セラピス・ベイと純白マーラ

サロン仕事で起きていること、故に、Arganza HPのinfoブログに書き始めたのですが、長くなり、マニアックでもあるので、こちらに載せることに。

ブログの統合についての前記事はこちら:

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10/15 の「白い聖堂17」で、マスターとして知られる「セラピスベイ」が関わって来て、ワーク&講義をしてくれた時間がありました。この時は淡い水色の光でした。

10/22 「クリスタルラボ・アースメディテーション6」では、事前に『白き神々降臨』というタイトルを受け取っていて、その「白い神々」とは、エルたち(アルガンザ・ジェネシスでいう「エルフ族」)であろう、という事は感じていたのですが、彼らの水星ソフィアやファウンテンを、シリウスの恒星エネルギー、アルクのGATエネルギーともども含んでいるのが、レムリアンセイクレッドレイキの「純白マーラである」ということが分かって・・

そのオリジンはアトランティスの、(ジェネシス世界観における)「イシス」エネルギー(全く同じではなくそこから派生して現在の「イシス」)ではないかと、気付きました。それで、先月の「聖堂」以後、純白マーラでのワークや、セラピスベイのことを意識に置いていて、改めて調べてみると・・

(とりあえずのwiki、これから正式に調べたいと思います)神智学初期の重鎮たちにより伝えられるに、セラピスベイは、

アトランティス終焉でエジプトに移った「聖なる炎の寺院」の高位聖職者、そして「白い炎」の守り手である、と言われているとのこと。

アルガンザでワークに含んでいる(「乳海撹拌・創造の5光線」)「イシス」エネルギーは、淡い水色と捉えていて、セイキムレイキのエネルギー(「エレクトリックブルー」→ 変化して「真珠エキスのような白)」ともほぼイコール(時代や用途に応じて高次が多少のレシピを変えてくるため「ほぼ」)と考えて来たのですが、

アトランティス終焉(の大洪水)から、エジプトに「イシス」神殿が移った、というのは、もう8年くらい前になるか、アルガンザ初のセイキムレイキ伝授の直前の「イシス瞑想会」で見たヴィジョンと受け取った情報と一致します。つまり、「純白マーラ」(セイクレッドレイキ)・「イシス」・「セラピスベイ」この3つの要素が符号するという流れが、この1ヶ月の間にありました。

そして更に驚くべきことに気づいたのは、「マンスリーイニシエイション」を始めたキッカケを、以前のサイトのinfoに書いた文章から↓

こちらの「マンスリーイニシエーション」は少し前に、私のソウルが指導を受けている「マヌ」系のマスター二人と先日、瞑想中に邂逅し、リアルなマスターとの対話は久しぶりのことでしたが、まばゆいゴールドの光と、情報が詰まった書物のようなものを受け取り、その瞑想が終了した後少し経過してから、言葉にはならずともマスター方から伝えられたことを解凍・解読しようとする作業の中で生まれた企画です。

この「マスター二人」は、一人は以前からたびたび見かける白髭の老賢者風マスターで、マヌに関する事で導かれる時にいつも登場する方。もう一人が、少し若く色黒で細身、以前お目にかかったことのあるエルモリヤ、サナンダ、セントジャーメイン・・とも違う、初めてお会いするマスターだったのですが、あの体験をしてから半年を経て、先月前触れも予感も何もない状態で聖堂中に「セラピスベイ」と響いてワークと教えを頂いたのをきっかけに、検索して画像をたくさん見るうち、「間違いない」と確信しました。

マンスリーイニシエイション企画の始まりから(7月企画・8月スタート)、繋がっていた、という訳です。

そして、イヤな思い出や戦いの記憶、痛みなどをともなう「エルたち」の魂=マヌ=ライトワーカーの過去の傷によるライトボディの傷を修正し、記憶を癒す、という先日実施の「エルたちの器・レストレーション」の終盤では、再び同マスターが登場し、儀式的な施術をいただきました。

今回最後の場面で、「白いローブ姿で輪になって座る私たちの、額に、孔雀色の光の炎を、点火してもらう」という儀式的なヴィジョンがありました。それを執り行っているのが、セラピスベイ、でした。ライトグリーンの炎の中に、芯として鮮やかなロイヤルブルー、という焔のエネルギー。

額の中心に頂くと、スウっとそれは中に入っていくようでした。そして「器」のプロテクションの光の幕が、その孔雀色の炎から、生み出されるよう。

(Monthly Ini 専用ブログに掲載した「エルたちの器」実施報告から)

「純白マーラ」は「シリウス系の白いエネルギーで、透明なほど波動が高いからGATも入っているよう」という認識で、レムリアンセイクレッドレイキのテキストを書いていましたが、日本や世界各地の石器時代人が繋がっていたシリウスの光でもあるし・・余りに普遍的な為に、深くそれ以上掘り下げるつもりも無かったのですが、扉が開いてから、次々と諸要素がつながり合い、全体像が見えて来ています。

そうなると、また新しい疑問が湧いて来ました。

現在、乳海光線として使わせてもらっている(「乳海撹拌」)イシスのエネルギー、そのオリジナルが「純白マーラ」であるならば、ジェネシス神話(『the Genesis』)のアトランティスの初期の時代、アトラスとハシスのそれぞれの信仰形態が、
アトラス=イシス信仰
ハシス=ソフィア信仰
であると(自分で)書いているけれど・・? 同時に「ハシスが滅亡したのちに、ハシスの地(中央ヨーロッパ〜アジア一帯)では、「白い神々の信仰」が継承されて、歴史時代の私たちの古典的宗教に通じている」と、以前から思っていて、セイクレッドレイキのテキストにも書いているし、上記の「二人のマスター」との邂逅のヴィジョンも、ハシスでのご縁によるものと感じていた。。。この件は、どう考えたらいいのだろう?

オリジナルイシス=純白マーラ は、アトラスの信仰であった? ハシスと、のちの時代の「白」信仰の接点は? ・・・そこで、ざっくりとした歴史しか取り上げていない神話仕立ての「the Genesis」には書いていない、アトランティスのアトラスとハシスという国、それぞれの個性と文化・宗教の流れを、より細かに把握する視点を持ってみました。

恐らく・・最初は同じく「白い炎」を、五次元から授かって運用していたことと思います。つまり、アトラスもハシスも「イシス神殿」で白い光を扱っていた。白いマーラ(母神)として。それが、どのように変遷していったか・・というのは、ひとつの国、ハシスという国の始まりから終わりまでを、追っていくという仕事になるのかなと。

新たな疑問からの、次のステップ。準備段階として、昨日は「世界樹メンバーズ」専用マガジン(note)「ジェネシスの方舟」でひとつ記事を書いておきました。「アトランティスの女神信仰その2」

考察を進めたことにより新たに浮上した疑問について、次に「その3」を書こうと思っています。中身は今はまだ分からないけど。きっとこれから分かる流れが来る。

グループ遠隔セッション Monthly Initiationは、この流れを受けて次回 12/3 は「セラピスベイの白い炎」です。(エントリー受付中)

今日書いた上の内容とは別に、ワークそのものについて示唆がありましたら、またワーク専用ブログに書き添えたいと思います。

Love and Grace,

Amari

「中途半端」が折り合い点。

昨日、マンスリーイニシエイション vol3「ラファエル&サンダルフォン」を無事に終えて。

程よいタイミングで「報告」記事をinfoに出す予定。その前に、自分自身のヴァージョンの記録をしておこうと思う。参加者の皆さんへのご報告の中で、いつも割と自分自身の体験を書いてしまうけど、匙加減は難しい。今回、自分の中でテンポよく今回の効果が実感できて、次の動きが始まったので早めに刻んでおこう。

前回は、前日夜と当日朝、2食抜いたプチ断食で臨むことになった「メタトロン」。

今回は、とても穏やかに前日、当日の準備段階も。ただ、「月セラフ」の「その周辺」記事を事前に書いていて、それに関係するのかなと思われる集合場の感情の波のようなものが押し寄せたのが、1日の朝。これは、セイクレッドレイキのワークで数十分でリリース。(抜群の効き目)

終了後のツイッターで呟いたように、終盤は妙に涙がこぼれて、けれど自分自身のことではなくて。これは、石ラボ前期の最終回と同じくで、セラフのソウル全体に対するシンパシーというか、地球で、この次元でヒトとして生きるなんて、ほんと大変だよね、という部分への共感と、同情というか。共振。

そしてとても中途半端に、今という時期を感じている自分自身を、5次元のワークの中でも実感し、客観視、でもその中途半端さであるからこその、人間界だよ・・という、やはり「石ラボ4」以来の、パーソナリティの言い分に、ソウルが折り合いをつけるような感覚、ちょっと切ないような胸の震えとともに、ワーク終了。

そんな中途半端な震えも含めて、何かスッキリと一山超えた感覚があり。ツイートしてみた・・・が、そう言えば、1時間くらいうまく作動せず、何度も試してようやく投稿出来たのだった。。(今水星も逆行しているそうだし。)

中途半端さ、でもそれが折り合い点。という、切ないような、黄昏のような、感覚ではありつつ、意識は安定して元気だし、目を見れば自分の調子が分かるけれど、ワーク後の漲った澄んだ感じがあったから、自分ではあまりその「切なさ」を気にせずに受け入れて過ごして。

一夜明けて・・今朝。切なさが増幅して、セラフっぽい悲壮感と謙虚さを通り越した自信の無さ、に変わっていたので、「ああ、これはグループワークで関係した皆さん、だけではなく更に広い範囲で、抱えている『セラフが人間界で生きることで味わい、積み重ねてきた気持ち』の集合場からの受信だな」と思って。

同時にやはりそれは私自身が若い頃にたびたび陥った穴だなと思い出していた。今では、それが「セラフの鋳型」によるものであること、それが家系的に受け継がれること、対処する光線やワーク、その「型」を持つ人や家系にどんな力がどのようにして抑圧をかけてくるか・・の、パターン、そしてその背後の歴史や神話レベルまで、知るに至っている。

若い頃は、ただ翻弄されるしか無かったのに。

そこに、しみじみしていた。

こっそりと予告。ラファエルの次は、ミカエルです。

理由などはまた、infoでの「報告」記事で!

Love and Grace

ちょうど良い真ん中を目指して

最近の Info記事で「南の海から(女性性的・リラ・プレアデス)」と、「北方から(男性性的・恐らくシリウス・ヴェガ)」的な要素が、人類学(遺伝子)レベル、文化人類学・宗教・民俗学レベル、そして更に下層にジェネシス原型レベルで、縦長の日本列島に流れ込んで来たのでは、という書き方をしていて、今回そのような表現に至ったけれど、考えてみれば人類学・民俗学的にはずっと分かっていたことで、それがジェネシス原型論の体感や瞑想ワークの中で、実感されたということだ。

更にこの点、なんとなくの考え事を繰り広げているうちに、あることに気づいた。

数年前にもうドラマは完結している『ゲームオブスローンズ』。私は(何度かSNS等でも触れていたけど)シーズン2〜3くらいの頃に存在に気づいて、まだネット配信で何かを見るという時期に入ってなかったので、その都度、DVDを買って観るようになった。まだ若大将は子供だったため(さすがにあれは見せられんでしょう・・)、DVDが届くと一人でこっそりと休みの日にドキドキしながら少しずつ見続けて、放送されるまで何年かブランクがあった最終シーズン(第8章)は待ち侘びた、という感じで。全シーズン、付録?付きのボックスが揃っていたりする(笑)。

私が映画やドラマについて書く時は基本的にネタバレなので、ご了承ください。一視聴者としてのワクワク感よりも、なぜか昔から制作者・原作者や監督などの目線で、何を伝えたいのか、ここに何を引っ掛けているのか、含めているのか・・という目で見てしまうので、自分自身がまったくネタバレを気にしない人間で、むしろ本などは最後の結論や後書きから読んだり、映画もメイキングを先に見たりするのでス。それと原作を読まずにドラマ版だけで書いているので、原作を知る方からするとずれている部分があるかも..この点もご了承ください。

そうそう。見た方ならご存知のとおり。このドラマの原作は「氷と炎の歌」というタイトルで、「七王国戦記」という副タイトルも付いている。架空の大陸に存在する7つの王国、それを束ねる宗主国の玉座を巡って争い合う、という。南部の国の「女王」と、北部の代表である「王」、それぞれが「炎」で「氷」であるわけだけど、この二人、最終段階でようやく実は親族であることが判明する(たしか叔母と甥になるのかな。年齢は多分同じくらい)。運命に引き寄せられるように、南から北上、北から南下しながら、それぞれの敵を倒して次第に自身に忠誠を誓う者たちが増えていく中で出会い、結ばれる。

なるほど氷と炎が出会って融合し、最後には王国に平和が戻るのだな〜・・と安心して見ていると、最終話でびっくりしてしまう。賛否両論、というか、ドラマが終わった頃はどちらかというと批判的な意見が多かったように見えた。けれども、ドラゴンや魔物、多少の魔術が出て来たりして「ファンタジー」のくくりに入りつつも、原作者が非常に歴史学に造詣深く、人間を人間臭く描ききっているという点で、「ファンタジー感」が無い、リアリズムの中で物語が進んでいく。それを考えると、あの結末は非常に、納得できる・・ドラマ、ではなく、実際の歴史の展開として自然、と言えるのかも。

炎の女王も、北部の王も、どちらも「犠牲」として大陸の表舞台から姿を消す。愛と人道で人々の崇敬を得ながら最終決戦まで来ていた女王は、七王国の統一を目の前にして、血筋が騒いだか残虐な支配者の顔を見せる。それを見た北部の王、彼女を人間としても同志としても愛していた者が、彼女を殺めるという決断を。そして彼は殺人罪で終身刑という。なんとも言えない結末。二人の人生を賭けた努力によって、専制的に玉座を死守していた一族は絶えて、大陸には平和が?訪れる。けれどその時、二人は居ない。

歴史の触媒のようになって、消えていく二人の英雄。氷と炎。作者はアメリカ人だそうだけど、北欧神話などの、英雄が最後には決して幸せにならない、むしろ貧乏くじを引くような犠牲で終わるというパターンに、影響を受けているように思う。歴史上たいていの英雄、カリスマは、確かにそのような定めを世に示して名前を刻んでいることも確かに多い。けれど全てでは無い・・「細く長く」じゃなくても、「太くても長く」健全に天寿と使命をまっとうした英雄、カリスマも居る。ゆえに、作者の思想的なものによるのかも。私はディスニー的なハッピーエンドもありだとも思う(現実としても。そういう現実創造力を発揮できる人間であれば)。

結末、は置いておいて。

言いたかったのは、日本列島でも、Game of Thrones (氷と炎の歌)であっても、もしかするとどの国でも、文明でも、「南・女性性・タマス」、「北・男性性・ラジャス」このセットが、法則として存在するのかもしれないという仮説。確かに、人間は南に居るとゆるんで、おおらか〜怠惰になり、女性的になる。北に暮らすと真面目〜神経質になり、男性的になる。その背後に、ガイアとヴァイアマスが南極と北極にそれぞれ座していたりしたらどうしよう。。地球上の海流やプレートの流れ、などすべて「ジェネシス原型」「ジェネシス神話」で説明できたりしたら。(広げ過ぎだけど「ニューエソテリシズム?新・神智学的にはその展開もライフワークとして良い)

旧石器時代人、もしくはもっと古い原人レベルかもしれないとも言われている、南から、北から、日本人の源流が入って来ていて、縄文人といっても、南方系と北方系で既に特徴づけされたいたはず。そこに到来した中国、朝鮮からの少なからずの「弥生人」=新説では、紀元前700年前から奈良時代(紀元後800ころ)までの、1500年という長期にわたって、渡来の波はずっとあったという。常に戦乱に悩まされていた中国や朝鮮では、その都度、亡命貴族・王族や、ボートピープルが日本を目指した。それらの渡来人たちは、またどのような中和作用、刺激をもたらしたのだろう。彼らが「中間」という訳ではなく、渡来人にも様々な文化・政治・宗教的背景があった。(帯びているジェネシス原型エネルギーも)

そんな「多様性」がミックスされて、天災の多いこの土地で、なんとか生きていく工夫を其々違う背景を持つ人たちが模索した。し続けた結果が、日本である。・・・という、新たな視点もあるかも。

よく言われている日本人の「動かない・空気を読む・人がしていることをしよう」という性質の原因は、稲作民であるため共同体意識が強い、とか、戦後のGHQの思惑、とか、徳川政権の支配体制が巧みだった(そこでの洗脳が抜けていない)などの理由が挙げられる。

けれど、もっと遡れば最初から、仕組まれて(用意されて)いたのかもしれない。上記の3つの要因・要素も含めて、プログラム、設定通りであったのかも。人類全体もそうだ・・眠ったように動かない、目覚めないように働くタマスの力と(その現象と)、争いばかりしているラジャスの力(とその現象)。南方的なエネルギーにおいては人々は欲深くなり、北方的なエネルギーに刺激され人々は争いを続ける。それすらも「歴史」あるいは「文明」というシナリオ通りの、現実、現象なのかもしれない。

その中から、中庸を見出し、抜け出す。何から抜け出すかって?

この「現象界」から。映画『マトリックス』と、同じみたいに聞こえるけど、もっと古く、仏教では・・引いてはその元であるインド哲学では、数千年前からそれを説いている。

両方あるし、二極だし、二限性だし、多様でフュージョンだけど、そんな中でも「善(愛)」とは何かを自分で見つけながら、「中間」という透明な場所を探している。それぞれ、何がどれくらい偏っているか、濁っているか、混乱しているか、そのバランスの悪さはみんな違う。二人として同じ人はいない。だからこそ、自分自身で自分のバランスの悪さに向き合いつづけ、(ひとつの生ではなく魂として)「ちょうどよい中間」つまり中庸を見出す。

『スローンズ』のジョン・スノウはその意味で魂の中庸、を達成したと言えるのかも。最愛の人を正義のために、状況判断して、大陸の平和のために手に掛けたのだから。

あ、そうだ。このドラマをジェネシス的に深読みしていて、もう一つ気づいたのが、南の女王の家系はドラゴンの末裔と言われていて、ドラゴンを飼い慣らし乗りこなす(炎を吹き空を飛ぶ西洋風ドラゴン)。ドラゴンは、東洋とは違って西洋では女性性と結びついていて、欲望、などのイメージもある。一方で北部には精霊たちの魔法の失敗のような形で生まれてしまった「魔王」が死者たちをゾンビにして軍隊を組織している、という。炎と氷、は、単に南と北だけではなく、人間の欲望とそれが齎す破壊力(南のドラゴン)、魔術・自然界が孕む危険と破壊力(北のダークネス)を表してもいそうだ。

話があちこち行くけれど。

ヨーガ哲学やヨーガの実践においては、菜食や禁欲が説かれている。けれどアーユルヴェーダは医療、健康術なので、禁止というのは無く「その人なりのバランス」をとることを考えていく。・・これもある意味、仏教でよくいう「方便」であると私は思う。バランスが取れていったら諸体が浄化されていって、禁欲も菜食も、難しいことではなくなる。むしろ自然にそれを指向するようになる。

人類全体では、行先は果てしない。けれど個人個人、「幸せになる」ための唯一の道は、「ちょうど良い真ん中」を見つけていくこと。これは間違いない。

きっと宇宙人たちも。宇宙文明もそんな振り子の揺らぎや、失敗や修正を繰り返し、同じように中庸を目指す途上にあるはずだ。

Love and Grace

Amari

幻想に打ち勝つ

先日、ガンダルヴァ・・の Diary記事を書いた時、本当はその朝の気づきをツイートしようかと思ってPCに向かっていたものの、意外と頭の中に文章のフレーズがワワっと入って来たので、では一度まとめてから、その後、関連のツイートをしようと。それで記事にしてから、結局、ツイートするのを忘れてしまった。何を言い添えようとしていたのかというと、

男女ともに、更年期には恐らく、その性の中に組み込まれている原型エネルギーの堕ちた部分(リリス、ケンタウロス)と、向き合わされるのではないか、ということ。もちろん人、魂による。いつも言っているように輪廻転生の中で既に多くを昇華している人もいれば、まだまだの人も居る。人生を通じてそういったエネルギーや、現象化する問題がテーマだという人や家系もあるだろう。けれど、

そうでもなく、比較的穏やかに平和に生きてこれたと言う人も、また、ヒーリング等で多くを解放してきた人も例外ではなく、それぞれの程度の差や、出方の違いはあるにしても、男性に生まれればケンタウロス、女性に生まれればリリス、の原型エネルギーは、DNAの中に組み込まれているのではないかと考える。普段は大丈夫な人でも、更年期には何らかの形で現れるのでは?と。

最近更年期ネタが続きます(笑)・・友人や知人とも「老眼はどう?」「五十肩は?」みたいな会話をしてる(笑)。健康そのものでもう二十年、病院にも行っていない。今もどこか特別に調子が悪い訳でもないけれど、さすがに、自分の性能が全体的に落ちる感じは実感される。何となくの体調や意識や周波数では、私の仕事は支障が出るので、常にそれを敏感に感じるようにしているせいだろうと思う。

そしてもうひとつ。ジェネシス等の仕事の流れの結果といえばそれまでだけど、主にプログレッシヴの執筆〜去年末ころのイワナガ、リリス、まで。その筋のエネルギーと向き合わざるを得ず、それが(自分の中から出るというより、また、現実でもその要素はもともと人生パターンとしても現れていなかったので)サイキックアタック等の外部からの現象として、エナジーワークの仕事を通して、私の場合は向き合う結果となったのだろう、と。

ジェネシスのグループでも数年前から、PMSの時にはリリスの原型エネルギー集合場と繋がりやすいということを、プラクティショナーさんたちと話していた。満月=狼男 なども男性ヴァージョンで言えるのかもしれない。

そんな事をぼんやり考えていた日。NHKオンデマンドに何となくフラっと入った。そういう時はだいたい何かピンと来るものを見つける。小室哲哉さんのインタビュー、と目が合った。これまで全くファンでもなく寧ろ、全盛期に私は二十代と既に大人で、小室氏の仕事が日本社会に満ちている時は批判的な気持ちを抱いていた。(クラシカルな洋楽のロック愛好家なので・・若い頃、海外アーティストのライブによく行ったっけ・・)

なので、普段はどこかで氏にまつわる記事や情報を見かけても、特に興味を持つこともなく。それが、何故か気になり見ることにした。(きっと皆さんは既にご存知のことと思いますが)2018年に引退宣言をして、2021年に復帰されたとのこと。引退を決めた当時は、常にずっと持てていた自信、自尊心が全く無くなって、自分なんかダメだという気分に堕ちていたとか。そこに至るまで、色々とあっただろう事はニュース等を通じて何となく、私も記憶があるけれど。そこで掛かった原型エネルギーによる低下、落下、低迷・・のような、周波数の遷移もあったのだろうと。

なるほど、こうして拝見していると、とてもアンドロっぽい方なんだな。私は日本の音楽シーンには殆ど興味を持たずに来たけど、きっとアーティストさんたちは、やはりアンドロ系の方が多いのだろうし、小室氏のマルチなタイプの才能や、話している様子からもそれも感じた。才能を発揮して仕事を広げた後、弱い部分に何かの形で、引き下ろす力が働く。才能の器が大きい人ほど、創造あるところに、常にやってくる破壊の力。

そして男性の更年期、にちょうどスランプ期が当たったのだろうし、勝手な想像だけれど、外部からのケンタウロスやリリスの原型エネルギーが作用したのだろうと思いながら、拝見していた。自分がずっと信じてきた、自分自身を成功させ続けてきた実績がありながらも「自分なんか」と思わせる、引き下ろす力は強烈なものだ。けれど、魂が持っている光が強い人ならば、一旦は引き下ろされても、その幻想に負けずに復活できるのだ。

ちなみに、小室氏は無国籍な雰囲気がある・・日本人らしくないというか。私が思うに、魂で生きている人って印象が国籍不明なのだ・・ 娘がお世話になったシュタイナー学校の先生方もそうだった。ヒーラーさんも、ヨーガ等の先生方もそういう方が多いかな。三次元の大衆的グラマーから抜けた周波数域で、独自に生きているから、「日本人らしさ」を纏っていない、という説明が出来るだろう。

それから、シュタイナーの子供たちは、両親にあまり似ていない。そして、驚くほどにぽっちゃりの子がほぼ居なくて、スラっとしている。やはりテレビやメディアを見せず、ゲームや受動的なおもちゃなどにも晒されていないから・・子どもの時点で既にグラマーのエネルギー情報を吸収して育つのではなく、個として、魂として、育っているゆえだろうと思う。

(レムリアンセイクレッドレイキの「大地のサナトリウム」はその行程にちょうどフィットするように構成されている。第一段階で幻想や強い恐れのパターンを引き起こした「抑圧」や「攻撃」のレムリア等ジェネシス層からの原因にも、現在の抑圧状態にも響き、第二段階で細胞・神経レベルで深い癒しと再生、第三段階で周波数の引き揚げ、「復活と上昇」)

私がいちば〜ん最初に、ヒーリングやスピリチュアルに興味を持った時に、ある方から聞いた言葉、「恐れや不安は幻想」・・・そのたった一言を信じて、徹底的に信じて来たから、ここまで来れた。

後にも先にも、メタフィジカル道を、魂のフローに乗って進んでいくには、そのフレーズを常に忘れてはいけない。

そして必要に応じて、浮上してくる、または炙り出された恐れや幻想に、対処していく。

ではでは

Love and Grace

ガンダルヴァとイシスの巫女たち

 

桜も散り始め、早くも新緑が目立つようになってきた関東。

確定申告の第二弾も、先日無事に出し終えてひと安心。頭の中を数字と簿記用語が行き交う中、なんとか書いていた日記が今朝また消えてしまって・・一旦頭をリセットして、話題を絞って再度書くことに。今日の話題は「ケンタウロス」。

アルガンザのセッションの中で、いつ頃からかちらほらと出るようになり・・自分のセルフワークでもその前後から出ていて、何だろう、と思いながら幾つかのステップを踏み、一度2015年ころ?出来たばかりの「リリスリリース」の姉妹ワークとして、「乳海のニンフとケンタウロス」というものを作って。「リリスリリース」と同じ石たちやエネルギーソース、メソッドを使って、ケンタウロスを外す、というもの。リリスを外すか、ケンタウロスを外すか、という違いで、今思えば男女それぞれのヴァージョンでの同じワークだったと分かる。

いつもそうであるように、同じワークに組み込まれることの意味を、当時はあまりよく分かっていなかった。か、当時は分かっていたものの、ここ数年は忘れていたのかもしれない。今回、先日 Info記事に書いた「イシスの巫女たちの堕落」と、ケンタウロスが改めて一緒に出てくる体感や、セッション内容が続いて、両者は関連性があるのだろうと書いていたっけ。冷静に考えてみると、関連性がある、どころか、一対のテーマなのだ。出来たばかりの「リリスリリース」に、ケンタウロスを当てはめている時点で、そこまでは気づいていなかった。

何か別のものを、同じ手法で外すのだろうと。。。思っていた。

けれど、先日のInfoを書いてからさらに、何かあったという訳ではなく、頭や記憶を整理していくうちに気づいた。ケンタウロスが憑いて、巫女たちの約半数を「堕とした」ということだ。具体的には、神に仕え、人々の為に祭祀を担う無私の、公的な立場としての巫女たちが、自我により他者を蔑んだり、権力や名声を奪い合ったり、といった、今の人間社会にも存在するネガティブな精神を自らの中に「拓いた」・・・想像力が必要かもしれないけど、当時はまだ、人間はもっと純粋で利他であったと私は考えている。

そのため、「巫女たちの堕落」は、強烈な出来事であったと思う。彼女たちだけではなく、祭祀の中にもネガティブな神的エネルギーが流れ込み、結果として社会全体が堕ちていった。人類の堕落、いくつもの段階がある中の、ひとつの変換点であったと思う。

なぜ、ケンタウロスという、四次元存在(肉体を持たない)が、巫女たちを堕としたのか。

それは、ケンタウロスたちが配偶していた「乳海のニンフ」の転生者たちが、当時、巫女たちの半数を占めていたからだということに、気づいた。

リリスの発祥に、ケンタウロスが関わっている。ならば、当時のワーク「リリスリリース」で、堕ちた女性性リリスと、堕ちた男性性ケンタウロスを外すという2テーマが対になっていたのも今、ようやく、理由がはっきりした。

そして、改めての「イシスの巫女たちの堕落」を整理していた最近、以前にもう収束したはずのケンタウロスの気配がまた、やって来ているのも納得。体感もあり、ヴィジョンもあり、セッションでも出てくるし、以前シャンバラがすべて(ケンタウロスを)収容したという情報を受け取っていたのに、また何が起きているのだろう?と、思っていた。。

理由が分かって深く納得したところで、確認作業のひとつとして、改めて「ケンタウロス」を調べてみようと、ウェブのレベルだけど検索をしてみる。すると、幾つかの情報源には、以前も調べて、ナゾの男性性の怪しい四次元存在を「ケンタウロス」と名付けた動機となっているようなものが多く目に付く中、非常に興味深い新しい情報源を見つけた。以下、引用

Gandharva(ガンダルバ=仏教が日本に伝わった際の音訳は乾闥婆:ケンダツバ=インドからギリシャに伝わりケンタウロスとして神話に組み込まれたと考えられる)

サイト「コトバンク」より 出典小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)

古代インドの半神半人の精霊。音訳は乾闥婆、犍達婆で、意訳は香神、嗅香(きゅうこう)、尋香(じんこう)。虚空に住む天界の音楽師とされ、天の踊り子アプサラスを配偶者とする。古くは『ベーダ』聖典に出て神酒ソーマの守護者とされ、雨や雨雲と関係が深い。しかし、婚礼の歌ではビシュバーバスという固有名詞となって現れ、新婦にまといつく男の精霊とされる。また、ヒンドゥー教では天の楽人となり、図像学的には半人半鳥の姿で描かれるが、しばしば人に憑(つ)く精霊として、夜叉(やしゃ)や羅刹(らせつ)などと同列視されて恐れられた。終始婚姻や性愛との関連を離れず、つねに女性を愛している。仏教に入ると天竜八部衆(てんりゅうはちぶしゅう)の一人とされ、酒肉を食せずただ香のみ求め、緊那羅(きんなら)(半人半鳥の美女)とともに帝釈天(たいしゃくてん)に奉侍(ほうじ)して伎楽(ぎがく)を奏するとされる。ときに今生(こんじょう)に死して次生(じしょう)に生まれる間の中有(ちゅうう)、中陰(ちゅういん)の義にも用いられ、天の楽人と中有の結び付きは、なおつまびらかにしえない。[原 實]

https://kotobank.jp/word/ガンダルバ-49231

これは本当に「答え合わせ」的な、画期的な説明だった。アンダーラインを引いた「アプサラスの配偶者」・・恐らくこのくらいしか、以前に「ケンタウロス」と定義づけた根拠は無かった。セッションやセルフワークでのヴィジョン、情報から分かっていたのは、「ニンフ」と配偶する男性性であり、何らかの理由で闇の存在となった、それゆえにニンフであった魂の女性に、今でもつきまとう、という内容だった。ニンフは、インドでいう「アプサラス」であり、ギリシャではアフロディーテの語源・イメージソースであると考えられる。

ジェネシス神話にも、既に「ニンフとケンタウロス」は出来た当初から書いているけど、ここまでハッキリと、こちらで感じている体感やヴィジョンと、一致する情報はこれまで出会っていなかった。(今回いとも簡単にネット検索で出て来たのだけど・・)

太字にした部分にご注目。新婦に「まといつく」、「常に女性を愛している」「聖愛との関連を離れず」これは、アルガンザのセッションで以前も今も、感じ取れるケンタウロスの性質であり、さらに言えば、自分だけが置いていかれないように、その女性の霊的な進化を邪魔している。。

それはそうだ。本来、レムリア当時は乳海という五次元の楽園で、ニンフという女性種族との配偶が常に保証され、神の膝下で、むつまじく暮らしていたところに「何かが起きて」、ケンタウロスだけが堕ちてしまった。けれど配偶者であるニンフを自分のものであるとしておいかけ回す・・ニンフたちも混乱し共に滅びる、・・というのが、ジェネシス神話に既に組み込まれている両者のストーリー。天界に住い音楽や香をたしなむ?存在であったというインド神話の記述も、堕ちる前の彼らを表すようで興味深い。

今回分かったことは、

そのニンフたちが時を経て、アトランティスの一時期に人間界でイシス神殿の巫女として生きているところへ(アトランティスでは原型ごとに転生の機会が与えられ人々が自分のレムリア以前のルーツを知っていて、それに応じて職業に就いているよう)、「何らかの理由で」霊としてのケンタウロスが解き放たれ、自分の配偶者である巫女たちに「憑いて」、引き下ろしたということだ。恐らく人間社会にその混乱、闇を招きたいという「何かの」意志が働いて、のことだろう。。

より詳しい部分、「何らかの」の内容は、改訂中のアルガンザジェネシスのバイブルに、反映させたいと思う。

ゆえに、今、ケンタウロスがまたウロウロしているように見えたり感じたりするのは、私たちの記憶から来ているのかしら・・それとも? 人類全体のシフトアップの今、原型物語が動き、各自の中のリリス、各自の中のケンタウロスが炙り出されているのかしら。。

リリスも、ケンタウロスも、性愛と結びつき、リリスはお金や経済にまつわること、ケンタウロスは精神の成長・霊的進化・人としての成功などの面で、それぞれ、対象となる異性存在の状態を悪化させる。実際に生きている私たちの中に存在している、魂の歴史に由来する、リリス性、ケンタウロス性が、今現在も現実面で共に生きる伴侶や異性に良からぬ影響を引き起こして、相手からパワーを奪い弱らせているかもしれないし、四次元存在としてのリリスやケンタウロスが、人として生きる私たちに「憑いて」いることもあるだろうと思う。

前に一時、ハイウェアで「ケンタウロス・ソースリダクション」というワークがメニューにあった。

GATのソースに、どんどん、見つけたら送り込んでいいと(笑)聞いていたので、その方法でケンタウロスをクライアントさんから「外して」、ミカエルに立ち合ってもらい、7次元に送るという内容だった。けれど、今また浮上して、情報が補強されている中で、発見したものをどう扱えばいいのか?考えながら・・ひとまずお客様のセッションでは同じようにミカエルに託しつつGATへ。また新たな直感、ガイダンスの受信があれば、シェア出来ることはシェアしたいと思ふ。。。

まあ、私の感覚としては、ずっと以前からアルガンザでは取り扱って来たテーマであるし、今回、バイブルや「アトラスハシス」により詳しく書く・・ことが、重要なのではないかと。それにしても、インドでは伝統的に「花嫁に憑く」「精霊存在」と言われていたとは。以前ケンタウロスの定義付けを、比較的すんなりと直感的に出来たのは、私の中にその記憶が、あったからかもしれない。

そうだ!大事なこと。

プラクティショナーさんたちに、数年前の「プロテクション専科」で伝授したサンスクリットの魔除・呪詛避けのマントラの文言の中に、よくよく考えてみると「ケンダツバ」として、名前が出て来ている点に注目してみて下さい。。リリスもだけど、排除すれば良いというものではないので、やはりシャンバラに委ねてソースに返していくという事になるけれど、嫌がらせは辞めて貰わないといけないので、そんな時には例のマントラも活用すると良いかなと思います。

そしてこれを読んで怖くなってしまった、心配になってしまったという方が居たらごめんなさい。もしその「怖い」が記憶や潜在意識の反応であれば、現世で起きている問題の解決の糸口かもしれません。プラクティショナーさんにご相談でも良いですし、Amari’s Work の場合は Utpalaの自動セッション(スピリチュアルコース)でも、レムリアントランスミッションでレムリアからアプローチしてみる、でも、良いかもしれません。気になる方はご相談ください。。

Love and Grace,

Amari

遺伝子の記憶 

以前、アメリカ「ヒストリーチャンネル」の番組を見ていたら、イタリアの研究チームが、「ナチスのホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)を生還した、PTSDなどの症状を持つユダヤ人」の子孫を調べたところ、精神疾患の発症率が高い事が分かった」とあった。

人間の気質は、ヒーリングの視点で表現すれば、エネルギーのデータとなって、過去生由来の当人のものだけでなく、親から、そして先祖代々受け継がれるものだと言える。

ヒーラーとしての私のイメージ(セッションでの見え方・感じ方と、神智学からの情報をすり合わせて)は、ソウルの転生データは宇宙に保管されていて、転生する際に胎児の段階のどこかでソウルが体に宿るその時に、データが移動して、オーラ第四層のコーザル体に搭載、そこから徐々に、エーテル(1)、アストラル(2)、メンタル(3)体と、整備されていく。

一方で、両親から受け継いだ遺伝子の中にあるフィジカルだけではなく、気質や本能的感覚などもまた、エーテル、アストラル・・と浸透していって、ソウルからの情報と混ざり合って、個人の特徴付けが起きていく。この辺りは胎児の段階なのか、生まれてからなのかはよく分からない。シュタイナーはどこかで書いていた(述べていた)気がする。

ホロコーストのようなかなり強いストレス、恐怖、飢餓や痛みなどの身体的苦痛を伴う記憶は、当人だけではなく、生き延びた後に生まれた子孫にもコピーされ継承されるという。より詳しく知るためにネット上で検索してみると、ホロコーストだけではなく、同じようなPTSDと子孫への遺伝を扱った研究が、世界各国の研究チームにより、報告されているようだ。

この事について、ヒーラー目線で更に考えていくと、ご先祖が苦しんだ記憶は遺伝子に何らかの変化を起こし、先天的な情報となってその後の子孫たちに継承される。ヒーリングを必要とする理由は様々であるけれど、体質だけでなく気質や、本能的なパターン、精神なども、家系の影響を受けていると言うのは、納得出来る。

今世それほど、苦労や苦痛を味わったわけではなく、平凡に幸せに生きて来た筈なのに、この常にある「空虚感/悲壮感/自己否定感/不安感/謎の怒り/疎外感/孤独感 etc.」はなに?というようなご相談は割とある。

その場合、考えられる路線は2つあり、

一つは、今世の自分にトラウマ等はなくても、過去生などの魂の記憶にその情報がある。

もう一つは、家系的、遺伝的に受け継がれている気質、である。

そして、双方は重なっていることが多い。魂は、未解決の課題を消化するために同じ鋳型、カルマパターンを持った家系や親を選んで生まれて来るからだ。

さらには、土地が持っている歴史・・という要素も、先祖代々その土地に住んでいるとしたら、影響を受けているかもしれない。

もちろん、皆が皆ではなく・・例えば古戦場近くに住むある家族が居て、代々、同じような病いや、嫁が来ないとか、男子が生まれない、などのカルマが持ち越されているとしても、ある時にキラキラと高周波でパワフルな人がその家系に生まれて来て、引き寄せでその人に同じようなパワフルな嫁が来て(笑)、悩まされて来た問題が一気に解決するかもしれない。

中和されたり・・また戻ったり・・ということもあるだろうし。私が実際に見聞きした中で、先祖が開拓・開梱していると、そこに住んでいた動物たち、特に駆除された蛇などのエネルギーがその家系に憑くということも。地主さんは神社を建てて祀ったりとされてる事がよくあるけど、やはりそういう事は大事なのだなと思う。

蛇について言えば、夫婦の繋がりが強いそうで、伴侶を奪われたりすると仇となった人間、その一族を恨んでしまうとか。

ニュータウンに住んでいて、さほどその土地に歴史は無いと思っていても、開発・開拓などで一気に広範囲の自然が破壊される時、そこに眠っていた(最近まで雑木林で隠れていたような)遺跡や遺物なども掘り返されて、昔の地主さんのような宗教的儀式をせずに工事を進めてしまう事もあるだろうから、ニュータウンでも安心は出来ない。実際に幾つも、そういった事例を聞いている。

それと、私自身が割と引越しが多かった為に、土地のエネルギーがそれぞれ全く違うことを体験するうちに、気の流れが良い/悪い なども感じやすくなっていて、最近だと事前に物件の前にその土地を見に行くようにしている。開発・開拓によって土地の性質が生かされずに損なわれている事も多々あるだろうと思う。

話が逸れたので元に戻すと・・この事は、アルガンザで基盤に据えている地球と魂の創世記「ジェネシス」世界観における、様々な原型エネルギー、原型種族との関連付けからも、説明することが出来る。家系に「〜の原型エネルギーが強め」などの表現をする事もあり、また家庭内で、家族同士それぞれの原型パターンを持って、互いに学びの為に生まれて来たりする。

土地についても、ジェネシスにいう宇宙由来の原型エネルギーや、その混合で生まれて来ているレムリア、アトランティスなどの先文明(非物質含む)のエネルギー、自然界の集合場、種族のグループ的な情報を持っていることもある。

一度、仏教徒して信仰・修行していた時代がある私としては、「先祖供養」「土地(歴史)の浄化」などのテーマでも、当時は学んだ事も多かったけれど、今はそれとは少し違ったスタンスを持っている。今ここ、の遺伝子をヒーリングによって癒す時、その遺伝子で繋がっている先祖の魂もまた、癒されると考える。同時に、誰かに癒しが起きると、同じ原型で繋がっているソウルたちの集合場にも、癒しが波及する。その逆もある。

見えないもの=霊、スピリットなど神秘的な領域 ではなく、

私たち人間の物質要素も、非物質要素も、魂も、すべてデータ(情報)で出来ているというのが、今、量子物理学などと接近してきた新たな時代期の「スピリチュアル」である。そうかと言って機械的なあり方や考え方、心や温かさをカットしたような世界観ではなく・・数学的であっても、その中に宇宙を貫く創造主の愛を感じられるような意識を、私たちが拓いていく時代が来ているということだ。

そうそう。同じくヒストリーチャンネルだったか、NHKだったか・・コンピューターを動かしている「0と1だけで表現される言語」=2進法。遺伝子もある意味、2進法なのだとか。つきつめて&意識を広げて考えると、遺伝子を始めとして、あらゆる人間の物質・非物質が同じ原理で説明が出来るのかもしれず。肉体でも、感情でも、魂でも、過去生でも、関係なく、同じ言語で記述されているのだとすれば、

インド哲学や仏教の宇宙観にあるような、宇宙の創造主はミクロにしてマクロであり、それが私たち自身である、というような話も、数学的に謎解ける日が来るのかもしれない。

今はまだ人間の知識、技術、科学的センスが追いついていない訳だけど、量子論、脳科学や医学の研究も、遺伝子の解明も、すべてが一つの法則で説明出来るはずであるし、古代インドの人々は・・少なくとも一部の哲学者や執筆者は、それを知っていたのだろう。

遺伝子に刻まれているあらゆる記録、データから、直接話を効くヒーリング、みたいな手法が生まれるかもしれないし、先祖供養や地鎮や霊媒や憑依などの「非科学的」な現象や手段も、きわめて科学的なアプローチによるエネルギー変換であるということが、理解される時代も遠からず、来るのだろうと思う。

ニコラ・テスラは電気を発明し、世界中に無料で配ろうとして阻止された。A.チューリングは二進法によりコンピュータの土台を発明したが、時代の犠牲者となって失意のうちに世を去った。それでも人類の歴史は少しずつ賢くなり、先駆者だった天才たちの偉業を少し遅れて理解し、実用化する。

これもある種のワンネスで、今ここにある世界こそが、私たちの魂が共に作り上げて来た結果である。良いことも、そうでないことも。遺伝子の中には、そんな人類・・いや、ヒト種族になる前からのソウルたちの、地球における歴史が詰まっている。

ジェネシスヒーリングのバイブル「the Genesis」の改訂作業をしていたら、時々ある、個人を超えた「歴史そのものと同化する」「アカシックレコードになる」ような感覚が訪れた。

ワンネスと言いつつも、まだ悟りに至った訳ではない私にはどうしても、固めておきたいコンセプト、自分の仕事を通して伝えるべきメッセージがある。

色々有って、良いと思う。それぞれ、の役目や立場で、良いと思う。それぞれの速さ、高さ、遅さ、低さ、自由な角度、あっていいと思う。ラジャスとタマスを行き来しながら、サットヴァにはいつか、それぞれのペースで行き着けばいい。

むしろ自分自身がそれにこだわり、世間や周囲になびくではない、自分のライフスタイル、生き方を重視して来た。

自由な人間が、自分自身としてそこに立ち、自分の足で歩いていけば良い。

けれど、滅ぼす力、壊す力、奪う力、損なう力、枯れさせる力、だけは、人類は無くしていくよう意図しなくてはいけないのではないか、と思っている。

戦争や破壊がある限り、遺伝子は傷を記録するから・・人類は負のループから抜けられなくなる。急には無くならないとしても、少しずつ創造と破壊の比率が変わっていき、いつか悲しみを伴うような攻撃や、奪い合い、戦いが、個人のレベルでも、国同士のレベルでも、起こらなくなることを願う。

Love and Grace

Amari

ジェネシスの森/「不安・恐れ・悲しみ」とオージャス

昨日の Infoブログ『イシスの巫女たち〜』から一夜明けて。珍しいほどによく降る雨の日。

最初にサロンを始めた頃、ごく初期というよりは本格的に、対面サロンに日々お客様が来るようになった奈良での活動に入った頃、現実の自分の人生には起こらない不思議な人々の感情的な反応を、「シリウス系のワークをしていると、浄化が強いゆえに起きる」現象だと考えていた。・・これは、私以外のヒーラー先生、同業の知り合いなどとも話しているので多分間違いではない。「シリウスは厳しいな」と当時は考えていた。

そこに加えて、横浜に移ってから土地系のワーク、地鎮・・というにはアルガンザの場合はもっと時空を超えているような感じだったけど、いわゆる「アースワーク」の小さい瞑想グループを作ると、何かこう、いつも参加者同士のエネルギーが摩擦するような現象も見られて、「アースワークは厳しいな」と今度は言うようになる。

そして、2017年以後、それまでとの厳しさとは比較にならないような、スパルタ的な学びを伴う仕事となったのが「ジェネシス」という概念と、その歴史絵巻に合わせて活用するためのエネルギー、光線を取り扱うという新たなアルガンザのプロジェクト。その頃ちょうどスクールで導入するようになっていたアリス・ベイリー著書群が伝える「弟子道」というものの厳しさが、まさにそれなのだと気づいて、厳しい、厳しい、などとはもう(私の立場では)言わなくなった。。。

簡単に言うと、「ヒーラー辞めますか。それとも感情やめますか。」という感じ。感情とは幻想なのだと分かっていないと、進めなくなってしまう。分かっていなくても、せめて言い聞かせながら。これは一般のクライアントさんや、ヒーリングを受けるようになった方々、学び始めた人々でもメカニズムは同じで、浄化や手放しの際には、感情や現象が飛び出してくるものだから、それに負けてはいけない、というのは基本でもある。

デトックスでは済まなくて、カタルシス(瀉血)、クライシス(危機)とさえ呼ばれる。

単に三次元で、目の前に見えている土地や、その土地の歴史・・というのではなく、次元をまたいだワークが伴う、ジェネシス層のアースワークや、個人のヒーリングにおいても、ヒトとしての転生を超えた、オーラ層の多次元にも響かせていくジェネシス層の癒しと解放は、世界観や行う側に求められる意識においても、そこで必要とされる周波数においても、「弟子道」の周波数帯にある、と言う事なのだろうと自分では思うに至っている。

「ロードオブザリング」の指輪のように、「ジェネシスの森」に入ると、自分自身のエゴのささやきが増大する。それぞれが持っているいまだヒトとしてはバランシングに至っていない要素が、原型同士の不協和音として際立って来て、ジェネシス神話に登場するネガティブな原型エネルギーや、ネガティブな影響力で自分に害を与えるモノ、のように見えて来てしまったり。感情の、更に奥にある潜在意識に刻まれた記憶が、響きを増大させて自己主張をして来たりする。

小さな感情の、感性のタネのようなものが、数千年、数万年越の問題に癒しのチャンスが訪れた時、大騒ぎするのだ。昨日のInfoで書いたように私自身の場合、クライシスというレベルでそれが起きたのは、「アトランティスの後期エルフたち」情報が出て来る時だった。

その仕事をひとまず伝授という形で終えたからといって終わりではなくて、寧ろそれから何年か、エルたちの喪失感や、破壊者への怒り・憎しみ・嫌悪感、失われた純粋なものたちへの同情心などが、引出されるような現象化と、それを手放し時空を超えて乗り越えていくプロセスも続いて、その後の確認作業も済んで、という所に、私の場合は去年の4月、10年ぶりの「シャンバラ」の学びがやって来た。

それ以後は、セイクレッドレイキの『純白マーラ』のような感じ(笑)・・

アーユルヴェーダの聖典「チャラカサンヒター」によると、生命を輝かせるエネルギー成分「オージャス」が、心臓に8滴、蓄えられていると伝えている。これは微細な物質とのことで、エネルギーだと考えられる。そして体の免疫機能や心の力、脳の働きなどに強く影響を与える。

このオージャスを減退させてしまう原因としてあげられる中に、感情面では3つ。「不安・恐れ・悲しみ」とある。怒りや憎しみではなく。オージャスとは生命を生き生きと輝かせるものだから、ラジャス系の感情(怒りや憎しみ)ではなく、ハートの力を弱めるような感情が原因となるようだ。「不安・恐れ・悲しみ」

心臓に存在するというオージャス。それに関係すると思われるハートの愛の力、自尊心などが低迷すると、免疫力や感覚器官が調子を崩し、病気や老化がもたらされる。それだけではなく、「知的能力を損なう」とも書かれている。

病は気から、というのは、この心臓にある「オージャス」と関係がありそうに思う。

本来、愛であり善であり信であり、純粋性に貫かれていた魂たちが、いかにして心や体や社会に病み(闇)を受け入れるまでになっていったか。そこを取り扱うのが「ジェネシスヒーリング」であり、ジェネシス概念をベースに、本来の魂の力を取り戻していく処方箋が、様々なアルガンザワークのエネルギー、メソッド、光線である。

参考文献:「本当の自分を取りもどす アーユルヴェーダ」(Gaia Books)

https://lumiereblanche.shop/?pid=172567039

Love and Grace

Amari

地球が緑の星の理由(昔は紫だった!)

前回の日記から、なかなかその後も「時空のはざま」の感覚が続いて、一方で仕事はありがたく忙しくて、Diaryを書くゆとりのないまま・・2週間くらい経っちゃったかな。本当は短くてもいいから日記らしく毎日書けると良いと思ふ。

昨日は「ストロマトライト」の丸玉をショップに出した。30億年前に生まれた地球最初の生命=シアノバクテリアが作り出す「ストロマトライト」という形態。それが化石化して、ジャスパーとなっている石。シンクロは日常的に起きるとはいえ、自分ながらに驚いたのが、夜に空いたちょっとの時間に何か見ようと、契約している配信会社(サブスクとか今は言うのかな。subscription)のホーム画面を開いて・・

普段見ない領域へ入っていって、何となく、こういう時は手が勝手に。うろうろするうちに辿り着いた「ドキュメンタリー」、BBCの自然系ドキュメンタリーから「緑の惑星 地球進化の謎」というよく有りそうな邦題に訳されたシリーズをポチっと。NHKオンデを通して時々好んで見るような、BBCらしいセンスよく知的なそれでいて愛嬌があって楽しめるドキュメンタリーだった。始まって数分でストロマトライトが出て来て感激。

以前「石巫女」クラスで地球の始まり、いや太陽系の始まりからザザっと学び、海が、陸が、鉱物が、植物が、そして自然界が出来ていく流れを追いながら、超大陸パンゲアを中心に、地球という生命の歴史を探究。その橋渡しとして石たちに語ってもらい、地球のあゆみを鉱物界の視点、あるいはそのバックに(内部に・上空に)ある、高次の眼差しに触れるという試みを。後で思えばこれは数年後にまとめる「ジェネシス」の準備だった。当時はまったくそんな意識はなかったけど、ひとつの目的に向い、多方面から準備が進んでいたのだ。

そう、そんな「石巫女」ではもちろん、ストロマトライトも取り上げていて。私が持っているドイツ産の磨きものを教材にしたりしてたけど、まさか!!別の回でゲスト出演した自宅の巨大丸玉が、ストロマトライトであった事を当時は知らなかった。今回、アフリカから直輸入する際に「カンババジャスパー」が「ストロマトライト」であると知って。とても重要な鉱物であることは知りつつ、先日のインスタから、昨日のUP時にはサラリと書いてUPしたので何か物足りなさを感じていたところ。昨夜の番組で不足を補われたので、まずはここにメモしておこう。

ヘマタイトが赤いのは「地球で最初に出来た酸素に触れた」鉄鉱石であるから。という話からスタートして、地球誕生から間も無く出来た海。太陽から強烈に降り注ぐ強すぎる紫外線を、海水が防いでプロテクト。ゆえに生命は海から生まれた。

30億年前、海水の中で生まれたバクテリアは、紫色だった。塩水を含む湖、そして殆どの地球表面を覆っていた海の全体に広がった。当時の地球は宇宙から見ると、紫色だったそうだ。それが少し進化?した、あるいは変容した形で、深海で生まれたバクテリアは、その深さでも届く光の中で「たまたま」ある色だけを吸収し、自ら染まった。それは「みどり色」。

このシアノバクテリアが、現在地球上にひろがる「みどり」つまり植物の祖先になった。そして、地球は「緑の星」になったというわけだ。

紫のバクテリアには出来なかった光合成を、シアノバクテリアはするようになる。それにより酸素が地球の大気に、それまでは薄かったものの、増えて、どんどん増えて、やがて形成されたオゾン層。このオゾン層が、太陽から届く有害な影響を防ぐプロテクションの膜となって、準備が完了。安心して生命たちは、海から陸に上がるという冒険に踏み出した。

(この先、ストロマトライトとは関係ないがメモをつづける)

それから遥かな時が流れ・・・陸に上がったとは言え、沿岸部でホワホワと揺れていた不思議な形状の「植物」たちが、根っこを生やすというイノベーションが起きたのが4億年前。陸といえば当時は岩石ばかり。砂や土はまだ無かった。この「根っこ」により、植物は効率よく水や養分を吸収できるようになり、彼らの働きで(枯れた植物、雨、岩石などの反応が起こり)土が作られた。1000年で2センチしか作られない土。さらに長い時間をかけて地球全体に土の層が広がる。

そして葉っぱを持つという再びの植物界のイノベーション。太陽光や雨の水分、摂取する空気中の炭素を効率よく吸収することが可能に。

3億年前、つまり根っこを「開発」してから一億年かけて、「森」が出来た。それにより、豊かな陸の世界を目指して海の生き物たちが陸に上がる。

ちょうどこの辺り、「ジェネシス」では超大陸パンゲアとその関係で展開している「アルカテラス」文明の時代で、上空で暮らす移住者たち(アルクトゥルス、シリウス人たち)は、地表世界の面倒も見ていた。恐らく「根を持つ」「葉を持つ」「森ができる」などの植物界の変異の影で、宇宙光線や遺伝学の知識を導入して刺激を与えていただろうと。けれどこの頃の自然界は、今とはかなり様相が違う。何もかもが大きい。今のような自然界になる為には、そこから先何度も、地表世界は大量絶命のクライシスを体験しなくてはならない。

1億5千万年前ころから、巨大化した恐竜たちと、植物界の生存競争が起きていた。大量の植物を食べる恐竜たち。そう、肉食獣は少なくて9割の恐竜は草食とのこと。危機を感じた植物界はトゲや硬い殻などを生み出し、身を守る策に出る。が、6500万年前、よく知られる最も最近起きた大量絶滅のキッカケとなった隕石落下で、恐竜は絶滅。その後もこの番組はvol3まで続く。花の誕生、草の誕生、と。

最初に提示されていたテーマ、そして最後の結論は、「地球の進化は植物界が導いている」というもの。確かに確かに。

花や果実、草を生み出したことで、その後、哺乳類が栄えて今に至る。

植物界を危機に晒すと、6500万年前の恐竜たちのように、人類のほうが絶滅させられるのでは?と思う。

植物界をベースにした生存の仕方が、望ましい。と、個人的には思う。森や草原の恵みの中に、私たちが住まわせてもらっている、という意識が。

植物界のお役に立つような発展の仕方をすれば、人類も地球で生き延びることが出来るのではないか。

もう一つ、この番組で取り上げられていた「シリカ」(珪素)。砂の主成分ということだけどつまり地中、鉱物界から、植物の根、それを食べた動物たちの糞、という流れで大地に。それを新たな種族の植物「草」が取り込み、自らのコーティングに使っているという。それを食することで?哺乳類も進化してきて、人類に至る。人体が珪素、シリカで出来ているというのはそういうことか。もちろんシリカといえば水晶、クォーツだ。

元素としてのシリカは確か、八角系だとか。ここにはアルクトゥルス・リラが共存した「天空文明」(アルガンザのジェネシスで想定している10億年前の非物質「文明」)を感じるし、水晶は形状や構造からしても六角形、6の数字、つまりシリウスが関与しているとわかる。

ジェネシスでまとめてきた地球の歴史を改めて確認できた気がした。

「ニンゲン」であることに(意識が)こだわるか。「自分はかつて植物、いや元素だったかも?」くらいに頭が柔らかいか。・・何となく浮かんだのは、地球という生命体そのものやその歴史、酸素のある地表つまり植物界の温存を意図するか、人類のことだけを考えて「地球がだめなら他の星へ」と考えるかで、未来、あらゆる分野で道が分かれていく気がする。前にも書いたけど・・物凄く大きな分岐点だ。ある種の思想、もしかすると哲学的、宗教的な分岐となって、人類を二分するかも。

地球温存主義、と、人類優先主義。二極化はいろいろな層や切り口で起きると思うけど、これが遠い未来、最大の二極化現象となって、人類を二分するのではないかという気がする。自分が魂であると知る人は、「今はたまたま人類ですが」と分かっているので、前者になるだろう(無意識であっても)。他人ではないのだ、植物界も。藻類も。地球のすべてが、自分たちなのだ。

だから上の「二極化」を言い換えると、人は魂なのか、物質人間なのか、という事になる。

思想の二極化はすでに始まっている。物質人間として新たに物質的創造物を生み出し(機械、AI)、人類が「神」になるという流れ(風潮)を、止めることは出来ずとも、修正することは出来るか。「植物の星、地球」という概念は、そのキーになるはずだ。

Love and Grace

Amari

脳・意識の自己管理

1月「白い聖堂」シャンバラのその後のトレーニング期間が続いているよう。学んだことは、今までと同じように対処するのではなく、学んだ通りに対処できる自分に切り替えていく。けれど人間、そう簡単には切り替え出来ないから、学んでいる時こそ、うまく切り替え出来ていない時こそ、繰り返し練習問題が来る。というのが、シリウス式だ。

 

アルガンザのグループで、恐らく5年以上かけて取り組んできた(そんなつもりは無かったものの向き合わざるを得なかった)リリスイワナガ問題が意外にも「セラフ」という帰結点に到達したことで、「なぜこういう段階のモノが自分に来るのだろうか?」とずっと思いながらだった、女性性の四次元的なモノによる襲来・・は無くなった。年末あたりに書いていた「月のセラフ」や「イシルコン」を理解出来れば、そしてそれを自分には関係ないと思わずに、自分の一部として受け止められると、この課題からは抜けられるようだ。

その一方で、脳の潜在意識にこっそりと送信するようなタイプのストーキングは、これからの時代のサイキックアタックの主流なのかも。というか、古来、その手のマジックにも含まれていただろうし、日本のダークな祈祷のようなものでも行われて来ただろうと思う(今でも)。何となく意識が下を向く、自分や信頼すべき相手(家族や仲間)をなぜか急に信じられなくなる、など。人によっては健康にも影響が出る。

 

インセプション」という映画を見ておいて良かった。(以前の日記に書いています。タイトルから探してネ)

自分自身がしっかりしている人、やれるだけのことをポジティブに日々やれていると自負する人は、おかしな周波数が来た時、それが自分のものではないと感じることが出来る。今世まったくスピリチュアルに関わっていなくても、過去生から既にしっかりしている人は、人格レベルでそのようなものをフっと振り払って、常に爽やかな世界で生きているという人もいる。

 

多くの人はその過渡期にある。私が初めてダークなマジックが集団に作用する現場を経験したのはもう10年以上前のこと。賢い人たちの集団だったから、既に気付いて教えてくれた人たちが居たので助かった・・けど、途中からはエナジーワーカーとして対応するステージで、もう人にはシェア出来ない話をひとりで抱えながらのことだった。そこでやっぱり、もっとも顕著だったのは脳への情報の注入・・で、

ヒーラーをやって来て既に長かったので、私の場合は最初にそれを感じ取った時(まだ、他者から情報が入る前)、上空から暗い雲のようなものが流れ込んで来るのが見えていた。その瞬間、ズン・・・と波動が下がって、同時になぜかとある人の顔が浮かび、急に「信じられない」という不安が湧いて来たのだった。立場的には、信頼出来なければその集団にはいられないという立場の方。特に直接なにかあった訳ではなく、それまでは寧ろ互いに信頼感が築かれつつあったところに、まさに降って湧いたように起きた現象だった。

 

後から思うと(人からの情報もあって)、あちら系のマジックで、送り込まれた力だったのだろうと知った。昨日のツイートにも書いたように視覚化が出来る(自然と起きる)ことは、身を守る重要なスキルである。ちなみにそのマジックの意味をまだ知り得ていない後日、実際にコトが起こって、その(急に不信感が湧いてきた)方と対峙することになった・・が、その過程で、ヒーリングで学んで来た信念と、あるべき人としての善や愛の力を頼りに、ハートを開いて話し合ううち、善なる力の介入もあり、事無きを得たのだった。要はそちらの力は、私(こういう仕事をしている)をそこから追い出したかったのだろうと思う。

経験から、善なる意識を持った人たちが二人、ないし三人以上で団結すると、そちらの力に負けることは無い。孤独になってしまうのは危険。

 

その手の力が働く時、空気が暗くなって、エレベータで降るようにずんずんと下がっていく体感、足が水に浸かるように冷える体感などもある。そして急に人々は不安になり、悲しくなったり、不信感を吐露しあったりし始める。グループや、集団、プロジェクト、(時にはカップルや家族などもあるかも)を分離させるのがそちらの目的だから、である。過敏な人がいると実際に体調や、さらに悪いケースは精神を壊す。ウツになる、など。

そういった介入の始まりに、インセプション的な・・・脳の、特に潜在意識レベルの「何となく」の層に入り込んでくる。それに普通に操作されていてはエナジーワーカーとは言えない。常にポジティブ=自分 という自己イメージを、スタンダードに出来ていれば、「あれれ、おかしいな」と気づく事も出来る。

 

そんな操作が、もしかすると社会全体でも掛かっているのかもしれない。

けど、笑顔で爽やかに自分を生きている人々はたくさん居る。その段階まで、抜けることが大事。

となると結局、自分自身の弱点や、欠点を、直して成長していく他ないということ。何より悲しんだり迷ったりしているのは良くない。弄ばれてしまう。

脳のプロテクション、これからのスピルチュアルのテーマになるだろうと。チャクラやライトボディの管理とともに、意識に入れていくべし。

 

Love and Grace

緑豆の花

関東はようやく「恵みの雨」。個人的なガイアワークを行なうために出歩いていた或る日。当日は雲一つない青空で「おしるし」は出ないのかなと思っていると、翌日はほぼ一日、盛大にイシルコン系の雲が広がっていた。先日Info に書いたような大規模なワークが起きると、信じられないくらいにエネルギーがスッキリして、「ああ、ひと仕事終わった」と感じられるものだけど、今回はそれが無いまま、翌日、さらに翌日と経ち。

おかしいな、と思いながら翌朝に出ていた「イシルコン系」の空模様の写真をよくよく、スマホではなくデスクトップのMacの大画面で見てみると、おしるしが出た、と安心していたものの、決して空の様子もスッキリしてはいなかった。珍しく全ての方角に、それぞれ長細くたなびく、羽毛をもつような壮大な「ナガ系」の雲が広がっているけれど、炙り出されただけで、先日の(白い聖堂の翌日の)ワークのように昇華されていく自然界のエネルギーたち、主たちを見送ったという訳ではないことに気づいた。

そうなんだ、きっと、アルガンザの関係するある程度の範囲でワークしたのが、過日Infoに書いた内容であったけど、更にその外周や、もしかすると世間全般か、少なくともより離れた集合場のグループで、同じ系統の作用の波及が起きていますよ、という、空模様のおしるしだったのかもしれない。そう思うと、昨年2月にやはり同じように、最初は個人レベル、さらにアルガンザの周囲のグループ的なソウルの集合場、さらには世界全体?と、同じ原型テーマが波状に規模を広げながら伝わっていくような感覚の中で、Face Book に同じような空模様の写真を載せて「戦いを感じる」と呟いていた直後(翌日だったかな、)ウクライナ侵攻のニュースを耳にしたあの時によく似ている。

炙り出されたけれど、その波及と浄化と昇華はこれから起きていく。そういうことなのか・・と、画像を整理しながら感じていた。

と同時に、確か「火星逆行」が1月13日までだったっけ、と気づく。今日は14日だから、昨日までということか。そう言えば昨日の夕方ころ、急に何とも言えず不穏な「天が落ちて来る」という感覚で次元が、時空がゆがむような数分間があり、「これは何だ?」と思っていて・・昨夜、就寝前に瞑想をしておこうと座ったらば、火星的な(戦い、争い)エネルギーの集合場の乱れ、のようなものを感じて、これは寝てられないな・・・と、3時間くらいずっとワークをすることに。その中で見えたメッセージ的なものや、体感などから、ちょうど今見ていた韓流時代ドラマ「緑豆の花」の影響もあるかも・・少なくともそれが刺激になって、

130年ほど前、世界の作り替えの激動期のアジア情勢や日本軍のイメージ、さらには中国、朝鮮半島、日本列島の古代からの人種や人の往来、混血、文化や宗教がかつて日本で合流していく、良くも悪くも「日本」が作られていく歴史の流れとカルマ的エネルギーを、アカシックを通じて受信しているような状態になっているかも・・・と、3時間ほど経過したところで気づいて(!)

その後、自分が普段周りに置いて寝るような高波動の石たち(マスターウラルたち、ウラルの水晶、トパーズたち等)をいつもどおり配置したら、問題なくスイっと周波数が上がって眠りに就けた。。自ら見に行ってはまって何をしているのだろう?という感じだけど、上に書いたウクライナ戦線と同じように、というかそれ以上に、日本、半島、中国・・つまり東アジアでの情勢は、いつ表面化するかという所もあって、まだ先だと思っているけれど、水面下では着々と進んでしまっているのか、まだエネルギーレベルの情報を察知しているに過ぎないのか、色々と考えさせられた。

『緑豆の花』は、

1894年の日清戦争のころ、明治維新後の日本が「文明国」として「急成長」し、西洋の列強の真似をしてアジアの覇者になろうと動き出した最初の足がかりとなってしまった、朝鮮の、李朝末期の人々の戦いを描いている。史実に基づいて作られた、どこか日本の大河ドラマ的な真面目さをも感じさせる韓国ドラマだ。とは言え、スピード感と、恋愛なども程よく絡め、サイコパス的に壊れていく主要キャストの描き方などはやはり、韓流ならではの仕上がりで、面白くて全48話(1話が30分)、1日2話ペースであっという間に見終わった・・けれど、実際の歴史という明確な軸があるせいか、とても長く見ていたような感覚が残り、歴史体験をした、新たな体験が記憶に入ったという感じさえあった。

韓流ファンの日本人女性の方々からは「暗い」「男くさい」などの理由で、見れなかったという声もあるそうで、考えてみれば私は「ゲームオブスローンズ」などを全編見ていたし、『緑豆』を見て「暗い」とはまったく思わなかったけれど。確かにずっと、歴史に基づいた戦乱の積み重ねなので、好みに合わない方もいらっしゃるかとは思う。何しろ戦闘つづきで、リドリー・スコット作品のような戦場のリアルな描写のようなものは見ていて辛い。

日本人は見ておいたほうが良い。大日本帝国・・の所業、知ってはいたけど、侵略された国の人の目線で見ておくことは、重要だとも思う。初めての韓流ドラマとして「チャングム」を見た時から、おかしな倭人たちが出て来てチャングムに迷惑を掛けていたっけ(笑)・・その時から、いつかちゃんと時間を掛けて、李氏朝鮮王朝をいかに日本が侵略したのか・・を、勉強しなくてはと思っていて。だいたいの韓流時代劇では侵略者として登場するのは中国の各王朝な訳だけど、秀吉軍の侵略から300年振り、滅多に来ないだけに日本の侵攻、上陸はインパクトが強い。

ずっと李朝の、それ以前の高麗、さらに三国時代の歴史ドラマを見て来ていると、綿々と続いてきたその国の歴史を、蹂躙しにやって来ることの罪深さが、ただただ日本で歴史を習った時とは比べものにならない感覚で入ってくるものだ。

もちろんドラマはドラマなので、変に感情的になったりはしない。静かな気持ちで48話見ていたけど、戦争に良いも悪いもなく、侵略に言い訳や綺麗ゴトなど、無いのだよなあ。。と。日本に限らずどこの国でも、いつの時代も、戦争に正統な理由など存在しない。ただ仕掛けた者がいれば、正義や国の権利のために応戦しなくてはならず。いやはや、せっかくの生命、人生、なぜ闘う事に費やさなくてはならないのか、人間のサガを改めて悲しく思う。革命軍を組織し、国に代わって立ち上がり戦った市民たちの実話。東学党の乱、農民戦争、と呼ばれているらしい。

物語は実在する東学党の革命軍の主幹的な人々と絡む形で、ドラマの架空の人物である「ペク家の兄弟」が中心軸として描かれる。兄だけど庶子であるイガンと、弟のイヒョン。逞しく荒くれ者のイガン、理知的で理想主義者のイヒョン。ドラマ冒頭では、父親(ブラック系のどうにもならないような人格)の影響を受けて、悪行が多かったイガンは、革命軍との出会いにより改心、義兵として成長していく。一方で貴公子のような一家の自慢の息子イヒョンは、時代の変換点の混乱の中で受けた傷により、人格的に壊れてどこまでも落ちていく。時代の犠牲者、という役どころだ。

良かった点。革命軍の男たちがかっこいい。まあそうだよね、それが醍醐味のドラマだろうから。イヒョンの壊れ具合は、痛々しいを通り越して、お茶の間もちょっと辟易するほどのサイコパス振りで、同情できる余地がないほどだった。けど、アルガンザの世界観で「ブラックソウル」と呼ぶ、ハートも血も涙もないようなタイプは父親の血筋で、けれど父親よりはずっと薄まっていて(母が比較的まともなお陰で?)・・父のように完全に魔性に自分を明け渡すようなことにはならず、何とかその性質の遺伝的な連鎖を断ち切ったという終わり方。

父親も次に生まれる時には、だいぶ薄まって人間らしくなることだろうと思わせる。同じ父から生まれつつ(異母兄)、母親の太陽のような?性質を受け継いだせいか、イガンは闊達で、底抜けに頼れるヒーロー的人格に成長していく。

もう一つ良かった点は、女性陣がみな強くてしなやかであった事。女性キャストはそれほど多くはないが、男性をしのぐ真っ直ぐさ、安定感で、「男らしい」女性たちが見ていて安心出来た。

それにしても・・「日本軍め、もう辞めてくれ」と何度思ったことか。王統や歴史はその国の精神、真髄のようなもので。フランス革命のように国民自らが倒したという訳ではなくて、弱体化・腐敗化していたとはいえ、他国からやって来て歴史あるものを簡単に壊すなんて。清朝の最後も同じく・・・ 世界中同じような事はたくさんある訳だけど。戦争をしない、他者を侵略しない在り方、存在の仕方を人類が学べるのは、いつなのだろうかというため息と共に。

それでもまっすぐしなやかに自分を生きようとする陽であり善である人々の心の強さに、静かに胸打たれつつ、見え終えたところ。

しばらくの雨で、火星的な力の強まっていた時期に、炙り出されたものが鎮静されるのだろう。乾燥も程よく収まって、バランスが取れることを願ふ。

Love and Grace