苦しみも悲しみも幻想

木曜日の祝日と、金曜を挟んでまた週末が続いたので、仕事のバランスをとりにくいここ数日だった。時節の個人的および、アルガンザ・ネットワーク的な分析としては、月末の「聖堂」の区切り目と、特殊なワークだったその内容のエネルギー的余波が落ち着いて来たゆえか、次の空気感として、エルフ界の、これまでと違うタイプの情報と課題が来ているように思う。リラやアルビレオの「母」テーマをこれから纏めようと思っていたけれど、あっという間に切り替わった気がする。

スベクヒャン・・記事はまたしても、タイミングを逃したよう。アルビレオの原型ストーリーは新しい話題でもあるし、ジェネシスにしては珍しい、宇宙次元の物語でもあるので、さほど深入りしなくても良い、というか、深入り出来ない難しさがありそう。カルマの法則やエネルギーシステム、ソウルシステムを、ようやく私たちは理解しつつあるわけだけど、それはあくまでも地球モデル、であり、アルガンザのワークでいう「ソウルインテグレーション」等がそうであるように、物語を垣間見た所で、解釈がとてもとても難しい。

アトランティスやレムリアなどのジェネシス層であっても、この物質界とは仕組みが違うため、理解や説明が「とても」難しいけれど、それとは桁違いに「とてもとても」難しいのだ。

そう。だからシュタイナーの著書などは真実味を感じられる。アリス・ベイリーや、神智学の祖たちの著作も。けれど、スピの世界によくあるように、別次元や別の星系などの本来仕組みが違う世界の話を、あたかも地球の私たちが知る現実や歴史を語るように説明する手法は、かなりの正確さ・誠実さを大胆に省略している事になる。そこには昔から(実は、ニューエイジに傾倒し始めた当初から)密かに疑問を感じてはいた。

けれども。情報が伝わらないよりは、大胆に省略されていても、伝えてもらった方が良いこともある。より正確さ・誠実さを求めるならば、神智学やシュタイナー、インド哲学などに歩み寄っていくのが良いと思う。

エルフ界の新たな層、局面、というのは・・きっとそれぞれ、ジェネシスのプラクティショナーさんたちも時節的に今、自分ヴァージョンで追体験しているかもしれない。そこでセッションを受けて、リーディングを貰っているクライアントさんにも、エルフ界の原型についての情報が出ているかもしれない。必ずしも皆が一様に同じ部分が出るわけではないと思うけど、私が個人的に感じ取って掘り下げてみた結果、見えて来たのは、

本来5次元の存在であったエルフたちが、アトランティスで起きた天下分け目の戦争の戦力として加わるために、「受肉した」つまり物質界に「転生」ではなく、特殊な方法をとって物質化した時の不快さや、不具合に対して行われた何らかのエネルギーおよび肉体的な「処置」(物質的な存在らしさを獲得するため、リラやアンタレスの、つまり黄色や赤のエネルギー(或いは遺伝子)の注入のようなことを行った)による、苦痛など。

まとめると、「この世に物質体として存在すること、そのものへの不快感」そこから来る、今の私たちに残る「アストラル」データーとしては、憂いや、悲壮感。けれどそれを抑え込むための使命感や任務感、そこで生じる摩擦エネルギー。・・・このような入り方をしなければきっと、ソウルは肉体をもって生きることはただ喜びである、のかもしれない。

私自身は上記のような感覚を若い頃に(おそらく、幼い頃も)強く感じていて、苦悩した時代さえあったけど、さすがにヒーリング生活を20年近く過ごして来て、「自分の問題」として感じることはもう無くなっている。けれど、先日の「聖堂」からのエネルギーの動きや、確かにその時に感じた「受肉させられるための再組成」のような体感は(この辺りはまだ分析出来ていなかった為、参加者のシェアレポートには書いていません)、心地よいものではなく、その後も分析の対象となっていて。・・ようやくピンと来たところ。

サイキックアタックも、自分と全く関係のないものを受けることは無いから、そういったエネルギーも含めてトータルで感じ取って、サロンルームでソフィア源泉等とワークした結果、上に書いたようなことを受信、理解した。同時に、かつて2017年の冬頃に動いていた(今では「ジェネシス」神話に含まれている)闇側に囚われて悪用されてしまったエルフの男性体の記憶、そこから来る(本人は自覚無く、何か現実のキッカケから感じるだろう)苦しみ、混乱・・も、また次の波紋、別の層のソウルたちには、今、届いていきつつあるように感じた。目覚めや癒しの波紋は、グループごとに少しずつ、広がっていく。

この「敵側に囚われた男性体たちの記憶」は、恐らく鬱や統合失調、などの精神疾患として、現世では現れるのかもしれない。自分は悪だという刷り込みが魂に残るため、深刻なのだ。

また、エルフだけではなく、最近は同じように悪用されてしまったセラフ、も、ちらちらとセッションで出てくる。セラフだけに、より静かで分かりにくいけれど、影響は割と強烈で、これを持っているソウルは、恐らくエルフ以上に苦労して来ていると思う。どちらのケースも、ジェネシス光線の「ノストラム」や、「グレースオブセラフィム」(エヴォリューション)、ウリエルのターコイズの光線、「ラムネゴールド瞑想」(アルガンザのカレッジのオリジナル瞑想)、そして「レムリアンセクレッドレイキ」も、処方箋になる。

そんなジェネシスの原型フィールドの動きを感じつつ。「白い聖堂」後の恒例のようになっている、体や現実が勝手にシンクロして動いた結果の物理的な変化が、少し遅れて昨日、今日と。自宅と、オフィスの、模様がえ、配置換え、それによる気付きや新たな出会い、などなど。意図せずに起こるところがポイント。

オフィスでは、古い書類棚を整理していて、ライタリアンなどの古いテキスト、最近のテキスト、などが出て来て・・登録用紙の大量のコピーは、裏紙を再利用しなくてはいけないくらい沢山あったりして、「ああ、引退したんだなあ」と、今になって(!笑)しみじみと噛み締めた。まだ遠隔セッションは受付しているとは言え。

そういえば、「辞める」ことへの喪失感のようなものさえ、感じる暇さえなくここまで来たなあ、と。そして、現場でヒーラーとして、ティーチャーとしては言いにくい事や、記事など書いていてもお客様たちの顔が浮かんでしまって、出力チャンネルをやはりそこに合わせるという、癒し手、ティーチャーなら当然の配慮や寄り添い方から、一歩引いている今の自分の立ち位置や視点を・・・ここまで導かれて来たことに対して、とても感謝が湧いていた。

特に自分のようなパーソナリティでは、顔を合わせるサロンやスクールをしていると、その場所でのニーズに応えることにチャンネルを固定してしまう。そうなると、この数年やって来たような、プログレッシヴやジェネシス、セイクレッドレイキその他の執筆は出来なかっただろうし、これから先も。

棚を整理したり新たに配置したり仕分けしたりしながら、反面的に見せられる出来事や、逆向きに引っ張る力も含めて(笑)、すべて起きるべき事が起きて、パズルのピースになっているのだということを改めて実感。

ワンネス意識のような境地に、しばし浸っていたここ数日。

何となく、むくむくと、全体の周波数が上がっていく、時代が開けていく予感とともに。

タイトルについて。人として生きるということは、「課題」を情報として搭載し、生まれ出ずるということ。過去生の癒しなどを行うヒーラーでありながら言うのは変かもしれないけど、過去生含めて、カルマや運命すべて「情報」のインプットであるとさえ思っている。ある意味、プログラミングだ。

けれどそれを自分に課題として与えて、今世生き抜くことを決めているのは自分自身の魂。「情報」は情報として扱って、然るべき方法で癒し、リリースしていけば、自分の思うような自分へと作り変わっていく。魂はそれをやるために人間界にやってくる。よく言うように実際に、「現実を作っているのは自分自身」であるし、未来を作っていくのもまた、自分の意識、意図なのだ。

Love and Grace

www.arganza.earth

新しいフィルターとアバター

7月の「白い聖堂」グループセッションで『(意識の)フィルターを入れ替える』というテーマを頂いてから・・その後(8月)当日に至るまでの時期、私の中では既にそのテーマを感じていて、前日にエアコンのフィルターのまさかのトラブルという事で、その主題を確定した訳だけど、当日の施術にて実際に、コーザル体レベルのフィルターの入れ替えが施術として入って。

まだ現時点で調整中で、当日に体験したアトランティスの過去生の自我と、ここで生きる・・生きてきた自我、その中でもここ数年搭載してきたフィルターの自分と、それ以前、そして以前の自分が先の目指すところとして実感していた未来の(今の自分からするとパラレルのような)自分とが、交錯し、摩擦している感じもある。けれどそれが心地よいような・・

摩擦しているのが心地よいというとおかしな事だけど、これが起こるべくして起きているという、変容のためのプロセスだと分かっているので、じっくりとその感覚、時間を味わっているような感じ。さすがに、こういった5次元のエネルギー法則で常に物事を考えたり行動する生き方をし始めて20年近くにもなると、同じひとつのテーマでも、螺旋を何回、何十回超えたか分からない。だから何となく常に、変容のパターンの行く先が感じ取れる。

けれど今のこの時間、このタイミング。2025年の新しい「光線」顕現を目前にした、世の中の黙示録のような様相と、それでいて普通の人々の普通の毎日が目の前にあるという不思議な空気感は、魂もちょっと慣れずに、戸惑うこともある。ハイヤーセルフであっても、体験したことのない時空間なのではないかとさえ思う。

そんな時に、自分としては淡々とキャッチしてスタートした「シャンバラ光の学校」(=白い聖堂)の存在が、とても有難い。参加者の皆さんと時空を超えた学びの体験を共有出来ることも。依存してはいけないけど、ただただ、ありがたいと思っている。

少し前から、久しぶりにアリス・ベイリー著書を読んでいる。以前は、久しぶりになると周波数的に最初は慣れない感じがしたものだけど、普段の自分の思考や心の呟きそのままに、(まるで自分が書いた文章であるかのように錯覚しながら)ススっと読めるのは、恐らく月に一度の「聖堂」のお陰だ。

今日は「アバター」という言葉を探していて、まだ見つからない。(どのアリス本に出ていたか覚えている方は教えて・・)
「聖堂」の募集ページに書いた「シャンバラをめぐる自分史」の中の、2005年の「白い太陽の爆発」体験、あの時、爆発に吹き飛ばされていく間、「アバター」「アバター」と繰り返し、聞こえていた。当時は映画のアバターもまだ無かったし、今のようにアメブロ等で自分のアイコンとして作る?アバターも(なにせまだブログというツールさえ存在していない時代)無かった。けれど、

英単語としての「avatar」は「化身」などの意味で知っていたので、あの体験当時は「なにか自分に通じる大きなものと融合する儀式だったから、そのように響いていたのだろう」と思っていた。いつだったか、読書会でちょうどアリス本の中でその言葉が出て来て、大層な神なる存在領域であるというようなことだった。それが自分とどう通じるのだろうか、あの体験が今になって急に気になり始めた。

7月「聖堂」でけっこう鮮明な過去生体験をして、その影響が今世には強く働いていると知って、時間は直線ではなく、過去生や未来であったり未来生がアトランティスであったりもするかもしれないけど、とにかくはその時に作られたフィルター、コーザル情報が今世の自分をヒーラーにし、ある意味で管理しているような関係性になっていたようだ。

それを外す、外れた、という施術の余波で、今はちょっと波が起きている感じ。大波ではなくさざ波だけど、自分自身がその変化を受け入れたり慣れたりするのに少し時間が必要なのかもしれない。それと「白い太陽」の「アバター」が関係がある気もして来て、アリス本を紐解いていた。
「イニシエーション」を読んでいると、ジュワル・クールの語りにデジャヴーを感じるような身近さがある。「聖堂」でシャンバラの学びを(言葉として3次元に持ち帰っているものは少ないけど)受けているゆえだろうと思う。

2006年の夏からエナジーヒーラーをしている。15年がキリが良いから、引退年度は2021年にしよう・・と前にどこかに書いたけど、2022年からむしろ一般のお客様の受付も一部復活し、引退できていない事に気付いた。けれど・・( ず〜っと昔から感じて来た)アリス・ベイリーに書かれていることを実践するような現場のヒーラー、シャンバラと通じて窓口として活動するようなメタフィジストって、本当に、びっくりするくらいに、パリオぺラ座バレエ学校からバレエ団に入団するくらいに(?)少ないのが現状だ。

(解説:オペラ座バレエ学校には小学一年生で20名前後入学し、毎年落第者が出るため高校卒業時に残っている人数は半数かそれ以下で、皆が目指している直属のオペラ座バレエ団に合格出来るのは、少ない年はゼロ、多めで3〜4名、恐らく平均は2名とか)→書いた後に気づいたけど、実際、このオペラ座の喩えよりもずっと少なかろう・・

2013年にお会いした先輩ヒーラーさんが私に「人としての代償が大きいからココとは契約を切ったら?」と仰ったのはそういう事だ。A.ベイリー「イニシエーション」第9章の冒頭に、それは書かれている。そんなこんなで、人員が足りなければ、再び現場に立つこともあるのだろうと、最近気付いた。

突然の引退宣言 in 2017年は、ある意味で「悪魔の誘惑」に負けて(堕ちて)しまっていたので、本当ならばあと2〜3年はカレッジやマスターを続けることになっていたと思う。そうすれば、もっと違う形で今があったのだろうと思う。

どうであれ、4月から「聖堂」が、7月から、一般のお客様に Amari’s ワークの提供が始まり、かつてのサロンメインの日々に流れていた高周波に助けられ導かれるリズムを再び味わい、感謝とともに目覚めて、感謝とともに眠るような感覚がある。

「イニシエーション」には、時に熱誠家や弟子たち、イニシエートが判断をあやまり堕ちてしまった場合の事も書かれていて、実は去年には既に気付いていたその事、ずっと噛み締めている。(人魚姫のように声を失ってしまった。関係ない人と話す時は普通に声が出る。けれど、お客様、生徒さん、ヒーラー仕事や、自分が責任を持つべき場所では出なくなる。だいぶ回復してはいるけど、完治はしていない。)

自動書記で書いた超長編の小説は、その必要があったからだろうし、わざわざ白い太陽の洗礼を受けに宇宙の別次元に招かれたのも、必要があったゆえだろうと思う。「アバター」の意味とは? ただ普通に生きることなど、許されないはずだ。・・「いいよ」と言われたとしても、そうは出来ない。フィルターの入れ替えには、どうやら「腹をくくる」とか、もう一段階の覚悟やアイデンティティの再確認が、要求されるようだ。

Love and Grace

オーラ写真

2010年・・だからもう10年以上前になるか。。お世話になっている取引先に出向いた時、オーラ写真を勧められて、そんな事でもないと自分からは体験しないだろうから、せっかくだからとお願いした事がある。

が、ヒーラーをやっているとは言え、奈良から横浜への引越しの直後のことで、しばらく引越作業のためにサロンは休んでいたし、瞑想やセルフワークの時間も思うように取れない自分的にはかなりの非常事態といえるタイミングで、ちょっとドキドキしながらの事だった。

案の定、「かなりお疲れですね・・」というお話になり、オーラ写真は嘘つかない。チャクラの状態がボロボロで、一般的な人のそれよりも「パワー不足です」というレベルになっていて、予想していた通り。「あはは、引越しを終えたばかりなので・・」と苦笑い。普段のヒーラーとしての日常と、エナジーワークによって活力を頂いている、その中でも調子が良いと自覚出来た時に録れたら良かったンだけど、これもまた何かの縁。そして参考に、勉強になったことは確か。

最近、オフィスの書類の整理をしていて、その時のファイルが出て来て、改めてフムフムと眺めていた。予想していた通り、そしてよく人にも言われる通り、私のオーラのメインはインディゴブルーで、ロイヤルブルーや、左右にマゼンタとパープルが広がっていて、ハートから上にはターコイズ。これはだいたい、中学生くらい(ちょっとした魂の目覚めを体験したころ)から自覚していた「自分の色」たちだ。

アポロン&アルテミスのエルフ界の男女性の混合(マゼンタとブルー)。そして、ターコイズとパープルの組み合わせは、オーラソーマのバースボトルの色(ニューメッセージ)でもある。

チャクラの状態が肉体的、神経的な疲労と乱れを反映してボロボロだったという点は置いておいて。このオーラの色彩は、まったくもって「ええ、私のオーラです」と言える結果だった。

(ヒーラーをしているので)「白系かなと思いましたが・・」と、担当の方は仰っていて、実は私も少しそう思っても居たけれど・・あの色彩で、調子が良い時、さらに純化がうまく進んでいる時は、全体に白を混ぜたような色になるのかもしれない。

それにしても、肉体的不調と神経的乱れを現したチャクラの状態・・の中で、サードアイだけが人並み外れて大きく活性していた。これはどういう事だろう。引越しって、何度も何度も人手と時間が足りてない状況で経験していて、本当に命がけだと思うほどいつも大変だ。私の場合は、自宅とサロン、両方一緒の事もある。業者さんとの連絡や、ゴミ捨てや工事・引き渡しの立ち合いなど日程調整だけでもかなり大変で、ショップ仕事を殆ど休まずに、強行突破でいつも行って来た。この時もそうだ。

クラウンチャクラもさすがに、三次元でアタフタしていた日々を象徴して、ションボリしていた(笑)というのに、サードアイだけはギンギン・・これは良いことなのか、どうなのか。今回、12年ぶりに眺めていて、考えていた。

人間には、主に2種類のサイキック能力があるという。赤のタイプ(念力、つまり発動)と、青のタイプ(受動・透視など)。明らかに青のタイプだけど、仕事としてのサロンや、自分のメンテ、瞑想などもろくに出来ない状態でもサードアイだけは元気。これを時に封じる・フタをするという工夫も必要なのかもしれない。情報を拾いすぎてしまうだろう。そうね・・当時に比べれば今は、無意識ながらに制御出来るようになっているかも。

ヒーリングや瞑想をしていると、脳の不思議についていつも感じる、考える。常に脳が変化することで、自分が変わっていくからだ。ワークを受けても、最後のその段階を受け入れないことで、変化せずに止まるという選択肢もあると感じる。クライアントさんにはぜひ、セッションそのものだけでなく、その後のプロセスの中での気づきや、自分の頑なな部分や、変化することへの恐れを、カチっと切り替える瞬間を、大事にして欲しい。それによって、ヒーリングの効果が、自分の一部となっていくから。

そうそう、ヒストリーチャンネルの(「古代の宇宙人」ではなく)世界の怪奇現象を紹介する番組から。西洋の「エクソシズム」つまり悪魔払いの事をやっていて・・おっかなびっくり見ていると、ユダヤ教のラビの方のコメントで、

「現代社会にはエクソシズムは必要無いと思う人も居るかもしれないが・・『悪魔憑き』とは何かというと、魂が地上に縛られている状態。言い換えると、魂が成長することを恐れている状態です。だから・・現代社会の普通の人々にも、悪魔払いは必要なのです」

と言っていて、おお・・その通り!と納得した。

もちろん、憑いてしまうモノは色々で、動物的に大暴れしてしまうモノから、一見静かでわかりにくいモノもある。

ある程度の癒しは起きていくものの、どうしてこんなにスピリチュアルな成長が難しいのだろうという事例を多く見る中で、ネガティブなエネルギーが外側に蔓延していて、その原型フィールドがあり、個人の中の成長したくない、魂に戻りたくないというエゴセルフの自己保存本能や、恐れなどの埋め込まれたパターンとその外からの力が結びつき、足を引っ張られる。または道を逸らされる、ということを知った。

そこで悟ったのは、平安文学のように、起きる問題すべてを「もののけ」のせいにして加持祈祷するというのは、ある意味、正しいのだということ。それと同じような話だな、と。

(エクソシズム、では決して検索しないで下さい・笑・・ホラー映画の題材になりやすいので、映画等のとても怖い画像が出て来ます。)

全ての人間は、完全に悟ったブッダでない限りはその状態にあり、自分の欲望や恐れ、つまり愛ではないものが作動して様々なネガティブな想念や現実が生まれていく。ここで生きるということは、それらを削ぎ落とし続け、濾過して純化しつづけること。ちょっとハードコアな伝統的な加持祈祷やエクソシズムが、ヒーリングに変わっても、その仕組みは同じ。

「成長したくない」傾向が強い日本の人々には、それなりの原型エネルギーが、集合場から、そして肉体的に受け継いだエーテル体の情報から、入り込んで(巣食って)いるのでしょう。

それでも、人の中心には「成長したい」「宇宙の源へ戻りたい」という強い善の力が備わっている。

だからこそ、その両者が摩擦をし、苦しんだり、切なかったりするのが人間。

自分の中のエゴと魂の折り合いをつけながら、やはり魂として、愛の中心軸で生きていくことを選択していこう。

アルガンザワークやカレッジはセルフワークを基本に置いているので、常に自分の魂が、自分の中で強く響くようにチューニングしていくツールとして活用して頂きたいと思ふ。

Love and Grace

「ジェネシス原型場」動く。–踏み台のセラフ–

一年に一度、いや、数ヶ月に一度はあるかな・・ジェネシス原型フィールドの、集合場(個人や小さなソウルグループではなくある程度の広範囲の人々・ソウルが関わる)でのカルマ消化、昇華を促す機会が来ているように思う。それも、同時にいくつもが重なり合いながら。

うむむ。数年に一度の規模かもしれない。けれど今年の春、レムリアンセイクレッドレイキの改定作業中に、かなり大規模な影響が自分周辺には来ていたので、そこから僅か数ヶ月。良くも悪くも、この前の満月に関係あるかも? 13日の夕方に突然何かが来て、満月は翌日、14日だったから。

それで、13日夕方以後、何か来たな〜と言う事で3日かけてクリアリング。(普段は避けられるのですよ)エンティティ様のものは外せたものの、余波がゆっくりとフェイドアウトしながらもまだ完全には抜けていない。今朝もまだ、あちこち刺される体感、昨日ショップのインスタに書いた「耳」の影響も。ただ、日常生活と仕事には全く支障は無し。世間の人々はこんなふうに具体的に体感したり分析しないだけで、(かつての自分もだけど)普通に受け入れて暮らしてしまうのかもしれない。すると・・引き下ろそうとする作用が凄いから、意識や体調など、周波数的に下げられたり、思考なども影響されたりする。

「霊的に成長する」ということは、言い換えると、こういった「普通に人間社会に満ちている、引き下げる力」に気づき、それを避けるテクニックを身につけることだ、と言っても良いのかもしれない。避ける、あるいは自己浄化するテクニックを。・・もちろん、これをメタフィジックに習得しなくても無意識に出来るつわもの達も居る(過去生で習得済みなのだ)。そういう人は人生がスイスイと運ぶだろう。

長年体感や体験、知恵を少しずつ重ねて来て、ただただ何でも受け入れる訳ではないし、通常は跳ね返すシステムがある。それが何故か作動せず、かつ対処しながらも影響が長引いてしまう時は、何か理由があるのだろう、体験して、答えを出せと言われているのだろう・・・と言う事になる。ジェネシスの原型神話のほとんどは、アルガンザのクライアントセッションで、お客様の癒しの場面で出てきた魂の風景だけど、ジェネシスを一旦まとめ終えて、自分もセッションの仕事を引退してからは、重要なことを知る時、新たな大きめの原型ストーリーが出て来る時は、サロンの箱庭現象か、自分自身の体感・体験によって、それを分析するよう促されてしぶしぶと(笑)分析作業に取り掛かり、何らかの帰着点を得る。

そして答え合わせが来て、やっと解決。という流れがある。満月の頃から来ている何かについて、流石に10日も引きずっているので渋々と(笑)ピントを合わせた時、先日Tweet した「イシスの子供たち」が浮かび上がった。もうひとつ、前回の「白い聖堂」でフォーカスされていた「ケルビム、堕ちた青(アルクトゥルス存在)」も同時に出ているし、つい先日のセッションでは、「ケルブの踏み台になったセラフ」もちらりと出て来た。

永遠の主題である、「シリウス(進化させる力)と、進化させない母たち」の摩擦も常にある。「ケルブとエルたちの因縁を解く」、その主題も出て来ている。つまり、「因縁の深い、敵対(摩擦)関係を刻み、その原型同士、人間界に生まれ変わっても対峙するとそれなりに摩擦が働く」というジェネシス原型から現れる関係性パターンについて、全般で、「和解」の動き(与えられたチャンス)が、同時多発的に現れているのではないか・・・と、昨日あたりにふと感じた。

以前から「ライト(進化)ワーカーたちの役目は、シャンバラと『抑圧する母たち』の和解を人間界で実現すること」という話を、ジェネシスではしていた。一体どうすればいいのか、私たちに何が出来るのか、と去年などは話していた。けど、レムリアン〜のテキストを書きながら、「各個人が自分の中で、それ(和解・理解)が為されれば良いのだ」と気づいた。

そして、「調和」という、スピ界ではありふれた言葉の中に、それを込めていた。それから2ヶ月ほど経過し、自分の中ではすっかりと良い感じに、その「和解」が一部として溶け込んでくるような周波数帯に居たところに、突然の、今月半ばの引き下ろすような力。こういう時は大抵、自分が習得しつつあることを、次のレベル(表現活動、ワークやテキストの執筆などに)に広げる時、追体験するような揺り戻しが来ている事を意味する。

けれど、それにしては大袈裟すぎる。影響を受けすぎている。それだけ重要なこと、あるいは、自分自身に関係すること、今後の執筆に盛り込むべきことが、見え隠れしているということなのだろうか・・・?

さらにそのように思考を絞っていくと、ケルビムの苦悩、ケルブとエルの行き違い、イシスの子供(ソフィアを崩壊させた自責など)だけではなく、上述、セッションでチラリと出てきた「ケルブの踏み台になったセラフ」がまた、響いて来た。あまり公には書いて来なかった事だから、ここで少し触れておくと・・・

アトランティスで、軍隊を構成するために「再生」されたケルビムたちのオリジナルは、レムリア期、マヌやシャンバラの要請で地球に招かれたアルクトゥルスの専門家としての軍人、のような存在たち。軍人、といってもアルク人なので外見は人ではなく、肌は恐らく青いだろうし、背中にはツバメのような羽がある。プロフェッショナルで、周波数の高い彼らは地球霊ロゴスのヴァイアマスに仕えるためにやって来た。

・・・が、地球が壊れるかも、という規模の「何か」がレムリア期に起きて、それを止めるために命を落としたケルブたちが多く居た。その遺体(と言っても肉体というよりは霊体なのか?)は、モニュメントのような聖地アヴァロンで保管されていたが、遥かな時を経て、アトランティス人類が「神」に背を向けて、「神々」がそれを許し、別次元から見守る時代になった後に、

ケルブたちは「再利用」された。かつて、セラフたちを「再利用」して、エルたちが作られたように。

これを、アルガンザ・ジェネシスでは「後期ケルビム」と呼ぶことにしている。彼らが、既に物質次元となっていた人間界に「実在」するためには、汎用性のある霊体ゆえということなのか、「下地として」セラフたちの「何か」が使われた。後期ケルビムであった人のソウルはそのために、「踏み台になったセラフ」の情報も、自分の中に持っている。何らかの形で、そのセラフを解放してあげなくてはいけない。セラフゆえに、インナーチャイルドとして現れるのだろうか?

そうかもしれないし、その限りではないのかも・・ このエピソードを知ったのは、ケルビムが強めの(ケルブという定義を私に教えてくれた)方の数年前のクライアントセッションでのこと。そして理由や背景は分からないけど、今、浮上して来た。なぜ・・というか、上記のその他の因縁関係とともに、全体としての「和解」テーマゆえ、だとは思う。

そして多分自分個人としては、「イシスの子供たち」と彼らを使って計画を実行した多くのアトランティスの人々による「破壊」の対象としての「ソフィア」と、相変わらず同調するのだろうし、今回はまた新たに、「後期ケルブの踏み台、下地にされたセラフ」の開放という、見えない次元の集合的ムーヴメントの波長を受信し、それを邪魔しようとする力との拮抗を、体感していたのかもしれない。と、整理したところ。

パラレルに引き込まれそう、引き下ろされそうな気配がこの10日ほど続いていたけど(そんな時はいつもジェネシス原型の情報の中に居る時)、ようやく一段落。

Love and Grace

Amari

組織ではなくネットワーク。

自分のブログ記事をさらさらと概観していて、目についた言葉「組織ではなくネットワークを作る」。
その記事では、鏡リュウジさんの占星術本「水瓶座」に書いてある内容と、自分自身の気づきを絡めて書いていた。つまり水瓶座人間は、組織を作るよりもネットワーク作りに向いている、あるいはその方がうまく行くというお話。私自身にとって、それは確かに理想と言える。

組織、が苦手で・・それは、単に水瓶座、風の星座の影響があるかもしれない。けど、きっとそれだけではない。ジェネシス原型論や、うちの親ゆずりの家系的な性質、体質もヴァータ(風)だし、普通の水瓶座よりも水瓶座的な思考パターンが強めな気もする。

会社勤めや、組織で動く仕事など幾度か経験したが、何しろ本当に向いていないと思う(笑)。水瓶座って不思議な人々で、(昔から友人知人に多いのだ・・)不動星座だし頑固に自分の拘りを実行したい所があるけど、そうかと言って、リーダー向きではない。リーダーのような位置に据えられると、自由を奪われた気分になるのではないかな・・息苦しくなってしまう。

頼られるのも、頼るのも苦手。自分のことは自分でやりたい。そうかと言って、人を遠ざけたい訳ではない。人が好き。人間愛が強くて、人のお世話はついついやってしまう。そんな事をしていると自分の拘りや自由に支障が出て来て、「ああ!」と苦しみ始めたりする。そしてまた一人になるためフラリと旅に出る・・が、またまたついつい人々を愛して、世話を焼いてしまう。みたいな・・

「現金や社会的地位に執着が無いため、お金を持っていたら価値のある書物に替えておくと良い」と、昔読んだ占星術の大家の先生のご著書に。株式とか土地ではなく、書物。その心は、書物ならば「大事で手放さない」。そうじゃないと、お金に執着しないため、散財する・・・とのこと。まあ、なんておかしな人たち。宇宙人だわ。

・・そう、私などこれを地で行っていて、書物、と、鉱物・・(と少しのアンティーク家具)に替えている(笑)。もちろん、水瓶座も色々で、こんな性質が濃い人、薄い人、様々ではある。友人たちを見ていてもみんな色々だ。(けど共通して上記のような性質はある。要するにコレクター気質でマニアック、話好き、お人好しな人ばかり)

話が逸れてしまったけど、そんな水瓶座への鏡先生のアドバイス「組織ではなくネットワークを作る」。

これは、私がヒーリングサロンとショップの仕事をして来る中で、自然に思い描いていた形態。カレッジを経てジェネシスヒーリングが出来た時、プラクティショナーさんたちが自立し、サロン運営をしていくステップに入り、ジェネシス神話と所縁深い「世界樹」にたとえて、皆でひとつの世界樹を作っていけるといいですねという話をしていた。

私の頭の中にあったのは、組織のようなガッツリとした役割分担で密に関係しあうグループではなく、それぞれが自立独立して存在し、個性も発揮し、個性があるからこその豊かな世界樹が形成されていくという様子。

なかなかその匙加減は難しい。が、水瓶座時代、風の時代を迎えて、社会の在り方も恐らくそのように変わっていく必要性が、今、浮上しているのではないかな。

「組織」を構成すると、維持しなくてはいけなくなる。クリシュナムルティが少年時代に見出され、救世主の生まれ変わりとして教団のトップに据えられた後、30代になった彼は「真理は組織を作らない」と言って教団を解散した。組織は、誰が上とか下だとか、関係性がどうだとか、人間同志の密な事情が発生し、そのうちにそこに問題の焦点が移り、本来の目的から逸れていったりするもの。

もちろん、企業その他、重要な仕事を共同作業するフィールドでは組織でなければ成り立たない事もあるだろう。

ヒーリングサロン、スクールのようなメタフィジカル、スピリチュアルな場所は、目に見えないものが交錯し、レイキやエナジーヒーリングなどはある意味白い魔術のようなものだから、その逆、が介入してくる。見えないものが入り込み、撹乱するには、組織になっている方が介入されやすい。そこに人間関係、という物理的な「場」があるわけで、感情を持った人たちの、弱点や隙を見つけて、撹乱や分離を起こそうとする。これは、普通の人として生きている時に気づかずに体験しているものとは、やはりちょっと質が違う。

精神科医の先生がたも、患者さんの感情転移が起こりやすいと聞くけれど、時折、ヒーリングでもその様な事がある。また特に、私の持論ではジェネシス原型のアンドロ、レムリア自然界系の強い人は、相手が転移してくるキャラクターを自分が引き受けて被ってしまうようなことさえ、起こりやすい。・・そう、自分自身の経験から。

鏡のようになって、相手がそこに写したいものを写すことに、「どうぞ」と無意識に言ってしまっているような感じさえする(振り返ると)。もちろんそのような転移が起これば、何らかの不具合が発生する。この、アンドロ強めヒーラーの体質によって生じる、ある種の触媒、純化作用のメカニズムに気づくまで、結構時間が掛かった。
ヒーラーを引退した後に、整理出来たことかもしれない。

同時に、ヒーラーでなくても、人の中にある天使性とは、地上においてそのような二面性を持つのではないか・・ナ。望まずとも。天使界ではないから・・利己が渦巻く人間界であるから。純粋であろうとする、周波数を守ろうとすることで、通りすがる事象がそこに自らの対極のものを映し出し、恐れたり、困惑したりする。

地上に降りた天使たちは、その意味で諸刃の剣だ。そう望まずとも。それは、世界がまだ利己的だから・・そこにチューニングすると、「堕ちて」しまう。自分の周波数や質を守ろうとすると、知らぬ間に通りすがる事象に浄化や変容のための異変が起きていく。
そんな性質を生かして生きていくには、エナジーヒーラーか、芸術家か、表現者か、といった所だろう。

そして、「組織」ではない、個性を生かせる形での「ネットワーク」で、自分自身と、自分が守りたい仕事や表現を守っていく。

そのような繋がり合い方が、ライトワーカーとしては相応しいだろう。自立し合うことが大前提。そして役割の転移を互いにしないような、(インナーチャイルドを統合し終えた)大人であることも、その理想的な「世界樹」あるいは「森」を形成していく条件だろうと思う。

Love and Grace
Amari

note を作ってみた

たぶん今更なのだろうと思うケド、「note」で初のアカウントを作ってみたのです。目的は、まだ先になると思っていた創作活動。

相変わらず難しく考えていて、完全に書き上げ仕上げてから、ひとまずは手作り製本で、ゆくゆくは専用の出版レーベルを作り、リュミエールで販売・・としようか、
それだと準備に時間がかかるから、アドビのソフトや何らかのサービスを使って電子書籍にしようか・・・でもなあ、電子では自分は本を読まない、読めない体質なので、やっぱり紙がいいよなあ。とか、
考えているうちに時間が経っているようでもあり、そもそも、実はまだ執筆に集中できる段階ではない(他に順番にやることがある)から、と、ここ2〜3年そんなことを考えては保留にし、と、繰り返してきた。

前に日記で紹介した「例のあれ」の書籍を出された先生方も、note で発信しているということを聞いていて、噂には聞くけどちょっとマジメに覗いてみようかとつい最近、初めて見てみました。遅いよネ、いつもそうなのです。SNSや、かつてはブログでさえも、導入するのがかなり誰よりも遅くって。そもそも苦手なので・・

クリエーターの為の、というキャッチコピーの様だし、小説の書き下ろし配信には向いている? けれど、今更、もう20年以上ネットで発信的なことをしてきて、多くの文章を日常的に書いて来て、ライフワークである執筆、創作活動については、「ちょっとやってみよう」という訳には行かず。書籍として販売、を、あくまでも想定しているので、オンラインで発表していくつもりは無かった。

けれど・・著名な作家さんもお見かけした。う〜ん。私には向いてないなあ、「街」がコンセプトか・・出来れば森に篭るような環境で発信したいかも
最初はそんな風に思って。けれどまあ、これも時代の波だろうか。この先どうなるかは分からないけど、便利な機能もたくさんありそうだ。ひとまず「場」だけは作ってみよう。という訳で、アカウントを作成。

記事を書いてみようと思うと、「なぜこんなに本文の文字が大きいのだ?」「横幅が狭すぎて苦しい」とか、日頃からのこだわりが続出(笑)。カスタマイズ出来ないのですか?と、まずはうろたえて。更には、キチっと整然とスッキリまとまりながらも、皆さん、横にどんどん繋がり、交錯しながら「街」になっていて。ふらりと入った私は迷子になりそう。

誰かの記事を読んでいた筈なのに、気づけば別の人のページに移動している。??ああ、ここはどこだ??(Twitter でもよくそんな風に迷子になっている)

このHPや、歴代のブログのように、自分の居心地のよい、静かな、周波数やリズムを自分仕様に設定した空間でないと、自分の場、という感じがしない。そういう意味ではやはり、自分は向いていないのかも。(それか、自分が「変われば」いい。ヒーリングをしていると時折起こる、こだわりや頑なな脳シナプスの超越。)

けれどまあ・・街だというのだから、街の片隅に小さく書店を出すようなつもりで。あそこで書き下ろしで超古代小説やアトランティス小説が書けるのかは分からないけど、場所だけは作ってみた。もしかしたら辞めると言うかもしれない。意外と筆が乗るかもしれない。まだ分からない。Amari やArganzaではなく、ペンネームである「青野芹」、IDはsekaiju_books で作っているので、アカウントお持ちの方は宜しくお願いします。

そして場所や手段はどこであれ、どうであれ、創作活動はスタートします。日本古代史700年シリーズはまだとっておいて、アトランティスか、ガイアナの続きか迷ったけれど、最近見ている『古代の宇宙人』が良い刺激になり。アトランティスと、現文明の中間の、失われた時代の層にちょうど「ハピ」や「ガイアナ」は位置する。あの番組を見るうちに、頭の中に、以前決めてあるガイアナと周辺国のその後の数百年規模の歴史の流れが再び、頭の中で広がってしまい・・・

「順番に整理していく」という意味で、まずは「ガイアナ神謡集第二話・翠の公子」を書き下ろして、出来れば販売していくことにした。

(今、余りに久しぶりにその単語を口にするので、試しに「ガイアナ 翠の公子」で検索してみたら、全く知らない人が、その単語だけを拾って掲載している謎のサイトが出て来ました。私が昔どこかに書いた一文だけ、コピペされていて・・・全く関係無いものです。念の為)

「ハピ」の時と同じく、国の行く末、結末がもう決まっている。そこに至るまでは、おそらく「第三話」もありそうだ。「第二話」は、例えるならば「宇治十帖」のような物語。「第一話・神族の巫女姫」の子孫、カルマ、そこでの政治・宗教的な流れが、より深刻になったり、和らいで中和されたり、固定されて更に次世代へ受け継がれたりなどしていく様相を、シリウス人の遺伝子が2/3〜1/4入った王子、姫たちなど若い世代を中心に据えて描く。

そして、シリウス由来の「翼のある神々」が、地上に降り立ち人類と交配する時代でもある。第一話で予告されていた「神々の種まき」が、いよいよ起こる時。それが人間界に齎す功罪も描く。

そんなヒマはあるの? 何とか時間をやりくりして、仕事の一部として実現させたい。ゆえに有料での販売となる点は、ご理解いただきつつ。
「第二話」の前に、まだの方は(現在リュミエールで販売中の)「第一話・神族の巫女姫」も、ぜひどうぞ。笑

Love and Grace

追伸
こんな流れや変化もやはり「白い聖堂」が動かす自分なりのプレートテクトニクスだと思う。行動に変化が現れる時、思考回路にも当然変化が起きる。そのためには軽い揺さぶりも起こり、感情の重さを手放させられたりもする。前回の余波というよりは、もう次回の事前準備か・・というより、一連の長期的な「聖堂」実施による、地殻変動を自分なりに体験しているのだろう。目が回りそう・・だけど、乗っかっているプレートから強制的に動かされないと、変化出来ない頑固な部分が誰にでもある。

後日談

この日記を書いたのち、noteはアカウントを作りつつも約一年、放置していましたが、Arganzaの仕事のほうで使う事を考えて、そちらのアカウントを作り。その後「聖堂」ではなく「石ラボ」の瞑想会最中にエネルギー情報の渦のようなものに飲まれてどこかが(シナプスか)作り替えられる為の一旦の周波数ダウン(二週間くらい続く)を体験。何だ!と思っていましたがその後、「頑なな部分」が解除され、普通にnoteに店を構えられているという。また更には余波に乗っているうちに、本拠地のサイトまで新しく作り変えることに。

エナジーワークってやっぱり凄い。。仕事のために必要とあらば、普通では起こらない奇跡が起こります。。こういう事をポジティブに受け止められるかどうかは、自分が魂で仕事をし生きていこうと思っているか否かによって、別れますけれども。(23, 11 記)

ライトボディのシフト

2018年(カレッジ5期を終えたばかりの頃)、普段風邪も引かずに過ごしているのに、年初の2月に38-39度の発熱、その状態でセイキムセミナーをしているという、ヒーラー時代の中でもその時だけの異例の事態に始まり、

次は同年春〜初夏にかけて2度、咳がひどいタイプの風邪を引き、それが治りきらないまま夏になり(2ヶ月咳をし続けて)、遠距離通勤が辛くなって横浜から八王子移転を決めて。さらに八王子移転後、2019年の始めに地元神社に出かけた帰り道からゾクゾク・・熱を出し、やはりひどい咳をともなう風邪を引いた。この時、私から移った家族が病院に行くとインフルと判定された為、予定していた講座をお休みにするべくインテンシブの受講生の方にメール連絡をした、という。これもまた長らく仕事をしてきてその時だけの異例中の異例の出来事だった。

ヒーリングを始めた当初は、家族ぐるみで風邪や感染症なども良くあったし、長年ためこんだものをデトックスする意味でも、体調に出るということは2~3年続いた。その後、ヒーラーになった頃からはすこぶる健康で、一度、新型インフルに2009年にかかった(それも恐らく何らかのシフトゆえ)以外、風邪を引くことも、体調不良がサロンの仕事と被ることなども無かった。

エネルギー的に厳しい時期だったので、「自分の波動が落ちているからこんなことに?」と自戒していたけど、2017年春〜12月でまとめた「ジェネシス」完成後に起こった、非・進化の力による嵐のような出来事が続いていた時期だったし、その中で強く影響(攻撃)されていた赤のネガティビティが、呼吸器系や感染症を起こすことも、仲間たちとともに突き止めていた。そのエネルギーレベルの影響も大きかったと思う。

そんな逆風をあえてガイドたちが放置していたのは、この体験のお陰で、「ジェネシス」後のワーク改訂、プログレッシヴワークには、それらへの対策が盛り込まれた事からも、納得している。

 自分なりに、実はこれが、多くの人々よりも先にずれた形で体験していたシフトの手厳しいイニシエーションであり、新しい時代の進化に向けての洗礼だったのではないか・・と、パン・・・・が始まった時から考えていた。私、と、身近でアルガンザを見ていた仕事仲間たちが体験した、アトランティスでの社会秩序の混乱や、ジェネシス層のカルマ原型のミニ体験の一連の流れは、二元性の相克を乗り越えて、昇華して、調和に向かうという選択を自分の中で各人が成し遂げるプロセスの体験であったと思っている。

(SNSで偶然見かけた「パンデミック前年の2019年に同じように呼吸器系の風邪を引いた、シフトを先に体験していたよう、だからパン〜には共鳴しない=感染しない」という会話。そう考えている人もやはり居るのだなあと。私の場合は更に前年の2018年で。けれどエナジーワーカーとしての仕事の性質からすると、そのくらい前倒しで来るのはあり得るとも思う)

自分が体験し感じたことを整理した時、ジェネシス、という地球と人類ソウルの長い歴史の中で、そのポジション、意味を理解した。

神智学で説明されるように、今は地球で5番目の「アーリア人種期」という時代。その序盤には、前のアトランティス人種期を人類規模でミニチュア体験するという。カルマの火種を消して、軽くして、新しい時代のモードに本格的に入るという事だろう。その変わり目が今だろうと私は思っていて・・ゆえに世界規模、全体でのカルマの現出、浄化のための選択、シフトのための刺激が来ているのだと思う。(2022年の日記。パンデミックのこと)

「赤のネガティビティ」との魂の関わりの現出なので、呼吸器系の病気として現れていたのだろうと・・

『ライトボディの目覚め』という本(ナチュラルスピリット)があるカレッジでも参考文献にしているし、ニューエイジ思想やヒーリングと出会ったころに読んで、以後も大事にしている位置づけの一冊だ。ここに、「インフルエンザの様に見える形でやってくる、ライトボディのシフトの症状」についても書かれていて、実際に、自分がヒーリングを始めてから特に最初の頃に、何度かそのような体験をした。家族から移る、というような普通の物理的な現れ方をする。

けれど、意味合いとしては「ライトボディのシフト」なのだ。実際に、エネルギーがまず存在し、その情報を物質化するにあたって、何らかの三次元的脚色や前後関係が現実化する。「医者に行ったらインフルと言われたので、インフルです」ということは関係なく、エネルギー的な青写真を考えなくてはいけない。

風邪を引いて「ただの風邪です」と仰る人もいる。「ただの腰痛です」と。「ただの」というのは存在せず、エネルギーが先にあるということを、徹底的に脳に分からせないと、物事をいつまでも三次元的に考えてしまう。

日々のデトックス、免疫力UP、心と意識の周波数UP、すべての基盤である心身の健康、心がけていきましょう。

Love and Grace


In her shoes 誰かの目線

今日は祝日だったか・・半分過ぎてから気づいた。そういえば春分でしたネ。

星巫女プロ専科コース(以前有ったヒーラーズカレッジのマスタークラス)の教材として使った事もあるハリウッド映画『イン・ハー・シューズ』。この英語表現は、自分以外の誰かの視点、目線で、物事を感じたり考えたりすることの比喩。日本語でも「〜の立場で」というけれど、立つ、という動詞からやはり足に関係していて、シューズ(靴)という言葉が使われている点が面白い。

他の人の立場や、シンパシーで何かを感じることって、想像力を使えば簡単じゃない?と思うけれど、万国共通で、自分が味わった負の感情がフィルターをかけてくるから、なかなか、簡単とは言えないようだ。

特にこの映画のように姉妹関係だったり、聖書や神話でもよくある兄弟だったり。前に日記に書いた韓国時代ドラマ「スベクヒャン」の姉妹、兄弟、でもそうだし、上司と部下、経営者と労働者、親と子、夫と妻、などなど。人生の全てにおいて、もしかすると人間関係や、自分の人生の流れを良く出来るかもしれないカギとして、「他者の立場で現実の流れや物事を理解する」スキルは、重要なことだろうと思う。

単にスキルとは言い難く、中身の伴ったものでないと、ただ表層だけの世渡りテクニックになってしまって、きっとそれは後々になって学びの機会が用意されることだろう。

違う立場にあったり、違う条件で生まれて、今このように存在している・・その状況を真に相手の靴の中に入って理解する、受け入れる(or受け流す)という行為を可能にするのは何だろう?深い洞察力・・それもあるかも。だけど、やっぱり、「愛」(人間愛)言い換えれば「利他」の心、だろうと考える。

利他の反対、「利己」から逸れることがなければ、いつまでも他人の靴からの風景を感じたり味わったりすることなど出来ないからだ。自分の視点や価値観だけで、どこまでも歩いて行こうとしてしまう。

この映画では姉と妹の愛の流れがちゃんと復旧し、共有していたインナーチャイルドの傷も癒され、互いに切っても切れない絆を愛しいと感じられるところまで。それが叶うには、双方の献身、変化を受け入れる努力、歩み寄りの気持ちや、ハートの愛・・が必要になる。何かキッカケになるような(良くないほうへの)変化が起きると、ある意味、自分の視点や価値観・先入観を見つめ直す機会になる。

多かれ少なかれ、人は一生を通じて、そのチャンスと、受容、変容の連続を経験していく。子供だったところから、大人・社会人になり、親となって、大人や親の苦労を知り、更には社会でも様々な人々と出会って、それぞれの視点や立場を知る。年を取ると丸くなると良く言うように。

時折書いているように、私自身の「アンドロ気質・体質」を振り返ると、恐らく少数派ながらそういう人々は居て(サロンでもお目にかかって来た)、オープンな天使性やハートの力が、逆に「与え過ぎ」ではダメ、「利他もほどほどにしなさい」という学びを必要として、「利己」になることは出来ないけど、人間界の仕組みや、人間の利己性というものをそれなりに学んで理解していく、というコース。

このコースだと、自分に足りていない赤や黄色のエネルギーを強く持っている人々と多く出会い、時に守られながら、人間界というものを(笑)教えられる。学んでも、また偏ってしまったら、再びそのような出会いが用意されていたりもする。もちろん、立場を変えれば(In someone`s shoes)、その逆の事も言える。私は若い頃どちからというと、そちらの作用や出会いに自分が「貢献している」と常に考えていた。

子供の頃から不思議な溢れ出す人間愛のようなものがあって(笑)、小学生時点で今思えば、自主的にヒーラーのようなことをやっていた(笑!)。親も含めて、相手が元気になり、笑顔を見れて、喜んでくれて、(ここがシリウスだけど)以前よりもステップアップする(叡智に近づくような感じ、神をより知っていくような)姿を見ると自分も嬉しかった。その作用が、一方的に自分から相手に流れると思っていた。

けれど今振り返ると、周りに居た、私の考えていることなどよくわからん、と思っているような家族や親しい人たちが、無言の中にも常に、その黄色や赤の力で私を守ってくれていたのだなと思う。

自分自身で縁や現実を完全にコントロール出来るようになるまで・・つまりクリアリングが進んで、ソウルシステムがエネルギーの偏りを示して来なくなるまで。そんな出会いと、必要に応じて起きる「摩擦」と、結果としての「化学反応」=変容、成長、はつづく。

「菩薩道」を生きていきたいと考えたのが二十歳前後。ニューエイジな言葉で言うと菩薩は進化した魂で、それでも地上の人間たちが最後の一人まで覚醒し宇宙を思い出すまで、延々と、転生したり化身したりを繰り返しながら、地球の進化プロジェクトに献身し続けるという。

実はかなり多くのソウルたちがこの「菩薩道」を生きているのかもしれない。様々な靴を履いて、立場や役割を交換しながら。

Love and Grace

Amari