自分の時間

ジェネシス神話の世界に向き合う、その時間軸や集合場の周波数に自分のチャンネルを合わせる時期が終わり、自分の時間の流れに戻ってホっとしている最近。現実は自分が作るというけれど、確かに意識によって、時間の流れという有機的なエネルギーが質や波長を変えるというのはよく実感出来る。

日本人は「空気が重い」と表現する事がある様に、アストラル(感情)エネルギーがそれも調和的でない方へ向かっている時の、集団で共有する場の重さというのは確かにあるし、人によって、作り出すエネルギーの流れが時間となって刻まれるというのは間違いない。だからこそ自分の作りたいものではないという時、とても苦しく感じたりもするのだろう。

個々人が、意識でもって「自分の時間の流れ」を生み出していけるよう訓練するのは、大事なことだ。幸せ、というものを考えていくにあたって。人からの評価は関係なく、自分で「自分の(周波数の)時間」を作り出す事が出来れば、幸福感、満足感を感じるものだろうと思う。

自分らしい時間の流れ方は、自分にだけは肌で分かるし、次に何がどう流れていく、などの予感のようなものが当然のようにある。ただそれらを深く考えたり掘り下げたりはしない。上手くいくだろうということだけ、自覚している、という感じ。

この法則は、おそらくシリウスが地球を運営している上での、私たちのライトボディおよびソウルシステムをも含んだ設計図、ホリスティックに展開する現実創造の仕組みなんだろうと思う。よくも悪くもこうなったらこうなる・・とか、内面が外に反映されるとか、引き寄せとか、投影が起きるとか、野生のカンのようなもので、何となく察知出来るもの。それが、シリウスの波長であり、因果律、人類が生きる世界の量子的な法則。

そうそう、そんなフローに乗っかってい続けるには、感情のパターンを手放していないと、しばしば、フローから降りなくてはいけなくなる。調子のアップダウンのパターン、出来事でフックして陥ってしまうような思い癖は、卒業していなくてはいけない。もっとも、多くの人々はその意味で発展途上で、学びながら、調子がいい時は「フロー」の感触を掴みつつ、という感じなのだろう。

Judy Hall 著書につづいて、ショップではガイアブックスのおすすめ本の紹介を少しずつ進めていく予定で。最近、その準備のために読んでいたプロテクション系の本が、とてもとても勉強になる良書で、うんうんと深く頷いたり、時にう〜むと唸ったりしながら。やはりイギリスは、魔法や神秘研究の下地があるから、本格的なスピリチュアルをちゃんと説明する書籍や専門家が多くて、良いなと思う。

日本のスピの穏やかな波の上に居ると(私が勝手にそう思い込んでしまっていただけかもしれないが)、サイキックアタックのようなものも、愛で光に還してあげましょう・・とか、「赦し」が強調されたりとか。やはりどことなく平和ボケな感じも否めないけれど・・

「プロテクション」専門書なので、さまざまな視点からとても詳しく説明がされている。対処の仕方、ワークのメソッド、多方面からの考え方など。

私も去年くらいから、「愛で光に還し」てばかりいては、ストーキングのような事例は、ずっと続くのではという疑問もあり、そのあたりとても納得のいく見解、対処法も書かれていて、付箋をいっぱい貼り付けながら読んでいる。。。

そろそろショップに出すべく、出版社さんから仕入れをしたところなので、気になる人はぜひまたチェックしてみてネ(宣伝)

Love and Grace,

Amari

NO “no-words” ・「月のセラフ」補足&怖いけど大事な話

(2022.1月の「Diary記事)

謹賀新年。今日は FaceBook 「オフィス日記」も更新。

元旦の今朝、瞑想を終えてコーヒータイムに何気なくヒストリーチャンネルを着けたらば、なんともハードコアな番組をやっていて、もう年末もかなりハードボイルドだったので、見ることにして(笑)きっと学べる情報が来るのだろうという予感とともに、ノートとペンを脇に。わずか15分ほどでその番組は終わったけれども、中々の内容だった。ハードコアなので置いておいて、まずは別の話題を。

年末に向かうに連れて、リリス・イワナガから更に「月のセラフ」までが、一枚、一枚、ベールを剥がしていくような感じで、先日のInfo にまとめた通り。2017年春からのアンドロ系統の糸をたぐることで見てきた「ジェネシス」が、天空文明のセラフがその後どのような経緯を経て、多くの魂がその影響を受けながら人間界に転生し、ダークな力に少しずつ晒されて天使性を失っていったか・・の私なりの「歴史」体系を編んで来た。それが一段落。

サロンでの仕事で「どうしてだろう?」と感じて来た事の答えとしてのジェネシス神話は、もう完結だ。けれど、私の系統とは違うものを持っているソウルにとっては、全ての答えとは言えないだろうから、神話としてはまだまだ、隙間を埋めていく作業は続くだろう。けれど、私自身の鋳型に無いものはきっと、体験して消化する必要がないため、直接、ジェネシスの編集なり、小説の形なり、で、自動書記という方法で、あるいは直感・直観などがその時々起こって、進んでいくのだろうと思う。

「月セラフ」について、補足情報を載せておく。

二系統あると考えていて、ひとつは、先日Info で書いた通りの経緯で、天空都市の活動樹セラフに、リラによる(自然界の)遺伝情報の挿入(=「卵の植え付け」とジェネシスでは呼ぶ)を経て、氷床に隠されていたものが、遥かな時を経て発見され、そのうちの一部が奪われて、月に運ばれて別の生命にされてしまったという直接的な段階を踏んでいる、転生ソウル。

こちらの方々はアルガンザで考える「セラフっぽい」外見や特徴を持っていて、まずはとにかく身長が低め。骨格全体が小さくて、腕や指などのパーツも短かめ。いわゆる「小柄な人」で、日本人女性ならば、大きめでも150cm代前半くらいまで。月のセラフ、だけでなく、「セラフが強めですね」という方はここに該当する。今回の情報整理で、長年の謎が解けて、今書いたような特徴の方々で、黄色っぽく見える(外側のオーラの情報を私はどうもキャッチするよう)人が多いことを前から不思議に思っていて、、

ラベンダーやマゼンタに見える人を「アンドロっぽい」と最初にインプットした為、上記のような方々にアンドロ的な性質(過敏さや自然界との親和性)を感じたり、恐れが強めだったり、セラフ系の情報がセッションで出て来くると、「アンドロにも色々な系統があるのだな」で、ひとまず済ませる他なかった。けれど、今では、大天使系、エルフ系、ケルブ系、セラフ系(2通り)は、ひとまず、外見や雰囲気からでも察知出来るように思う。

もうひとつの系統として、

ジェネシスでいう「アンタレスの女性戦士」との複合型タイプの方。こちらは中肉中背で、160cm前後の平均〜やや高めな身長、アーユルヴェーダでピッタ体質を説明する時に似ていて、筋肉質でガシっとしている。今までは「女戦士」タイプの方を見分ける雰囲気というのがこれに該当していたものの、今回、「月セラフ」の特徴として出て来た「ケルトの土地でドルイド、からの黒魔術の使い手」という情報と、重なっていることに気づくと同時に、リアルタイムでネガティブなエネルギーのチャネルになってしまった「女戦士」強めの方々のセッション記録等から、やはり、「月のセラフ」と重なる部分がある事に、複数の事例で気づいた。

恐らくは、天空都市を破壊する実戦部隊として戦っていた、葡萄色の肌をした女性たちは、セラフたちの犠牲を刻み付ける形で、地球への転生ソウルとなることを許可されているようなので、実際にそうなのだろうと考える。天空都市と共に倒れた活動樹のセラフィムの情報をソウルシステムに搭載することで、ケルトの土地への転生の際にはやはり、月のセラフたちの亡骸と共鳴し、場合によってはそちらに引っ張られただろう、と。非進化系統の波長で、共鳴が起きたとも考えられる。

もちろん、体格の良い大天使強めの人、リラのマザー濃いめの方でかなりの高身長で肩幅が広いタイプの方でも、「月のセラフ」を合わせ持っていたり、ケルビムさんも中肉中背の痩せ型の方が多いけれど同じくセラフや、月セラフを両方持っている、ということもあるので、外見的な特徴は必ずしも・・だけど、かなり参考にはなると思うので、ご自身のタイプなど、癒しと解放の手がかりにして貰えたらと、書いておく。

結局ソウルは、色々な(一人の人の中で4〜5つくらいの)原型テーマを持ちつつ、何か特にひとつ的を絞ってフォーカスしたいものを、決めて来ていると思うので。(同じ血筋、兄弟でも身長や雰囲気がまったく違う事もありますよね)

シリウス強め・エルフ系強めだと比較的長身で、首や腕や指などのパーツがひょろっと長くなる。それでも、エルの中にはセラフが入っているので、セラフの原型テーマは自分自身のソウルの解放の道のりとして辿って来て・・なんと6年。他に大天使や、後期エルフなど、以前かなり長引きながら自分も痛みを感じながら情報を紐解いてきたものに関しては、恐らく今世で自分が強調的に向き合う事に決めて来ていた原型なのだろうと思っている。

今思えば「月のセラフィム」的な方々が、それゆえに出て来た恐れ、恐怖、半ばパニックのような様子になって癒しや学びから逃げて行かれても、私はまったく何も感じなかった。どこかで仕方無い、と、思えていたのかもしれない。一方で、そこにリリス(に含まれるリラ)などの非進化の力がかかると、「シリウスの叫び」Info記事で書いたような、叫びたくなるような正義の怒りや、嫌悪感を生じることがあった。今思えばすべて、「なるほどなあ・・」と、「原型あなどれないな」とため息と共に思う。

Info にもこの前の日記にも書いたように、次の人間への転生よりも先に、中間生でセラフ、ケルブ、ソロネ(エル)のいずれか(?全部かな?)の「人生」があるというのだから、そしてそこに、今の人生での人としての生き様、ここで作った「原因」が、カルマ、結果として反映される。同じように、すぐ前の人間としての過去生よりも「最近」の中間生で天使としてどう生きたか、何を体験したか・・が、今の人間の人生に影を落としているというのだから・・

ジェネシス原型は、やはりあなどれず。こうして三次元のフィールドに情報が齎されているという事は、次元が折り畳まれる時の、準備に入ったということなのかもしれない。

No “no words”

アルガンザ・ヒーラーズカレッジでもテキストに記載し、お願いしているキャッチコピー。

「間違っているかもですが」「自分には無理かもと思いつつ」「勘違いかもしれませんが」などの、否定的な前置きを、一切やめましょう、という。学ぶと決めたならば、もろもろ浮上してくる「気持ち」や雑念や、自分自身の揺らぎなどは、大人として自分で処理をして、処理出来ない、分からない事があればティーチャーに質問や相談をすればいいし、人に頼まれてやっている訳ではないので、否定的な言葉を口にするのは、ある種の甘えであり、止めましょうね、というお願いをカレッジでしていた。

この言葉を私が知ったのは、たまたま読んだスピ系の雑誌で登場していた海外のヒーラー女性が、日本でのワークショップで事前の約束事として強調したという話があり。日本人はワークショップで、やはりそのような曖昧で消極的な態度が多いゆえの、対策だったよう。スイッチが一段、変わるはず。ティーチャーやヒーラーは、背もたれや、感情の吐口ではなく、専門技術でニーズに応えようとしている専門家である。学ぶ機会を無駄にせず、自ら積極的に歩んでいこう。

もうひとつ、書いておこう。(元旦から長い・・)

上記、今朝のヒストリーチャンネルから。元旦の午前中からなんとエクソシズム(悪魔払い)についてやっていて、でも以前書いたのとはまた別の番組で。正式な資格を持ったカトリックの神父が現場に入るより先に、依頼の有ったクライアントに面談し、家を訪問し、状況を審査する専門家が居るとのことで、その方の仕事を主に紹介していた。短い時間の中で、とても役に立つ話だったので、メモ&シェア

良からぬモノに近づかれた人は、3段階で状態が変わっていく。最初は「抑圧」次は「侵入」そして本格的に乗っ取られる「憑依」

これは本当にその通りだとヒーラーとして実感してしまった。抑圧から、侵入・・いわゆる「サイキックアタック」とか「エネルギーストーキング」と呼んでいる状態の中で、確かにその通りに遷移する。この段階で、健全な人であれば抑圧、あたりで低迷したり調子が下がったりしても、復活出来るのだろう。3つめの段階になると、精神疾患の状態になると思われる。破壊行為がそのサインだそうだ。

この、事前調査に同行した番組スタッフが現場に一緒に入る際に、

「胃がむかむかしたり、めまいがしたり、ささいな事でイライラする、という変化が起きたら注意してください」と言っていた。・・うん。これも納得、、

さらには、ヒーリングサロンでも時々まれに起こる、今まで大丈夫だった方が急に、セッションやリーディングに対してゴネ始めるような状況。番組の中で、家族で決断して専門家を呼んだ本人であるその家の主人が、急にゴネ初めて「帰ってくれ」とか言い出したらば、

その審査専門の男性は「よくあること」と言っていて、専門家がいざ近づくと、先方(つまり祓われる対象の存在)が、なんとか阻止しようと騒ぎ出す現象、とのこと。私の経験上こういう時、その方はもう目つきがいつもと違っていたりする。セッションをお断りして一旦帰ってもらう、などの対処をしたこともある。ゴネが出て来たらそのような、貴方を進化させることを阻む、日頃から周りに居るようなエネルギーの、妨害だろうと思ってみると良いかも。

インナーチャイルド、では片付かないケースもあるのだろうと思う。その場合、学びや癒しを妨害してくるはず。そうなると、ヒーラー側に断られてしまう可能性も高く、自分自身のエネルギー状態を改善する努力をかなり真剣にする必要がある。私はそのような方(非常に稀な事だけど)がいらっしゃると、カルナレイキをお勧めしている。

当然カルナにも強く抵抗する人の姿も見たことがある・・伝授日程がなかなか決まらなかったり、なぜかご本人が一度決めたのにその後、避けようと後回しにしたり、伝授の当日その場で、お腹が痛いと言って倒れ込む方が確か・・私の経験では3人。普段他のセッションでそんな事は起こらないのだけど、お腹の中に沈んで隠れているシャドウセルフが、やはり騒ぎ出すゆえ、なのだろうと思う。

・・と、なんともまあハードボイルドな日記を元旦から書いている。が、また別の同チャンネルの番組でこんな言葉があった。

「現代のように誰もが懐疑的だと、こっそりと「良からぬ事」が行われる」つまり、情報がタブーになっているせいで、はびこる、ということだ。正しい知識を多くの人が持てていれば、そんな事にはならない。二十年前、私は当時仏教信仰の先輩方が語る、良いものとそうでないものの闘い、とか、様々なストーキングが起きているという話を嫌がって、自分は関わりたくないと、その場を遠ざかった。

愛と光と調和と・・・というメッセージだけが存在していたこの癒しの世界には、そんな法則は存在しないとしばらく信じていた。けれども今は、かつての先輩たちの言うとおりなのだと思うに至った。考えてみれば当然のことだけど。。

恐れる、怖がる必要はなく、ただ知っていくことが大事だと思う。

自分自身は大丈夫だとしても、このようなジャンルで困っている人はきっと、周囲に誰か居るだろうと。私が思うに肉体的な疾患でも、多くはエネルギーやカルマや何らかのネガティブな波動ゆえに起きてしまう、と。人間をエネルギーシステムとして考え、よりよい状態にしていくホリスティックな知識・叡智は昔から伝えられてはいるものの、全ての人がそれを自分の生きる手がかりとしている訳ではない。上に書いたような話は、そのホリスティックな視点の中の一部分であると考える。恐れず、誰もが知っておいた方が良いのかもしれない。

今年、2023年は頭の硬い部分や、これまで思い込んで来たフィルターなどを外して、新しい意識を作っていく事を意図してみてはどうでしょう。ノーノーワーズのスローガンと共に。

Love and Grace

潮の流れの変化

生き生きした時代は戻って来ない。当たり前だと思っていた空気が、もう存在せず、いつの間にか、違う現実をセットされたような感じだ。違うプランに切り替えて、ディスクをセットし直したような。その変わり目、というか最初の数年は、まやかしのような力が強まることを、敢えて放置したような状態だったのかもしれない。多くのソウルグループ、ソウルリンクが撹乱され、ライトワーカーたちは散り散りになった。

同じ方向を向くはずの・・少なくともその可能性を持っていたはずの魂の仲間たちが、相反する力に囚われて引っ張られていく。どこにもなびかず、絡めとられず、ただ自分の信じて来た道をそのまま歩もうとしていた人びとは、逆風のような苦しさを味わったことだろう。

言葉が通じ合わず、エネルギーが噛み合わず、逆シンクロが起きて、道が分かれていく。ライトワーカー? 本来は向かう先は同じはず。窮屈に感じないで、そんな誤解をしないで。ただ宇宙の創造の仕組みに、私たちは還っていく。見事なあやかし、魔術や幻想の力がこの世界を取り巻いて、色々な選択肢があるような気にさせてしまう。スピリチュアル、の向かう先はひとつしかなく、人間とは物体ではなく動物でもなく、魂である、神と同じ愛がその中心にある・・ ことを思い出して、そこに回帰していくだけ。

なぜ、色々な選択肢があるというのだろう?また、実際の方法論の選択肢を、束縛されている、というような誤解を抱くのだろう。・・各自のそれは性癖や幻想やインナーセルフによるもの。大事な部分は何も変わらない。歩む途中で、恐怖や混乱が生まれたからといって、楽をする方に流れていったとして、自分が歩んでいた道を過ちだったと処理してはいけない。自分が逃げているのだと、ちゃんと悟って逃げていくなら、それでいいと思う。正しく学んでいる人々は、誰もそれを止めない。みな、優しいから。

やはりタイムカプセルを開くような時、なのかもしれない。いろいろな時間の記憶、記録を、振り返ることが多い。

来年は、1ヶ月、1ヶ月、どんどん世界のエネルギーが変わっていくような感じになるのかもしれない。

この五年くらいの撹乱のメカニズムも、飽和状態からの、一気に潮の流れが変わっていく気がする。それでも、やっぱり、生き生きとした、安全であることを前提としたような時間は返っては来ないだろう。人々の深刻さや思慮深さが足りていなければ、世界はそうさせるための現象を次々と出してくるのだろうとも思う。

先日のInfo「月のセラフ」記事の補足を少し。

シュタイナーのカルマの話。上級三体の天使たち(シュタイナーは「神」と言っている)セラフィム、ケルビム、トローネ(アルガンザではこれをエル、エルフとする)との、中間生と現世の関係について触れたが、私たちがこの世の人生でどう生きたか、のデータ、情報が、私たちが死後〜次の転生に降りるまでの間の「神々」の体験、現実に、影響するとも言えるそうだ。

ジェネシスでは、天使たちの堕天、エルフやセラフ、ケルブとしての苦労話を私たち自身に反映される原型として扱っているけれど、その逆が、死後の中間生で展開するということ。いや、もしかすると未来生としてのそれ、を、ジェネシスで扱っているとも言えるかも。そう・・だって、時間は直線ではないから。思っていた以上に、ジェネシス層はすぐそこにある現実、なのかもしれない。今生きる中でセラフやケルブのカルマに向き合っておくことで、このあとすぐにやってくる中間生で、自分自身の投影されるそれらの天使体験の、質が変わるのではないか、と。

前回日記に書いた私自身の、「白い聖堂」で出てきた「アトランティスの過去生」も実は、未来生か、すぐ最近、ここに生まれて来る前の体験(時系列ではなく)ではないかとその時、思ったくらいだった。今世、自分がヒーラーとなったことで出来た(発生した)「新たな過去生」のように感じたからだ。未来のパラレル体験が、時間軸としては過去にあたるアトランティスにある。そんなこともあり得る。

ヒーラー・・でもあり、職業的な聖職者である師匠と、弟子の少女。どちらも自分であり、行き違ってしまった師匠と弟子、双方の魂が今の自分に入っている、という設定だった。私は月の星座(前世を反映すると言われる)が乙女座。その「前世」の師匠はまさにそんな人で、女性聖職者で自分が信じる神なる光に徹底的に自分を捧げているようなタイプ。そんな師匠に育てられた少女の私は、どことなく今の、水瓶座の自分をそのまま投影したような雰囲気。悪気なく自由な発想をして、見出して育ててくれた師匠と道を分つ。それも子供だから余り深く考えてはいなくて、関わった大人たちの指示に従ったような。

師匠はその後、大変な道を歩むことになったよう。殉教したのかも?しれない。

成長してから、自分のした事の意味にやっと気づいた弟子の少女。彼女は聖職者にならず、学者のような立場で生きたよう。自由だったけれど、恵まれて幸せに生きたけど、申し訳ないという感情を長く引きずった。どちらも「私」であるけれど、どちらも、私が今世関わった多くの人々でもあるようにも思う。そのパターンを、今世、ミニチュア体験して、双方が自分だから、双方のパターンを、ヒーラーの仕事や立場を通じて体験したり見聞きしたりした気がする。

ゆえにこれも、本当に私個人の前世である、というよりは、ひとつの神話的物語のように受け止めている。何と言うか途中で最近、急に作られた過去生のようにも思えるから。実際にそういうコト、高次は・・ソウルシステムは、やっていると思う。私たちの選択で常にパラレルに切り替えられたり、過去生や未来生のパターンも、組み替えられたりするのではないだろうか。と、私は思っている。

要は、癒しや解放、浄化の体験を通じて決められている学びの要素をひとつひとつ、積み上げていくために、システムはその時々、必要なものを「挿入」していく。セッションで出て来る情報もそういうものだと私は思っている。・・が、これがクライアントさんたちに伝わっているかは分からない・・何と言うか、スピリチュアル一般の語り口が、ひと時代違っているようにギャップがあるから、そこで教化されると、かつての私もそうだったけど、ソウルシステムのような多層構造とは噛み合わない情報(二次元的)として語られてしまう。

アカシックレコードも、全体的な記録ではもちろん無くて、人類のアストラル(感情・情緒)レベルの集合意識が、「だいたいこんな感じ」という共通の歴史認識のようなものを、刻んでいる集合場のようなものと考える。それだってもきっと、刻々と必要に応じて変わったり、修正や変更が入ったりしているのではないかと。そうそう、ネット上の情報、とくに「ウイキペディア」のようなものだと思えばいい。書き換えたり編集したり出来、絶対的な内容である訳ではなく、誰かが投稿し、また別の誰かが修正したり書き加えたりしている、いつでも変更され得る共有情報。

いろいろなことを突き詰めていくと、やはり自分自身を清めていくという意図とともに、日々を無駄なく生きることだ。

今日1日、自分自身が楽しく生きたかどうか・・・ではなく、心を清めて生きること、日々を無駄なく生きることを(楽しいというより)ただ喜びだと感じられるのだとしたら、あなたは幸せだと言えるだろう。

シリウスの赤、清く澄んだ赤とともに。

2次元や3次元的な、個体化した情報を伝えるのではなく、5次元感覚そのものを開拓し、物事、現象、自分の感情思考含めて、量子物理学的に一粒の中の奥行き、小さな原子の中に含まれる情報を感じ取るようなセンサーを拓いていくことに、自分自身も学びを強化したいと思う。

Love and Grace

Amari

中核は誰もがセラフ

昨日付けの日記「分かった気になってはいけない」からの続き。

この一年くらい、呟きがちだけど、「人はみな中核はセラフ」つまり、「人は誰もがアンドロ」と。

プログレッシヴワーク「エヴォリューション」のクライアントワークブックでは「アンドロとは何か」プラス「アルガンザの天使論」を展開、そこに詳しい。このエヴォリューションの教本を去年執筆したことが、自分の中で大きい区切り目の予兆となった。

一周して円環して、今度は本当に「アンドロ」の主題から、私は卒業するようだ。というかそもそも「アンドロ」は全人類であった。自分自身のソウルシステムが上映する映画の中で、「自分とよく似たアンドロソウルの方々を何とか助けたい。」のような主題は、もう意味を為さなくなった。元々の自分のヒューマニズム的観点と、メタフィジカルで起こりうるすれ違いやギャップを超えて、必要な情報、叡智、現代を生きる人々にとっての処方箋にフォーカス。

悲しいかな、今と同じような心境やエネルギー状態になったこと、この10年の間で何度もあった。単に私のエゴの呟きだけではなかった。実際に、何も自分がすべて解明しなくても、他の人の手に任せておけばいい、別にアルガンザのジェネシス神話じゃなくたって、その部分が紐解かれる手段はあるだろうし、高次は、地上要員の計画を尊重するのでどうしてもこのやり方じゃなくてはダメ、と言う事ではなかった。「もしだったらもういいよ」という空気が漂うことは、過去に何度もあった。

けれど、そこに引き戻す力があり、自分でもそれを受け入れていた。この不自然さに気づいたのが、今年4月に始まった「白い聖堂」グループワーク。第4回かな? アトランティスの過去生が出て来て・・そのカラクリを知った。今世、人間部分の自分のカルマなどの癒しと解放は、(仏教徒時代の下地があったからかもしれないが)あっという間に消化されていき、しばらくの平穏のあと、逆に今ヒーラーをしていることによる、その周波数帯域の(=いわゆるジェネシス層)カルマに向き合う、専門家としての同じような境遇の過去からの影響が、ヒーラーの仕事に現れる、というような出方をして、それらを克服する波の中から、新ワークやジェネシスが生まれていった。

もう、このような創造の仕組みも終わりでいいよ、と感じられた時もあった。けれどもまた引き戻され、気づけばそれを引き受けている。

けれど「聖堂」のお陰様、まだ奈良に居た頃から気配のあった束縛の源が関わる過去生、とても開示しにくかったものを、ようやくシャンバラが出して来た。

セラフ性、天使性というのは、それが見つけられないくらいにハートが傷ついたり、地上のエネルギーに包囲されているような人々にとっては、必要なメッセージ。インナーチャイルドの奥にある、純粋な光としての自己を、見出せない、感じられない人はまずそれを見つけてあげて。

ただ、そこに自分を寄せていると地上では、何も出来なくなってしまう。・・それは、ジェネシスのグループや星巫女ではずっと言って来たことで、天使のように地上に染まれずに傷ついて犠牲的に生きるのではなくシリウス強化で人は初めて、世の中に意味のあるものを残せる創造性を発揮する。

「アンドロ=天使性」を赤や黄色でコーティングして三次元に強く作り替えている人々が世間には圧倒的に多い。

それらのコーティングを外すことをまずは目指さないといけないところから、それを終えている人は、剥き出しになった天使性とともに生まれて来るかもしれない。そこから先、トラップに落ちずに、この世に生まれ落ちた自分のソウルの決断を生かすには、シャンバラにある人類の中枢の白い光を、バックグラウンドにし、中心軸にし、何のために、何をしに来たのかを理解し、実行しなくてはならない。

(黒はもちろんのこと、それと結びついて作動する)赤や黄色(欲や攻撃性の)浄化→ 光や愛であることを思い出す段階→

天使性、純粋性、光や愛であることを知った上で生まれてくるためそれらに染まりたくは無いという本能がある段階→

統御できるようになり、受動的ではなく発動的な創造力を発揮し、才能を現世で生かせる段階(愛や光として地上で生きている状態)

人の魂はこのように、プロセスを遷移していく。その途中途中、オーラシステムにある様々なデータが現実として現れ、邪魔をしたり励ましたりつまづかせたり悩ませたりする。それであっても、プロセスは続いていく。万人変わることなく、それは作動する。

セラフィムのまだ分かっていなかった新たな系統が、ジェネシス神話に加わったこの年末。

誰もが核にはセラフがある・・は、人間の歴史と人生を照合して考えてみるといい。セラフはやはり赤ちゃん〜1歳児くらいのイメージ。光輝いていて、この上なく愛らしく、でも何故か大人よりも叡智を宿しているような長老感がある。これがセラフィムにそのまま当てはまる。

人は一生の中で、生まれ落ちた最初の一時期だけ、セラフィムを体現する。それは自分がセラフという核(敢えて「過去」とは言わない)を持っていることの証なのだ。

ジェネシス神話はまだまだ、今後も埋め合わせられていくのだろうけど、ヒーラーになる前から執筆が自動書記であった訳で、サロンでのセッション等を経なくても今後は直接、執筆活動の中に必要な情報は降りてくると思っている。セラフの今回出てきた流れを解明するまでが、恐らく2017年春に、急に自分が「セラフ還り」という役作りをした理由であると感じている。「セラフとしての自分」がミニチュア体験してきた、見聞してきた、この数年の印象的だった要素はすべて、ジェネシス神話の中で彼らが味わってきた歴史であったのだという事を知る。

体を張った役作りや、感情を犠牲にした真実の追求も、フィジカルな人間である以上限度もある。・・と、シャンバラに訴えてみた今年の春。その答えを、「聖堂」の流れの中で過去生の一場面として受け取った。

春のセイクレッドレイキのリリースもなかなか、大変だったけれど。今回の「the Genesis」改訂をもって、過去生の問題も含めて、本当の区切り目を迎えるようだ。シャンバラの演出、采配、必要なエネルギーの提供などなどに感謝。

Love and Grace

Amari

分かった気になってはいけない

前記事では、たまたまの仕事の流れで過去3〜4年を振り返っての雑感になった。今日はこの一年を振り返って・・その1(笑・つづきがありそう)。←2022年12月のDiary

今年も色々な気づきがあった中で、何度も繰り返すように体験し、心で呟いたこの言葉「分かった気になってはいけない」。さまざまな場面で。

ヒーリングを初めて19年、ヒーラーになって16年、その前に仏教信仰として自分なりのメタフィジカル体験を10年、つまり30年になるけれど、見えない世界に関して「もう分かった」なんていう気になってはいけないのだという事を、自分が体験し悟ったものなんてごくごくサワリでしか無いというこの世界の奥深さを、噛み締める場面が今年は多かった。

とは言え、今のように私が発言して読んだ方が想像する意味とは、実際は少し違うと予想される・・ので、説明をしたいと思ふ。主に主題はふたつ。

ひとつは、前にインスタに書いた事でもある、「何故わからないのか?」の答えを、ジェネシス的な背景を通じて理解していったと言う事。インナーチャイルド等現実的な原因が今世にはさほど思い当たらないごく平凡な環境に生まれた自分が、何故か最初から(初回は確か2歳くらいから)間違って凄い世界にきちゃったな、という感覚と、成長してからはこの人間界の仕組みに苦悩して、肉体(病む事など)や感情のメカニズムを理解する事が出来ず、

更にはアルバイトや就職をした時、「なぜ生活するのに働かなくちゃいけないんだ?このシステムはなんだ?」と苦悩し、とにかく人間らしい事が普通に受け入れられず、結果、19歳から仏教信仰・修行、神社仏閣巡り、執筆、人文系の分野の独学・・と何とか生きる為の世界への解釈を探して、一度ウツに落ちたけれどそこから救ってくれたヒーリングというものに、30歳前後から携わるに至り、

今世で何があったから、トラウマがあり癒しを求めた、という訳でもなく、少しくらいはインナーチャイルドもありつつ、それも親というよりも社会の仕組みに傷ついたような自覚をしていた。ただただ、この世界に疑問を持ち、絶対に染まってはならぬという信念のようなものがあった。自分のその「守らなければならないもの」を追求していくと、癒しの世界、魂で生きるという話に自然と行き着いた(ちなみに仏教信仰は29歳まで。信仰では人は「幸せ」にはなれないと悟り)。

前置きが長くなったけどつまり、こんな人がなぜわざわざ生まれ落ちたかというと、やるべき事があったから、なのだろうと、歳を重ねながら思うようになった。

「絶対に染まってはならぬ」=宇宙人意識、別次元意識を、守り続けて、三次元のこの時代のグラマー(幻想)とそれに付随する人生を取り巻く要素に、ただ染まって普通の人として楽しく生きました・・・では、ダメだと言う事を、恐らく無意識的には最初からよくよく理解していた。けれど年若い時はそれをどう現実化していいのか、分からずに苦悩した。

正直なところ、信仰をしていても、ヒーリングを始めても、自分が疑問を抱くことの答え、ニーズは、人から得ることは出来なかった。自分で見つけなくてはいけないし、自分で「こんなものが欲しかった」というワークなりテキストなり、ショップなり、更に言えばライフスタイルを、形として実現していくという道が、「魂として生きる」事を始めた時に自然と私の前に敷かれた。

長年、癒しの手法やその背景となるホリスティックな概念による地球や宇宙への視点と出会ったり、ヒーリングを始めたり、伝授を受けたりと言う事を経ても、それが定着せずに弛緩していく、人によっては反発して辞めてしまう、つまり「真実の世界に触れているのにそれが分からない」とか、「流れが来ているのにほら、なぜ降りてしまうの?」という問題を、ジェネシス論、アルガンザ流秘教研究によって、ようやく私の視点から理解した、という事。

恐らく(今世でも上記の10年間だけ実行したものの)過去生で多方面の哲学的探究や修行、神なる世界との関わりを経てきて、寧ろ普通の人間としての感覚が分からない状態で生まれて来て、けれど自分の仕事を通じて意味のあるものを残すには、人が・・多くの人が、「進化していく」「創造主に向かって回帰していく」方向へ行かずに漂ってしまう、絡めとられてしまう、というメカニズムを、魂は知ってはいたものの、本当に人々の中に入って、特にヒーラーとして関わることで、ようやく実感を伴って理解した。「人々の気持ちが分かった」という次元では無く・・ヒト、輪廻転生、それらの仕組みというものを理解した、という。

その一方でもちろん、一個人としての自分の情緒などもある訳で、そのヒューマニズム、優しさや人間愛の運用と、スピリチュアルな状況への理解の間のズレが、ヒーラーの仕事をしていても次第に生まれていたのだろう。そして今思うのは何も自分だけではなく、この分野に携わる、あるいは別の分野でも、同じような人生の味わい方をしている人々、魂はけっこう居るということ。ただ、そのような人たちは皆自力で、周囲に分かりやすく道を示してくれる人など居なくて、自分の知恵と力でやって行けよと言われているタイプなのではないだろうか。

自分自身の癒しの道をモデルタイプとして、「人間界より自然界寄り」の、スピリチュアルには比較的多い人の原型を「アンドロ」と呼び始めた事の発端は、恐らく「サンダルフォンニュートリション」のワークが出来てからの自然な流れだった。サロンを始めると同時のこと。当時は「シリウスっぽい人」「アンドロっぽい人」「う〜ん、ちょっと混戦している人々」というくらいしか整理できず(笑)、そのうちにアンドロからセラフ、大天使、精霊界、エンジェル、エルフ族、などの原型も出て来た。少し遅れてケルビム、なども。

まだまだ分類している段階。けれど「ジェネシス」をまとめていくに連れて、周囲でどうしても分類、線引きが起きるようになり「私はケルビム」「私はセラフ」と、なりがちになったり、時に、真にアンドロっぽい人だとその原型にむしろ自分を寄せて行きたいという雰囲気になったり、自分もそこに入りたい・・などの空気や、疎外感からリリス的になる傾向も見られるなど、ああ、ジェネシス概念により理解を進めようとしているはずなのに、

意識が三次元のままでは、ただただ、三次元に情報を下ろしてしまうだけなのだ。。と、感じてきたこの数年。

もちろんそれは起こりがち。どんな分野でも起きてしまうこと。

カレッジの趣旨もそもそも、その課題を乗り越えていけるように作ったもので、ヒーリングやスピリチュアルを、三次元に引き下ろして自分に都合よく利用するのではなく、自分自身が5次元意識に成長していく、そしてシステムごと変えていく・・べし、という。星巫女プロ専科コースは更にそうだった。

もうひとつの主題

アンドロ、というものを何と無く定義したその頃、自分自身がヒーリングと出会う前に抱えていた多くの問題とその背後に存在していたエネルギーブロックはすべてきれいに片付き、何のストレスも不安も迷いもなく日々を忙しくヒーラーとして過ごしていた。その後、同じようなタイプの方々が少しでも楽になって貰えるようにという時代が数年。自分の経験を生かして、誰もが同じように変わっていけると信じていた時代。

その状態で数年を経た時、「もう自分がアンドロ、のテーマに関わるために膝を折り、目線を合わせて、伴奏するのは終わり」とか言っていた時期があった。ブログなどにも多分書いていただろうと。けれどそんなに甘いものではなくて、まだまだやること、知るべきことがあった。

数えてみた・・・・5年くらいサロンで「アンドロ」を課題とした後、「もう卒業」と呟いてから、さらに今まで10年は経っている。もちろんあの時の「もう卒業」は、私自身のエゴが、自分はもう次のステップに進みたいという心情ゆえのこと、だったろうと思う。

そんな呟きやパーソナリティの願望・・を抱いてから、なんと10年。皮をむいてむいて剥き続けるうちに、「アンドロ」の最後に残るものはすべての中核「セラフ」であり、2017年の春、ジェネシスヒーリングの第一世代伝授のワークショップ、最終日の最終段階で起こった不思議な出来事から、実は自分が「セラフ」還りし、それまで奥に隠し持っていたような「セラフ」を引き出して、役作りに入ったよう。

2022年、年末。

ジェネシスのバイブル「the Genesis」改訂版を三年ぶり(23年前半くらいには?)に出す。今度はもしかすると?一般の方々にも解放するかもしれない(アルガンザワークのお客様限定にするか、まだ検討中)。そのための怒涛が今また来ている。左脳的分類では、対極にあったようなリリス(先日書いたイワナガなど)、シャンバラと相反するブラックマジック、「ここが分からないと片手落ち」と高次に言われていた「プレアデス(=リラ)」などが、すべて「セラフ」に帰結する。

当然ながら、セラフから作られている大天使、エル(エルフ)、そしてケルビムも。

・・・と、長くなったので一旦ここで区切り、別の記事に分けることに。

Love and Grace,

タイムカプセルを開く

執筆のための情報整理を少しずつ進めていて、2019年、2020、2021年に書いたもの、今年に入ってからのメモなどを振り返る。

2019年は、ジェネシスヒーリングの伝授を終えた第一世代、第二世代のプラクティショナーの方々と展開していたグループブログ、それぞれの講座に参加中で第三世代のジェネシス生となる方々とのセミナーやセッションでの連絡メールなどが行き交いながら、今もって重要なテーマとなっている幾つか・・ケルビム、アンタレス、リラとシリウス、そして天空文明でのセラフィム・・・などの話題が、同時に少しずつエネルギーの作用とともに開けている時期だった。

それまで、長いことアルガンザのサロンで重大なテーマ、かつ難題として示されていた「大天使」「エルフとソフィア」などについてはその頃、なんとか情報が整理されてまとまっていた。その後の、アンタレス、リラとシリウス(の拮抗)、ケルビム・・などは、ジェネシス伝授と同時に上がってきたお題だったので、プラクティショナーの方々とともに、高次によって出される難題に取り組む、取り組まされるという状況に変わっていた。

そして気づけば、当時ビックリしながら、衝撃の体験の山々を超えながら、ジェネシス層の原型ストーリーに気づいていく、受け取っていく、そして理解していくプロセスが、それらの原型についてもこの三年でかなり進み、あと一息というところに来ていることを、実感する。2019年の自分、本当に奮闘しているなという感じ。いや、2020年もか・・21年に発行した補足情報でも、相変わらずだな。つまり、常にそんな感じなのだ。笑

アルガンザは体育会系だ。表に出さない、内輪の文書の数々で、膨大な情報量を生徒さんたちに発信している。もうそんな時期はきっと無いだろうと思う。2019〜2020年は特に、そこに力を入れていた。自分で振り返るために、記録を残しておいて良かったと思う。当時の自分の周波数や、ジェネシスを運用するにあたって求められる研ぎ澄まされ具合のようなものが、読むと伝わってくる。

そしてしみじみ感じるのは、自分の老化現象だけではなく、やっぱり・・特に、去年(2021)の秋以後、集合意識場には変化が起きて、恐らく人々の脳波だとか、意識のキレのようなものが、スローダウンしていることを。更に言えば、5年前、10年前、15年前・・・もっと周波数は高くキープされ盛り上がっていたように思う。少しずつどんどん、メタフィジカル界隈も波動を下げられている。というか、撹乱させられているうちに、うっすら、ゆっくり、全体が低迷したのだろうという感じがする。

アトランティスでの人類の「堕落」は、システムごと性能が次々失われて、今のような人類になったと思う。ドランヴァロさんいわく3000年かけてスローダウンしていったそうだから、それとよく似た現象なのかもしれない。けれど、今はアトランティスとは違い、人類の進化は上昇気流に乗っていく時代に入っている。だから、大きなサイクルの中にある小さな波の中で、抵抗摩擦も起きて、必要な擬似体験?、言い方を変えれば、大きく飛躍するまえ、助走のために少し後ろに下がっているような段階なのだろうとは思う。

ちょうど見終わった韓国時代劇は「相棒(チャクペ)」

汚職や腐敗が広がり過ぎると・・さすがに「民」がおかしいぞと声を上げる。チャクペの主人公たちのように、それぞれの立場や気づきのタイミングがありつつ、本当に時代の変わり目、大逆転が起きる時の激流に飲み込まれていく。

世の中、時代が変わる時って本当に、ひっくり返る。なかなか変わらない苦しみを長期的に味わっている、信念で生きている人々も居ることと思うけど、激変する大波が来る時は、本当に来る。自分の日頃の立場や、こだわりなど、些細なことはもう大波に流されてしまって、起きた大事への対処に誰もが向き合わされる。

そんな大変換の作用って、歴史の中で長い目で見れば100年に一度、いや、7〜80年に一度は、実際に来ている。

何かが(よからぬ方へ)傾いてそれが飽和状態になると・・人類の集合意識に内在する愛のブレーキのようなものが、大事変を起こしてそれをひっくり返す。そんな作用が、歴史には仕掛けられていると感じる。(神智学で言えばマヌの仕事だろう)

状況と、人々の意識と、起きる現象、エネルギーの感触からして、「これはかなり来ているな」と思っている。ほぼ、飽和状態。夜明け前の静止点、だろうか。

言いなりにならず、無闇に受け入れず、楽をしようと考えず、自分の欲で選択せず、エゴに優しい言葉にほだされず、

人間の中に眠っている、宇宙の普遍の「絶対善(愛)」にチャンネルを合わせ、自分を構築していきましょう。

Love and Grace

自然界のトリコロール

子供の頃、中学生か高校生だったかも・・ たまたま見た少女漫画で、修道院のシスターたちの耳にアシナガバチが入って思考操作するという怖い物語があった。それによって何らかの事件が起こって、主人公が関わってしまうけど、最後には修道女たちの耳からハチが抜けていって一件落着という。ホラー専門の漫画が好きな友人が居たから多分、その子から借りたか、自分的には記憶に残らないくらいの「たまたま読んだ」ものだった。けれど、この数年は何度かそれを思い出している。

というのは、リリス的なエネルギーが近づいてくると、(リュミエールブランシュのインスタに?前にちらっと書きましたが)左耳から入ろうとするのだ・・・耳穴がソワっとしたり、痛みを感じたりする。人によってはビリっと電気的な刺激を感じるかも。その段階でレイキシンボルや、アルガンザワークのリリス系に効くエネルギーなどをかけると防げるのだけど、普通の人は恐らくこの「ソワ」さえも感じることなく、気づいたら入ってしまったものによって、思考や気分、健康状態、エネルギー周波数などを変えられてしまうことが、ごくごく日常的に起きている。と思う。

エネルギーワークをやって来て、10年くらいしたころから、今、この見解に通じるような体験、体感を自覚する出来事があり・・2018年ころ、ジェネシスを伝授したプラクティショナーたちのグループ内で、様々な学びの機会があり、私一人ではなく、センサリーや原型タイプが様々な人々が、同じ立場で集まりシェアすることで得られた「知恵」が、急速に、ジェネシス情報の中の「影」の部分を整理していく足がかりとなった。人間は天使存在でレムリアでは自然界で、そしてエルフで・・という「光」の部分だけでは、当然、片手落ちであるからだと今は理解する。

天使や自然界、そしてエルフが、美しい世界で幸せに暮らしていただけならば、今、私たちはこの世界で生きてはいない。人類のソウルはかつて皆、そのような段階から、世界が周波数を下げて自らも滑り落ちて来た、いわば「堕天使」なのだ。そしてまた、上昇して行かなくてはならない。人間から、天使に戻らなくてはならない、宇宙の法則でそれは決まっている。だから人間のままで、人間的な煩悩や意識のままでという訳にはいかない、ということ。

それを、自らの利権で(というシナリオでその役を演じてくれているだけかも?しれないが)地球人類を、そのままにしておきたいという力が働いている。黄色いテビママと、赤い重臣たち、そして、それらが扱う黒いネットワーク(日和見の普通の人々がここに動員される)。困り果てながらも自ら王としてずっとその座を守らなくてはならず、国の民(人類や自然界・地球)を守り、民の暮らしをよりよくしなくてはいけない。。それをやろうとしても、邪魔ばかりされて進まない(地球の進化プロジェクトの中心部)。

なぜならテビママや重臣たちは、自分たちの利権しか考えていないから。詳しくは『イ・サン』をご覧ください。。。(とても分かりやすい教材です・笑 ちなみに堕ちていくイサンの右腕ホンさんは、原型でいうと「青」特にケルビムを思わせます)

そうそう、その「逆側のネットワーク」が働く方法のひとつに、「左耳からの侵入」がある。そのような方面への学びが続いていた時期に、とあるセッションで左耳に白いヘビが居て、今にも中に入ろうとしていた様子を目撃。また、左肩や左足に、やはり白い蛇がくっついたり、巻きついているケースも。耳の小蛇は、中に入ると頭の操作をするらしく、脳の・・何というか性能が落ちる感じだ。ポジではなく、すべてネガに傾く。なんか面倒臭い、なんかイヤだ、なんか落ち着かない、なんか不安だ、など。

劇的なものではないから、みな自分の気分の変化だと思ってしまう。けれどそれが「はじまり」になり、色々なことへと続いていく。

ジュディ・ホール「クリスタルプロテクション」には、「左から侵入できずに、怒って右に来て攻撃する」タイプのサイキックアタックのことが書かれていて、ジェネシスのグループで発見していた仕組み、「左から侵入されると右の肉体内部や背中に痛みを伴い、またメンタル的には激しく赤い力へと持っていかれる」・・に類似している。入られた結果なのか、入れなくて、なのかは分からないけど、アルガンザではこの状態を、前回記事の「イワナガ」原型とつながった状態、と考えて来た。イライラしたり、怒りの対象を周囲に探したりするというメンタル症状が出るようだ。

なので、ジュディさん説と共通しているのは「怒り」のエネルギーで、確かに黄色系が左に来ている時のなんとなく重たい、なんとなく悲しい、なんとなく冷たい体感がある、などとは性質が変わって、右に来ると赤くなり、激しさに変わる。タマスで侵入し、ラジャスを激化させる、という感じか。もしかすると男性の場合はこれが逆かな?・・(こればっかりは体感できないから、男性クライアントさんや、ご主人などで良かったら観察?してみてください)

〜この手の話が、「クリスタルプロテクション」にはたくさん掲載されているので、(やはりイギリスは進んでいるな)気になる方はお読みください。〜

そう、それで。幾つか私のほうで問題提起をすると、サロンのお客様で「自分には白い龍がついている」とか「蛇の神様がいつも守ってくれている」と言っているような方々が過去に少なからず居て、なんと、私自身もあまりそれを当時、問題とは思っていなかった。(三輪山の麓に住んでいて「蛇神」はむしろテーマとして好きだったせいか、、)けれど、やはりセッションが進んでくると、その方々の様子にも変化が起きて来て、「付いているもの」を外さないと、これ以上進めない、という状況になってくる。付いているものが、邪魔をし初めて、さすがに私もそれを察知するからだ。

必要な場合は口頭でお話ししたこともあったし、「リリスリリース」が誕生すると、それらの方々は自主的に(魂が深いところで分かるようで)受けてくれることが多かった。

が、本気でコミットメントしないと、土地や家系や前世からの繋がりでまた、そのようなモノをくっつけてしまう。そのため、ある程度まで進んだスピリチュアルな歩みが、それ以上進めなくなる。

プログレッシヴ「さくらしおん四女神のみそぎ」は、この手の問題にフォーカスしている。気になる人はぜひ。ポイントは、受けて終わりではなく、そこから、伝授されたエネルギーと、プラクティショナーにもらった詳細なリーディングを元に、セルフヒーリングの積み重ねの道のりが始まる。

アシナガバチは、アルガンザでは「リリス」の象徴と捉えている。ずっと昔にブログに「蜂はプレアデス」と書いたけど、その頃は何も分かっていなかった。ミツバチはシリウスでシャンバラでエルフ界の象徴、スズメバチはリラの母たちの象徴であると今は考える。

子供の頃に読んだマンガ、それを思うと、作者さんは高次とやはり交信しているなと思い出している。よりによって修道女たちに、一体なにが起こった!!という物語だったけど、実はそういうことであったという結末だ。耳からハチが抜ける時、シスターたちは痛みを感じていた。

なので、左耳の違和感に注目してほしい。白いから神様だと思うのではなく、その作用で自分や周囲の状態がどうなるかを観察してほしい。

無意識だとしてもこのようなモノを使い、人や状況を動かして「自分はいつも願いが叶う」と考えるのではなく、そうしていると必ずどこかで(家族や周囲の誰かがその「影」の部分を引き受けたりして)ひずみが現実化してくる筈なので、注意深くあって欲しい。世間全体では受容性の強いアンドロ的な若い世代が、親や社会からのこのような力のひずみで、鬱になったり引き篭ったりしてしまうのではないかと。ご家族に統合失調の人が居たり、精神を病む家系の人などは特に。自分は大丈夫と思っていても、身近な誰かが引き受けてしまっていないか、考えてみてほしい。

耳から入ってくる小蛇とは別に、より大きな白い蛇が、左肩や左足に寄り添ったりくっついたり、のケースは、ジュディさんのいう脾臓のチャクラ(左脇腹)からエネルギーを吸い取ったり、やはり全体の周波数を下げたり、経済状態や健康状態を低迷させたりするようだ。そして、こういったものを無意識に操っているタイプの人も居るよう。

白い小蛇たちが、一斉に生まれる場所を、前に見たことがあって・・・小さな、しらすのようなものがワワ〜っと、水の中から生まれていく。「こんな数が次々と生まれるなら、次々と人間界に来るな」とその時思ってしまった。実際に、次々と来て、気づかぬうちに人々の耳から入っているのだろうと。。。

けれど、これを対峙撲滅しようという話ではなく、ジェネシス神話の中で、なぜ、白(で象徴されるつまりシリウス)の自然界の存在たちが堕ちてしまったのか、を、遡っていくと、白山姫に行き着く。さらには、アルビレオ恒星の原型ストーリーと、宇宙次元では相似形になっている。

そこで、「シリウスの赤」の探究が、今回(22年12月)の「白い聖堂」から急に始まった。もっとも、示唆は数年前から来ていた。けれどようやく何か、時期が来たのかもしれない。

昨日は物理的な必要があってオフィスのベランダで作業していた。ベランダは、ジェネシスの箱庭であるアルガンザにおいてはやはり「天空文明」を象徴するし、そこで起きることが、ジェネシス情報をミクロにして象徴していたりする。完全には片付かなかった。もう一段階、整理が必要だという状態で昨日は終わった。もうすぐかな。

Love and Grace,

Amari

彦姫シリーズ・その3 歴史からの雑感

昨日「書いたけど消えてしまった」と言っていた、日韓の彦姫(国民性の中の少年少女性、いつの間にか韓国も含まれている?)について、高次の検閲が入ったと思われる方面には触れずに、巻き込まれて?消えてしまった雑学的なつらつら、雑感部分をメモしておくことに。

一昨日の記事「スベクヒャン」の時代背景にまずは話を持っていくと、

当時、日本は飛鳥時代。蘇我氏が急に政治の中枢に出てから何代か続いて、蘇我と物部の衝突、内乱が起きるころ。聖明王から仏像その他一式?をプレゼントされて仏教伝来と、日本史では習う(今は分からない、私の時代は)。けれど、日本の政府が、というよりも蘇我氏が百済王家と繋がっていて、蘇我氏限定で「仏教伝来」が起こったという説もあるよう。蘇我が急に政権に絡むようになり、皇妃を出す外戚になり始めたことに関しては、諸説あって、蘇我氏のルーツがどこかという問題になってくる。

シルクロード由来の騎馬民族説、出雲王権の末裔説、百済の王族の一部が日本に来た、など。

そんなことを、個人的興味で20歳の頃からずっと考えているんだけど(笑)、前にもブログやら幾つかの場所で書いたように、栗本慎一郎さんの「シリウスの都・飛鳥」との出会いと、プラス自分オリジナルで想像、直感的に感じている蘇我氏の系譜というものがあり、それをいつか小説にしようと思っている。なんと!それは「ハピの巫女姫」や「ガイアナ神謡集」とも繋がってくるのだ・・・

「指輪物語」原作者、言語学者のトールキン博士は、自国のイギリスの実際の歴史と、ヨーロッパ各国の神話伝承の研究から、オリジナルの架空の歴史を、作ろうと意図していたそうだ。以前何度かブログ等に書いたアメリカのドラマシリーズ「ゲームオブスローンズ」の作者も同じようなスタンスで、歴史好きな作家とはそうやって、ある意味でパラレルなもう一つの歴史世界を、長い時間軸や地理的な広がりでもって、自作しようと自然と望む、自然とそこへ向かうのかもしれない。

世界観がかなり精密に決められているという、ハリポタ・シリーズの J.K. ローリングも同じくだ。

ヒーラー視点でのスピリチュアル史、人類の歴史だけでなく、ソウルが経てきた歴史を体系化しようというのだから、我ながらチャレンジャーだなと思う。日本古代史と、超古代の架空文明、ハピやガイアナとを繋げるだけでも時間軸や次元の層が忙しいというのに、地球創生からのジェネシス神話が下地としてある上での、古代史や超古代史、そしてアトランティス小説まで書こうと思っているのだから、一体どうなることやら。

ああ、話がだいぶ脇に逸れてしまった。

それで、恐らくは、ジェネシスの原型に共通性があり、日韓ともにアンドロ的な性質は、他の民族よりも配分として強いと感じている。韓国ドラマは、時代劇だとだいたい、幼い頃に親や師匠が無実の罪で死んでしまったり、それにより初恋の幸せな思い出が切り裂かれて、という所からスタートするし、現代ドラマの場合、サムネイルや予告が軽いラブコメ風でも、見ているとほぼ間違いなくインナーチャイルド、それもかなり激し目の傷が出てくる。

いつも言っているように、インナーチャイルドは「傷ついた天使性」「自然界やレムリアなどの傷」を反映する。

そういう意味では、日本人にはいくらか黄色い、リラの要素がかかっている分だけ現実的というか三次元的な「ずぶとさ」がコーティングされていると思う。

一方で、韓国のほうは実際の歴史的な苦労が日本とは比べものにならず、多くの痛みを民族として味わって来ている。同じようにアンドロベースでも、こちらは致し方なく(攻撃を受けてしまうから立ち上がる他なく、怒るほかなく、自己防衛のために)赤をまとった、という違いが、日韓の間には、歴史およびジェネシスからの視点で、見られると考えている。

けれど、どちらも社会の同調圧力、それゆえに身についてしまう同調習慣(空気を読む、という慣習)、自己犠牲的であるという共通点があり、やはりそれはジェネシスに照らすと「アンドロ」が強いという言い方が出来るだろう。

韓国の政治や経済などは不勉強で、ドラマを見ているばかりのお茶の間視点しかないが、日本の社会について少し真面目に考えてみると、

福祉大国で、定年後の医療費などの心配もなく、子育てにおいても教育費を高校まで、あるいは大学まで国が出している・・というような北欧諸国と、日本人は同じくらいの税金を払っていることになるらしい。(テレビ番組で野党の政治家が言っていた・・)けれど、よく言われているように日本は年金などの状況は心許なく、今後さらに大変になるらしい。文化系やスポーツなどの補助も少ない。スウェーデンだったか、出産までの費用は国が出してくれるとか。フランスは大学まで学費が無料。それらを日本人は自己負担で何とかやっている。

気づいてみると、とても自己犠牲的な状況なのだ。

ヒーリングの概念においても、自己犠牲的な要素と、搾取という力が引き寄せ合う。

赤や黄色をまとうことで、純粋すぎて壊れてしまいそうな「天使性」=インナーチャイルドを守ることは、三次元的に一時的には出来るかもしれない。凌ぐ、という感じだ。けれど、赤は赤を呼ぶし(戦い)、黄色は黄色に支配される(停滞・腐敗)。凌いでいても、いつかそれが極限を迎える時が来るものだ。

シリウスの風、白の軸で自分を成長進化させ、搾取や腐敗、終わりなき争いの連鎖から抜け出すしかない。

韓国時代劇を見ているとまさに、主人公たちはその白の力で難局を切り抜けるし、うまく行けば周囲をも変えることに成功する。・・ドラマはあくまでもドラマ(=理想)に過ぎないけれど、少なくとも何が自分たちの問題で、何によって切り抜けていけるのかを、韓国のクリエイター、作家の方々は知っている。見ているお茶の間も潜在意識では分かっている(だからドラマや映画を評価する)。日本のドラマや映画は最近見ていないから分からないけど、世界共通、人間は深いところでは「どうすべきか」を知っていると思う。

悪しき慣習、惰性、怠惰、利欲の優先=利己 に落ちてしまうことなく、主人公たちのように振舞う、選択する、それが人のあるべき道であるという普遍的な愛の仕組みを、誰もが本当は知っている。

話が逸れつつも、今日はこのくらいで。

Love and Grace,

Amari

守百香と彦姫たち 〜魔性と天使性の関係〜

以前の記事「ヤマトの彦姫」の続き。随分、ブランクが空いたけど、・・・と今朝書いていた長文がまたまた(また!)保存した筈なのに消えてしまった。どうもやはり、まだ「the Genesis」に公式に載せていないジェネシス情報について書こうとすると、(五次元からの)検閲が入るようだ。

ヤマトの彦姫という記事を書いて からもう一月半。

その間、アルガンザのテーマはエルフ界一色という感じだったけど、同時にセラフィムの新しい原型パターンも出て来ていて、そのことを少し前に記事にしようとしたらやはり消えて、こちらは、新改訂のバイブルに直接載せることになるのかも。けれど、「ヤマトの〜(10/29)」でも言っているように、気は進まないものの必要を感じて・・という同じ思いで、やはり今日は予告していたスベクヒャンのことを書こう。

当初の予定はアルビレオ恒星系のジェネシス原型ストーリーと、ドラマ『スベクヒャン』の共通性を書く中で、その中に含まれる象徴的な女性性の分断について少し触れる、というつもりだった。が、今朝書いていた内容が消えたことにより、方向性、角度を変えて再チャレンジ。アルビレオ(白鳥座)恒星系の家族パターンは置いておいて、女性性の分断にマトを絞ることにする。

エルフ界一色・・から、ここ2週間くらいかな、先日の満月に向けてだったのか、堕ちた女性性つまり「リリス」とアルガンザで呼ぶものの気配が非常に強くなっていて、その中でも特に「イワナガ姫」という神話原型(ジェネシス的に考えればリリスの一つのパターン、日本版)が自己主張を強めているようで、その手のエネルギーにひどく攻撃された過去の経験で痛めた幾つかの場所=「古傷」が反応するので分かりやすい。

・・・・

だいぶ前に、Face Book に書いている韓国時代ドラマの『スベクヒャン(守百香)』。冒頭に出してきた終盤のハードな盛り上がりが強烈すぎる点や、幾つかの要素がすこし残念で、脚本はとても良いと思うけど、本国でも予定より早く打ち切りになってしまったらしい。それ自体へのコメントは、もしご興味あればFace Book の投稿を遡って頂ければと思う。

当時の日本の蘇我氏系の皇統と、ドラマの舞台である朝鮮三国時代の百済(ベクチェ/日本では「くだら」)の繋がりについての学説や、主要キャストの役者さんたちへの他の出演作を含めての評価なども、今朝はつらつらと書いていたのに消えてしまったので今は割愛。要点だけを・・・原型としての「イワナガ姫」とその背景。

ネタバレを全く気にせずに書いています。ご了解ください。

このドラマの中心は姉妹。同じ母から生まれているが、長女ソルランは母「チェファ」が情を交わしていた今上の百済王(歴史上は武寧王)との間にできた娘。しかし、当時は武寧王の従兄弟?にあたる東城王が国を収めていたところ、クーデターが起きる。首謀者は、なんとチェファの父親。その城は攻められ父の命乞いを将軍である武寧王にすがるも冷たく突き放されたチェファは、お腹に子が居ることも告げられないまま別れた。武寧王は、先王への忠義が厚いためのその行いであって、その後生涯を通じて密かにチェファを愛し続けていたよう。

城が落ちていく中でチェファをかついで逃げたのは家の下男である、巨体で怪力、口がきけないが心優しいクチョン。その後、クチョンはありえない逆転劇により、ずっと憧れていた「お嬢様」チェファの夫の座を得る。彼女が悲劇に遭い「堕ちた」ために起きた、格差婚だ。

長女ソルランが生まれ、少し経てから、クチョンを父に次女ソルヒが生まれる。

二人の出生の違い、背景はそのように、同じ母を持つが大きなギャップの中にある。先王を狙ったクーデターを収めたのちに即位した百済王を父にもつソルラン。そして、その事変のために貴族の姫から「落ちぶれて」しまったチェファが、山の中で密かに隠れて暮らし、かつての下男との間にもうけたソルヒ。

しかしながら皮肉なことに、ソルランは男まさりのサバサバした性格でまっすぐ、正義感が強い(=シリウス的)。平凡な山村での暮らしを愛している。「父親」のクチョンのことも。妹のソルヒは、(設定では)誰もが見ていると幸せになるような美少女(=天使性)で、純真で綺麗なもの、美しく華やかなものが好き(=アンドロっぽい)。。。が、お姫様願望が強く、自分はこんな山村にいるべきではないと、普段の暮らしもどこか夢うつつで、自尊心が強い。

色々あって、昔のクーデターの火種から・・ひっそりと幸せに暮らしていたこの一家を含めて村ごと、ある夜、刺客が襲う。母チェファが犠牲となる(=ここがアルビレオ原型)。父クチョンが命を張って娘たちを逃す。そこからが、二人の姉妹の道が分離し始める。死に際の母の口から、お前の父親は百済王だと聞いたソルヒ(母はソルランだと思って語っていた)は、気づいて「姉さんにちゃんと伝えて」と必死で懇願する母が息を引き取るのを見届けても、もう頭の中は「父親は百済王」でいっぱい。死に際の母の懇願は耳に届かない様子。母のための薬草を取りに行っていた姉ソルランが戻っても、伝言することはなかった。

その後、ソルヒは姿を消し、都へ。自ら娘だと名乗り出て王女として王に迎えられる。妹想いのソルランは山賊に連れ去られたに違いないと必死で探し続けるが・・手繰り寄せられるように、彼女もまた宮中に出入りする役職(百済の諜報団)につく。水を得た魚のように「王女」を満喫するソルヒ。けれど次第にその座を失わないよう、嘘をついていることを知られないための画策で、心が荒んでいく。ソルランは強く逞しく?国に貢献しようと日々成長していく。

まあまあ色々あって(全108話)、それぞれを想う男性陣もまた、数奇な定めの二人の王子。政治的な陰謀も渦巻いて・・最も激しいピーク、この二人の姉妹の衝突シーンがドラマの第一話冒頭に配置されている。けれど、基本的に作中ずっと二人は仲が良いし、ソルヒも姉を憎んでいる訳ではない。(ただ妬んではいる)

権力欲でもなく、ただ「お姫様でいたい」という少女性と、現実世界の判断を鈍らせる自己愛性人格障害のような性質が、ソルヒをそこまで堕としていく。その過程で、ソルランと争うシーンの辺りでは既に、統合失調の症状が出ている。韓国ドラマは権力に憑かれた女性もたくさん出てくるが、この、ソルヒの人物設定が、賢いというかよくできていると思った。少女っぽさ、「綺麗なものが好き」というよく言えば純粋だけど人としてはあまりに未熟で、そんな自分のお姫様願望を貫くのに命をかけるという普段は余りないキャラクター。

だから・・下位チャクラが丈夫そうな、史劇でよく見る権力に固執する強い女性像とは違い、壊れてしまった。嘘がばれそうだ、偽物であることがばれそうだという恐れが高まるにつれて、「いいえ、私は王女よ」と信じ込んでしまう別人格が生まれてしまったよう。

私は、日本の神話にモチーフとして含まれている「イワナガ姫」のさらに原型、ジェネシス層のリリスが作用し堕ちてしまう女性性とは、このソルヒのようなものであろうと最近は思っている。最初から怖い(感情的に強い)女性ならば壊れることは無い。少女性、天使性のようなものがベースになっていて、そこに強い「願望」が作用しそれがポキっと折れた時に(前に書いたようにアリストテレスいわく嫉妬とは悲しみである、という)魔性のような原型エネルギーが作用してしまうのだろう。

このドラマの良かったところは、上に挙げたソルヒのそんなキャラクター設定(だからこそ冒頭にあのシーン・・は残念だった。見る人が誤解をしやすいだろう)。その他にも二つある。一つは、姉であるソルランが全てを失った、精神も病んでしまったソルヒを当然のように許し、寄り添って暮らしている最終章。ソルヒは記憶喪失になり、自分が犯した罪さえも忘れている。ただただ純粋な「少女」になって、姉を慕って生きている。

そこに、ソルヒに想いを寄せていた悲劇の王子チンムが、訪ねてくる。この若者も不思議な人物で、なぜかソルヒをその危うさも含めて宮中では見守っていて、悪どい一面も見抜きながらも、堕ちるなら一緒に、という勢いで彼女の側にいようとした。ソルランとともに暮らす、抜け殻のような、認知症のような状態になっている彼女を最終章では訪ねて来る。ソルランとチンム、二人がソルヒに向ける大きな愛が最後に描かれている所に、このドラマの救いとテーマがあるように思う。

実はソルランとチンムは同じ父を持つ兄と妹になるわけだ(異母兄妹)が、チンムは事情あって従兄弟のミョンノン王子と入れ替えられている。この事実が後半明らかになっても二人の王子同士が醜く争い合うような展開もなく、二人とも心優しい青年でやはり愛がある姿を示しているのも良かった。ちなみにソルランを慕うミョンノン(歴史上の聖明王)も、都から彼女を訪ねてくるというシーンが最後に。どうなるんだろう?ご想像にお任せします、という最終回だった。

チンム王子はセンシティブなアンドロっぽさ、そこにリラのマイペースな感じがうまく統合されているような・・俳優さんの本質かな。強がって時に父の愛欲しさに怒り憎しみを発現することもあったけど、ソルヒのように堕ちきって壊れることはなかった。この俳優さん、とても残念なことに今はもう亡くなられている。

他の作品でも(ソルヒなど比べ物にならない)魔性に取り憑かれたヒロインが、宮廷で戦い続ける・・その初恋の男として、彼女を最後まで憎むことが出来ない、優しい男を演じている。けれど亡くなられたと聞いて、そんな役が続いて俳優さん自身があたってしまったのではないかと、勝手に心配してしまった日本のお茶の間であった・・

天使性のまま、地上的強さ(下位チャクラのフォース)が足りないまま、失意や傷心を強く抱くような場面に、原型エネルギーが降りてきて被ってしまう。そのような先祖が居ればまた、気質や体質としてそれが遺伝していく。他の原型もそうだけど、原型フィールドのような集合場があって、特定の感情や周波数状態になると、繋がって被ってしまうのだと考えている。

天使性や純粋性が壊れた時に作用を受け入れてしまう、と言っても、原型エネルギーそのものは、もっとダークなマジカルな力をもった集合フィールドである。もう一つの例をあげると、「天城越え」を石川さゆりさんが紅白で歌うと(最近テレビが無くて見てないけど・・)間奏部分でさゆりさんが悲しく縋るような顔をするでしょ。。。(ん?分からないかな?笑)そしてバックの照明が真っ赤になったりする・・あれ、なんだと思う。リリス、イワナガ姫が舞い降りる瞬間とは。

天使性・純粋性、つまり、インナーチャイルドが、怒りを伴う形で発動する時、赤い女性性の怒り、破壊的な集合場の力と繋がってしまうケースが多々あると思う。それを表に出さずとも、内側に隠し持っていては、破壊的な事象を引き起こしてしまったり、他者のエネルギー体を無意識にも攻撃してしまったりする、つまり「チャネル」になってしまうだろう。

表面穏やかな日本の人々は、彦・姫でありつづける傾向が強いと 10/29記事で書いたけれど、その分だけ、表に出さない「怒りを伴う悲しみ」がお腹の奥に眠っている人が多いのかもしれない。イワナガ姫でワーク等をされる方々もいるという話を偶然聞いたけど、恐らくはそのような「奥に眠る」赤い荒ぶる力(その本質は悲しみ)を、癒しているという事だと理解している。

(アルガンザでは イワナガ姫、イコール「リリス」(堕ちた女性性)と表現していますが、それぞれの役目で表現しているだけで、向かう先は一緒、だと思っています。気に障ってしまったら申し訳ないですが、こちらの趣旨、ご理解いただけたらと思います)

とてもシンプルに、大切なことは日々、穏やかな心境で愛の周波数とともに生きること。

フツフツとしたものや、癒されない悲しみがお腹に自覚できる人はまず、それと向き合い、自己浄化と癒しに励みましょう。

ちなみに『スベクヒャン』は現在テレビで放送中だそうですよ 興味ある人は調べてみて下さいネ

Love and Grace,

苦しみも悲しみも幻想

木曜日の祝日と、金曜を挟んでまた週末が続いたので、仕事のバランスをとりにくいここ数日だった。時節の個人的および、アルガンザ・ネットワーク的な分析としては、月末の「聖堂」の区切り目と、特殊なワークだったその内容のエネルギー的余波が落ち着いて来たゆえか、次の空気感として、エルフ界の、これまでと違うタイプの情報と課題が来ているように思う。リラやアルビレオの「母」テーマをこれから纏めようと思っていたけれど、あっという間に切り替わった気がする。

スベクヒャン・・記事はまたしても、タイミングを逃したよう。アルビレオの原型ストーリーは新しい話題でもあるし、ジェネシスにしては珍しい、宇宙次元の物語でもあるので、さほど深入りしなくても良い、というか、深入り出来ない難しさがありそう。カルマの法則やエネルギーシステム、ソウルシステムを、ようやく私たちは理解しつつあるわけだけど、それはあくまでも地球モデル、であり、アルガンザのワークでいう「ソウルインテグレーション」等がそうであるように、物語を垣間見た所で、解釈がとてもとても難しい。

アトランティスやレムリアなどのジェネシス層であっても、この物質界とは仕組みが違うため、理解や説明が「とても」難しいけれど、それとは桁違いに「とてもとても」難しいのだ。

そう。だからシュタイナーの著書などは真実味を感じられる。アリス・ベイリーや、神智学の祖たちの著作も。けれど、スピの世界によくあるように、別次元や別の星系などの本来仕組みが違う世界の話を、あたかも地球の私たちが知る現実や歴史を語るように説明する手法は、かなりの正確さ・誠実さを大胆に省略している事になる。そこには昔から(実は、ニューエイジに傾倒し始めた当初から)密かに疑問を感じてはいた。

けれども。情報が伝わらないよりは、大胆に省略されていても、伝えてもらった方が良いこともある。より正確さ・誠実さを求めるならば、神智学やシュタイナー、インド哲学などに歩み寄っていくのが良いと思う。

エルフ界の新たな層、局面、というのは・・きっとそれぞれ、ジェネシスのプラクティショナーさんたちも時節的に今、自分ヴァージョンで追体験しているかもしれない。そこでセッションを受けて、リーディングを貰っているクライアントさんにも、エルフ界の原型についての情報が出ているかもしれない。必ずしも皆が一様に同じ部分が出るわけではないと思うけど、私が個人的に感じ取って掘り下げてみた結果、見えて来たのは、

本来5次元の存在であったエルフたちが、アトランティスで起きた天下分け目の戦争の戦力として加わるために、「受肉した」つまり物質界に「転生」ではなく、特殊な方法をとって物質化した時の不快さや、不具合に対して行われた何らかのエネルギーおよび肉体的な「処置」(物質的な存在らしさを獲得するため、リラやアンタレスの、つまり黄色や赤のエネルギー(或いは遺伝子)の注入のようなことを行った)による、苦痛など。

まとめると、「この世に物質体として存在すること、そのものへの不快感」そこから来る、今の私たちに残る「アストラル」データーとしては、憂いや、悲壮感。けれどそれを抑え込むための使命感や任務感、そこで生じる摩擦エネルギー。・・・このような入り方をしなければきっと、ソウルは肉体をもって生きることはただ喜びである、のかもしれない。

私自身は上記のような感覚を若い頃に(おそらく、幼い頃も)強く感じていて、苦悩した時代さえあったけど、さすがにヒーリング生活を20年近く過ごして来て、「自分の問題」として感じることはもう無くなっている。けれど、先日の「聖堂」からのエネルギーの動きや、確かにその時に感じた「受肉させられるための再組成」のような体感は(この辺りはまだ分析出来ていなかった為、参加者のシェアレポートには書いていません)、心地よいものではなく、その後も分析の対象となっていて。・・ようやくピンと来たところ。

サイキックアタックも、自分と全く関係のないものを受けることは無いから、そういったエネルギーも含めてトータルで感じ取って、サロンルームでソフィア源泉等とワークした結果、上に書いたようなことを受信、理解した。同時に、かつて2017年の冬頃に動いていた(今では「ジェネシス」神話に含まれている)闇側に囚われて悪用されてしまったエルフの男性体の記憶、そこから来る(本人は自覚無く、何か現実のキッカケから感じるだろう)苦しみ、混乱・・も、また次の波紋、別の層のソウルたちには、今、届いていきつつあるように感じた。目覚めや癒しの波紋は、グループごとに少しずつ、広がっていく。

この「敵側に囚われた男性体たちの記憶」は、恐らく鬱や統合失調、などの精神疾患として、現世では現れるのかもしれない。自分は悪だという刷り込みが魂に残るため、深刻なのだ。

また、エルフだけではなく、最近は同じように悪用されてしまったセラフ、も、ちらちらとセッションで出てくる。セラフだけに、より静かで分かりにくいけれど、影響は割と強烈で、これを持っているソウルは、恐らくエルフ以上に苦労して来ていると思う。どちらのケースも、ジェネシス光線の「ノストラム」や、「グレースオブセラフィム」(エヴォリューション)、ウリエルのターコイズの光線、「ラムネゴールド瞑想」(アルガンザのカレッジのオリジナル瞑想)、そして「レムリアンセクレッドレイキ」も、処方箋になる。

そんなジェネシスの原型フィールドの動きを感じつつ。「白い聖堂」後の恒例のようになっている、体や現実が勝手にシンクロして動いた結果の物理的な変化が、少し遅れて昨日、今日と。自宅と、オフィスの、模様がえ、配置換え、それによる気付きや新たな出会い、などなど。意図せずに起こるところがポイント。

オフィスでは、古い書類棚を整理していて、ライタリアンなどの古いテキスト、最近のテキスト、などが出て来て・・登録用紙の大量のコピーは、裏紙を再利用しなくてはいけないくらい沢山あったりして、「ああ、引退したんだなあ」と、今になって(!笑)しみじみと噛み締めた。まだ遠隔セッションは受付しているとは言え。

そういえば、「辞める」ことへの喪失感のようなものさえ、感じる暇さえなくここまで来たなあ、と。そして、現場でヒーラーとして、ティーチャーとしては言いにくい事や、記事など書いていてもお客様たちの顔が浮かんでしまって、出力チャンネルをやはりそこに合わせるという、癒し手、ティーチャーなら当然の配慮や寄り添い方から、一歩引いている今の自分の立ち位置や視点を・・・ここまで導かれて来たことに対して、とても感謝が湧いていた。

特に自分のようなパーソナリティでは、顔を合わせるサロンやスクールをしていると、その場所でのニーズに応えることにチャンネルを固定してしまう。そうなると、この数年やって来たような、プログレッシヴやジェネシス、セイクレッドレイキその他の執筆は出来なかっただろうし、これから先も。

棚を整理したり新たに配置したり仕分けしたりしながら、反面的に見せられる出来事や、逆向きに引っ張る力も含めて(笑)、すべて起きるべき事が起きて、パズルのピースになっているのだということを改めて実感。

ワンネス意識のような境地に、しばし浸っていたここ数日。

何となく、むくむくと、全体の周波数が上がっていく、時代が開けていく予感とともに。

タイトルについて。人として生きるということは、「課題」を情報として搭載し、生まれ出ずるということ。過去生の癒しなどを行うヒーラーでありながら言うのは変かもしれないけど、過去生含めて、カルマや運命すべて「情報」のインプットであるとさえ思っている。ある意味、プログラミングだ。

けれどそれを自分に課題として与えて、今世生き抜くことを決めているのは自分自身の魂。「情報」は情報として扱って、然るべき方法で癒し、リリースしていけば、自分の思うような自分へと作り変わっていく。魂はそれをやるために人間界にやってくる。よく言うように実際に、「現実を作っているのは自分自身」であるし、未来を作っていくのもまた、自分の意識、意図なのだ。

Love and Grace

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