英雄神話・魂からの「召命」

NHKの「100分de名著」で最近取り上げられた、一冊。Joseph Campbell 「千の顔を持つ英雄」。キャンベル博士は神話学という、地味だけど好きな人には大事な、そして様々な別ジャンルの人々への影響力も多大な分野の学問の大家で。神話は Myth だから、Mythology ですね、「ミソロジー」。

個人的な体験としては、遡ること30年(!)、短大の授業で…英文購読だったかな、たまたま先生が選んだテキストがキャンベル博士の、この本ではなく別の「神話の力」。ジャーナリストの方との対談を書籍化したもの。高校の頃から考古や歴史、神話などが好きだったので、ここではまりました。ちょうどNHKでその特集番組が放送されたことがあり、録画したのを覚えています。

神話学というのは日本ではなかなか学べる所も少なく、以前留学できないかと考えていた時代(高校〜短大)、探していると英米だと割と学部や学科がありました。ギリシャ神話などが文化に色濃く残るゆえかもしれません。

そんな神話学の代表的な学者の名著と言われる本で、ただそれ自体難しくはないので、正直なところ100分de名著に登場したのは意外、そして嬉しいことでした。立ち寄った本屋で目についたので買って、すぐに読み始めて、とても響いたので早速。(ちなみに、まだ番組は視聴してはいません、笑。これからオンデマンドで。)

英雄神話を分析した研究書ですが、実はこの著作が「スターウオーズ」に多大な影響を与えたらしい。私は同作をあまり見ていないのですが、言いたい事は何となく分かります。やはり英雄神話というのは、「ロードオブザリング」(この場合はフロド)でも、ドラマの「ゲームオブスローンズ」(やっぱり英雄ポジションはジョンかな)でも、そして韓国時代劇(頭に浮かんだのは「チュモン」とかそのほか色々、女性主人公でも)… みんな、英雄神話のパターンを思い出させる。

拙著「ハピの巫女姫」ならば女性だけどセイレン、「ガイアナ」ならばレオダイ。レオダイはかなり、神話的な英雄パターンをあてはめた存在だと自分でも思っています。苦労つづきな所も。女神を得るところも。それで終わらない部分は、北欧など北国系の神話のパターンかもしれません。ジョージ・ルーカス監督も博士の英雄神話の解説に胸打たれ、その概念を軸として「スターウオーズ」の脚本を書いたそうです。

そう、それで。今回こちらの解説本で、解説者である佐宗先生(多摩美術大特任准教授)によるわかりやすい説明を読んでいた中で、響いたのは。表題の「召命」という言葉。
英雄神話の基本構造は「行きて帰りし物語」。大きく円を描くように、そしてその一周回った頃には高い位置に登っている、つまり螺旋構造。

詳細はまた、番組を見て.. そして大事にコレクションにしている(そういう本が多くて/.. 部分的には読んだのですが..)同書を読了した暁には、このブログに戻って来て、書きたいなと思いますが、今日は「召命」というものについて。

主人公は最初、英雄になる前なので、普通の人として暮らしている。そこに、何らかの招待が来る。冒険が始まるから旅に出なさい、飛び込みなさい、というのが「冒険への召命(しょうめい)」だそうです。

「ハピ」のセイレンならば、隠れるように暮らしている少女時代のセイレンに「実はハピ国の落胤だった。あなたは巫女姫を継ぐべき人です。」と言って王城の遣いであるリーヴが迎えに来る。… ここに当たる。

その召命を受けるか否か、という選択の「自由意志」についても、キャンベル博士は言及されていて、「召命拒否」と言うそうです。

拒否をせず、平凡な生活を捨てる、というリスクを超えて危険なチャレンジの旅に出た場合、「思いもよらない援助」(大抵は師匠との出会いなど)が起こり、その後まあ色々な段階が。試練と苦難と、壁を越えて目的を達成した後の「帰還」の段階には、「帰還の拒否」も起こり得るそうです。

それに関しては、フロドがホビット村に帰らず、エルフたちの旅立ちに同行したのを想起しました。そういうケースもありますね。けれど、元の世界、日常の世界へと戻るパターンもある。大抵、そこではヒーローや王として、輝く存在、特別な存在になる。あるいは、精神的な成長をテーマにしている場合もあるかも。「青い鳥」など。

「召命」というのは、メタフィジカル、スピリチュアルな観点や言葉を通すと「インスピレーション」や「ハイヤーセルフからの導き」や「高次からのサイン」とも表現できる。神話学的にはそれは「魂」への招待状であり、平凡な人間としてそのまま、日常の安全をキープして生きていくか、魂の使命に向かう流れに乗って、本来の自分の力や知恵を取り戻し、違うものへと変容を果たすか、という事。

日頃、ヒーラー、メタフィジストとしては、「ソウルで生きましょう」「ソウルと人格の統合を果たしましょう」と言っていることと、同じだと思ったのです。ゆえに「召命」が響きました。思い起こすと、自分にもそれが間違いなくあったのですよね。その流れに乗った、飛び込んだ時には、それまでの人生とは確実に違う時間が流れる。エネルギーの高揚感とスピードが違う。

神話のように「降ってくる」出会いやご縁で、苦労して探さなくても、やるべきことが次々と目の前に運ばれて来るし、そのために必要な情報は人から伝えられたり。「これが運命、ソウルの決めて来た道だよ」と言われているかのよう。ただ、私の場合はその流れに乗ったのは、当時どうにもならないほど「谷底」のような心境で生きていたから、なのですよね。だから「危険な旅に出る」のではなく、「失う物は何もない」気分だった。

召命というより、当時の自分にしたら「蜘蛛の糸」ですね。。笑

ただ、月日が経ってみるとあれは、魂からの招待状であり、魂=高次=自分自身の高い部分 からの、導きであったと思います。ただ、恐らくそれに「はいはい!」と言って飛び乗るためには、やはり一度かなりの所まで、落ちている、降りている(少なくとも自分はそう思っている)という状況が必要だった。そうしないと、人生がうまく行って快適に暮らしていたら、召命拒否、になっていただろう。自分の性格からしても。そう思います。

主人公たち(一般の我々も同じく)は、なぜ召命を拒否するのだろうか… という点について、キャンベル博士は次のように書いています

つまり、日本人としては耳が痛いですが「現状維持」ということ。エゴセルフの本能、本音とも言えますね。

ただ、解説の佐宗先生がおっしゃるに、人は皆、深層では冒険に出たい、本当の自分を見つけたいと思っているので、

とのこと。(p36)
英雄神話でも召命を拒否した主人公は、何らかの「よからぬ結果」に陥り、結局それにより「旅に出る」(魂が示す方向へ向かう)事を選択するよう促されるのだとか。

ここで思い出したのは、ソフィアのブッククラブ(サブスクリプションの読書記事)で前にご紹介した知花先生の「我は道なり 我は神理なり」の中で、同じような事が書かれていた… 「神には絶対服従」で、己の使命に関する導きを無視していると、何もかもうまく行かない、ような現実になる..とのこと。先生もそのような時期を経て、「使命」を受け入れたのだとか。

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英雄神話は奥が深くて、まだまだ沢山の面白いお話が、この「100分de 名著」の薄い冊子の中にも溢れているのですが、今日はひとまずは「召命」について..に絞っておきたいと思います。

ヒーリングサロンやスクールをしていると、癒されてその人らしく生き生きしてきた人が、更に学んで、自分が癒されてきたプロセスや魂の素質を生かしたことが出来るかも、という次の創造と探検の段階に踏み込もうとした時、足を一歩踏み出したことで、ソウルが応えてたくさんのサインで導いていながらも、恐れや「現状維持」の心が働いて、踵を返してしまう姿は、割と目にして来ました。

英雄神話というのは、私の感覚では全ての人に捧げられたものであり、ここでいう英雄とは、その人の魂が舞い降りて人格と一体化した状態で地上で生きること。英雄たちが物語のプロセスで数々の苦労をしているように、確かに簡単なことではないかもしれない。

けれど、早かれ遅かれ、全ての人が、そのプロセスを体験してソウルとの統合を果たすのだろうと思います。転生を繰り返す中で、召命が来た時に「来た!」と思えるか「違う!」と逃げてしまうか。

英雄神話のパターンが沢山、古典や文学や最近の映画にも、刻まれているのは、私たちの集合意識場には、しっかりとその原型パターン、教訓、知恵が、共有されているのだろうと改めて思いました。

たくさんの神話的、原型的エッセンスが、魂を揺さぶる小説を書いていきたいです。

世界樹ブックスのページを作りました

https://www.earthkeeper.jp/sekaiju-books

22年前に書いた現代小説(ブロマンスです/笑)を公開しています

https://note.com/sekaiju_books

そして、新作は有料サブスクの「ソフィアブッククラブ」にて執筆スタート

と、かなり宣伝のようになりましたが、こちらの..
ジョゼフ・キャンベル『千の顔をもつ英雄』 をちゃんと読みまして、また書こうかと思います。あ、そうだ。ソフィアブッククラブで読むことに致します。。(更に宣伝を!)

https://sekaiju.net/sophia/category/bookclub

ではでは、

今日はこのくらいで

Love and Gratitude

Amari

ガンダルヴァとイシスの巫女たち

 

桜も散り始め、早くも新緑が目立つようになってきた関東。

確定申告の第二弾も、先日無事に出し終えてひと安心。頭の中を数字と簿記用語が行き交う中、なんとか書いていた日記が今朝また消えてしまって・・一旦頭をリセットして、話題を絞って再度書くことに。今日の話題は「ケンタウロス」。

アルガンザのセッションの中で、いつ頃からかちらほらと出るようになり・・自分のセルフワークでもその前後から出ていて、何だろう、と思いながら幾つかのステップを踏み、一度2015年ころ?出来たばかりの「リリスリリース」の姉妹ワークとして、「乳海のニンフとケンタウロス」というものを作って。「リリスリリース」と同じ石たちやエネルギーソース、メソッドを使って、ケンタウロスを外す、というもの。リリスを外すか、ケンタウロスを外すか、という違いで、今思えば男女それぞれのヴァージョンでの同じワークだったと分かる。

いつもそうであるように、同じワークに組み込まれることの意味を、当時はあまりよく分かっていなかった。か、当時は分かっていたものの、ここ数年は忘れていたのかもしれない。今回、先日 Info記事に書いた「イシスの巫女たちの堕落」と、ケンタウロスが改めて一緒に出てくる体感や、セッション内容が続いて、両者は関連性があるのだろうと書いていたっけ。冷静に考えてみると、関連性がある、どころか、一対のテーマなのだ。出来たばかりの「リリスリリース」に、ケンタウロスを当てはめている時点で、そこまでは気づいていなかった。

何か別のものを、同じ手法で外すのだろうと。。。思っていた。

けれど、先日のInfoを書いてからさらに、何かあったという訳ではなく、頭や記憶を整理していくうちに気づいた。ケンタウロスが憑いて、巫女たちの約半数を「堕とした」ということだ。具体的には、神に仕え、人々の為に祭祀を担う無私の、公的な立場としての巫女たちが、自我により他者を蔑んだり、権力や名声を奪い合ったり、といった、今の人間社会にも存在するネガティブな精神を自らの中に「拓いた」・・・想像力が必要かもしれないけど、当時はまだ、人間はもっと純粋で利他であったと私は考えている。

そのため、「巫女たちの堕落」は、強烈な出来事であったと思う。彼女たちだけではなく、祭祀の中にもネガティブな神的エネルギーが流れ込み、結果として社会全体が堕ちていった。人類の堕落、いくつもの段階がある中の、ひとつの変換点であったと思う。

なぜ、ケンタウロスという、四次元存在(肉体を持たない)が、巫女たちを堕としたのか。

それは、ケンタウロスたちが配偶していた「乳海のニンフ」の転生者たちが、当時、巫女たちの半数を占めていたからだということに、気づいた。

リリスの発祥に、ケンタウロスが関わっている。ならば、当時のワーク「リリスリリース」で、堕ちた女性性リリスと、堕ちた男性性ケンタウロスを外すという2テーマが対になっていたのも今、ようやく、理由がはっきりした。

そして、改めての「イシスの巫女たちの堕落」を整理していた最近、以前にもう収束したはずのケンタウロスの気配がまた、やって来ているのも納得。体感もあり、ヴィジョンもあり、セッションでも出てくるし、以前シャンバラがすべて(ケンタウロスを)収容したという情報を受け取っていたのに、また何が起きているのだろう?と、思っていた。。

理由が分かって深く納得したところで、確認作業のひとつとして、改めて「ケンタウロス」を調べてみようと、ウェブのレベルだけど検索をしてみる。すると、幾つかの情報源には、以前も調べて、ナゾの男性性の怪しい四次元存在を「ケンタウロス」と名付けた動機となっているようなものが多く目に付く中、非常に興味深い新しい情報源を見つけた。以下、引用

Gandharva(ガンダルバ=仏教が日本に伝わった際の音訳は乾闥婆:ケンダツバ=インドからギリシャに伝わりケンタウロスとして神話に組み込まれたと考えられる)

サイト「コトバンク」より 出典小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)

古代インドの半神半人の精霊。音訳は乾闥婆、犍達婆で、意訳は香神、嗅香(きゅうこう)、尋香(じんこう)。虚空に住む天界の音楽師とされ、天の踊り子アプサラスを配偶者とする。古くは『ベーダ』聖典に出て神酒ソーマの守護者とされ、雨や雨雲と関係が深い。しかし、婚礼の歌ではビシュバーバスという固有名詞となって現れ、新婦にまといつく男の精霊とされる。また、ヒンドゥー教では天の楽人となり、図像学的には半人半鳥の姿で描かれるが、しばしば人に憑(つ)く精霊として、夜叉(やしゃ)や羅刹(らせつ)などと同列視されて恐れられた。終始婚姻や性愛との関連を離れず、つねに女性を愛している。仏教に入ると天竜八部衆(てんりゅうはちぶしゅう)の一人とされ、酒肉を食せずただ香のみ求め、緊那羅(きんなら)(半人半鳥の美女)とともに帝釈天(たいしゃくてん)に奉侍(ほうじ)して伎楽(ぎがく)を奏するとされる。ときに今生(こんじょう)に死して次生(じしょう)に生まれる間の中有(ちゅうう)、中陰(ちゅういん)の義にも用いられ、天の楽人と中有の結び付きは、なおつまびらかにしえない。[原 實]

https://kotobank.jp/word/ガンダルバ-49231

これは本当に「答え合わせ」的な、画期的な説明だった。アンダーラインを引いた「アプサラスの配偶者」・・恐らくこのくらいしか、以前に「ケンタウロス」と定義づけた根拠は無かった。セッションやセルフワークでのヴィジョン、情報から分かっていたのは、「ニンフ」と配偶する男性性であり、何らかの理由で闇の存在となった、それゆえにニンフであった魂の女性に、今でもつきまとう、という内容だった。ニンフは、インドでいう「アプサラス」であり、ギリシャではアフロディーテの語源・イメージソースであると考えられる。

ジェネシス神話にも、既に「ニンフとケンタウロス」は出来た当初から書いているけど、ここまでハッキリと、こちらで感じている体感やヴィジョンと、一致する情報はこれまで出会っていなかった。(今回いとも簡単にネット検索で出て来たのだけど・・)

太字にした部分にご注目。新婦に「まといつく」、「常に女性を愛している」「聖愛との関連を離れず」これは、アルガンザのセッションで以前も今も、感じ取れるケンタウロスの性質であり、さらに言えば、自分だけが置いていかれないように、その女性の霊的な進化を邪魔している。。

それはそうだ。本来、レムリア当時は乳海という五次元の楽園で、ニンフという女性種族との配偶が常に保証され、神の膝下で、むつまじく暮らしていたところに「何かが起きて」、ケンタウロスだけが堕ちてしまった。けれど配偶者であるニンフを自分のものであるとしておいかけ回す・・ニンフたちも混乱し共に滅びる、・・というのが、ジェネシス神話に既に組み込まれている両者のストーリー。天界に住い音楽や香をたしなむ?存在であったというインド神話の記述も、堕ちる前の彼らを表すようで興味深い。

今回分かったことは、

そのニンフたちが時を経て、アトランティスの一時期に人間界でイシス神殿の巫女として生きているところへ(アトランティスでは原型ごとに転生の機会が与えられ人々が自分のレムリア以前のルーツを知っていて、それに応じて職業に就いているよう)、「何らかの理由で」霊としてのケンタウロスが解き放たれ、自分の配偶者である巫女たちに「憑いて」、引き下ろしたということだ。恐らく人間社会にその混乱、闇を招きたいという「何かの」意志が働いて、のことだろう。。

より詳しい部分、「何らかの」の内容は、改訂中のアルガンザジェネシスのバイブルに、反映させたいと思う。

ゆえに、今、ケンタウロスがまたウロウロしているように見えたり感じたりするのは、私たちの記憶から来ているのかしら・・それとも? 人類全体のシフトアップの今、原型物語が動き、各自の中のリリス、各自の中のケンタウロスが炙り出されているのかしら。。

リリスも、ケンタウロスも、性愛と結びつき、リリスはお金や経済にまつわること、ケンタウロスは精神の成長・霊的進化・人としての成功などの面で、それぞれ、対象となる異性存在の状態を悪化させる。実際に生きている私たちの中に存在している、魂の歴史に由来する、リリス性、ケンタウロス性が、今現在も現実面で共に生きる伴侶や異性に良からぬ影響を引き起こして、相手からパワーを奪い弱らせているかもしれないし、四次元存在としてのリリスやケンタウロスが、人として生きる私たちに「憑いて」いることもあるだろうと思う。

前に一時、ハイウェアで「ケンタウロス・ソースリダクション」というワークがメニューにあった。

GATのソースに、どんどん、見つけたら送り込んでいいと(笑)聞いていたので、その方法でケンタウロスをクライアントさんから「外して」、ミカエルに立ち合ってもらい、7次元に送るという内容だった。けれど、今また浮上して、情報が補強されている中で、発見したものをどう扱えばいいのか?考えながら・・ひとまずお客様のセッションでは同じようにミカエルに託しつつGATへ。また新たな直感、ガイダンスの受信があれば、シェア出来ることはシェアしたいと思ふ。。。

まあ、私の感覚としては、ずっと以前からアルガンザでは取り扱って来たテーマであるし、今回、バイブルや「アトラスハシス」により詳しく書く・・ことが、重要なのではないかと。それにしても、インドでは伝統的に「花嫁に憑く」「精霊存在」と言われていたとは。以前ケンタウロスの定義付けを、比較的すんなりと直感的に出来たのは、私の中にその記憶が、あったからかもしれない。

そうだ!大事なこと。

プラクティショナーさんたちに、数年前の「プロテクション専科」で伝授したサンスクリットの魔除・呪詛避けのマントラの文言の中に、よくよく考えてみると「ケンダツバ」として、名前が出て来ている点に注目してみて下さい。。リリスもだけど、排除すれば良いというものではないので、やはりシャンバラに委ねてソースに返していくという事になるけれど、嫌がらせは辞めて貰わないといけないので、そんな時には例のマントラも活用すると良いかなと思います。

そしてこれを読んで怖くなってしまった、心配になってしまったという方が居たらごめんなさい。もしその「怖い」が記憶や潜在意識の反応であれば、現世で起きている問題の解決の糸口かもしれません。プラクティショナーさんにご相談でも良いですし、Amari’s Work の場合は Utpalaの自動セッション(スピリチュアルコース)でも、レムリアントランスミッションでレムリアからアプローチしてみる、でも、良いかもしれません。気になる方はご相談ください。。

Love and Grace,

Amari