ロゴスとレンマ、二元と三元、からの無限。

読書していたら行き当たった「ロゴスとレンマ」。哲学概念で、簡単に言うと西洋的二元論が「ロゴス」、東洋的な三元論が「レンマ」という言葉で表される。三元論といっても、AとBとCということではなく、AとBの間の中間地点を、その真ん中に在る・・在るというよりも揺らいで漂っているAとBの関係性のようなエネルギーを重要視するのが、「レンマ的」であるということ・・なのかな?と自分なりに解釈。

これは、メタフィジカル&エソテリシズム(秘教)的な視点で言う、「レムリア」と「アトランティス」の拮抗からの受容と統合が今とこれから数年のテーマとして強調されるのではないか、と今年に入って感じていることと通じるな、と思った。

同時に、思い出したことがあって・・・まだヒーリングやメタフィジカルを始めていない、年代で言うと2001年〜2003年くらいの間のこと。娘が確か1歳の頃に初めて自分のホームページを作り、一人旅をしていた記録や、それにまつわる古代史や思想系のエッセイ、趣味で書いた論文などを載せていた。当時はブログというものさえまだ存在せず、掲示板・・に、同じ興味を持つ人々が互いに執筆物を読み合い、感想を書き込みしたり、という時代。その頃、私が発表していた古代史や思想や民俗学などで繋がっている方々は大抵が年配のおじさま・・で。

そんな、当時のネット仲間であるおじさまの一人が、「ロゴス」「レンマ」という言葉は使わないものの、西洋的な二元論に中国の思想的背景も含まれるが、何事も中国から文化が入って来ているにも関わらず、日本人の精神には三元論が土着として浸透している。そのルーツはインドである、と論を展開されていたのがとても興味深く、よく覚えているし、以来、ずっと私の中で「インドから中国を経由してやって来た文化は、中国ナイズされている筈なのに、なぜ日本人は自分たちの独自性を貫くことが出来たのか、何がそうさせたのか」というテーマは、日本という集合エネルギーを考える際に、常に頭の中に有った。

同じ構図は、新石器〜青銅器時代に対する鉄器時代、にも見られるし、分かりやすく言えば縄文(とそれと調和的に発展した出雲)に対する弥生、神話ではクニツカミとアマツカミと言ってもいいかもしれない。究極はレムリアとアトランティスであり、アルガンザのジェネシス概念では、レムリアに起きた予期せぬレムリア人種の「混迷」、アトランティスで起きた人類の自由意志による「堕落という選択」ゆえの一旦のリセット後の、大洪水後の今の文明期には、それらの要素を再び人類の中に両方とも発露させ、その拮抗を乗り越えて、自分たちが歴史的カルマを統合できるかどうかが試されている、と考える。

それは、ずっとず〜っと、テーマであり続ける訳だけれど、いよいよ社会レベル、個人レベルで魂に向けて突きつけられているのが、今とこれからなのだろうと。

少し角度を変えて更に気づいたのは、

このところ仏教やインド哲学を覗くことが多い中で、インドの当時すでに出来上がっていた伝統的バラモン哲学と、それに対する思想革命として生まれたシャカ(ブッダ)の哲学(後の仏教)は、この2元と3元のような構図で、対立していたのだということ。バラモン哲学では、究極的な絶対存在、宇宙の根源であるブラフマンがスタート地点としてあり、

創造の降下の中で、意識・アートマンが生まれる。それが肉体を持った人間を顕現させていて、いつか個我を超越し、根源の中へ回帰するという流れが大前提となる。が、シャカの思想は宇宙論を含まず、とにかく「今ここ」に在る我々、それも実体はなく、ただ互いに作用し合う関係性の中で全てが生まれては消えていく・・ゆえにカルマを滅して悟りを開くべし、ひたすら己の精神性の純度を上げていくことを重視している。

哲学の世界でいう「ロゴス(西)とレンマ(東)」のような思想的な構図は、同じインドの中でも正当バラモン哲学と、革命児であったシャカの新しい思想の関係性の中に見られる気がした。そもそも、我々とは何なのか、世界とは何なのか・・という出発点から始めるインド哲学に対し、シャカは始まりを自分・・一人の人間にした。

全ては関係性の中でたゆたう。関係し合うエネルギーとして、在るように「見えている」ものは、関係を様々に生み出して束縛し呪縛しているエネルギー(カルマ)さえ消えて行けば、いつか、在るように見えている状態、つまり存在の必要はなくなり、消えていく。・・・確かにそのようにも感じる。個人的な魂レベルの思想として、自分の中には何が刻まれているのだろう?今回改めて、考えてみた。

全体性への回帰、意識だと思っているものの消滅、これは間違いなく自分の中で「そうだ」と思っているようだ。おそらく過去生で知って来たことなのだろう、当然のようにそう思っている自分が奥にある。が、個としての個我がどこまで遡れるか・・これは神智学で言えば「モナド」ということになるが、モナドとはニューエイジでもよく聞く「ありてある我」のことである。

そんなことを考えて唸っている時、このような記述を見つけた。

中世の哲学者トマス・アクイナスについて

彼が存在を「在りて在るもの」と定義したのは、存在と本質とがそのものにおいて同一であることを表している。

存在が自己のうちに根拠をもつということは、他の何かに「因って/縁って」存在するのではなく、自らに「由って」あること、すなわち「自由」を意味する。その存在は、他の存在との因果や縁起によってではなく、「自己原因」(スピノザ)によって存在する。つまり、存在は存在するが故に存在する・・・

『あいだを開く レンマの地平』(木岡伸夫・世界思想社)

哲学って堂々巡りな気がする。。でも面白い。

そして自分なりの「存在論」について思い巡らせて見た。エナジーワーカ、ヒーラーとして、神智学でいう「神秘家」つまり感じて体験する方面を歩んで来たことが、こういう時には肌で知っていること、体感として、難しい思考を超越・中和するのに役に立つ。ジェネシスヒーリングの概念や、石巫女クラスで扱う地球史についても、常にそのような手法をとって、最後には「持論」を整理する試みをいつもしている。

インド哲学、シャカの哲学、そして神智学

モナド、アートマン、ブラフマン・・・

すると、全てが拮抗するものでもなく、同じ本質をただどう語るかにおいて、つまりフィルターが違うだけだと感じた。個我を超越し、意識は滅し、全体性の中に帰る。それが無であるか、愛や創造の源なのか、というだけのことだ。そのどちらでもいい。どちらでもあると思える。そして思想家は、その時代のニーズに答えようとする。それが魂が今世、持って来た意味でもあったりする。故にそれを精一杯、シャカもキリストも多くの哲学者も、生きようとするのだ。

いつもそういう意識が自分の中に在る。何も矛盾せず、ある意味で全てが矛盾してもいいと思っている。その奥に在るものを引き出すために、今、自分が何を出しておくか、ということ。存在の根拠は何か、という究極的な問いについては、ただそうであるとしか言えないのだろうし、宇宙の本質を「分からない」と感じる人間の意識は、それでこそ意味があるとも言える。分からないという役目を引き受けているのが、私たち、個々のアートマンなのではないか。。。

分からないという設定の中から、いろいろな在り方を思い巡らす。すると個我が生まれ、個我は世界を生み出し、現象界がフィールドされる。

・・・このところ、第六次元、第六オーラ層(アートマ体)にフォーカスしていくことになり(体験を通じて導かれ)、アトミックプリンシプル=アートマ原理とは何だ?と、考え事をしていたところだったけれど、ちょうど読書をしていた「ロゴスとレンマ」という全然別の入り口から、 何となく辿り着いたような気がしている。

そうそう、瞑想をしていたら、これまでの「5次元スペース」とは違う「6次元スペース」が急に開けて、その高性能・ハイテクノロジーに驚いたと同時に、これまでもちょいちょい、そのシステムはシリウス系やアルク系のワークで必要に応じて開けていたな。。と気づく。よほどにアピールされないと、真面目にアナログに律儀にやり続けるという変なローテク精神がある私。去年の4月に「7次元」というキーワードを受け取りながらも、心も、創造も、ライトボディも、肉体も、意識も、そこに進展させるのに、1年かかった。

今ようやく、全機能が入れ替わったような気がしている。すると・・びっくり!先週あった2件のセッション仕事で、ワークの進め方や周波数の幅がヴァージョンアップしていた。ヒーラー現役はもう辞めるというのに、どうしましょ・・・以前ならばこれでまた、新しいワークを作ったりするのだろうな。けれど。そのためにヴァージョンアップしたのではないということも、同時に悟った。(もういいのだそれは。。というか、今自分の見ているものでワーク化しても、ニーズは無いであろう、マニアック過ぎて/笑)

6次元に立つと、5次元で動いているよりも、テーマである7次元意識がかなり近く感じられる。去年やって来た「箱船」(=アーク=情報)と自ら名乗った10キロのクリスタルが言いたかったことが、全層でようやく足並みを揃えて理解できたという感じがしている。

Love and Grace,

Amari

イシスとオシリス

数年前に感じていた秘教的なテーマのひとつ、「イシス・オシリス」と私が呼んでいるエネルギー、出来事が起きたアトランティスの人類の誕生と選択、の部分。5次元的に、今年の1月後半からアルガンザでは動き出して、先週末の「ジェネシスヒーリング」伝授4デイズで、ひとまず区切られた。

ここで言う2次元とは、元はアースワークやセッションやチャネリングで得られたものをベースに、文章や思想や歴史的にざっと理解し、把握できたと言う意味で、5次元とは、アルガンザのセッションやジェネシスの場に絡めて、クライアントさんや生徒さんを通じて、多次元的にその情報が開き、生きたエネルギーとして動き、それを我々がキャッチ、理解し、現実を通して動いていたものをエネルギーワークにより対応できた・・・それにより、テーマは次の段階へ進む、という多次元ヒーリングとアースワークで対応するというレベル。

時代の流れや私たちのエネルギーシステム、周波数、意識の成長具合によって、その時々、少しずつ来てくれているのが分かる。当事者的ではない情報としてキャッチし、当事者として味わい、解放するために「役作り」を伴う現実の動きがあり、そして多次元ヒーリングで対処。・・・ここから先、いつものアルガンザの仕組みからすると、より大きなソウル集団、さらに大きな、と波及しながら同じようなテーマが伝播して行く。

自他ともに認める?フライング気味の走者なので、というかそれが自分の立ち位置だと認めていて、自分の前の流れというのはほとんど全く見ていない。情報収集を同じ時代からはほとんどしていなくて(仮にしたとしても「それは違う」という事実に気づくばかりで)、むしろ、同じようなケース、時代の流れのパターン、高次や私たちのソウルシステムがどのように連動して地球が動いて行くのか・・を、過去に刻まれて残されている先人たちの仕事や、歴史そのものから、参考になるものを得ていく。

「レムリア」も「アトランティス」も、過去ではない。人類が非物質な境界から、物質化して存在するようになったその時代の変遷は、これから、まだアトランティス人種期を引きずっている今の人類(神智学では「アーリア人種期」の始め)が、物質的・利己的という意味で(神智学的に言えば)最底辺をマークしていたアトランティス時代から、今度は上昇孤の進化段階へ入って行く時、もう一度、アトランティス→レムリアへと、逆回しで体験して行くような流れが、これから来るのだろうと思っている。

そうかと言って、それらの時代を懐かしむでも、逆に忌み嫌うでもなく、今を生きる私たちの中で、アトランティス→レムリア という、かつて辿ったのと逆のエネルギーや意識を体験して行く行程が来るのだろう。そこに、これまでの歴史を刻んで来ての今の人類、という「現実=三次元」と、5次元つまりエネルギーやカルマとしてのアトランティス、レムリア が、統合されて行く。

一見、歴史を逆に辿って行くようで、進化に向かって行く。そういう時代が、これから数十年か、数百年かけて動いて行くのではないかと「ジェネシス」をまとめて、今、感じている。

・・・これを、すご〜くキャッチーに分かり易く言ってしまうと、「光と闇、分離、という二元性を超えて、ワンネスへ」

という、ニューエイジで当たり前のようにずっと言われている表現になる(笑)。ならばそれでいいじゃん、という訳にはいかないのが、物事をアレコレと真面目に考えてひっくり返してみたり、「そもそも二元性とは・・」「人類の進化とはなんぞや」とやらずにはいられないタイプなのである。。(笑)。。けれど、「スピリチュアル好き」な人々の趣味の世界のキャッチフレーズ、として片付けられない為には、説得力のあるものを求めて行く態度が、不可欠であろうとも思ってのアプローチ。

歴史や思想史・宗教史を見ていると、民衆レベルの情報の取り扱いと、権力者(=当時はそこに知識人や賢人たちが集まる)の周辺との、常に二層構造があり、民衆はただ押し付けられて鵜呑みにしている(自分たちも頭の中身を委ねてしまっている)時代もあり、一方で安定した権力の元では学問や芸術は華々しく展開する。が、権力者同士の争いなどで世の中が荒れると、民衆にも火種が行くので、日々の生活の危機をまともに痛感した人々はようやく、自分の頭と行動力で、何か違うものを求め始める。

そこに、民衆のために立ち上がる、世の中を見据えた天才肌のカリスマ宗教家のような人たちが登場し、命がけで活動しながら、心の平安を求める人々のニーズに答えて行く。権力者たちは、自分たちが大事にして来たものが、思想レベルから崩れて行くことを危惧し、大抵の場合はそんなカリスマたちを弾圧する。でも大抵、その動きは止められない。市民たちが本気を出せば・・・数で勝ってしまうから。

そうして時代が流れ、思想も流れて行く。

現代社会は、幾度ものこうした思想とエネルギーの錯綜を経て、かつての民衆=市民と、権力者・知識人・文化人などの壁がなくなるところまで、人類は歴史を前に進めて来ている。今の思想的な主役は市民、つまり私たち一人一人であって、昔のように封建制の領主や専制君主たちに、自分たちの運命を委ねている訳ではない。それに加えて、情報化社会になり、ほとんど全ての知識や情報が開示されているような状況。

誰のせいにも出来ない。この時代背景の中で、アトランティス・レムリアという逆進化が、実は、本来の上昇孤の進化に乗って行くことであるという流れが来ている。

今年の1月に、アルガンザとしてはレムリア=自然界=調和の崩壊のテーマがこれまでに無い強さで来ていて、それが1月半ばで一段落。すると、1月後半には「なぜ調和の世界を当時の人類は否定し、自ら周波数の低下(楽園追放)や分離、二元性のある構造を生み出したのか」が、情報として開示されて、その中で様々な関わり方をしたことのカルマが、今月初めの「ジェネシス」伝授では浮上していた。それにより、2012年末、「イシス」のキーワードで始まったジェネシス(当時は創世記、と呼んでブログに刻み、カレッジでもシェアして来た)は、再び「イシス」のキーワードにより、一旦の情報として、螺旋で一周したように、締めくくられた。

体感としては、これが・・・現実の、より大きなフィールドで、つまり全世間的に、起きて行くのがこれからの数年なのではないか、と感じている。体験と消化なくしては、次の段階に進めないのが人間のエネルギーとソウルシステムの法則。

イシスとオシリス。光と影、女性性と男性性。このテーマを超えて行くことが、それらの分離が始まった(それを人類が選択した)アトランティスのカルマを解消し、調和を戻す(レムリア)という流れを生み出す。とはいえ、それは単なるレムリア回顧、回帰では当然なく(そこには戻れない)、物質体として存在する人間社会が、非物質のセンスを取り戻し統合して行く・・・5次元化。これをずっとずっとずっっと・・・やっていくと、また再び非物質領域で生きることになるのだろうけれど、今とこれからは、その上昇孤に人類が乗れるかどうかという、それを選択できるか、という、分かれ目のように思う。

封建制や絶対君主の居る時代の民衆たちと違って、私たちは自由市民である。けれども、いまは情報化社会やメディアそのものが、絶対君主のような存在と言えるかもしれない。そこに委ねてしまわずに、エネルギーと意識を常に自分自身のものにしていくことが、大切だろうと。

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ジェネシスヒーリング第二世代の伝授セミナーを終えて、2018年度に入ったこの一週間。新しいスクール「エコール」の「インテンシブコース」が始まり、また昨日は今年だけのスペシャルなコース「セルフスタディ特別クラス2018」のお二人が、無事に最終のスクーリングを終えたところ。皆さんと共有する時間の感触が、やはり明らかに新しいものになっている。これが2018年の感触なのだろうと。

まだうまく言葉にならないけれど、ある意味で「ほかに権力者・権威がいる社会の民衆」のように、誰もが無意識ながらに色々なものにとらわれ、怯え、動けなくなっていたのが今までの時代ではないかと思う。もう既に無い支配のエネルギーを、親や会社や周囲の人々に重ね、動けなくなっている。それ以上、行動できない、考えられないのを、何か・誰かの存在と重ねて。(私自身も含め)

そんな幻想のベールが、今年の2月くらいから剥がれていって、自分の責任をもうどこにも預けることが出来ないというエネルギーに、切り替わっている気がする。そこから、各人がどう、この2018年の新しさをまとめていくか。それが具体的に、創造というエネルギーに結実し始めている人たちも居る。変わり目には、自分の中からたくさんのお化け、ゴーストが現れてくる。それに騙されず、創造に向かっていくことに、この変化のエネルギーを使っていく人が増えたらいいと思う。

Love and Grace,

Amari