ミカエル意識

 

ショップでの「限定エナジャイズ」企画、『イシス』につづいて実は『セオリツ』よりも前から準備していたのが『ミカエル』。ケンタウロスが話題に出たころから。天使と呼ばれているエネルギーの中で、ケンタウロスのような堕ちた男性性を癒して宥めてくれそうなのは?と考えた時、浮かんで。ミカエルと言えばセレスタイト。小さめタンブルを探して仕入れていて。

以前書いた(去年の11月かな)Diaryで、シュタイナーが大天使を「時代霊」と呼んでいて、今私たちが生きるのは「ミカエルの時代」、その意義・魂たちがミカエルを通して学び克服することになっている課題とは、「物質(現実界)の中に霊の世界を見る」、そしてそれをマスターしていく事であると。

数日前にインスタにも書いたけど、あの手のことはもう数え切れないくらいスクールやサロンで話したり書いたりしてきて・・ 話としては「そうだよね」と聞いてしまう人が多いかもしれないけど、本当の意味を理解(お腹に落とす)したり、さらには実践、となると、なかなか難しいようだ。スピリチュアルな用語やグッズを三次元に生かすという事ではない。物質界の流れや物質である自分自身を通して、スピリチュアルな理解と解釈を、通常運転で使いこなすとなると。長い時間もかかるのかもしれない。違うほうへの誘惑が何しろ多いし。。

けれどミカエルは人気者。大天使の中でも特に男性性のイメージを持たれている。今の人類が生きる世界はある意味で男性原理の世界。ゆえにそれを正しく矯正していくエネルギー存在、あるいは概念(光線)なのかも。その性質から、シリウスがとても強いと思っている。考えてみれば、ケンタウロスの癒し、修正・矯正にはピッタリかもしれない。

それはさておいて。今、どちらかというと女性性の癒しにフォーカスする流れになっているので、『イシス』や『マグダレン』などをもう少しショップで紹介しながら、『ミカエル』も準備をしよう。時代のテーマのはずなのに、ミカエル的なものがどんどん、薄らいでいる感じがする。ロナ・ハーマンさんのミカエル本シリーズの一冊目なんて、とてもミカエルらしくて良い本だったけれど・・

あ、そうか。同時に今、アースメディテーションやアースワークで出ている「男性的パワー(権力者の老人のようなイメージ・ある意味で男性社会)による少女性(天使性・自然界・セラフ)の侵害」のテーマもあるから、その部分の女性性側の痛み、傷を癒す過程が集合意識的に起こりつつ、新時代の凛とした男性性(内面的な意味。エネルギー、魂の中のバランス)を引き出して成長させて行くステップなのかな。もちろんこういう事は何度でもこれまでも螺旋で段階的にフォーカスされてきている事だ。世界もどんどん動いている。

タイでは新しい首相、良い感じの人が選ばれたよう。東南アジア、東アジアも激動していくのだろうな・・

パンデミックが始まる前に、ある程度の軸やエネルギーシステムを作っておくと、周波数の乱れや、脳への操作などに気付ける体制を作れただろうと思う・・

あの頃、2019年には「シャンバラの杖」を出したりして、急がねばという感覚が自分の中にあった。今またちょっと似たような空気感がある。けれど、状況はあの頃よりも更に難しくなっている。集合場がだいぶ持って行かれているから・・それでも、気付ける人は気付けている。まさに「方舟に乗るような7年」だ・・(以前の日記をご参照下さい)。日本人は、自分が何を思いどうするか、ではなく、人からどう見えるか、人々はどうするのか、を気にしてしまうために、更にメタフィジカルが難しくなっている。

けれども勿論、「現実は自分が造る」のだから、意図あるところには、常に道は拓かれる。

アリス・ベイリーを読もう。読めるかどうかは、水瓶座意識とその周波数の準備が出来ているかどうかのバロメーター(慣れるまでは少しずつでも)。そして読むだけではなく出来れば実践しながら学んでいこう。

Love and Grace

転生の宿題


どの教師も、教え子が割り当てられた課題学習に直向きに取り組んだ時は嬉しいもので、後にその気持ちを思い出すことがある。だが、注意散漫や無関心で時間を無駄にする御し難い子供を授業に向かわせるときに感じる気の滅入りも、鮮明に思い出すものだ。この現在界という世界学校では、私たちの多くがこんな程度の悪い子供たちと似たり寄ったりであり、それこそ、自然の摂理が私たちを学習させるために、時として過酷な経験という処罰を執行せざるを得ない理由の一つなのである。だから、無為に日々を過ごすことなく、常に珠玉の教えを探し求めるならば、この上ない幸福が私たちに訪れるのである。何事も偶然には起こらない。全ての物、全ての出来事に極めつけの目的が。私たちのやるべきことは、その目的を見つけ、それから何らかの教訓を得ることである。それができなければ、少しばかり形を変えて、繰り返し同じ経験をすることになる。私たちがなすべきことを為すまでは。

Irvine S. Cooper 『神智学入門』(アルテ/星雲社

最近持ち歩いて読んでいたこの本。そう、「入門」なんて今更に変だよね・・それも初めて読む。長いこと本棚図書館の一部分に。神智学の初見はアリスベイリー書籍をテーマごとにダイジェストでまとめたシリーズ。それからアリスベイリー他、更に先人たちの著作を、目的に応じてその時々、部分的に。私はあまりどの分野でも「入門」や、間接的な解説本を読むことはなく、創始者とか、より情報の源泉に近い人を直撃して読む。それも部分的に。丁寧に読み込んで、更に繰り返し読む人が本当の読書家なんだろ

う。私の場合は自分のその時々の知りたいことを調べるために本を手に取る。研究者的な癖を(ソウルが)持っているのだろうと思ふ。
そしてこちらのCooper氏がどういう人かも深く考えず、移動中などに読む本としてアリス〜よりは読みやすいかなとカバンに。どのページを開いても、自分が普通に考えていること、これまでブログやテキストや色々な場所に書いてきているお決まりのこと、最近も考えたり書いていたことと同じ内容ばかりが見つかり、不思議な感じがしている。20世紀で神智学を知らしめるにあたって、西洋人にはまず輪廻転生や、カルマの法則を教えなくてはならないから、その辺りで丁寧な比喩を使ったり・・結果、表現や感性が通じるものがあるのかもしれない。

更にこの著者は19世紀末生まれで、リードビーターの秘書であったことを知る。その頃に生きていた自覚と、神智学協会に西洋人として関わっていた気がムンムンとしている私としては、「では、知り合いかも?」・・なんて思ったりもした(笑)。今の自分の感性、「当然だと思っていた」けど20〜21世紀の日本人的にはどうもズレが生じがちな(笑)スピリチュアル観、のようなものを、やはりこの時代、この分野の経験で身につけ、刻み、それを今も携えているのだろうと改めて思う。

ただ、一つ違うことは、自分の使命のようなものとして、神智学的なこと、古来の叡智(インド哲学や仏教など)を、やはりこれからの時代向けにリニューアル、改訂を加えて形にするという事が、自分なりにソウルが歩みを進めてやって来ている、かつ、今世生きてきて道に迷う事なく(多少はフラフラしつつ大筋は)辿り着けている「目的」であると改めて確認する。

同著によると、人の魂は40〜60年サイクルで生まれ変わるということだ。霊的に進化していると更にサイクルは長くなるらしい。そして生まれ変わるたびにスピリチュアルな仕事の続きに取り掛かるのだとか。(芸術家や学者、今の時代ならば映画制作者や作家もそこに含まれるかも。カルチャーの中で霊的なものを追求し世に示していく。)

19世紀末〜20世紀初頭の神智学ムーブメントは、現文明が始まって以来、西洋と東洋の叡智が時を待って結集し、賢人たちが新時代(ニューエイジ)の始まりを興奮と共に感じながら、グローバル化していく世界の(世界大戦と時を同じくしながら)中で、まとめ上げていった大仕事、だったと・・本当に凄い事だった・・と感じる。同じような力を背景に、この世界と舞台裏を行ったり来たりしながら、仲間たちと一緒に、時にはすれ違ったりしながら、あの時、それまでの努力が「神智学」として結集された。

思想的には、まだその余波の中にあるのかもしれない。学者の方々が、「こうなのだろうか」という話し合いをしている様子を見るにつけいつも「神智学を読めば良いのに」「すべて解決しますよ」と心の中で思う。。。(笑)。。。まあ、そこがミソなんでしょうね。一筋縄では行かない。「私たちが、成すべきことを成すまでは」

Love and Grace
Amari

情報で闘う時代=風の時代?

前にこの日記にも書いた記憶がある。NHKの番組を見た流れで・・「人間は情報である」という量子物理学の考え方について。実感としてこれはとても分かる。エナジーワーカーとして、また自分自身の元々持っている感覚からも、情報の集まりがソウルシステムであり、その情報が肉体レベル、可視の三次元の物質世界に「顕れて」いるものが、私たちの物質的な(感情や思考も含めて)「現実」である。

ゆえに、情報を変えて行くことで、当然ながら現実も変わる。変えたい部分、体や心の不快な部分(病気、不調、痛み、など)を変えるには、情報レベルでその「設計図」に変化を起こしていく。これがヒーリングということになる。ヒーリングのみならず、ホリスティックな癒しの手法はこのメカニズム。

毎日、空が美しかったりドラマティックだったり、「非凡さ」を感じる最近の空模様。それが時折ではなく、毎日のように。けれど天候や気候は一定せず、絶えず変化して日本の気候も変わったなと実感する。世界各地で、それぞれの「らしさ」とは違う天候や気温や空模様が展開していて、Climate Changeとして、問題意識を持たれている。地球の環境問題だけではなく、時代の変わり目で秘教的な意味での世界の作り替えが起きていて、それが天候不順や、別次元の気配を感じさせる空の様子などに日々、顕れているように思う。

『古代の宇宙人』最近はシーズン7を見ていて、いつもあの番組の内容は「え!?」ではなく「そうですよね」と頷きながら、更に多くの知識をもらって良い刺激になる。ニューエイジでも言われている「人類を取り巻いている様々な思惑を持った『宇宙存在』たち」について、実際に欧米の国家の中枢に居た立場で、退職後にそれが事実であると証言する人々が少なからず居る。人類は知るべきであると・・一部の人々だけが知っているのは良くないことだと。

予定通り・・時に想定外の事象に対処しながら、地球を運営してきた宇宙存在たちは、「人類を自分たちのように進化させよう」というコンセプトを持っている。かたや「愚かで欲深い存在のままにさせておこう」という思惑を持った存在たち、あるいは集団もあるのだろというお話。双方のエネルギーや情報が、地上世界に混淆して、人間たちを通しても現実化される。結果、「上にあるものは下にも」。人間社会も混淆し、それを映した現実が常に三次元でも展開される。

ずっとその歴史は続いている。けれど時代の大きな変わり目、大枠の地球プログラムは予定通り働こうとしていて、それを止めることは出来ないのではないかと思う。運営している「地球の管理者」の領域が、そもそも「時代の変わり目」を設定している訳で、あくまでもその範囲内で、邪魔をする力が介入しつつ、大枠は変えることは出来ないのだろうと個人的には思っている。ただ、そちら(管理者=ロゴス)の情報ではなく、介入して来ているものが発信する情報に、人類の多くが、あるいは重要なポジションの人々が耳を傾けたりすると、結果として「ノアの大洪水」のようになってしまうのだろうと考える。

ただその情報戦・・人類のテクノロジーが発展して、グローバル化し、集合意識を物質化させたようなネットワークが現在はウェブ、それも無線で飛び交う時代。ロゴス側の情報を撹乱させるための、逆向きの操作も佳境、なのではないかと感じる。

一番上に書いたように、「情報」とは何も文字で書かれたもの、だけではない。人間そのものが情報の集まりであり、目に見えない情報も含めて考え、感じなくてはならない。文字で書かれた情報だけではなく、世界を飛び交う周波数、電波のようなレベルでも、「情報の混交」が起きている。それが大気や空に現れているのかもしれない。

私たちが生まれてからの数十年は、長い歴史の観点から見ればずっと「時代の変わり目」の範囲内になるだろう。確証は無いけれど感覚的に、マヤ暦の終わりである2012年末から、「進化」は加速している気がする。マヤ・・・は、ロゴスとは違う(逆向きの)意図を持った力に導かれていたかも?と少し思っている。つまり、プレアデス系。そちらが優勢でいられる=人類の進化をとどめておける時間が、2012年で終わった・・ということ?あくまでも仮説。

その「個人的仮説」に拠れば、進化の切り替えポイントが、2013年からということになる。植民地が返還されたようなことだろうか。歴史を見ていると、「自由」を取り戻した後、しばしその国や民族は混乱する。「風の時代」は、否応なしに人類の次のステップ、意識や霊性を高めていく上昇気流が動き出す。宇宙的背景同士の条約、決め事があったのかもしれない。その期限が切れて、植民地が返還された(?)

けれどまだまだ、前時代の情報の名残と、人間社会がインプットしてしまった、体や心や意識、ソウルシステムにさえ染み込んだ・刻み込んだ「霊性の進化を止められた時代」の情報が私たちを支配していて、社会制度も一瞬では変えられない。時間をかけて、人間も社会も「変換ポイント」を無事に成し遂げる必要がある。

古代の始まりにおいて、人間社会は前文明(アトランティス)の名残り、知識を持っていた。けれど古代社会同士の騒乱の中で、それらの証拠は破壊され、中には文明ごと消息が分からないようなものも。アレクサンドリア、バグダッドなどの大図書館は壊され、中国でも焚書がたびたび行われた。一神教で塗り固められた社会は、超古代の叡智を参照して活用することも、人間の意識を進化させることも封じるような世の中を作っていく。

ルネサンス頃からゆっくりと開花。市民革命、産業革命、帝国主義から始まっていたグローバル化、その行末の世界大戦、その後の復興、物質的に豊かな時代。そして情報化社会、パンデミック。

テクノロジーではなく、霊性の成長、進化ということを自分たちの課題としてどこまで向き合えるか。物質的な社会、欲を満たして恐れを回避する社会構造や気風に、どれほど自分自身の心身魂が馴染んでしまっているか、を自覚し、その幻想を剥がし、剥がして、情報を選んで取り入れる。・・文字になっている情報だけではなく、あらゆる意味での「情報」。

 

 

一昨日の昼間の曇り空と、夕方の晴れ間。

そして、爽やかに晴れていた昨日の空。

長細いシルエットの雲が壮大に広がる空が続く。

生活を根本から見直す、思考的な慣習や自分の属する環境を見直す。自分自身の長年の思い込みや家系や環境から「当たり前」の一部として取り込み固めてその範囲でしか考えたり行動したり感じたり出来なくなっているような、服、あるいは鎧のような「世渡り」「常識」「無難」のエネルギーを見直し、必要に応じて脱ぎ捨てることも、多くの人に必要になるだろう。それを促されるだろう。

感情が言い訳、逃げ道になる時代が長く続いた。けれども感情という重荷を背負っていると、情報化の風の時代に仕掛けられる罠には、易々と捕まってしまいそう。

情報には情報で対処。意識の時代。自分を客観視、必要に応じて(自分自身そして社会の健全さのために)その情報に変化を加えていく。これまでのように感情や「気持ち」ベースで居ると、次々にやってくる変化の波を「試練」と感じて辛くなってしまうことでしょう。

心地良い、変化として、時代の風に乗っていけるように。

Love and Grace

Amari

最大の壁は「じぶん」

 

 

譲れない願いを抱けば誰もが 栄光の影潜む 悪魔に出会う

というのは、海外の小説の・・・ではなく、ももクロちゃんの歌の一節。(以前も何度か動画や呟きをSNSに載せていた『境界のペンデュラム』)この曲の歌詞はなかなか体育会系で(ももクロはそういうのが多い、特に数年前の曲は)神智学と頭の中で響きあったりする(笑)。アリス・ベイリーを読んでいる周波数と、ももクロ。なぜか共鳴する。知識人層や文化人や、業界人や、普段全くアイドルとは縁遠い人たちにもファンが多いという。歌詞だけでなくご本人たちも普通のムスメさんたちではない(魂が)。

悪魔に出会う、とか、闇に堕ちる、とか、言えば大袈裟に聞こえてしまうけど、メタフィジカルを長年やってきて、当初から、そして今でも、ヒーリングを受け始めたばかりの人も、かなり勉強し続けて(中には10年以上とか)来ている人でも、メカニズムは一緒。後にも先にも、「エゴセルフかソウル(魂)か」常に選択はそれだけ。ソウルかエゴか。そこで「境界の」ペンデュラム、振り子がゆらゆらする。そしてまた、エゴセルフをいつだって選ぶことは許されている= 自由意志。

仮に、その自由意志を悪魔や、闇に堕ちること、と想定して考えてみよう。

それはあながち嘘ではなくて、ソウルや、高次から見たらそういうことなのだ。譲れない願い、つまり感情、想い、思い、思考、反応。・・人間、パーソナリティ(人格)部分で選択をすることは、「普通」ではなくて、グレーゾーンなのだ。高次はそれを「ダメ」とは言わない。けれど、宇宙の神レベルの愛、五次元からすれば、常にそこへと回帰する道のりを推奨していて、指し示して、導きを与えている。

苦しい、生きづらい、などの分かりやすい問題や課題を抱えてヒーリングを受けて、五次元的にエネルギーが作用するコツも体感し、それを楽しく感じて、歩み続けていても、折々で「どうしてもこの壁を越えるには、自分が持っている『ある部分』を変えるしかない」という状況にぶつかることがある。脇で客観視しているヒーラーにとってそれは見えるものだけど、自分自身だと中々、素直にそう思えなかったりする。それは当然で、『ある部分』を含めて自分のパーソナリティ。考えるのも理解するのも同じ自分。脳には決まった思考の回路が固定されている。

それゆえに、高次は・・私たちの魂やそのネットワーク、更に背後に働くワンネスの愛の集合場は、私たちが苦しいと感じるような体験を見せてくる。その状況を何とかしようと立ち上がるには、まだ、私たちには苦しい、大変だ、などの感情のモチベーションが必要な世界に生きている。

歩いているその道を、逸れたり、戻ったりすることがもし出来ないとしたら・・・例えば、もう退路が無い。進むしかない。けれど進める状況ではない、と感じて、恐れや諦めが出て来たとしたら。

それでも他に道が無いから、きっとどうにかする方法を考えるものだろう。恐怖で多少、問題が膨らんで見えていたけれど、とか、気づきもあるかもしれない。実際に感情のフィルターは物事を、ありのまま見せることは無く、その感情や、長年の思考の壁が厚ければ厚いほど、違うように見せてしまう。

今まで楽しく進んできた道に、障害が出て来た。それを越えるには、自分の中を見つめて方法を探せという。そんな時は、エゴセルフは最高潮に現実を脚色することに全力を注いでくる。私たちのエゴとは、それくらい自己保存本能が強い。

面白くない時、辛い時、苦しい時ほど、今まで崩せなかった自分の中にある強力な「壁」を認めて、自ら、パーソナリティの改善、改変を意図しなくてはいけない。けれど多くは、その壁を前に、超えなくてもいい方法を考える。無意識にも。自由意志という活路が与えられているから、別の道へと降りていく。または、感傷や虚しさなどの中に逃げていく。

最近、この本を読んでいて、というのも、やはり少し前に書いた記事のタイトル通り「何かが起きて」いて、脳波、耳からの操作に注意、と日々感じるので、ブレインチューナーや石たちを頼りにするとともに、やはりチューニングする先をシリウス、シャンバラにするには A ベイリーだということで。「イニシエーション」を再読して、続いてこちらに入った。

この本で「非人格性」という言葉が繰り返し出てくる。それが大事であると。

日本語にすると誤解されてしまいそう、嫌悪感を持たれそうな言葉だ。要するにエゴセルフでは無く、感情のグラマーや思考のトリックを超えて高次の「弟子」として機能することで、グループとして成立するし、良い仕事が出来るという、新時代(=ニューエイジ)のための 弟子(=真面目な、本物の、ライトワーカー)への、メッセージ。

A.ベイリーを読むといつも思うのは、自分が常に思考していること、その方向性や、実際に選択してやって来ていることの、手がかり、確認作業となる。もちろん失敗することも多々あるけど、それも含めて書いてあったりする・・(笑)

自由意志が与えられているからといって、本当に自由が無限にある、と思ってしまうのは人間界の良くない性質、性癖である。選択したことは来世を待たずして自分に返ってくるし、常に、こうしている今も、どの瞬間であっても、私たちは自分の周波数、心の持ちよう、発するエネルギー、思考や感情に埋もれるか客観視するか、を選択する自由がある。

そして本当に10年、いや20年前から、結局私もいつも同じことをブログやテキストにこうして書き続けているなあ・・と。同じことを、繰り返し繰り返し。そしてこれからもきっと。

Love and Grace

変わる世界を追いかけて

FaceBookのオフィスダイヤリーを一昨日更新。そこで、今や動画の時代・・(に付いていけてないので練習のために/笑)と、ワークルームの動画を上げてみて・・やっぱり慣れてないのでアタフタして、(FBって本当に難しい、というか使いにくい、、)キャプションの編集がうまくいかず、一旦削除して、キャプション無しの同じものをもう一度上げて、文章だけ編集で付け加えようとしたらうまくいかず、「では、これも削除してもう一度トライ」と思ったけれど、今度は削除が「出来ません」と言われて。仕方なくそのまま。

何が言いたかったかというと、オフィスで瞑想をしていたある日の午後、半ばトランスから醒めてぼんやりしながら目を開けた時に、ちょうど差してきた日の光と、たまたま流していたバッハ、そして目の前の石たちがわわっと意識に入って来て、その世界に圧倒されて・・自分で感動してしまった。そこで急に思いついて、こんな感じで瞑想や仕事を日々、していますよ・・という、体験版のような動画を撮ってみたというお話。ちゃんとキャプションを付けられず、削除して再UPすることも出来ず。なのでここで説明をしてみました・・

時代に着いていけない、と言えば、実は私はいつもそうで、携帯を持つ、スマホを持つ、などは勿論のこと、2001年に育児中の気分転換にネット上にホームページなるものを持って、その後仕事を2004年に始めてから、世の中にブログというものが出来て、そのうちSNSが、インスタ、ラインが・・と、全てにおいて遅れに遅れて何とか、渋々、仕事の上で必要に迫られることを痛感してから導入する、という感じ。ブログも昔は存在せず、「日記」はホームページにその都度書いて、FTP転送して、と手間が掛かっていたっけ。

水瓶座は最先端のテクや情報ツールと相性が良いそうだけど、私はどうも古風な長老系の魂を引きずってか、常に「おくて」。基本的にメカにはとても苦手意識が今でもあり。正直なところ、2001年以来の、自分なりの努力で覚えて使いこなしてきた今では古風なサイト構築などの思考回路が、現在のような、クラウドで何でも(ネットショップやホームページも)簡単に作れてしまうという時代にしばし着いていけず、数年に渡ってかなり苦労しながら、頭の中を変換して、現在のショップやこのサイトに作り直し作業をしてきた。

最初からこれだったら、本当に便利で、何よりなんだけど、全く違う仕組みを一度インプットしてしまったから、新しい言語に置き換えていく様な作業、かなり混乱したり抵抗したり。。。を何とか、乗り越えながら(笑)リュミエールのショップもシステムにようやく、慣れて来たと感じられたのは最近のこと。

これからも、テクニカルな変化の波は激しくどこまでも・・移り変わっていくのだろうな。

テクニカルな事だけではなく、やはりどうしてもSNSなどで「常に繋がっている」女子っぽい感じが苦手らしい。群れる、というと言葉が悪いかもしれないけど。。「群れる」のが苦手。そもそも私の長い友人たちはみんなサバサバ系で、男気のあるタイプが多い。自分のことは自分で自己完結し、普通?ならば女性たち同士で話題に上がるようなデータ的な情報(それどこで買ったの?とか、数字に関わること、など)が行き交うことはなく、非常にマニアックな話ばかりしている(笑)。

けれど今や、若者たちは(それ以外でも?)Lineなんかが名刺がわりのようだし。何とか着いていくのに必死(笑)。

そんな中、横浜サロン時代の2016年に、オフィス用の部屋をもう一つ同じビルに借りて、スタッフさんを迎え、レンタルサロンルームなんかも始めて、その部屋に設置したMacのデスクトップが、巡り巡って今まで自宅の仕事用になっていたものの、動作が怪しくなって来たので、最近買い替えた。最新の可愛い色の着いたiMacは何ともチャーミングで、びっくりするほど動作が早い。性能が一気に良くなり、世界が変わったかのよう。そうなると、「やはりテクノロジーって良いな」なんて心で呟いている。笑

話はすっかり変わります。。

アーユルヴェーダで言う、ヴァータ/ピッタ/カパ と、サイキックの関係性についてぼんやりと考えていて。ヴァータは風と空(くう/アカシャ)だから、アルガンザ用語でいう「アンドロ」で受信が得意なタイプ。青い力。ピッタの人は火、だし、筋肉質だからきっと受信は苦手で発信、つまり念力タイプ。私の持論では、念力と筋肉は関係がある。。そして、筋肉質だとエネルギーの体感が、微細なものほどあまり感じられない(筋肉が持っている赤、火の力が邪魔をする)、けれど変わりに出力は強い。

確かに、赤要素が足りない私などは、念力を飛ばす才能?が無いと感じる。エイっと飛ばしても(紙飛行機のイメージ)ヒュウっと地面に落ちてしまいそう・笑。グループで話していてもアストラルフォースが強い人にすぐに話の流れを持っていかれる。赤が強めの友人によると、それはそれで悩みでもある様だけど。

では、「土と水」を持つカパのタイプの人はどうなんだろう?と考えてみる。と、いわゆる巫女タイプというか、憑依体質、シャーマン(神懸かり)タイプなのでは無いかと。青の(ヴァータの)受信能力と憑依体質は全く別のもので、受信(青)の力というのは、おそらく肉体やオーラ体も風や空気のように軽い(筋肉も無いし乾燥体質で潤いも少なめ)ため、結果「粒」が物理的にもエネルギー的にも細かくなり、オーラもフワっとしている。人当たりは良いけどプロテクションという意味では弱め。外からの情報がそのまま届く、響きやすい、という原理ではないかと。いわゆるエンパスはこちらかな。

カパは日本女性には多いのではないかと私は思っていて、小柄でややふっくらしていて、髪や肌や声なども潤っていて、性格は穏やかめ。「溜め込む」性質がカパ体質にはあるので、エネルギー全体的にヴァータのように軽い動きはなく。憑依体質は何ゆえか・・・ヴァータ(思考)やピッタ(感情)の動きが少ない(おっとりしている)事から、外の情報が入りやすく、居座りやすい、ということかな。。エンパスと憑依体質は、やはりメカニズムが違う。似て非なるもの。宇宙人タイプと、シャーマンタイプ、と言ったらいいかな。

そしてこの3タイプがそれぞれの配分で共存して、「ヴァータピッタ」とか、「ピッタカパ」とか、一人ひとり違っている。

・・と、そんなことを考えていて、足りていない念力が繰り出せるように、筋肉を付けようかと思っている最近(笑)。けれども水瓶座って「無筋体質」と言われていて、本当に筋肉が付きにくい。ヨガが一番とは思うけど、他にも何か良い方法を見つけよう。

Love and Grace

Amari

アースデイのアースワーク

本日、クリスタルラボ・アースメディテーションがスタート。地鎮、広く言えばアースワーク、ガイアワークを石たちとともに行っていくグループ瞑想会。とは言ってもリモートであるし、オンタイムで参加出来ない方々はコールインで受け取ってもらうことから、「瞑想会」というよりは、「好きな時に受け取って下さい」というオンライン講座(・・にエネルギーワークが付いているもの)という感じでの2023年版のスタート。

今日の「鏡開き」(柱下ろし?)を経て、今後どう展開していくかが決まるでしょう・・ということで、臨んだ初回。
やはり以前の石巫女とは全然違うし、そうかと言って、更に古いアースワーク系講座や瞑想会ともまた違う。新しい何か。まだまだ未知数、そして2023年の今とこれからの活動なのだろうと思う。

偶然にも今日は、世界共通の「アースデイ」、地球の未来に想いを寄せる日。世界中でイベントが開かれている。

セイキムレイキの伝授を受けた時、地球が最初に「想念」から始まって・・それがやがて光になり、デザインになり、幾何学から・・少しずつ物質を成していって、形のある地球が出来るという様子を見ていた。自然科学としての地球の始まりは、太陽系が出来た後にその周囲にあった物質、隕石や小惑星どうしがぶつかりながら、出来上がったと言われている。確かに「物質次元の歴史」としてはそれでいいのだろう。私たち一人ひとりに、肉体としての誕生と、魂の再誕生としての受肉があるように。ストーリーは層、次元が変われば語られる内容、言葉も変わるもの。

どちらが正しく、どちらが間違い、とは言い切れない。どちらも正しい、どちらも真実であるとも言える。
見る角度や、語る際の焦点が変われば、言葉や物語は変わっていく。

一枚のヒラっとした紙に書かれた「事実」が、真実として存在するわけではない。・・・それは二次元。
けれど人々の思考はよく、三次元を通り越して二次元的に「固定」することを好む。紙や画面上に書かれた情報から吸収し、またその紙面上で自分も思考してしまうのかもしれない。三次元、縦横高さの次元に居るのに、思考は二次元となりがち。縦横高さ、それに加えて奥行きや量子物理学的な視点が加われば、三次元の住民であっても五次元的に機能し思考・創造できるのだろう。

アースワークや、ジェネシスのような世界観と向き合っていても同じで、直線の時間や、「右と左」のように両極として分けられることばかりではない。ヒーリングでも同じく、出てくる情報も多層的で、絵に描いたような二次元的なストーリーに収まるわけではない。けれども何とかそれを翻訳しながら、今の三次元のパーソナリティの視点に合わせるように努める。うまく行くこともあるけど、私の話が他のヒーラーさんたちの話よりも複雑で分かりにくいと、クライアントさんが感じることも多々あるだろうと思う・笑。けれど、奥行きを感じ取っていながらそれに言及せずにいる事は、心理として難しい。ここが課題。

ヒーラーになるよりも前に「ハピ」や「ガイアナ」でうまく行ったように、五次元的な密度の詰まった世界から適度に抽出して三次元的様相、ヴィジョン、感情や人間関係を語っていく事は心地よいし、読む人はちゃんとそれを受け取ってくれていた。本気を出すと・・つまりハイヤーシステムと繋がった状態で仕事をしていると、そのような次元の壁は消えて、難なく「五次元から三次元」への投影が出来るものだ。ちょうど、フィルムから映画をスクリーンに映し出すように。

そのような創作の瞬間を、いかに全ての仕事と、生活の全ての場面で、実現できるか・・ということ。ソウルの地上での顕現。スロートチャクラの仕事。

未来の人類は、今の太陽神経叢ではなく、スロートチャクラにパワーの中心が移ると神智学は言う。誰もが、ソウルとパーソナリティを統合して生きているのかもしれない。

話を戻すと、セイキムレイキの伝授瞑想中に見たヴィジョン、その時に体験したソウルの叫び・・地球が物質を為す前からずっと見ていて、組成されていくプロセスに関わって、こんなにも大事、大切な創造の結晶なのに・・人間たちは何をしているンだ!と、こういう場所(瞑想やヒーリング中)に泣くことなんて無い私が、そこで号泣していた。後で気づいたのは、その時ちょうど瞑想を誘導する先生の語りが、「あなたが地球に生まれてきた理由を思い出しましょう」というものだったよう。自覚はなくトランス状態だったけど、どうやらその「理由」は、そういうことらしい。

さてさて、その理由のために、何が出来るか。これからも考えて行こう。

Love and Grace

それぞれの役割 –時代の変わり目において–

 

久しぶりに会った人たちが、毎回纏っているエネルギーの様子や目が違う、ということがこの所多い。オーラの状態や、目を見ると、その人の調子の良い悪いは分かる・・これは誰でもそうだろうと。
特に意外と男性は、私が思うに直感なのか直観なのか、あるいは野生的な勘なのか、感じとる人が少なくない・・けれど恐らくこの物質社会、男性社会で、そこに蓋をして生きている。でも潜在意識的には分かっている。

本来、直感やハートは女性の方が素直に働くものだけど、それはある意味、社会の責任その他から比較的自由であったことによるのかも。でも情緒的である分だけ、「こうであってほしい」が働いて、直感で感じ取るものも、特に人間関係などにおいては編集が入った状態で脳で処理されてしまう為に、結局は直感をうまく活かせずに感情で事に処しがちなのかもしれない。

人の感情とは、中々難しいもの・・・。論理的・理性的でありながら、ハートの愛をうまく使って、人々や事に処していく。これが理想だけど、自分一人の範囲でそれがうまく行ったとしても、人生はそれだけではないから・・まあだからこそ与えられている地上で生きるという機会なのだろうけど。

シュタイナー、人智学研究者で、占星術研究もしておられる丹羽敏雄先生の本。私は余り、シュタイナーにせよ、神智学にせよ、それを解説した特に日本の先生が橋わたしをされている書籍は読むことはなく、何かに興味を持つとなるべく直球でその源泉に近づくようにしているので珍しい事だけど、以前ジェネシスをまとめている2017年に参考書としてたまたま、手に取った事をきっかけに、丹羽先生の本は幾つか拝読している。

今回こちらもそんな流れで、書店の天使?に薦められ、読んでみた。タイトルの通りで、シュタイナー的カルマ論、つまりこの日記やInfo記事で昨年の暮れ頃に触れていた、現世→死後の天界での生→来世 という魂(自我)の流れと、12星座と、カルマ、について優しい文体で解説して頂いている。

ところで神智学では(シュタイナーは「人智学」)黄道12星座による、地上の我々へのカルマ的法則は、シャンバラが作ったシステムだということ。それは考えてみれば、(シャンバラと呼ぶかどうかは別として)誰かが決めてプログラミングしていなければ、今、占星術は普及しているけど、そのように星と人生が連関し合うなんていう仕組みが出来るはずは無い。星座は、地球から見てどう見えるかの配置によって描かれていて、宇宙の普遍的事実ではないから。つまり占星術・占星学とは、自然・・というより、超自然的な法則だ。

12星座・占星術について、シュタイナーの人間観とカルマ論からの解説は、私としてはとても有り難く、また、メタフィジを学んでいる人、ニューエイジを基盤に思考する(人間は輪廻転生する、地球だけが魂の故郷ではない、と考えている)人には、おすすめしたい。12星座の概念は私は若いころから他者を理解するのには非常に役立っている。運勢のアップダウンのような事には余り興味はないものの、今世、カルマ的に運命付けられた「鋳型」の中をみな、生きているという理解と愛は、人間関係において役に立つ。太陽星座による人生への影響力を丹羽先生は「流儀」と書かれていて、それもまた良いな、と感じた。

私の以前からの直感では、今年の1月には「逆転」が起こり、4月には良き創造の波が加速する・・と感じていて、過去、こういった野生のカンは常に当然のように当たるものだった。が、今年1月も、この4月も、イメージしていた通りには「急に流れは変わらない」。そしてそれが、今、本格的な時代の変わり目の難しい変換点の特徴なのだろうと気づいた。   1月、何がどう、とは言えないものの、自分にとっては確かに大きなシフトポイントがあり(「意図」の重要さなどの)スイッチが入ったことは確か。その後、順調に行くように思っていると、逆風が来たという、エネルギー次元の体感がある。

同じように3月後半〜4月の頭は、3月前半の心地よい風が吹いて来た感覚から、また再びひっくり返されたような。あくまでも体感で、見えない世界の感触。 が、世界の周波数は確かに上がっていて、世界のあちこち、質が上がりつつある。意識的に目覚めた人たちも増えて来ている。それは間違いない。けれど、自分やその周囲のシフトだけではなく、社会、世界全体のシフトが起こっている時だからこそ、良風のあとには、逆風が来る。もう、このリズムに慣れたほうがいいのかも。。。

私はついつい自分自身がヒーリングと出会い、メタフィジカルに生き始めた頃からの「常識」、価値観でエネルギーの動きを期待してしまうから、ここは本当に切り替えないといけないなと思う。
同時に、これまでは自分が「カナリア体質」として、世界の変化をまだ誰も気づいていない時に察知しているような、それを人々に伝えなくてはいけないような感覚を常に開いていたけれど・・(たとえば「日本人の意識の問題」「環境問題」「地球の危機」などについて)さまざまな課題が現実レベルで一般の人々の周知となり、全体の意識の中にすでに常識として上がって来ている今、もう自分が(というかスピリチュアル、メタフィジカルの人々が)そこを敢えて語ったり書いたりする必要もないのだ、とこの数年考えてきて。

元々、ニューエイジ思想(出発はやはり神智学の誕生)などは、やはり反社会的な精神によるムーブメントであったはず。そこを切り替えて、問題意識はキープしつつ、既に全体にとっての議題となっている「地球を守ろう」「人間の尊厳」「自由そして平等」など、本来スピリチュアル分野が大事にしてきた思考を、一般社会と共有しながらも、スピ、メタフィジを貫いていく必要ってあるのだろうか?   それとも、ならばもう、その全体の流れに乗っていれば良いのでは・・(時代は変わりつつあるのだから)・・という問いが、恐らくこれまでメタフィジカルを探求してきた人たちに、浮上してくるこれからなのではないかと思う。

あなたはどちらを選びますか?

ここはもう、私としては答えはずっと昔から決まっていて、社会が追いついた場合?のメタフィジの役割のようなものを発揮する時こそが、本来の「ライトワーカー」的ソウルたちの仕事場、だと思っている。

けれどもまあ、社会全体を家族として、浄化やアップダウンの波を超えていく時代なのだと思うと、「特殊な世界」の「マニアックな人々」としてスピ、を実践している時よりも、はるかに忍耐力や持久力が、試されるのではないかと思う。スピ、業界の情報などは、人様のブログさえ見ないし、ワークショップ等にも行くこともないので全く分からないけど、どの分野でもそうであるように、これから個人もグループも組織も、試されていく時代なのでしょう。

Love and Grace
Amari

幻想に打ち勝つ

先日、ガンダルヴァ・・の Diary記事を書いた時、本当はその朝の気づきをツイートしようかと思ってPCに向かっていたものの、意外と頭の中に文章のフレーズがワワっと入って来たので、では一度まとめてから、その後、関連のツイートをしようと。それで記事にしてから、結局、ツイートするのを忘れてしまった。何を言い添えようとしていたのかというと、

男女ともに、更年期には恐らく、その性の中に組み込まれている原型エネルギーの堕ちた部分(リリス、ケンタウロス)と、向き合わされるのではないか、ということ。もちろん人、魂による。いつも言っているように輪廻転生の中で既に多くを昇華している人もいれば、まだまだの人も居る。人生を通じてそういったエネルギーや、現象化する問題がテーマだという人や家系もあるだろう。けれど、

そうでもなく、比較的穏やかに平和に生きてこれたと言う人も、また、ヒーリング等で多くを解放してきた人も例外ではなく、それぞれの程度の差や、出方の違いはあるにしても、男性に生まれればケンタウロス、女性に生まれればリリス、の原型エネルギーは、DNAの中に組み込まれているのではないかと考える。普段は大丈夫な人でも、更年期には何らかの形で現れるのでは?と。

最近更年期ネタが続きます(笑)・・友人や知人とも「老眼はどう?」「五十肩は?」みたいな会話をしてる(笑)。健康そのものでもう二十年、病院にも行っていない。今もどこか特別に調子が悪い訳でもないけれど、さすがに、自分の性能が全体的に落ちる感じは実感される。何となくの体調や意識や周波数では、私の仕事は支障が出るので、常にそれを敏感に感じるようにしているせいだろうと思う。

そしてもうひとつ。ジェネシス等の仕事の流れの結果といえばそれまでだけど、主にプログレッシヴの執筆〜去年末ころのイワナガ、リリス、まで。その筋のエネルギーと向き合わざるを得ず、それが(自分の中から出るというより、また、現実でもその要素はもともと人生パターンとしても現れていなかったので)サイキックアタック等の外部からの現象として、エナジーワークの仕事を通して、私の場合は向き合う結果となったのだろう、と。

ジェネシスのグループでも数年前から、PMSの時にはリリスの原型エネルギー集合場と繋がりやすいということを、プラクティショナーさんたちと話していた。満月=狼男 なども男性ヴァージョンで言えるのかもしれない。

そんな事をぼんやり考えていた日。NHKオンデマンドに何となくフラっと入った。そういう時はだいたい何かピンと来るものを見つける。小室哲哉さんのインタビュー、と目が合った。これまで全くファンでもなく寧ろ、全盛期に私は二十代と既に大人で、小室氏の仕事が日本社会に満ちている時は批判的な気持ちを抱いていた。(クラシカルな洋楽のロック愛好家なので・・若い頃、海外アーティストのライブによく行ったっけ・・)

なので、普段はどこかで氏にまつわる記事や情報を見かけても、特に興味を持つこともなく。それが、何故か気になり見ることにした。(きっと皆さんは既にご存知のことと思いますが)2018年に引退宣言をして、2021年に復帰されたとのこと。引退を決めた当時は、常にずっと持てていた自信、自尊心が全く無くなって、自分なんかダメだという気分に堕ちていたとか。そこに至るまで、色々とあっただろう事はニュース等を通じて何となく、私も記憶があるけれど。そこで掛かった原型エネルギーによる低下、落下、低迷・・のような、周波数の遷移もあったのだろうと。

なるほど、こうして拝見していると、とてもアンドロっぽい方なんだな。私は日本の音楽シーンには殆ど興味を持たずに来たけど、きっとアーティストさんたちは、やはりアンドロ系の方が多いのだろうし、小室氏のマルチなタイプの才能や、話している様子からもそれも感じた。才能を発揮して仕事を広げた後、弱い部分に何かの形で、引き下ろす力が働く。才能の器が大きい人ほど、創造あるところに、常にやってくる破壊の力。

そして男性の更年期、にちょうどスランプ期が当たったのだろうし、勝手な想像だけれど、外部からのケンタウロスやリリスの原型エネルギーが作用したのだろうと思いながら、拝見していた。自分がずっと信じてきた、自分自身を成功させ続けてきた実績がありながらも「自分なんか」と思わせる、引き下ろす力は強烈なものだ。けれど、魂が持っている光が強い人ならば、一旦は引き下ろされても、その幻想に負けずに復活できるのだ。

ちなみに、小室氏は無国籍な雰囲気がある・・日本人らしくないというか。私が思うに、魂で生きている人って印象が国籍不明なのだ・・ 娘がお世話になったシュタイナー学校の先生方もそうだった。ヒーラーさんも、ヨーガ等の先生方もそういう方が多いかな。三次元の大衆的グラマーから抜けた周波数域で、独自に生きているから、「日本人らしさ」を纏っていない、という説明が出来るだろう。

それから、シュタイナーの子供たちは、両親にあまり似ていない。そして、驚くほどにぽっちゃりの子がほぼ居なくて、スラっとしている。やはりテレビやメディアを見せず、ゲームや受動的なおもちゃなどにも晒されていないから・・子どもの時点で既にグラマーのエネルギー情報を吸収して育つのではなく、個として、魂として、育っているゆえだろうと思う。

(レムリアンセイクレッドレイキの「大地のサナトリウム」はその行程にちょうどフィットするように構成されている。第一段階で幻想や強い恐れのパターンを引き起こした「抑圧」や「攻撃」のレムリア等ジェネシス層からの原因にも、現在の抑圧状態にも響き、第二段階で細胞・神経レベルで深い癒しと再生、第三段階で周波数の引き揚げ、「復活と上昇」)

私がいちば〜ん最初に、ヒーリングやスピリチュアルに興味を持った時に、ある方から聞いた言葉、「恐れや不安は幻想」・・・そのたった一言を信じて、徹底的に信じて来たから、ここまで来れた。

後にも先にも、メタフィジカル道を、魂のフローに乗って進んでいくには、そのフレーズを常に忘れてはいけない。

そして必要に応じて、浮上してくる、または炙り出された恐れや幻想に、対処していく。

ではでは

Love and Grace

何かが起きている

やるべき事をやっていない時、気づくべき事に気づけていない時、現実はうまく回らない。・・これはメタフィジカルの基本。とはいえ、20年近く関わってきた私自身、なにか変だなと思う今の現実世界の空気。真面目な人ほど、感じやすい人ほど、これは何だ?と混乱したり当惑したりしていることと思う。それにより、自分の現実が今までのような手応えがなく、空回りしたり、体調やメンタルの調子が悪いという人たちもいるだろう。
 
私も自分が更年期である・・ということを十分に差し引きして(笑)、更年期フィルター(つまり絶好調ではない)を通して感じたり考えたりしている為に、その不思議な空気感を体感してしまうのだろうか?ということを、この数年、パンデミック以後、考えて精査してきた。それを補う為に、以前以上にセルフワークをするようになっているし、ある意味、精神もかなり鍛えられた。差し引きした結果、今この春に思うのは、やはり変だ、何かが起きている。ということ。
 
毎日、エネルギーワークをしない日は無いので、それが現実界に響いていく作用を、それこそ気象予報士の天気予報のように、「雲行き」「気圧配置」のように感じる訳だけど、パンデミックでみんなが息を飲んでいた20年、21年は、まだ、これまで通りの三次元と五次元の繋がり、メカニズムが普通に動いていた。22年の春、世間ではウクライナ戦線が始まった頃から、・・というか、理由はもっと別のところにあるとは思うけど、Arganza が大事にしているような、上の画像に載せた神智学、アリスベイリーが伝えているようなメタフィジカルの「道」にとっては、逆風、とも言えるような周波数に、変わって来ている。
 
遡ればさらにもっと前から、その空気は来ている。2018年くらいか・・ 22年はググッとそれが、人々の意識周波数のようなところに、本格的に響き始めた。慣れない状況から、人々はそれを分析して、互いのせいにするかもしれない。職場がおかしい、この人がおかしい、という具合に。どうもこの春は、仕事を辞める、転職する、という話をよく耳にするのはそのような状況下かもしれない。とは言っても、「時代の変わり目」は間違いなく、そんな配置換えもまた社会全体で起きていくことにも意味、意義もあるのだろうとも思う。

「何かが起きている」を簡単に言うと、シリウス性・・が響かないくらいに、世間の空気、周波数が(高まってはいるけれどある意味、高まり過ぎて?)意識の目覚めとは逆のほうにチューニングされている気がする。以前、アルガンザのスクールでアリス・ベイリーを取り上げていた時は、「難しい」を理由に、なかなか皆さんにとってそれは壁、だった。けれど、今の空気だと「それな〜に?」という感じになりつつあるような。「難しい話はやめてくれ」ではなく、「そんなの知らない」というレベルに、意識の面で一段、下がっている。(追記:このDiary 記事を書いた23年4月の感覚。現在の感じ方はまた少し違う)
 
そうさせる空気がどこからともなく(電磁的に?)流れてくると、私の場合は自分の仕事にチューニングしにくくなる。だから「おかしいな」と感じてセルフワークをする、と、アンタカラナ(クラウンチャクラから伸びるモナドまでつづく縦軸)や、ライトボディに何らかの仕掛けが見つかる。外す、と、もとの自分のコンディションに戻る。その繰り返し。・・世間の人々だと(私の知人たちにヒアリングしても)気づかないまま、その意識波の状態で行ってしまうのではないかと思う。そうしているうちにゆっくりと少しずつ低下していく。

表面上、何も大きな困りごとなく、日常が今まで通り保たれていると、特に気づかない人が多いのかも。仕事上、「空気」レベルで異変を感じるような専門家の人々だけが、気づくのかもしれない。ヒーリングやスピリチュアルも、携わる人の中で「シリウス性」、神智学のようなメタフィジ「道」に誰もがアンテナを向けている訳ではないので、世間の人々と同じかもしれない。
 
去年4月に、「白い聖堂」が始まって・・自分でも本当に良かったと思っている。確実にシャンバラの周波数に触れ、その学びの独特のフローが保たれていることが、ひとつの軸となって、その大事な波長を、見失わずにいられるような状態。それにしても、高次はなぜ、こんな風に難しく分かりにくく、未知の、掴み所なく、下手をするといつ崖から足を踏み外すか分からないような環境の中で、私たち「メタフィジ道」を行くもの、学ぼうとしているものたちを、放置しているのだろうか・・と、ゲッセマネのような問いかけを、久しぶりに、激しくはなくてごくごく静かに考えていた最近。そしてすぐに答えを得た。
ああ、そうだった。「方舟だった」と。
 
以前この A Diaryを始めた頃にも書いていた。石井ゆかりさんの表現を借りて「2018~2024年は、ノアの方舟に乗るような7年間」と。
ノアの方舟に乗るような」とはどういうことか?
ああ、そうか。こういうことなんだ。
なぜ? がたくさん出てくる中で、それでも、自分の『神』を信じられるか。
世間のほとんどの人々と道を違えて、ノアとその家族だけが、純粋な生き物たちとともに、乗り込んだ方舟。
おすすめの映画『ノア(ラッセル・クロウ主演)』を良かったら見てみて下さい。舟を作っている段階でも馬鹿にされるわ、邪魔されるわ、家族だけで乗り込んだのに、挙句には次男に裏切られ、長男とその嫁、妻にまで反対され、お父さん(ノア)は人としてボロボロに傷つく。
 
ノアの方舟に乗るような」と、「ノアになるような」は違うかもしれない。
けれど、舟の中で、そして舟を降りてからも、家族みんなが難問を抱えて苦悩していたように、「方舟に乗る」とは、難問や「??」がいっぱいで、いつまでも答えが出ない中、それでも、『神』を、そして(映画で家族の女性陣が見せたような)ハートの慈愛を、追求しつづけ、自分を保ち続け、正しいことは何かを問い続けるような状態を言うのではないか、と。
私たち一人一人が、ノアであったり、その妻、息子、嫁、であったり。その時々、それぞれの立場で難問を抱えながらも・・『神』の舟に乗り続ける。
 
神智学でいう、2025年にやってくる新しい時代の呼び声となる光線の到来までの準備であると考えられる「方舟の七年」はあと残り二年。

アルガンザでは、そんなことも知らないうちに、2017年3月にサロンに迎えた10キロのマスターウラルレムリアンが『箱舟(アーク)』と名乗っていた。そこから確かに、時代の変換点は、アルガンザ的には既に到来していて(いつも世間より1〜2年先にその時代のテーマが箱庭的に動く)、
確かにあの映画のノア、のような気分を味わうことも何度かあった。そうだった、箱舟だった。年々、アリス・ベイリーの書籍が体現する神智学のシリウス性の周波数が、世間とずれていくような感覚が深まっているけど・・・
だからと言って、それでいいという事ではないのだ。
本来の「正しいこと」は、「(その時代の一過性の)世間の大多数の意見」とは、全く関係がない。
 
「方舟に乗るような」最後の二年だと思うと、今のこの空気感も理解できる。そして、自分がやるべきことも。
伝わっているとは思うけど念のために。誰かが方舟に乗り、誰かが乗れない、ということではなく、各自においてそのような時代感を体験するという事。もちろんそこでのあり方や、本来魂がこの時代を選んできた理由や生き様を、方舟時代をどう乗り切ったか、によって、その後の自分自身に映し出されてくる。振り分けられるというか。。

ちなみにこの仕組み、人類の進化や歴史の流れ、カルマやソウルシステムを管理運営しているのがシャンバラ(とアルガンザでは呼ぶことにしている)=シリウス系のロゴスのシステムである。ゆえに、「方舟に乗る」を言い換えると「ガイアの進化プロジェクトに乗る」ということだ。そのためには、横に見えている世界に合わせる、染まるのではなく、自分自身のソウルシステムと繋がっていなくてはいけない。なぜなら進化プロジェクト、その先のワンネスとは、ロゴスのもと、私たちのソウルシステムがワンネスでユニットする状態に戻っていくことを言うから。。
最近よく言っている「自立し合うことで結果的に生まれる調和・青のワンネス」とはそういう事だ。誰かや、どこかと、繋がる事ではないのだ。魂として生きることを多くの人が選択した先に、ワンネスが実現される。
 
・・と、スピに慣れていない人が読むときっと、新手の宗教か、と思われるかもしれませんネ・・けれど違うのです。こういう事がいつか「科学」や「物理学」や「医学」とごく自然と融合されて、人類の常識的な知恵の一部となる時代もやってくるはず。アトランティスで人類は「堕ちた」ので、それらがバラバラになってしまったのです。そういえば、古代インドのヴェーダ文献などは、それらの融合が見られる。失われた太古の叡智を、現文明に与えておく、という理由で高次から齎されたものなので。

アリス・ベイリーの書籍が並ぶオフィスの本棚。その下段は、恐らく3000件以上になるアルガンザのセッション記録。
方舟感が増していく 2023年。
 
自分の意図を見失わず。幻想に惑わされず。今までとは違って軌道から一度逸れて「堕ちて」しまうと、2025年をまたぐと再びそこに乗ることは難しくなるかもしれない。守りたいものを守り、難問疑問に負けることなく。人を頼ることは出来ません、メタフィジカルな道は自分自身でしか、自分を変えたり育てていく事が出来ない。周波数の高い人と繋がる、のではなく、自分自身のソウルシステムと常にコネクトし、作りたい現実を作っていきましょう。
 
Love and Grace
Amari
 

ガンダルヴァとイシスの巫女たち

 

桜も散り始め、早くも新緑が目立つようになってきた関東。

確定申告の第二弾も、先日無事に出し終えてひと安心。頭の中を数字と簿記用語が行き交う中、なんとか書いていた日記が今朝また消えてしまって・・一旦頭をリセットして、話題を絞って再度書くことに。今日の話題は「ケンタウロス」。

アルガンザのセッションの中で、いつ頃からかちらほらと出るようになり・・自分のセルフワークでもその前後から出ていて、何だろう、と思いながら幾つかのステップを踏み、一度2015年ころ?出来たばかりの「リリスリリース」の姉妹ワークとして、「乳海のニンフとケンタウロス」というものを作って。「リリスリリース」と同じ石たちやエネルギーソース、メソッドを使って、ケンタウロスを外す、というもの。リリスを外すか、ケンタウロスを外すか、という違いで、今思えば男女それぞれのヴァージョンでの同じワークだったと分かる。

いつもそうであるように、同じワークに組み込まれることの意味を、当時はあまりよく分かっていなかった。か、当時は分かっていたものの、ここ数年は忘れていたのかもしれない。今回、先日 Info記事に書いた「イシスの巫女たちの堕落」と、ケンタウロスが改めて一緒に出てくる体感や、セッション内容が続いて、両者は関連性があるのだろうと書いていたっけ。冷静に考えてみると、関連性がある、どころか、一対のテーマなのだ。出来たばかりの「リリスリリース」に、ケンタウロスを当てはめている時点で、そこまでは気づいていなかった。

何か別のものを、同じ手法で外すのだろうと。。。思っていた。

けれど、先日のInfoを書いてからさらに、何かあったという訳ではなく、頭や記憶を整理していくうちに気づいた。ケンタウロスが憑いて、巫女たちの約半数を「堕とした」ということだ。具体的には、神に仕え、人々の為に祭祀を担う無私の、公的な立場としての巫女たちが、自我により他者を蔑んだり、権力や名声を奪い合ったり、といった、今の人間社会にも存在するネガティブな精神を自らの中に「拓いた」・・・想像力が必要かもしれないけど、当時はまだ、人間はもっと純粋で利他であったと私は考えている。

そのため、「巫女たちの堕落」は、強烈な出来事であったと思う。彼女たちだけではなく、祭祀の中にもネガティブな神的エネルギーが流れ込み、結果として社会全体が堕ちていった。人類の堕落、いくつもの段階がある中の、ひとつの変換点であったと思う。

なぜ、ケンタウロスという、四次元存在(肉体を持たない)が、巫女たちを堕としたのか。

それは、ケンタウロスたちが配偶していた「乳海のニンフ」の転生者たちが、当時、巫女たちの半数を占めていたからだということに、気づいた。

リリスの発祥に、ケンタウロスが関わっている。ならば、当時のワーク「リリスリリース」で、堕ちた女性性リリスと、堕ちた男性性ケンタウロスを外すという2テーマが対になっていたのも今、ようやく、理由がはっきりした。

そして、改めての「イシスの巫女たちの堕落」を整理していた最近、以前にもう収束したはずのケンタウロスの気配がまた、やって来ているのも納得。体感もあり、ヴィジョンもあり、セッションでも出てくるし、以前シャンバラがすべて(ケンタウロスを)収容したという情報を受け取っていたのに、また何が起きているのだろう?と、思っていた。。

理由が分かって深く納得したところで、確認作業のひとつとして、改めて「ケンタウロス」を調べてみようと、ウェブのレベルだけど検索をしてみる。すると、幾つかの情報源には、以前も調べて、ナゾの男性性の怪しい四次元存在を「ケンタウロス」と名付けた動機となっているようなものが多く目に付く中、非常に興味深い新しい情報源を見つけた。以下、引用

Gandharva(ガンダルバ=仏教が日本に伝わった際の音訳は乾闥婆:ケンダツバ=インドからギリシャに伝わりケンタウロスとして神話に組み込まれたと考えられる)

サイト「コトバンク」より 出典小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)

古代インドの半神半人の精霊。音訳は乾闥婆、犍達婆で、意訳は香神、嗅香(きゅうこう)、尋香(じんこう)。虚空に住む天界の音楽師とされ、天の踊り子アプサラスを配偶者とする。古くは『ベーダ』聖典に出て神酒ソーマの守護者とされ、雨や雨雲と関係が深い。しかし、婚礼の歌ではビシュバーバスという固有名詞となって現れ、新婦にまといつく男の精霊とされる。また、ヒンドゥー教では天の楽人となり、図像学的には半人半鳥の姿で描かれるが、しばしば人に憑(つ)く精霊として、夜叉(やしゃ)や羅刹(らせつ)などと同列視されて恐れられた。終始婚姻や性愛との関連を離れず、つねに女性を愛している。仏教に入ると天竜八部衆(てんりゅうはちぶしゅう)の一人とされ、酒肉を食せずただ香のみ求め、緊那羅(きんなら)(半人半鳥の美女)とともに帝釈天(たいしゃくてん)に奉侍(ほうじ)して伎楽(ぎがく)を奏するとされる。ときに今生(こんじょう)に死して次生(じしょう)に生まれる間の中有(ちゅうう)、中陰(ちゅういん)の義にも用いられ、天の楽人と中有の結び付きは、なおつまびらかにしえない。[原 實]

https://kotobank.jp/word/ガンダルバ-49231

これは本当に「答え合わせ」的な、画期的な説明だった。アンダーラインを引いた「アプサラスの配偶者」・・恐らくこのくらいしか、以前に「ケンタウロス」と定義づけた根拠は無かった。セッションやセルフワークでのヴィジョン、情報から分かっていたのは、「ニンフ」と配偶する男性性であり、何らかの理由で闇の存在となった、それゆえにニンフであった魂の女性に、今でもつきまとう、という内容だった。ニンフは、インドでいう「アプサラス」であり、ギリシャではアフロディーテの語源・イメージソースであると考えられる。

ジェネシス神話にも、既に「ニンフとケンタウロス」は出来た当初から書いているけど、ここまでハッキリと、こちらで感じている体感やヴィジョンと、一致する情報はこれまで出会っていなかった。(今回いとも簡単にネット検索で出て来たのだけど・・)

太字にした部分にご注目。新婦に「まといつく」、「常に女性を愛している」「聖愛との関連を離れず」これは、アルガンザのセッションで以前も今も、感じ取れるケンタウロスの性質であり、さらに言えば、自分だけが置いていかれないように、その女性の霊的な進化を邪魔している。。

それはそうだ。本来、レムリア当時は乳海という五次元の楽園で、ニンフという女性種族との配偶が常に保証され、神の膝下で、むつまじく暮らしていたところに「何かが起きて」、ケンタウロスだけが堕ちてしまった。けれど配偶者であるニンフを自分のものであるとしておいかけ回す・・ニンフたちも混乱し共に滅びる、・・というのが、ジェネシス神話に既に組み込まれている両者のストーリー。天界に住い音楽や香をたしなむ?存在であったというインド神話の記述も、堕ちる前の彼らを表すようで興味深い。

今回分かったことは、

そのニンフたちが時を経て、アトランティスの一時期に人間界でイシス神殿の巫女として生きているところへ(アトランティスでは原型ごとに転生の機会が与えられ人々が自分のレムリア以前のルーツを知っていて、それに応じて職業に就いているよう)、「何らかの理由で」霊としてのケンタウロスが解き放たれ、自分の配偶者である巫女たちに「憑いて」、引き下ろしたということだ。恐らく人間社会にその混乱、闇を招きたいという「何かの」意志が働いて、のことだろう。。

より詳しい部分、「何らかの」の内容は、改訂中のアルガンザジェネシスのバイブルに、反映させたいと思う。

ゆえに、今、ケンタウロスがまたウロウロしているように見えたり感じたりするのは、私たちの記憶から来ているのかしら・・それとも? 人類全体のシフトアップの今、原型物語が動き、各自の中のリリス、各自の中のケンタウロスが炙り出されているのかしら。。

リリスも、ケンタウロスも、性愛と結びつき、リリスはお金や経済にまつわること、ケンタウロスは精神の成長・霊的進化・人としての成功などの面で、それぞれ、対象となる異性存在の状態を悪化させる。実際に生きている私たちの中に存在している、魂の歴史に由来する、リリス性、ケンタウロス性が、今現在も現実面で共に生きる伴侶や異性に良からぬ影響を引き起こして、相手からパワーを奪い弱らせているかもしれないし、四次元存在としてのリリスやケンタウロスが、人として生きる私たちに「憑いて」いることもあるだろうと思う。

前に一時、ハイウェアで「ケンタウロス・ソースリダクション」というワークがメニューにあった。

GATのソースに、どんどん、見つけたら送り込んでいいと(笑)聞いていたので、その方法でケンタウロスをクライアントさんから「外して」、ミカエルに立ち合ってもらい、7次元に送るという内容だった。けれど、今また浮上して、情報が補強されている中で、発見したものをどう扱えばいいのか?考えながら・・ひとまずお客様のセッションでは同じようにミカエルに託しつつGATへ。また新たな直感、ガイダンスの受信があれば、シェア出来ることはシェアしたいと思ふ。。。

まあ、私の感覚としては、ずっと以前からアルガンザでは取り扱って来たテーマであるし、今回、バイブルや「アトラスハシス」により詳しく書く・・ことが、重要なのではないかと。それにしても、インドでは伝統的に「花嫁に憑く」「精霊存在」と言われていたとは。以前ケンタウロスの定義付けを、比較的すんなりと直感的に出来たのは、私の中にその記憶が、あったからかもしれない。

そうだ!大事なこと。

プラクティショナーさんたちに、数年前の「プロテクション専科」で伝授したサンスクリットの魔除・呪詛避けのマントラの文言の中に、よくよく考えてみると「ケンダツバ」として、名前が出て来ている点に注目してみて下さい。。リリスもだけど、排除すれば良いというものではないので、やはりシャンバラに委ねてソースに返していくという事になるけれど、嫌がらせは辞めて貰わないといけないので、そんな時には例のマントラも活用すると良いかなと思います。

そしてこれを読んで怖くなってしまった、心配になってしまったという方が居たらごめんなさい。もしその「怖い」が記憶や潜在意識の反応であれば、現世で起きている問題の解決の糸口かもしれません。プラクティショナーさんにご相談でも良いですし、Amari’s Work の場合は Utpalaの自動セッション(スピリチュアルコース)でも、レムリアントランスミッションでレムリアからアプローチしてみる、でも、良いかもしれません。気になる方はご相談ください。。

Love and Grace,

Amari