学びは進化。澱まずに変化しつづけること。

久しぶりに小蛇(白小蛇、またはミニ白龍)が左に来ていた。いつからだろう?今朝か、昨晩からかな。

「イワナガ姫の遣い」というほど攻撃性はない。その場合だと右の内蔵系に来るけど、左。怒りではなく、ひたすら悲しそう。でも脾臓にしっかりと繋がれていたから、バンパイアの一種であることは確か・・
人間だって、悲観的な人が側にいたら、そしてずっと泣き言を言い続けていたら、自分の波動も下がるし不快なもの。避けられるならば避けたい。

それと同じで、ただペタっという感触がエーテル体にあるだけであっても、その悲しそうな、そして頼ってくるような響きには心地よく無さを感じるから、外さずにはいられない。ワークし始めると実際に、触手のようなものが脾臓にしっかり繋がっている。。右の一部もズキっとした。

悲しいのかもしれないけど、人を頼ってはダメ。人から吸い取ってはダメ。解放して貰いなさい、貴方を「飼っている」人の悲しみの感情から。・・瞑想の中、レコンその他で外す。

考えてみれば、澱んだ水からこういった小さな精霊のようなモノノケが生み出されて、それをマジカルに取り扱うタイプの三次元や四次元の存在が居て。水の澱み=「エヴォリューション」テキストに書いている「腐」にも通じる。セラフィムやアンドロ存在(自然界の精霊)たちが、ネガティブな物質界の場や術に取り込まれ、生まれたエネルギー。

そう考えると、イワナガヒメ、リリスなども「もともとはセラフやアンドロ(精霊)たち」とも言えるし、人間界においても、腐の感情や行動や現実もあれば、それらとは無縁の感情や行動や現実もある。

スピリチュアルも、それ以外の分野でも、「難しいことは考えず言われた通りにしていれば大丈夫」ということは無い。特にスピリチュアル。
唱えていれば大丈夫、救われますよ、というタイプの鎌倉仏教が誕生した時、日本は飢饉やら武士の台頭と貴族の没落、疫病や天災など、色々がことが起こり、この世の終わりの雰囲気だった。パニックになる民衆を落ち着かせるために、彼らには学が無いため、色々な周波の始祖たちが念仏や題目を「発明」して広めた。
それまでは、飛鳥時代に仏教が伝来して以来、いわゆるインド哲学のひとつとして、学問であり、お坊さんたちが研究し専門家として実践、国家に役立てるためのものだった。

けれど今の私たち、無学な訳ではない。これだけ情報も交錯し、複雑化した社会に生きる。
スピリチュアル、メタフィジカルに(鎌倉時代以後ずっと)定着していた「理論はいらない」「信じていれば大丈夫」という風潮が、ある意味、宗教界などに多くの問題を生じさせて、ニューエイジ系の「スピ」も同じくだ。
考えなくてもいい、という空気は、思考や疑問や変化という風を知らず、「腐」のエネルギーが温存されやすい。

日本は水の国であるがゆえの、ネガティブな側面、課題、とも言える。
やっぱり、勉強って大事。学ぶことは、変化を受け入れること。学んで成長することで、常に変化、進化していける。
何事も。つくづくそう思う。

Love and Grace

ちょうど良い真ん中を目指して

最近の Info記事で「南の海から(女性性的・リラ・プレアデス)」と、「北方から(男性性的・恐らくシリウス・ヴェガ)」的な要素が、人類学(遺伝子)レベル、文化人類学・宗教・民俗学レベル、そして更に下層にジェネシス原型レベルで、縦長の日本列島に流れ込んで来たのでは、という書き方をしていて、今回そのような表現に至ったけれど、考えてみれば人類学・民俗学的にはずっと分かっていたことで、それがジェネシス原型論の体感や瞑想ワークの中で、実感されたということだ。

更にこの点、なんとなくの考え事を繰り広げているうちに、あることに気づいた。

数年前にもうドラマは完結している『ゲームオブスローンズ』。私は(何度かSNS等でも触れていたけど)シーズン2〜3くらいの頃に存在に気づいて、まだネット配信で何かを見るという時期に入ってなかったので、その都度、DVDを買って観るようになった。まだ若大将は子供だったため(さすがにあれは見せられんでしょう・・)、DVDが届くと一人でこっそりと休みの日にドキドキしながら少しずつ見続けて、放送されるまで何年かブランクがあった最終シーズン(第8章)は待ち侘びた、という感じで。全シーズン、付録?付きのボックスが揃っていたりする(笑)。

私が映画やドラマについて書く時は基本的にネタバレなので、ご了承ください。一視聴者としてのワクワク感よりも、なぜか昔から制作者・原作者や監督などの目線で、何を伝えたいのか、ここに何を引っ掛けているのか、含めているのか・・という目で見てしまうので、自分自身がまったくネタバレを気にしない人間で、むしろ本などは最後の結論や後書きから読んだり、映画もメイキングを先に見たりするのでス。それと原作を読まずにドラマ版だけで書いているので、原作を知る方からするとずれている部分があるかも..この点もご了承ください。

そうそう。見た方ならご存知のとおり。このドラマの原作は「氷と炎の歌」というタイトルで、「七王国戦記」という副タイトルも付いている。架空の大陸に存在する7つの王国、それを束ねる宗主国の玉座を巡って争い合う、という。南部の国の「女王」と、北部の代表である「王」、それぞれが「炎」で「氷」であるわけだけど、この二人、最終段階でようやく実は親族であることが判明する(たしか叔母と甥になるのかな。年齢は多分同じくらい)。運命に引き寄せられるように、南から北上、北から南下しながら、それぞれの敵を倒して次第に自身に忠誠を誓う者たちが増えていく中で出会い、結ばれる。

なるほど氷と炎が出会って融合し、最後には王国に平和が戻るのだな〜・・と安心して見ていると、最終話でびっくりしてしまう。賛否両論、というか、ドラマが終わった頃はどちらかというと批判的な意見が多かったように見えた。けれども、ドラゴンや魔物、多少の魔術が出て来たりして「ファンタジー」のくくりに入りつつも、原作者が非常に歴史学に造詣深く、人間を人間臭く描ききっているという点で、「ファンタジー感」が無い、リアリズムの中で物語が進んでいく。それを考えると、あの結末は非常に、納得できる・・ドラマ、ではなく、実際の歴史の展開として自然、と言えるのかも。

炎の女王も、北部の王も、どちらも「犠牲」として大陸の表舞台から姿を消す。愛と人道で人々の崇敬を得ながら最終決戦まで来ていた女王は、七王国の統一を目の前にして、血筋が騒いだか残虐な支配者の顔を見せる。それを見た北部の王、彼女を人間としても同志としても愛していた者が、彼女を殺めるという決断を。そして彼は殺人罪で終身刑という。なんとも言えない結末。二人の人生を賭けた努力によって、専制的に玉座を死守していた一族は絶えて、大陸には平和が?訪れる。けれどその時、二人は居ない。

歴史の触媒のようになって、消えていく二人の英雄。氷と炎。作者はアメリカ人だそうだけど、北欧神話などの、英雄が最後には決して幸せにならない、むしろ貧乏くじを引くような犠牲で終わるというパターンに、影響を受けているように思う。歴史上たいていの英雄、カリスマは、確かにそのような定めを世に示して名前を刻んでいることも確かに多い。けれど全てでは無い・・「細く長く」じゃなくても、「太くても長く」健全に天寿と使命をまっとうした英雄、カリスマも居る。ゆえに、作者の思想的なものによるのかも。私はディスニー的なハッピーエンドもありだとも思う(現実としても。そういう現実創造力を発揮できる人間であれば)。

結末、は置いておいて。

言いたかったのは、日本列島でも、Game of Thrones (氷と炎の歌)であっても、もしかするとどの国でも、文明でも、「南・女性性・タマス」、「北・男性性・ラジャス」このセットが、法則として存在するのかもしれないという仮説。確かに、人間は南に居るとゆるんで、おおらか〜怠惰になり、女性的になる。北に暮らすと真面目〜神経質になり、男性的になる。その背後に、ガイアとヴァイアマスが南極と北極にそれぞれ座していたりしたらどうしよう。。地球上の海流やプレートの流れ、などすべて「ジェネシス原型」「ジェネシス神話」で説明できたりしたら。(広げ過ぎだけど「ニューエソテリシズム?新・神智学的にはその展開もライフワークとして良い)

旧石器時代人、もしくはもっと古い原人レベルかもしれないとも言われている、南から、北から、日本人の源流が入って来ていて、縄文人といっても、南方系と北方系で既に特徴づけされたいたはず。そこに到来した中国、朝鮮からの少なからずの「弥生人」=新説では、紀元前700年前から奈良時代(紀元後800ころ)までの、1500年という長期にわたって、渡来の波はずっとあったという。常に戦乱に悩まされていた中国や朝鮮では、その都度、亡命貴族・王族や、ボートピープルが日本を目指した。それらの渡来人たちは、またどのような中和作用、刺激をもたらしたのだろう。彼らが「中間」という訳ではなく、渡来人にも様々な文化・政治・宗教的背景があった。(帯びているジェネシス原型エネルギーも)

そんな「多様性」がミックスされて、天災の多いこの土地で、なんとか生きていく工夫を其々違う背景を持つ人たちが模索した。し続けた結果が、日本である。・・・という、新たな視点もあるかも。

よく言われている日本人の「動かない・空気を読む・人がしていることをしよう」という性質の原因は、稲作民であるため共同体意識が強い、とか、戦後のGHQの思惑、とか、徳川政権の支配体制が巧みだった(そこでの洗脳が抜けていない)などの理由が挙げられる。

けれど、もっと遡れば最初から、仕組まれて(用意されて)いたのかもしれない。上記の3つの要因・要素も含めて、プログラム、設定通りであったのかも。人類全体もそうだ・・眠ったように動かない、目覚めないように働くタマスの力と(その現象と)、争いばかりしているラジャスの力(とその現象)。南方的なエネルギーにおいては人々は欲深くなり、北方的なエネルギーに刺激され人々は争いを続ける。それすらも「歴史」あるいは「文明」というシナリオ通りの、現実、現象なのかもしれない。

その中から、中庸を見出し、抜け出す。何から抜け出すかって?

この「現象界」から。映画『マトリックス』と、同じみたいに聞こえるけど、もっと古く、仏教では・・引いてはその元であるインド哲学では、数千年前からそれを説いている。

両方あるし、二極だし、二限性だし、多様でフュージョンだけど、そんな中でも「善(愛)」とは何かを自分で見つけながら、「中間」という透明な場所を探している。それぞれ、何がどれくらい偏っているか、濁っているか、混乱しているか、そのバランスの悪さはみんな違う。二人として同じ人はいない。だからこそ、自分自身で自分のバランスの悪さに向き合いつづけ、(ひとつの生ではなく魂として)「ちょうどよい中間」つまり中庸を見出す。

『スローンズ』のジョン・スノウはその意味で魂の中庸、を達成したと言えるのかも。最愛の人を正義のために、状況判断して、大陸の平和のために手に掛けたのだから。

あ、そうだ。このドラマをジェネシス的に深読みしていて、もう一つ気づいたのが、南の女王の家系はドラゴンの末裔と言われていて、ドラゴンを飼い慣らし乗りこなす(炎を吹き空を飛ぶ西洋風ドラゴン)。ドラゴンは、東洋とは違って西洋では女性性と結びついていて、欲望、などのイメージもある。一方で北部には精霊たちの魔法の失敗のような形で生まれてしまった「魔王」が死者たちをゾンビにして軍隊を組織している、という。炎と氷、は、単に南と北だけではなく、人間の欲望とそれが齎す破壊力(南のドラゴン)、魔術・自然界が孕む危険と破壊力(北のダークネス)を表してもいそうだ。

話があちこち行くけれど。

ヨーガ哲学やヨーガの実践においては、菜食や禁欲が説かれている。けれどアーユルヴェーダは医療、健康術なので、禁止というのは無く「その人なりのバランス」をとることを考えていく。・・これもある意味、仏教でよくいう「方便」であると私は思う。バランスが取れていったら諸体が浄化されていって、禁欲も菜食も、難しいことではなくなる。むしろ自然にそれを指向するようになる。

人類全体では、行先は果てしない。けれど個人個人、「幸せになる」ための唯一の道は、「ちょうど良い真ん中」を見つけていくこと。これは間違いない。

きっと宇宙人たちも。宇宙文明もそんな振り子の揺らぎや、失敗や修正を繰り返し、同じように中庸を目指す途上にあるはずだ。

Love and Grace

Amari

雷は神鳴り

印象的だった7月1日の真夜中の雷。雷鳴と稲光に、寝ながらも「そう言えばどうして雷って起きるのだろう」と考えていて。。翌日、そんなことはすっかり忘れて何気なくNHKオンデマンドに入ると、6月23日に放送されたばかりの『知られざる雷 破壊と再生 その全貌に迫る』という特番のサムネイルを発見。さっそく見てみた。
Storm Chaser(嵐を追う者)と呼ばれる二人のアメリカ人男性。コンビを組んで、雷雲を追って、それを撮影。研究機関などに?その画像や動画を提供することで生計を立てる、プロフェッショナル。稲妻だけではなく、その遥か上空、大気圏で起こっているTLE(Transient Luminous Events)という現象をも撮影する。ブルー〜マゼンタ、さらに赤まで、グラデーションの広がりを見せる壮大な発光現象。

そう、肝心な「どうして雷が発生するのか」については、雷研究の第一人者、ドワイア博士いわく「まだ解明されていない」と冒頭で。けれどこの番組を見終わった頃には「解明されつつあるようだ」と分かった。実験結果なども提示されているようで、それが学界に認められ、さらに明確に実証され、定説になっていくという段階が「まだ」という感じ。
雷(カミナリ)は、やはり「神鳴り」だと改めて感じ入った。
原始惑星系円盤、という、太陽系にまだ太陽しか無かった段階で、周囲のチリが太陽の重力によりその周りを周回し始めて、チリ同士が摩擦して熱・電気が生まれて、ある意味これが雷のような現象となり、無重力空間で1500度以上の熱で溶けたチリが急激に冷えると、チリの塊(=コンドリュール)が丸く、球体になるという。地球のような惑星もそうやって出来たと考えられているとか。つまり、雷は地球の誕生そのものに、関わっている、ということ。

この話は、インド哲学におけるパンチャマハブータ、五大元素の発生を思い出させた。
ビッグバン(創造主の覚醒)→ アカシャ(第五元素・空)
→震え(風)
→摩擦による熱(光・火の元素)
→冷えて水になる
→水でチリなどが固まり土になる(物質が出来る)
地球そのものも、このようなプロセスで形成された。インド哲学の宇宙創生神話の言うとおりだ。

さらに、地球上の生命の誕生にも雷が関わっているのだとか。
大気中に8%含まれている窒素は、植物の成長に欠かせない。けれど、分子と分子がくっつく性質があり、くっついて固まった窒素の分子は水に溶けない。そこに、雷が関与することで、分子同士が結合せずに切り離され、水に溶けて、植物の成長を助ける。ある実験によれば収穫が倍増するとか。日本で古来「稲を実らせるから」=イナヅマ(稲の恋人?)と呼ばれて来たこともそこに関係する。雷がたくさんあった年は稲が多く実ると、古代の人は知っていた。
番組後半では、フルグライト(雷管石)が紹介されていた。フルグライトを専門に研究しているアメリカのペイセック博士は、世界中のフルグライト標本を保有していて、とても綺麗な白や、ブルーのメノウのようなフルグライトも有った。フロリダの白い砂山からは、無数に出てくるそうで、白くてキラキラ・・「ああ、欲しい」と思いながら。笑

巨大なものだと、木の根っこが大きく広がるような形状でフルグライトは形成される。砂岩や砂に落雷があり熱で溶けてガラス化した部分を解析すると、地表には存在しないシュライバーサイトという鉄とリンの化合物が発見された。リンは生命誕生に欠かせない元素と言われているが、地球で生命が誕生した38億年前、太陽系のチリはもう落ち着いて隕石の数はだいぶ減少していた。シミュレーションすると、現在の10倍以上の雷がその頃、発生していたと考えられ、隕石ではなく雷が、38億年前の生命の発生を助けていた可能性が高い、と。
フルグライトに含まれるリンは水に溶けやすく、落雷によりフルグライトが形成され、雨があたってリンが流れ出し、海の成分となって、生命誕生が成されたのではないかという話。ここでも、火(雷)から水、そして生命(物質=土)の誕生というプロセスが見える。

地球のような物質惑星の誕生そのものに、雷(と同様の宇宙でのプラズマ現象)が関わっていた。そして、地球での生命誕生には、むしろ欠かせない役割を担ったかもしれない。そして雷によって水の中の分子に変化が起こり、植物の成長が活性される、ということは分かった。では、なぜ雷は生まれるのか?の最初の問い。。。
宇宙の彼方から、地球には常に「宇宙線」という、惑星の爆発・誕生などで起こったエネルギーが到来しているという。そこに、雷を起こしやすい形態・性質の雲が大気に在ると、雲の中の氷が宇宙線により「電子なだれ」という現象を起こし、電流が発生し、地表へ。今度はその電流が地表から跳ね返る(?)と、雲の中で稲光が生まれる。そんな話だった・・(一度さらっと見ただけなので、違っていたらsorry)

宇宙で起こること全てが、偶然などではない、ということは分かっていても、改めて凄いなと思う。
Storm Chaser のお二人が「自然界の厳しさに向き合う」人の顔、人相で。「神聖な撮影だ」と語っていた。畏怖心と、純粋な情熱。カミナリ学者の方々も。
日々の仕事は人生の多くの時間を費やす。毎日触れているもの、そこへの意識の持ちようで、自分自身の思考や視点も変わっていく。畏怖心と純粋な情熱を持ち続けられるような仕事は、その人にとっての天職、天命なのだろうなと思った。

Love and Grace

90億年の遺伝子

メタトロンリンク vol.1を終えて。前日までのどんより空、そして前夜の豪雨を経て。まるで梅雨明け、季節の変わり目のような青空。終了直後に、そのままその場所で写した一枚。こういう瞬間、目を開けると世界が清らかになっていて(そのように見えて)、感動する。特に何を、というわけでもないけど、その瞬間の空気と光を映してみた。

マンスリーイニシエーションは「聖堂」や「石ラボ」とまた違うシェアリングの方法をとることにして、既に今朝、その記事を書いて保存したところ。コールインの方々の受け取りを考慮して、水曜日ころに公開予定。色々な驚きや新鮮な喜びもあったけれど、今はここには書かず。そちらの記事で読んで頂ければと思う。

今日が満月とのこと。6月のハードボイルドな男っぽい雰囲気は、ちょうど7月1日をもって落ち着いたのかも?(一旦の区切り、かな)・・その一方で、6月11日「白い聖堂」は始まる直前から左首にエネルギーの楔を打たれたかのような違和感。その日の聖堂・テーマは「セラフィムの憂い」の改めての波が来て、つまり女性性サイドも解放の余波が続いていて、フィールドワークに出れば古い呪詛のようなエネルギーに当たり(・・笑/笑いごとではない・・)、それを調べようと思った訳ではないのに、興味をもって取り寄せた参考書籍が結局同じ歴史のいちページや、同じ地域、エネルギーに繋がっていくなど。

左首は、ワークやセルフメンテで外れては、また来る、を何度か繰り返した。チャレンジ&ギフトのつづれ織り。ヘヴィメタの日々であった。
けれど、そのお陰でこれまで気にしていたことが気にならなくなり、無駄を省く、というスローガンのもと、自分自身もかなり思考の断捨離、行動パターンや発想などにおいてもリニューアルが続いているのだ(この一年くらいの間)、と、ゆっくり振り返る時間を取ると、気づいたりもしている。

世界は本当に作り替えの時期に来ているのだなあ・・という実感も、ようやく、感じる。「どうもそんなふうには思えない」という感覚が続いていたけど、やっと。地殻変動、動いているのだと実感する。=嬉しい、というわけではなくて、ただ地上で生きる人間として、時代の変換の波のようなものは避けられないから、嬉しいとか期待とか、不安とか迷いなど、感情のレベルは超えて、何が出来るかと常に考えている最近。

「古代の宇宙人」シーズン14(2022)最終話かな?見ていたら、先日載せたお寺の写真(とその次の記事にも)のアダムスキータイプのUFOと同じと思われるものの画像を解析していた。2015年、アメリカの海軍が撮影したもの。ホントそっくりな形。その「機体」の周囲が、まるく輪のように見えている現象から、その部分が温度が低く、黒く見える機体部分の温度が高く、「アルクビエレ・ドライブ」または「ワープバブル」と呼ばれるものではないか、と仮説していた。映画「スタートレック」を見ていてアルクビエレ博士が思いついたという。

機体の前の空間を収縮させ、後ろの空間を拡張させることで、機体自身は光の速度より早くワープ出来るという仕組みを搭載したUFOがあるのではないか(その技術を実現できるのではないか)というお話。宇宙工学の進歩も今、目覚ましい。そうそう、それから、シーズン14には色々と興味深い回があって、
人間の遺伝子は、最新の研究において、「90億年の歴史がある」かもしれない、という話。スタンフォードの遺伝学者 Gary Nolan 博士の研究によるもの。人間の遺伝子はとても複雑で、地球の年齢である46億年では到底、今のような進化はなされないという。地球外からもたらされた元々の人類の土台のようなものが、あるのではないかという。ジェネシスの原型神話からしても(「リラの原基」)納得できるし、シュタイナーが言う、「人間の要素の中で(ライトボディよりも)肉体がもっとも古い」という話も思い出させる。

娘が以前、シュタイナーの高校で先生から聞いたフレーズ。「鎖骨はかつて膝だった」・・人類の長い歴史の中で、今、鎖骨として存在するものは、かつて膝であった時代を経験しているということかな。これ、とても気になって、詳細を知りたいところだけど、、人智学の文献などに出ているかな? 鎖骨はジェネシスでは高次自然界、膝はソウルグループなどとのリンクポイントであると考えている。人類全体の歴史において、かつて人類ではなかった時代に、「膝だった」ということだ。とても気になるフレーズで、「90億年の遺伝子」にも通じるのかもしれない。

肉体の設計図である遺伝子に、地球上の肉体以前の人間のデーターが入っている。むしろそこから、外側のライトボディや、ダイアードソウルとトライアードの二層構造などが、集積されながら、地球46億年、さらにそれ以前の歴史が反映された「生命としての複合システム」として、私たちは生きている、というイメージが、その話とうまく繋がる気がする。

今日はこのくらいで。
Love and Grace

過去の扉が未来への扉

つい最近まで、「古代の宇宙人」のシーズン14まで見れるということに気づいていなかった私。古いシーズン〜S13までを繰り返し見ていた訳だけど、「まあ!」と気づいて早速、S14(2021年制作かな)を見進めると、最近この日記で2度UFO?? 「またそういう時期が来た?」と書いていたのでタイムリーだった・・世界各国のUFO案件への対応の色々を特集する回があった(#198)。まさにリアルタイムの最新情報。

近年、目撃情報はどんどん増えているようで、特に中国。閉ざされた国家である中国でも、国民の間で加熱するUFO現象への関心、100万人規模のメンバーを有するUFO調査グループが民間に存在するという状況から、それらと連携しながら情報の収集・調査を進めているという。
日本は先進国の中でも保守的な態度で2018年には政府が公式に「そんなものは存在しない」という発表をした?そうだけど、翌年には防衛大臣とアメリカの国防長官との会談を機に、(アメリカからの打診があったようで)方針を変えたのだという。もしかすると知られている事?かもしれない、、私が10年以上日本のテレビを見ていないので、国民的周知のことだったらゴメンナサイ(笑)。

2021年に亡くなられたイギリスの女王の夫君であったフィリップ殿下が、個人的に熱心にUFO研究をしていたということが、崩御後に明らかになり、アメリカでは(これはきっと有名な話)2021年にUFOに関する調査報告を政府が約束し、その後は更新された情報が開示される時代が来ている。フランスではなんと以前から、「政府が把握している情報はすべて国民に開示する」というスタンスだそうだ–さすが、大人の国。国民に情報を与えることで、国民自身に判断の責任を負わせている。

そのような潮目の変化の中で、以前カナダの元国防大臣のヘリヤー氏が(前にも書いたけど)テレビに出演し、宇宙人と一部の政府が協議をしていること、宇宙勢力も様々でひとつの考えではないこと、などを証言した。更には、イスラエルの「宇宙開発の父」と言われている、教授・博士・科学者・政治家・将軍である(元国防省宇宙局長官)のエシェド氏が、「宇宙連邦」とのコンタクトが行われているとインタビューで証言したとか。
「地球はまだ銀河連邦に迎え入れる準備ができていない」と言われているとの情報に対して、番組としてのコメントは「人類が成長し世界を良くしていかないといけない」と。・・まあ何と言うか、宇宙時代はすぐそこまで来ている、という感じが確かに、伝わって来る。E. マスク氏は「2050年には100万人が火星に住んでいる」と語っているとか。2050年??もうすぐ!?

番組を信頼しているのでフムフムと思って見ているけれど、同じことをネットで検索に掛けると、まあ色々と出て来て。同じ情報でも、様々なベクトルで様々なエネルギーで、利用されている感じがする。だからこそ、日々、これほど世界の空気、波長が混沌としているのかもしれない。もう本当に「そういう時代」に入っているのだ。
コンタクトが始まれば良いという訳ではない。あちら側、こちら側、そちら側・・・と、まだ幼子のような人類をめぐって、様々な仕掛けがあるはず。だから真に正しく導こうというスタンスの宇宙存在たちならば、調子の良いことなど言わないだろう。慎重に、まずは人間たち同士の問題や、意識の低さゆえに起きている地球上の課題を乗り越えるように導くはず。だからまだ数十年は先なのでは?と個人的には思う。けれど、UFOの出現が増えているのは、そのオフィシャルなラインだけではなく、違う方向へと人類を持っていきたい力もまた動いているのだろうし、そこを「受信」している個人や組織もあるのかも。

日本の幕末、明治維新でもそうだけど、何が正しいのかという意見は、同じように善良で真面目な人々の中でも時に意見や進む方向が分かれてしまったりもするもの。これからそういう時代に入っていくのだろうから、自分自身の軸と意志を持っていないと、と思う。パンデミックで既にその辺り、揺さぶられて、少しずつ人々、日本人も、変化が起きてはいるのだろう。
そう。それで、そんな未来に向かう流れを、より良いものにしていく為には。過去にそのキーがあると、以前から感じて来た。個人の癒しと成長が起きていくプロセスでも必ず必要な、「問題の自覚」「向き合い」「受容(問題を問題として理解する)・赦し」「癒し」「手放し」「そして前に進む=成長」の流れが、「人類史」についても同じであるべきだと。宇宙時代の到来を、ただ扉を開かれるのではなく、過去を整理して自らを知り、人類10万年の歴史を理解した上で、選択するからこそ、「進化」=よりよくなる が叶うのだと。
宇宙の法則は数字、数学であり、プラス、マイナスをきちんと整理してこそ、奇跡のような進化の数式が成り立つのだと思う。・・この感覚は仏教の宇宙観と通じるのではないかな。

ゆえに、古来の「人という存在として個人が自らを浄め、煩悩を手放し、ホトケになる(次元上昇する)」この教えこそに真実、真理があると。トリックやトラップで多くの人々がパニックになってはいけない。だから、地球を本当に運営している高次は、別次元から見つめて静かにしているのかもしれない。自然現象などを通じて、メッセージを送りながら。人類を生み出した親である「神々」は、慎重であるはず。直感やエネルギーを、マヌやエルたちの転生者に送りながら、人類自身の足と意志で立ち上がるよう、促しているはず。
古きものを、大事にしていく。
古来の叡智に、導きを見出す。
いまだ解決していない古来の(現文明にまつわる、さらにはその下にあるジェネシス層の)マイナスのパターンを浄化し、歴史を昇華させる。

過去が未来への扉となっている。
「岩戸開き」からの、未来への道筋。
地球を守るための、スピリチュアル。(人類がどうこうなる、が最優先ではなく)←ここがバロメーターで、分岐点になるだろう。利己から利他への進化が予定されている訳なので、「皆で協力して地球を守ろう。地球上でまだ起きている問題を解決しよう」という思考に向かうのが自然。それらを差し置いて「自分たちがどうしたい」という方向に向かうのは、利己から全く抜けていないし、むしろ進化とは逆の方向へ走ることになる。

「クリスタルラボ・春期」ラスト4回目のメディテーションは、参加生の皆さん自身のジェネシス層を癒すような内容にし、1〜3回で壮大に開けたマニアックな路線は「秋期」に持ち越し、本格的な「過去からの未来への扉」に向き合っていこうと思う。詳細はまた後日。

Love and Grace

憧れと尊敬

前回、15日の日記に載せたUFO?の映り込みから、「そう言えば全然意識してなかったけど、普段から意外と写っているのかも?」と思って最近撮った画像を見始めた直後、20日の夕方に撮っていたこちらの写真。左下に、Vの字のような5つの黒い点を発見。おお、本当に・・?
拡大すると、

これだとちょっと確認難しいけど、15日に載せたお寺での写真に写っていたアダムスキー似の形状が、特に一番後ろ(あるいは前)のひとつ、に見られる。伝わってくるものが鳥、という雰囲気ではないし。円盤型。同じ場所を4秒前、1秒後に写した画像にはこの5つの点は写っていなかった。何か、またそういう時期が始まったのだろうか。

日頃から小規模、レコンセクレーションを使った身の回りの空間へのワークは行っているけれど、私は基本的にリモートでも実地でも、土地や歴史へのワークには消極的だ。見えない世界に関わることを魂がよく知っている、経験してきていることに由来するのかナチュラルに遠慮、無闇にやるものではないという考え方もその理由にあるし、もうひとつは、若い頃に受けた「教え」ゆえでもある。
幼い頃から歴史、というか、物事の「はじまり」にとても興味があった。それゆえにメタフィジカルな学びをするようになると、土地の歴史への見えないレベルの理解を深めようという関心が自然にあり。さらに、そこにあるマイナス要素へ、自分が出来ることはないかと考えた。

それに対して師匠的な方は、「歴史には無闇に(スピリチュアルな意味で)首をつっこむべきでない」と言った。それは、もっともだと当時も感じたし、今ではよく理解できる。更には、当時私が「気になる」といって指摘したその土地(都道府県レベル)の歴史に由来するカルマとその影響について、当時は「関わるな」と言った「師匠」が、後に連絡をくれて、実際にその影響と思われる難病、精神的不調に困っている人々から相談を受けたことにより、以前私が軽く調べていた部分に関して、「対処をすることになった、その必要性を感じた」と仰ったことも、
今では、その展開や師匠のその時々の判断についても、よく理解できる。
「必要に迫られる」という部分が、重要なキーなのだ。そして周辺事情を調べて知った上で、判断して、何らかのアクションを行う。
調べる、と言ってもネット検索、というレベルではなく。責任をとる立場にある人が、公式の調査、考察、報告、としてまとめた信頼できる「資料」をあたる。最初のきっかけはネットでもいいけれど。

ここでいう「歴史」は、レムリアだとか、果てしない感じの規模であっても同じこと。もちろん「ジェネシス」もそうであり、私の立場での「研究」のベースは「サロンでのセッション」であり、そこで出て来た内容を調査する段階で時には「直感」や「導き」も混じりつつ、スタートも、前に進む時のキッカケや後押しも、すべてサロン仕事という「現場」での発見、検証を土台としている。ただ何となく興味を惹かれて・・とか、自分が「気になる」から言ってみる、という感覚だけでは動かない。

日本の古代史、神話関連も何というか本当に・・・私が興味を持って積極的に本を読み、自分でも頭を捻り、会社のお給料をほとんど全て投じていた現地への旅・・あの頃、30年前に比べると、今は興味を持っている人、ネット上の情報もかなり溢れている。私と同じ頃に梅原先生等をきっかけに興味を持った作家さんたちの恐らく影響もあるのだろう。
けれども、進展しているかといったらそれほど。相変わらずという感じがしている。
そもそも、「神代」の世界を縄文時代だと考える人、レムリアや宇宙時代だと言う人、本当に天上界だと考える人、人間世界だけど神々を「祖先たち」、天から降る=大陸や半島から渡来する、とリアリティの中で捉えている人、中にはそれらが混在したまま、神なのか人なのか宇宙人なのか、ただどの神様がどれと同じとか、系譜がどうとか、どこにあった、正体はなんだ、という話が展開している。若い頃の短期間それにズブっとはまって以後、これはもうお手上げだなと距離を置くようになって・・

今は原点に還り。地道にお仕事としてコツコツと勤しんでおられる学者の先生方の見解を中心に頼りにしつつ、時に都合よく(笑)自分の直感、体感で、自分なりの神代〜古代史を何となくぼんやりと掴むようにしている。そう、秘訣は普遍的なものと、当時の特有なものと、古代人にも分からなかった神代や太古への表現方法を古代人の気持ちになって想像、理解すること。それに描かれている神代には、今とは違う常識がたくさんで、けれど私たちが失ってしまったものをありありと知覚していただろうことを、エナジーヒーラーとして体験して来た別次元の感覚とともに、共感していく。
スピリチュアル、に関しても言えることだし、「宇宙人」や「高次元」についても同じ。・・・『そんなに我々に都合よく・分かりやすく、すべてが起きるわけではない』
こうあってほしい、こうだったらいいなという願望、更には一切の情緒的な反応、期待、同調、などがない状態で、本来、歴史やアースワークに臨まなくてはいけないと思う。一切なし、は難しいと思う。けれど極力、そう努める。偏見も好き嫌いもなく。先入観も時にフィルターとなってしまうから、ニュートラルに。

タイトルと全く関係ない話で長くなってしまった。笑
だいぶ前、去年の秋ころかな、この日記に「嫉妬」や「憧れ」について何度か書いていた。アリストテレスいわく「嫉妬とは悲しみである」とか、エミリー・ディキンソン「憧れの裏には嫉妬がある」とか。なぜか消えてしまった記事もひとつあったけど、恐らくそこに、「好き」と「嫉妬」が混在する女心?のようなものが、私には分からない・・という話を書いていた。アリストテレスの「悲しみ」は何となく分かる。それはどちらかというと、被害者意識を持つ人や、自尊心が弱い人が、恵まれている(ように見える)人の立派な姿を見た時に、自分を可哀想に感じて沈んでしまう事、だろうから、子供の頃まで遡れば、それは何となく理解できる。

が、「憧れている」人に対
して、「その裏に嫉妬」・・というフレーズがどうしてもハテナであり。けれど実際に、「そのようにして」近づいて来た人が、「そんな風にして」ちょっとイヤな空気を置き土産に去っていき、キョトンとするような体験は何度かあった。存在していることは分かる、けれど、共感はできないなあ、タイプが違うのだろうなと考えて来た。
自分の過去、「憧れの人」にはどう間違っても嫉妬なんていう結果に転ぶことはあり得ない。だって憧れているんだもの、なのにどうして、それが反転なんてするのかしら・・・と考えていると、ふと気づいた。「憧れ」という漢字は、心に「童」と書くではないか。つまり、子供っぽい心、言い換えると「利己」=エゴイズム なのではないか、と。
「この人のようになりたい」が、多くの人にとって「憧れる」ということなのだろう・・な?と、ようやく気づいた。
「この人のようになりたい」ならば、自分が「そうなりたい」のだから、利己に発端しているのは当たり前で、始まりが利己(自分のため)だから、自分に都合が良くない流れになった時には負の感情を抱く、など・・最後まで利己的、自分勝手な感情へと変転していく可能性はメカニズムとして理解できる。

では、私自身が過去に「その裏には嫉妬がある」だなんて絶対にあり得ない「あこがれ」を抱いた方々への感情、感覚って何だったのだろうと振り返ると、「尊敬」だった。憧れとはまったく違っていた。尊敬、「尊ぶ」「敬う」・・そうなってしまうほど相手が素晴らしいと自分が思っている。だから、その先、どこまで言っても「裏には嫉妬が」なんていう結末は来ない。
英語で尊敬は「respect」つまり、re(もう一度)spect(見る)
素晴らしいから何度でも見る、振り返って見てしまう、ということ。
一方で「憧れ」あこがれ、の日本語は「その場所から離れる」=「あくがる」という動詞が語源らしい。グラウンディングを失い、ぽわん、として自分自身から離れてしまうような感じか。

そう考えていくと、尊敬する人、はたくさん居る。では、憧れる人は・・・?
う〜ん。居ないのかもしれない。というか、そういう発想がそもそも、無い、無かったかもしれないと気づく。そう言えば若い時分、「自分という個性を追求して生きていきたいから憧れの人はいません、自分の個性や理想を知っている分だけ、自分自身がいちばん自分の理想に近いのかもしれないです」なんて、どこかで誰かに語っていたっけ。生意気な娘だったなあ、本当に。
「憧れ」は、その人が、その人自身のためにするものだ。それが急に違うものに変わったり、豹変したりもするということ。たくさんの「憧れ」に囲まれても、自分が愛や敬意を受けている訳ではないということを、人は知っておかなくてはいけないのかも。(みんな最初から知ってるって・・?そうなのかもしれないネ・・笑)
尊敬は利他、というよりは無条件に相手に抱く、向ける、信頼・信愛・賞賛(評価)である。誰のため、などの思惑はなく、自然発生する響きの良い感覚、感性でもある。

子供のうちは、たくさんの憧れを抱くと良いかもしれない。けれど大人としては「自分自身から離れて」しまわずに、着地して軸を守り、自分の前を歩く人、素晴らしい仕事をしている人々に敬意を抱きながら、自分自身を作っていくことに努めるのが良いのだろうと思う。そしてもちろん、人に尊敬されるような大人として生きていかねば、とも思う。常に内省しながら。静かにそっと尊敬してくれている人と、憧れを寄せている人を、見分ける感性も必要だ。先日のInfo の通り、やはり今は「利己と利他」を徹底的に、考えさせられる時期かもしれない。

Love and Grace

これが時代感覚?

私が生活を自然派、地球に優しく人間に優しく・・と、切り替えた20年前からすると、考えられないくらい、商品も情報も、つまりきっと利用者も増えている。まだまだ、とは思うけど、確実に。

それから、AIの普及などの行末を懸念する情報を耳に入れると確かに色々と恐ろしくなったりもする。。けど、冷静に考えると、実は個人的には「人類の進化」とは人間が動物的でなくなることである訳なので、恐らくきっと、肉体労働的なことから解放されていくことは、スピリチュアルな「進化」とはセットであるとも思って来た。

いつだったか、数年前にサロン仕事の後だったかでエネルギーが高まっている状態で用事があって家電量販店に立ち寄った時、普段行かないし、家電好きな男手も家庭内に居ないし、テレビなどの情報にもあまり触れていないことから、「今こんなことになっているのかあ!!」という、進化した家電たちに取り囲まれて感動し・・何かエネルギーの作用が相まって、ちょっとしたワンネス体験のようなことになってしまった。(笑)

主婦としても、男手の代わりとしても、自営業の店主としても、本当に日々雑多なことに時間を割かれ、体も頭も動かし続けていなくてはならない状況で自分は生きているけど、未来になると、人類はそれらから解放されることで、もっと豊かに創造的に時間とエネルギーを使えるのだろうな。こうして人類は、脳の別の場所を使えるための下地が整うのかもしれない。進化は着実に進んでいるのだ!!と、

なぜか、家電量販店でハートが全開の、「ああ、素晴らしい!神よ!」という、時々ある、ワンネスフィールドに行ってしまい。(笑)涙ぐみながら、店を後にし。

そうは言っても、いまだにうちには電子レンジもテレビもなく、最近ようやく久しぶりに時短目的で炊飯器を。という調子だけれど、それはまた別の話。電磁波もあるし。

人類の進化の一側面にテクノロジーの進歩は欠かせない、という事が言いたかった。けれど、その移行期にあたって、多くの課題に、人間社会は直面していくことだろうとも思っている。悪用する、利己主義で開発・普及を狙う、ようなネガティブなヒトの性質とテクノロジーが結びつけば、自滅するだけ。発展していくテクノロジーをうまく活用して、今人類が抱えている旧来の問題、眼前の問題を解決していくことに、力を注ぐことが出来れば。うまく未来へ、歴史を繋いでいけるのだろう。

移行期、変換期ゆえの、摩擦によって起こる不協和音に、人任せな人は掻き乱されて人や外にあるもののせいにしてしまうだろう。

また、善良であっても体質的に受容的な人は、鳴り続ける不協和音を受信してしまう形で、移行期のネガティブな要素を受信してしまうだろう。そのどちらも、質の良い善意の情報や、誰かの努力によって、少しは防げる、改善できるはず。

日々巻き起こる異常気象や、そんな中で次々と伝えられる情報、世界各地の変動、テクノロジーの発展、それによる弊害・・・テンポの早いこの時代という空間の感触に慣れていって、かつ、汚染されない。それが大事。

Love and Grace

頭の中の螺旋

ヴァイアマスな雲がたちこめる梅雨空の下、だいぶ前・・5年前くらい?からの宿題であった方面に足を向ける。予報ではずっと雨だった時間帯。もしも辛うじて曇りになってくれたら、歩こう。もし、雨が滔々と?降っているようなら立ち寄りません、帰ります・・というつもりで消極的な構え半分、今回は行くことになるのだろうなという予感半分で用事を済ませていると、

空が少し明るくなり、時折パラパラと細い雨が降る程度で傘をさす必要もない、ちょうどよい気象に。今色々とテーマが動いている中で、どうやら「白い聖堂」の役割分担とも関係して、幾つもの小世界でそれぞれのストーリーが展開しながら、反響しあい、時折混じり合ったり、また別々の場所へ戻されたりしながら、全体の曼荼羅が編まれていくよう。

この日の私は男性性的なストーリーを担当していたよう。仏閣の裏山を歩くうちに、体がどんどん(単に歩いているからというだけでなく)温泉に浸っているように上気していって、不思議な世界感。五重塔の下に至って空を見上げると、何か「おわします」感じの雲。ご挨拶する気持ちで写真を撮って・・帰宅してPCの画面で画像を見ていて気づいたのが、右上の黒い影。鳥かな?と思ったけど・・・
↓ 切り取って拡大すると↓

鳥ではなさそう。普通に考えると・・・
「アダムスキー型」??

今朝ちょうど、「古代の宇宙人」のアカウント(twitter)で動画が載せられていたUFOが、以前横浜の青葉台サロンで2014~2018年にたびたび見えていたのとそっくりで、ひとまずイイネをしておいた。興味ある方は見てみて下さい・・だいたい4〜5機でMやWやVの字を書いたり、広がってまた集まったり、ヒュッと瞬間移動したり、フェイドアウトで消えたりまた滲むように現れたりするオレンジ色の光。UFO画像はいろいろあるけれど、今日見た動画はほんとにそっくりで。

様々なバックグラウンドがあるのだろうな・・UFOと言っても。あの頃、ジェネシス情報が一気に進んで2017年12月でまとまるまでの時期、生徒さんやお客様の居る時にも頻出していた。その後は滅多に姿を見せなくなり、私がひとりで仕事をしている日に、時折、1〜2機で比較的静かな動きだけになっていて。最も反応して盛大に長時間、フォーメーションを変えたり繰り返し出没したりと「サービス」してくれていたのは、セイキム伝授の時。何度も。生徒さんたちと長時間眺めていたっけ。

あの時飛んでいたものは、何のUFOだったんだろう?と、ここ数年考える。

ジェネシスが完成していく、プラクティショナーになる人たちが集まっていく様子を、応援しに来ていたのか、もしくは、監視していたのか。高次元由来ならば、私たちのオーラ体の様子や、ソウルシステムに入っているエネルギー、周波数、宇宙遺伝子なども、よく見えるのだろうし、遠隔で計測することも出来るのかも。その後、起きたことを考えると、応援ではなかったのかもしれない、と思うこともある。けれど、地球の中心に在る神なる世界も時に厳しい学びを投げかけ、静観することがある。

先日見たこれは? いやいや、見てはいない。向こうが見ていた、のかな。全く同じ場所で6秒後にシャッターを押した画像には、もう写っていなかった・・・以前来ていたものと、同じなのか、別系統なのか。この時、シリウス系のワークをここでしていたので、いずれにせよ、反応したのではないか?と思っている(これが鳥やドローンであれば別だけど。笑)

たびたび書くことの繰り返しだけど、心と感覚と思考の「奥行き」を育てていくことがやはり大切だ。三次元の価値観や意識のままで、スピリチュアルなことを分類したり判断したり、反応したりしていると、ずっと同じところをグルグルと回ってしまう。スピリチュアルでさえ無くなってしまって、「スピリチュアルな事を題材に何かしているヒト」、となってしまう。ソウル中心の存在として、地上で生きるソウルとして、螺旋を昇りながら成長していく。そのためには、都度、奥行きを持って感じたり気づいたり理解したり、が必要になってくる。

自分の感覚で話をした場合に、聞く人はその人の立ち位置のフィルターを通して理解する。すると返ってくる言葉や反応も当然、そのフィルターが処理した結果となる。その法則をうまく運用できる人は、良きティーチャー、良きセラピト、良きプロフェッショナルとして活動できるのだろうと思う。そのためのコツの一つとして、自分自身が螺旋を回っていることを理解し、相手の話を聞いたり起きている事を見聞きしながら螺旋のめぐりを本能的に想起出来ていたりすると、良き助言者となれる。

その為には、自分自身がたどってきた螺旋を、ちゃんと理解出来ていなくては、ということでもある。過去に固執するのではなく、理解し、受容するために自己や過去の出来事を反芻することは、やはり大事だと思う。自分の為だけではなく、その後、出会う人や未来の出来事を、うまく受け止めていく為にも。そこでもエゴセルフは「自分可愛い」フィルターを掛けて、「歴史」を改竄しようとしてしまいがち。そうならないようにするには、ハートの力。ハートに愛があり、オープンかつニュートラルに思索できるか、という。

スピリチュアルで基本と言われていること、ハートの力、グラウンディング、センタリング、ノンジャッジメント、などなどは、やはり螺旋を幾つ廻っても、その都度また度量を試されるものだ。

 

Love and Grace
Amari

ポセイディアの風景

アトランティス人種期(神智学に習い100万年前〜1.2万年前と『ジェネシス』では想定)の最後の砦、都市国家ポセイディアの時代について。

一昨日書いた Info 記事の補足と、今後のためのメモも兼ねて。

2016~2017年に『ジェネシス』の歴史絵巻をまとめていく過程では、リサ・ロイヤルやゲリー・ボーネルなどのニューエイジ分野のチャネリング、アカシック情報が伝えて居る事も参考に。神智学の先人たち・シュタイナーの記述や、更に遡って旧約聖書などの神話、をベースに、大枠の時間の流れを整理していき、その中に、アルガンザの(その時点で)12年間のクライアントセッション等で見せて頂いた魂の種族的原型ストーリーを当てはめて行った。

もっとも難しさを感じるのは、一番「最近」のアトランティス人種期であり、掴みどころの無い更に古い非物質の人種期と違って、(途中からは)物質世界が、この三次元に近い状態で展開していただろうと考えると、気を遣う作業でもある。そうかと言って、三次元だと思ってはいけなくて、『ハピの巫女姫』や『ガイアナ神謡集』でも、微妙に違うそれぞれの周波数と、それにより「神」(宇宙人や自然霊)が物質化するのか、しないのか、可視なのか、そうでないのか・・の設定を変えて描いて。今後、アトランティスの内部に物語の舞台を置くような小説を書く時もまた、アトランティスならばアトランティスで、時代の流れによってどう周波数や可視・不可視などが変遷していくのか、を、描き分けて行くつもりでいる。

それらの土台として、自分でまとめてきたエナジーヒーラーだからこそ見えた、体験できた別次元体験からの『ジェネシス』ヒストリーが、生かされていくと思っている。

そんな訳で、詳細はいつか物語の中でと思っているアトランティス人種期。概要と、ヒーリングの重要ポイントと思われる物語やエッセンスを取り出して刻んでおく、という作業が、ヒーラーとしての『ジェネシス』バイブルのまとめ、と言う事になる。

『ポセイディア』という名称は、確か、ゲリーさんの言葉に倣っている(『ジェネシス』を編集して出す時にはその辺りの参考文献なども記載する)。名称からするにポセイドンの都、と言う事で海との繋がりが切り離せず、以前セッションでアトランティスの風景として見て来ていた海底の聖地や神殿などのイメージ、海の種族やマーメイドなどがまだ人間と共存している、宇宙テクノロジーと魔術が融合し宇宙人も「神」として出入りする、そんなありようが、ゲリーさんの言う「ポセイディア」と無理なく合致するので、その名称を使っている。

最近のセッションで、レムリアやアトランティスの「海」にまつわる情報が続けて出て来ていたのは、海の癒し、カルマを整理することで、海の中に眠る負の集合エネルギーを昇華し、地震などを抑える、あるいは逸らす、高次の目的があるのだろうと・・実際それが全体で進んでいるために、個々のセッションでも出てくるのだろうと、考える。

昨日の第二回クリスタルラボ「アースメディテーション」

余りにもパワフルで今回もまた圧倒される。石を使うと、特にグリッドして瞑想すると、やはりエネルギーだけを呼び出すワークとは一味、いや、だいぶ利き方が違う。増してグループなので、壮大に広がっていく。私が見た風景は海そのものでは無かったけれど、そこで見た情景が「見たことあるけど、どこだろう?」という後味だったため、古代遺跡の情報の宝庫である『古代の宇宙人』のサムネイル一覧から記憶を頼りに探して、2〜3話を選び、再度見てみた。

最近のセッションで出てきた「月信仰の神殿」について、「マルタ島だと思う」とお伝えした方が何人かいらっしゃったけれど、訂正!「サルディニア島」の間違いでした・・シチリアを間に挟み、地中海のご近所ではあるし、太古は地中海が陸地であっただろうから、地つづきだっただろうけれど、念の為に。現在のサルディニア島に、例の月信仰の遺跡があります・・

前に見た時もダイアリーに書いていた気がするけど、改めて、も少し書いておくと、

サルディニア島(イタリア)の「ヌラーゲ文明」の遺跡群は精巧な石細工が見られ規模も大きく、地元には(マルタ島にも)巨人伝説がある。実際に身長270〜370cmもある人骨も発見されている(がその後行方不明)。

サンタクリスティーナの井戸、と呼ばれる遺跡は、(日本の前方後円墳にそっくり!!)「ルナースタンドスティル」と呼ばれる天体現象を観測するために作られたと考えられ、天の最も高い位置に来た月がしばらく止まったように見える現象らしく、18.6年に一度起きる満月だとか。その満月が、開けられた小さな丸い穴を通して、地下に作られた「泉」に綺麗に映し出されるというもの。その地下の聖地はびっくりするくらい石が整形されていて、番組で取材した人が「これは現代の建造物でしょ?」とコメントしたのも頷けるくらい。

サルディニア島には、メソポタミアのジッグラトにそっくりな階段状ピラミッド神殿のような遺跡が数多く。石を組んだ巨大な塔「ヌラーゲ」はなんと島内に8000もあるという。この、サルディニアの巨人伝承について、番組では、旧約聖書の「見張りのもの」=ウオッチャーズ(Watchers)が、堕天使となった原因の物語に注目している。人間の女性たちと契り、巨人が少なからず生まれたという「エノク書」の著名なエピソードだ。ジェネシスでもこの原型ストーリーは取り入れているけれど、少し、時代や状況が違う。

・・更にはメソポタミアの神々の子孫「ネフィリム」もまた巨人であったこと、ジッグラドなどとの共通点が見られることから、イコールかもしれない?と、言及している。おまけにこのヌラーゲ(石塔)の主要なものがプレアデス星団の7つの星の位置に並んでいるとか。マルタ、サルディニア、バビロニア、そして場所は違えどマヤ文明などは、プレアデス信仰が伺えるそうだ。

ここで思い出すのは、ゲリーさんのアカシック本にあった「ソドムとゴモラ」。人間の女性たちと交わった「プレアデス人」が居たため、核によって(だったかな?)街ごと滅ぼされたという。旧約聖書では神の怒りに触れて焼かれた、だったっけ。ソドムとゴモラに関してゲリーさんはモロッコにあったと言っていて、もう7〜8年前になるか、アルガンザがまだ横浜にあった頃、モロッコレッドスピリットクォーツとワークをして、とても苦しい長丁場になり、モロッコに埋められた堕天使的な存在たちを鎮魂した、というアースワークに発展し、上記のゲリーさんの記述を先に知っていたので、当時ちょうど、ジェネシスの前身「アルガンザ創世記」を整理している頃で、「エノク書」のアザゼル等がカレッジでも話題に出ていた時だった。

アザゼルとは、まさに「ウオッチャーズ」として名前が上がっていて、人間の女性たちと交わって堕天させられたという存在。そこで、モロッコ、堕天使、さらには(ゲリーさん情報を通じて)プレアデス、というキーワードが繋がったのだった。それを今回改めて今の視点で思い出しながら、アトランティス末期、ポセイディアを整理している。

なにしろ、サルディニアやマルタは場所的にもろにポセイディアの範囲内であり、番組が引き合いに出している「エノク書」では、人間と天使たちのハーフの巨人が生まれたことに対して神の罰が下り、大洪水が起きたという。『ジェネシス』でも、ポセイディアを終焉させたのはやはり大洪水としている。

今、注目したいのが、アルガンザで最近整理されてきた「月信仰」「プレアデス」のつながり。それがどうやら、サルディニアには、つまりポセイディアには存在していた。この状況で「降りて来ていた」神々は、普通に考えたら(プレアデスを模った塔を並べているくらいだから)プレアデス星人であり、その混血を快く思わない「神」が、大洪水を起こした。つまり、高次元では人類をめぐる諍いが続いていたということ。ちなみに番組では、洪水を生き延びた巨人たちがサルディニアに居住したのではないかという推察。近所のマルタ島で有名なのは、地下三階の広大な地下都市遺跡で、古代の建造物とは思えない精巧な建築技術は目を見張る。

別の回の同番組で、中国やトルコ、インド、南米など各地で高度な技術で建造された地下都市が紹介されていて、大洪水、あるいは核戦争などを回避するために事前に人々が建造ししばし居住、生き延びた人々が外に出て、文明をゆっくりと立てなおして、(科学技術などは失われ)現在の私たちの歴史の黎明期、に至るのではないかと。ここは全く同意見で、「ハピ」や「ガイアナ」でも既にそれを歴史の下地として敷いている。

(ゲリーさん情報と「古代の宇宙人」から)人間の女性たちと契るということを積極的に行ったのはプレアデス人で、彼らには彼らの目的があった(人類に対する計画・人類の遺伝子を利用?する計画)。地球の管理者でありロゴス、人類の親であり、進化プロジェクトそのものであるシリウス側と、聖書の大洪水や、ソドムとゴモラの話などからしても、常に人類をめぐる攻防が続いて・・(今でも)・・いるのかもしれない。

以前見たヴィジョンで、ポセイディアの中枢は海に浮かぶ円形の都市で、右と左、真ん中で区切られた二つのエリアに分かれている。それぞれで自治を行っていて、信仰や、バックの「神々」などの違いから、対立が起きていたのかなと感じている。エドガー・ケーシーのリーディングでは、アトランティス人はアメリカ人に転生する事が多いらしい。アメリカがもうこれ以上発展出来ないと(経済学などで)言われている今、そしてこれから、アトランティスの終末期がどんな風であったか、は、教訓としてキーになりそうに思う。

一旦はここまでで。。

Love and Grace

タイムトリップ時代劇

スベクヒャンや緑豆、ヘチだとか奇皇后だとかについて前に日記に書いて以後も、延々とほぼ絶え間なく見ている韓流時代ドラマ。全部書いているとキリが無いのでやや久しぶりに。というのも、最近感じている(&Infoに書いたりショップに反映させたりしている)「男性性・女性性のバランス」(個人の中でも。エネルギー面の地球規模でも。)というテーマと少し通じるものを感じた作品を最近ちょうど見ていたから。

『哲仁王后〜俺がクイーン!?』

馬鹿馬鹿しそうなタイトルやサムネイルや予告編でも、見始めるとそのうちシリアスな部分が出て来て、深い傷やトラウマなどが繊細な演技とともに表現されて、問題がちゃんと解決されていく流れも見えて来て、いつしか最初の馬鹿馬鹿しさを忘れている、というのが韓流ドラマの(現代ものでも)お決まりであること、もう学習しているので、しばらくいかにも現代風キラキラ系?コメディ系時代劇の印象のサムネイルを静観しつつ、ある日、思い立って見てみた。かなり良かったですヨ。おすすめ。

 

凄く斬新な脚本、よく考えたなあという感じだけど、現代の成功してナルシスト気味で女たらしの男性が、李朝の女性と魂が入れ替わってしまう。正確には、どうやら入れ替わってはいないようで、その体に宿ってしまった、という感じ。これはただひとえに主演の女優さんの演技力に拠ると思うけど、その点ではほんとに素晴らしい。最初は「まさか?」と思ったけど「青い海の伝説」や「彼女は綺麗だった」などのドラマで脇役(少女っぽい女性)を演じていたシン・ヘソンさん・・エイジングもしてないし、演じ分けの力凄い。 

最終話、主人公の男性の魂が、李朝の王妃から抜けて現代で意識不明になっている自分の肉体に戻った時、視聴者としてまったく違和感がなくて、今までずっとその人を毎話見ていた、という感覚がしていて。姿や声がかけ離れているのに、ある意味「同じ魂」になっていて、女優さんが余程、その俳優さんの(出番が少ないので「特別出演」扱いらしい)研究をしたのだろうなと思った。。

 

そんな雑感は色々とありつつ、言いたかったのは、李朝の宮廷時代劇のお決まりのパターン、問題のすべてが起きている世界の中に、『現代の成功してナルシスト気味で女たらしの男性』が、王妃として存在することで、問題がどんどん解決していく。幼い頃の壮絶な記憶、トラウマを抱えて、ギリギリの状態で重臣たちの陰謀と静かに戦いながら王座についている王様が、癒され解放されていくのと、魂が入れ替わる前にその王妃である女性と王様は敵同士のような状態だったけれど、「彼」によって敵対する両勢力の拮抗状態に変化が起きていき、お笑いを交えながら(笑・ほんと面白い)政治も動いていく。

 

宮中は常に女性同士の感情と、政治に関わる男性たちの権力欲で、戦場のような場所だろうと思う・・ 「オレが?!」という人が舞い降りたことで、お決まりの世界で、お決まりの問題が渦巻く世界に変化が起きる。中身がつつましい女性であった頃には王妃をあまり好きではなく政治がらみで敵視していた王様も、中身が「オレ」に(笑)なってから、「変わってるなあ」という驚きの連続がいつしか、「好」に変わっていく。

遠巻きにこのドラマは「ブロマンスのすすめ」なのかしら・・と、お茶の間では呟いていた。とはいえ、王妃の中に宿った「オレ」はまったくその気はないものの・・かつての王妃自身は王を恋慕っていたことにより、肉体感覚?肉体の意識が作動して、何やらおかしなことになっていく(笑・乙女ゴコロ?の芽生えに抵抗する様子の面白さが絶妙)。

 

男っぽい問題が凝り固まっているような場所では、女性的・右脳的感性の面で新鮮な風を入れて。逆に、女っぽい問題が横行しているような場所では、男性的・左脳的な方法で当たってみると、閉塞した状態に風穴が開いて、物事が流れ出したりするものだ。個人の中でもこれは同じで、自分自身に起きる問題のパターンや、苦しみやストレスに苛まれてしまいがちなテーマに、いつも「自分らしい」方法で模索したり、同じ方法で繰り返し処したりしていても、なかなか、状況はよくはならない。

自分の「かたより」を探して、見つけて、バランスをとる方法や改善策や、改めるべきポイントなどを拾って、実行に移していくと、困りごとから抜けていけるだろうと思う。自我で固まってしまっている頭、思考回路や感性に、違った角度や違った種類の風を当てる。自我に変化を起こす、常に解決のカギはこれしかない。

問題が起きる時、課題を抱えて進めなくなっているような時は、「バランスを修正する」チャンスが巡って来たと思えば、ポジティブに事に処していける。

チャン・ボンファン(王妃の中に宿った「オレ」)が現代の自分の体に戻った後もきっと、(作品では描かれないけれど)パーソナリティに大きな変化が起きたのだろうナ、と想像すると微笑しい。

 

「オレが!?」と歌っている主題歌が最高。序盤の数回ではエンディングに流れます。

Youtubeで第一話は無料で見れるようです。

:https://youtu.be/gh3ltnIHboI

 

タイムトリップする韓流時代劇、たくさんあるけれど・・

「屋根部屋のプリンス」「信義」「イニョン王妃の男」を見ましたが、どれも見たこと、時間を費やしたことを後悔することなく、面白いドラマでした。

前にもメインブログに書いた「トッケビ」や、「青い海の伝説」、そして「サイムダン」など、現代と昔を行ったり来たりする作品もよく出来ていて、現代ドラマと時代劇と、両方の要素が楽しめるので良いですネ。

Love and Grace