意識の波長

日記のタイトルを決めて書き出したものの、筆が進まず削除、ということが何度かつづいた。こんな事って、本当に珍しい。いかに、今、情報の混乱、情報操作、それによる人心の混乱が起きているか・・

こんな時は、感じ取って不安を抱いたり、それゆえに何かをしようと落ち着かなく思考したり、低迷したり、逆にその本能的な感受性を茶化して変に明るく、あるいは怠惰になって凌ぐ・・など、その人の性質がそれぞれ現れるのかもしれない。

気象は「天気」、天の気、という日本語のとおりに、人間界を超えた世界の気(エネルギー)および、人類のアストラル集合場の顕れだと言える。このところの落ち着かない、一定しない天気が、エネルギー状態を表していると言えそう。

前回の「白い聖堂」が終わった頃から、やや久しぶりにアリス・ベイリー著書を読みたい気持ちになっていた。チャレンジ済みの方は分かると思うけど、難解と言われるけどそれよりも、周波数を合わせてその波長で読んでいくところに自分をチューニングするのにコツが要ると言う感じ。

出ている著書は全巻揃えて、街中でもフラリと片手に持って読めるようになっていた私でも、ここ1〜2年は「襟を正して真摯な態度で」という意味で、普段、そう簡単には読まないようになっていた。ケド、メッセージ的に受け取っていたそのことの意味が分かった。情報の混乱、混戦・・きっとこれからはずっと続くと思うけど、特に6月半ばから現在はかなりのもので(通信障害もそれを体現していますね)・・

毎日瞑想やワークをする人にとっても、なかなか厳しい最近。アリス・ベイリーを読んでいれば、変わらないシャンバラの、マスター界の周波数に自分の意識、脳のチャンネルを合わせることが出来るから、防護策として受け取ったメッセージだったのだ・・と気づく。ある意味で アリス著書はバロメータと言える。

だいぶ前・・カレッジ一期だったかな、生徒さんが石の卸売をしている長老的な方に「ヒーリングの勉強をしています」と言ったら、「アリス・ベイリーを読んでる先生がいいよ」とアドバイス貰ったそう。「はい、そういう先生です」と答えましたよという話をしてくれた。そうそう、分かる人には分かるのだ〜。

とは言え・・神智学さえやっていれば大丈夫ともきっと言えない。アリスを読みこなすアンチな人だってきっと居るだろうし。。(笑)。。カレッジで最初に神智学を紹介すると、生徒さんの何人かがネット検索をして「良からぬ情報」を見たと言って、不安を訴えて来る。毎年1〜2名はいらっしゃったかな。。。そうそう。そういう世界なのだ。

検索すると、「ちゃんと」良からぬ情報も出てくるようになっている。

自分自身で感じる、選べる、という自信が確率していない人は、パパっと出てきた情報に左右されて不安になったりしてしまう。

では、自分で感じる、「分かる」と自負している人が絶対大丈夫かというと、そうでもない。ネガティブになった時(自分自身の未解決・未消化のネガティビティと外から来る力がつながった時)、「感じやすい私ですから分かるのです」と言って、びっくりするような事を言い出して、周囲が唖然としているうちに、あっという間にそれまでの努力、癒しや浄化の道のりを捨てていってしまう事もある。

それこそ情報操作、脳内操作、感覚操作、なのです。そういう世界で、ものごとが「どんどん良くなっていく」メカニズムが、働かないようになっている。だからある意味で「思考停止」してしまっている専門家も多いのではないかと思う。

せめてもの揺るぎない「善」が、この世に示されていることにいつも感謝している。宗教ではないから、妄信している訳ではない。というか、妄信できるような、甘いものでもない。細っそりした糸かもしれないけど、常に私たちの前から、愛の道を辿っていけるようになっている。

それを見失ってしまう人が多いのかもしれない。「光の時代が来たからもう大丈夫」ではない。自分自身の中に善は、光は、愛は築かれていく。それに磨きをかけながら、周囲や世界の変容を願い、エネルギーを広げていくのが、メタフィジで生きる人の姿。

先日紹介した、ババ・ヴァンガの予言はある意味、真実味があるなあと思う。遺伝子に変化が起き、脳の30%を使えるようになった時(現在は数%しか使っていない)、人間はもう悪意を抱かなくなり、地上は平和になる(二元性の終焉)・・・それは、あと2000年以上先のこと。(と予言されている)

スピもそうだけど、全てにおいて、情報時代。ゆえに、情報戦の時代。

何を信じるか、誰を信じるか、つまり自分自身のその判断を信じられるか。日和見ではなく。・・そんな自分作りを早急に、進めるべき時代だと、私は思うし、変換点の時代の危うさも大いに感じている。

Love and Grace

地球の未来。

今日は夏至。これから雨になるようで、空はどんよりとしている。

「古代の宇宙人」ではないけれど、同じくヒストリーチャンネルの特番「ノストラダムス・エフェクト」や「オークアイランドの秘宝」なども見てみる・・どれも面白い!その他、歴史系の番組以外では車関係が多いようで・・男臭いチャンネル、と言えるかも(笑)。少年の頃の夢、という感じも(欧米のかつての男の子たち=今は大人 が抱いていた冒険やわくわく)・・その中間かな。

オークアイランドとはカナダの小さな島。テンプル騎士団が十字軍時代にエルサレムの神殿から密かに運び込んだ「秘宝」が隠されているという伝承があるとか。コロンブスが「新大陸」アメリカを発見するよりも100年以上前に、政治的な理由で迫害を受けたテンプル騎士団の一部がスコットランドに落ち延び、その流れを汲んだ人々が「秘宝」を隠すために船出して、北極海つながりなのかな、カナダまで行っていたとか・・諸説あるらしい。

テンプル騎士団の旗とそっくりなデザインの旗を、現地のネイティブ部族が使用しているなど、多々、証拠もあるようで「トンデモ話」では済まされない何かがありそう。その島を含む州の名前が「ノバスコシア州」というらしく、「新しいスコットランド」という意味とか。

「ノストラダムスエフェクト」は予言や大災害の伝承を、ノストラダムスに限らず紹介する番組のようで、「古代の〜」でも取り上げられていたけど、やはりダヴィンチ。天才・奇才なのは知られているが、自然災害で人間界が壊滅するという思想?にある意味、取り憑かれていたようで、ノストラダムスと同じような予言風のメモも書き残しているという。興味深い。

昔、日仏で「モナリザに似ている」と言われたことがあるから、という訳ではないけど(笑)、(以前ルーブルでモナリザとも、人だかりだったのに、急になぜか人がはけて一対一でしばし対面できました) 瞑想していたら見知らぬ老人が出てくる、という時期が、ヒーリングを始めた頃に。見たことある気もするが、誰だろう?と思っていたら、後にダヴィンチの肖像画にそっくりだと気づいたり。以後、気になる存在。

予言、と言えば「古代の〜」で紹介されたブルガリアの盲目の老婆「ババ・ヴァンガ」の、地球の未来の予言も興味深い。読んでいると、とても尤もらしい感じもしてくる。何度かの戦争、壊滅を経て、5079年が「文明の終わり」としているのは、説明は出来ないけど感覚的に分かるような。神智学文献や、インドの伝承などとも照合出来そうな気がする。ババ〜の預言によると、その間には火星への移住、火星の独立戦争、近い所では水中都市のコロニーが(今から200年後くらいに)出来ている、地球から幾つかの惑星に人が移住。けれどトータルでの終焉が、5079年、とのこと。

あ、そうだ・・「月の秘密」が2304年、明らかにされる、というのもある。4308年には、遺伝子の突然変異により脳が活性、悪や憎しみの概念が完全になくなるそうだ。

アカシックレコードから読んでいるのだろうから、集合意識が刻んでいる概念的な記録に過ぎない。変わっていく可能性は常にある。

もう少し、今の私たちに引き寄せて感じて、考えてみると、(あくまで私個人の所見、感覚です)ここまで来るのにゆるやかに変化してきた地球文明も、そろそろ、ハイテクノロジーだったアトランティスにかなり近づいて来ているようだ。日本に居ると、技術はかなり世界トップクラスではあっても、文明という感覚が余りして来ない。ロボットとか、道具とか、電車とか、そういうものは日本が秀でているとは思うけど、島国意識がまだあるから、宇宙・・となると更に壁がある。けれど、政治的にも、情報も、研究の積み重ねも、多くの一般人の「研究家」たちも含めて、アメリカの基準を見せられていると、もうあと一歩で、宇宙時代だという感じがヒシヒシとしてくる。

アトランティスの反省をし、同じ過ちを繰り返さないための復習・おさらいの期間・・が、100万年あったアトランティスの後、今の文明期の初期としてのこれまでの1.5万年前後であったのでは。壊滅した所から、「神々」に情報や遺伝子を適度に授けられながら、あっという間に100万年のアトランティスの歴史をダイジェストでなぞった 1.5万年。けれど、あと3000年で文明期が交替するのかな。時間の流れが早くなるから、ゆっくりと進む1万年と、ハイテク社会の1000年を比較することは難しい。

5079年の文明の終焉が意味するところは、宇宙の別次元へ行くことにより、この次元での文明が終わるという意味らしい・・神智学の感覚と合致する。

密教曼荼羅のようなフラクタルな宇宙の中を私たちの魂は生きる。どこが始まりとか、終わりとか。考えつめていくと、時間というものが「存在しない」というのも、フっと腑に堕ちる瞬間がある。

そして目の前に戻って来ると、今とこれからはやはり、厳しい時代、厳しさを増していく時代なのだなと思う。なぜこの時代この時期を選んで生まれて来たのだろう? 一人一人に、その理由が必ずあるのだ。

Love and Grace

Amari

組織ではなくネットワーク。

自分のブログ記事をさらさらと概観していて、目についた言葉「組織ではなくネットワークを作る」。
その記事では、鏡リュウジさんの占星術本「水瓶座」に書いてある内容と、自分自身の気づきを絡めて書いていた。つまり水瓶座人間は、組織を作るよりもネットワーク作りに向いている、あるいはその方がうまく行くというお話。私自身にとって、それは確かに理想と言える。

組織、が苦手で・・それは、単に水瓶座、風の星座の影響があるかもしれない。けど、きっとそれだけではない。ジェネシス原型論や、うちの親ゆずりの家系的な性質、体質もヴァータ(風)だし、普通の水瓶座よりも水瓶座的な思考パターンが強めな気もする。

会社勤めや、組織で動く仕事など幾度か経験したが、何しろ本当に向いていないと思う(笑)。水瓶座って不思議な人々で、(昔から友人知人に多いのだ・・)不動星座だし頑固に自分の拘りを実行したい所があるけど、そうかと言って、リーダー向きではない。リーダーのような位置に据えられると、自由を奪われた気分になるのではないかな・・息苦しくなってしまう。

頼られるのも、頼るのも苦手。自分のことは自分でやりたい。そうかと言って、人を遠ざけたい訳ではない。人が好き。人間愛が強くて、人のお世話はついついやってしまう。そんな事をしていると自分の拘りや自由に支障が出て来て、「ああ!」と苦しみ始めたりする。そしてまた一人になるためフラリと旅に出る・・が、またまたついつい人々を愛して、世話を焼いてしまう。みたいな・・

「現金や社会的地位に執着が無いため、お金を持っていたら価値のある書物に替えておくと良い」と、昔読んだ占星術の大家の先生のご著書に。株式とか土地ではなく、書物。その心は、書物ならば「大事で手放さない」。そうじゃないと、お金に執着しないため、散財する・・・とのこと。まあ、なんておかしな人たち。宇宙人だわ。

・・そう、私などこれを地で行っていて、書物、と、鉱物・・(と少しのアンティーク家具)に替えている(笑)。もちろん、水瓶座も色々で、こんな性質が濃い人、薄い人、様々ではある。友人たちを見ていてもみんな色々だ。(けど共通して上記のような性質はある。要するにコレクター気質でマニアック、話好き、お人好しな人ばかり)

話が逸れてしまったけど、そんな水瓶座への鏡先生のアドバイス「組織ではなくネットワークを作る」。

これは、私がヒーリングサロンとショップの仕事をして来る中で、自然に思い描いていた形態。カレッジを経てジェネシスヒーリングが出来た時、プラクティショナーさんたちが自立し、サロン運営をしていくステップに入り、ジェネシス神話と所縁深い「世界樹」にたとえて、皆でひとつの世界樹を作っていけるといいですねという話をしていた。

私の頭の中にあったのは、組織のようなガッツリとした役割分担で密に関係しあうグループではなく、それぞれが自立独立して存在し、個性も発揮し、個性があるからこその豊かな世界樹が形成されていくという様子。

なかなかその匙加減は難しい。が、水瓶座時代、風の時代を迎えて、社会の在り方も恐らくそのように変わっていく必要性が、今、浮上しているのではないかな。

「組織」を構成すると、維持しなくてはいけなくなる。クリシュナムルティが少年時代に見出され、救世主の生まれ変わりとして教団のトップに据えられた後、30代になった彼は「真理は組織を作らない」と言って教団を解散した。組織は、誰が上とか下だとか、関係性がどうだとか、人間同志の密な事情が発生し、そのうちにそこに問題の焦点が移り、本来の目的から逸れていったりするもの。

もちろん、企業その他、重要な仕事を共同作業するフィールドでは組織でなければ成り立たない事もあるだろう。

ヒーリングサロン、スクールのようなメタフィジカル、スピリチュアルな場所は、目に見えないものが交錯し、レイキやエナジーヒーリングなどはある意味白い魔術のようなものだから、その逆、が介入してくる。見えないものが入り込み、撹乱するには、組織になっている方が介入されやすい。そこに人間関係、という物理的な「場」があるわけで、感情を持った人たちの、弱点や隙を見つけて、撹乱や分離を起こそうとする。これは、普通の人として生きている時に気づかずに体験しているものとは、やはりちょっと質が違う。

精神科医の先生がたも、患者さんの感情転移が起こりやすいと聞くけれど、時折、ヒーリングでもその様な事がある。また特に、私の持論ではジェネシス原型のアンドロ、レムリア自然界系の強い人は、相手が転移してくるキャラクターを自分が引き受けて被ってしまうようなことさえ、起こりやすい。・・そう、自分自身の経験から。

鏡のようになって、相手がそこに写したいものを写すことに、「どうぞ」と無意識に言ってしまっているような感じさえする(振り返ると)。もちろんそのような転移が起これば、何らかの不具合が発生する。この、アンドロ強めヒーラーの体質によって生じる、ある種の触媒、純化作用のメカニズムに気づくまで、結構時間が掛かった。
ヒーラーを引退した後に、整理出来たことかもしれない。

同時に、ヒーラーでなくても、人の中にある天使性とは、地上においてそのような二面性を持つのではないか・・ナ。望まずとも。天使界ではないから・・利己が渦巻く人間界であるから。純粋であろうとする、周波数を守ろうとすることで、通りすがる事象がそこに自らの対極のものを映し出し、恐れたり、困惑したりする。

地上に降りた天使たちは、その意味で諸刃の剣だ。そう望まずとも。それは、世界がまだ利己的だから・・そこにチューニングすると、「堕ちて」しまう。自分の周波数や質を守ろうとすると、知らぬ間に通りすがる事象に浄化や変容のための異変が起きていく。
そんな性質を生かして生きていくには、エナジーヒーラーか、芸術家か、表現者か、といった所だろう。

そして、「組織」ではない、個性を生かせる形での「ネットワーク」で、自分自身と、自分が守りたい仕事や表現を守っていく。

そのような繋がり合い方が、ライトワーカーとしては相応しいだろう。自立し合うことが大前提。そして役割の転移を互いにしないような、(インナーチャイルドを統合し終えた)大人であることも、その理想的な「世界樹」あるいは「森」を形成していく条件だろうと思う。

Love and Grace
Amari

note を作ってみた

たぶん今更なのだろうと思うケド、「note」で初のアカウントを作ってみたのです。目的は、まだ先になると思っていた創作活動。

相変わらず難しく考えていて、完全に書き上げ仕上げてから、ひとまずは手作り製本で、ゆくゆくは専用の出版レーベルを作り、リュミエールで販売・・としようか、
それだと準備に時間がかかるから、アドビのソフトや何らかのサービスを使って電子書籍にしようか・・・でもなあ、電子では自分は本を読まない、読めない体質なので、やっぱり紙がいいよなあ。とか、
考えているうちに時間が経っているようでもあり、そもそも、実はまだ執筆に集中できる段階ではない(他に順番にやることがある)から、と、ここ2〜3年そんなことを考えては保留にし、と、繰り返してきた。

前に日記で紹介した「例のあれ」の書籍を出された先生方も、note で発信しているということを聞いていて、噂には聞くけどちょっとマジメに覗いてみようかとつい最近、初めて見てみました。遅いよネ、いつもそうなのです。SNSや、かつてはブログでさえも、導入するのがかなり誰よりも遅くって。そもそも苦手なので・・

クリエーターの為の、というキャッチコピーの様だし、小説の書き下ろし配信には向いている? けれど、今更、もう20年以上ネットで発信的なことをしてきて、多くの文章を日常的に書いて来て、ライフワークである執筆、創作活動については、「ちょっとやってみよう」という訳には行かず。書籍として販売、を、あくまでも想定しているので、オンラインで発表していくつもりは無かった。

けれど・・著名な作家さんもお見かけした。う〜ん。私には向いてないなあ、「街」がコンセプトか・・出来れば森に篭るような環境で発信したいかも
最初はそんな風に思って。けれどまあ、これも時代の波だろうか。この先どうなるかは分からないけど、便利な機能もたくさんありそうだ。ひとまず「場」だけは作ってみよう。という訳で、アカウントを作成。

記事を書いてみようと思うと、「なぜこんなに本文の文字が大きいのだ?」「横幅が狭すぎて苦しい」とか、日頃からのこだわりが続出(笑)。カスタマイズ出来ないのですか?と、まずはうろたえて。更には、キチっと整然とスッキリまとまりながらも、皆さん、横にどんどん繋がり、交錯しながら「街」になっていて。ふらりと入った私は迷子になりそう。

誰かの記事を読んでいた筈なのに、気づけば別の人のページに移動している。??ああ、ここはどこだ??(Twitter でもよくそんな風に迷子になっている)

このHPや、歴代のブログのように、自分の居心地のよい、静かな、周波数やリズムを自分仕様に設定した空間でないと、自分の場、という感じがしない。そういう意味ではやはり、自分は向いていないのかも。(それか、自分が「変われば」いい。ヒーリングをしていると時折起こる、こだわりや頑なな脳シナプスの超越。)

けれどまあ・・街だというのだから、街の片隅に小さく書店を出すようなつもりで。あそこで書き下ろしで超古代小説やアトランティス小説が書けるのかは分からないけど、場所だけは作ってみた。もしかしたら辞めると言うかもしれない。意外と筆が乗るかもしれない。まだ分からない。Amari やArganzaではなく、ペンネームである「青野芹」、IDはsekaiju_books で作っているので、アカウントお持ちの方は宜しくお願いします。

そして場所や手段はどこであれ、どうであれ、創作活動はスタートします。日本古代史700年シリーズはまだとっておいて、アトランティスか、ガイアナの続きか迷ったけれど、最近見ている『古代の宇宙人』が良い刺激になり。アトランティスと、現文明の中間の、失われた時代の層にちょうど「ハピ」や「ガイアナ」は位置する。あの番組を見るうちに、頭の中に、以前決めてあるガイアナと周辺国のその後の数百年規模の歴史の流れが再び、頭の中で広がってしまい・・・

「順番に整理していく」という意味で、まずは「ガイアナ神謡集第二話・翠の公子」を書き下ろして、出来れば販売していくことにした。

(今、余りに久しぶりにその単語を口にするので、試しに「ガイアナ 翠の公子」で検索してみたら、全く知らない人が、その単語だけを拾って掲載している謎のサイトが出て来ました。私が昔どこかに書いた一文だけ、コピペされていて・・・全く関係無いものです。念の為)

「ハピ」の時と同じく、国の行く末、結末がもう決まっている。そこに至るまでは、おそらく「第三話」もありそうだ。「第二話」は、例えるならば「宇治十帖」のような物語。「第一話・神族の巫女姫」の子孫、カルマ、そこでの政治・宗教的な流れが、より深刻になったり、和らいで中和されたり、固定されて更に次世代へ受け継がれたりなどしていく様相を、シリウス人の遺伝子が2/3〜1/4入った王子、姫たちなど若い世代を中心に据えて描く。

そして、シリウス由来の「翼のある神々」が、地上に降り立ち人類と交配する時代でもある。第一話で予告されていた「神々の種まき」が、いよいよ起こる時。それが人間界に齎す功罪も描く。

そんなヒマはあるの? 何とか時間をやりくりして、仕事の一部として実現させたい。ゆえに有料での販売となる点は、ご理解いただきつつ。
「第二話」の前に、まだの方は(現在リュミエールで販売中の)「第一話・神族の巫女姫」も、ぜひどうぞ。笑

Love and Grace

追伸
こんな流れや変化もやはり「白い聖堂」が動かす自分なりのプレートテクトニクスだと思う。行動に変化が現れる時、思考回路にも当然変化が起きる。そのためには軽い揺さぶりも起こり、感情の重さを手放させられたりもする。前回の余波というよりは、もう次回の事前準備か・・というより、一連の長期的な「聖堂」実施による、地殻変動を自分なりに体験しているのだろう。目が回りそう・・だけど、乗っかっているプレートから強制的に動かされないと、変化出来ない頑固な部分が誰にでもある。

後日談

この日記を書いたのち、noteはアカウントを作りつつも約一年、放置していましたが、Arganzaの仕事のほうで使う事を考えて、そちらのアカウントを作り。その後「聖堂」ではなく「石ラボ」の瞑想会最中にエネルギー情報の渦のようなものに飲まれてどこかが(シナプスか)作り替えられる為の一旦の周波数ダウン(二週間くらい続く)を体験。何だ!と思っていましたがその後、「頑なな部分」が解除され、普通にnoteに店を構えられているという。また更には余波に乗っているうちに、本拠地のサイトまで新しく作り変えることに。

エナジーワークってやっぱり凄い。。仕事のために必要とあらば、普通では起こらない奇跡が起こります。。こういう事をポジティブに受け止められるかどうかは、自分が魂で仕事をし生きていこうと思っているか否かによって、別れますけれども。(23, 11 記)

シナプスの組み替え

第一回目、4月30日の「白い聖堂」の余波による調整が、まだ続いていたよう。「ここ数日頭がクラクラ」と一昨日「お知らせ」で書いていたけど、実は一昨日〜昨日の朝にかけては頭痛も。時折ある、シナプスの組み替え、かなと気づく。

昨朝まだ余韻のような頭痛があり、・・いつだろう? お昼ころかな? 痛みが抜けて、今度は入れ替わるようにハートで何か始まったよう。シャンバラからの受信・刺激はヘッドセンター(松果体〜脳下垂体)から来る。マスター界からはハートに来る、と A.Baily にも書かれている。それにしても随分長く影響が続くのだな〜 今日で2週間か。

ヒーリングセッション等を受けた後に、頭痛がするのはシナプスの組み替えだ・・と教わった媒体が何だったかな、もう忘れてしまった。ライタリアンのテキストかな。ヒーリングはエネルギーによりライトボディにある情報が変化し、肉体に降りてくる段階で、脳にも変化が起きる。意識の変化。

今までの感情や思考パターンの中から、要らないもの、成長進化していく、癒され解放されてより創造的になっていくために邪魔になっている思考回路などが、組み替えられる必要があるから、実際に脳の思考パターンや記憶を司っている領域で、神経節(シナプス)同士の組み替えが起きる。ということだろう。極めて科学的。

以前やっていた『意識の学校』というマスタークラスで、脳科学も少し取り入れた。ヒーリングを考えていく上で、重要な分野のひとつ。最近の研究で、相互につながり合いも見えて来ている量子物理学も。ユングの原型論なども。・・それらの内容に通じるものを既に数千年前に語っているインド哲学も。・・・このあたり、すべて『意識の学校』でかじっていた。広げすぎた上に熟成できないうちに三期で終了になったクラスだけど、内容的にはとても大事な部分をカバーしていると思う。

同時に、ひとりひとりの学びの習得の仕方は本当に様々で、ヒーラーとしてのタイプ論と、ジェネシス原型なども固まりつつあった時期だったので、インド哲学の古来の学びの方法に乗っ取って、マンツーマンでよくその人の話を聞く。そしてリアルタイムでその人向けの「意識」のための教材を用意して導入していく、という方法を取っていた。アリス・ベイリー等の学びも同じくで、深めれば深めるほど、やはり学びは個人的、パーソナルなもの、になっていく。

初級〜中級においては、カレッジでやっていたように、クラス制度、楽しい交流、分かち合う場所、が、励みにもなり、力にもなる。それぞれ良い部分がある。今年これからリリース準備をする新しい「カレッジ」は、基本的にティーチャーとのマンツーマンで、遠隔・オンライン・自習(通信教育)で構成されるので、上記の双方の良いところを併せ持つような形に出来るかな。カレッジ終了後に実施していた「インテンシブマスタークラス」で既にその試みを敷いているけど、運営をお任せするティーチャーさんたちがやり易い、進めやすいという視点でも、(私自身がティーチャーである時とは違う)改良、改善を入れていこうと思う。

また、課題がひとつ・・遠隔では伝授が難しいセイキムレイキのこと。盛大な儀式的な、ティーチャーが動き回り体力も使う伝授。最初に日本に入って来た時、20名以上を同時に伝授したという話で・・・いや〜すごいな。アルガンザではいつも3名だったけど、準備から当日から、エネルギーの動きも相当で、ティーチャーの力量が試される伝授なのだ。

カルナレイキとは違い、事務的な規則が無く、テキストもティーチャーが独自に作っても良いと言われている・・・ 伝授の遠隔可は私の感覚でちょっとまだ抵抗がある。やはり、あの儀式感を現場で、味わった方が良いと思うし・・・できれば2名以上のグループが、良いと思っている。マンツーマンでも何度か実施したけど、グループだとそれなりのテーマが動き、学びも深まる。アルガンザのテキストを書きおろそうかとも思っているけど、それを挟むと、カレッジのリリースがだいぶ先になってしまう。う〜む。

Amari’s Works 、ヴァンダームワークの二つがセイキムと関係して生まれた様に、ジェネシス概念の整理の行程にも、セイキムは欠かせないものだったように、とても重要なワークなので、セイクレッドレイキのリニューアルを終えた今の目下の課題は、そこ。どうせならば、アルガンザオリジナルのテキストで、新しいカレッジの皆さんに、ご提供出来るのが一番だと。

そうだ、セイキムレイキのページをまずは、参考ページとしてこのサイトに出そうと思っていたんだった。忘れてた・・・(最近多いな。アラフィフな私。) まずはその作業をしながら考えてみよう。

昨日ニュースで「天の川銀河の中心のブラックホールの撮影に成功」とあったので、タイミングも感じる。

Love and Grace,

Amari

「進化」とは、世界が平和になること

 

約一年ぶりの記事になってしまいましたが、今年に入ってから、Instagram で散文的な文章を綴り、また3月には二年越で細々と準備していた新しい「オフィス・アルガンザ」のサイトを公開し、新しいメニュー、ページも書き下ろしたり、サイトのInfo やDiary にも日々の呟きや伝えたい事などを、割と頻繁に書いています。

以前のペースにだいぶ戻って来たかな? しばらく「書かないように」していたのは寧ろ、自分にとっては例外的な期間でした。その分、ショップの商品ページが長文になったりして・・

このブログを、基本的には「書き物」の本拠地としたいのですが、仕事の全体像から言って準備が整わず、の日々でした。今後は、少しこれまでよりはリズムが出来てくるかと思います。

数年間かけて行ってきた「移行期」の、これまでの仕事の整理と、これからの仕事の準備。今年度は、移行期の最後の一年として、少しずつ、「これからの仕事」の一部分が表に出せるようになって来ました。その一連で、浮かんで来たメッセージを、今日も書いてみます。

「進化」とは、世界が平和になること

先日、12年ぶりにリモート(遠隔)グループセッション(『白い聖堂』旧・シャンバラ光の学校)を行うにあたってのページ作りで、「進化」「進化」と連呼していて、神智学などメタフィジカルな学びと、ヒーリングという分野を通じて歩んで来た自分としては当たり前の概念・言葉なので、普段は特に説明することもなく書いている訳だけど・・ふと、

「わたし別に進化なんてしなくてもいいワ」という、昔、時折サロンで聞いたような言葉を思い出して、ああ・・確かにそういう人の意見、少なからずあるなあ。特に日本社会は、平和なお影で「世の中を良くしよう」みたいな話が苦手で、引いてしまうし。若い人々の間では、「意識高い系」なんていう分類のワードも存在するよう

・・・・「系」も何もなく、当たり前の事なんだけどなあ・・ といつも思っている訳だけど、そんな「別の視点」が、頭を過ぎりました。

ヒーリングなど「スピリチュアル」な分野でも、話がオオゴトになると引いてしまう女性たちが多いし、俗の友人たちでも、「歴史」や「国際社会」みたいな話題になると「壮大だね」「知識が凄いね」「勉強してるのね」と返ってくる。いやいや、普通の思考なんだけれども・・と、若い頃からそれは変わらず。皆、面白がって私からそういった話を聞き出す時間を楽しんでくれてはいたけど・・・

年を重ねた今は、日本がそれだけ平和であり、また女性たちが、あまりややこしい事を考えないように育てられているという社会の性質ゆえだと思っている。

最近、ジェンダー的な話題は盛り上がりつつあり、何よりだと思うけど、実は女性達の方が社会的責任を自分が背負うことを望まない傾向が、日本にはあると私は感じる。自分はシングルマザーを自営業でやって来て、父親的な、世帯主・事業主としての役割と、母親としての役割を一人で両方やって来て、

普通ならば男性たちが味わう、家族を背負う責任感、そのために常に意識を張り詰めている世帯主としてのプレッシャーから来る、自分自身の不自由さと、口には出せないやるせなさの様なものも、理解出来る。女性側の、子供の母親としてのプレッシャー、家事に追われる辛さ切なさも、理解出来る。その上で思うのは、ジェンダー問題よりも前に、一人の独立した人間として、自分の頭で考えること、自分で結果に責任を持つことを前提に選択をすること、が、日本人には欠けがちで、潮の流れに受け身で乗っている、という、大衆意識が強いと思う。

歴史もあるし、風土が培った国民性の結果だから(日本の、日本人の良い面もたくさんあるし)そこを批判するのが目的ではなくて、『進化』という意識が、なぜ日本社会の空気の中で育ちにくいか、定着・浸透しにくいかを説明するために、今、そこに触れている。

アルガンザのワーク、ショップに綴る文章、SNS等でも、当たり前のように「進化」「進化」と書いてしまっているけれど、人によっては上記のように、「別にそんな必要は。楽しく生きていられたらそれでいいケド・・」と思う人も居るかもしれず。

そういえば昔よく母親に言われたっけ・・・(私が)自分では、皆が同じように分かっていると思って説明を省略して、その先の話をしているせいで、話が通じず、誤解されがち。と。

友人たちにも「私たちのところに降りて来て」とよく言われたっけ・・(笑)

『白い聖堂』について、シャンバラ、神智学について書いていて、ふとそんな事を思い出していたので、今日は原点に立ち返り、「進化とは」「なぜ進化することが必要か」について、伝えておこうと思う(ここまで前置き。笑)。

社会は様々な問題を抱えている。地球の自然破壊もかなりの所まで来ていて、昨今、それらの多くの課題が、世界的にSNSなどのメディアを通じて共有され、「エシカル」意識も普及しつつある。言葉としては飛び交っていても、やはり日本の人々の構えはまだまだ、世界基準に比べると足りていないのではないだろうか。

自然科学の分野では定説として、地球上6度目の大量絶滅が、人類によって引き起こされる、いや、すでに始まっているとも、言われている。

自然破壊、社会的格差、貧富の差、医療などの地域差、飢餓の問題、そして戦争。

それらの原因はと考えていくと、当然ながら、人間の利己や利欲、無知、怠惰などの種族的に持っている「欠点」ゆえの、結果の現象化に他ならない。

そのままにしておくと、地球上の問題はさらに進み、もう手遅れということになる。なぜ、問題をそのままにしておけない、と思っていても、人類総出で急いで何とかしよう、と団結して、一気に解決したりしないのか? どんな分野でも同じで、良い方への変化を、常に邪魔する力は働く。個人の人生、生活のレベルでも、社会レベルでも。会社などの組織でも、良い方への変化の流れは、そう簡単に為されないのは、大人ならば皆、経験していることと思う。

人間の中には良心、善の性質、仏教で言えば仏性(ブッディ・慈悲)、無条件の愛、があって、自分が悲しい思いや苦労をした人が、「こんな想いは自分だけで沢山」と発言する姿を、見たことがあるだろう。そういう人が、社会を変えなくてはという運動に着手する、というケースも少なくない。

一方で、人間は、逆の力がフックするためのネガティブな種も持ち合わせている。分かり易いネガティビティだけではなく「怠惰」や「人任せ」のような、インド思想で言ういわゆる「タマス(怠性)」もまた、人や社会が良くなろうとする時に邪魔をする要素になる。日本人はこの要素が強いのだろうと思っている。逆の「ラジャス(動性)」が足りない、とも言える。

ヒーリング、という分野でサロン、スクールをしてきたアルガンザの活動を通して、癒しや成長が人をどれほど、輝かせるか・・を目の当たりにして来た。エネルギーワークでヒーリングが起こり、日々のメンテナンスをするようになると、肉体・エネルギー両レベルから綺麗になっていくので、印象や顔つきも全く変わっていく。生き生きして、最初にお会いした時に被っていた影や重さが消えていくので、それぞれが持っている個性の魅力が開花していく。

ご本人ももちろん、生きることへの苦しみが減って、思考や感情が変わり、周囲の人々や家族にまで、時にその変化の波は波及する。

これを、大きいスケールで考えてみれば当然、社会や、世界全体が、苦しみや問題を手放し、創造的で自由になり、争いや不平等もなくなり、比較や嫉妬や破壊もなくなり、地球の自然界も守られて、世界が平和になっていく。・・・当然、そうなるだろう。

けれど、

外に広がっている、私たちが所属している、社会や物理的な現実の中では、ヒーリングやエネルギーワークの成果・効果は立ち消えやすく、影響を受けて乱されやすく、周波数をずっとキープしていくことが難しい(それゆえにアルガンザではセルフワークを何より重視し、クライアントや生徒さんたちにオススメしている)。

ヒーリングを受けた効果は一生消えたりはしない(オーラ体に記録される)けれど、自分の周波数が落ちてしまうと、その周波数の自分でしか存在出来ないのだ。癒しや解放が起きた時の周波数をキープしてこそ、変容の一歩一歩を、確実なものにしていける、ということ。

楽器の練習や、スポーツのトレーニングや、バレエのレッスンと同じだと思って欲しい。ずっとその意識、周波数を続けていかないと、今は、難しい。衰えてしまう。出来たことが出来なくなり、逆戻りもしてしまう。「今は」というのは、集合意識、人間社会の意識場、エネルギーが、まだそれだけ荒々しい故だ。

一人一人が、ネガティビティを自分の中で克服し、意識的な変化を起こしていかなければ、社会、世界は変わらない。けれど、自分がまだ、生きることが苦しかったり、目の前の問題に追われていたりすれば、当然、まずはそれを解決させなくてはならない。癒しや解放を経て、生きることが楽になったり、問題の解決方法の糸口をつかむ(スピリチュアルな意味での)知恵を身につけることが出来た時、当然、次の扉が開いていくものだ。

世界がなぜ、大変な問題を多く抱え、六度目の大量絶滅を迎える日が近いとまで言われているか。それを回避し、世界が存続して、地球上で人々が、自由に創造的に、健康的に暮らせるために、どうしたら良いか。同じ仕組みを、ヒーリングを体験し、効果を実感した人は、個人レベルで身をもって知った筈だ。

けれど扉の向こうに、歩みを進めようとする人は少ない。

立ち止まったり。戻ってしまったり。そこに、人間が良い方へ変わっていく、つまり進化する力学を止めようとする力が、働くのだ。

神智学や、アルガンザに言う「進化」とは、社会、世界の問題を解決していくために、人間そのものが変わっていく方法論に他ならない。それは意識的な学びや知識だけではうまくいかないし、チャクラやライトボディ、ソウルシステムとして分かっている古来の叡智を手がかりに、まずは、個人の問題を克服、解決していくために働き、

その先、進化成長した個人が、より多くの人にその知恵をシェアしていき、結果として、個人の癒しで為されたのと同じように、社会で、ひいては世界規模で、同じ様に癒し・問題の解決・成長・良きほうへの変容、創造 が、実現されていく。ひとつの同じ流れの上にある。

不平等の為に、不均衡の為に、理不尽なシステム故に、悲劇をこれ以上生み出さない為に、各分野で、奮闘している人たちが居る。世界をより良くするために。苦しみや悲しみではなく、喜びや笑顔を増やしていきたいと願うのは、ヒトが持っているハートの愛、善性、慈愛、仏性ゆえ。

メタフィジカル、スピリチュアルの分野は、古来の知恵が伝えるチャクラやライトボディ(オーラ)、ソウルシステムの知識とともに、個人レベルであれ、世界レベルであれ、「平和」を生み出すために、良き変化を起こしていくことを説き、一人からさらに周囲へと伝えることで、結果的に、世界が平和になり、自然界と地球が無事に保たれ、その中で生きるヒトの未来を、実現しようと奮闘するものではないか、と私は思っている。

ネガティビティを克服し、よりよい地球という現実を創造できる人類に変容していくこと、

それが『進化』だ。

結果として、世界、地球そのものも『進化』する。

またまた自分の話で恐縮ですが、

14歳でマザーテレサの存在と活動を知り、16歳でマイケル・ジャクソンの『Man in the Mirror』に刺激を受け、19歳でオノヨーコさんのフェミニズム思想に影響を受けた。それら全て、「何とかしなくちゃ」という突き動かされるような情熱の一つの流れとなって、日本社会の実態もそこそこ理解できた高校生当時、日本に居てはダメだ、と思った。

アメリカで大学・大学院を出て、世界を旅しながら学者をやって、人類の意識に影響を残せるような研究と著述をしよう。高校二年の時にそんな志をしてはみたものの、親の経済力をまったく推し量れていなかった。留学に備えて勉強に明け暮れた高校時代だったけれど、親の現実との妥協点から、日本から出れなかったし、公立の短大限定という制限を設けられた中で精一杯の選択をした。

その後、会社員時代、子育て時代に二度、通信や夜間部で大学の続きの学びを試みたものの挫折。何しろ自己メンテナンスの方法、人間の心と体の健康の仕組みも知らず、意志は強くてもそれ以外は弱かった。

この辺りの理想と現実、やる気と、実際の(人間界の)壁の摩擦から、またエネルギー面でも実は過敏だったこともあり、二十代半ばでウツになり、30歳を過ぎて、ヒーリングと出会った。

そして、自分を助けてくれたこの癒しの世界に、恩返しするためにまだ携わっている。「光の世界」だけは例外と思いこんだものの、どんな世界とも同じ、下手をするとそれ以上の闇の網が張られている。人類全体に同じ力が働いているのだ、分野は関係ない。逃げても仕方ない。個人の人間の中に、その「逆向きの力」の種があるのだから。(陰謀論の話ではなく)

世界には、こんな問題が存在している。今この瞬間、苦しんでいる人々がいる。社会のこのようなひずみから、苦しみ嘆く人が後を絶たない。・・・・このような話に触れた時、何も思わず、何が出来るかなと考えたりしない、自分には関係ないと処理してしまうようなことがもし、あるとすると、その心の「病み」具合を、心配するべき。目立たずに静かに起きている「病み」「闇」があると言ってもいい。もしかすると多くの人が、そうなのかもしれない。

「わたしは別にこのままでも・・」と思うこともまた、ある種の、「闇」「病み」なのだ。それが分かりにくい。だから、変化が起きにくい土壌、と言える。

光が自らを二つに分けて、闇を作ったという神話もある。

まさに私たち人間は、そんな風に用意された二元の世界で、自由な意志という選択権を与えられて生きている。自由な意志で、選び取らなくては、意味が無いからだ。

自由な意志で、判断し、自ら選択しなくては、「進化」は起こらないように出来ている。

自由な意志、結果を受け止める勇気、選択する心の強さ、ぜんぶ 日本人には苦手なもの。

(他の国の人々にもそれぞれ、課題、テーマがあるだろうと思う。)

本来、人間は、「皆で世界を平和にしよう」と思う気持ちを持っている。それが無条件の愛、仏性というものだ。世界が平和になる、ということは、人間が進化する、ということなのだ。

人類の進化プログラムを見守る世界のまなざしは、地球そのものを壊したりはしない。わざわざ造ったのだから。

「ハコブネ」は地球そのものであり、地球の歴史は今後もつづく。

そのハコブネに、乗っていられる文明レベルかどうか、によって、今後の方向は変わっていく。科学的に分かっているだけで、地球上の生命はもう5回、大量絶滅(ほぼ全滅)している。

それぞれの分野で、ハコブネのために奮闘している人々が居る。私はエナジーヒーラーゆえに、エナジーワークやヒーリング、メタフィジカルな情報を通して、説明をしています。

うちのワークを受けなさい、とか、石を買いなさい、という意味では全く無し。(笑)・・そもそもそんな精神でこの仕事をしていたら、数年しか続かないことでしょう。無条件の愛やエネルギーのクリアリングを謳う分野なので、そんなに甘くはない。シビアであり、それ故に、他には無い「やり甲斐」や感動もある。

話が逸れつつ、今日はこのくらいで。

Love and Grace,

Amari

古き良き

「白い聖堂」、急な告知にも拘らず、思いの他たくさんの方々が参加してくれることになり、ありがたい限りです。

サロンでお会いしていた懐かしい方々、リュミエールブランシュのお客様がたも。サロンの仕事を辞めて、ショップの運営だけだと、お客様とのコミュニケーションは限られているから、どのくらいの方達が、見てくれているか、何か感じてくれているか、が、中々見えにくい。SNSやHPのアクセス情報はあっても、数だけでは、計れないものだから。

感謝とともに。明日は皆さん、宜しくお願い致します。

ここ3日くらいのエネルギーは凄いな(大変)・・と思いつつ、必要に応じて「見る」現実の、個人的体感なのかも。

今朝のツイートの続きのようだけど、そこにフックする必要が無ければ、何も感じないわけだし、人間(の魂)がレムリア末期に「自我」を持って以来、永い時を生きてきて、それだけ、重荷や、ガラクタや、心身の病理・病癖、レイキでいう「セイヘキ(性癖)」、それらが家系で受け継がれてゆく気質や体質、などなど。情報が溢れて、そこにまた今世でインプットしてきたもの、壊れてしまった健全さ、などなどの情報が重なって、

自然界のように、幼い子供のころ(天使時代やレムリア自然界の記録を再現して生きる時期)のように、シンプルではなくなっているからこそ、ネガティビティと共に生きるようになる。不安になったり、人と比べたり、怠惰や欲に左右された、感情のアップダウン。人間らしいからそれでいいさ、というメッセージで世の中、溢れているんだけど、矛盾している。

それでいいさ・・・では、世界は良くはならないから。

人間の感情・思考・ライフスタイルのネガティビティを「それでいいさ」と言っていたら、結局、環境汚染や、社会的格差、戦争、差別、などは無くならない。スピでいうアセンションや、ノンデュアリティなど、実現はしない。

個々の人間、ひとりひとりの心と体、その設計図であるエネルギーから、見つめ直して、改善していかないと、何も変わらない。

man in the mirror なのだ。まさに。

2012か、13年ころだったかな、「マンスリー・フォーカス・ワーク」と名付けて、月に一つオリジナルワークの中からフォーカスを当てて、モニター価格でご提供するという試みをしていた時。出来たばかりだった、「レムリアンセイクレッドレイキ」を選んだ月にたくさんのご希望があり、ほぼ毎日、そのエネルギーに浸るというような時期があって。

結果として、ほんの数日だったけれど、自分自身がワンネス的覚醒状態になっていた事があって、今回、セイクレッドレイキのテキストにそのことも書こうと思っていたのに、忘れていたことに気付いた。。。

あの時は、いわゆる「あるがまま」を実体験して、見るものすべて、例えば机や湯呑みや、街ゆく人々すべて、日本という国や、自民党政権でさえ(笑)「ああ、ありがとう。本当に、ありがとう。おかげで私がここに居て、あなたも居る!」みたいな感動と至福の状態になっていた。

セイクレッドレイキの「ソフィア」との接続や、横軸の復活、のプロセスが、毎日のようにセッションしていたことで、自分自身に強く作用した結果だと思う。

感覚としては、何を見ても感じても、「それ」が存在している宇宙普遍の「意義」のようなものが、ピコピコピコと自分に入って来て、理解と愛着が瞬時に生まれる。そして、

「ああ!」と涙する。(という現代人からしたらおかしな状態です・笑)

あれが、レムリアの『ワンネス』なのだろうと思っている。『あるがまま』を、理解し、愛する感覚。はるかに、人間社会の周波数や思考などを超えたものであり、仏教的な、シャカの悟りのようなものだろうと思うわけです。(私は1週間弱つづいて、その後ゆるやかに元に戻りました)

それが、もっと人間的なレベルで「あるがまま」つまり、「エゴのまま」でいいというのが、今のスピリチュアル界隈のメッセージになっている。

もう、多分10年以上前(まだ奈良に居たころと記憶しているので)、ブログだか、メルマガに、「このままだと、一般的な人たちの意識が変わっていき、気付いたらスピ、をやっている人たちのほうが、取り残されるのでは・・」と、書いたことがあった。今でも、その雰囲気は大いにある。現実逃避的なスピ、ということ。

またまたタイトルから逸れつつあるので戻しますと!

人それぞれ、かもしれないけど、私の場合は人生で唯一、小学校時代が一番、無邪気に自分を生きて、興味のまま動いて、楽しい時代だった。韓国時代劇でもよくありますよネ〜 きらきらした、初恋の想ひで・・のような。実際にはいろんなことが側で起きていただろうし(親とか大人的に)、昭和の激動の社会状況もテレビで見ていただろうし。けど、自分はただただ、自分を生きていて、楽しかった。

小学校卒業が迫った時に、友人たちと、「嫌だ〜中学生にはなりたくない」とぼやいていたのをよく覚えている。レムリアの終末期って、あんな感じだったのではいかと。ジェネシス神話をまとめていると、感じたりもする。

もう自由ではなくなる。責任や義務や、課される事柄ばかりが増えていく。楽しくなさそうな大人の社会へ、近づいていく。未知なる変化が起きていく。ああ、私たちのワンネス、自然界が壊れていく・・・もう、このままでは居られないのだ・・・という。

韓国ドラマと同じように、純粋だったころの、キラキラした古き良き思い出、だからこそ、ずっと宝石のように心に残っている。けれど、その分だけ、失ったことへの悲しみも深い。失っていくプロセスにおいての、傷も深い。

だから、みんなこんなにレムリアに惹かれる。

・・はず、なんだけど、上記のとおりの界隈のトリックで、知らぬ間に、浸って動かなくても、「大丈夫」と言って貰えるフィールドになってしまう。そのトリックは巧みで、レムリア、に限らずだけれど、一見しても判別は難しい。色々な目に遭っていくと(笑・・対・人ではありませんヨ。原型エネルギー=「神」のようなモノや四次元的なモノのこと)嫌でも、メカニズムを知ってしまう。

そんな話は、「プログレッシヴワーク」3つの、クライアントワークブックでもたくさん、書いています。

締め括りが宣伝のようになってしまったケド、今日はこのくらいで。エヘヘ ^^

Love and Grace

P.S.

カレッジの改訂、リニューアル・リリースに入っていく準備段階として、かつての対面式の「ヒーラーズカレッジ」のページを、参考ページとしてUPしました。メニューの「School」からお入りいただけます。概要と、卒業生の皆さんのご感想です。懐かしいですネ、、それこそ「古き良き」日々。良きおもひで、となっています。卒業写真は本当に皆さん、良い顔をしているなあ、と。半年ちょっとのカレッジで、多くの変容、気づきを体験し、見違えるように輝いていく生徒さんたちの様子を、懐かしく振り返りながら。タイムカプセルを開けるような作業でした。

ハコブネの意味

セイクレッドレイキのリリース間近。

ワークのスタイルを自分で(笑)理解するのに苦労(混乱)したけど、やっぱり、これまでの修練(と言ってしまおう)の賜物、という他ないと感じた。特に、一昨年〜去年にかけてのプログレッシヴ3つの、ワークブック14冊、水星アルカイの叡智のワーク制作、これが、「ジェネシス」後のアルガンザワークの意義と、大きな枠(ヒーリング業界、神智学、現状、未来)などに思考や思いや予測を巡らせながら、自分が書きたいもの、では勿論なく、ワークとして有効、かつ人々にも言葉や表現を通じても受け入れられるようにと考えながらの執筆の、非常に良い「修練」となって、それが今回、インストールされた自分の一部として作動したことを、自覚出来た。

今回、だけではなく、これが今後の「メタスピ」「ニューエソテリ」??笑 分野を切り開いていく上での、大きな力、土台となっていくのだろうと実感できる。

さて、これが初「日記」(2022-23のサイト内に作った A Diaryのこと)になるけれど、今は「おこもり」生活をむしろ自分自身の仕事の段階として設定していることもあって(2020年4月から、まさにそう思っていた。ワークリリース、テキスト執筆の時期として三年ほどを見越して。それがちょうどパンデミック時期と重なっている。私の仕事はいつもそうで、だから恐らく、来年の春以後、一年以内には、パンデミックは落ち着くのではないかと前から思っている…)スタッフさんが時折、お手伝いに入るくらいで、あとは日々黙々と一人で仕事をしているため、呟きはかなり日々、生まれている。

その中には記録しておくと、どなたかに、未来の自分には(記録のために)ちょっとくらいは役に立つかもしれないと思うこともある。

現状、ついついTwitter で呟いてしまうのですが、あそこは無尽の大洋のようなもので、自分の知らないうちにシステムが他の人のキーワード設定から、全くこういった分野に興味ない人に、送られてしまうこともあるし、自分でも忘れているようなツイートを、曲解したり利用したりしてリツイートされることもあるかもしれない。最近、学者の方々が、パンデミック(「・・・禍」という言葉が好きではないので使わないようにしている)や、国際情勢の専門家としてのコメントで、そのような状況が多発しているのを何度か見かけた。

私の発信レベル(範囲)では、もちろん先生方のように広範囲で、という心配などしていないけれど、こういう日記という形を取れる場所があるならば、無尽の大洋で、ほんの一握りの方しか、意味が通じないかもしれないことを呟くよりも、相応しいと言えるだろうから。もちろん、ウェブそのものが大海ではありますが、SNSは、単に閲覧する、だけでは止まらず、「便利な」機能ゆえに一人歩きすることがある、というのがまた問題というか、利点でもあり、使い分けのポイントでもある。

Arganza の仕事、ヒーリング、メタスピ的思考、神智学、未来、進化、クリスタル、自然派・・・ これらへの興味という大前提でこちらのHPを訪れる方々には、お役に立つかもしれない呟き、記録を、自分の頭の整理のためにも書く場所にしていこうと思う。

「レムリアンセイクレッドレイキ」で、ジェネシス後の旧来のワークのリニューアル作業が一段落。

アリス・ベイリーを読み込んでいく。一時期なぜか「生徒さんたちへの図書館」意識で買い集めてしまった「すぴ」本たち(既に売りに出したものも多いケド。比較的まともなものは残してある)、初期のころから私がお世話になった良質な「スピ」本たち。過去のサロンの膨大な記録も・・・「整理します」「今年は〜」とか言いながら、まだ本格的には出来ていない。ショップと、ワークリニューアルを順番にスケジュールしていて、忙しかったから。。

けれど、次のリニューアル&リリースはカレッジ、マスタークラス、なので、「やりたい」ではなく、自然の必要性から、書類や本の情報を整理し、アルガンザの過去(の体験・記録)と、現状(人々のニーズ)、そして未来(進化・高次のニーズ)を、ワーグ群でやって来たように、講座やテキストとして行っていく作業に入る。

ライフワークとして、一生つづくだろう。神智学が伝える新しい時代を告げる「光線」が到来する2025年以後の世界のことを、少し心配しながらも、そのために必要なことを今、考えている。

Love and Grace

報われない偉業

大シフトの8月、も終盤のせいか、糸を手繰っているうちに自分でも深い、大きめのもの(消化・昇華するべきテーマ)が出て来た。

去年から少しずつ、奈良の家からオフィスへと、古い書類群を送っていた段ボール数箱。なかなか本腰を入れて整理できずに月日が過ぎていたところ、今週は助っ人の手もあり、作業を進めることが出来て・・

 アルガンザになる前の「ロザリア」「天と大地」時代のサロンの記録のボリュームと、当時の自分の集中したエネルギーの注ぎ方が書類群から激しく伝わって来て、古代史探求や、20代の仏教信仰、さらには受験勉強なども同じくだったが、いつも必ずタイムマシーンを開ける作業(記録の整理)は、決まって物悲しくなってしまう。
もう定番だったので、そういうものだと思って気にして来なかった・・・が、今回スタッフさんが手伝いに入っていたことで、客観的な視点が自分の中にも生まれて、「この悲しい感じ、変ではないか?」と、自覚するに至った。実際には過去の努力・奮闘は報われなかった訳ではなく、必ず良い結果を連れて来てくれた。パーソナリティの中心はその部分をちゃんと分かっていて、信念のようなポジティビティもある。けれど、そこから分離している「何か」が、悲哀に変換してしまうのだ。
冷静に堀り下げてみようと決意した瞬間に、整理している書類の中から、2007〜8年ころ、当時メル友のような関係だった東北に住む女性 — 同じ歳、同じ本名の、タロットや占星術やチャネリングアートをしていた女性が見てくれた、星読み&サイキックリーディングの鑑定結果の書類が、出て来た。
「秘教の研究においてトラウマがある」と書いてあった。当時は「秘教の研究」と言われても読み流していたようで印象に残っていない。けれど今ならば、「秘教徒を前世でもしていて、続きをしに来ている」と数年前から生徒さんたちにも話していたからよく分かる。加えて、何らかの研究者としての「トラウマ」については、ちょうど考えていた所でもあった。
石巫女クラスで取り上げたウェーゲナーの「大陸と海洋の起源」を、最近持ち歩いて電車で読んでいたりもしていた。私はこういう、「先駆的な研究を堂々とやってのけたけど、悲壮感の中で死んでいった」とか、「まだ時代に受け入れられず当人は絶望の中で早逝した」とか・・「研究者の悲哀」に妙に敏感なのだ。そしてこれは、最後に残った「理由のない感情パターン」でもある。
ヒーリングと出会ったころ、今世では身に覚えが無いにも拘らず自分の中に深く入っていて、ネガティブな感情反応を生み出しているパターンを多く抱えていた。私の場合、ネガティブの中身はほとんど「悲しみ」や「虚しさ」「恐怖」などだった。父権制への恐怖、十字架、ギロチン、高所恐怖症、閉所恐怖症、伴侶である男性の死と犠牲、そこへの罪の意識(「ハピの巫女姫」のリーヴ、「ガイアナ神謡集」のレオダイなどに反映)、などなど。それらが一つ一つ、セルフワークやセッションを通じて癒されていった。
自分になぜか入っている多くの原型的エネルギーからの感情パターンがクリアリングされると、本当に嘘のように「反応」も消えていき、そのような感情に理由もなく落ちるようなことは、無くなるもの。これは或る意味とても「科学的」だと言える。感情や思考が情報の注入、セッティングであり、的確な手順でそれを外したり中和できれば、翻弄される自分のメカニズムそのものが、無くなっていく。
この数年どうも、悲しい末路のエピソードがあったり、偉業の割にはパっとしない人生、みたいな先人たち(研究者・執筆家)にシンパシーを感じていた。かつて若いころは上記のほかに、「狂ってしまった人」や「自殺する芸術家」に同情するクセがあったが、これらもまた、過去生を癒すことであっさりと消えていた。この二つは、実際にそのような過去生が、比較的新しい時代にあった為に、影響が強く出ていたパターンだった。
「秘教研究や執筆の、(前世の)続きを、今世でやっている」と自覚している今、その仕事に直結する、打破しなくてはいけないトラウマがあるのだと、漸く気付く。これを綺麗にしなかったら、この先には進めないというくらいに自分の今世の「本題」であるがゆえに、むしろ子供の頃や若い頃は息を潜めていて、ここ数年で浮上して来ていたのだろうという事にも、やっと気付く。
過去の自分の「反応」パターンを振り返り、その本質を理解するのに時間は必要なかった。。過去生では、自分の弟子、または共同研究者のような立場の人々に裏切られてしまったのだろうと納得する。そして過去生のさらに深層にある原型パターンを既に「ジェネシス」で紐解いて、体験もしているから、断定しやすかった。
アトランティス文明期、叡智のマトリックス「ソフィア」から、情報だけ取り出してソフィアとその守り手のエルフ界を破壊した「革命派」の人々。数年前、このジェネシス情報が開示された時、私はソフィアの意識になって、ウオンウオンと大泣きしていた(笑)。
先にそれを体験していた(鋳型を癒していた)から、もっとも近い過去生だったゆえに生々しくお腹の中に沈んでいたとは言え、意識を向けただけでスルスルと解け始めた。過去に大きなテーマと向き合うには、かなり大掛かりな体勢が必要だったり、長期的に少しずつ分かっていったりしたものだけれど。鋳型に先に触れていたから残照のようなものだけが残っていたか、またはこれからの仕事に直接関わるからこそ今、ソウルのデーターバンクから改めて降りてきて、お腹に入ったとも言えるかもしれない。
悪気のないちょっとした不注意(利己の波動)、人がついついやってしまうというレベルの利己による他者の侵害に、過度に悲しくなる性癖も、ここに起因していそうだ。人魚姫に助けられた王子がそれに気づかず魔女が化けた女性が命の恩人だと勘違いするシーンに、子供のころに号泣した理由も(笑)
ウェーゲナーの大陸移動説は、すぐには理解・評価・賛同を得ることは難しかったけれど、当人の死後、価値に気づいて取り上げる学者が出て来て、評価されるに至る。さらに技術革新からデータによって彼の気づき、研究、主張が正しいと認定される時代が到来した。こういったタイムラグが生まれるのは、「天才と凡人が居るから」で片付けられる問題ではない。自身に感情的な違和感があったとしても、それは自分の中に在るものが反応しているのではないか?という謙虚さとともに、「普通ではない」ことを言い出す人々の声と真摯な態度に、ハートを開く感性が、人々にあれば解決すること。
ある程度のワンネス的叡智の周波数の共有は、やはりこれからは必要だと思う。そうでないと、自由になった人類は各自の利己で暴走する。地球は持続可能ではなくなる。
・・と、話が逸れたけど。私個人の記憶だけではなく、
アトランティスにおいて、自我の目覚めを体験しつつある人類の中から、神なる世界に手厚く保護され、闇に染まる、利己で暴走する、という状態にさえ未だなりようが無い仕組みの中に居たところから、「俺たちは結構賢いから、何でも自分たちでやってみようゼ」という「革命」が起こった時、彼らは宇宙的叡智のマトリックス「ソフィア」を電磁的に攻撃して破壊し、かつ、ソフィアに蓄えられていた情報だけは自分たちが活用するために吸い取った(アルガンザ「ジェネシス」でのストーリー)。・・ここで、ソフィア側だったソウルは人類の(愛を注いでいた存在たちの)仕打ちを深い傷として刻んでいる。
「愛しんでいたものたちに、情報だけ持っていかれ、自分は滅ぼされる」
このパターンを持っている人々は、少なからず居るはず。ソフィアを守っていた存在たち、その世界、人間界に居てソフィア側だった魂も多く居たのだから。・・そういえば日本人は「判官贔屓」で、民族のDNAとしてはやはり、自然界系、レムリア系、ソフィアの守り手たち・・の流れを濃く継いでいるのかもしれない。そのために「大人になれない(進化に乗れない)」人々が多いのだろうか?
タイムカプセル、自分の過去の「頑張った記録」を見るにつけ、悲壮感に包み込まれていたことも、過去に多くの「反応パターン」が嘘のように消えた、思い出せないくらいに関係なくなった事例と同じように・・過ぎ去っていくものなのだなあ。。。と、意外な、不意にやって来た新しい秋の風の到来を予感している。
ちなみに上記の、占星術とタロットで鑑定してくれた女性は、私がまだ奈良に居たころに急な発病を経てあっという間に天に還られた。亡くなる直前、彼女が好きだった「マグダレーナ」という洗礼名で洗礼を受けてクリスチャンになっていたということを思い出して、これは偶然ではなく、彼女のスピリットがくれたメッセージだったのでは?と思った。というのも、ちょうど執筆物のための文献として、マグダラ関連の本を4冊並べて、読んでいた最近だったから。
太古フェミニズムが、縁を繋いでくれたのだった。女性性や女神のテーマは、自分がずっと前に昇華したために、最近はほとんど頭を過ぎることもなく。『聖娼』のキーワードで私を検索で見つけたと言っていたっけ。。もう15、6年も前のこと。マグダラの読書をしていても、申し訳ないことに彼女を思い出さなかった。けれど、私は当時何を読んでどんなふうに感動し、母系社会や聖娼制度の国を舞台にした「ハピ」や「ガイアナ」を書いたのだっけ・・・と記憶を辿ってはいた。なぜか抜け落ちていたけど、書き上げたばかりの「ハピ」をメルマガで購読してくれ、まだ高揚感でワクワクしているような当時の私の世界観を、ひととき一緒に、喜びとともに感じてくれていた一人だったのだ。
「過去の努力を振り返ると押し寄せる悲壮感」のパターンは過去生ゆえだと気付いたことで、過去も現在も未来も、創造の1本の流れにあるという、何か、「魂の生み出す力」のようなものが戻って来た。
そう言えば、世界史の中でもっとも「報われない偉業」と呼ぶべきは、近年までのマグダラのマリアの立場、だったかもしれない。ここ30年くらいで、報われつつある。2000年越しの誤解と偏見を超えて。本来、イエスと対等に扱われるべき人物なのではないか・・とさえ、思っている(ジョン&ヨーコのように)。世が世なら。つまりちょうどあの頃に盛っていった父権制・男社会へのシフトの波の中で、情報を改竄されることが起きていなかったならば。
いろいろと話が枝葉を広げつつも。
まさしく、変容の夏。
読んでくれたみなさまにも、華麗なる変容を!
Love and Grace,
Amari

「好き」「嫌い」と魂の道

 

いつもより早起き出来たので目が合った石たちとゆっくりワーク。珍しくマスタークリスタルでもトパーズでもなく、小さめの結晶たち。フェナカイト、スキャポライト、タンザナイトに、パープルサファイア。それにしても、昔から人に私のイメージ、と言われることも多いけれど、青紫、タンザナイトの色はほんとに落ち着く。セントジャーメイン、インディゴチルドレン、と言ったところか。

さて、皆さんは食べ物の好き嫌いはどれくらい、あるでしょう

ヒーラーとして、人間としての経験上、やはり食べ物の好き嫌いが多い人は、チャクラのバランスが悪いと考えるに至っている。アレルギーや、体質的に受付ない・・という事は除外しての話で。大概は、子供の頃に苦手だった食べ物(野菜、薬味、香りや味の強いもの、食感が独特のもの、強めの調味料など)を、そのまま食わず嫌いしているケースが殆どと思う。

子供はまだ、味覚の器官、味蕾が完成していないので、苦味・辛みなど味の強いものは食べられない。ここで、親が成長に応じて、チャレンジさせて「あ、美味しい!」と知る機会を作らないと、ずっと嫌いなまま大人になってしまう。

うちは若大将にもたびたび、昔の思い出として言われる独自の教育(=「ママ部」とあだ名されていた・笑)の中で、小学六年生くらいから、「好き嫌いは克服せよ」と言って、幼い頃から「嫌い」と言っていたものを食べるように促したり、例えば、なぜ、寿司にはワサビが必要か、昔の人がなぜこの組み合わせを考えたかについての講釈をたれ「寿司にはワサビが必要なのである」と理解させ「文化として慣らす」など、試みたものだ(笑)。結果、娘は小さい頃は食べれなかったものの多くを、食べれる大人になった(&ママのお陰、と感謝もされている)。

私の母は厳しくない母だったけれど(– 私も親として厳しいという訳ではない– )、私はなぜか成長段階で自分自身でこれをやっていて、体が受け付ない青魚や生臭いお肉系以外は、何でも大丈夫という大人に気づいたらなっていた。。故に、娘にもその手法を受け継いだというわけ・・ 幼少期から無意識に「修行好き」だったよう。自分が変化していくこと、苦手を克服していく事に、喜びを感じたのだろうと自己分析。

食事に行くと、嫌いなものを避けるのが大変、という人も割と居るものだけど、そういう人は人間、他者についても苦手が多くて、結果、人付き合いがストレスになっていたりもする。

メタフィジカルが目指すところは「バランス」であり、あらゆる囚われから自分を解放していくこと。嫌いなものを避けて心地よいほうへ向かうのではなく、外側の変化で自分を満たすのではなく、自分自身の心の力で常に、幸福を生み出せるように変化していくことが問われる。

ライトボディの作りとして、内側(ひいては肉体)がエネルギーで満たされないと外のオーラの活性が始まらないという仕組みがある。それゆえに、体、食べ物や行動から始まって、感情、意志・・と、順番にコツコツと自分と付き合いながら、「良いものを入れて」「良からぬものを排出する、以後は取らないようにする」という道を、歩き続けるものなのだ。何のために・・って、「幸せ」のために。見せかけや、一時的な幸せではなく、本当の幸せのために。

肉体で感じた幸福感(食べ物などもココ)は、外側のオーラにも少しの影響は与える。同じように、感情体・メンタル体で感じた感情や思考レベルの情報もまた、魂の領域である外側のライトボディにも響いていく。けれど一時的なもので、それら下位のサトルボディ(オーラ)での働きは常に、反作用の可能性を宿している。「好き」があれば「嫌い」があり、「満足」があればまた「不満」がやってくる、という具合に。

内側の体を安定させ、(感情や食べ物ばかりでなく)エネルギーで満たしながらも、扱うテーマ、意識を向ける焦点を徐々に外側のライトボディ、魂領域、精妙な宇宙領域へと向けていくように移行していくのが本当の幸せを目指す本物のメタフィジカル(スピリチュアル)である。徐々にブッディ、アートマ、そしてモナド体へとフォースがまわっていくようになると、そこにはもう「好き」「嫌い」の感覚も消えていき、自分個人の執着よりも、世界全体の秩序、宇宙や自然界の法則の中に生きるということに意識が向くようになる。=これが宇宙に言う「愛」である。宇宙という秩序の中に融けることを「知っている」状態。

ライトボディはどの層も綺麗に光を湛え、影や隙間や偏りや滞り、エネルギーの流れを悪くするものがない状態を目指していく。ここでようやく、魂は「幸福感」で完全に満たされる。肉体からモナドまで。フィジカル体から、七つ目のモナド体まで。 関係ないようでいて、関係があるのが肉体レベルや感情・思考レベルの「好き」「嫌い」。この偏りがあるうちは外側のライトボディへの活性に進めず、真の幸福にはメカニズム的に至れない。

けれど個々によって性質・体質は違い、自分なりの「バランス」を掴んでいくことが重要。その「自分なり」を知り発見するにあたって、欲望や感情などのエゴを入れないことも不可欠であり、そうなると、常に浄化と純化を続けるのがメタフィジカルだと気づく。そのための手法を、自ら持っていなくてはいけない。レイキやヨーガや瞑想、危険ではない、他者に利用されない何らかの信念、知識、魂まで扱える、かつ現実・肉体を疎かにしないヒーリングメソッド。

好き嫌い、食わず嫌い がたくさんあるという人は、まずはそこを見つめてみよう。変化・成長・進化できない理由がそこに隠されているかもしれない。

Love and Grace,

Amari