の)プロジェクト」の一員になることだから、個人的な仕事ではなく、ある一定の法則の中に、自分を合わせていかなくては、上手くいかないという局面が多々、現れて来る。

A.ベイリー著書などはそんな話をしている。「見習いの道」「弟子道」とも呼ばれたりする。あらゆる宗教や文化のジャンルに分かれていたとしても、(正しい思想や哲学の)行き着く所はひとつの筈で、地球を動かしているプロジェクトには、ひとつの法則があるのだ。絶対善と表現したりもしている。

ゆえに、日本人の一人、それも日本女性の一人として、空気を読み合う文化の優しさも良さも十分に分かって居るけれど・・その上でやはり思うのは、それは「プロジェクト向きではない」ということ。自分自身も修正し続けて来たけれど。

折しも最近読書していた「ユダヤ思想」についての勉強から、世界中で結果を出している、つまりプロジェクトに強いという性質として、ニューエイジのスピリチュアルでもよく語られる「フロー」や「豊かさ」などの思想の源泉を見つけた気がした。

ユダヤ、のキーワードについて問題が連想されるとしたら、今も起きている紛争、争いという局面だけれど。それは、一神教ゆえであり、勤勉さや上昇志向や、よく言われる「無から有を生み出す」というユダヤ精神とはまた別の話であろうと今のところはまだ思っている。が、もう少しよく学んでみないと・・

私なりに、それ(一神教のはじまり)に関しては最近ひとつの(秘教的な)答えを得ている。(by 「古代の宇宙人」・笑)それについてはまたの機会に書きたいと思ふ。

アリス・ベイリー著書のような神智学の教え、緊張感や成長(進化)主義のような思想が、日本ではなぜ受けないか・・も、ジェネシス原型論からも今では良く理解できる。

「流れを読み取ろう」といつも、スクールでは言い続けて来て、みんなちゃんと在学中は出来るのだけど(アルガンザのエネルギーメカニズムに乗せられるというか、乗らない訳にはいかない仕組み?ゆえに)、日常に戻ってしまうと、自ら流れを読み取ったり、増して乗り続けるために自分自身を成長させ変化変容させ続ける、という状況を、自ら積極的に作ろうというのは難しいのだろう。

なぜかそれが出来る、そういうものだ、そうあらねばと思える人は、前世ユダヤ人を何度かやっているとか(あるいは人生とは成長だという思想が強い人生を複数回経ているとか)、シリウス遺伝子が強いとか、神智学や「絶対善」への道、魂の進化の道というものをよく分かっている人・・なのかもしれない。

メタフィジカル、スピリチュアルな道を学ぶということは、池のほとりを離れて、大河の流れを常に見定め、自らそこに乗る、乗り続ける努力が必要、ということになる。

Love and Grace

Amari

セラピス・ベイと純白マーラ

サロン仕事で起きていること、故に、Arganza HPのinfoブログに書き始めたのですが、長くなり、マニアックでもあるので、こちらに載せることに。

ブログの統合についての前記事はこちら:

・・・・・・・・・・

10/15 の「白い聖堂17」で、マスターとして知られる「セラピスベイ」が関わって来て、ワーク&講義をしてくれた時間がありました。この時は淡い水色の光でした。

10/22 「クリスタルラボ・アースメディテーション6」では、事前に『白き神々降臨』というタイトルを受け取っていて、その「白い神々」とは、エルたち(アルガンザ・ジェネシスでいう「エルフ族」)であろう、という事は感じていたのですが、彼らの水星ソフィアやファウンテンを、シリウスの恒星エネルギー、アルクのGATエネルギーともども含んでいるのが、レムリアンセイクレッドレイキの「純白マーラである」ということが分かって・・

そのオリジンはアトランティスの、(ジェネシス世界観における)「イシス」エネルギー(全く同じではなくそこから派生して現在の「イシス」)ではないかと、気付きました。それで、先月の「聖堂」以後、純白マーラでのワークや、セラピスベイのことを意識に置いていて、改めて調べてみると・・

(とりあえずのwiki、これから正式に調べたいと思います)神智学初期の重鎮たちにより伝えられるに、セラピスベイは、

アトランティス終焉でエジプトに移った「聖なる炎の寺院」の高位聖職者、そして「白い炎」の守り手である、と言われているとのこと。

アルガンザでワークに含んでいる(「乳海撹拌・創造の5光線」)「イシス」エネルギーは、淡い水色と捉えていて、セイキムレイキのエネルギー(「エレクトリックブルー」→ 変化して「真珠エキスのような白)」ともほぼイコール(時代や用途に応じて高次が多少のレシピを変えてくるため「ほぼ」)と考えて来たのですが、

アトランティス終焉(の大洪水)から、エジプトに「イシス」神殿が移った、というのは、もう8年くらい前になるか、アルガンザ初のセイキムレイキ伝授の直前の「イシス瞑想会」で見たヴィジョンと受け取った情報と一致します。つまり、「純白マーラ」(セイクレッドレイキ)・「イシス」・「セラピスベイ」この3つの要素が符号するという流れが、この1ヶ月の間にありました。

そして更に驚くべきことに気づいたのは、「マンスリーイニシエイション」を始めたキッカケを、以前のサイトのinfoに書いた文章から↓

こちらの「マンスリーイニシエーション」は少し前に、私のソウルが指導を受けている「マヌ」系のマスター二人と先日、瞑想中に邂逅し、リアルなマスターとの対話は久しぶりのことでしたが、まばゆいゴールドの光と、情報が詰まった書物のようなものを受け取り、その瞑想が終了した後少し経過してから、言葉にはならずともマスター方から伝えられたことを解凍・解読しようとする作業の中で生まれた企画です。

この「マスター二人」は、一人は以前からたびたび見かける白髭の老賢者風マスターで、マヌに関する事で導かれる時にいつも登場する方。もう一人が、少し若く色黒で細身、以前お目にかかったことのあるエルモリヤ、サナンダ、セントジャーメイン・・とも違う、初めてお会いするマスターだったのですが、あの体験をしてから半年を経て、先月前触れも予感も何もない状態で聖堂中に「セラピスベイ」と響いてワークと教えを頂いたのをきっかけに、検索して画像をたくさん見るうち、「間違いない」と確信しました。

マンスリーイニシエイション企画の始まりから(7月企画・8月スタート)、繋がっていた、という訳です。

そして、イヤな思い出や戦いの記憶、痛みなどをともなう「エルたち」の魂=マヌ=ライトワーカーの過去の傷によるライトボディの傷を修正し、記憶を癒す、という先日実施の「エルたちの器・レストレーション」の終盤では、再び同マスターが登場し、儀式的な施術をいただきました。

今回最後の場面で、「白いローブ姿で輪になって座る私たちの、額に、孔雀色の光の炎を、点火してもらう」という儀式的なヴィジョンがありました。それを執り行っているのが、セラピスベイ、でした。ライトグリーンの炎の中に、芯として鮮やかなロイヤルブルー、という焔のエネルギー。

額の中心に頂くと、スウっとそれは中に入っていくようでした。そして「器」のプロテクションの光の幕が、その孔雀色の炎から、生み出されるよう。

(Monthly Ini 専用ブログに掲載した「エルたちの器」実施報告から)

「純白マーラ」は「シリウス系の白いエネルギーで、透明なほど波動が高いからGATも入っているよう」という認識で、レムリアンセイクレッドレイキのテキストを書いていましたが、日本や世界各地の石器時代人が繋がっていたシリウスの光でもあるし・・余りに普遍的な為に、深くそれ以上掘り下げるつもりも無かったのですが、扉が開いてから、次々と諸要素がつながり合い、全体像が見えて来ています。

そうなると、また新しい疑問が湧いて来ました。

現在、乳海光線として使わせてもらっている(「乳海撹拌」)イシスのエネルギー、そのオリジナルが「純白マーラ」であるならば、ジェネシス神話(『the Genesis』)のアトランティスの初期の時代、アトラスとハシスのそれぞれの信仰形態が、
アトラス=イシス信仰
ハシス=ソフィア信仰
であると(自分で)書いているけれど・・? 同時に「ハシスが滅亡したのちに、ハシスの地(中央ヨーロッパ〜アジア一帯)では、「白い神々の信仰」が継承されて、歴史時代の私たちの古典的宗教に通じている」と、以前から思っていて、セイクレッドレイキのテキストにも書いているし、上記の「二人のマスター」との邂逅のヴィジョンも、ハシスでのご縁によるものと感じていた。。。この件は、どう考えたらいいのだろう?

オリジナルイシス=純白マーラ は、アトラスの信仰であった? ハシスと、のちの時代の「白」信仰の接点は? ・・・そこで、ざっくりとした歴史しか取り上げていない神話仕立ての「the Genesis」には書いていない、アトランティスのアトラスとハシスという国、それぞれの個性と文化・宗教の流れを、より細かに把握する視点を持ってみました。

恐らく・・最初は同じく「白い炎」を、五次元から授かって運用していたことと思います。つまり、アトラスもハシスも「イシス神殿」で白い光を扱っていた。白いマーラ(母神)として。それが、どのように変遷していったか・・というのは、ひとつの国、ハシスという国の始まりから終わりまでを、追っていくという仕事になるのかなと。

新たな疑問からの、次のステップ。準備段階として、昨日は「世界樹メンバーズ」専用マガジン(note)「ジェネシスの方舟」でひとつ記事を書いておきました。「アトランティスの女神信仰その2」

考察を進めたことにより新たに浮上した疑問について、次に「その3」を書こうと思っています。中身は今はまだ分からないけど。きっとこれから分かる流れが来る。

グループ遠隔セッション Monthly Initiationは、この流れを受けて次回 12/3 は「セラピスベイの白い炎」です。(エントリー受付中)

今日書いた上の内容とは別に、ワークそのものについて示唆がありましたら、またワーク専用ブログに書き添えたいと思います。

Love and Grace,

Amari

:: A Diary からの記事の統合/今後のblog 役割分担など ::

みなさま、こんにちは。一年半前に Arganza の本拠地としてリニューアルしたサイトにあった 日記機能を使って、この一年半のあいだ、90件余りの日記記事を書いていました。それを、今回ふたたび Arganza の新拠点への引越しを機に、旧サイトを閉じる準備として、メインブログであるこちら、と統合することに。93件の記事の移転作業を終えました。

もともとこちらのブログには、「正式な読み物としての品質に」こだわろうという姿勢を持ってきた為、歴代の私のブログの中では非常に稀な、ゆっくりゆっくりの更新頻度となっていました。本業の仕事のほうで・・まあかなりの移行期・変換機の数年だったこともあり。

その分、それこそ歴代のブログたちのように、思ったこと・感じたことを日々書きつける場所は必要だったので、特にこの一年半は、上記の「A Diary」という場所が、サイトのスペースの中ゆえに、その隠れ家的な雰囲気がとても心地よく、気づけば沢山書いてきたようです。

けれど、もうそのある種、山に籠った時期は終わり。閉じようとしていた活動も再び再開したり、新たな発信の場をもうけたり、プロジェクトもスタートしている最近。本拠地のサイト新設にあたり、そこで表現していきたい、活動していきたいものの周波数や空気が、以前から用意していたこちらのブログに、ピタっと噛み合う時がようやく来ました。

そのあたりを、昨日 noteのほうの「日記」に綴りましたので宜しければ。

新設のサイトにも information のブログ機能はありますが、そこは専ら、お知らせをシンプルに書いていくとして。

エッセイ・コラム的なものは内容や長さによって、noteとこちらのブログを使い分けて行きます。ちょっとしたお仕事日記↑、タイトルの通りメタフィジ知恵袋↓ を楽しく書いていくnote,

今ご覧いただいているメインブログでは、日々の仕事や読書から印象的だったことの掘り下げ(笑)や、創作活動、世の中への思索など(これまで通り)。

そして、これまでのサイトでは infoに時に長々と書いていた「ジェネシス世界観」や「アースワーク」にまつわる、いわゆる Arganza の世界観の専門的な部分は、別途、noteのメンバーシッププラン「世界樹メンバーズ」で記事にしていく、という使い分けで、しばらくやってみたいと思います。

また、最近使い途に迷い始めた TwitterFacebookで、しばらくは今回奥の隠れ家からこちらへ移した記事たちを、見直し手直ししながら、シェアを出していこうかと思っています。

Arganza 新サイト:

www.arganza.earth

いつもありがとうございます。Love and Grace

エコ意識の世界基準とは?

少し前の「Newsweek」で『温暖化の明るい未来–人類はもっと地球温暖化に楽観していい』という特集記事があった。目にした時「いやいや、そんな事を言うと、ただでさえ危機感が薄い日本の人々、日本社会は、本当に楽観しちゃうよ〜」と思った。けれど読み始めると、なるほど。「もっと楽観していい」のスタート地点が、そもそも、世界基準と日本での問題意識のズレがかなりありそうだと改めて思った。たとえば、

アメリカなど10カ国の16〜25歳の若者1万人を対象に実施された2021年の調査では、59%が気候変動について「とても/極度に不安」と回答、半数以上が「悲しみ・無力感・罪悪感などを感じ、3/4が未来を「恐ろしい」と感じている、と回答した。31カ国の人々を対象とした22年の調査では、回答者の40%が気候変動への懸念から子供を持ちたくないと考ええていることがわかった。(Newsweek日本版 9/12号 P19)

こういった不安を「エコ不安」と呼ぶらしい。慢性的に、広く世界の国々にはそのエコ不安が、若い世代に広まっているようだ。

けれど、「まだ世界の終わりを嘆くのは早い」というスタンスで、各国や企業の取り組みの結果を分析し、未来のポジティブな予測に励む「新しいタイプの気候活動家」なる人々が出て来ているらしく、「エコリアリスト」と名乗っているのだとか。

この記事を読んでいると、先進国の社会のスタンダードでは、「慢性的エコ不安」により、「もう未来は無いのかも」と思っている人たちが多いのだということがわかる。なぜ?

報道されているからだろう、と。日本のテレビを見ていない私には、見えてないだけかもしれない。けれど、欧米や世界基準の情報に触れていると、こんな感じでいいのだろうか?といつも思う事は確かだ。エコ不安が漂っている・・なんて、あまり日本の社会を見ていて、感じられない。が、どうでしょうか、皆さんの周囲では?

実際に、日本は環境問題に関して消極的であるとの指摘が、かなりあるようだ。国や自治体の取り組みや、メディアでの取り上げ方などが足りていないと、尚更に、平和ボケで過ごしてきた国民としては、状況を把握出来ていないし、結果、行動も(環境問題や地球の未来のための)取れていないのではないか・・自分も含めて、そう感じる。

アメリカには、エコ不安を癒す「エコセラピー」を専門に行う心理学者たちが居て、「気候心理学」という分野さえ生まれているそうだ。

実際に、環境問題に目覚めている人ほど情報を集めては悲観的になり、エコ不安を超えて鬱にさえなってしまうという。

皆さんの周りで、エコ不安やエコ鬱、になったという話は聞きますか?

メンタル、しっかり気味の欧米の人々が、そんな状態になるほど、日々の報道や報告される情報が、大変な内容であるということ。

う〜む。色々な意味で、時代的なアンテナを立てることが欠如しすぎている、島国。に、なってはいないだろうか。汚している、という点では、海洋プラスチックもそうだけど、日本はトップというか、ワーストクラス。けれど、環境意識はどうなのだろう?

データや調査結果にもとづいて「まだ絶望するのは早いよ」という発信をする「エコリアリスト」ではなく、ただただ、無条件の楽観、「まあ大丈夫だろう」的な「空気」に、呑まれていないだろうか?

Love and Grace

変容期に湧いてくる、悲しみ、あるいは怒り

今回の「白い聖堂16」(20239月)は第三チャクラでのフォーカースが(当日セッション中だけではなく前後も)あったことを実感する。今は5日が過ぎて、チャクラの混線からくる息苦しさのような症状は消えて、周囲のライトボディも穏やかに落ち着いた感触。今回はなぜか、ピリピリした泡のようなものがオーラ体を刺激しているような体感、急な(不快ではない)ゾクゾク感(オーラの器が拡大する時の反応)など、直前〜事後もいろいろな体感が、さりげなくずっと続くような。変容が激しい時なんだろうな・・

 

それと、当日のセッションの直前、修了後、翌日、さらにもう一度くらい・・突発的な「悲しみ」がお腹の真ん中(第三チャクラ)にジュワっと出て来ては、数分〜数十分で自然と消える、を繰り返していて。普段、自分の現実や過去感情含めてまったく身に覚えのない、何かキッキケがあった訳でもなく急に浮上する感情的エネルギーというのは、誰か他の人の、特に第三チャクラの背中側からコードで繋がっている身近な人々の感情が自分に伝播している、というケースが多い。

同じく身に覚えなく急にやってくるけれどもう少し長時間つづく、全身の周囲、オーラ第二層のアストラル(感情)がその感情で染まり、全身で自分もそれに囚われるような現れ方をすると、「現実の自分には理由はないけれど、過去生やジェネシス層の大きめのストーリー、カルマパターンの浄化、解放が来ている」ということもある。これは、人格の自分にはまったく理由が分からないながら、抗えない悲しみや恐れなどに包み込まれて、長時間(2〜3日とか、長いと1ヶ月とか)続くこともあるかも。・・ジェネシスの原型神話が出て来た時、のような、稀に大規模なケース。

 

で、実はもうひとつあって・・・

最近では滅多に無かったから忘れていたけど、今回上に書いたような『突発的な悲しみがお腹の真ん中(第三チャクラ)にジュワっと出て来ては、数分〜数十分で自然と消える、を繰り返し』ということが、忙しく仕事をしている中で起きて、消えていくからまあよいか・・と思っていたけど、だんだんと理由を(過去の自分の事例から)思い出して来て、思考の中で繋がった。

仕事の上では良いほうへ、前に進んで行く時。そのための決断をする時。さらにソウルの仕事を前に進めて行く時。その直前、数日間くらいの期間上がってくる、できればその流れを止めたいと願うエゴセルフによる悲しみだ、と気づいた。細かい部分思い出せないけど、過去に何度かあった・・・現実も、仕事も、急流に乗って変容し続けていたころ。

 

当時はそれでも勢いに乗って、若かったし、実際に自分が何かを(連続するワークなどを)受講していたり、伝授を受けていたり、これが正しい道・・とはっきり分かっているレールの上に乗っていたから、悲しみ、に限らずなんらかの感情の浮上があれば「浄化だわ、浄化、浄化」で、前に進み続けたんだろうなと思う。今では自分自身で仕事も私事も決めていき、進むも止まるも、今後どうするかもすべて自分で判断・選択する段階に仕事人としても、個人の年齢や立場的にも、なっている訳だけど、「迷う」という余地はなく、ソウルの計画がなるべく前に進むように常に、人格部分を動かしているという状態。

だから、言ってみれば、潜在意識のようなレベルで、顕在意識化さえしない・・というか、取り上げようとしていない、パーソナリティの「声」が、ジワっとした悲しみとして上がって来たのだろうと。

 

人間界で生きていると、「何かを選ぶことは、別の何かを諦めること」あるいは「選択することは、もうひとつの可能性を捨てること」という言い方がなされるように、確かに生身の人間は万能ではないから、限られた時間や自身のフィジカルな現実の中で、出来ることを選び取っていかなくてはならない。

アルガンザが伝えているような「ソウルで生きる」ことは、アリス・ベイリー著書では「弟子道」という、高次元のマスター界の「弟子」であるというくらいの、人格にとっては覚悟がいる「道」である訳で、それが時に、(選択されないほうの現実への愛着やノスタルジーゆえに)悲しみと感じられたり、人によっては怒り、が浮上してくるものだと思う。

 

2〜3年は忘れていたその感覚が、久しぶりに浮上していたのだと感じた。「ソウルの仕事が前に進もう」としている時、毎回ではもちろん無いけれど、エゴセルフは悲しむ。ことがある。けれどもちゃんと分かっているから、ほんの数分だったり、数時間だったり。そして第三チャクラがそのあたりを整理する役目を担っているため、第三が反応したりする。(消化器系が今回、不調のような症状が出ていたというご報告も幾つか。実際には第三チャクラの、情報整理部門が頑張っていた証だろうと思います)

逆に。ヒーリングを受けていたり、メタフィジの勉強をしている人も、ヒーラーの仕事をしている人も、時折浮上してくる、大事な変容期だからこその人格部分の訴え・呟き・ため息のようなもの・・・・に、負けずに、「それだけ大事なステップなのだな」と感じ取って、躊躇わず前に進むことの大切さも強調しておきたい。

そうでもしていかないと、「ソウルで生きる」の道に乗ることは出来ないから。

 

そして、その時々の感情の山を超えてみると、「大した事では無かった」・・・と、リニューアル後の自分の目には映る。そして、エゴセルフのため息も統合して、前に進んでいく。その繰り返しで、人は個人としても進化していくし、社会や世界も変わっていく。

いつだって、成長や、調和への道、真の豊かさ、創造的なあり方・・を阻むものは感情反応であり、それを理由に、せっかく訪れている大きな変容気、変換点を、迂回してしまうのは勿体無い。もう一度螺旋を巡って一周してくるまでには、長い時間や、以前の選択から意識を改めさせるための現実の出来事に遭遇する・・などの、少なからずの労力と時間を要する。迂回した先で流されて、果てしなく遠くへ行ってしまうこともあるかもしれない。

日々の意識とセルフワークで、「自分」を構成するいろいろな要素、それぞれの声や反応を聞き分け感じ分けられるようにしよう。悲しみや怒りや混乱が浮上して来ても、それは、ソウルの仕事が今より更にうまく運んでいる軌道に乗るゆえの、人格の呟き、抵抗、自己主張であると判別することが出来れば、ソウルセルフの選択をする事が出来るし、人としての成長進化の波に乗れる。それは決して、パーソナリティを「犠牲に」することではない、と、経験から学んでいこう。

 

ちなみに・・(宣伝ですが)世界樹ブックス『ガイアナ神謡集』が「魂で生きるか、人として生きるか」をテーマにしています。両者の間で揺れ動くヒロインの星座を天秤座に設定しているくらい(笑)長い物語の間ずっと、その問い、感情と高次意識の間で揺れ動く心理が、ヒロインだけではなく主人公たちに。『ハピの巫女姫』は「女性性の癒し」をテーマとしますが、やはり同じく神性と人格のせめぎ合いはずっと、主人公の中では続きます(こちらのヒロインは乙女座)。。。ぜひ読んでみてね。(先日在庫切れを補充しています^^)

lumiereblanche.shop

 

Love and Grace

Amari

 

 

第四光線

台風が関東を、比較的静かに通過していった曇り空の土曜日朝。

ここ数日は、ジェネシスのバイブル本のサンプル完成〜ショップへのアップと受注(第一便の15冊がほぼ完売・これから印刷製本)、それと前後したリュミエールブランシュの閉店のお知らせ、ショップブログのUP、始動した「ドットアース」の事務的な作業、などなどに追われつつ、台風の経過を感じながらそろそろ秋期石ラボへの参考文献の手配などをして。まだ残暑はありつつ、季節の変わり目をしかと感じているところ。

タイトルにした『第四光線』

2025年に顕現、というアリス・ベイリー(ジュワルカル)の情報とともに、これまで文章では触れて来たものの、いまひとつ自分で掴めていなかった・・というか、2025年に顕現するということは、もうその影響下にあるはず。だけど、それを実感しにくいと思って来たここ数年。で、本当にこれが「調和と統合」に向かっている道なのか?と感じつつも、社会も個人も、夜明け前の沈黙あるいは、静かな拮抗を起こしていることの現れだろうと考えるようにしてきた。

・・・それが、最近ようやく、「ああ・・なるほど」と本能的に掴めて来た感じがする。2017〜2024年の7年間『ノアの方舟に乗るような時期』(石井ゆかりさん著書での表現)とも、感覚的にその、掴めて来た新光線の空気感が、繋がって来た。

そして、『ああ、人類は本当に、進化しなくちゃいけないのだなあ・・』と、そこに思考は落ち着く。

「試練を通じて進化する。その先の調和と統合。」それが第四光線。色は黄色〜オレンジだと言われている。

Twitter でフォローさせて貰っている『エコトピア』さんのサイトを先日何気なく見ていたら、以前知って衝撃的だった『ジョージアガイドストーン』についての2018年の記事が、先月のランキング1位に上がっていた。(どこかでも話題になっているのだろうか?)

 

タイトルにもあるように、陰謀論的な見方もあるらしいけど。真相は分からないものの、最初にこの石碑のことを知った時、メッセージはとてもシャンバラ的、神智学的だと感じた。「人口5億人」は引っかかるけど、もし、私自身が地球だったら、そう思うだろう。まして、今のような文明的意識をもつ利己的な要素が多く残る人類が、今のような数まで増えて、自然界のあちこちを破綻させている状況であれば。地球を生命の星として運営管理しなくてはならないハイラーキーも同じくだ。

この石碑の背景にどのような思想の人が居るのかは分からないけど、書かれていることは尤もな内容だ。

記事にあるように「日本語が無い」については、恐らくは使用している人口の数で、選ばれた8ヶ国語なのかなと。けれど、その時間軸は近未来なのかもしれない。フランス語も多い筈だけど入っていないのと、日本語は日本列島人以外には普及していない割には現在の人口からして今は11~13位くらいの人口だそうだから、8位に入っていなくてもまあ、良いのか。フランス人は英語が分かるから良しとされたのかな?・・だから、余りそこ(日本語が参加していない)は、気にしなくてもいいのではと個人的には感じた。

けれども、近未来、日本が「中国語圏」になっているという可能性も無くはないとも、思って(危惧して)いて・・・

人類全体もだけど、特別な何かを日本は高次から授かっていながらも、その役目を果たさない、果たせなかったらば、そういうことにもなる筋書きも秘教的にはありそうだ、と。

第四光線の顕現と、日本の状態というのは、大いに関係してくる筈だ。それがどちらに振れるかは、日本人の集合意識のありようで、第四光線の担い手として世界をさりげなく?導く(日本式で。リードするのではなく調整する感じで)ことが出来るか。平和ボケから抜けきれず、役目を果たせずに終わるか(・・ここに巨大地震や戦争の危険が直結して来そう・・)

まさに、5年以内にその答えが出て、15年後には結果が現れているのではないかと。もちろん良い方へとイメージしたい。これまで、私たちが生きてきた無条件の(日本をめぐる)平和という時代はもう、無いのだということは強調したいと個人的に思う。平和で安全だったから、特に何もしなくても、自分のことだけ考えていれば良かったのは、とても幸せな状況だった。それは平成まで。でも今はもう違う。平和や安全を維持するには、一人一人がアンテナを立てて、自分に出来ることを探していなくてはならない。

もうそういう時代に突入している。

Love and Grace