モノリス

またまた「古代の宇宙人」視聴メモ。アルガンザのジェネシス神話、の中のアトランティス中興記〜末期や、自分なりに20歳ころから考えて来た「超古代」(歴史として認められてはいないけれど存在していたと思われる失われた文明期)、その「空白」時代に設定を置いて20年前に執筆した「ハピの巫女姫」「ガイアナ神謡集」(現・世界樹ブックス)、そして、それらの背景にあるシャンバラを含めた多次元的な地球という構造論・・と、通じる部分多く、うんうんと納得しながら、理系の方々が解説したり実験したりで論拠を見せて頂けるので、ありがたく。

2009年の最初のシリーズ5話は全部見て、新しいヴァージョンも見ていると、同じ話題を改めて取り上げていることも多いよう。けれど繰り返して貰えることで頭に入るし、NASAや考古学的発見、各ジャンルから上がってくる最新の研究結果などは常にアップデートされる訳で、大枠は同じでも更新して再び番組に・・というのは更にありがたい。

今のところ、日本のことは全く出て来ないけど・・(それは雑誌「ムー」などを開くと良いのかな?日本ではきっとそうなりますネ)日本で発見された「特別なもの」と同じと思われる話が出て来た。最初のシーズン、第四話から。「モノリス」を扱った回。モノリスとは、巨大な一枚岩による石造物のこと。ストーンヘンジのような。驚いたのは、エジプトやメソポタミア、南米にもあるオベリスクは、一本の石で出来ているとか・・アメリカで近年作られ首都ワシントンに聳えているオベリスクは、石のブロックを積み上げているそう。

(その後、ほぼ全シーズン視聴しましたが・・日本の話題も時々、出て来ています)

前にもどこかで聞いたことがある、ギザのピラミッド「発電所」説。細い左右の通路から薬品(物質の名前を忘れた・・)を流し込み化学反応させ、地球そのものの振動(シューマン波のこと?)を起こす仕組みと、その化学反応によって猛烈な勢いで水素ガスを発生させ、ピラミッドの先端部から放電。それを、近くに設置されたオベリスクが受信して、バランスをとった形で(電波塔の役目)放流。世界各地にある受信システムがそれを受信する。ストーンヘンジのような巨石建造物もその受信システムだったかもしれない。という話。

もちろん、太陽崇拝や天文観測の意味もあったと個人的には思っているので、ストーンヘンジ自体がどうかはわからないけど、ピラミッドとオベリスクに関してはとても納得。エチオピアにもオベリスクがあるそうだ。古い文明があると言われている場所だし・・(日本には無いのかな?もしあるとしたら、きっと熊野ではないかと直感的に思った。

モノリスの例として、ボスニアヘルツエゴビナやコスタリカで見つかったというほぼ完全な球体の石。わずかな誤差しかない球体を、硬い花崗岩で作っていて、大きいものだと直径3メートル。・・・これです、これ。奈良県の「神野山」付近で、工事の際に直径7mの巨大な球体が幾つも発見されたという話。近くには様々な超古代巨石文明の形跡が見つかっているよう。大好きな羊がいる牧場も近くにあるからぜひ行きたいと家族に頼んだものの、奈良に住んでいる間は見に行けなかったなあ(車が無いと行けないような所なのです)。

真剣になって探せば、きっと日本も。いや世界中で、アトランティスの痕跡も見つかるだろう・・し、ハンコック「神々の指紋」のように、頑なに有史時代の遺跡だと言われているようなものの多くが、実はアトランティス・・や、(名前は何であれ)有史以前の遺跡であることは多々なのだろう。インダス文明の遺物と言われているモヘンジョダロが、核爆発で滅びたという形跡が見られるという研究もあるとか。南米にも。そうそう、リビアングラスも、核爆発から生まれたガラスではないか・・という話もあった。インパクトガラスと言われているけど、隕石が落ちた場所が特定されていないのだとか。

オベリスクに花崗岩が使われているのは石英の結晶を沢山含むゆえで、伝導率を上げるため。波動を変換して電動するクォーツの力を応用したのだろうという話も。水晶の誤用・・でアトランティスが滅んだという説も確かにある。そうだ、カイラス山が、東洋の発電所だったという仮説も登場! カイラス、語源のカイラーサ(サンスクリット)が「ケーラーサー」=水晶、という説もあるので、水晶と発電・送電、の関係からも気になる。

アトランティスから今の文明期への切り替わり時期は、本当に興味深い。

そういう意味で、歴史はミニチュア化して繰り返すという事を改めて感じる。ミニチュア化、というのは、神智学では前文明のテーマやあり方を小さくして、次の文明の初期段階で体験・おさらいするという考え方がある。いや、本当にそうだと思う。それについても書きたい所だけど、長くなってしまうので、また。

Love and Grace

月の裏側

このところ毎度毎度の『古代の宇宙人』通信です・・

先日の朝、現在リアルタイム配信の、第111話(だったかな。凄いですネ〜この内容で100話を超えるとは。毎回1時間のボリューム)で、「月の裏側」の話をしていた。地球からは見えない月の裏側に宇宙基地がある、説。内部が空洞であることはNASAの見解でもあるとか。内部と、裏側に、何かありそうだという話。

時折、ツイートその他にも書いているように、私は月とは微妙な存在だと考えている。もちろん、現在の自然界や人間のあり方、つまり地球の生命の現状は、月がなくてはあり得なくなっている。それを恩恵と捉えるか、否か。

以前は普通に、月が好きな日本人、のひとりだったけど、いつ頃からか。ヒーラーの仕事をするようになってから、何か引っかかると感じて、そのうちにニューエイジ系の書籍でも月と陰謀説を絡めたお話を目にしたりしていた。けれど、陰謀説については私はまたちょっと独自の考えがある。それはジェネシスにて整理されつつある。つまり宇宙の視点を持てば白か黒かの問題ではないということ。

今日はそれは置いておいて・・月の裏側、について。

ジェネシス神話をまとめていた時にシュタイナーの記述に出会い、自分なりにその辺りを整理した。かつては地球を納めていた「古き神々」が、新しい「神々」と懐を分かち、地球を去っていく。その際に、月を拠点にして、月の内部に止まり、地球で生まれる生命を自分たちの影響が届くようにした。シュタイナーは、「生殖だけに関わるようになった」と言っている。それを参考にジェネシスでは、感情や欲望、も月に支配されていると。

旧約聖書にいう「失楽園」からの、アダム(男性性)とイブ(女性性)への神の「呪い」は、これを表していると考える。

生殖、つまり月経や出産。そして性衝動、それ以外の感情や欲望、利己、などについても、月が関係している・・と。

上記番組では、「古代に飛来していた宇宙存在たちが地球の文明の始まりに関与し、その後去っていった。月に基地を作り、見守っているのでは」という表現に留めていた。二勢力の争い、のような話はここでは踏み込んでいない。(先日書いたように、別の回では「神々同士の戦い」を特集している)

確かに、地球上に今、生命が溢れているのは月のお影だ、というのは分かる。けれど私の宇宙人的(水瓶座的?)思考では、もし月が無ければ、無いなりの生命圏が生まれていたのではないかと。それはそれで素晴らしい、美しいものだったかもしれないし、また違ったドラマが展開していたのかもしれない、と。

月は内部が空洞の、巨大な「人工物」で、基地であることが知られないよう、星に似せて作られたもの。。とか。

地球にマルデックがぶつかって、別れたものが月になったという話は有名だけど、宇宙人ならば計算により故意にそれを引き起こし、配置することも出来るだろう。人工物、あるいは計算された結果じゃなければ、地球からの距離と月自身のサイズで、日食や月食が起きることを偶然で済ませるほうが寧ろ不自然だ。

極論を言えば、月に愛着を抱いているうちは、ヒトは、進化よりも肉体的感性、物質的視点、感情的思考、に支配される帯域から、抜け出せないのではないか・・

進化の道は、太陽の道なのだ。

とはいえ、ジェネシス神話をまとめながら、高次から受け取っている重要なメッセージ、マヌたちの役割は、「和解」である。成長させまい、進化させまい、自分たちの星の自分たちのものである・・と人間を位置づけ、生殖や欲望を通じて支配しつづけている「母たち」を、退けるのではなく。和解とは、一体どうするべき事なのかと、ずっと考えて来た。

ひとつだけ分かっているのは、私たちの内側で、それは為されるということ。

ニンゲンが、現在の自分たちの親である「神なる世界」と、それと対立してきた、まだ「利権」の一部を握ろうとしている「古き母なる神々の勢力」による影響を、自分たちの中で「和解」させる他ない。これは、単純な白と黒という問題ではなく、より複雑かもしれない。

以前この状況を、韓国時代劇の、「ジョナー(王様)」と「テビママ(王の母)」に喩えてFB等に書いていたけど、テビママにはやはり重臣、一緒に謀(はかりごと)をしている権力者のネットワークがあり、まして、ジョナーの母親なのだから、事は複雑だ。宇宙においても、偉大なる母たち・・への敬意は守られるべきという考えがあるよう。けれどジョナーが誠意と敬意を尽くしても、テビママの要求は自分本位で、権力や影響力を息子に奪われると言って難題を押し付けて来たりする。。

ジェネシスのバイブルも、アトランティスを描いた小説(執筆中)も、目下その「和解」についての考察が、テーマのひとつになっている。日本古代史小説もそうだ。。

だから、現在のフェミニズム思想、スピリチュアルと結びついたフェミニズムの盛り上がりに、大きな可能性を感じる。

ちょっと荒らされている、乱されている感じもあるけど・・ ちゃんとしている人たちも沢山いるはず。自然派、ヒーリング、太古的フェミニズムの見直しなどが、今後重要な役目を果たしていく。(と、20年前から思っている。)

視聴した番組からの考察メモとしてこちらを書きつつ、以前から「あとで買う」に長いこと入っている人類学者レヴィ・ストロースの「月の裏側」を思い出して注文した(笑)。それは宇宙基地の話ではなくて、日本文化や日本人についての考察の本。

ではでは、今日はこのくらいで

Love and Grace

Amari

 

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地球を守る力

先日も日記に書いた、ウェブ配信の「古代の宇宙人」シリーズ。今朝はクロップサークルと、古代の神々(宇宙人同士)の戦い、を見た。予備知識が無かったものの、毎日一度は見る時間があって、番組の特徴、構成が分かって来た。たくさんのテレビ配信サービスがあると言われるアメリカで、ヒストリーチャンネルという、名前の通りのチャンネルによる番組で、どうやら、この筋、つまり地球には昔から宇宙人が来ていた、今も関わっている、というジャンルで著名な本を書いている著者が次々と登場して語っている。

皆さん、だいたい同じテーマを踏まえているから、毎回テーマごとに、複数の著者や博士、時折それ以外の証言者が、同じテーマに対してコメント。その証拠画像や参考資料、再現CGや、実際に遺跡などを訪問した映像などが組み込まれている。見ているうちに次々とテーマも変わっていく、テンポが早い番組。私個人としては、今のこの時期、これを見始めたことが偶然とは思えない。もっとも、日頃から見る映画やドラマ、NHKのドキュメンタリーも含めてすべて、シンクロやタイミング的な意義を感じ、何かしらに繋がっていくので。

そうそう。もちろん、主題である「古代から宇宙人が来ていて、地球に関わっている」ことは分かっているし(笑)、出てくる話題はほとんど既に、これまでの25年くらいの読書や探究で知っている事が多く、それと、ヒーリングの現場で見て来たこと、体験するエネルギー、神智学からの情報も含めて、総合して私の中の「地球の宇宙史」が出来て、『ジェネシス』になっている訳だ。驚く事ではないわけだけど、二つ、今の自分に響くポイントがあると感じた。

ひとつには、本を買う時や、何らかの情報を受け入れる時、私は必ず著者や提供者の人相をじっと観察。エネルギーを感じて、判断するようにしている。日本語訳されて日本の出版社を通していると伝わりきれないものが、名前を知っている著者が実際にVTRで話している姿を見ると、人相やエネルギーがとても良く分かるので、画期的。「マル」と判断した時に、その著者が語っている情報は信憑性をもって入って来る。本の活字から伝わっても来るけれど、リアルさが違う。声、英語の発音、目の輝きや言葉のリズムなどに、何か・・ジェネシス原型の各種の宇宙エネルギーと結びつくものがあるのだ。

もうひとつ。ヒーラーとしてのセッションの現場での体験と、それが何であるかを知るために取り入れるようになった神智学やシュタイナー、インド思想や、昔から好きだった各国の歴史・文明史・人類学・民俗学・神話学・宗教学などの雑学的知識が結びつき、かつニューエイジのチャネリング情報なども参考にして、整理してきた結果の「ジェネシス」世界観。そうしよう、と思った訳ではなく、あくまでもヒーラーとしての仕事からニーズを感じて、深めていくうちにそこに至った。ジェネシスのような絵巻に「したい」と自発的に思ったことは、そういえば一度もなく。気づいたらそこに向かっていた、という感じ。

一方で、この番組で語っている著者の方々は、実際にある古代遺跡、次々と新しく入ってくる考古学的発見、UFO目撃情報、英米では珍しくない元々あるこの手の研究分野の新情報、そして神話や古代文献などの調査・・・・など、ジャーナリスト的に調査研究し、本を書いている。ヒーリングが属するニューエイジのように、「宇宙人とチャネリングしました。それによると地球とは・・」という話ではない。物的証拠や文書を当たるという点で、アカデミックな研究や、ジャーナリズムと同じ方法で本を書いている人々だ。

その情報が、自分が違う方面から集めて、構築してきた世界観と符合し、裏付けられていくのは、重要なことだと感じた。

その双方が功を奏してか、この番組を見ると波動が上がるし、意識が活性する。単にその手の情報が自分をそうさせる、というのもあるかもしれない。けれど、読書とは違う効果があるよう。最近は、その日見る内容を事前に夢で見ていたり、前日考えていたりして、番組を見て符号したことでまた、新たな気づきが付加されたりもして、自分でも驚いている。

もしや、レギュラーのコメンテーターのうちの何人か、本当に宇宙人(良いほうの)かもしれないと、思ったりもし始めた。(笑)

今日見たところから・・メモ。

地球を取り巻く磁気層、ヴァン・アレン帯は、隕石の落下や良からぬ宇宙勢力の攻撃から地球を守っているとも考えられる(現実的な科学者たちはもちろん別の事を言っているが)。シベリアに古くから現地の部族民にも伝承されている「大釜」(金属で出来た大きな釜のように彼らには見えたのだろう)は、地中に眠っていて、必要になると地面から出てきて、空から来る危険なものを撃ち落とす。。

それらについて話者たちは、インドや世界中の神話に見られる神々同士の壮絶な戦い。その戦いに勝利した神々が、地球と人類を守るために設置しているのではないか、と語っている。

人類を生み出し見守っているその勢力に対して、いまだ諦めずに人類を自分たちの為に利用するか、地球を狙っている、人類の未来の進化を恐れる別の勢力が、たびたび侵入を試みている。つまり、地球と人類をめぐる神々同士の争いは、今も続いている。

これはまったく、ヒーリングという特殊なジャンルの現場で、人々と、それを巡って起きている宇宙エネルギーの関係性の、古くは数億年前から、今に到るまでを見て来て、実感とともに納得する。

「スピリチュアル」な分野で、未来へのメッセージを受信し、宇宙からのエネルギーを運用する人が出てくればまた、同じ分野に紛れて、良からぬ(地球や人類を愛している訳ではない)エネルギーが似たようなことを通して、逆の効果を挟み、「良い流れ」を邪魔立てする。

これがきっと、どの分野でも起きている。

つまり、現状からしてノンデュアリティなどまだまだ程遠い。人間が賢く、その見えない善悪の攻防を見極めて、判別し、自分の生活や人生や判断を善の力、愛の力とともに作っていく時代の先には、自然と、二元性の相克が終わる時が来るだろうということ。

まずは多くの人が「気づく」こと。そして「見抜く」こと。そして「選ぶ」こと。

まだその段階なのだ。というか、今その時が来ている。分岐点。

ももクロちゃんの『Neo Stargate』が頭の中で流れ始めたゾ。(笑)

Love and Grace

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シナプスの組み替え

第一回目、4月30日の「白い聖堂」の余波による調整が、まだ続いていたよう。「ここ数日頭がクラクラ」と一昨日「お知らせ」で書いていたけど、実は一昨日〜昨日の朝にかけては頭痛も。時折ある、シナプスの組み替え、かなと気づく。

昨朝まだ余韻のような頭痛があり、・・いつだろう? お昼ころかな? 痛みが抜けて、今度は入れ替わるようにハートで何か始まったよう。シャンバラからの受信・刺激はヘッドセンター(松果体〜脳下垂体)から来る。マスター界からはハートに来る、と A.Baily にも書かれている。それにしても随分長く影響が続くのだな〜 今日で2週間か。

ヒーリングセッション等を受けた後に、頭痛がするのはシナプスの組み替えだ・・と教わった媒体が何だったかな、もう忘れてしまった。ライタリアンのテキストかな。ヒーリングはエネルギーによりライトボディにある情報が変化し、肉体に降りてくる段階で、脳にも変化が起きる。意識の変化。

今までの感情や思考パターンの中から、要らないもの、成長進化していく、癒され解放されてより創造的になっていくために邪魔になっている思考回路などが、組み替えられる必要があるから、実際に脳の思考パターンや記憶を司っている領域で、神経節(シナプス)同士の組み替えが起きる。ということだろう。極めて科学的。

以前やっていた『意識の学校』というマスタークラスで、脳科学も少し取り入れた。ヒーリングを考えていく上で、重要な分野のひとつ。最近の研究で、相互につながり合いも見えて来ている量子物理学も。ユングの原型論なども。・・それらの内容に通じるものを既に数千年前に語っているインド哲学も。・・・このあたり、すべて『意識の学校』でかじっていた。広げすぎた上に熟成できないうちに三期で終了になったクラスだけど、内容的にはとても大事な部分をカバーしていると思う。

同時に、ひとりひとりの学びの習得の仕方は本当に様々で、ヒーラーとしてのタイプ論と、ジェネシス原型なども固まりつつあった時期だったので、インド哲学の古来の学びの方法に乗っ取って、マンツーマンでよくその人の話を聞く。そしてリアルタイムでその人向けの「意識」のための教材を用意して導入していく、という方法を取っていた。アリス・ベイリー等の学びも同じくで、深めれば深めるほど、やはり学びは個人的、パーソナルなもの、になっていく。

初級〜中級においては、カレッジでやっていたように、クラス制度、楽しい交流、分かち合う場所、が、励みにもなり、力にもなる。それぞれ良い部分がある。今年これからリリース準備をする新しい「カレッジ」は、基本的にティーチャーとのマンツーマンで、遠隔・オンライン・自習(通信教育)で構成されるので、上記の双方の良いところを併せ持つような形に出来るかな。カレッジ終了後に実施していた「インテンシブマスタークラス」で既にその試みを敷いているけど、運営をお任せするティーチャーさんたちがやり易い、進めやすいという視点でも、(私自身がティーチャーである時とは違う)改良、改善を入れていこうと思う。

また、課題がひとつ・・遠隔では伝授が難しいセイキムレイキのこと。盛大な儀式的な、ティーチャーが動き回り体力も使う伝授。最初に日本に入って来た時、20名以上を同時に伝授したという話で・・・いや〜すごいな。アルガンザではいつも3名だったけど、準備から当日から、エネルギーの動きも相当で、ティーチャーの力量が試される伝授なのだ。

カルナレイキとは違い、事務的な規則が無く、テキストもティーチャーが独自に作っても良いと言われている・・・ 伝授の遠隔可は私の感覚でちょっとまだ抵抗がある。やはり、あの儀式感を現場で、味わった方が良いと思うし・・・できれば2名以上のグループが、良いと思っている。マンツーマンでも何度か実施したけど、グループだとそれなりのテーマが動き、学びも深まる。アルガンザのテキストを書きおろそうかとも思っているけど、それを挟むと、カレッジのリリースがだいぶ先になってしまう。う〜む。

Amari’s Works 、ヴァンダームワークの二つがセイキムと関係して生まれた様に、ジェネシス概念の整理の行程にも、セイキムは欠かせないものだったように、とても重要なワークなので、セイクレッドレイキのリニューアルを終えた今の目下の課題は、そこ。どうせならば、アルガンザオリジナルのテキストで、新しいカレッジの皆さんに、ご提供出来るのが一番だと。

そうだ、セイキムレイキのページをまずは、参考ページとしてこのサイトに出そうと思っていたんだった。忘れてた・・・(最近多いな。アラフィフな私。) まずはその作業をしながら考えてみよう。

昨日ニュースで「天の川銀河の中心のブラックホールの撮影に成功」とあったので、タイミングも感じる。

Love and Grace,

Amari

仕事のうつわ — 「仕事」で傷を負ってしまった時の分かれ道。

最近、見ている韓国ドラマは(常に何かしら見ている)『霊魂修繕工』・・見た方いらっしゃるかな? 霊媒師の話?と思ったら精神科のドクターとその患者である女性のラブ?ストーリー。

前に見ていた『マイディアミスター』についても、ヒーリング効果、ジェネシス原型を絡めて一度書こうと思っていたものの、まだ。←こちらもおすすめのドラマです。「霊魂〜」については、完璧な、他とは違うハートフルな、患者に徹底的に寄り添う精神科医・・・のように見えている主人公が、実はトラウマを抱えていて、PTSDで、周囲の仲間たちも認めるほど「病んで」いて、それを癒さないまま、罪の意識からワーカホリックになっている、という真実が、だんだん、明かされていく。

その先、どうなるのかな? きっと患者であるヒロインによって彼も癒されるのだろう・・ けれどまだ見ている途中。それにしても韓国ドラマは、ラブコメだと思って見始めても必ずと言っていいほど、それぞれが抱えているトラウマ、過去の深い傷、インナーチャイルドなどにスポットが当たる。時代劇だともう少し型通りという感じだけど、その分だけ「人間とは」「人生とは」なんぞや、の深いテーマが見え隠れする。きらきら系時代劇だと、現代ドラマの形態に当てはまるのか、やはりトラウマ、インナーチャイルドが出てくる。とにかくは心の傷、深い部分を扱う事が当たり前のように。

もともと遺伝子的にも近く、儒教や仏教の影響という点で、国民性もかなり似ているとは言え、やはり大国中国で常に起きている政変に巻き込まれながら、緊張感とともに生きてきた歴史は、平和ボケの(平和でありがたい)日本の歴史と、その結果の国民性とは異なるものを感じる。日本国内でも東北と西日本、九州、それぞれに「国民」性があるように。深くて深刻な文学や音楽が生まれるのは、ドイツや、ロシアなど寒い国・・であったり。歴史や風土から生まれる国民性というのは、やはり影響が大きい。

あっっ また話を広げてしまった。人を癒す仕事をする中で、自分が傷を追ってしまう事。その仕事それぞれに、はまってしまい易いテーマはあるし、はまってしまった時に、スイっと平常運転に戻れる人もいるだろう。変に真面目で人間愛が深く、仕事を生きがいだと思っていたりすると、長く引きずってしまうのだろうな。精神科医ともなると、下手をすると自ら、精神を患ってしまう(事も少なくない)と聞いたり、本で読んだこともある。

仕事をする上で起きた「事件」を、深い傷として自らに刻む事なしに、「仕事だ」と割り切って「こなす」先生になっていくのも、ひとつの道だと思う。一方でドラマの主人公になるようなキャラクターはきっと、その深い傷を乗り越えて、前よりもさらにヒューマニズムに根差した、愛に溢れた器の大きいドクターになっていくのだろうと思う。

韓国時代劇だと「可哀想な王様」がよく描かれますが・・若い頃は名君だった、とか、途中までは良き君主だった、という謂れとともに、心に傷を負った投げやりな暴君になっていたりする。この世には理不尽がいっぱい。最初は若さとともに希望や喜びで歩み出していたとしても、それぞれのフィールドに巣食う良からぬエネルギーと対峙し(周囲の人間や起きる出来事としてそれが顕現し)、問題はそこから先・・「こなして」いくか、「乗り越えて本物に」なるか、失敗すれば「壊れて」しまうことも。仕事に限らず、誰もがそのような課題に出会う人生後半、なのではないかな。

多くの人は「こなして」いこうとするだろう。だから、そうではない人がドラマの主人公として描かれる。本当はどんな生き方が美しいか・・を、人は知っているから、そのストーリーに惹かれる。

その「美しい生き方」の法則、そこに「シリウス」や「シャンバラ」が、あてはまると思っている。そのように生きなさい、と私たちの魂が言われていること。恐れではなく、愛を選択し、昨日よりも今日、今日よりも明日、大きな器に、より洗練された魂になっていなさいという、教え。

みんな、本当はそれを知っている。だからこそ、ヒーローとは何か、美しい生き方とは何かをドラマや映画、古くは神話、小説で描いている。それがシリウス、シャンバラの教えだ。と私は思っている。

けれど、そう出来ないという選択。愛よりも、恐れゆえの「安全」「保身」「不安を埋める」ために選択していく人生・・・は、多くの、普通の人々の人生であって、そんな姿がドラマや映画になって、うけがちなお国柄もある(それは日本)。さらには、堕ちていく主人公の物語がうけがちな事もある(社会が病んでいるから・・)

そうそう。人類の親だから、本当はみんな「シリウス」「シャンバラ」をよく知っている。だからこそ、そう出来ないという自分が(逆の力による影響が)強ければ強いほど、心がムズムズしたり、反発を覚えたりする。

難しいことをする必要はない。ただ、恐れよりも愛を選択する。利己よりも利他で思考する。という仕組みを、人生の中心に据えておくといい。そこが強固であれば、それと合わないもの、集団、人、と出会った時にも対処しやすい。揺れ動いていると、いつでも絡めとられるから、迷ったり、戻ったり、で、自分の心も落ち着かない。更に真面目さを放棄してしまうと、思考停止で、ただ潮の流れに乗る人になってしまう。

私が、新卒で入った最初の(かなり大きい組織・知らない人は居ない)企業の「新人研修」で言われたこと・・「上司の言うことを聞く人が出世します。仕事ができる必要はない。」

その会社に入って悩み始めた時、先輩に言われたこと・・「真面目なやつほど、みんな辞めていく。俺みたいにいい加減だとずっと残るけど。」

その会社を辞めた後に入った研究施設で、先生方いわく・・「本当は、どうすれば〇〇を防げるかの方法を専門家は知っている。けど、〇〇業界とビジネス的に癒着しているから、それは置いておいて、適度な効果をもたらすものを商品として開発する」

それから二十年以上経て、今の日本社会は、国際社会は、変わっているだろうか?

そのような社会構造や、人々の意識を、「神なる世界」は放っておくだろうか? 本当に今、人間は試されている。ある意味、追い込まれている。最後のチャンス、というくらいに。それをヒシヒシと感じる。

Love and Grace

Amari

「進化」とは、世界が平和になること

 

約一年ぶりの記事になってしまいましたが、今年に入ってから、Instagram で散文的な文章を綴り、また3月には二年越で細々と準備していた新しい「オフィス・アルガンザ」のサイトを公開し、新しいメニュー、ページも書き下ろしたり、サイトのInfo やDiary にも日々の呟きや伝えたい事などを、割と頻繁に書いています。

以前のペースにだいぶ戻って来たかな? しばらく「書かないように」していたのは寧ろ、自分にとっては例外的な期間でした。その分、ショップの商品ページが長文になったりして・・

このブログを、基本的には「書き物」の本拠地としたいのですが、仕事の全体像から言って準備が整わず、の日々でした。今後は、少しこれまでよりはリズムが出来てくるかと思います。

数年間かけて行ってきた「移行期」の、これまでの仕事の整理と、これからの仕事の準備。今年度は、移行期の最後の一年として、少しずつ、「これからの仕事」の一部分が表に出せるようになって来ました。その一連で、浮かんで来たメッセージを、今日も書いてみます。

「進化」とは、世界が平和になること

先日、12年ぶりにリモート(遠隔)グループセッション(『白い聖堂』旧・シャンバラ光の学校)を行うにあたってのページ作りで、「進化」「進化」と連呼していて、神智学などメタフィジカルな学びと、ヒーリングという分野を通じて歩んで来た自分としては当たり前の概念・言葉なので、普段は特に説明することもなく書いている訳だけど・・ふと、

「わたし別に進化なんてしなくてもいいワ」という、昔、時折サロンで聞いたような言葉を思い出して、ああ・・確かにそういう人の意見、少なからずあるなあ。特に日本社会は、平和なお影で「世の中を良くしよう」みたいな話が苦手で、引いてしまうし。若い人々の間では、「意識高い系」なんていう分類のワードも存在するよう

・・・・「系」も何もなく、当たり前の事なんだけどなあ・・ といつも思っている訳だけど、そんな「別の視点」が、頭を過ぎりました。

ヒーリングなど「スピリチュアル」な分野でも、話がオオゴトになると引いてしまう女性たちが多いし、俗の友人たちでも、「歴史」や「国際社会」みたいな話題になると「壮大だね」「知識が凄いね」「勉強してるのね」と返ってくる。いやいや、普通の思考なんだけれども・・と、若い頃からそれは変わらず。皆、面白がって私からそういった話を聞き出す時間を楽しんでくれてはいたけど・・・

年を重ねた今は、日本がそれだけ平和であり、また女性たちが、あまりややこしい事を考えないように育てられているという社会の性質ゆえだと思っている。

最近、ジェンダー的な話題は盛り上がりつつあり、何よりだと思うけど、実は女性達の方が社会的責任を自分が背負うことを望まない傾向が、日本にはあると私は感じる。自分はシングルマザーを自営業でやって来て、父親的な、世帯主・事業主としての役割と、母親としての役割を一人で両方やって来て、

普通ならば男性たちが味わう、家族を背負う責任感、そのために常に意識を張り詰めている世帯主としてのプレッシャーから来る、自分自身の不自由さと、口には出せないやるせなさの様なものも、理解出来る。女性側の、子供の母親としてのプレッシャー、家事に追われる辛さ切なさも、理解出来る。その上で思うのは、ジェンダー問題よりも前に、一人の独立した人間として、自分の頭で考えること、自分で結果に責任を持つことを前提に選択をすること、が、日本人には欠けがちで、潮の流れに受け身で乗っている、という、大衆意識が強いと思う。

歴史もあるし、風土が培った国民性の結果だから(日本の、日本人の良い面もたくさんあるし)そこを批判するのが目的ではなくて、『進化』という意識が、なぜ日本社会の空気の中で育ちにくいか、定着・浸透しにくいかを説明するために、今、そこに触れている。

アルガンザのワーク、ショップに綴る文章、SNS等でも、当たり前のように「進化」「進化」と書いてしまっているけれど、人によっては上記のように、「別にそんな必要は。楽しく生きていられたらそれでいいケド・・」と思う人も居るかもしれず。

そういえば昔よく母親に言われたっけ・・・(私が)自分では、皆が同じように分かっていると思って説明を省略して、その先の話をしているせいで、話が通じず、誤解されがち。と。

友人たちにも「私たちのところに降りて来て」とよく言われたっけ・・(笑)

『白い聖堂』について、シャンバラ、神智学について書いていて、ふとそんな事を思い出していたので、今日は原点に立ち返り、「進化とは」「なぜ進化することが必要か」について、伝えておこうと思う(ここまで前置き。笑)。

社会は様々な問題を抱えている。地球の自然破壊もかなりの所まで来ていて、昨今、それらの多くの課題が、世界的にSNSなどのメディアを通じて共有され、「エシカル」意識も普及しつつある。言葉としては飛び交っていても、やはり日本の人々の構えはまだまだ、世界基準に比べると足りていないのではないだろうか。

自然科学の分野では定説として、地球上6度目の大量絶滅が、人類によって引き起こされる、いや、すでに始まっているとも、言われている。

自然破壊、社会的格差、貧富の差、医療などの地域差、飢餓の問題、そして戦争。

それらの原因はと考えていくと、当然ながら、人間の利己や利欲、無知、怠惰などの種族的に持っている「欠点」ゆえの、結果の現象化に他ならない。

そのままにしておくと、地球上の問題はさらに進み、もう手遅れということになる。なぜ、問題をそのままにしておけない、と思っていても、人類総出で急いで何とかしよう、と団結して、一気に解決したりしないのか? どんな分野でも同じで、良い方への変化を、常に邪魔する力は働く。個人の人生、生活のレベルでも、社会レベルでも。会社などの組織でも、良い方への変化の流れは、そう簡単に為されないのは、大人ならば皆、経験していることと思う。

人間の中には良心、善の性質、仏教で言えば仏性(ブッディ・慈悲)、無条件の愛、があって、自分が悲しい思いや苦労をした人が、「こんな想いは自分だけで沢山」と発言する姿を、見たことがあるだろう。そういう人が、社会を変えなくてはという運動に着手する、というケースも少なくない。

一方で、人間は、逆の力がフックするためのネガティブな種も持ち合わせている。分かり易いネガティビティだけではなく「怠惰」や「人任せ」のような、インド思想で言ういわゆる「タマス(怠性)」もまた、人や社会が良くなろうとする時に邪魔をする要素になる。日本人はこの要素が強いのだろうと思っている。逆の「ラジャス(動性)」が足りない、とも言える。

ヒーリング、という分野でサロン、スクールをしてきたアルガンザの活動を通して、癒しや成長が人をどれほど、輝かせるか・・を目の当たりにして来た。エネルギーワークでヒーリングが起こり、日々のメンテナンスをするようになると、肉体・エネルギー両レベルから綺麗になっていくので、印象や顔つきも全く変わっていく。生き生きして、最初にお会いした時に被っていた影や重さが消えていくので、それぞれが持っている個性の魅力が開花していく。

ご本人ももちろん、生きることへの苦しみが減って、思考や感情が変わり、周囲の人々や家族にまで、時にその変化の波は波及する。

これを、大きいスケールで考えてみれば当然、社会や、世界全体が、苦しみや問題を手放し、創造的で自由になり、争いや不平等もなくなり、比較や嫉妬や破壊もなくなり、地球の自然界も守られて、世界が平和になっていく。・・・当然、そうなるだろう。

けれど、

外に広がっている、私たちが所属している、社会や物理的な現実の中では、ヒーリングやエネルギーワークの成果・効果は立ち消えやすく、影響を受けて乱されやすく、周波数をずっとキープしていくことが難しい(それゆえにアルガンザではセルフワークを何より重視し、クライアントや生徒さんたちにオススメしている)。

ヒーリングを受けた効果は一生消えたりはしない(オーラ体に記録される)けれど、自分の周波数が落ちてしまうと、その周波数の自分でしか存在出来ないのだ。癒しや解放が起きた時の周波数をキープしてこそ、変容の一歩一歩を、確実なものにしていける、ということ。

楽器の練習や、スポーツのトレーニングや、バレエのレッスンと同じだと思って欲しい。ずっとその意識、周波数を続けていかないと、今は、難しい。衰えてしまう。出来たことが出来なくなり、逆戻りもしてしまう。「今は」というのは、集合意識、人間社会の意識場、エネルギーが、まだそれだけ荒々しい故だ。

一人一人が、ネガティビティを自分の中で克服し、意識的な変化を起こしていかなければ、社会、世界は変わらない。けれど、自分がまだ、生きることが苦しかったり、目の前の問題に追われていたりすれば、当然、まずはそれを解決させなくてはならない。癒しや解放を経て、生きることが楽になったり、問題の解決方法の糸口をつかむ(スピリチュアルな意味での)知恵を身につけることが出来た時、当然、次の扉が開いていくものだ。

世界がなぜ、大変な問題を多く抱え、六度目の大量絶滅を迎える日が近いとまで言われているか。それを回避し、世界が存続して、地球上で人々が、自由に創造的に、健康的に暮らせるために、どうしたら良いか。同じ仕組みを、ヒーリングを体験し、効果を実感した人は、個人レベルで身をもって知った筈だ。

けれど扉の向こうに、歩みを進めようとする人は少ない。

立ち止まったり。戻ってしまったり。そこに、人間が良い方へ変わっていく、つまり進化する力学を止めようとする力が、働くのだ。

神智学や、アルガンザに言う「進化」とは、社会、世界の問題を解決していくために、人間そのものが変わっていく方法論に他ならない。それは意識的な学びや知識だけではうまくいかないし、チャクラやライトボディ、ソウルシステムとして分かっている古来の叡智を手がかりに、まずは、個人の問題を克服、解決していくために働き、

その先、進化成長した個人が、より多くの人にその知恵をシェアしていき、結果として、個人の癒しで為されたのと同じように、社会で、ひいては世界規模で、同じ様に癒し・問題の解決・成長・良きほうへの変容、創造 が、実現されていく。ひとつの同じ流れの上にある。

不平等の為に、不均衡の為に、理不尽なシステム故に、悲劇をこれ以上生み出さない為に、各分野で、奮闘している人たちが居る。世界をより良くするために。苦しみや悲しみではなく、喜びや笑顔を増やしていきたいと願うのは、ヒトが持っているハートの愛、善性、慈愛、仏性ゆえ。

メタフィジカル、スピリチュアルの分野は、古来の知恵が伝えるチャクラやライトボディ(オーラ)、ソウルシステムの知識とともに、個人レベルであれ、世界レベルであれ、「平和」を生み出すために、良き変化を起こしていくことを説き、一人からさらに周囲へと伝えることで、結果的に、世界が平和になり、自然界と地球が無事に保たれ、その中で生きるヒトの未来を、実現しようと奮闘するものではないか、と私は思っている。

ネガティビティを克服し、よりよい地球という現実を創造できる人類に変容していくこと、

それが『進化』だ。

結果として、世界、地球そのものも『進化』する。

またまた自分の話で恐縮ですが、

14歳でマザーテレサの存在と活動を知り、16歳でマイケル・ジャクソンの『Man in the Mirror』に刺激を受け、19歳でオノヨーコさんのフェミニズム思想に影響を受けた。それら全て、「何とかしなくちゃ」という突き動かされるような情熱の一つの流れとなって、日本社会の実態もそこそこ理解できた高校生当時、日本に居てはダメだ、と思った。

アメリカで大学・大学院を出て、世界を旅しながら学者をやって、人類の意識に影響を残せるような研究と著述をしよう。高校二年の時にそんな志をしてはみたものの、親の経済力をまったく推し量れていなかった。留学に備えて勉強に明け暮れた高校時代だったけれど、親の現実との妥協点から、日本から出れなかったし、公立の短大限定という制限を設けられた中で精一杯の選択をした。

その後、会社員時代、子育て時代に二度、通信や夜間部で大学の続きの学びを試みたものの挫折。何しろ自己メンテナンスの方法、人間の心と体の健康の仕組みも知らず、意志は強くてもそれ以外は弱かった。

この辺りの理想と現実、やる気と、実際の(人間界の)壁の摩擦から、またエネルギー面でも実は過敏だったこともあり、二十代半ばでウツになり、30歳を過ぎて、ヒーリングと出会った。

そして、自分を助けてくれたこの癒しの世界に、恩返しするためにまだ携わっている。「光の世界」だけは例外と思いこんだものの、どんな世界とも同じ、下手をするとそれ以上の闇の網が張られている。人類全体に同じ力が働いているのだ、分野は関係ない。逃げても仕方ない。個人の人間の中に、その「逆向きの力」の種があるのだから。(陰謀論の話ではなく)

世界には、こんな問題が存在している。今この瞬間、苦しんでいる人々がいる。社会のこのようなひずみから、苦しみ嘆く人が後を絶たない。・・・・このような話に触れた時、何も思わず、何が出来るかなと考えたりしない、自分には関係ないと処理してしまうようなことがもし、あるとすると、その心の「病み」具合を、心配するべき。目立たずに静かに起きている「病み」「闇」があると言ってもいい。もしかすると多くの人が、そうなのかもしれない。

「わたしは別にこのままでも・・」と思うこともまた、ある種の、「闇」「病み」なのだ。それが分かりにくい。だから、変化が起きにくい土壌、と言える。

光が自らを二つに分けて、闇を作ったという神話もある。

まさに私たち人間は、そんな風に用意された二元の世界で、自由な意志という選択権を与えられて生きている。自由な意志で、選び取らなくては、意味が無いからだ。

自由な意志で、判断し、自ら選択しなくては、「進化」は起こらないように出来ている。

自由な意志、結果を受け止める勇気、選択する心の強さ、ぜんぶ 日本人には苦手なもの。

(他の国の人々にもそれぞれ、課題、テーマがあるだろうと思う。)

本来、人間は、「皆で世界を平和にしよう」と思う気持ちを持っている。それが無条件の愛、仏性というものだ。世界が平和になる、ということは、人間が進化する、ということなのだ。

人類の進化プログラムを見守る世界のまなざしは、地球そのものを壊したりはしない。わざわざ造ったのだから。

「ハコブネ」は地球そのものであり、地球の歴史は今後もつづく。

そのハコブネに、乗っていられる文明レベルかどうか、によって、今後の方向は変わっていく。科学的に分かっているだけで、地球上の生命はもう5回、大量絶滅(ほぼ全滅)している。

それぞれの分野で、ハコブネのために奮闘している人々が居る。私はエナジーヒーラーゆえに、エナジーワークやヒーリング、メタフィジカルな情報を通して、説明をしています。

うちのワークを受けなさい、とか、石を買いなさい、という意味では全く無し。(笑)・・そもそもそんな精神でこの仕事をしていたら、数年しか続かないことでしょう。無条件の愛やエネルギーのクリアリングを謳う分野なので、そんなに甘くはない。シビアであり、それ故に、他には無い「やり甲斐」や感動もある。

話が逸れつつ、今日はこのくらいで。

Love and Grace,

Amari

古き良き

「白い聖堂」、急な告知にも拘らず、思いの他たくさんの方々が参加してくれることになり、ありがたい限りです。

サロンでお会いしていた懐かしい方々、リュミエールブランシュのお客様がたも。サロンの仕事を辞めて、ショップの運営だけだと、お客様とのコミュニケーションは限られているから、どのくらいの方達が、見てくれているか、何か感じてくれているか、が、中々見えにくい。SNSやHPのアクセス情報はあっても、数だけでは、計れないものだから。

感謝とともに。明日は皆さん、宜しくお願い致します。

ここ3日くらいのエネルギーは凄いな(大変)・・と思いつつ、必要に応じて「見る」現実の、個人的体感なのかも。

今朝のツイートの続きのようだけど、そこにフックする必要が無ければ、何も感じないわけだし、人間(の魂)がレムリア末期に「自我」を持って以来、永い時を生きてきて、それだけ、重荷や、ガラクタや、心身の病理・病癖、レイキでいう「セイヘキ(性癖)」、それらが家系で受け継がれてゆく気質や体質、などなど。情報が溢れて、そこにまた今世でインプットしてきたもの、壊れてしまった健全さ、などなどの情報が重なって、

自然界のように、幼い子供のころ(天使時代やレムリア自然界の記録を再現して生きる時期)のように、シンプルではなくなっているからこそ、ネガティビティと共に生きるようになる。不安になったり、人と比べたり、怠惰や欲に左右された、感情のアップダウン。人間らしいからそれでいいさ、というメッセージで世の中、溢れているんだけど、矛盾している。

それでいいさ・・・では、世界は良くはならないから。

人間の感情・思考・ライフスタイルのネガティビティを「それでいいさ」と言っていたら、結局、環境汚染や、社会的格差、戦争、差別、などは無くならない。スピでいうアセンションや、ノンデュアリティなど、実現はしない。

個々の人間、ひとりひとりの心と体、その設計図であるエネルギーから、見つめ直して、改善していかないと、何も変わらない。

man in the mirror なのだ。まさに。

2012か、13年ころだったかな、「マンスリー・フォーカス・ワーク」と名付けて、月に一つオリジナルワークの中からフォーカスを当てて、モニター価格でご提供するという試みをしていた時。出来たばかりだった、「レムリアンセイクレッドレイキ」を選んだ月にたくさんのご希望があり、ほぼ毎日、そのエネルギーに浸るというような時期があって。

結果として、ほんの数日だったけれど、自分自身がワンネス的覚醒状態になっていた事があって、今回、セイクレッドレイキのテキストにそのことも書こうと思っていたのに、忘れていたことに気付いた。。。

あの時は、いわゆる「あるがまま」を実体験して、見るものすべて、例えば机や湯呑みや、街ゆく人々すべて、日本という国や、自民党政権でさえ(笑)「ああ、ありがとう。本当に、ありがとう。おかげで私がここに居て、あなたも居る!」みたいな感動と至福の状態になっていた。

セイクレッドレイキの「ソフィア」との接続や、横軸の復活、のプロセスが、毎日のようにセッションしていたことで、自分自身に強く作用した結果だと思う。

感覚としては、何を見ても感じても、「それ」が存在している宇宙普遍の「意義」のようなものが、ピコピコピコと自分に入って来て、理解と愛着が瞬時に生まれる。そして、

「ああ!」と涙する。(という現代人からしたらおかしな状態です・笑)

あれが、レムリアの『ワンネス』なのだろうと思っている。『あるがまま』を、理解し、愛する感覚。はるかに、人間社会の周波数や思考などを超えたものであり、仏教的な、シャカの悟りのようなものだろうと思うわけです。(私は1週間弱つづいて、その後ゆるやかに元に戻りました)

それが、もっと人間的なレベルで「あるがまま」つまり、「エゴのまま」でいいというのが、今のスピリチュアル界隈のメッセージになっている。

もう、多分10年以上前(まだ奈良に居たころと記憶しているので)、ブログだか、メルマガに、「このままだと、一般的な人たちの意識が変わっていき、気付いたらスピ、をやっている人たちのほうが、取り残されるのでは・・」と、書いたことがあった。今でも、その雰囲気は大いにある。現実逃避的なスピ、ということ。

またまたタイトルから逸れつつあるので戻しますと!

人それぞれ、かもしれないけど、私の場合は人生で唯一、小学校時代が一番、無邪気に自分を生きて、興味のまま動いて、楽しい時代だった。韓国時代劇でもよくありますよネ〜 きらきらした、初恋の想ひで・・のような。実際にはいろんなことが側で起きていただろうし(親とか大人的に)、昭和の激動の社会状況もテレビで見ていただろうし。けど、自分はただただ、自分を生きていて、楽しかった。

小学校卒業が迫った時に、友人たちと、「嫌だ〜中学生にはなりたくない」とぼやいていたのをよく覚えている。レムリアの終末期って、あんな感じだったのではいかと。ジェネシス神話をまとめていると、感じたりもする。

もう自由ではなくなる。責任や義務や、課される事柄ばかりが増えていく。楽しくなさそうな大人の社会へ、近づいていく。未知なる変化が起きていく。ああ、私たちのワンネス、自然界が壊れていく・・・もう、このままでは居られないのだ・・・という。

韓国ドラマと同じように、純粋だったころの、キラキラした古き良き思い出、だからこそ、ずっと宝石のように心に残っている。けれど、その分だけ、失ったことへの悲しみも深い。失っていくプロセスにおいての、傷も深い。

だから、みんなこんなにレムリアに惹かれる。

・・はず、なんだけど、上記のとおりの界隈のトリックで、知らぬ間に、浸って動かなくても、「大丈夫」と言って貰えるフィールドになってしまう。そのトリックは巧みで、レムリア、に限らずだけれど、一見しても判別は難しい。色々な目に遭っていくと(笑・・対・人ではありませんヨ。原型エネルギー=「神」のようなモノや四次元的なモノのこと)嫌でも、メカニズムを知ってしまう。

そんな話は、「プログレッシヴワーク」3つの、クライアントワークブックでもたくさん、書いています。

締め括りが宣伝のようになってしまったケド、今日はこのくらいで。エヘヘ ^^

Love and Grace

P.S.

カレッジの改訂、リニューアル・リリースに入っていく準備段階として、かつての対面式の「ヒーラーズカレッジ」のページを、参考ページとしてUPしました。メニューの「School」からお入りいただけます。概要と、卒業生の皆さんのご感想です。懐かしいですネ、、それこそ「古き良き」日々。良きおもひで、となっています。卒業写真は本当に皆さん、良い顔をしているなあ、と。半年ちょっとのカレッジで、多くの変容、気づきを体験し、見違えるように輝いていく生徒さんたちの様子を、懐かしく振り返りながら。タイムカプセルを開けるような作業でした。

ハコブネの意味

セイクレッドレイキのリリース間近。

ワークのスタイルを自分で(笑)理解するのに苦労(混乱)したけど、やっぱり、これまでの修練(と言ってしまおう)の賜物、という他ないと感じた。特に、一昨年〜去年にかけてのプログレッシヴ3つの、ワークブック14冊、水星アルカイの叡智のワーク制作、これが、「ジェネシス」後のアルガンザワークの意義と、大きな枠(ヒーリング業界、神智学、現状、未来)などに思考や思いや予測を巡らせながら、自分が書きたいもの、では勿論なく、ワークとして有効、かつ人々にも言葉や表現を通じても受け入れられるようにと考えながらの執筆の、非常に良い「修練」となって、それが今回、インストールされた自分の一部として作動したことを、自覚出来た。

今回、だけではなく、これが今後の「メタスピ」「ニューエソテリ」??笑 分野を切り開いていく上での、大きな力、土台となっていくのだろうと実感できる。

さて、これが初「日記」(2022-23のサイト内に作った A Diaryのこと)になるけれど、今は「おこもり」生活をむしろ自分自身の仕事の段階として設定していることもあって(2020年4月から、まさにそう思っていた。ワークリリース、テキスト執筆の時期として三年ほどを見越して。それがちょうどパンデミック時期と重なっている。私の仕事はいつもそうで、だから恐らく、来年の春以後、一年以内には、パンデミックは落ち着くのではないかと前から思っている…)スタッフさんが時折、お手伝いに入るくらいで、あとは日々黙々と一人で仕事をしているため、呟きはかなり日々、生まれている。

その中には記録しておくと、どなたかに、未来の自分には(記録のために)ちょっとくらいは役に立つかもしれないと思うこともある。

現状、ついついTwitter で呟いてしまうのですが、あそこは無尽の大洋のようなもので、自分の知らないうちにシステムが他の人のキーワード設定から、全くこういった分野に興味ない人に、送られてしまうこともあるし、自分でも忘れているようなツイートを、曲解したり利用したりしてリツイートされることもあるかもしれない。最近、学者の方々が、パンデミック(「・・・禍」という言葉が好きではないので使わないようにしている)や、国際情勢の専門家としてのコメントで、そのような状況が多発しているのを何度か見かけた。

私の発信レベル(範囲)では、もちろん先生方のように広範囲で、という心配などしていないけれど、こういう日記という形を取れる場所があるならば、無尽の大洋で、ほんの一握りの方しか、意味が通じないかもしれないことを呟くよりも、相応しいと言えるだろうから。もちろん、ウェブそのものが大海ではありますが、SNSは、単に閲覧する、だけでは止まらず、「便利な」機能ゆえに一人歩きすることがある、というのがまた問題というか、利点でもあり、使い分けのポイントでもある。

Arganza の仕事、ヒーリング、メタスピ的思考、神智学、未来、進化、クリスタル、自然派・・・ これらへの興味という大前提でこちらのHPを訪れる方々には、お役に立つかもしれない呟き、記録を、自分の頭の整理のためにも書く場所にしていこうと思う。

「レムリアンセイクレッドレイキ」で、ジェネシス後の旧来のワークのリニューアル作業が一段落。

アリス・ベイリーを読み込んでいく。一時期なぜか「生徒さんたちへの図書館」意識で買い集めてしまった「すぴ」本たち(既に売りに出したものも多いケド。比較的まともなものは残してある)、初期のころから私がお世話になった良質な「スピ」本たち。過去のサロンの膨大な記録も・・・「整理します」「今年は〜」とか言いながら、まだ本格的には出来ていない。ショップと、ワークリニューアルを順番にスケジュールしていて、忙しかったから。。

けれど、次のリニューアル&リリースはカレッジ、マスタークラス、なので、「やりたい」ではなく、自然の必要性から、書類や本の情報を整理し、アルガンザの過去(の体験・記録)と、現状(人々のニーズ)、そして未来(進化・高次のニーズ)を、ワーグ群でやって来たように、講座やテキストとして行っていく作業に入る。

ライフワークとして、一生つづくだろう。神智学が伝える新しい時代を告げる「光線」が到来する2025年以後の世界のことを、少し心配しながらも、そのために必要なことを今、考えている。

Love and Grace

ハコブネ、つづき

突然言うようなことでは無いかもしれないケド・・
恐らく過去生で、「流罪」「流刑」になったことがあると思っている。
それも一度ではないかも。

一般市民をやったことが無い、と、受けたセッションで言われたこともあるくらいだから、きっといつも思想家とか宗教家、革命家とか、ちょっとギリギリな研究をしている??人とか(笑)・・そんな事が多かったのではないかと思う。ごくろうさん。

ヒーラーとしての立場を「引退」し、自分がやってきた(ちょっと特殊な)ヒーリングワークを、私以外の人たちにも担ってもらえるように伝授、そのために形式を整える、テキストを書く、それからプログレッシヴワークというまた別の形式を作る。このあたりまでの特に、プログレッシヴ執筆中の二年ほどの間は、まさにこの「流刑地」を味わっていたのだろうと、今になると思う。当時はそんな自覚なく。

過去生のパターンが現生で、ある一時や、ある仕事に取り組む間に、被るようにミニチュア化して出て来るというのは、恐らく何かを造る、生み出す仕事では起こるものだろうと思う。
歴史大作のドラマや映画なんて、もしかすると俳優さんや監督は本当に、その人物の生まれ変わりかもしれない、とも思ったりする。

とてもとても、ワークを作れるような状態ではありません、という気分になる中、決めたことだから仕上げなくてはいけない。
「自分を整えてから〜」とか言ってられず、
整ってなくても今すぐ、神がかってでも書く。

不遇だからこそ(実際はそうではないのに過去生の記憶でそんな気分になっている)至った境地、湧いてくる想いがあり、けれどゆとりなどなく、ただただ、綴っていく。形にしていく。
まさに、流刑地にあって、淡々と作品を書いている思想家。・・・の気分。
「水星アルカイ」の(執筆)時はまだ、生みの苦しみも少し感じつつ、終えると同時にこの「流刑地」気分は消えた。

そして落ち着いたところでの「レムリアンセイクレッドレイキ」
とはいえ、いつものように、実践篇、気づきを促す体験、大変だった。。。終えてみれば全て、解放のためのプロセス。

テキストの実際的な執筆に入ってからは、スイスイスイ、あっという間。
あ、また本題から逸れはじめている。

タイトルのこと。(前回そこに至らなかったため、二度目の)
「セイクレッドレイキ」のテキストの中で、シャンバラやマヌの視点で一文を書いている時に、突然、思いついた。というより、
既に受け取っていたことが、「ひらめき」という形で顕在化した。
『シャンバラ光の学校』を、もう一度、やろうと思う。遠隔グループセッション。
そんなことはまっっっっったく、これまで考えていなくて、でも何か、この新しいサイトが出来たら、
自分の立場で、自分しか出来ないことをやるのだろう・・とは、思っていた。
まさか、『シャンバラ〜』とは、顕在意識はまるで、想像さえしていなかった。

キッカケの(自分が書いていたテキストの)一文は、

『高次はひとりでも多く、進化の波に載せたい』というものだった。

アルガンザワークを受けた人だけが・・ハコブネに・・とか、そんな事は微塵も考えていなくて、
スピリチュアル、という分野に属している者として、集合意識を持ち上げ、人類が高次の計画とおりに進化を果たしていくために、何が出来るか?と言ったら、いわゆる「ライトワーカー」あるいは、「自分の意識とエネルギーの周波数・質を保ち、周囲にもその影響を及ぼせる人」を増やす。専門分野としてやるべきことは、ここ。

シャンバラ、「神々」、マヌの世界をよく知る(本能的に、記憶として)者として、最初からずっと(子供の頃から)感じていたことだけど、その『計画』はもう決まっていて、人間はその進化プロジェクトの中に在る存在だ。それは、進んでいく。自由意志が与えられているのは、自分たちで考え選択している結果としての、「人類」のあり方を、決めなさいよ、と言われているだけであって、それでずっと、安全に暮らしていけるという訳ではない。

現に、人間界は常に、さまざまな災害、天災、人災に見舞われる。
「神様のいじわるう」という訳ではなく、人類にあたえられている「自由意志」の、常に結果なのだ。

生み出した可愛い子たち、分身たちを、いじめたいわけはなく。大いなる計画の中で、人類が自分たちが何者であるかちゃんと思い出し、忘れたフリなどせずに、与えられている課題に答える、少なくともその努力をする・・ことを望み、見守っている。

特に「マヌ」という役目の魂、存在たち。破壊を、犠牲を、少なく留めたい。そうであって欲しいと、願っている。

私が行うのではなく、「シャンバラ光の学校」は、シャンバラの専門チームが行う。2007年に始まった時、最初からそのスタイルだった。

ネーミングは変える予定。いつから始まるのか、決まり次第、ここ(日記)ではなく、正式な連絡としてブログか、詳細ページをUP予定。

今の自分が事務係をしたら、どんな風になるのだろう。きっと、10年以上前とは違うはず。シャンバラからは、どんな施術やブラッシュアップが来るのだろう。
そして、どんな人々が参加してくれるのだろう。
楽しみであ〜る。

Love and Grace
Amari

In her shoes 誰かの目線

今日は祝日だったか・・半分過ぎてから気づいた。そういえば春分でしたネ。

星巫女プロ専科コース(以前有ったヒーラーズカレッジのマスタークラス)の教材として使った事もあるハリウッド映画『イン・ハー・シューズ』。この英語表現は、自分以外の誰かの視点、目線で、物事を感じたり考えたりすることの比喩。日本語でも「〜の立場で」というけれど、立つ、という動詞からやはり足に関係していて、シューズ(靴)という言葉が使われている点が面白い。

他の人の立場や、シンパシーで何かを感じることって、想像力を使えば簡単じゃない?と思うけれど、万国共通で、自分が味わった負の感情がフィルターをかけてくるから、なかなか、簡単とは言えないようだ。

特にこの映画のように姉妹関係だったり、聖書や神話でもよくある兄弟だったり。前に日記に書いた韓国時代ドラマ「スベクヒャン」の姉妹、兄弟、でもそうだし、上司と部下、経営者と労働者、親と子、夫と妻、などなど。人生の全てにおいて、もしかすると人間関係や、自分の人生の流れを良く出来るかもしれないカギとして、「他者の立場で現実の流れや物事を理解する」スキルは、重要なことだろうと思う。

単にスキルとは言い難く、中身の伴ったものでないと、ただ表層だけの世渡りテクニックになってしまって、きっとそれは後々になって学びの機会が用意されることだろう。

違う立場にあったり、違う条件で生まれて、今このように存在している・・その状況を真に相手の靴の中に入って理解する、受け入れる(or受け流す)という行為を可能にするのは何だろう?深い洞察力・・それもあるかも。だけど、やっぱり、「愛」(人間愛)言い換えれば「利他」の心、だろうと考える。

利他の反対、「利己」から逸れることがなければ、いつまでも他人の靴からの風景を感じたり味わったりすることなど出来ないからだ。自分の視点や価値観だけで、どこまでも歩いて行こうとしてしまう。

この映画では姉と妹の愛の流れがちゃんと復旧し、共有していたインナーチャイルドの傷も癒され、互いに切っても切れない絆を愛しいと感じられるところまで。それが叶うには、双方の献身、変化を受け入れる努力、歩み寄りの気持ちや、ハートの愛・・が必要になる。何かキッカケになるような(良くないほうへの)変化が起きると、ある意味、自分の視点や価値観・先入観を見つめ直す機会になる。

多かれ少なかれ、人は一生を通じて、そのチャンスと、受容、変容の連続を経験していく。子供だったところから、大人・社会人になり、親となって、大人や親の苦労を知り、更には社会でも様々な人々と出会って、それぞれの視点や立場を知る。年を取ると丸くなると良く言うように。

時折書いているように、私自身の「アンドロ気質・体質」を振り返ると、恐らく少数派ながらそういう人々は居て(サロンでもお目にかかって来た)、オープンな天使性やハートの力が、逆に「与え過ぎ」ではダメ、「利他もほどほどにしなさい」という学びを必要として、「利己」になることは出来ないけど、人間界の仕組みや、人間の利己性というものをそれなりに学んで理解していく、というコース。

このコースだと、自分に足りていない赤や黄色のエネルギーを強く持っている人々と多く出会い、時に守られながら、人間界というものを(笑)教えられる。学んでも、また偏ってしまったら、再びそのような出会いが用意されていたりもする。もちろん、立場を変えれば(In someone`s shoes)、その逆の事も言える。私は若い頃どちからというと、そちらの作用や出会いに自分が「貢献している」と常に考えていた。

子供の頃から不思議な溢れ出す人間愛のようなものがあって(笑)、小学生時点で今思えば、自主的にヒーラーのようなことをやっていた(笑!)。親も含めて、相手が元気になり、笑顔を見れて、喜んでくれて、(ここがシリウスだけど)以前よりもステップアップする(叡智に近づくような感じ、神をより知っていくような)姿を見ると自分も嬉しかった。その作用が、一方的に自分から相手に流れると思っていた。

けれど今振り返ると、周りに居た、私の考えていることなどよくわからん、と思っているような家族や親しい人たちが、無言の中にも常に、その黄色や赤の力で私を守ってくれていたのだなと思う。

自分自身で縁や現実を完全にコントロール出来るようになるまで・・つまりクリアリングが進んで、ソウルシステムがエネルギーの偏りを示して来なくなるまで。そんな出会いと、必要に応じて起きる「摩擦」と、結果としての「化学反応」=変容、成長、はつづく。

「菩薩道」を生きていきたいと考えたのが二十歳前後。ニューエイジな言葉で言うと菩薩は進化した魂で、それでも地上の人間たちが最後の一人まで覚醒し宇宙を思い出すまで、延々と、転生したり化身したりを繰り返しながら、地球の進化プロジェクトに献身し続けるという。

実はかなり多くのソウルたちがこの「菩薩道」を生きているのかもしれない。様々な靴を履いて、立場や役割を交換しながら。

Love and Grace

Amari