変容期に湧いてくる、悲しみ、あるいは怒り

今回の「白い聖堂16」(20239月)は第三チャクラでのフォーカースが(当日セッション中だけではなく前後も)あったことを実感する。今は5日が過ぎて、チャクラの混線からくる息苦しさのような症状は消えて、周囲のライトボディも穏やかに落ち着いた感触。今回はなぜか、ピリピリした泡のようなものがオーラ体を刺激しているような体感、急な(不快ではない)ゾクゾク感(オーラの器が拡大する時の反応)など、直前〜事後もいろいろな体感が、さりげなくずっと続くような。変容が激しい時なんだろうな・・

 

それと、当日のセッションの直前、修了後、翌日、さらにもう一度くらい・・突発的な「悲しみ」がお腹の真ん中(第三チャクラ)にジュワっと出て来ては、数分〜数十分で自然と消える、を繰り返していて。普段、自分の現実や過去感情含めてまったく身に覚えのない、何かキッキケがあった訳でもなく急に浮上する感情的エネルギーというのは、誰か他の人の、特に第三チャクラの背中側からコードで繋がっている身近な人々の感情が自分に伝播している、というケースが多い。

同じく身に覚えなく急にやってくるけれどもう少し長時間つづく、全身の周囲、オーラ第二層のアストラル(感情)がその感情で染まり、全身で自分もそれに囚われるような現れ方をすると、「現実の自分には理由はないけれど、過去生やジェネシス層の大きめのストーリー、カルマパターンの浄化、解放が来ている」ということもある。これは、人格の自分にはまったく理由が分からないながら、抗えない悲しみや恐れなどに包み込まれて、長時間(2〜3日とか、長いと1ヶ月とか)続くこともあるかも。・・ジェネシスの原型神話が出て来た時、のような、稀に大規模なケース。

 

で、実はもうひとつあって・・・

最近では滅多に無かったから忘れていたけど、今回上に書いたような『突発的な悲しみがお腹の真ん中(第三チャクラ)にジュワっと出て来ては、数分〜数十分で自然と消える、を繰り返し』ということが、忙しく仕事をしている中で起きて、消えていくからまあよいか・・と思っていたけど、だんだんと理由を(過去の自分の事例から)思い出して来て、思考の中で繋がった。

仕事の上では良いほうへ、前に進んで行く時。そのための決断をする時。さらにソウルの仕事を前に進めて行く時。その直前、数日間くらいの期間上がってくる、できればその流れを止めたいと願うエゴセルフによる悲しみだ、と気づいた。細かい部分思い出せないけど、過去に何度かあった・・・現実も、仕事も、急流に乗って変容し続けていたころ。

 

当時はそれでも勢いに乗って、若かったし、実際に自分が何かを(連続するワークなどを)受講していたり、伝授を受けていたり、これが正しい道・・とはっきり分かっているレールの上に乗っていたから、悲しみ、に限らずなんらかの感情の浮上があれば「浄化だわ、浄化、浄化」で、前に進み続けたんだろうなと思う。今では自分自身で仕事も私事も決めていき、進むも止まるも、今後どうするかもすべて自分で判断・選択する段階に仕事人としても、個人の年齢や立場的にも、なっている訳だけど、「迷う」という余地はなく、ソウルの計画がなるべく前に進むように常に、人格部分を動かしているという状態。

だから、言ってみれば、潜在意識のようなレベルで、顕在意識化さえしない・・というか、取り上げようとしていない、パーソナリティの「声」が、ジワっとした悲しみとして上がって来たのだろうと。

 

人間界で生きていると、「何かを選ぶことは、別の何かを諦めること」あるいは「選択することは、もうひとつの可能性を捨てること」という言い方がなされるように、確かに生身の人間は万能ではないから、限られた時間や自身のフィジカルな現実の中で、出来ることを選び取っていかなくてはならない。

アルガンザが伝えているような「ソウルで生きる」ことは、アリス・ベイリー著書では「弟子道」という、高次元のマスター界の「弟子」であるというくらいの、人格にとっては覚悟がいる「道」である訳で、それが時に、(選択されないほうの現実への愛着やノスタルジーゆえに)悲しみと感じられたり、人によっては怒り、が浮上してくるものだと思う。

 

2〜3年は忘れていたその感覚が、久しぶりに浮上していたのだと感じた。「ソウルの仕事が前に進もう」としている時、毎回ではもちろん無いけれど、エゴセルフは悲しむ。ことがある。けれどもちゃんと分かっているから、ほんの数分だったり、数時間だったり。そして第三チャクラがそのあたりを整理する役目を担っているため、第三が反応したりする。(消化器系が今回、不調のような症状が出ていたというご報告も幾つか。実際には第三チャクラの、情報整理部門が頑張っていた証だろうと思います)

逆に。ヒーリングを受けていたり、メタフィジの勉強をしている人も、ヒーラーの仕事をしている人も、時折浮上してくる、大事な変容期だからこその人格部分の訴え・呟き・ため息のようなもの・・・・に、負けずに、「それだけ大事なステップなのだな」と感じ取って、躊躇わず前に進むことの大切さも強調しておきたい。

そうでもしていかないと、「ソウルで生きる」の道に乗ることは出来ないから。

 

そして、その時々の感情の山を超えてみると、「大した事では無かった」・・・と、リニューアル後の自分の目には映る。そして、エゴセルフのため息も統合して、前に進んでいく。その繰り返しで、人は個人としても進化していくし、社会や世界も変わっていく。

いつだって、成長や、調和への道、真の豊かさ、創造的なあり方・・を阻むものは感情反応であり、それを理由に、せっかく訪れている大きな変容気、変換点を、迂回してしまうのは勿体無い。もう一度螺旋を巡って一周してくるまでには、長い時間や、以前の選択から意識を改めさせるための現実の出来事に遭遇する・・などの、少なからずの労力と時間を要する。迂回した先で流されて、果てしなく遠くへ行ってしまうこともあるかもしれない。

日々の意識とセルフワークで、「自分」を構成するいろいろな要素、それぞれの声や反応を聞き分け感じ分けられるようにしよう。悲しみや怒りや混乱が浮上して来ても、それは、ソウルの仕事が今より更にうまく運んでいる軌道に乗るゆえの、人格の呟き、抵抗、自己主張であると判別することが出来れば、ソウルセルフの選択をする事が出来るし、人としての成長進化の波に乗れる。それは決して、パーソナリティを「犠牲に」することではない、と、経験から学んでいこう。

 

ちなみに・・(宣伝ですが)世界樹ブックス『ガイアナ神謡集』が「魂で生きるか、人として生きるか」をテーマにしています。両者の間で揺れ動くヒロインの星座を天秤座に設定しているくらい(笑)長い物語の間ずっと、その問い、感情と高次意識の間で揺れ動く心理が、ヒロインだけではなく主人公たちに。『ハピの巫女姫』は「女性性の癒し」をテーマとしますが、やはり同じく神性と人格のせめぎ合いはずっと、主人公の中では続きます(こちらのヒロインは乙女座)。。。ぜひ読んでみてね。(先日在庫切れを補充しています^^)

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Love and Grace

Amari

 

 

「中途半端」が折り合い点。

昨日、マンスリーイニシエイション vol3「ラファエル&サンダルフォン」を無事に終えて。

程よいタイミングで「報告」記事をinfoに出す予定。その前に、自分自身のヴァージョンの記録をしておこうと思う。参加者の皆さんへのご報告の中で、いつも割と自分自身の体験を書いてしまうけど、匙加減は難しい。今回、自分の中でテンポよく今回の効果が実感できて、次の動きが始まったので早めに刻んでおこう。

前回は、前日夜と当日朝、2食抜いたプチ断食で臨むことになった「メタトロン」。

今回は、とても穏やかに前日、当日の準備段階も。ただ、「月セラフ」の「その周辺」記事を事前に書いていて、それに関係するのかなと思われる集合場の感情の波のようなものが押し寄せたのが、1日の朝。これは、セイクレッドレイキのワークで数十分でリリース。(抜群の効き目)

終了後のツイッターで呟いたように、終盤は妙に涙がこぼれて、けれど自分自身のことではなくて。これは、石ラボ前期の最終回と同じくで、セラフのソウル全体に対するシンパシーというか、地球で、この次元でヒトとして生きるなんて、ほんと大変だよね、という部分への共感と、同情というか。共振。

そしてとても中途半端に、今という時期を感じている自分自身を、5次元のワークの中でも実感し、客観視、でもその中途半端さであるからこその、人間界だよ・・という、やはり「石ラボ4」以来の、パーソナリティの言い分に、ソウルが折り合いをつけるような感覚、ちょっと切ないような胸の震えとともに、ワーク終了。

そんな中途半端な震えも含めて、何かスッキリと一山超えた感覚があり。ツイートしてみた・・・が、そう言えば、1時間くらいうまく作動せず、何度も試してようやく投稿出来たのだった。。(今水星も逆行しているそうだし。)

中途半端さ、でもそれが折り合い点。という、切ないような、黄昏のような、感覚ではありつつ、意識は安定して元気だし、目を見れば自分の調子が分かるけれど、ワーク後の漲った澄んだ感じがあったから、自分ではあまりその「切なさ」を気にせずに受け入れて過ごして。

一夜明けて・・今朝。切なさが増幅して、セラフっぽい悲壮感と謙虚さを通り越した自信の無さ、に変わっていたので、「ああ、これはグループワークで関係した皆さん、だけではなく更に広い範囲で、抱えている『セラフが人間界で生きることで味わい、積み重ねてきた気持ち』の集合場からの受信だな」と思って。

同時にやはりそれは私自身が若い頃にたびたび陥った穴だなと思い出していた。今では、それが「セラフの鋳型」によるものであること、それが家系的に受け継がれること、対処する光線やワーク、その「型」を持つ人や家系にどんな力がどのようにして抑圧をかけてくるか・・の、パターン、そしてその背後の歴史や神話レベルまで、知るに至っている。

若い頃は、ただ翻弄されるしか無かったのに。

そこに、しみじみしていた。

こっそりと予告。ラファエルの次は、ミカエルです。

理由などはまた、infoでの「報告」記事で!

Love and Grace

結果ではなくプロセス

結果ではなくプロセスが大事。・・最近いろいろな所でそのメッセージに出くわす。自分でも何か(ワークのレポートとか日記とか?)に書いた気もする・・「聖堂」でも同じような学びを感じていた気がするし(記憶が定かじゃないけれど)幾つかの本やウェブなどでも目にした。

極め付けが、少し前に読んでいた(この日記でも紹介した)A. ベイリー『新時代の弟子道』の中で。「弟子たちへの語りかけ」という副題がついているこの本、アリス本の中でも、一部の特定の「弟子たち」に対する、常に情報源となるジュワルカルからの「指導」=語りかけ、になっている。

前書きや、本文中「アリスベイリーによって削除」という部分があったり、ジュワルカルの言葉の中にも「(率先して学んでいるはずの)貴方がたのほうが、一般の生徒たちよりも仕事が出来ていない」ような苦言が登場していて、アリスさんも、ジュワルカル始め、指導にあたる存在がたも、常に苦労されていたのだろうな・・・と、沁みるように共感する。(笑)

「一般の生徒たちよりも・・・」の部分は、私はよく自分でそんな気分になることがある。そして「一般の生徒たち」よりも難題の中に投じられているのだから仕方ないじゃないですかあ、先生・・という気分になって、その後、「でもそれを(無意識だけど)選んでいる、好きでやっているんだから仕方ないな」と落ち着く。ヒーラー人生はずっとそんなことの繰り返しだ。つまり、「結果ではなくプロセス」をよくよく理解していないと、浮かばれないような気分になってしまうので、肝に銘じる必要がある。

一般の世の中、男性的な社会は結果重視で、特に数字がものを言う。けれどスピリチュアルな世界ではそうではない。究極的に考えれば、今日、いまこの瞬間、どのような心や意識で存在しているか・・・のほうがずっと重要で、色々なことが起こる中を、切り抜けながら、いかに良い状態を保持できるか、成長振りが試されることの積み重ねが、ひとつの「人生」として存在している。

あなた方が人類への奉仕に専心することで自分自身と私(ジュワルカル)を忘れるようになったとき、私はあなた方に満足するであろう。(p194-7)

なかなか、その境地に達することは難しい。

けれども、そこに向かって行かなくてはいけないとも、思う。

その人の過去、時折見られる傷やほころびについても。「赦し」という言葉で解決させるよりも、私は「プロセスから学んだ」「その学びが今の自分を作っている」という感覚のほうがお勧め出来る。赦し、愛、というと美しいけれど、螺旋で常に回りつつも上に上昇している(進化している)プロセスの中に私たちは在るということが、忘れられそうだと感じる。そしてどこか「赦し」は痛々しい。

螺旋を上昇して成長することで、ようやく、過去の傷やほころびにも意味があったと思えるから、自然な許しや愛が湧いてくるのではないかと思う。

それに、「プロセスを重視する」という心の中はすでに世界への(真の)愛が一杯に溢れている。今この瞬間の自分の感情、思考、行動、に責任を持つという精神こそが、力であり、創造なのだと思う。

Love and Grace

Amari

参考文献:「新時代の弟子道 1」A.ベイリー(AABライブラリー)

アースデイのアースワーク

本日、クリスタルラボ・アースメディテーションがスタート。地鎮、広く言えばアースワーク、ガイアワークを石たちとともに行っていくグループ瞑想会。とは言ってもリモートであるし、オンタイムで参加出来ない方々はコールインで受け取ってもらうことから、「瞑想会」というよりは、「好きな時に受け取って下さい」というオンライン講座(・・にエネルギーワークが付いているもの)という感じでの2023年版のスタート。

今日の「鏡開き」(柱下ろし?)を経て、今後どう展開していくかが決まるでしょう・・ということで、臨んだ初回。
やはり以前の石巫女とは全然違うし、そうかと言って、更に古いアースワーク系講座や瞑想会ともまた違う。新しい何か。まだまだ未知数、そして2023年の今とこれからの活動なのだろうと思う。

偶然にも今日は、世界共通の「アースデイ」、地球の未来に想いを寄せる日。世界中でイベントが開かれている。

セイキムレイキの伝授を受けた時、地球が最初に「想念」から始まって・・それがやがて光になり、デザインになり、幾何学から・・少しずつ物質を成していって、形のある地球が出来るという様子を見ていた。自然科学としての地球の始まりは、太陽系が出来た後にその周囲にあった物質、隕石や小惑星どうしがぶつかりながら、出来上がったと言われている。確かに「物質次元の歴史」としてはそれでいいのだろう。私たち一人ひとりに、肉体としての誕生と、魂の再誕生としての受肉があるように。ストーリーは層、次元が変われば語られる内容、言葉も変わるもの。

どちらが正しく、どちらが間違い、とは言い切れない。どちらも正しい、どちらも真実であるとも言える。
見る角度や、語る際の焦点が変われば、言葉や物語は変わっていく。

一枚のヒラっとした紙に書かれた「事実」が、真実として存在するわけではない。・・・それは二次元。
けれど人々の思考はよく、三次元を通り越して二次元的に「固定」することを好む。紙や画面上に書かれた情報から吸収し、またその紙面上で自分も思考してしまうのかもしれない。三次元、縦横高さの次元に居るのに、思考は二次元となりがち。縦横高さ、それに加えて奥行きや量子物理学的な視点が加われば、三次元の住民であっても五次元的に機能し思考・創造できるのだろう。

アースワークや、ジェネシスのような世界観と向き合っていても同じで、直線の時間や、「右と左」のように両極として分けられることばかりではない。ヒーリングでも同じく、出てくる情報も多層的で、絵に描いたような二次元的なストーリーに収まるわけではない。けれども何とかそれを翻訳しながら、今の三次元のパーソナリティの視点に合わせるように努める。うまく行くこともあるけど、私の話が他のヒーラーさんたちの話よりも複雑で分かりにくいと、クライアントさんが感じることも多々あるだろうと思う・笑。けれど、奥行きを感じ取っていながらそれに言及せずにいる事は、心理として難しい。ここが課題。

ヒーラーになるよりも前に「ハピ」や「ガイアナ」でうまく行ったように、五次元的な密度の詰まった世界から適度に抽出して三次元的様相、ヴィジョン、感情や人間関係を語っていく事は心地よいし、読む人はちゃんとそれを受け取ってくれていた。本気を出すと・・つまりハイヤーシステムと繋がった状態で仕事をしていると、そのような次元の壁は消えて、難なく「五次元から三次元」への投影が出来るものだ。ちょうど、フィルムから映画をスクリーンに映し出すように。

そのような創作の瞬間を、いかに全ての仕事と、生活の全ての場面で、実現できるか・・ということ。ソウルの地上での顕現。スロートチャクラの仕事。

未来の人類は、今の太陽神経叢ではなく、スロートチャクラにパワーの中心が移ると神智学は言う。誰もが、ソウルとパーソナリティを統合して生きているのかもしれない。

話を戻すと、セイキムレイキの伝授瞑想中に見たヴィジョン、その時に体験したソウルの叫び・・地球が物質を為す前からずっと見ていて、組成されていくプロセスに関わって、こんなにも大事、大切な創造の結晶なのに・・人間たちは何をしているンだ!と、こういう場所(瞑想やヒーリング中)に泣くことなんて無い私が、そこで号泣していた。後で気づいたのは、その時ちょうど瞑想を誘導する先生の語りが、「あなたが地球に生まれてきた理由を思い出しましょう」というものだったよう。自覚はなくトランス状態だったけど、どうやらその「理由」は、そういうことらしい。

さてさて、その理由のために、何が出来るか。これからも考えて行こう。

Love and Grace

何かが起きている

やるべき事をやっていない時、気づくべき事に気づけていない時、現実はうまく回らない。・・これはメタフィジカルの基本。とはいえ、20年近く関わってきた私自身、なにか変だなと思う今の現実世界の空気。真面目な人ほど、感じやすい人ほど、これは何だ?と混乱したり当惑したりしていることと思う。それにより、自分の現実が今までのような手応えがなく、空回りしたり、体調やメンタルの調子が悪いという人たちもいるだろう。
 
私も自分が更年期である・・ということを十分に差し引きして(笑)、更年期フィルター(つまり絶好調ではない)を通して感じたり考えたりしている為に、その不思議な空気感を体感してしまうのだろうか?ということを、この数年、パンデミック以後、考えて精査してきた。それを補う為に、以前以上にセルフワークをするようになっているし、ある意味、精神もかなり鍛えられた。差し引きした結果、今この春に思うのは、やはり変だ、何かが起きている。ということ。
 
毎日、エネルギーワークをしない日は無いので、それが現実界に響いていく作用を、それこそ気象予報士の天気予報のように、「雲行き」「気圧配置」のように感じる訳だけど、パンデミックでみんなが息を飲んでいた20年、21年は、まだ、これまで通りの三次元と五次元の繋がり、メカニズムが普通に動いていた。22年の春、世間ではウクライナ戦線が始まった頃から、・・というか、理由はもっと別のところにあるとは思うけど、Arganza が大事にしているような、上の画像に載せた神智学、アリスベイリーが伝えているようなメタフィジカルの「道」にとっては、逆風、とも言えるような周波数に、変わって来ている。
 
遡ればさらにもっと前から、その空気は来ている。2018年くらいか・・ 22年はググッとそれが、人々の意識周波数のようなところに、本格的に響き始めた。慣れない状況から、人々はそれを分析して、互いのせいにするかもしれない。職場がおかしい、この人がおかしい、という具合に。どうもこの春は、仕事を辞める、転職する、という話をよく耳にするのはそのような状況下かもしれない。とは言っても、「時代の変わり目」は間違いなく、そんな配置換えもまた社会全体で起きていくことにも意味、意義もあるのだろうとも思う。

「何かが起きている」を簡単に言うと、シリウス性・・が響かないくらいに、世間の空気、周波数が(高まってはいるけれどある意味、高まり過ぎて?)意識の目覚めとは逆のほうにチューニングされている気がする。以前、アルガンザのスクールでアリス・ベイリーを取り上げていた時は、「難しい」を理由に、なかなか皆さんにとってそれは壁、だった。けれど、今の空気だと「それな〜に?」という感じになりつつあるような。「難しい話はやめてくれ」ではなく、「そんなの知らない」というレベルに、意識の面で一段、下がっている。(追記:このDiary 記事を書いた23年4月の感覚。現在の感じ方はまた少し違う)
 
そうさせる空気がどこからともなく(電磁的に?)流れてくると、私の場合は自分の仕事にチューニングしにくくなる。だから「おかしいな」と感じてセルフワークをする、と、アンタカラナ(クラウンチャクラから伸びるモナドまでつづく縦軸)や、ライトボディに何らかの仕掛けが見つかる。外す、と、もとの自分のコンディションに戻る。その繰り返し。・・世間の人々だと(私の知人たちにヒアリングしても)気づかないまま、その意識波の状態で行ってしまうのではないかと思う。そうしているうちにゆっくりと少しずつ低下していく。

表面上、何も大きな困りごとなく、日常が今まで通り保たれていると、特に気づかない人が多いのかも。仕事上、「空気」レベルで異変を感じるような専門家の人々だけが、気づくのかもしれない。ヒーリングやスピリチュアルも、携わる人の中で「シリウス性」、神智学のようなメタフィジ「道」に誰もがアンテナを向けている訳ではないので、世間の人々と同じかもしれない。
 
去年4月に、「白い聖堂」が始まって・・自分でも本当に良かったと思っている。確実にシャンバラの周波数に触れ、その学びの独特のフローが保たれていることが、ひとつの軸となって、その大事な波長を、見失わずにいられるような状態。それにしても、高次はなぜ、こんな風に難しく分かりにくく、未知の、掴み所なく、下手をするといつ崖から足を踏み外すか分からないような環境の中で、私たち「メタフィジ道」を行くもの、学ぼうとしているものたちを、放置しているのだろうか・・と、ゲッセマネのような問いかけを、久しぶりに、激しくはなくてごくごく静かに考えていた最近。そしてすぐに答えを得た。
ああ、そうだった。「方舟だった」と。
 
以前この A Diaryを始めた頃にも書いていた。石井ゆかりさんの表現を借りて「2018~2024年は、ノアの方舟に乗るような7年間」と。
ノアの方舟に乗るような」とはどういうことか?
ああ、そうか。こういうことなんだ。
なぜ? がたくさん出てくる中で、それでも、自分の『神』を信じられるか。
世間のほとんどの人々と道を違えて、ノアとその家族だけが、純粋な生き物たちとともに、乗り込んだ方舟。
おすすめの映画『ノア(ラッセル・クロウ主演)』を良かったら見てみて下さい。舟を作っている段階でも馬鹿にされるわ、邪魔されるわ、家族だけで乗り込んだのに、挙句には次男に裏切られ、長男とその嫁、妻にまで反対され、お父さん(ノア)は人としてボロボロに傷つく。
 
ノアの方舟に乗るような」と、「ノアになるような」は違うかもしれない。
けれど、舟の中で、そして舟を降りてからも、家族みんなが難問を抱えて苦悩していたように、「方舟に乗る」とは、難問や「??」がいっぱいで、いつまでも答えが出ない中、それでも、『神』を、そして(映画で家族の女性陣が見せたような)ハートの慈愛を、追求しつづけ、自分を保ち続け、正しいことは何かを問い続けるような状態を言うのではないか、と。
私たち一人一人が、ノアであったり、その妻、息子、嫁、であったり。その時々、それぞれの立場で難問を抱えながらも・・『神』の舟に乗り続ける。
 
神智学でいう、2025年にやってくる新しい時代の呼び声となる光線の到来までの準備であると考えられる「方舟の七年」はあと残り二年。

アルガンザでは、そんなことも知らないうちに、2017年3月にサロンに迎えた10キロのマスターウラルレムリアンが『箱舟(アーク)』と名乗っていた。そこから確かに、時代の変換点は、アルガンザ的には既に到来していて(いつも世間より1〜2年先にその時代のテーマが箱庭的に動く)、
確かにあの映画のノア、のような気分を味わうことも何度かあった。そうだった、箱舟だった。年々、アリス・ベイリーの書籍が体現する神智学のシリウス性の周波数が、世間とずれていくような感覚が深まっているけど・・・
だからと言って、それでいいという事ではないのだ。
本来の「正しいこと」は、「(その時代の一過性の)世間の大多数の意見」とは、全く関係がない。
 
「方舟に乗るような」最後の二年だと思うと、今のこの空気感も理解できる。そして、自分がやるべきことも。
伝わっているとは思うけど念のために。誰かが方舟に乗り、誰かが乗れない、ということではなく、各自においてそのような時代感を体験するという事。もちろんそこでのあり方や、本来魂がこの時代を選んできた理由や生き様を、方舟時代をどう乗り切ったか、によって、その後の自分自身に映し出されてくる。振り分けられるというか。。

ちなみにこの仕組み、人類の進化や歴史の流れ、カルマやソウルシステムを管理運営しているのがシャンバラ(とアルガンザでは呼ぶことにしている)=シリウス系のロゴスのシステムである。ゆえに、「方舟に乗る」を言い換えると「ガイアの進化プロジェクトに乗る」ということだ。そのためには、横に見えている世界に合わせる、染まるのではなく、自分自身のソウルシステムと繋がっていなくてはいけない。なぜなら進化プロジェクト、その先のワンネスとは、ロゴスのもと、私たちのソウルシステムがワンネスでユニットする状態に戻っていくことを言うから。。
最近よく言っている「自立し合うことで結果的に生まれる調和・青のワンネス」とはそういう事だ。誰かや、どこかと、繋がる事ではないのだ。魂として生きることを多くの人が選択した先に、ワンネスが実現される。
 
・・と、スピに慣れていない人が読むときっと、新手の宗教か、と思われるかもしれませんネ・・けれど違うのです。こういう事がいつか「科学」や「物理学」や「医学」とごく自然と融合されて、人類の常識的な知恵の一部となる時代もやってくるはず。アトランティスで人類は「堕ちた」ので、それらがバラバラになってしまったのです。そういえば、古代インドのヴェーダ文献などは、それらの融合が見られる。失われた太古の叡智を、現文明に与えておく、という理由で高次から齎されたものなので。

アリス・ベイリーの書籍が並ぶオフィスの本棚。その下段は、恐らく3000件以上になるアルガンザのセッション記録。
方舟感が増していく 2023年。
 
自分の意図を見失わず。幻想に惑わされず。今までとは違って軌道から一度逸れて「堕ちて」しまうと、2025年をまたぐと再びそこに乗ることは難しくなるかもしれない。守りたいものを守り、難問疑問に負けることなく。人を頼ることは出来ません、メタフィジカルな道は自分自身でしか、自分を変えたり育てていく事が出来ない。周波数の高い人と繋がる、のではなく、自分自身のソウルシステムと常にコネクトし、作りたい現実を作っていきましょう。
 
Love and Grace
Amari
 

ガンダルヴァとイシスの巫女たち

 

桜も散り始め、早くも新緑が目立つようになってきた関東。

確定申告の第二弾も、先日無事に出し終えてひと安心。頭の中を数字と簿記用語が行き交う中、なんとか書いていた日記が今朝また消えてしまって・・一旦頭をリセットして、話題を絞って再度書くことに。今日の話題は「ケンタウロス」。

アルガンザのセッションの中で、いつ頃からかちらほらと出るようになり・・自分のセルフワークでもその前後から出ていて、何だろう、と思いながら幾つかのステップを踏み、一度2015年ころ?出来たばかりの「リリスリリース」の姉妹ワークとして、「乳海のニンフとケンタウロス」というものを作って。「リリスリリース」と同じ石たちやエネルギーソース、メソッドを使って、ケンタウロスを外す、というもの。リリスを外すか、ケンタウロスを外すか、という違いで、今思えば男女それぞれのヴァージョンでの同じワークだったと分かる。

いつもそうであるように、同じワークに組み込まれることの意味を、当時はあまりよく分かっていなかった。か、当時は分かっていたものの、ここ数年は忘れていたのかもしれない。今回、先日 Info記事に書いた「イシスの巫女たちの堕落」と、ケンタウロスが改めて一緒に出てくる体感や、セッション内容が続いて、両者は関連性があるのだろうと書いていたっけ。冷静に考えてみると、関連性がある、どころか、一対のテーマなのだ。出来たばかりの「リリスリリース」に、ケンタウロスを当てはめている時点で、そこまでは気づいていなかった。

何か別のものを、同じ手法で外すのだろうと。。。思っていた。

けれど、先日のInfoを書いてからさらに、何かあったという訳ではなく、頭や記憶を整理していくうちに気づいた。ケンタウロスが憑いて、巫女たちの約半数を「堕とした」ということだ。具体的には、神に仕え、人々の為に祭祀を担う無私の、公的な立場としての巫女たちが、自我により他者を蔑んだり、権力や名声を奪い合ったり、といった、今の人間社会にも存在するネガティブな精神を自らの中に「拓いた」・・・想像力が必要かもしれないけど、当時はまだ、人間はもっと純粋で利他であったと私は考えている。

そのため、「巫女たちの堕落」は、強烈な出来事であったと思う。彼女たちだけではなく、祭祀の中にもネガティブな神的エネルギーが流れ込み、結果として社会全体が堕ちていった。人類の堕落、いくつもの段階がある中の、ひとつの変換点であったと思う。

なぜ、ケンタウロスという、四次元存在(肉体を持たない)が、巫女たちを堕としたのか。

それは、ケンタウロスたちが配偶していた「乳海のニンフ」の転生者たちが、当時、巫女たちの半数を占めていたからだということに、気づいた。

リリスの発祥に、ケンタウロスが関わっている。ならば、当時のワーク「リリスリリース」で、堕ちた女性性リリスと、堕ちた男性性ケンタウロスを外すという2テーマが対になっていたのも今、ようやく、理由がはっきりした。

そして、改めての「イシスの巫女たちの堕落」を整理していた最近、以前にもう収束したはずのケンタウロスの気配がまた、やって来ているのも納得。体感もあり、ヴィジョンもあり、セッションでも出てくるし、以前シャンバラがすべて(ケンタウロスを)収容したという情報を受け取っていたのに、また何が起きているのだろう?と、思っていた。。

理由が分かって深く納得したところで、確認作業のひとつとして、改めて「ケンタウロス」を調べてみようと、ウェブのレベルだけど検索をしてみる。すると、幾つかの情報源には、以前も調べて、ナゾの男性性の怪しい四次元存在を「ケンタウロス」と名付けた動機となっているようなものが多く目に付く中、非常に興味深い新しい情報源を見つけた。以下、引用

Gandharva(ガンダルバ=仏教が日本に伝わった際の音訳は乾闥婆:ケンダツバ=インドからギリシャに伝わりケンタウロスとして神話に組み込まれたと考えられる)

サイト「コトバンク」より 出典小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)

古代インドの半神半人の精霊。音訳は乾闥婆、犍達婆で、意訳は香神、嗅香(きゅうこう)、尋香(じんこう)。虚空に住む天界の音楽師とされ、天の踊り子アプサラスを配偶者とする。古くは『ベーダ』聖典に出て神酒ソーマの守護者とされ、雨や雨雲と関係が深い。しかし、婚礼の歌ではビシュバーバスという固有名詞となって現れ、新婦にまといつく男の精霊とされる。また、ヒンドゥー教では天の楽人となり、図像学的には半人半鳥の姿で描かれるが、しばしば人に憑(つ)く精霊として、夜叉(やしゃ)や羅刹(らせつ)などと同列視されて恐れられた。終始婚姻や性愛との関連を離れず、つねに女性を愛している。仏教に入ると天竜八部衆(てんりゅうはちぶしゅう)の一人とされ、酒肉を食せずただ香のみ求め、緊那羅(きんなら)(半人半鳥の美女)とともに帝釈天(たいしゃくてん)に奉侍(ほうじ)して伎楽(ぎがく)を奏するとされる。ときに今生(こんじょう)に死して次生(じしょう)に生まれる間の中有(ちゅうう)、中陰(ちゅういん)の義にも用いられ、天の楽人と中有の結び付きは、なおつまびらかにしえない。[原 實]

https://kotobank.jp/word/ガンダルバ-49231

これは本当に「答え合わせ」的な、画期的な説明だった。アンダーラインを引いた「アプサラスの配偶者」・・恐らくこのくらいしか、以前に「ケンタウロス」と定義づけた根拠は無かった。セッションやセルフワークでのヴィジョン、情報から分かっていたのは、「ニンフ」と配偶する男性性であり、何らかの理由で闇の存在となった、それゆえにニンフであった魂の女性に、今でもつきまとう、という内容だった。ニンフは、インドでいう「アプサラス」であり、ギリシャではアフロディーテの語源・イメージソースであると考えられる。

ジェネシス神話にも、既に「ニンフとケンタウロス」は出来た当初から書いているけど、ここまでハッキリと、こちらで感じている体感やヴィジョンと、一致する情報はこれまで出会っていなかった。(今回いとも簡単にネット検索で出て来たのだけど・・)

太字にした部分にご注目。新婦に「まといつく」、「常に女性を愛している」「聖愛との関連を離れず」これは、アルガンザのセッションで以前も今も、感じ取れるケンタウロスの性質であり、さらに言えば、自分だけが置いていかれないように、その女性の霊的な進化を邪魔している。。

それはそうだ。本来、レムリア当時は乳海という五次元の楽園で、ニンフという女性種族との配偶が常に保証され、神の膝下で、むつまじく暮らしていたところに「何かが起きて」、ケンタウロスだけが堕ちてしまった。けれど配偶者であるニンフを自分のものであるとしておいかけ回す・・ニンフたちも混乱し共に滅びる、・・というのが、ジェネシス神話に既に組み込まれている両者のストーリー。天界に住い音楽や香をたしなむ?存在であったというインド神話の記述も、堕ちる前の彼らを表すようで興味深い。

今回分かったことは、

そのニンフたちが時を経て、アトランティスの一時期に人間界でイシス神殿の巫女として生きているところへ(アトランティスでは原型ごとに転生の機会が与えられ人々が自分のレムリア以前のルーツを知っていて、それに応じて職業に就いているよう)、「何らかの理由で」霊としてのケンタウロスが解き放たれ、自分の配偶者である巫女たちに「憑いて」、引き下ろしたということだ。恐らく人間社会にその混乱、闇を招きたいという「何かの」意志が働いて、のことだろう。。

より詳しい部分、「何らかの」の内容は、改訂中のアルガンザジェネシスのバイブルに、反映させたいと思う。

ゆえに、今、ケンタウロスがまたウロウロしているように見えたり感じたりするのは、私たちの記憶から来ているのかしら・・それとも? 人類全体のシフトアップの今、原型物語が動き、各自の中のリリス、各自の中のケンタウロスが炙り出されているのかしら。。

リリスも、ケンタウロスも、性愛と結びつき、リリスはお金や経済にまつわること、ケンタウロスは精神の成長・霊的進化・人としての成功などの面で、それぞれ、対象となる異性存在の状態を悪化させる。実際に生きている私たちの中に存在している、魂の歴史に由来する、リリス性、ケンタウロス性が、今現在も現実面で共に生きる伴侶や異性に良からぬ影響を引き起こして、相手からパワーを奪い弱らせているかもしれないし、四次元存在としてのリリスやケンタウロスが、人として生きる私たちに「憑いて」いることもあるだろうと思う。

前に一時、ハイウェアで「ケンタウロス・ソースリダクション」というワークがメニューにあった。

GATのソースに、どんどん、見つけたら送り込んでいいと(笑)聞いていたので、その方法でケンタウロスをクライアントさんから「外して」、ミカエルに立ち合ってもらい、7次元に送るという内容だった。けれど、今また浮上して、情報が補強されている中で、発見したものをどう扱えばいいのか?考えながら・・ひとまずお客様のセッションでは同じようにミカエルに託しつつGATへ。また新たな直感、ガイダンスの受信があれば、シェア出来ることはシェアしたいと思ふ。。。

まあ、私の感覚としては、ずっと以前からアルガンザでは取り扱って来たテーマであるし、今回、バイブルや「アトラスハシス」により詳しく書く・・ことが、重要なのではないかと。それにしても、インドでは伝統的に「花嫁に憑く」「精霊存在」と言われていたとは。以前ケンタウロスの定義付けを、比較的すんなりと直感的に出来たのは、私の中にその記憶が、あったからかもしれない。

そうだ!大事なこと。

プラクティショナーさんたちに、数年前の「プロテクション専科」で伝授したサンスクリットの魔除・呪詛避けのマントラの文言の中に、よくよく考えてみると「ケンダツバ」として、名前が出て来ている点に注目してみて下さい。。リリスもだけど、排除すれば良いというものではないので、やはりシャンバラに委ねてソースに返していくという事になるけれど、嫌がらせは辞めて貰わないといけないので、そんな時には例のマントラも活用すると良いかなと思います。

そしてこれを読んで怖くなってしまった、心配になってしまったという方が居たらごめんなさい。もしその「怖い」が記憶や潜在意識の反応であれば、現世で起きている問題の解決の糸口かもしれません。プラクティショナーさんにご相談でも良いですし、Amari’s Work の場合は Utpalaの自動セッション(スピリチュアルコース)でも、レムリアントランスミッションでレムリアからアプローチしてみる、でも、良いかもしれません。気になる方はご相談ください。。

Love and Grace,

Amari

ジェネシスの森/「不安・恐れ・悲しみ」とオージャス

昨日の Infoブログ『イシスの巫女たち〜』から一夜明けて。珍しいほどによく降る雨の日。

最初にサロンを始めた頃、ごく初期というよりは本格的に、対面サロンに日々お客様が来るようになった奈良での活動に入った頃、現実の自分の人生には起こらない不思議な人々の感情的な反応を、「シリウス系のワークをしていると、浄化が強いゆえに起きる」現象だと考えていた。・・これは、私以外のヒーラー先生、同業の知り合いなどとも話しているので多分間違いではない。「シリウスは厳しいな」と当時は考えていた。

そこに加えて、横浜に移ってから土地系のワーク、地鎮・・というにはアルガンザの場合はもっと時空を超えているような感じだったけど、いわゆる「アースワーク」の小さい瞑想グループを作ると、何かこう、いつも参加者同士のエネルギーが摩擦するような現象も見られて、「アースワークは厳しいな」と今度は言うようになる。

そして、2017年以後、それまでとの厳しさとは比較にならないような、スパルタ的な学びを伴う仕事となったのが「ジェネシス」という概念と、その歴史絵巻に合わせて活用するためのエネルギー、光線を取り扱うという新たなアルガンザのプロジェクト。その頃ちょうどスクールで導入するようになっていたアリス・ベイリー著書群が伝える「弟子道」というものの厳しさが、まさにそれなのだと気づいて、厳しい、厳しい、などとはもう(私の立場では)言わなくなった。。。

簡単に言うと、「ヒーラー辞めますか。それとも感情やめますか。」という感じ。感情とは幻想なのだと分かっていないと、進めなくなってしまう。分かっていなくても、せめて言い聞かせながら。これは一般のクライアントさんや、ヒーリングを受けるようになった方々、学び始めた人々でもメカニズムは同じで、浄化や手放しの際には、感情や現象が飛び出してくるものだから、それに負けてはいけない、というのは基本でもある。

デトックスでは済まなくて、カタルシス(瀉血)、クライシス(危機)とさえ呼ばれる。

単に三次元で、目の前に見えている土地や、その土地の歴史・・というのではなく、次元をまたいだワークが伴う、ジェネシス層のアースワークや、個人のヒーリングにおいても、ヒトとしての転生を超えた、オーラ層の多次元にも響かせていくジェネシス層の癒しと解放は、世界観や行う側に求められる意識においても、そこで必要とされる周波数においても、「弟子道」の周波数帯にある、と言う事なのだろうと自分では思うに至っている。

「ロードオブザリング」の指輪のように、「ジェネシスの森」に入ると、自分自身のエゴのささやきが増大する。それぞれが持っているいまだヒトとしてはバランシングに至っていない要素が、原型同士の不協和音として際立って来て、ジェネシス神話に登場するネガティブな原型エネルギーや、ネガティブな影響力で自分に害を与えるモノ、のように見えて来てしまったり。感情の、更に奥にある潜在意識に刻まれた記憶が、響きを増大させて自己主張をして来たりする。

小さな感情の、感性のタネのようなものが、数千年、数万年越の問題に癒しのチャンスが訪れた時、大騒ぎするのだ。昨日のInfoで書いたように私自身の場合、クライシスというレベルでそれが起きたのは、「アトランティスの後期エルフたち」情報が出て来る時だった。

その仕事をひとまず伝授という形で終えたからといって終わりではなくて、寧ろそれから何年か、エルたちの喪失感や、破壊者への怒り・憎しみ・嫌悪感、失われた純粋なものたちへの同情心などが、引出されるような現象化と、それを手放し時空を超えて乗り越えていくプロセスも続いて、その後の確認作業も済んで、という所に、私の場合は去年の4月、10年ぶりの「シャンバラ」の学びがやって来た。

それ以後は、セイクレッドレイキの『純白マーラ』のような感じ(笑)・・

アーユルヴェーダの聖典「チャラカサンヒター」によると、生命を輝かせるエネルギー成分「オージャス」が、心臓に8滴、蓄えられていると伝えている。これは微細な物質とのことで、エネルギーだと考えられる。そして体の免疫機能や心の力、脳の働きなどに強く影響を与える。

このオージャスを減退させてしまう原因としてあげられる中に、感情面では3つ。「不安・恐れ・悲しみ」とある。怒りや憎しみではなく。オージャスとは生命を生き生きと輝かせるものだから、ラジャス系の感情(怒りや憎しみ)ではなく、ハートの力を弱めるような感情が原因となるようだ。「不安・恐れ・悲しみ」

心臓に存在するというオージャス。それに関係すると思われるハートの愛の力、自尊心などが低迷すると、免疫力や感覚器官が調子を崩し、病気や老化がもたらされる。それだけではなく、「知的能力を損なう」とも書かれている。

病は気から、というのは、この心臓にある「オージャス」と関係がありそうに思う。

本来、愛であり善であり信であり、純粋性に貫かれていた魂たちが、いかにして心や体や社会に病み(闇)を受け入れるまでになっていったか。そこを取り扱うのが「ジェネシスヒーリング」であり、ジェネシス概念をベースに、本来の魂の力を取り戻していく処方箋が、様々なアルガンザワークのエネルギー、メソッド、光線である。

参考文献:「本当の自分を取りもどす アーユルヴェーダ」(Gaia Books)

https://lumiereblanche.shop/?pid=172567039

Love and Grace

Amari

タイムカプセルその2・時空のはざま

昨日は(2023年2月の日記)、いつも通りオフィスに行ったものの、普段の当然のような仕事の流れに体が乗らずに、何故か部屋に吹き込んで来た独特の空気、情報とともに「時空のはざまの様な日」、と感じた。こういう事はそうそう無い・・・けれど、年に数回はあるのかなという気がする。

2020年、実家が奈良を引き上げた事で、奈良の家に残してあった創業当時からのショップ関連の書類、自分が学び始めた頃のテキストやネット情報のコピーや修了書、なんと新潟時代からの書類の山が、ダンボールで数箱、移動して来た。FaceBook のオフィス日記などで何度か呟いていたように、整理しなくては、と言っては少しいじって止まって。まだまだ最近まで、オフィス書斎ルームの大テーブルの下に。

趣味というくらいに整理整頓は好きな筈なのに、様々なエネルギーが詰まっている過去の記録ゆえか、その置き場所がうまく完全にダンボールたちを匿ってくれてほとんど目につかず邪魔にならないせいか、そのまま長い時間が経過。例えば、ヒーリングと出会った頃に貰ったヒーラーさんがたによるリーディングや、当時の自分の瞑想体験を記したノート、そして2004年にスタートしたショップの仕入れ、直輸入に関する膨大な書類。何一つ捨てていないという状態。

今のところ、まだ参考になる場面もあるから、ほとんどのものをそのまま、オフィスのキッチンの奥の棚につくってあった場所へ。そうそう、オフィスのビルは居住用のマンションだけど(何軒か店舗やサロンも入っている)デザイナーズ物件で、代々私が自宅として住んで来た賃貸のマンションと比べても、とても立派なキッチンやお風呂場がある。生活スペースではないのでそれらのゆとりの場所が、物品の置き場所のようになっていて・・

それでも、入れるものが無く余っているようなスペースの頑丈な棚があり、整理した書類の置き場所にはピッタリなのだ。

昨日は、二年前から引きずっていたこの仕事をようやく完全に終えた。何かの立場を「やめた」という段階では、人はそこまでの時間の記憶、記録を整理しにくいものだ。暫くそのままとっておこうと。けれど、更にその次のステップ、「やめた」ことを再び別の角度から、別の方法で、別のバックグラウンドで、「また始める」となった時は、取捨選択や区切りの必要が出てくるから、整理しながら次の流れを作っていくという作業が必要になるもの。

そんな流れの中で、フォトフレームだけを設置して中身が無いまま、祭壇のようになっていた故人を偲ぶ場所。急に思い立ち写真を印刷しに街に出た。こんなに簡単なことなのに何故か、2年もカラのフォトフレームを飾っていたのだ。その人が亡くなった日は、いつも乗っているバスを降り過ごして先のバス停で降りるとそこは縄文遺跡の広大な広場。そういう場所には次元のポータルがある、少なくとも必要な時には開いたりするのか、急にその場所でその人の魂を感じて、初めて悲しみと涙がこみ上げた。

泣きながら、バス停ひとつ分の慣れない夜道を歩いて家に帰り着くころ、晴天の霹靂。予報も出ていなかった急な激しい雷雨。それも凄い音、稲光、豪雨。そして地鳴りまでし始めた。雨が止んだ後も、しばらく地鳴りが続いた。「やはりただものでは無かったのね」と感じて、ホっとするような、「らしいな」と思って嬉しさ、笑いも出てきた。

プチシンクロとしては、昨日作業をしながら「前にもタイムカプセルがどうの・・って日記に書いた日があったな」と思っていたところ、夜にお客様からのメールでその日の記事についての言及があった。12月末の『タイムカプセルを開く』

昨日もまさにそんな日で、自分の普段のフローからは完全に降りて、ミクロではこの2年の。マクロでは2003年(まさにその頃からの記録、書類と向き合っていた)からの20年の、自分の味わってきた時間の整理をすることになった。そのマクロの中で、何がどう働いて直近のこの数年の出来事があったのか。ちゃんと対処が出来ていたのか、取りこぼしたものは?この先の課題は?と、先に進んでいくための整理も出来た。

人生には不可抗力でやってくる事象もたくさん。全てを直感したりできる訳ではない。・・というか、そういった要素が無ければ何も学ばず、ただ平穏な時間を過ごすだけならば何も人間界に降りて来ることは無い。まだ不完全ではあるけれど、自分の仕事を通して理解してきた人間の魂とこの世界に関しての(自分なりの)法則、歴史、エネルギーの相互作用の仕組みという「知恵の書」を通じて、ヒーラーやショップを起業してからも、その前の人生も、今ここの立ち位置も、見えて来ている。

人間的にあるべき部分と、「普通の人間」ではダメな部分と、さじ加減が難しい仕事である。以前のスタッフさんたちには「歴史と伝統のある神社に仕える神職である」というような意識で、サロンやショップに携わっているという私のスタンスを伝えた事があったけど、これはなかなか、難易度が高い(笑)。けれど、私が「毎日サロンを出る時に一礼をする」と話したら、大先輩のヒーラー先生は「もちろんです!」というお応えだった。やはりその姿勢は必要なんだろうと。高次との連携、導きでこそ、運ばれていく仕事。

時折スタッフさんを迎えると、色々な事が起きる。私がもう十五年やっていても起きていないようなミスやびっくり時変が(例えば関係する業者さんのミスや、スタッフさん自身のミス)が起きる。人によってはその連続で、ご本人がパニックに陥ることも。うちの娘は小さい頃、サロンに遊びに来ては眠気に抗えずソファで昼寝してばかり・・本人は手伝う!と言って来るにもかかわらず(笑)。そして大きくなってからも、ふだん家ではしないようなミスを(ものを壊したり)したりしていた。また、ベランダのラティスにペンキ塗りをする時は急に強風が吹いて気温が下がりとても続けられなくなり、私が替わったら風が止み、あっという間に終わってしまった・・と、手伝う人員には少なからず、日常とは違う波長へと周波数を持ち上げる(気を引き締める)ための「修行」が起こる。

そのような現象を体験して、娘は仕組みを理解し、オフィスに来る時は本当に「参拝する」ような姿勢で今ではやって来る。普段の自分よりも意識を持ち上げて来るので、ミスも起こらなくなる(もちろんミスがあったって良いのですが。当人が気にしてしまうので)。スタッフさんの中にもそれを理解し適応してくれていた方も居たし、うまく回っていかない事で混乱し、続けられなくなることも。今振り返るとそれはご本人たちの問題というよりも、同時に通ったり関わったりしているスピリチュアルなワークなり団体なり時にはご家族などから来るエネルギーが、アルガンザのエネルギーと拮抗し、摩擦が生じる為に起きる現象でもある。

まあ、それも含めてご本人の責任内、という事にもなるケド。この(シリウス式の)厳しさは私自身がヒーラーになってからずっと、歩んで来た道でもある。

これが最初に起こったのが、忘れていたけど今回の書類の整理で判明した、まだ奈良に居た時に親しくなったお客様がたと作った四人グループで、メルマガを出したりと活動を始めていた時だった。スタートして1ヶ月足らずで、今思うとアンドロっぽい方でよく起きるパターン、一方的に情報を捉え違えて傷ついて去っていくという・・この件が最初だった。私の個人的な人生では起きないような事だったので当時は驚いたけど、その後、何度そんなことがあったか。。。そのうちに、これが「スピリチュアル」という分野なのだと知った。

生徒さんやクライアントさんとは違い、スタッフさんや、一緒にプロジェクトを進めるメンバーとなると、厳しい高次の姿勢が現象化する。シリウスっぽい風が吹く。そこでどう受け止めるのか、試される。そこまでの自分の選択や流れ、高次やアルガンザとの縁を、信頼出来るかどうか、も。

「歴史と伝統ある神社に仕える神職」の意識?(比喩ですが)がないと、失敗ばかりが際立ってしまうような周波数。意識だけではなくエネルギーの実際も、鏡となって現れる。自分がその周波数に適応しようと努力するかが重要になる。思えばずっと、その努力をし続けて来た。変に力むこともなく、いつしかそれが普段の自分の生活とも融合し(まだまだ足りてないが)。人としての知恵を得るというのは、「神職」に染まっている魂としては逆に色々と難しさを感じるものだけど、双方を統合し、守るべきものは守り、伝えるべきものは伝え、前に進んでいく。

Love and Grace

Amari

Unconditional Love

2014 

青野 芹

風に色が見えるとき 世界は私の中に在る

金色 銀色 刹那色 

世界の夢である私 私は世界を夢に見る

虚空に拡げた腕が 目の前の地球(ほし)を抱きしめる

桃色 水色 檸檬色

すべてが完全であるように 時が私の一部になる

風たちが騒ぐ

解き放った白い鳩が また戻って来た

止まる枝が見つからずに

ハートの小部屋から旅に出た 幸せの白い鳩

愛の証 明日への翼 無垢な羽搏き

止まる枝が見つからず 帰ってきた

少し羽を痛めて 白い翼をすり減らして

大丈夫

構わないよ

何度でも 戻っておいで

私のハートを 運んで欲しいから

傷付いたら、何度でも癒してあげるから

ただ反復するように また翼を磨いていこう

風たちが色づく

浅葱(あさぎ) 薄紅 ラベンダー

世界の夢である私 私は世界を夢に見る

毎日 白い鳩と語らう 私のハートに住む

無垢な愛の証

もう9年も前になる。2014年になぜか急にスイッチが入り、幾つか書いていた「スピリチュアルポエム」は、「ヒーラーとしての」当時の自分の心情を表現したもの。当時つくったポエム専用のブログは、更新されることのないまま密かに存在。

【解説】Unconditional Love

タイトル、「無条件の愛」

ヒーラーとしての立場や仕事の静かな喜びや満足感、世界や時空といった枠組みを超えて、大いなるものに波長を合わせて存在していられる素晴らしい時間を生きていることを冒頭の6行で。その次「風たちが騒ぐ」から変調。音楽で言えば曲調が変わる部分。

ただ喜びだけではない、切なさについて。心のさざなみや、ヒーラーであっても人間としての心の揺らぎ、躊躇い、動揺などが起きることもある。それを「風たちが騒ぐ」と表現。

ヒーラーの仕事、というよりも私自身の性格や性癖によるものかもしれない。「無条件の愛」のボールを突然(と言っても自分としてはごく自然に、当たり前のように)投げた時に、相手はそれに気づかずに、または「まさか」と誤解をし違う性質のものであると受け止めたり、まっすぐに「無条件の愛」であることに躊躇い、ボールをキャッチすることが出来なかったり。

「白い鳩」=純粋な愛、利己、相手のためだけを優先して考えた結果投げたエネルギー・・が、「止まる枝が見つからずに」、虚しく戻ってくる。

気づかない、躊躇った、場合はまだ良いかもしれない。相手が「まさか」(そんなに自分のためを考えてくれるなんてあるはずがない、きっと何か裏があるはずだ)と思って変な角度で投げ返してくることだって、稀だけど、無いこともなかった。

傷つくというより、そんな時は、「虚しい」

それでも・・・・・

「風たちは色づく」から先、

たとえ虚しくても、何度でも、これからも、同じように鳩を飛ばすだろう。

ワンネスの世界の中で、愛とともに在ろうとすることを、辞めないのだろう。そんな、日頃繰り返している心象の流れを綴った詩である。

そのテーマで書こうと思ったわけでもなく、気づいたらそのような事を書いていた、という感じ。

インド・中東を感じる/石巫女的アースワーク

先日のエミリー・ディキンソン(1/26 の日記 2023年)からの流れで、彼女の詩集を買う際に、以前から読みたいと思っていたインドの詩人タゴールの詩集を何冊か買って、最近はこの、対照的な二人の詩集を覗いている。あまり詩集を愛好するような時間は、今までの人生では無かった(金子みすず、宮沢賢治、イエイツ他数冊しか手元には無い)けれど、「読む」というよりはまさに「覗く」、その詩人の心象という特別な次元空間を、柱の影から覗くような時間で、50代という、古代インドでは「森に入る」(瞑想生活に入る、日本でいう隠居という感じか)年頃にも差し掛かった自分としては(笑)意外なことに馴染んでいる。

エミリーは自らの詩をほとんど発表することもなく家族とともに暮らす実家に引きこもり、難病を患い56歳で死去。一方のタゴールは生まれながらに芸術家を輩する家系で、そうかと言って恵まれている人生というよりは、苦難に満ちた年月を経ての50代以後、アジア人で初めてのノーベル文学賞を受賞、インドを代表する、更には世界的な詩人として名を馳せる。

タゴールについては以前も一度、ブログかな、もしかすると当時のツイッター等呟きレベルだったかもしれないけど、存在を知って、(リードビーターと同じく)顔写真に魅せられて興味を持った時期があり。自分の内に存在する「絶対的な神」への賛歌を謳い、宗教詩人とも呼ばれているそうだ。けれど当時、20世紀初頭の西洋人にはノーベル賞を取るほど評価されたという点が興味深い。ヒンドゥーの神概念と、キリスト教とは大きな違いがあるにも拘らず。

また、深堀りした話は後日、書きたいと思う。

そんな、タゴールの詩集や伝記でインドに浸っていたある日、「古代の宇宙人」を(前に何度も見ている回を)何となく流していたら、「インド、ラジャスタン州のタール砂漠」に、今世紀に入ってからの新しい発見で、核爆発のあった可能性が広大な面積で見つかっているという話が耳に響いて、改めて思考していた。インド神話にはその出来事と思わせるような神々同士の壮絶な戦いや、核兵器のような破壊兵器が登場している。

更にはその日、同じ地域に居るインド人の方と話していて(もちろんオンラインで)、そのせいか尚更に、現地との繋がりが出来てしまったのかもしれない、今思うと。瞑想ワークをしていたらば、かなり壮絶でゴチャゴチャした集合場と繋がってしまって、トランスを経て、瞑想から覚めた時、「インドの歴史の中に入っちゃった・・・」と、(時々ある)呆然とした後味とともに。インド、というよりは厳密にいうと今はインドに含まれているラジャスタンや、パキスタン、アフガニスタン、あたり。インドの国の北側、西の端の地域。「古代の〜」によると、ラジャスタンとパキスタンに、その(核爆発があった)想定地があるらしい。まさにそこに繋がってしまった気がする。

トランスから起きた時に「ああ、そういうことか。ユダヤの一神教の神!」みたいな思考が残っていたけど、こちらの周波数に戻るともう何のことがわからず。たくさんのヘブライのような文字が瞑想中に降っていたのは覚えている。それと、インドが「日本雛形説」でいうとどこに当たるかが急に気になり、ネットで見てみると伊豆半島、のよう。それもパキスタンだと、伊豆半島の西側だから静岡県だろうか・・雰囲気的には愛知県あたりか。

ヘブライ人の一神教と言えば、実はエジプトで宗教改革をしたイクナートン(アクエンアテン、ツタンカーメンの父王)の、兄である「トトメス」が、イコールモーゼであるという説を、過日「古代の宇宙人」で見て驚いていたこともあって。トトメスという名は「トト神の息子」という意味で、「トト神の」の部分をとると MOSE、モーゼになるのだとか!!これは衝撃。この説を提唱したのはなんとフロイト(エジプト学者でもあった)だったそうだ。

以前からどうしてモーゼが、エジプトの王家で育っているのだろうかと不思議で仕方なかったけど、エジプト王家で文字通り「異端児」、一神教への宗教改革を起こして一代でそれを潰されてしまったアクエンアテンの何らかの関係者(例えば義兄弟、乳兄弟のような意味での)=「兄」である人物が、その一神教がアクエンアテンの死後、一気に政治的に潰される流れの中で、奴隷の人々を連れて独立しようとした、というのが「出エジプト」神話の真相ではないかという説は、なかなか説得力がある。(この辺りを描いたリドリー・スコット監督の映画「エクソダス」あり)

モーゼが率いた「ユダヤ人たち」は、結果として生まれたユダヤ教を信じた人々(ユダヤ教の信徒となる人々)であり、色々な人種の入り混じったエジプトに居た民衆、奴隷だちだったのではないかという説。歴史として考えるなら、そのほうが自然。ひとつの人種だけを大人数引き連れて脱出するのは現実的ではない。

話が逸れてしまったけど、この瞑想ワークと思索のあとに、そうだった、トルコとシリアの地震。とようやく気づいて。そして思い出したのが、以前の「石巫女アースワーク専科」のクラス、2018年期に、土地ごとの石でグリッドを組んで、その土地の鉱物界を感じてみよう、必要とあらば当地の自然界へのワークをしよう・・ということで、毎回、実施していた。その中で、「ちょっと怖いけど・・」と言いながら一度、「パキスタン、アフガニスタン、トルコあたり」の石たちを集めてグリッドし、ワークをした事があった。

記憶が曖昧だけど、予想していたよりも「光」を感じ、オリオン的な男性エネルギーの輝きのようなものを感じつつ、やはりそこから生まれた争いの歴史のようなエネルギーも、垣間見たような。

そして思ったのは、石をグリッディングして行うアースワークを、またやった方がいいのかな、2023〜2024年は。。と。

正直なところ、手間が掛かるので石巫女は大変、と、体力気力的に復活するつもりは無かったものの、今の遠隔のみのスタイルであれば、何とか石を毎回集めて、グリッドを組んで、それを画像でシェアして、一緒に瞑想・・という形であれば出来るかもしれない。

Judy Hall さん著書でも、土地や地球へのワークについて書かれた一冊もあり(未邦訳)、検討してみよう。というか、瞑想のトランスから醒めた瞬間に「やらなくちゃ」というヴィジョンは入っていたので、小規模ながらに、4月からスタートしようと思う。以前の石巫女は教材になる石たちを、石の種類ごと、産地ごとに用意するのが大変で、自宅にあるものはキャリーで運び、不足を感じるとわざわざ仕入れをしたりしていた・・・そこまでは今は出来ないけれど、「土地」に的を絞って、遠隔の良さで、小さめのグリッドでも良いと考えれば、出来そうだ。

日本雛形説・・を、結構普通に信じていて、いつも世界で何かあると、日本で言えばどこにあたるか、を考える。日本は地震、災害大国で、土地へのワークで何か少しでも高次の計らいが最善の中、地上で働くこと、人心の集合意識の乱れや、まつろわぬエネルギー層を鎮めることで回避できたりすることもあるのならば。そして、地上で生きる人々の状態が、少しでも良い方へ向かうという意味での土地、集合場へのワークが成り立つならば。

何年か前にゲリー・ボーネルさんが、日本で巨大地震が来そうだからとそれを鎮めるために日本向けに本を出して注意喚起し、ワークショップに来日された際、ご本人は(普段はひかない)風邪を引いて体調不良の中のWSだったと聞いた。地震を鎮めるには、堕天使たち、地中に居ると言われているような存在たちに働きかけるワークをされていたよう。・・アルガンザとしてもそれは大いに納得、過去の事例から。

私も今回のワークで、瞑想から醒めるや、普段ない風邪の引き掛けのような体調になっていて驚いて。けれどアースワークでは軽く不調が出ることは時折あることで。その日の後半の瞑想や翌日に再ワークすることで昇華し復調するというパターン。上記、ゲリーさんの例を思い出した。そしてセルフヒーリングをしながら、ここに書いているような事を頭で整理しているうち、体感、体調も復調した。

以前2期、講座を展開した石巫女は、様々な驚きの体験、ミラクルを引き起こし、今の「ジェネシス」世界観の下地となる情報もたくさん、受け取っていた。ウラルの土地にワークをして「ウラルの水晶と出会えそう」と思った時には、業者さんがマスターウラルと今では呼ばれている水晶が入荷したという連絡をくださり、ヒマラヤの造山活動に繋がって太古を体験するというワークをしていた直後にはまさにそこで生まれて最近発見された「アースシードライト」が登場する、とか。社会的な大きな動きとも連動していた。

ジェネシスと同じく、地球46億年を相手にするので、畏怖心のような、たまに出る私の逃げ腰が・・パンドラの箱を開けるようで、もうあんな仕事は出来ないなとずっとここ数年は考えて来た。けれど、そうは言ってられないよう。むしろ以前のような周波数帯域で仕事をしていないと、本来のアルガンザではないのだ。。。この数年、「ジェネシス」の副産物のように出て来たアンチマターの収拾に務めていた。けれど、時代は先に進んでいく・・今年は本当の意味で、変換点としての力場が働き出す。

高次が進めるプロジェクトに合わせて、地上でエネルギーワークで波動を調整する。・・・考えてみれば(今思えば)マヌの仕事、と言える。エルフ族、エルたちの仕事。

「白い聖堂」と両輪で、どんな風に実現できるか、考えてみようと思ふ。

Love and Grace

Amari