遺伝子の記憶 

以前、アメリカ「ヒストリーチャンネル」の番組を見ていたら、イタリアの研究チームが、「ナチスのホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)を生還した、PTSDなどの症状を持つユダヤ人」の子孫を調べたところ、精神疾患の発症率が高い事が分かった」とあった。

人間の気質は、ヒーリングの視点で表現すれば、エネルギーのデータとなって、過去生由来の当人のものだけでなく、親から、そして先祖代々受け継がれるものだと言える。

ヒーラーとしての私のイメージ(セッションでの見え方・感じ方と、神智学からの情報をすり合わせて)は、ソウルの転生データは宇宙に保管されていて、転生する際に胎児の段階のどこかでソウルが体に宿るその時に、データが移動して、オーラ第四層のコーザル体に搭載、そこから徐々に、エーテル(1)、アストラル(2)、メンタル(3)体と、整備されていく。

一方で、両親から受け継いだ遺伝子の中にあるフィジカルだけではなく、気質や本能的感覚などもまた、エーテル、アストラル・・と浸透していって、ソウルからの情報と混ざり合って、個人の特徴付けが起きていく。この辺りは胎児の段階なのか、生まれてからなのかはよく分からない。シュタイナーはどこかで書いていた(述べていた)気がする。

ホロコーストのようなかなり強いストレス、恐怖、飢餓や痛みなどの身体的苦痛を伴う記憶は、当人だけではなく、生き延びた後に生まれた子孫にもコピーされ継承されるという。より詳しく知るためにネット上で検索してみると、ホロコーストだけではなく、同じようなPTSDと子孫への遺伝を扱った研究が、世界各国の研究チームにより、報告されているようだ。

この事について、ヒーラー目線で更に考えていくと、ご先祖が苦しんだ記憶は遺伝子に何らかの変化を起こし、先天的な情報となってその後の子孫たちに継承される。ヒーリングを必要とする理由は様々であるけれど、体質だけでなく気質や、本能的なパターン、精神なども、家系の影響を受けていると言うのは、納得出来る。

今世それほど、苦労や苦痛を味わったわけではなく、平凡に幸せに生きて来た筈なのに、この常にある「空虚感/悲壮感/自己否定感/不安感/謎の怒り/疎外感/孤独感 etc.」はなに?というようなご相談は割とある。

その場合、考えられる路線は2つあり、

一つは、今世の自分にトラウマ等はなくても、過去生などの魂の記憶にその情報がある。

もう一つは、家系的、遺伝的に受け継がれている気質、である。

そして、双方は重なっていることが多い。魂は、未解決の課題を消化するために同じ鋳型、カルマパターンを持った家系や親を選んで生まれて来るからだ。

さらには、土地が持っている歴史・・という要素も、先祖代々その土地に住んでいるとしたら、影響を受けているかもしれない。

もちろん、皆が皆ではなく・・例えば古戦場近くに住むある家族が居て、代々、同じような病いや、嫁が来ないとか、男子が生まれない、などのカルマが持ち越されているとしても、ある時にキラキラと高周波でパワフルな人がその家系に生まれて来て、引き寄せでその人に同じようなパワフルな嫁が来て(笑)、悩まされて来た問題が一気に解決するかもしれない。

中和されたり・・また戻ったり・・ということもあるだろうし。私が実際に見聞きした中で、先祖が開拓・開梱していると、そこに住んでいた動物たち、特に駆除された蛇などのエネルギーがその家系に憑くということも。地主さんは神社を建てて祀ったりとされてる事がよくあるけど、やはりそういう事は大事なのだなと思う。

蛇について言えば、夫婦の繋がりが強いそうで、伴侶を奪われたりすると仇となった人間、その一族を恨んでしまうとか。

ニュータウンに住んでいて、さほどその土地に歴史は無いと思っていても、開発・開拓などで一気に広範囲の自然が破壊される時、そこに眠っていた(最近まで雑木林で隠れていたような)遺跡や遺物なども掘り返されて、昔の地主さんのような宗教的儀式をせずに工事を進めてしまう事もあるだろうから、ニュータウンでも安心は出来ない。実際に幾つも、そういった事例を聞いている。

それと、私自身が割と引越しが多かった為に、土地のエネルギーがそれぞれ全く違うことを体験するうちに、気の流れが良い/悪い なども感じやすくなっていて、最近だと事前に物件の前にその土地を見に行くようにしている。開発・開拓によって土地の性質が生かされずに損なわれている事も多々あるだろうと思う。

話が逸れたので元に戻すと・・この事は、アルガンザで基盤に据えている地球と魂の創世記「ジェネシス」世界観における、様々な原型エネルギー、原型種族との関連付けからも、説明することが出来る。家系に「〜の原型エネルギーが強め」などの表現をする事もあり、また家庭内で、家族同士それぞれの原型パターンを持って、互いに学びの為に生まれて来たりする。

土地についても、ジェネシスにいう宇宙由来の原型エネルギーや、その混合で生まれて来ているレムリア、アトランティスなどの先文明(非物質含む)のエネルギー、自然界の集合場、種族のグループ的な情報を持っていることもある。

一度、仏教徒して信仰・修行していた時代がある私としては、「先祖供養」「土地(歴史)の浄化」などのテーマでも、当時は学んだ事も多かったけれど、今はそれとは少し違ったスタンスを持っている。今ここ、の遺伝子をヒーリングによって癒す時、その遺伝子で繋がっている先祖の魂もまた、癒されると考える。同時に、誰かに癒しが起きると、同じ原型で繋がっているソウルたちの集合場にも、癒しが波及する。その逆もある。

見えないもの=霊、スピリットなど神秘的な領域 ではなく、

私たち人間の物質要素も、非物質要素も、魂も、すべてデータ(情報)で出来ているというのが、今、量子物理学などと接近してきた新たな時代期の「スピリチュアル」である。そうかと言って機械的なあり方や考え方、心や温かさをカットしたような世界観ではなく・・数学的であっても、その中に宇宙を貫く創造主の愛を感じられるような意識を、私たちが拓いていく時代が来ているということだ。

そうそう。同じくヒストリーチャンネルだったか、NHKだったか・・コンピューターを動かしている「0と1だけで表現される言語」=2進法。遺伝子もある意味、2進法なのだとか。つきつめて&意識を広げて考えると、遺伝子を始めとして、あらゆる人間の物質・非物質が同じ原理で説明が出来るのかもしれず。肉体でも、感情でも、魂でも、過去生でも、関係なく、同じ言語で記述されているのだとすれば、

インド哲学や仏教の宇宙観にあるような、宇宙の創造主はミクロにしてマクロであり、それが私たち自身である、というような話も、数学的に謎解ける日が来るのかもしれない。

今はまだ人間の知識、技術、科学的センスが追いついていない訳だけど、量子論、脳科学や医学の研究も、遺伝子の解明も、すべてが一つの法則で説明出来るはずであるし、古代インドの人々は・・少なくとも一部の哲学者や執筆者は、それを知っていたのだろう。

遺伝子に刻まれているあらゆる記録、データから、直接話を効くヒーリング、みたいな手法が生まれるかもしれないし、先祖供養や地鎮や霊媒や憑依などの「非科学的」な現象や手段も、きわめて科学的なアプローチによるエネルギー変換であるということが、理解される時代も遠からず、来るのだろうと思う。

ニコラ・テスラは電気を発明し、世界中に無料で配ろうとして阻止された。A.チューリングは二進法によりコンピュータの土台を発明したが、時代の犠牲者となって失意のうちに世を去った。それでも人類の歴史は少しずつ賢くなり、先駆者だった天才たちの偉業を少し遅れて理解し、実用化する。

これもある種のワンネスで、今ここにある世界こそが、私たちの魂が共に作り上げて来た結果である。良いことも、そうでないことも。遺伝子の中には、そんな人類・・いや、ヒト種族になる前からのソウルたちの、地球における歴史が詰まっている。

ジェネシスヒーリングのバイブル「the Genesis」の改訂作業をしていたら、時々ある、個人を超えた「歴史そのものと同化する」「アカシックレコードになる」ような感覚が訪れた。

ワンネスと言いつつも、まだ悟りに至った訳ではない私にはどうしても、固めておきたいコンセプト、自分の仕事を通して伝えるべきメッセージがある。

色々有って、良いと思う。それぞれ、の役目や立場で、良いと思う。それぞれの速さ、高さ、遅さ、低さ、自由な角度、あっていいと思う。ラジャスとタマスを行き来しながら、サットヴァにはいつか、それぞれのペースで行き着けばいい。

むしろ自分自身がそれにこだわり、世間や周囲になびくではない、自分のライフスタイル、生き方を重視して来た。

自由な人間が、自分自身としてそこに立ち、自分の足で歩いていけば良い。

けれど、滅ぼす力、壊す力、奪う力、損なう力、枯れさせる力、だけは、人類は無くしていくよう意図しなくてはいけないのではないか、と思っている。

戦争や破壊がある限り、遺伝子は傷を記録するから・・人類は負のループから抜けられなくなる。急には無くならないとしても、少しずつ創造と破壊の比率が変わっていき、いつか悲しみを伴うような攻撃や、奪い合い、戦いが、個人のレベルでも、国同士のレベルでも、起こらなくなることを願う。

Love and Grace

Amari

ジェネシスの森/「不安・恐れ・悲しみ」とオージャス

昨日の Infoブログ『イシスの巫女たち〜』から一夜明けて。珍しいほどによく降る雨の日。

最初にサロンを始めた頃、ごく初期というよりは本格的に、対面サロンに日々お客様が来るようになった奈良での活動に入った頃、現実の自分の人生には起こらない不思議な人々の感情的な反応を、「シリウス系のワークをしていると、浄化が強いゆえに起きる」現象だと考えていた。・・これは、私以外のヒーラー先生、同業の知り合いなどとも話しているので多分間違いではない。「シリウスは厳しいな」と当時は考えていた。

そこに加えて、横浜に移ってから土地系のワーク、地鎮・・というにはアルガンザの場合はもっと時空を超えているような感じだったけど、いわゆる「アースワーク」の小さい瞑想グループを作ると、何かこう、いつも参加者同士のエネルギーが摩擦するような現象も見られて、「アースワークは厳しいな」と今度は言うようになる。

そして、2017年以後、それまでとの厳しさとは比較にならないような、スパルタ的な学びを伴う仕事となったのが「ジェネシス」という概念と、その歴史絵巻に合わせて活用するためのエネルギー、光線を取り扱うという新たなアルガンザのプロジェクト。その頃ちょうどスクールで導入するようになっていたアリス・ベイリー著書群が伝える「弟子道」というものの厳しさが、まさにそれなのだと気づいて、厳しい、厳しい、などとはもう(私の立場では)言わなくなった。。。

簡単に言うと、「ヒーラー辞めますか。それとも感情やめますか。」という感じ。感情とは幻想なのだと分かっていないと、進めなくなってしまう。分かっていなくても、せめて言い聞かせながら。これは一般のクライアントさんや、ヒーリングを受けるようになった方々、学び始めた人々でもメカニズムは同じで、浄化や手放しの際には、感情や現象が飛び出してくるものだから、それに負けてはいけない、というのは基本でもある。

デトックスでは済まなくて、カタルシス(瀉血)、クライシス(危機)とさえ呼ばれる。

単に三次元で、目の前に見えている土地や、その土地の歴史・・というのではなく、次元をまたいだワークが伴う、ジェネシス層のアースワークや、個人のヒーリングにおいても、ヒトとしての転生を超えた、オーラ層の多次元にも響かせていくジェネシス層の癒しと解放は、世界観や行う側に求められる意識においても、そこで必要とされる周波数においても、「弟子道」の周波数帯にある、と言う事なのだろうと自分では思うに至っている。

「ロードオブザリング」の指輪のように、「ジェネシスの森」に入ると、自分自身のエゴのささやきが増大する。それぞれが持っているいまだヒトとしてはバランシングに至っていない要素が、原型同士の不協和音として際立って来て、ジェネシス神話に登場するネガティブな原型エネルギーや、ネガティブな影響力で自分に害を与えるモノ、のように見えて来てしまったり。感情の、更に奥にある潜在意識に刻まれた記憶が、響きを増大させて自己主張をして来たりする。

小さな感情の、感性のタネのようなものが、数千年、数万年越の問題に癒しのチャンスが訪れた時、大騒ぎするのだ。昨日のInfoで書いたように私自身の場合、クライシスというレベルでそれが起きたのは、「アトランティスの後期エルフたち」情報が出て来る時だった。

その仕事をひとまず伝授という形で終えたからといって終わりではなくて、寧ろそれから何年か、エルたちの喪失感や、破壊者への怒り・憎しみ・嫌悪感、失われた純粋なものたちへの同情心などが、引出されるような現象化と、それを手放し時空を超えて乗り越えていくプロセスも続いて、その後の確認作業も済んで、という所に、私の場合は去年の4月、10年ぶりの「シャンバラ」の学びがやって来た。

それ以後は、セイクレッドレイキの『純白マーラ』のような感じ(笑)・・

アーユルヴェーダの聖典「チャラカサンヒター」によると、生命を輝かせるエネルギー成分「オージャス」が、心臓に8滴、蓄えられていると伝えている。これは微細な物質とのことで、エネルギーだと考えられる。そして体の免疫機能や心の力、脳の働きなどに強く影響を与える。

このオージャスを減退させてしまう原因としてあげられる中に、感情面では3つ。「不安・恐れ・悲しみ」とある。怒りや憎しみではなく。オージャスとは生命を生き生きと輝かせるものだから、ラジャス系の感情(怒りや憎しみ)ではなく、ハートの力を弱めるような感情が原因となるようだ。「不安・恐れ・悲しみ」

心臓に存在するというオージャス。それに関係すると思われるハートの愛の力、自尊心などが低迷すると、免疫力や感覚器官が調子を崩し、病気や老化がもたらされる。それだけではなく、「知的能力を損なう」とも書かれている。

病は気から、というのは、この心臓にある「オージャス」と関係がありそうに思う。

本来、愛であり善であり信であり、純粋性に貫かれていた魂たちが、いかにして心や体や社会に病み(闇)を受け入れるまでになっていったか。そこを取り扱うのが「ジェネシスヒーリング」であり、ジェネシス概念をベースに、本来の魂の力を取り戻していく処方箋が、様々なアルガンザワークのエネルギー、メソッド、光線である。

参考文献:「本当の自分を取りもどす アーユルヴェーダ」(Gaia Books)

https://lumiereblanche.shop/?pid=172567039

Love and Grace

Amari

「今ここ」は「わたしの心」

スピリチュアルな世界でよく言われる「今ここ」(が大事という話)。

物理的にだけではなく、時間、この瞬間に「着地=グラウンディング」する、というニュアンスだ。もちろん大事なこと。

NHKオンデマンドで『ヒューマニエンス』の最近の回を見て・・(タイトルを忘れちゃったけど)印象的だったのでメモしておく。

人間は、地球の自転に合わせた体内時計を(各内臓レベルで)持っている、という話から、後半は脳科学の先生の研究や見解から、表題のような哲学的なフレーズが導き出された。

時間というものはそもそも存在せず、過去、未来、という直線的な流れがあるわけではない。・・という話は、近年は量子物理学からも説明されている。脳科学から?一体どんな見解なんだろうと思って興味深く見ていると、

直線的な時間は存在しない、過去も未来もなく、様々な瞬間瞬間の記憶が、同じように散らばっているのだ・・とすると・・では「今」って何だろう?

それは、「わたしの意識そのもの」なのではないか、というお話。(大阪大学・北澤茂教授)

自分が「ここに居る」「何をしている」「何を見ている」という感覚が、自分自身の意識となっていて、「今」という認識を生み出している。その前のことは過去となり、まだ起きていないことが未来となる。

そもそも、動物たちは「未来」という概念を持たない。そのため、例えばチンパンジーは様々な感情を持っているが、未来という概念がないため、何かに絶望することもないだろう、という。

類人猿に限らず、比較的知能のある動物たちは確かに、喜怒哀楽やちょっとした知恵を持っているけど、絶望したり苦悩したりはしない。

未来、という概念を自らの世界観の中に生み出した事により、人間は難しい存在、自らを生きにくい存在にしてしまったのかもしれない。

脳とは、実際に起きている現象をすべてありのままに知覚するものではなく、0.1秒単位で入ってくる情報の中から、取捨選択してそれらしい現実を編集するのだとか。「今ここ」がスピにおいて重要と言われるのは、過去のこだわりや偏見、ネガティブなフィルターや、未来への不安や恐れに紐づいた取捨選択、脳による「編集」を通さずに、

あるがままに、起きていることを自分の中に取り入れ、冷静にことに当たるべし、という意味でもあるだろうし、この瞬間の自分の心(意識)が、「今」となって、本来直線ではない時間の一部として刻まれていく、未来に影響を与えていくのだから、

「自分みずからが人生をクリエイトしているのだ」ということを忘れずに、「今」=瞬間瞬間、0コンマ1秒の創造を、よりよきものにしていこう、という意味であろうと。改めて思った。

メタフィジカルの基本中の基本であり、最後までなかなか超えられない高い壁であろうとも思う。

たぶんみんな、ずっとそこをトレーニングしつづけるのだろうと。

それですべてが解決する けれど そうはならないのは、まだ人間が、感情の時代を引きずって生きているから。動物ではなく、意識そのものである、という段階へ、ソウルが進化していく大きな過渡期。大きな・・数千年掛かっているのだろうか?そうかもしれない。

まだまだ「感情崇拝」はつづく。ゆえに、まだこの時代においては、ヒーラーは感情的な問題やそれによって起きる現実の不具合を「幻想である」ことを知って貰うために、クライアントを導いていく役目がある。

それが幻想であると全てのソウルが悟ったら、みんな神になってしまう。けれどみんな本当は神なのだ・・インド哲学、ヨーガ哲学が言っているように。宇宙の創造主ブラフマン、その化身であるアートマン、それは私たちなのだと言っているから。ブラフマンは量子サイズで、魂の数だけ存在している。つまり「生きとし生けるものすべてに宿る」。そして、宇宙で最大のものでもある。

脳は0.1秒の「今」を集めて取捨選択し、編集して「自分」を作っているそうだ。

脳科学も、量子物理学も、インド哲学も同じことを言っている。

Love and Grace

地球が緑の星の理由(昔は紫だった!)

前回の日記から、なかなかその後も「時空のはざま」の感覚が続いて、一方で仕事はありがたく忙しくて、Diaryを書くゆとりのないまま・・2週間くらい経っちゃったかな。本当は短くてもいいから日記らしく毎日書けると良いと思ふ。

昨日は「ストロマトライト」の丸玉をショップに出した。30億年前に生まれた地球最初の生命=シアノバクテリアが作り出す「ストロマトライト」という形態。それが化石化して、ジャスパーとなっている石。シンクロは日常的に起きるとはいえ、自分ながらに驚いたのが、夜に空いたちょっとの時間に何か見ようと、契約している配信会社(サブスクとか今は言うのかな。subscription)のホーム画面を開いて・・

普段見ない領域へ入っていって、何となく、こういう時は手が勝手に。うろうろするうちに辿り着いた「ドキュメンタリー」、BBCの自然系ドキュメンタリーから「緑の惑星 地球進化の謎」というよく有りそうな邦題に訳されたシリーズをポチっと。NHKオンデを通して時々好んで見るような、BBCらしいセンスよく知的なそれでいて愛嬌があって楽しめるドキュメンタリーだった。始まって数分でストロマトライトが出て来て感激。

以前「石巫女」クラスで地球の始まり、いや太陽系の始まりからザザっと学び、海が、陸が、鉱物が、植物が、そして自然界が出来ていく流れを追いながら、超大陸パンゲアを中心に、地球という生命の歴史を探究。その橋渡しとして石たちに語ってもらい、地球のあゆみを鉱物界の視点、あるいはそのバックに(内部に・上空に)ある、高次の眼差しに触れるという試みを。後で思えばこれは数年後にまとめる「ジェネシス」の準備だった。当時はまったくそんな意識はなかったけど、ひとつの目的に向い、多方面から準備が進んでいたのだ。

そう、そんな「石巫女」ではもちろん、ストロマトライトも取り上げていて。私が持っているドイツ産の磨きものを教材にしたりしてたけど、まさか!!別の回でゲスト出演した自宅の巨大丸玉が、ストロマトライトであった事を当時は知らなかった。今回、アフリカから直輸入する際に「カンババジャスパー」が「ストロマトライト」であると知って。とても重要な鉱物であることは知りつつ、先日のインスタから、昨日のUP時にはサラリと書いてUPしたので何か物足りなさを感じていたところ。昨夜の番組で不足を補われたので、まずはここにメモしておこう。

ヘマタイトが赤いのは「地球で最初に出来た酸素に触れた」鉄鉱石であるから。という話からスタートして、地球誕生から間も無く出来た海。太陽から強烈に降り注ぐ強すぎる紫外線を、海水が防いでプロテクト。ゆえに生命は海から生まれた。

30億年前、海水の中で生まれたバクテリアは、紫色だった。塩水を含む湖、そして殆どの地球表面を覆っていた海の全体に広がった。当時の地球は宇宙から見ると、紫色だったそうだ。それが少し進化?した、あるいは変容した形で、深海で生まれたバクテリアは、その深さでも届く光の中で「たまたま」ある色だけを吸収し、自ら染まった。それは「みどり色」。

このシアノバクテリアが、現在地球上にひろがる「みどり」つまり植物の祖先になった。そして、地球は「緑の星」になったというわけだ。

紫のバクテリアには出来なかった光合成を、シアノバクテリアはするようになる。それにより酸素が地球の大気に、それまでは薄かったものの、増えて、どんどん増えて、やがて形成されたオゾン層。このオゾン層が、太陽から届く有害な影響を防ぐプロテクションの膜となって、準備が完了。安心して生命たちは、海から陸に上がるという冒険に踏み出した。

(この先、ストロマトライトとは関係ないがメモをつづける)

それから遥かな時が流れ・・・陸に上がったとは言え、沿岸部でホワホワと揺れていた不思議な形状の「植物」たちが、根っこを生やすというイノベーションが起きたのが4億年前。陸といえば当時は岩石ばかり。砂や土はまだ無かった。この「根っこ」により、植物は効率よく水や養分を吸収できるようになり、彼らの働きで(枯れた植物、雨、岩石などの反応が起こり)土が作られた。1000年で2センチしか作られない土。さらに長い時間をかけて地球全体に土の層が広がる。

そして葉っぱを持つという再びの植物界のイノベーション。太陽光や雨の水分、摂取する空気中の炭素を効率よく吸収することが可能に。

3億年前、つまり根っこを「開発」してから一億年かけて、「森」が出来た。それにより、豊かな陸の世界を目指して海の生き物たちが陸に上がる。

ちょうどこの辺り、「ジェネシス」では超大陸パンゲアとその関係で展開している「アルカテラス」文明の時代で、上空で暮らす移住者たち(アルクトゥルス、シリウス人たち)は、地表世界の面倒も見ていた。恐らく「根を持つ」「葉を持つ」「森ができる」などの植物界の変異の影で、宇宙光線や遺伝学の知識を導入して刺激を与えていただろうと。けれどこの頃の自然界は、今とはかなり様相が違う。何もかもが大きい。今のような自然界になる為には、そこから先何度も、地表世界は大量絶命のクライシスを体験しなくてはならない。

1億5千万年前ころから、巨大化した恐竜たちと、植物界の生存競争が起きていた。大量の植物を食べる恐竜たち。そう、肉食獣は少なくて9割の恐竜は草食とのこと。危機を感じた植物界はトゲや硬い殻などを生み出し、身を守る策に出る。が、6500万年前、よく知られる最も最近起きた大量絶滅のキッカケとなった隕石落下で、恐竜は絶滅。その後もこの番組はvol3まで続く。花の誕生、草の誕生、と。

最初に提示されていたテーマ、そして最後の結論は、「地球の進化は植物界が導いている」というもの。確かに確かに。

花や果実、草を生み出したことで、その後、哺乳類が栄えて今に至る。

植物界を危機に晒すと、6500万年前の恐竜たちのように、人類のほうが絶滅させられるのでは?と思う。

植物界をベースにした生存の仕方が、望ましい。と、個人的には思う。森や草原の恵みの中に、私たちが住まわせてもらっている、という意識が。

植物界のお役に立つような発展の仕方をすれば、人類も地球で生き延びることが出来るのではないか。

もう一つ、この番組で取り上げられていた「シリカ」(珪素)。砂の主成分ということだけどつまり地中、鉱物界から、植物の根、それを食べた動物たちの糞、という流れで大地に。それを新たな種族の植物「草」が取り込み、自らのコーティングに使っているという。それを食することで?哺乳類も進化してきて、人類に至る。人体が珪素、シリカで出来ているというのはそういうことか。もちろんシリカといえば水晶、クォーツだ。

元素としてのシリカは確か、八角系だとか。ここにはアルクトゥルス・リラが共存した「天空文明」(アルガンザのジェネシスで想定している10億年前の非物質「文明」)を感じるし、水晶は形状や構造からしても六角形、6の数字、つまりシリウスが関与しているとわかる。

ジェネシスでまとめてきた地球の歴史を改めて確認できた気がした。

「ニンゲン」であることに(意識が)こだわるか。「自分はかつて植物、いや元素だったかも?」くらいに頭が柔らかいか。・・何となく浮かんだのは、地球という生命体そのものやその歴史、酸素のある地表つまり植物界の温存を意図するか、人類のことだけを考えて「地球がだめなら他の星へ」と考えるかで、未来、あらゆる分野で道が分かれていく気がする。前にも書いたけど・・物凄く大きな分岐点だ。ある種の思想、もしかすると哲学的、宗教的な分岐となって、人類を二分するかも。

地球温存主義、と、人類優先主義。二極化はいろいろな層や切り口で起きると思うけど、これが遠い未来、最大の二極化現象となって、人類を二分するのではないかという気がする。自分が魂であると知る人は、「今はたまたま人類ですが」と分かっているので、前者になるだろう(無意識であっても)。他人ではないのだ、植物界も。藻類も。地球のすべてが、自分たちなのだ。

だから上の「二極化」を言い換えると、人は魂なのか、物質人間なのか、という事になる。

思想の二極化はすでに始まっている。物質人間として新たに物質的創造物を生み出し(機械、AI)、人類が「神」になるという流れ(風潮)を、止めることは出来ずとも、修正することは出来るか。「植物の星、地球」という概念は、そのキーになるはずだ。

Love and Grace

Amari

タイムカプセルその2・時空のはざま

昨日は(2023年2月の日記)、いつも通りオフィスに行ったものの、普段の当然のような仕事の流れに体が乗らずに、何故か部屋に吹き込んで来た独特の空気、情報とともに「時空のはざまの様な日」、と感じた。こういう事はそうそう無い・・・けれど、年に数回はあるのかなという気がする。

2020年、実家が奈良を引き上げた事で、奈良の家に残してあった創業当時からのショップ関連の書類、自分が学び始めた頃のテキストやネット情報のコピーや修了書、なんと新潟時代からの書類の山が、ダンボールで数箱、移動して来た。FaceBook のオフィス日記などで何度か呟いていたように、整理しなくては、と言っては少しいじって止まって。まだまだ最近まで、オフィス書斎ルームの大テーブルの下に。

趣味というくらいに整理整頓は好きな筈なのに、様々なエネルギーが詰まっている過去の記録ゆえか、その置き場所がうまく完全にダンボールたちを匿ってくれてほとんど目につかず邪魔にならないせいか、そのまま長い時間が経過。例えば、ヒーリングと出会った頃に貰ったヒーラーさんがたによるリーディングや、当時の自分の瞑想体験を記したノート、そして2004年にスタートしたショップの仕入れ、直輸入に関する膨大な書類。何一つ捨てていないという状態。

今のところ、まだ参考になる場面もあるから、ほとんどのものをそのまま、オフィスのキッチンの奥の棚につくってあった場所へ。そうそう、オフィスのビルは居住用のマンションだけど(何軒か店舗やサロンも入っている)デザイナーズ物件で、代々私が自宅として住んで来た賃貸のマンションと比べても、とても立派なキッチンやお風呂場がある。生活スペースではないのでそれらのゆとりの場所が、物品の置き場所のようになっていて・・

それでも、入れるものが無く余っているようなスペースの頑丈な棚があり、整理した書類の置き場所にはピッタリなのだ。

昨日は、二年前から引きずっていたこの仕事をようやく完全に終えた。何かの立場を「やめた」という段階では、人はそこまでの時間の記憶、記録を整理しにくいものだ。暫くそのままとっておこうと。けれど、更にその次のステップ、「やめた」ことを再び別の角度から、別の方法で、別のバックグラウンドで、「また始める」となった時は、取捨選択や区切りの必要が出てくるから、整理しながら次の流れを作っていくという作業が必要になるもの。

そんな流れの中で、フォトフレームだけを設置して中身が無いまま、祭壇のようになっていた故人を偲ぶ場所。急に思い立ち写真を印刷しに街に出た。こんなに簡単なことなのに何故か、2年もカラのフォトフレームを飾っていたのだ。その人が亡くなった日は、いつも乗っているバスを降り過ごして先のバス停で降りるとそこは縄文遺跡の広大な広場。そういう場所には次元のポータルがある、少なくとも必要な時には開いたりするのか、急にその場所でその人の魂を感じて、初めて悲しみと涙がこみ上げた。

泣きながら、バス停ひとつ分の慣れない夜道を歩いて家に帰り着くころ、晴天の霹靂。予報も出ていなかった急な激しい雷雨。それも凄い音、稲光、豪雨。そして地鳴りまでし始めた。雨が止んだ後も、しばらく地鳴りが続いた。「やはりただものでは無かったのね」と感じて、ホっとするような、「らしいな」と思って嬉しさ、笑いも出てきた。

プチシンクロとしては、昨日作業をしながら「前にもタイムカプセルがどうの・・って日記に書いた日があったな」と思っていたところ、夜にお客様からのメールでその日の記事についての言及があった。12月末の『タイムカプセルを開く』

昨日もまさにそんな日で、自分の普段のフローからは完全に降りて、ミクロではこの2年の。マクロでは2003年(まさにその頃からの記録、書類と向き合っていた)からの20年の、自分の味わってきた時間の整理をすることになった。そのマクロの中で、何がどう働いて直近のこの数年の出来事があったのか。ちゃんと対処が出来ていたのか、取りこぼしたものは?この先の課題は?と、先に進んでいくための整理も出来た。

人生には不可抗力でやってくる事象もたくさん。全てを直感したりできる訳ではない。・・というか、そういった要素が無ければ何も学ばず、ただ平穏な時間を過ごすだけならば何も人間界に降りて来ることは無い。まだ不完全ではあるけれど、自分の仕事を通して理解してきた人間の魂とこの世界に関しての(自分なりの)法則、歴史、エネルギーの相互作用の仕組みという「知恵の書」を通じて、ヒーラーやショップを起業してからも、その前の人生も、今ここの立ち位置も、見えて来ている。

人間的にあるべき部分と、「普通の人間」ではダメな部分と、さじ加減が難しい仕事である。以前のスタッフさんたちには「歴史と伝統のある神社に仕える神職である」というような意識で、サロンやショップに携わっているという私のスタンスを伝えた事があったけど、これはなかなか、難易度が高い(笑)。けれど、私が「毎日サロンを出る時に一礼をする」と話したら、大先輩のヒーラー先生は「もちろんです!」というお応えだった。やはりその姿勢は必要なんだろうと。高次との連携、導きでこそ、運ばれていく仕事。

時折スタッフさんを迎えると、色々な事が起きる。私がもう十五年やっていても起きていないようなミスやびっくり時変が(例えば関係する業者さんのミスや、スタッフさん自身のミス)が起きる。人によってはその連続で、ご本人がパニックに陥ることも。うちの娘は小さい頃、サロンに遊びに来ては眠気に抗えずソファで昼寝してばかり・・本人は手伝う!と言って来るにもかかわらず(笑)。そして大きくなってからも、ふだん家ではしないようなミスを(ものを壊したり)したりしていた。また、ベランダのラティスにペンキ塗りをする時は急に強風が吹いて気温が下がりとても続けられなくなり、私が替わったら風が止み、あっという間に終わってしまった・・と、手伝う人員には少なからず、日常とは違う波長へと周波数を持ち上げる(気を引き締める)ための「修行」が起こる。

そのような現象を体験して、娘は仕組みを理解し、オフィスに来る時は本当に「参拝する」ような姿勢で今ではやって来る。普段の自分よりも意識を持ち上げて来るので、ミスも起こらなくなる(もちろんミスがあったって良いのですが。当人が気にしてしまうので)。スタッフさんの中にもそれを理解し適応してくれていた方も居たし、うまく回っていかない事で混乱し、続けられなくなることも。今振り返るとそれはご本人たちの問題というよりも、同時に通ったり関わったりしているスピリチュアルなワークなり団体なり時にはご家族などから来るエネルギーが、アルガンザのエネルギーと拮抗し、摩擦が生じる為に起きる現象でもある。

まあ、それも含めてご本人の責任内、という事にもなるケド。この(シリウス式の)厳しさは私自身がヒーラーになってからずっと、歩んで来た道でもある。

これが最初に起こったのが、忘れていたけど今回の書類の整理で判明した、まだ奈良に居た時に親しくなったお客様がたと作った四人グループで、メルマガを出したりと活動を始めていた時だった。スタートして1ヶ月足らずで、今思うとアンドロっぽい方でよく起きるパターン、一方的に情報を捉え違えて傷ついて去っていくという・・この件が最初だった。私の個人的な人生では起きないような事だったので当時は驚いたけど、その後、何度そんなことがあったか。。。そのうちに、これが「スピリチュアル」という分野なのだと知った。

生徒さんやクライアントさんとは違い、スタッフさんや、一緒にプロジェクトを進めるメンバーとなると、厳しい高次の姿勢が現象化する。シリウスっぽい風が吹く。そこでどう受け止めるのか、試される。そこまでの自分の選択や流れ、高次やアルガンザとの縁を、信頼出来るかどうか、も。

「歴史と伝統ある神社に仕える神職」の意識?(比喩ですが)がないと、失敗ばかりが際立ってしまうような周波数。意識だけではなくエネルギーの実際も、鏡となって現れる。自分がその周波数に適応しようと努力するかが重要になる。思えばずっと、その努力をし続けて来た。変に力むこともなく、いつしかそれが普段の自分の生活とも融合し(まだまだ足りてないが)。人としての知恵を得るというのは、「神職」に染まっている魂としては逆に色々と難しさを感じるものだけど、双方を統合し、守るべきものは守り、伝えるべきものは伝え、前に進んでいく。

Love and Grace

Amari

Unconditional Love

2014 

青野 芹

風に色が見えるとき 世界は私の中に在る

金色 銀色 刹那色 

世界の夢である私 私は世界を夢に見る

虚空に拡げた腕が 目の前の地球(ほし)を抱きしめる

桃色 水色 檸檬色

すべてが完全であるように 時が私の一部になる

風たちが騒ぐ

解き放った白い鳩が また戻って来た

止まる枝が見つからずに

ハートの小部屋から旅に出た 幸せの白い鳩

愛の証 明日への翼 無垢な羽搏き

止まる枝が見つからず 帰ってきた

少し羽を痛めて 白い翼をすり減らして

大丈夫

構わないよ

何度でも 戻っておいで

私のハートを 運んで欲しいから

傷付いたら、何度でも癒してあげるから

ただ反復するように また翼を磨いていこう

風たちが色づく

浅葱(あさぎ) 薄紅 ラベンダー

世界の夢である私 私は世界を夢に見る

毎日 白い鳩と語らう 私のハートに住む

無垢な愛の証

もう9年も前になる。2014年になぜか急にスイッチが入り、幾つか書いていた「スピリチュアルポエム」は、「ヒーラーとしての」当時の自分の心情を表現したもの。当時つくったポエム専用のブログは、更新されることのないまま密かに存在。

【解説】Unconditional Love

タイトル、「無条件の愛」

ヒーラーとしての立場や仕事の静かな喜びや満足感、世界や時空といった枠組みを超えて、大いなるものに波長を合わせて存在していられる素晴らしい時間を生きていることを冒頭の6行で。その次「風たちが騒ぐ」から変調。音楽で言えば曲調が変わる部分。

ただ喜びだけではない、切なさについて。心のさざなみや、ヒーラーであっても人間としての心の揺らぎ、躊躇い、動揺などが起きることもある。それを「風たちが騒ぐ」と表現。

ヒーラーの仕事、というよりも私自身の性格や性癖によるものかもしれない。「無条件の愛」のボールを突然(と言っても自分としてはごく自然に、当たり前のように)投げた時に、相手はそれに気づかずに、または「まさか」と誤解をし違う性質のものであると受け止めたり、まっすぐに「無条件の愛」であることに躊躇い、ボールをキャッチすることが出来なかったり。

「白い鳩」=純粋な愛、利己、相手のためだけを優先して考えた結果投げたエネルギー・・が、「止まる枝が見つからずに」、虚しく戻ってくる。

気づかない、躊躇った、場合はまだ良いかもしれない。相手が「まさか」(そんなに自分のためを考えてくれるなんてあるはずがない、きっと何か裏があるはずだ)と思って変な角度で投げ返してくることだって、稀だけど、無いこともなかった。

傷つくというより、そんな時は、「虚しい」

それでも・・・・・

「風たちは色づく」から先、

たとえ虚しくても、何度でも、これからも、同じように鳩を飛ばすだろう。

ワンネスの世界の中で、愛とともに在ろうとすることを、辞めないのだろう。そんな、日頃繰り返している心象の流れを綴った詩である。

そのテーマで書こうと思ったわけでもなく、気づいたらそのような事を書いていた、という感じ。

インド・中東を感じる/石巫女的アースワーク

先日のエミリー・ディキンソン(1/26 の日記 2023年)からの流れで、彼女の詩集を買う際に、以前から読みたいと思っていたインドの詩人タゴールの詩集を何冊か買って、最近はこの、対照的な二人の詩集を覗いている。あまり詩集を愛好するような時間は、今までの人生では無かった(金子みすず、宮沢賢治、イエイツ他数冊しか手元には無い)けれど、「読む」というよりはまさに「覗く」、その詩人の心象という特別な次元空間を、柱の影から覗くような時間で、50代という、古代インドでは「森に入る」(瞑想生活に入る、日本でいう隠居という感じか)年頃にも差し掛かった自分としては(笑)意外なことに馴染んでいる。

エミリーは自らの詩をほとんど発表することもなく家族とともに暮らす実家に引きこもり、難病を患い56歳で死去。一方のタゴールは生まれながらに芸術家を輩する家系で、そうかと言って恵まれている人生というよりは、苦難に満ちた年月を経ての50代以後、アジア人で初めてのノーベル文学賞を受賞、インドを代表する、更には世界的な詩人として名を馳せる。

タゴールについては以前も一度、ブログかな、もしかすると当時のツイッター等呟きレベルだったかもしれないけど、存在を知って、(リードビーターと同じく)顔写真に魅せられて興味を持った時期があり。自分の内に存在する「絶対的な神」への賛歌を謳い、宗教詩人とも呼ばれているそうだ。けれど当時、20世紀初頭の西洋人にはノーベル賞を取るほど評価されたという点が興味深い。ヒンドゥーの神概念と、キリスト教とは大きな違いがあるにも拘らず。

また、深堀りした話は後日、書きたいと思う。

そんな、タゴールの詩集や伝記でインドに浸っていたある日、「古代の宇宙人」を(前に何度も見ている回を)何となく流していたら、「インド、ラジャスタン州のタール砂漠」に、今世紀に入ってからの新しい発見で、核爆発のあった可能性が広大な面積で見つかっているという話が耳に響いて、改めて思考していた。インド神話にはその出来事と思わせるような神々同士の壮絶な戦いや、核兵器のような破壊兵器が登場している。

更にはその日、同じ地域に居るインド人の方と話していて(もちろんオンラインで)、そのせいか尚更に、現地との繋がりが出来てしまったのかもしれない、今思うと。瞑想ワークをしていたらば、かなり壮絶でゴチャゴチャした集合場と繋がってしまって、トランスを経て、瞑想から覚めた時、「インドの歴史の中に入っちゃった・・・」と、(時々ある)呆然とした後味とともに。インド、というよりは厳密にいうと今はインドに含まれているラジャスタンや、パキスタン、アフガニスタン、あたり。インドの国の北側、西の端の地域。「古代の〜」によると、ラジャスタンとパキスタンに、その(核爆発があった)想定地があるらしい。まさにそこに繋がってしまった気がする。

トランスから起きた時に「ああ、そういうことか。ユダヤの一神教の神!」みたいな思考が残っていたけど、こちらの周波数に戻るともう何のことがわからず。たくさんのヘブライのような文字が瞑想中に降っていたのは覚えている。それと、インドが「日本雛形説」でいうとどこに当たるかが急に気になり、ネットで見てみると伊豆半島、のよう。それもパキスタンだと、伊豆半島の西側だから静岡県だろうか・・雰囲気的には愛知県あたりか。

ヘブライ人の一神教と言えば、実はエジプトで宗教改革をしたイクナートン(アクエンアテン、ツタンカーメンの父王)の、兄である「トトメス」が、イコールモーゼであるという説を、過日「古代の宇宙人」で見て驚いていたこともあって。トトメスという名は「トト神の息子」という意味で、「トト神の」の部分をとると MOSE、モーゼになるのだとか!!これは衝撃。この説を提唱したのはなんとフロイト(エジプト学者でもあった)だったそうだ。

以前からどうしてモーゼが、エジプトの王家で育っているのだろうかと不思議で仕方なかったけど、エジプト王家で文字通り「異端児」、一神教への宗教改革を起こして一代でそれを潰されてしまったアクエンアテンの何らかの関係者(例えば義兄弟、乳兄弟のような意味での)=「兄」である人物が、その一神教がアクエンアテンの死後、一気に政治的に潰される流れの中で、奴隷の人々を連れて独立しようとした、というのが「出エジプト」神話の真相ではないかという説は、なかなか説得力がある。(この辺りを描いたリドリー・スコット監督の映画「エクソダス」あり)

モーゼが率いた「ユダヤ人たち」は、結果として生まれたユダヤ教を信じた人々(ユダヤ教の信徒となる人々)であり、色々な人種の入り混じったエジプトに居た民衆、奴隷だちだったのではないかという説。歴史として考えるなら、そのほうが自然。ひとつの人種だけを大人数引き連れて脱出するのは現実的ではない。

話が逸れてしまったけど、この瞑想ワークと思索のあとに、そうだった、トルコとシリアの地震。とようやく気づいて。そして思い出したのが、以前の「石巫女アースワーク専科」のクラス、2018年期に、土地ごとの石でグリッドを組んで、その土地の鉱物界を感じてみよう、必要とあらば当地の自然界へのワークをしよう・・ということで、毎回、実施していた。その中で、「ちょっと怖いけど・・」と言いながら一度、「パキスタン、アフガニスタン、トルコあたり」の石たちを集めてグリッドし、ワークをした事があった。

記憶が曖昧だけど、予想していたよりも「光」を感じ、オリオン的な男性エネルギーの輝きのようなものを感じつつ、やはりそこから生まれた争いの歴史のようなエネルギーも、垣間見たような。

そして思ったのは、石をグリッディングして行うアースワークを、またやった方がいいのかな、2023〜2024年は。。と。

正直なところ、手間が掛かるので石巫女は大変、と、体力気力的に復活するつもりは無かったものの、今の遠隔のみのスタイルであれば、何とか石を毎回集めて、グリッドを組んで、それを画像でシェアして、一緒に瞑想・・という形であれば出来るかもしれない。

Judy Hall さん著書でも、土地や地球へのワークについて書かれた一冊もあり(未邦訳)、検討してみよう。というか、瞑想のトランスから醒めた瞬間に「やらなくちゃ」というヴィジョンは入っていたので、小規模ながらに、4月からスタートしようと思う。以前の石巫女は教材になる石たちを、石の種類ごと、産地ごとに用意するのが大変で、自宅にあるものはキャリーで運び、不足を感じるとわざわざ仕入れをしたりしていた・・・そこまでは今は出来ないけれど、「土地」に的を絞って、遠隔の良さで、小さめのグリッドでも良いと考えれば、出来そうだ。

日本雛形説・・を、結構普通に信じていて、いつも世界で何かあると、日本で言えばどこにあたるか、を考える。日本は地震、災害大国で、土地へのワークで何か少しでも高次の計らいが最善の中、地上で働くこと、人心の集合意識の乱れや、まつろわぬエネルギー層を鎮めることで回避できたりすることもあるのならば。そして、地上で生きる人々の状態が、少しでも良い方へ向かうという意味での土地、集合場へのワークが成り立つならば。

何年か前にゲリー・ボーネルさんが、日本で巨大地震が来そうだからとそれを鎮めるために日本向けに本を出して注意喚起し、ワークショップに来日された際、ご本人は(普段はひかない)風邪を引いて体調不良の中のWSだったと聞いた。地震を鎮めるには、堕天使たち、地中に居ると言われているような存在たちに働きかけるワークをされていたよう。・・アルガンザとしてもそれは大いに納得、過去の事例から。

私も今回のワークで、瞑想から醒めるや、普段ない風邪の引き掛けのような体調になっていて驚いて。けれどアースワークでは軽く不調が出ることは時折あることで。その日の後半の瞑想や翌日に再ワークすることで昇華し復調するというパターン。上記、ゲリーさんの例を思い出した。そしてセルフヒーリングをしながら、ここに書いているような事を頭で整理しているうち、体感、体調も復調した。

以前2期、講座を展開した石巫女は、様々な驚きの体験、ミラクルを引き起こし、今の「ジェネシス」世界観の下地となる情報もたくさん、受け取っていた。ウラルの土地にワークをして「ウラルの水晶と出会えそう」と思った時には、業者さんがマスターウラルと今では呼ばれている水晶が入荷したという連絡をくださり、ヒマラヤの造山活動に繋がって太古を体験するというワークをしていた直後にはまさにそこで生まれて最近発見された「アースシードライト」が登場する、とか。社会的な大きな動きとも連動していた。

ジェネシスと同じく、地球46億年を相手にするので、畏怖心のような、たまに出る私の逃げ腰が・・パンドラの箱を開けるようで、もうあんな仕事は出来ないなとずっとここ数年は考えて来た。けれど、そうは言ってられないよう。むしろ以前のような周波数帯域で仕事をしていないと、本来のアルガンザではないのだ。。。この数年、「ジェネシス」の副産物のように出て来たアンチマターの収拾に務めていた。けれど、時代は先に進んでいく・・今年は本当の意味で、変換点としての力場が働き出す。

高次が進めるプロジェクトに合わせて、地上でエネルギーワークで波動を調整する。・・・考えてみれば(今思えば)マヌの仕事、と言える。エルフ族、エルたちの仕事。

「白い聖堂」と両輪で、どんな風に実現できるか、考えてみようと思ふ。

Love and Grace

Amari

脳と波動と現実の秘密

脳科学、量子物理学、インド哲学。この3つがあればきっと、スピリチュアル、の問題はすべて解決する。

インド哲学には既にもともと、その秘密が継承されていて、幾らかは書き換えや捏造もあったとしてもキリスト教ほどではなく、神智学(ジュワルカル)がインドを「保存する」という役目をもった国だと言っている通りなのだろうと思う。日本人が中国から来たと思っている古代の知識や伝統は、大概、インドから中国に渡っている。

古代世界ではローマであってもとても敵わないような国力を中国が持っていて、さらには、古代の途中まではインドの盛えは凄かった、という。古代ギリシャといったら現代でも超えられない様な、哲学や数学などの知識の殿堂であった訳だけど、ギリシャの哲学者がインドまで出向いて教えを受けて、「いやあインドは凄いよ」と文献に書き残したりしているらしい。聖人つまり哲学者たちが森に住んで修行に励み、覚醒したり、教えを説いたりしている「賑わい」のような、哲学メトロポリスみたいな世界だったのかも。

そんな中から、ヴェーダや、数々の哲学の流派や、ヨーガ、アーユルヴェーダが生まれていった。キリストも一説には、若い頃にインドに行って学び、帰って来て布教を始めたという話もあり。それを聞いた時は「ええ、まさかあ」と思ったけど、ギリシャの哲学者たちがやっているのだから、時代的にも状況的にも、キリストがやっていたって全然不思議ではない・・。つまりは、シュタイナーの言うように「すべてはインドから」なのかも。

とはいえ、インド大好きという風には私はなぜかなれなくて、アーユルヴェーダの3日間終日連続講座では、2日目の夕方には、ヨーロッパ的な空気を自分に入れたくなって(笑)そういう雰囲気の雑貨屋さんに立ち寄ってみたりしていた。講座でご一緒の方々には「やっぱりインドに勉強に行きたいの?」と訊かれたりして。皆さんはもちろんそうだし、既に何度も行っているという方々も。

インドは最近、都市では空気汚染が深刻で、それで体調を壊す市民が少なからず、というほどの問題になっているよう。知識の保存庫とはいっても、現代のインド社会は多くの問題を抱えている。この先、中国とともにインドのありようや進む方向が、世界の未来を決めていくようになるのだろう。

脳科学。

ヒーリングを仕事にして来て・・というより自分自身のあゆみにエナジーワーク、ヒーリングを活用してきて、つくづく思う。癒しは脳である、と。チャクラやライトボディ、肉体を含めたシステムで起こる癒しや解放、活性や調整も、最後に脳に反映されるからこそ、その人の現実の一部となる。そして、まだまだ知り得ていない脳とエネルギーの仕組みがあることを最近、実感する。

中々変われないという人は、ヒーリングを受けたりセルフでチャクラや体の調子が一時的に良くなったとしても、管制塔である脳までがリニューアルできなくて、また慣習的にチャクラなどの状態も、時間が経つに連れて戻ってしまうという仕組みなのかもしれない。

悟りは脳波がガンマ波になることだという話もある。それも、あり得ると思っている。覚醒もワンネスも、現実創造も、みな脳であると言える。けれど、では脳だけが変化、進化すればいいのかというと決してそうではなく、チャクラの状態、エネルギーの周波数、波動的健康状態を反映した上で、脳が情報を管理して現実を運営するという構図。

逆に言えば、脳を操作することで、肉体もエネルギーも、周波数や健康状態を上げたり下げたりすることも出来るだろうとも思う。脳の情報はコンピューターのようなものだから、ハッキングするようなテクノロジーが存在し、人の状態をそこから変えてしまうようなこともあるだろうと・・・何も、新手のサイキックアタックだとか、良からぬ宇宙人がやっている事だ、という話ではなく(それもありだけど..)丸腰の無自覚な普通の人々もまた、ただただ本能的、動物的に、他者の脳に独自の手法で介入したり、という方法をそれぞれが持っていそうだ。(もちろん無意識に、ネ)

アストラル体のフォースが強い人は、人望を集めたり、リーダーシップを取りやすかったりする。それとは正反対の、周波数が高い宇宙人タイプの人だと、脳科学的なことをシステムが知っていて、悪気なく自分のエネルギーを他者の意識の中に送信したり、ハッキングのつもりなどなくても、同化願望が強いタイプの人(魚座とかかな?)だと相手に寄り添い寄り添いしているうちに、相手の意識世界の住人になってしまっていたり?

思春期の密に仲良くしている女子の親友同士とかだと、そういう事が起きていそう。若い恋愛中のカップルとか(若い、というところがポイント。まだ自立した大人になりきっていない段階の)。以心伝心、のような現象。メンタル情報、アストラル情報を身近な人からコピーしてしまう現象も親子間などにありそう。日本人の「空気を読む」という性質を、海外の人は「テレパシーを使う」と表現しているよう。国民性として日本人は特に、ハートというより脳で繋がり合っているかも…(だから操られ易いということになってしまう?)

私たち自身は3次元のことしか自覚できないけれど、4次元、5次元的には、色々な事が起きているのだろうと思う。それを、いまだ現代の科学では説明し切れていない。人間の脳や人体や、さらにサトルボディ(オーラシステム)のことを。一般科学ではなく量子物理学だけが、スピリチュアルに近づきつつある。そこまで行くと、物理学といえども見えない世界になるからだ。それらを全て、数千年前に説明しているのが、インド哲学。

脳科学、量子物理学、インド哲学。・・そういえば、これらの3つはカレッジのマスタークラス「意識の学校」で導入を試みた3本柱だ。私自身がまだまだ力が足りず中途半端であったけれど。そして古代インドの「ウパニシャッド」のイメージで、師匠と弟子の一対一の対話によって、成長の進路を導き出していくという手法をとった(少なくとも私はそのつもりだった・・生徒さんたちに伝わっていたかは微妙だけど・・一応説明はしていた・・笑)。

エナジーワークと、脳の関係の不思議(本当はまったく不思議ではないけど、解明されていないから..)は、驚きと共に多角的に経験してきている。ヒーリングと出会ってまっしぐらという感じでヒーラー仕事を始めて、4年を過ぎたころに一度、「自我を取り戻す」という体験をしている。当時はヒーリング以前の記憶が淡く、それ以前の自分に興味が全くなくなり、ただただ高次のチャネルであれば良いという状態。軽く?ウオークイン状態だったのかも.. ヒーラーになる前年に、白い太陽の爆発体験をしているし。何かの化身のようになっていたか。

そこから、自我を取り戻すという選択をしたことがあり。システムの周波数はかなり下がって、宇宙人化していた意識に、人間としての自分の意識が戻って来て、少し苦労したけど、やがて統合された。オーラシステムの状態・周波数帯と、脳のありかたと、人格・現実への反映は、繋がりあっていて連動してセットされる。けれど、ただただ上げていくのがどうやら目的ではなく、私の場合は多方面からの情報を体験を通じて集積して、何か・・・きっと、理解、そして執筆へと、反映させたいらしい。。

美輪さんもだいぶ前の著書で同じようなことを仰っていたっけ。

行ったり来たりを繰り返すうちに、かなり何かを掴めて来た気がする。過去の自分の状態も含めて、チャクラやカルマだけでなく、脳と、システムの周波数との関連性。

長くなったので今日はこのくらいで。。

Love and Grace,

Amari

煤(すす)が描いた黒い渦の話

今朝あった出来事。些細なことからの気づき。(23年2月の日記)

瞑想タイムのためにキャンドルを灯すにあたり、オイルウオーマーの蓋をティーライトの受け皿にしようと思いつく。しかし、以前ウオーマーとして使用した時のススがたっぷりとその裏側についていて、蓋を載せた私の片手は真っ黒に。さらにそこからこぼれおちたススにより、大事な仕事用のデスクの一部もまた真っ黒に。それを拭き取ろうとしたらば、ススって本当に粒子が細かいようで、かえって広がり、拭き取るためにティッシュで円を描いた通りに、デスクの上に怪しい魔法が降り立ったかのように黒い渦巻が出来てしまった。更には、床にもてんてん、と。

瞑想どころではなくなり、裏側にススが積もるように付着している小皿を洗いに洗面所へ。しかしそこでも、水に流れて消えていくことなくススは、純白の洗面台の水受け(掃除したばかり!)にアヤシイ黒い斑点を無数に出現させた。・・せっかく早起きしたのに。朝から面倒なことになったな、と思いつつ、淡々と対処を始める。まず洗面台は届いたばかりのヒバの粉石鹸ですぐにきれいに。何か象徴的な出来事だと感じながら、ヒバ(ヒノキチオールを含む樹木はシャンバラ系、ヴェガ系と感じる)の白さと清涼な香りで黒い点々を一掃したという気持ちよい感覚を味わい。

問題の部屋のデスク。アルカリ系のスプレーやウエットで拭いてみたけど殆ど効果は無し。ふと目についたのが、体の凝りなどに効くいつもお世話になっている、オーガニックのボディバーム。こちらはローズマリーの香り。体に塗るものであるにも関わらず、天然木の天板についたスス汚れは、ミツロウで落ちるのではないかという直感があった。試してみると、びっくりするくらいに落ちる。そう言えば、無垢材の家具や床板などに使用するミツロウがあったっけ・・と、仕舞ってある場所へ取りに行く。

戸棚を見ると、同じコーナーにオレンジオイルが居た。こちらも同じく無垢材や、ギターのボディなどの木の部分のお手入れに使用するものだ・・・このオレンジオイルで、デスク上に描かれていたアヤシイ黒い渦は簡単に見事に綺麗になり、よくよく見ると Wood Cleaner & Polish と書かれていた。そうか、クリーナーだったのか。今までワックスのようにしか使っていなかった。汚れを落としてくれものだったのね、と気づく。

デスクの天板、全体をそれで綺麗に。以前も一部にほんの少しだけ、付けてしまっていた同じくキャンドルやインセンス由来のススも、ティッシュでこすってかえって木目に残ってしまっていたけど、それも見事に綺麗に。

こんな些細な出来事から。洗面台やデスクが以前よりピカピカ、綺麗になり、自然派のクリーナーでそれぞれアロマとともに磨かれてリフレッシュされる姿に、何かピ〜ンと来るものがあった。ちなみに同じくアヤシイ黒い円が描かれた私の左手の平は、普段から使っている月桂樹オイルのアレッポの石鹸できれいになった。

デスクの片隅には、以前からスス汚れが小さく付いていたけど、小さいし端っこだから、まあ良いかとそのままにしていた。同じものが、さらに目立つ場所に大規模に展開されてしまったら、そのままではデスクは使えないから、今すぐ解決しなくてはならなくなる。動くことを意図する。そして使える手段を探して・・ひらめいて、結果、以前よりもずっと良い状態へとリフレッシュ、以前からの小規模の汚れもまた一掃されて、全体でリニューアルする。

セイキムレイキの伝授を受けた時に先生から、「小さなシミだと思っていたものが、より強い光が差して来たことで大きな汚れだったと気づく」という言葉を聞いていた。セイキムの高く強い光には、そういった現象、変化のプロセスが伴うものだ、と。「光と闇の統合」がテーマであもあるセイキム。それまで大人しくして隠れていた「闇」が、出て来たりするから中々に、伝授の場においても波乱がある。(だからこそウスイ、カルナでしっかりと自己浄化をしてから臨むべしと考えている)

時代の変換点も、個人の変化の時も、それまでは「小さな汚れだし、別にたいして邪魔にもならない」と放っておいた(共存していた)ものが、もうそれ以上は放置してはおけないという段階が来て、向き合わされると大きな問題として浮かび上がって自己主張したりするのだろう。社会は今、そのような段階を迎えているのだろうと思う。片隅でひっそりと存在する汚れならば見過ごしておいてもいいのかもしれない、けれどそうは言っていられない影響力、広がりが現象化し、向き合わざるを得なくなる。様々なジャンルで、今、これから、より顕著にそれが起きていく。

大きな変換点においては、小さなシミも大きな汚れとしてクローズアップされる。炙り出されて、もう「小さいから」と隠すことは出来なくなる。

地表世界の周波数は上がっている一方で、集合意識場がそれと比例していない感じがするのも、まさにそういうプロセスにあるゆえだろう。「いやいや、世界は何も変わっていないよ。今までのままだよ。」という空気が一番、要注意だろうと思う。

自分自身が強くまっすぐ立っているから、「大丈夫、世界は私たち自身が創造するのだから」と、信頼して慌てずに在るのと、事なかれ主義で「楽しさ」や「気持ち」を重視してただ自分の世界をキープし続けるのは歴然と違う。けれどその両者は見分けがつきにくく、ぼんやりしていると同じだと見えてしまうものだった。今までは。

他の国々では当たり前のような人間性の話が、日本では段階を踏んであえて説明しなくてはいけないような事になっている。世界経済において「日本病」という言葉さえ生まれてしまった今日だけど、経済・社会だけではなく何より精神における「日本病」を、自覚して抜け出す人々の空気を、今年、2023年は感じられるだろうか。

Love and Grace

Amari

脳・意識の自己管理

1月「白い聖堂」シャンバラのその後のトレーニング期間が続いているよう。学んだことは、今までと同じように対処するのではなく、学んだ通りに対処できる自分に切り替えていく。けれど人間、そう簡単には切り替え出来ないから、学んでいる時こそ、うまく切り替え出来ていない時こそ、繰り返し練習問題が来る。というのが、シリウス式だ。

 

アルガンザのグループで、恐らく5年以上かけて取り組んできた(そんなつもりは無かったものの向き合わざるを得なかった)リリスイワナガ問題が意外にも「セラフ」という帰結点に到達したことで、「なぜこういう段階のモノが自分に来るのだろうか?」とずっと思いながらだった、女性性の四次元的なモノによる襲来・・は無くなった。年末あたりに書いていた「月のセラフ」や「イシルコン」を理解出来れば、そしてそれを自分には関係ないと思わずに、自分の一部として受け止められると、この課題からは抜けられるようだ。

その一方で、脳の潜在意識にこっそりと送信するようなタイプのストーキングは、これからの時代のサイキックアタックの主流なのかも。というか、古来、その手のマジックにも含まれていただろうし、日本のダークな祈祷のようなものでも行われて来ただろうと思う(今でも)。何となく意識が下を向く、自分や信頼すべき相手(家族や仲間)をなぜか急に信じられなくなる、など。人によっては健康にも影響が出る。

 

インセプション」という映画を見ておいて良かった。(以前の日記に書いています。タイトルから探してネ)

自分自身がしっかりしている人、やれるだけのことをポジティブに日々やれていると自負する人は、おかしな周波数が来た時、それが自分のものではないと感じることが出来る。今世まったくスピリチュアルに関わっていなくても、過去生から既にしっかりしている人は、人格レベルでそのようなものをフっと振り払って、常に爽やかな世界で生きているという人もいる。

 

多くの人はその過渡期にある。私が初めてダークなマジックが集団に作用する現場を経験したのはもう10年以上前のこと。賢い人たちの集団だったから、既に気付いて教えてくれた人たちが居たので助かった・・けど、途中からはエナジーワーカーとして対応するステージで、もう人にはシェア出来ない話をひとりで抱えながらのことだった。そこでやっぱり、もっとも顕著だったのは脳への情報の注入・・で、

ヒーラーをやって来て既に長かったので、私の場合は最初にそれを感じ取った時(まだ、他者から情報が入る前)、上空から暗い雲のようなものが流れ込んで来るのが見えていた。その瞬間、ズン・・・と波動が下がって、同時になぜかとある人の顔が浮かび、急に「信じられない」という不安が湧いて来たのだった。立場的には、信頼出来なければその集団にはいられないという立場の方。特に直接なにかあった訳ではなく、それまでは寧ろ互いに信頼感が築かれつつあったところに、まさに降って湧いたように起きた現象だった。

 

後から思うと(人からの情報もあって)、あちら系のマジックで、送り込まれた力だったのだろうと知った。昨日のツイートにも書いたように視覚化が出来る(自然と起きる)ことは、身を守る重要なスキルである。ちなみにそのマジックの意味をまだ知り得ていない後日、実際にコトが起こって、その(急に不信感が湧いてきた)方と対峙することになった・・が、その過程で、ヒーリングで学んで来た信念と、あるべき人としての善や愛の力を頼りに、ハートを開いて話し合ううち、善なる力の介入もあり、事無きを得たのだった。要はそちらの力は、私(こういう仕事をしている)をそこから追い出したかったのだろうと思う。

経験から、善なる意識を持った人たちが二人、ないし三人以上で団結すると、そちらの力に負けることは無い。孤独になってしまうのは危険。

 

その手の力が働く時、空気が暗くなって、エレベータで降るようにずんずんと下がっていく体感、足が水に浸かるように冷える体感などもある。そして急に人々は不安になり、悲しくなったり、不信感を吐露しあったりし始める。グループや、集団、プロジェクト、(時にはカップルや家族などもあるかも)を分離させるのがそちらの目的だから、である。過敏な人がいると実際に体調や、さらに悪いケースは精神を壊す。ウツになる、など。

そういった介入の始まりに、インセプション的な・・・脳の、特に潜在意識レベルの「何となく」の層に入り込んでくる。それに普通に操作されていてはエナジーワーカーとは言えない。常にポジティブ=自分 という自己イメージを、スタンダードに出来ていれば、「あれれ、おかしいな」と気づく事も出来る。

 

そんな操作が、もしかすると社会全体でも掛かっているのかもしれない。

けど、笑顔で爽やかに自分を生きている人々はたくさん居る。その段階まで、抜けることが大事。

となると結局、自分自身の弱点や、欠点を、直して成長していく他ないということ。何より悲しんだり迷ったりしているのは良くない。弄ばれてしまう。

脳のプロテクション、これからのスピルチュアルのテーマになるだろうと。チャクラやライトボディの管理とともに、意識に入れていくべし。

 

Love and Grace