星々の導き。プレアデス信仰は火星から(?)

またまた「古代の宇宙人」から。シーズン9、102回。前にも見たけど改めて見ていて、最近考えていたことと繋がったのでメモ。

火星について。現在進んでいる移住計画と、過去、火星が地球のような星であった可能性、核兵器を使った宇宙戦争の名残り、それによる絶滅、一部の火星人種が落ち延びて地球へ・・そして地球に生命が生まれた、といういわば「火星が人類の故郷」という見解。その根拠として様々な学説や研究が紹介されていた。

ユダヤ教の聖書研究の分野では、古来、エノク書で描かれる「堕天使」とは、火星から来た火星人ではないかとする見解があるらしい。「堕天使」たちは身長が3メートル以上ある巨人で、翼などは無く、目が大きい、と伝承されているらしい。宇宙生物学的にも、重力が弱いため火星で人類が生まれて数世代経ったらば、そのような長身で細身、目がキョロっとしてくる事が分かっているとか・・ エノク書の堕天使というと、(ジェネシスのバイブルをまとめる際にも資料にしていた)「見張りの天使たち」(Watchers)であり、地球の女性たちとの間に子供を作って、そこから巨人たちが生まれた。そして「神」が怒り、大洪水を起こしたという物語。

火星から人類が来ているというのは、個人的には一部は、そうだと思っている。けれど、どちらかというとそれは主流ではなく、こっそりやって来た、あるいは核戦争が本当にあったのならばその時に、落ち延びて来た火星人たちが居たのではないかと。または、侵略者グループかもしれない。

火星にはかつて、地球と同じようにプレートの動き、火山活動があったとされている。けれど、アメリカ大陸を横断するくらいの大きな亀裂(「マリネリス峡谷」)の様子は、川の流れや火山活動によるとは思えない様相で、強力な宇宙雷による放電の痕、と考えられるとか。・・・どことなく、インドのインドラ神(バジュラ=雷を武器として持っている)や、ゼウス、オーディンなど、最高神たちが雷神であることを思い出させる。そして、それらは(根拠はなく、あくまでも感覚的に)シリウスっぽい神々でもある。

また、火星の大気には核爆発によって生まれる成分があり、放射性濃度が濃く検出される地域が二箇所あるという。その二箇所は地形にも、核爆発の名残りと思われる特徴が見られ、また爆発の高熱で溶けて出来るようなガラス質の地層であるという共通点もあるそうだ。

火星の地表を、撮影された画像を解析することで調べていくと、ピラミッド様の建物や、彫刻を施した像や建物の残骸なども見られる・・という話は割と有名かもしれない。地球上の古代遺跡でもたびたびあるように、建造物の配置が、プレアデス星団を象っている場所も見つかっているとか・・・。

そこで、「お!」と反応したのは、数日前に見ていた別のシーズンの同番組で(いつもランダムにチョイスして見ている)、地球上の古代遺跡のあちこちが、プレアデス星団の星の配置を象っているという内容を見ていて、「この番組が始まった頃は、ドゴン族やアボリジニ、エジプトなどの神話や遺物から、『人類の祖先はシリウスから来た』という話を比較的多く取り上げていた気がするのに、最近、「プレアデス寄り」に変わっているではないか」と、ハっと気づいた所だった。

アルガンザの「ジェネシス」世界観では、シリウスとプレアデス(という名のリラ文明)は相入れない、思想や未来の進路などにおいて対極に位置するため、とても大事なポイントであり、番組のファンとしては、この制作サイドの空気感、話の持っていき方の変化というのは、考えなくてはならないポイントだ・・と、考え事をしていた。そこで、開き直るように「理解した」のは、この番組の制作現場でエネルギー的な変化が起きている訳ではなく、最近どんどん新しい遺跡の発掘や、既存の遺跡を最新のテクノロジーで解析した結果の発見が相次いでいる訳だから、

「アトランティスにおける信仰が変化していった」、つまり、この番組で「古代に地球にやって来ていた宇宙人たち」が関係していた超古代の遺物としての遺跡群は、神殿などの重要な巨大建造物の名残な訳で、星の配置に合わせているというならば尚更に、神殿や、公共機関のような場所だったに違いない。それが、プレアデス星団を重要視するような信仰に、アトランティスの終盤には変遷していったのだろうと。

変遷、というのは、地球を導いている5次元的な中枢、ロゴスはシリウスである訳なので、当初、レムリアもアトランティスも、人心、人の意識はシリウスを向いていただろうけれど、

アトランティス終盤に起きた、「人類の堕落」と、現在も物理的に残っている、古代遺跡と呼ばれているけど実際には古代よりもっと古い遺跡たち・・が、プレアデスを崇めていることとは、関係があるのだろうと、「ジェネシス」の視点からも、考えていたところだった。

10年以上続いている番組なので、毎回、様々な話題を繰り出している中で、「古代に地球に来ていた宇宙人たち」は「ロボットである可能性がある」という回もあれば、「未来の地球人かもしれない」という視点を紹介する時もあるし・・ 何かの主張で色付けするような雰囲気は感じられないから、スピリチュアルな業界で起きているような、プレアデス方面への見えない思想およびエネルギー的誘導・・が、この番組をも包み込んでしまったか!?という、一瞬だけ感じた危惧は、余計な心配だっただろうと思い直す。

そこに、今夜たまたま流し見していて、火星の失われた文明(?があったとして)の「遺跡」が、アトランティス終盤と同じ様に、プレアデス星団を象っているというならば、何か、歴史の流れがひとつになって見えてくるような気がした。「ジェネシス」で想定している10億年前の最初の「文明」(天空文明)を襲った火星人ではなく、アトランティス終盤に今一度、火星が地球人類の文明に介入し働きかけるようなことがあったのではないか。

ヴェーダ神話や、北欧神話が伝える壮絶なる神々同士の空中戦、インドラやシヴァが繰り出す強烈な大量破壊兵器の威力などは、火星に残っている文明崩壊の痕跡と、関係しているのかもしれない。けれど、アトランティスの終盤の「歴史」が、現存する神話に語り継がれていると考えることは自然だけど、その頃(12000年前)まで、それでは火星に文明が反映していたのか?となると、現在の火星の環境などからその説が成り立つか、まったく有り得ない事なのか、素人には検討もつかない。今後の研究から、発表される情報などにより、分かって来るだろうか。

アトランティスとは関係なく、天空都市が壊滅された10億年前の出来事、と想定してみると・・その時、太陽系の警察的な立場をとっていたシリウスは、侵略をしかけた火星の勢力を罰するためにやって来たと「ジェネシス」では考えて(受け取って)いる。その時、シリウスが火星を攻撃して滅ぼしてしまったのだろうか?

それとも・・・ 次の文明(約4億年前、「アルカテラス」と呼ぶ)を滅ぼした勢力がシリウスと対立していた、と、やはり「ジェネシス」では書いている。火星を本拠地にしていた、シリウスと対立する勢力との間に、その時点で大戦争が起きたのだろうか?

まだ分からない事が多い。神智学の先人たちの研究書を読むと、これまで、クライアントセッションで見て来た風景と結びついて、また新たなジェネシスの歴史が整理されていくのかもしれない。それと関係があるような気もする、最近出て来ている「セラフィム」たちの悲劇、これまで出て来てなかった新たな原型物語。先日記事にして長文を書いていたら消えてしまった件。・・なのでまだ詳細は書かないけれど、ひとつの星、少なくとも巨大な都市文明が崩壊するような場面に、関わったセラフたちの記憶。もう少し資料が集まれば、まとまって来るのであらう。

難しいのは、地球には「神」が大きく言えば2通り、2方向、存在する。「光」と「闇」のように単純ではなく、それぞれが創造や育み、それぞれの「調和」の波長で働く。創造と破壊ではない。2通りの神というライン、それぞれに反応、呼応し、その声を聞いて、エネルギーを受け入れて、メッセージを(無意識も含めて)伝える人々がいる。芸術家や経営者、政治家も含めて。責任ある立場に居て「使命感」で動く人々は、導いている星系が違うと、表現しようとする言葉も導く方向も違ってくる。

それは善・悪で言い切れるものでもなく、ただ、向いているベクトルが違う。ゆえに、どうしても相入れない。そこに、破壊だとか、支配だとか、寄生して奪うようなエネルギーが混ざって来て、進化を担う神なる力(つまり「善」そして「愛」)の推進力を阻む。

スピリチュアルな人々は、みな「進化」「アセンション」するものだと自分たちでは思っている。けれど、多くは進化しない、させないベクトルの導きを受け取り、それに従っている。巧みなので、非常にわかりづらい。プレアデス信仰は、火星から来た?という可能性。そしてその文明が宇宙戦争で滅びた?という歴史。・・この発見(情報)は、なかなか影響力が大きいだろう。

そして今、人類の一部は火星への道を目指しているようだ。肉体や感情という仕組みに固執する文明か、肉体に縛られている現在の人間システムを超えて進化(これがいわゆる「アセンション」)する文明か・・二手に分かれていくことは避けられない、各ソウルの選択に委ねられるということか。本来、「スピリチュアル」は後者を扱う分野であるところ、「感情は大切」「貴方はそのままで完璧」は、前者のメッセージである・・つまり「スピリチュアル」ではない。物質主義・感情主義、ということだ。

ちなみに、後者の考え方は肉体や感情をおろそかにするという意味ではなく、ヨーガやインド的思想で示されるように、肉体ほか人間の重たい部分をうまく統御し、苦しみや病いなどの問題を起こすメカニズムを克服して、魂とフィジカル、物質と非物質をひとつに調和させていくという方法論だ。更にその先は悟りや解脱であり、物質界での輪廻転生という束縛から、ソウルが解き放たれるという地点を、一旦のゴールとしている。つまりそれがアセンションであり、進化の道なのだ。

Love and Grace

「ミカエル時代」を生きるとは

エルフ界の癒しが起こりやすいと毎年繰り返し言っているこの時期。エルフ=エルと呼ばれるものたち(男性集合意識:エロス/女性集合意識:エロヒム)とは、言い換えれば、文明の主「マヌ」たちとほぼ同じ立場で、人類と関わって来ている。ロゴスとそのもとで働く「神なる世界」と、魂たちつまり今は人間として生きている生命圏の間に在って、進化の全体的プログラムのために「神々」とともに働く者たち、であるゆえに。

エルフ界=自然界 と限定せずに、マヌの視点での考え事も、この時期増えてくる。そんな折、たまたま手にとったシュタイナー本(シュタイナーは著書というより講演録が多い)に、訳者(シュタイナー研究第一人者でもある)高橋巌先生が、2020年の12月に京都で行った講演録が添えられていて、それが興味深く、メモしておきたいと思う。

20世紀は決定的な歴史的変換点だった。シュタイナーの観点でそれは「時代霊」という、その時代を特徴づける聖なる象徴的存在が変わるということ。以後、私たちは「ミカエルの時代」に生きている。ミカエル文化とも呼ぶべき、その時代の人間たちが目指す、心がける意識の在り方とは、日常の中の物質的、現実的現象の中に常に霊の世界、「神」の法則のようなものを感じる、という境地や態度とのこと。

この時代霊というものは、「対象化して考えてもどこにも見当たらず」、「関わって、結びついて、それを自分の問題として受け入れた時に初めて、向こうから与えられる何か」だとのこと。

例として挙げられていた三島由紀夫。ほか、思想家と呼ばれる人たちや、識者の著書などにもよくあるように、その時代の特性、風潮、向かおうとしている先を、憂いたり批判したり、時に三島のように嘆いたりしながら『関わる』そして『結びつき』、『自分の問題として受け入れる』ことが叶った時、その「時代」という霊的なエネルギーが、自分が何をすべきか、もしかすると自分が何者か、も含めて、答えをくれるというのだ。

このお話に深く納得出来た。ここを卒業できないと、同じ時代霊の時代、つまり「ミカエル時代」の課題を消化することが出来ず、何度も生まれ変わるのかもしれない。それでも卒業できなかった魂は、またいつか巡ってくるミカエル時代に宿題を持ち越すのかもしれない。。

思想家でも無いけれど、この時代と関わり、結びつき、自分の問題として・・ということを、今世ではなぜか若い頃からやって来ているかもしれない。同時に、20歳頃からは三島由紀夫に傾倒した時期もあり、ちょっと危ない程だった。高橋先生は三島と少し交流があったそうで、話の中では、「時代と関わり、結びつき、自分の問題として」受け入れる事が出来なかった為に、あのような方法(最期の選択)を取らざるをえなかったという例として語られている。

確かに確かに。私は若い頃にはそういう人々に妙に惹かれたのだ。違う時代であっても、たとえば殉教者や、近代近世の夭折する芸術家など。

時代霊の課題を、自分のこととして「関わり」「結びつき」、挫折した人々に惹かれた(同情した)、と言い換えることも出来ると今回思った。恐らくそんな過去生が多かったのだろう。

多くの魂たちが、大衆的な精神状態から目覚めた後に、これらのステップを踏むところまでは比較的、簡単なのかもしれない。知性と勇気が少しあれば。

けれどその先、時代の様相を「自分の問題として受け入れる」という段階が、大きな壁なのか。課題はそれだけではなく、なおかつ、時代のニーズによって答えをもらった「自分という魂」の活かし方を、実際に生きるべしという。

ミカエルというと「正義」の象徴のようなイメージもある。けれどシュタイナーは、ミカエルからルシファーが別れたと考えているし、ミカエル文化の精神というのも、決して二元論とは違い、「すべての人が日常の中で」目覚め、霊的な意識を磨いていく時代であると特徴付けられているよう。そして、地上にあるものに全体性を見出していく・・と、スピリチュアルでもよく言われているような時代、つまりは「ニューエイジ」の特徴を先にシュタイナーも語っている。

そこで思い出したのが、確か「星巫女プロ専科」のテキストに書いたように思うけど(違っていたらゴメンナサイ、、)物事の中に「奥行き」を感じられるかどうか、それはつまり、多次元性と言い換えることも出来るが、私たちという存在の仕組みが多次元的であり、この小さな自我をいかに超えていくか、この世界や、自分の思考活動(感情はもちろんのこと)という幻想を超えていくか、が大事であって、

三次元の世界の広がりの中で、何が、誰が、正しいとか、正義だとか、と言っているうちは決してここから抜けられないということ。

もしかしから誤解されているかもしれないと、よく思っているのが、アルガンザの『ジェネシス』世界観。そしてヒーリング体系もそうだけど、私自身はなぜかベースに仏教またはその基盤であるインド思想の宇宙観に近いものが元々あって、ヒーリングを始めた時から、「ヒーリングやエネルギーの世界の法則は素晴らしく人間を救い、また変容させてくれる。」その事を追求していく・・・一方で、これは今の私たちに有効なだけであって、「地球の物質的人間」という体験が終われば、必要なくなると思っている。

宇宙的な絶対真理という意味ではなく、私たちのソウルシステムの中に埋め込まれた情報(カルマ・ネガティブなエネルギーブロック・制限・抑圧など)を解いて昇華していくために、必要な「物語」であるという意味で、ジェネシスも最近はよく「神話」と表現している。

高橋先生も講演の中で、シュタイナーのいう「ミカエル」などの言葉も、ある種の物語、あるいは象徴であると自分は考えると仰っているところ、とても頷けた。

そして、このような話というか感性、感覚が、なかなか伝えるのが難しいということも、長年サロン、スクールをしてきてよく分かっている。が、肉体や自我というものと、スピリチュアルの世界に橋をかけるのがこの「ミカエル時代」の主題であるというのだから、まさにその難しさに取り組むということは、必要な学びをしているのだと、しみじみ思った。

時代の課題を自分のこととして、悪戦苦闘する・・・(自分の生き場所で自分なりに、で良いのだと思います)それによって、この時代に生まれて自分が何をするべきか、つまりは魂の使命のようなものが、自ずとやってくる。とのこと。

まずは、世界で起きていること、自分が生きている時代に対して、意識をオープンにするところから。ある意味で、パンデミックによって強制的にそのフタを開けられているのが、今、なのだろうと思う。

Love and Grace

Amari

ヤマトの彦姫

今日書く内容については、前回の日記後から暫く、次はこの話題・・と思いつつ何故かいまいち気が向かずに。そして今日はいよいよどうしても書かなくては、という空気が来ている(この関連のエネルギーが流れて来ている)ので、区切るためにも向き合ってみる。

古代日本人から現代まで続く原型エネルギーの継承について、思うことを書いておこう。

「彦姫」とは、何が言いたいのかというと、人は国にかかわらず永遠の少年、少女であることは否めないし、純粋さと素直さという意味での少年・少女性はむしろ、私はとても良いこと、好ましいことだと思っているし、世の中に擦れたりこなれたりして「おじさん・おばさん」化するよりは、そういう方々が個人的にも好き。それとは別に、「依存心」という意味で、年を重ねても「男子」「女子」のままである、という性質が日本人にはありがちなのではないかと、常々思っている。

(他国の人々もそれぞれ課題は色々あるだろうと思う。が、日本の人々の癒しに関わる仕事をしているので、他国の人との比較が目的ではないことをご理解頂きたく)

最近は、SNS特にツイッターで女性たちの、家事と育児と外での仕事の両立における苦労を誰かが呟き、多くの人が賛同して盛り上がっているツイートを見かけたりもする。・・けれど、自分が女性として女性の中で生きてきて(友人関係)、ヒーラー仕事で出会うクライアントさんの多くも女性であるし、結果、思うのは、日本の女性たちはやはり「家父長制のもとで撫子」あるいは親指姫として大切に守られ育てられて来ているという事。結果として、ずっと「女子」であるし、結婚しても旦那さんが「一家のあるじ」つまり、父親の役目を担う事をよしとしている。

つまりは、日本は男尊女卑だというけれど、女性たちが、いつまでも「娘」=「姫」として守られているという風土がまだある。持ちつ持たれつの、「男子と女子」「姫と彦」の国、ある意味、文化・・と言えるだろう。

いざ、という時にはやはり、旦那様の後ろに隠れるだろうし、それが良しとされている空気もまだある。その分、母親としての仕事、子育てや家事のフィールドで自分が責任を引き受ける。結果として、夫の面倒も母親のように見ることとなり、その点で、夫はいつまでも「息子」であり、妻がある意味で「母代わり」であるという構図になる。もちろん例外的な人々は沢山いるし、昔よりは構図は変わって来ているのは間違いないけれど、夫であり妻である、反面、双方、相手が担当している分野について自分はタッチしない、とか、よく分からない、苦手なままであったりする。

以前、金融関係の方に聞いた話。日本の妻たちはご主人が先に亡くなった時、お金のことは特にどうしていいか分からず慌てる事が多いという。私のママ友たちは、プリンターのインクが無いとか、電球が切れたというだけで、それをご主人に頼むとかいう会話を前にしていたっけ。。これが更に、未婚の女性だとずっと「娘」のまま実家に居て、家のことは年老いていても両親が担っている、なんていうケースもある。男性側も同じくで、それは男の仕事じゃない、みたいな意識はきっとありそうだ。

シングルマザーたちも、うちは娘だから二人だけでの生活が始まる時に「あなたが手伝わないとママは自営業だからうちは破綻する」という現実を(笑)よく言ってきかせ、もちろん簡単な道のりでは無かったけれど、本人もちゃんと分かっていて葛藤しながらも、高校生くらいになると一通りなんでも出来るような状態になっていた(もちろん今でも私のほうが家の事をしているけど・まだ学生だから)。これが、お子さんが息子さんだと、シングル母たちは自分で家事を全てしてしまっているケースが多いようだ。

私は「ハピの巫女姫」の執筆に至ったキッカケがやはり、フェミニズム、それもユング派心理学のフェミニズム系の視点をもった研究者の著作に出会った事がキッカケ。とはいえ、それは29歳の時で、その10年前、19歳の短大生の頃にオノヨーコさんで、今思えば同じ「女神的」「太母神」的なエネルギーによる開眼のような事が起きていた。ヨーコさんのあり方を見ていれば分かるが、女性が女神である=大人である という事は、人として(母としてではなく)自立した責任意識を搭載しているという事だ。

社会が敷いたレールの上を歩き、そこからはみ出さず、「人がしていることをしなさい」と教育されている日本の人々。ゆえに言葉遣いや表現なども複製して使ってしまう・・安心感があるからだろう。けれど本当は、人のマネをするのはまだ「未熟で経験の浅い」見習い・若者だからこそ、であり、大人としてそれをやっているのは寧ろ恥ずかしい事、であるはず。けれど日本社会ではそれがゆるりと受容・黙認される空気がある。

この、男女ともに互いに、家族的原型エネルギーの縛りから抜けられない、永遠に彦(息子)であり姫(娘)である、という風土的な課題を、ジェネシス層、宇宙のより大きな原型エネルギーのモデルタイプが地上に降りたもの、として、考える試みをしている。

〜〜つづく〜〜 (笑)

Love and Grace

エルフたちのララバイ 〜次元と粒子と異世界〜

膝掛けが欲しくなるような今日。11月並みの気温。

infoで「エルフの事を書きますね」と予告した後、ちょうど話題にしていた「力の指輪」のたまっていた分を見終わり、金曜配信の週イチのペースに追いついて、やや意識が離れてしまったような感覚の今日。一昨日、書いたけど全文消えてしまった、という日記の記事は、また別の話題で。普段、韓流を中心に1日1話ペースで何かしら見ているから、通常のテレビ放送のような、続きの新作を待つのに7日掛かるというのは、中々、私の時間の粒の密度からすると、かなり遠ざかるような感じもしてしまう。

そう、消えてしまった記事にはそういうことを書いていた・・「Time is gold」というタイトルで。先日の「エスカレーターで止まっていられない」という話にも通じるけど、短気でもなく、人に待たされるとイライラするという訳でもなく、どちらかというとボンヤリ、マイペースな私が、時間の粒子の中に密度を詰めこむ、という感覚になれたのは「シングルマザーで自営業」の十数年の賜物だ。要するに人はゆとりが無ければ何とか出来るようモードチェンジする他ない。となると、火事場の馬鹿力と同じように、物質界を超えた法則で何とかするという、修行?に晒される。

そこでの基準は「意味」であり、その意味というのも、こういう仕事をしながらなので、物質界の基準ではなく、エネルギー次元での「中身」がものを言う。・・でも、まあ、この宇宙人的感覚は子供の頃から実はあり、興味向くものやペースや言動も、やはりちょっと普通の子供ではなかった。けれどこの三次元で生きるために、自分の中にある「その感覚」を呼び覚ましながらヒトとして生きていくために、シングルマザーで自営業、それも、ひとり親への保証は無いに等しく、自営業者に厳しいばかりのこの国で実践することに(魂は)したのだろう。・・本来持っていたものを出現させるために、必要な修行期間だったと思う。

人によって、時間の粒子の密度は違う。そこにどれほどのエネルギーが入っているか、振動も違う。これが、Alice Baily 著にある「インテンション」ではないかと思っている。緊張感とか、日本語では訳されてしまうけど、「密度濃く詰まっていて、かつ冷静で無駄がない」というような。「集中力」のほうが近いかも・・「インテンシブコース」のIntensive は同じ単語の形容詞だ。集中的な、という意味で使っている。

平等に与えられた時間の中で、この物質界の法則の中にありながら、時間の意味を変えるには、自分の意図を集中して注ぎ、周波数の高い粒にすることで、「質」を変えていく。それが5次元創造や、スピリチュアルな成長に繋がっていく。

(あっそうだ。物理学賞の受賞者発表もあった所だけど、量子は粒ではなく、正確には弦、でしたね。)

一昨日はそんな内容を、もっと三次元的な、昔こんな事があったり、あんなことも、と、長々と綴っていたら消えてしまった。それで良かったのでしょう・・あんなこと、こんなこと・・の、過去のエネルギーたちも昇天したのを見届けて。

「静かで落ち着いた集中力」と純粋性が結びついて、サットヴァ(Sattva)として機能するのではないかな。自分もまだまだ、半世紀も生きて来たのにボンヤリしていて、物質的に豊かで平和な時代のゆるい空気の中で、本来ヒトが育てるべき力の一つが育まれにくい社会の、一員として生きて来ていることを実感する。成長進化とは、時間がかかるものだな、と。

(P.S. エスカレーターは安全のため歩かずに立ち止まっておきましょう。)

では、エルフについて、『Lord of the Rings』の新篇、「力の指輪」視聴雑記を書いてみよう。

原作を読んでいない上に、今回、制作が始まった経緯や、脚本の背景などについても調べていないので、本当にお茶の間的な話になるかも。プラス、アルガンザの「ジェネシス」神話を絡めての考察。

本編の「ロードオブザリング」でも然りで、やはり見ていると何でも、ジェネシスの原型論にあてはめてしまう。エルフたちは神の使い、半ば別次元の存在が地上に降っているようなので、やはり「白」だろうけど、ドワーフは「赤」で、ホビットは「黄」、人間は・・何だろう? 明らかな黒サイドも非常に分かりやすい。人間は、これら全ての要素を持っているということだろう。白にも黒にもなびくし、赤い時も黄色い時もある。

原作を読んでいない私には、かつての映画版の本編で、最後に闘い疲れたフロドが、平和なホビット庄に帰らずにエルフ達の「西の故郷への帰還」に同行するという流れに、胸打たれるものがあった。最近ウクライナのニュースで、戦地の女性が「もう元の私には二度と戻れない」と語っているのを見た。多くの破壊を見てしまうと、人はそうなる。増して平和を愛する純粋なホビットであるフロドの変化を思えば。

・・彼の最後の静かな様子がとても印象的だった。ホビット村の周波数の中にあっては、体験した記憶をすべて忘れて封じてしまうか、ただただ悲しく壊れていってしまうのではないかと思う。

同じく映画本編の最後のシーンで、印象に残っていた事がもうひとつ。「西のエルフの故郷」とは、どのような世界なのだろうか・・・と。

今回「力の指輪」の第一話で、長年のその謎が解けて興奮していた。そのシーン、何度も繰り返し見てしまう。。笑

ガラドリエルが仲間とともに、王の命で「西の故郷への帰還」を許され、船に乗っている。船なんだな〜、フロドの時と一緒だ。海から繋がっているのね と見ていると、

あるゾーンまで来ると、独特の静寂に包まれて、前方に・・出た!ワームホールが開く!

海の上のワームホールに、船や飛行機が吸いこまれて行方不明になる事件が多発、という話題を「古代の宇宙人」でもやっていたっけ。その時に見ていたCG映像と同じような様子で、興奮。高次元への扉が開く時は、やはり目を開けていられないような光がそこから溢れ出す。そして精妙な空気が寄せて来て、明らかな別世界を見る。用事が済むと扉は閉まる。何らかの合図・必要性で開くのだろうけど、ドラマではエルフたちが歌を口ずさんでいた。

個人的にはこの、エルフ族の故郷=ワームホールを超えていく高次元の地球 という描かれ方をしていて、とても喜んだ。納得もしたし、アルガンザの「ジェネシス」の視点からいっても、無理なく噛み合って嬉しくなった。

そこで、放送している Am●z●n Prime の紹介ページをようやくマジメに読むと、「西の故郷」(ヴァリノール)とは「ヴァラールの国」という意味で、「ヴァラール」は神のような存在たち。ここから先はウイキを覗くと、単数形が「ヴァル」で、その複数形だそう。つまり「神々」である・・後々(ウイキの原作についての記述を読むと)、「力の指輪」にも登場しているエアレンディル(註*)の訴えを受けてヴァラールから援軍が中つ国に派遣されるとあり、原作では作者の時代を考えても恐らく、神々の世界も地上世界もフラットにつながっているような世界観かもしれない。だとしても、周波数の違う世界を行き来するにはやはり次元という区分を超えていくための「扉」が必要である。

( *「力の指輪」ヌーメノール人のエレンディルとは別の「エアレンディル」は、エルロンドとその兄弟エルロスの父だそうで、この兄弟はちなみに人間とエルフのハーフ、エルロスは人間の道を選びヌーメノールの初代王になり、その家系にエレンディルが子孫としている、らしい。wiki参照)

色々と予定している執筆物の中に、「ジェネシス」をまとめながら見えてきたアトランティスの様々な時代を描く構想がある(すでに一部書き始めている)。そこで考えさせられたのが、それ以前のレムリアまでの5次元世界とは違う、3次元の出現(「神々」による創造)のしくみと、長い長〜いアトランティスにおいても、時代によってヒトの作りは変わっていて、初期の頃にはきっと半分、5次元的だったのではないかと。そして終わる頃は、僅か今から13000年前だから、完全に物質界を生きている。(追記:そうとも限らないとその後、考えている。「the Genesis」三版では、別々の(パラレル)地球を統合して現在の文明期に入ったとしている)

けれど、必要に迫られた時には五次元の神々の世界を、物質的に「訪ねていく」事もできたのではないか・・とも思うし、アトランティス後、我々の文明期に入ってからも、聖職者のような人ならば次元の扉を時折抜けて、また戻って来る、というような事もあっただろうと考えている。それらの、多次元にまたがる舞台設定を、物質的なリアルな描写で描くべきかどうか、という迷いがあった。またその手法は中々、難しいものだ。

原作の「指輪物語」は北欧神話をベースにしているから、他の神話も同じくだけど、5次元と3次元がまだ、共立していて、往来が頻繁にあったし、全ての人の目に見える形でそのための「扉」があったのだろうと。「力の指輪」や映画の本編から察するに、その世界観は神々(恐らく非物質)の住む世界と、その膝もとで暮らす物質体を持ったエルフたちが在り、エルフたちは次元の扉を超えて人間その他の種族が住む世界へ出て来る事が出来る。その逆は難しいらしいけど、「力の指輪」でも「西に行った」者の話がチラチラ出てくる。(エレンディルの下の息子、かな?)エルフと一緒ならば、扉を超えられるのではないか? 人間ではないけどフロドの例もそうだ。

物質体を持つ、と言ってもエルフたちは不老不死で、何でも有能にやってのける。戦で深傷を受けるとセルフヒーリング機能が効かなくなるせいか?亡くなってしまうこともあるそうだが・・闇に囚われる事も稀にある。

アルガンザの「the Genesis」においては、2017年の冬以後、アトランティスにおける大戦争と、そこに出陣するエルフ軍、ケルビム軍のストーリーが出て来る事が続いた。一番、私たちがフタを開けたくなかった記憶だと言えるかもしれない。この路線もだいぶまとまって来て、神々の世界に住まい半ば神でありながら、レムリア期には自然界(が当時は人間の魂の生き場所)の秩序を守るために高次自然界に在り、アトランティス期には、大戦の援軍や、人間たちの要請があった時にワームホールを超えて現れてくれる助け手として、活躍していたのだろうと思う。

そんなエルフ(エロヒム、エロス)たちが地上で犠牲になってしまったり、完全体のまま「故郷」に帰れなかった場合に、地上のシステムに情報的に囚われてしまい、そのカルマゆえ、人間界に生まれ輪廻転生しなくてはならなくなった。ジェネシスにおけるエルたちの物語は、そのまま今を生きる私たちに繋がっている。原作者のトールキン博士も、無意識でアカシックを受信し、描かれたのだろうと思う。

アトランティスに関する神智学の文献の中に、「人間がマヌたちのアドバイスをちゃんと守っていれば、肉食動物は生まれなかった」という一文がある。マヌ、というのは、アルガンザの観点ではちょうどまさにエルたち=エルフたちを中心とした、「5次元の神の世界と人間の文明を繋ぎ、導くグループソウル」である。アトランティス期、人類が神々の教えを守らなかった事で、肉食する動物が誕生したそうだ。そして人間たちも争い合うようになったのかもしれない。

「力の指輪」を見ていると、誇り高き、神々の子であるエルフたちは、正義感が強くいつも正論で、人情や感情などはあまり重視しない。何でも出来る多彩な才能と、キリリっとした容姿と周波数。けれど、言葉は丁寧なのに率直すぎて、人間やドワーフの感情を損ねるらしい。。。無意識なる失言、それでも特に悪いという反省もなさそう。笑 そんな、相違をどれも偏りない愛を込めて描いているような眼差しは、原作から踏襲されているのだろうと想像される。

ホビットの祖先であるという「小さい人たち」ハーフットは、移動する行列で、「誰も列を逸れない!」「いつも仲間と一緒!」と唱えて進む・・・という、すごい同調圧力で(笑)体が小さいから無理もない防衛本能、外の世界に興味を持ってはダメ、勝手な行動をとってはダメ、冒険も空想もダメ、収穫や仲間のことに集中していなさい、という。それが少し洗練されて、後のホビットになるのかもしれないけど、日本人を見るような気がするのであ〜る。

クリスタルもちょいちょい出て来て、やはりスピの人々はこの作品、みんな好きなのかもしれない。・・でも「光と闇の闘い」がテーマであるから、どこまで見続けられるか、Prime 特典の1stシーズンを過ぎたら、見続けるかどうか、まだ分からない。ただ、ヴァラール、ヴァリノールには興味津々。どんな風に描かれるだろうか? 時折記憶に残る、シャンバラのある五次元インナーアースの世界と、やはりきっと、似ているのかな。

Love and Grace

小さな長老

涼しい筈のヨーロッパや、広いアメリカでも国土の多くが猛暑。元々暑い地域では自然発火で山火事。世界各地で次々と洪水。見る人、感じる人によってはこれは「黙示録」の時代の始まりだと思ってしまうのも無理はない。。とは言え、心配したり憂いていても仕方ない。

これからもっと大変になるかもしれない。けれど、時代に翻弄され過ぎていく時間は、私たち一人一人にとっては(輪廻転生はするけれど..)たった一度の人生。自分というアイデンティティや、人生に対する意図を持っていないと、名前の通りの「平成」の頃とは違い、令和そしてこれ以後は、次々起きる大きな波に飲まれていってしまいそうだ。

「レムトラ」ページを編集していてつくづく思ったのは、今から14年前だから文章表現は稚拙、視点は浅薄で、スピ業界からの影響が強く出ていて、やれやれという感じはするけれど、高次から受け取っていることの核心は同じで、ずっとずっと変わらず、ブログ等でも他のワークでも、同じことを言い続けている。
それは、「意識の進化」

意識は急には変わらないから、システム全体からそこを目指していく。システムというのはオーラ、チャクラ、肉体も含めたホリスティックなシステム。けれどメタフィジカルを担当しているので、エネルギーワークによって整えていくという立場に立っている。

整える、と言っても揺り戻しやアップダウンがあるのが人間で。そうさせる仕組み、つまり進化しないように働く仕組みとは何であるかを研究する流れになって(しまって..)、今あるような、アルガンザの活動になっている。けれど、核心はずっと変わらず。「意識の進化」

そのために、努力を惜しまず活動を続けている人々を、私は「仲間」だと考える。どんな分野であれ。

小さい子供は、「なんで?」「どうして?」と何でも訊いてくるものだけど、あの純粋な疑問は、大人たちが作った世界の不思議な、不自然な理不尽さや矛盾を突いてくるもの。 子供の頃、ハートの中心にあるものが私たちの魂の「自然」であり、その目線を通して『??』と思うことが、「不自然」なものとして発展してきたルールや現実なのだろう。

人間は、生まれ出た当日が最も賢いそうで、アメリカで行われた研究によると、小さな脳の中に、大人の2倍ものニューロン(神経細胞)が存在した状態で、人はこの世に出てくるそうだ。 ヒトの魂の歴史が、人間の一生に反映されるという観点からすれば納得できる。

アルガンザのジェネシスに照らせば、新生児はアンドロメダから創造の為にやって来ているセラフィムたち、ということだ。 セラフに出会った時、確かに新生児のような姿をしていた。しかし彼らは叡智の存在、銀河系の長老なのだ。アンドロメダに戻っても、他の形態存在たちよりも波動高く、創造主つまり宇宙の始まりのエネルギーに極めて近い。

赤ちゃん、子供たちは、小さな賢者。

地球という惑星をデザインしたセラフィムたちにとって、相変わらず囚われの多い地球人類の意識状態のもと、地球自体が危険に晒されるような破壊と自然界の混乱が強まっていくばかりのこの状況は、もどかしい限りだろう。けれど、人間は生まれ出た時に彼らの叡智を体現している一時がある。

世の中が変わっていけば、いつか、新生児の時に持っていたニューロンを失うことなく、人は賢いまま育って、年を重ねていくような時代が来るのかもしれない。

Love and Grace

「ジェネシス原型場」動く。–踏み台のセラフ–

一年に一度、いや、数ヶ月に一度はあるかな・・ジェネシス原型フィールドの、集合場(個人や小さなソウルグループではなくある程度の広範囲の人々・ソウルが関わる)でのカルマ消化、昇華を促す機会が来ているように思う。それも、同時にいくつもが重なり合いながら。

うむむ。数年に一度の規模かもしれない。けれど今年の春、レムリアンセイクレッドレイキの改定作業中に、かなり大規模な影響が自分周辺には来ていたので、そこから僅か数ヶ月。良くも悪くも、この前の満月に関係あるかも? 13日の夕方に突然何かが来て、満月は翌日、14日だったから。

それで、13日夕方以後、何か来たな〜と言う事で3日かけてクリアリング。(普段は避けられるのですよ)エンティティ様のものは外せたものの、余波がゆっくりとフェイドアウトしながらもまだ完全には抜けていない。今朝もまだ、あちこち刺される体感、昨日ショップのインスタに書いた「耳」の影響も。ただ、日常生活と仕事には全く支障は無し。世間の人々はこんなふうに具体的に体感したり分析しないだけで、(かつての自分もだけど)普通に受け入れて暮らしてしまうのかもしれない。すると・・引き下ろそうとする作用が凄いから、意識や体調など、周波数的に下げられたり、思考なども影響されたりする。

「霊的に成長する」ということは、言い換えると、こういった「普通に人間社会に満ちている、引き下げる力」に気づき、それを避けるテクニックを身につけることだ、と言っても良いのかもしれない。避ける、あるいは自己浄化するテクニックを。・・もちろん、これをメタフィジックに習得しなくても無意識に出来るつわもの達も居る(過去生で習得済みなのだ)。そういう人は人生がスイスイと運ぶだろう。

長年体感や体験、知恵を少しずつ重ねて来て、ただただ何でも受け入れる訳ではないし、通常は跳ね返すシステムがある。それが何故か作動せず、かつ対処しながらも影響が長引いてしまう時は、何か理由があるのだろう、体験して、答えを出せと言われているのだろう・・・と言う事になる。ジェネシスの原型神話のほとんどは、アルガンザのクライアントセッションで、お客様の癒しの場面で出てきた魂の風景だけど、ジェネシスを一旦まとめ終えて、自分もセッションの仕事を引退してからは、重要なことを知る時、新たな大きめの原型ストーリーが出て来る時は、サロンの箱庭現象か、自分自身の体感・体験によって、それを分析するよう促されてしぶしぶと(笑)分析作業に取り掛かり、何らかの帰着点を得る。

そして答え合わせが来て、やっと解決。という流れがある。満月の頃から来ている何かについて、流石に10日も引きずっているので渋々と(笑)ピントを合わせた時、先日Tweet した「イシスの子供たち」が浮かび上がった。もうひとつ、前回の「白い聖堂」でフォーカスされていた「ケルビム、堕ちた青(アルクトゥルス存在)」も同時に出ているし、つい先日のセッションでは、「ケルブの踏み台になったセラフ」もちらりと出て来た。

永遠の主題である、「シリウス(進化させる力)と、進化させない母たち」の摩擦も常にある。「ケルブとエルたちの因縁を解く」、その主題も出て来ている。つまり、「因縁の深い、敵対(摩擦)関係を刻み、その原型同士、人間界に生まれ変わっても対峙するとそれなりに摩擦が働く」というジェネシス原型から現れる関係性パターンについて、全般で、「和解」の動き(与えられたチャンス)が、同時多発的に現れているのではないか・・・と、昨日あたりにふと感じた。

以前から「ライト(進化)ワーカーたちの役目は、シャンバラと『抑圧する母たち』の和解を人間界で実現すること」という話を、ジェネシスではしていた。一体どうすればいいのか、私たちに何が出来るのか、と去年などは話していた。けど、レムリアン〜のテキストを書きながら、「各個人が自分の中で、それ(和解・理解)が為されれば良いのだ」と気づいた。

そして、「調和」という、スピ界ではありふれた言葉の中に、それを込めていた。それから2ヶ月ほど経過し、自分の中ではすっかりと良い感じに、その「和解」が一部として溶け込んでくるような周波数帯に居たところに、突然の、今月半ばの引き下ろすような力。こういう時は大抵、自分が習得しつつあることを、次のレベル(表現活動、ワークやテキストの執筆などに)に広げる時、追体験するような揺り戻しが来ている事を意味する。

けれど、それにしては大袈裟すぎる。影響を受けすぎている。それだけ重要なこと、あるいは、自分自身に関係すること、今後の執筆に盛り込むべきことが、見え隠れしているということなのだろうか・・・?

さらにそのように思考を絞っていくと、ケルビムの苦悩、ケルブとエルの行き違い、イシスの子供(ソフィアを崩壊させた自責など)だけではなく、上述、セッションでチラリと出てきた「ケルブの踏み台になったセラフ」がまた、響いて来た。あまり公には書いて来なかった事だから、ここで少し触れておくと・・・

アトランティスで、軍隊を構成するために「再生」されたケルビムたちのオリジナルは、レムリア期、マヌやシャンバラの要請で地球に招かれたアルクトゥルスの専門家としての軍人、のような存在たち。軍人、といってもアルク人なので外見は人ではなく、肌は恐らく青いだろうし、背中にはツバメのような羽がある。プロフェッショナルで、周波数の高い彼らは地球霊ロゴスのヴァイアマスに仕えるためにやって来た。

・・・が、地球が壊れるかも、という規模の「何か」がレムリア期に起きて、それを止めるために命を落としたケルブたちが多く居た。その遺体(と言っても肉体というよりは霊体なのか?)は、モニュメントのような聖地アヴァロンで保管されていたが、遥かな時を経て、アトランティス人類が「神」に背を向けて、「神々」がそれを許し、別次元から見守る時代になった後に、

ケルブたちは「再利用」された。かつて、セラフたちを「再利用」して、エルたちが作られたように。

これを、アルガンザ・ジェネシスでは「後期ケルビム」と呼ぶことにしている。彼らが、既に物質次元となっていた人間界に「実在」するためには、汎用性のある霊体ゆえということなのか、「下地として」セラフたちの「何か」が使われた。後期ケルビムであった人のソウルはそのために、「踏み台になったセラフ」の情報も、自分の中に持っている。何らかの形で、そのセラフを解放してあげなくてはいけない。セラフゆえに、インナーチャイルドとして現れるのだろうか?

そうかもしれないし、その限りではないのかも・・ このエピソードを知ったのは、ケルビムが強めの(ケルブという定義を私に教えてくれた)方の数年前のクライアントセッションでのこと。そして理由や背景は分からないけど、今、浮上して来た。なぜ・・というか、上記のその他の因縁関係とともに、全体としての「和解」テーマゆえ、だとは思う。

そして多分自分個人としては、「イシスの子供たち」と彼らを使って計画を実行した多くのアトランティスの人々による「破壊」の対象としての「ソフィア」と、相変わらず同調するのだろうし、今回はまた新たに、「後期ケルブの踏み台、下地にされたセラフ」の開放という、見えない次元の集合的ムーヴメントの波長を受信し、それを邪魔しようとする力との拮抗を、体感していたのかもしれない。と、整理したところ。

パラレルに引き込まれそう、引き下ろされそうな気配がこの10日ほど続いていたけど(そんな時はいつもジェネシス原型の情報の中に居る時)、ようやく一段落。

Love and Grace

Amari

組織ではなくネットワーク。

自分のブログ記事をさらさらと概観していて、目についた言葉「組織ではなくネットワークを作る」。
その記事では、鏡リュウジさんの占星術本「水瓶座」に書いてある内容と、自分自身の気づきを絡めて書いていた。つまり水瓶座人間は、組織を作るよりもネットワーク作りに向いている、あるいはその方がうまく行くというお話。私自身にとって、それは確かに理想と言える。

組織、が苦手で・・それは、単に水瓶座、風の星座の影響があるかもしれない。けど、きっとそれだけではない。ジェネシス原型論や、うちの親ゆずりの家系的な性質、体質もヴァータ(風)だし、普通の水瓶座よりも水瓶座的な思考パターンが強めな気もする。

会社勤めや、組織で動く仕事など幾度か経験したが、何しろ本当に向いていないと思う(笑)。水瓶座って不思議な人々で、(昔から友人知人に多いのだ・・)不動星座だし頑固に自分の拘りを実行したい所があるけど、そうかと言って、リーダー向きではない。リーダーのような位置に据えられると、自由を奪われた気分になるのではないかな・・息苦しくなってしまう。

頼られるのも、頼るのも苦手。自分のことは自分でやりたい。そうかと言って、人を遠ざけたい訳ではない。人が好き。人間愛が強くて、人のお世話はついついやってしまう。そんな事をしていると自分の拘りや自由に支障が出て来て、「ああ!」と苦しみ始めたりする。そしてまた一人になるためフラリと旅に出る・・が、またまたついつい人々を愛して、世話を焼いてしまう。みたいな・・

「現金や社会的地位に執着が無いため、お金を持っていたら価値のある書物に替えておくと良い」と、昔読んだ占星術の大家の先生のご著書に。株式とか土地ではなく、書物。その心は、書物ならば「大事で手放さない」。そうじゃないと、お金に執着しないため、散財する・・・とのこと。まあ、なんておかしな人たち。宇宙人だわ。

・・そう、私などこれを地で行っていて、書物、と、鉱物・・(と少しのアンティーク家具)に替えている(笑)。もちろん、水瓶座も色々で、こんな性質が濃い人、薄い人、様々ではある。友人たちを見ていてもみんな色々だ。(けど共通して上記のような性質はある。要するにコレクター気質でマニアック、話好き、お人好しな人ばかり)

話が逸れてしまったけど、そんな水瓶座への鏡先生のアドバイス「組織ではなくネットワークを作る」。

これは、私がヒーリングサロンとショップの仕事をして来る中で、自然に思い描いていた形態。カレッジを経てジェネシスヒーリングが出来た時、プラクティショナーさんたちが自立し、サロン運営をしていくステップに入り、ジェネシス神話と所縁深い「世界樹」にたとえて、皆でひとつの世界樹を作っていけるといいですねという話をしていた。

私の頭の中にあったのは、組織のようなガッツリとした役割分担で密に関係しあうグループではなく、それぞれが自立独立して存在し、個性も発揮し、個性があるからこその豊かな世界樹が形成されていくという様子。

なかなかその匙加減は難しい。が、水瓶座時代、風の時代を迎えて、社会の在り方も恐らくそのように変わっていく必要性が、今、浮上しているのではないかな。

「組織」を構成すると、維持しなくてはいけなくなる。クリシュナムルティが少年時代に見出され、救世主の生まれ変わりとして教団のトップに据えられた後、30代になった彼は「真理は組織を作らない」と言って教団を解散した。組織は、誰が上とか下だとか、関係性がどうだとか、人間同志の密な事情が発生し、そのうちにそこに問題の焦点が移り、本来の目的から逸れていったりするもの。

もちろん、企業その他、重要な仕事を共同作業するフィールドでは組織でなければ成り立たない事もあるだろう。

ヒーリングサロン、スクールのようなメタフィジカル、スピリチュアルな場所は、目に見えないものが交錯し、レイキやエナジーヒーリングなどはある意味白い魔術のようなものだから、その逆、が介入してくる。見えないものが入り込み、撹乱するには、組織になっている方が介入されやすい。そこに人間関係、という物理的な「場」があるわけで、感情を持った人たちの、弱点や隙を見つけて、撹乱や分離を起こそうとする。これは、普通の人として生きている時に気づかずに体験しているものとは、やはりちょっと質が違う。

精神科医の先生がたも、患者さんの感情転移が起こりやすいと聞くけれど、時折、ヒーリングでもその様な事がある。また特に、私の持論ではジェネシス原型のアンドロ、レムリア自然界系の強い人は、相手が転移してくるキャラクターを自分が引き受けて被ってしまうようなことさえ、起こりやすい。・・そう、自分自身の経験から。

鏡のようになって、相手がそこに写したいものを写すことに、「どうぞ」と無意識に言ってしまっているような感じさえする(振り返ると)。もちろんそのような転移が起これば、何らかの不具合が発生する。この、アンドロ強めヒーラーの体質によって生じる、ある種の触媒、純化作用のメカニズムに気づくまで、結構時間が掛かった。
ヒーラーを引退した後に、整理出来たことかもしれない。

同時に、ヒーラーでなくても、人の中にある天使性とは、地上においてそのような二面性を持つのではないか・・ナ。望まずとも。天使界ではないから・・利己が渦巻く人間界であるから。純粋であろうとする、周波数を守ろうとすることで、通りすがる事象がそこに自らの対極のものを映し出し、恐れたり、困惑したりする。

地上に降りた天使たちは、その意味で諸刃の剣だ。そう望まずとも。それは、世界がまだ利己的だから・・そこにチューニングすると、「堕ちて」しまう。自分の周波数や質を守ろうとすると、知らぬ間に通りすがる事象に浄化や変容のための異変が起きていく。
そんな性質を生かして生きていくには、エナジーヒーラーか、芸術家か、表現者か、といった所だろう。

そして、「組織」ではない、個性を生かせる形での「ネットワーク」で、自分自身と、自分が守りたい仕事や表現を守っていく。

そのような繋がり合い方が、ライトワーカーとしては相応しいだろう。自立し合うことが大前提。そして役割の転移を互いにしないような、(インナーチャイルドを統合し終えた)大人であることも、その理想的な「世界樹」あるいは「森」を形成していく条件だろうと思う。

Love and Grace
Amari

ライトボディのシフト

2018年(カレッジ5期を終えたばかりの頃)、普段風邪も引かずに過ごしているのに、年初の2月に38-39度の発熱、その状態でセイキムセミナーをしているという、ヒーラー時代の中でもその時だけの異例の事態に始まり、

次は同年春〜初夏にかけて2度、咳がひどいタイプの風邪を引き、それが治りきらないまま夏になり(2ヶ月咳をし続けて)、遠距離通勤が辛くなって横浜から八王子移転を決めて。さらに八王子移転後、2019年の始めに地元神社に出かけた帰り道からゾクゾク・・熱を出し、やはりひどい咳をともなう風邪を引いた。この時、私から移った家族が病院に行くとインフルと判定された為、予定していた講座をお休みにするべくインテンシブの受講生の方にメール連絡をした、という。これもまた長らく仕事をしてきてその時だけの異例中の異例の出来事だった。

ヒーリングを始めた当初は、家族ぐるみで風邪や感染症なども良くあったし、長年ためこんだものをデトックスする意味でも、体調に出るということは2~3年続いた。その後、ヒーラーになった頃からはすこぶる健康で、一度、新型インフルに2009年にかかった(それも恐らく何らかのシフトゆえ)以外、風邪を引くことも、体調不良がサロンの仕事と被ることなども無かった。

エネルギー的に厳しい時期だったので、「自分の波動が落ちているからこんなことに?」と自戒していたけど、2017年春〜12月でまとめた「ジェネシス」完成後に起こった、非・進化の力による嵐のような出来事が続いていた時期だったし、その中で強く影響(攻撃)されていた赤のネガティビティが、呼吸器系や感染症を起こすことも、仲間たちとともに突き止めていた。そのエネルギーレベルの影響も大きかったと思う。

そんな逆風をあえてガイドたちが放置していたのは、この体験のお陰で、「ジェネシス」後のワーク改訂、プログレッシヴワークには、それらへの対策が盛り込まれた事からも、納得している。

 自分なりに、実はこれが、多くの人々よりも先にずれた形で体験していたシフトの手厳しいイニシエーションであり、新しい時代の進化に向けての洗礼だったのではないか・・と、パン・・・・が始まった時から考えていた。私、と、身近でアルガンザを見ていた仕事仲間たちが体験した、アトランティスでの社会秩序の混乱や、ジェネシス層のカルマ原型のミニ体験の一連の流れは、二元性の相克を乗り越えて、昇華して、調和に向かうという選択を自分の中で各人が成し遂げるプロセスの体験であったと思っている。

(SNSで偶然見かけた「パンデミック前年の2019年に同じように呼吸器系の風邪を引いた、シフトを先に体験していたよう、だからパン〜には共鳴しない=感染しない」という会話。そう考えている人もやはり居るのだなあと。私の場合は更に前年の2018年で。けれどエナジーワーカーとしての仕事の性質からすると、そのくらい前倒しで来るのはあり得るとも思う)

自分が体験し感じたことを整理した時、ジェネシス、という地球と人類ソウルの長い歴史の中で、そのポジション、意味を理解した。

神智学で説明されるように、今は地球で5番目の「アーリア人種期」という時代。その序盤には、前のアトランティス人種期を人類規模でミニチュア体験するという。カルマの火種を消して、軽くして、新しい時代のモードに本格的に入るという事だろう。その変わり目が今だろうと私は思っていて・・ゆえに世界規模、全体でのカルマの現出、浄化のための選択、シフトのための刺激が来ているのだと思う。(2022年の日記。パンデミックのこと)

「赤のネガティビティ」との魂の関わりの現出なので、呼吸器系の病気として現れていたのだろうと・・

『ライトボディの目覚め』という本(ナチュラルスピリット)があるカレッジでも参考文献にしているし、ニューエイジ思想やヒーリングと出会ったころに読んで、以後も大事にしている位置づけの一冊だ。ここに、「インフルエンザの様に見える形でやってくる、ライトボディのシフトの症状」についても書かれていて、実際に、自分がヒーリングを始めてから特に最初の頃に、何度かそのような体験をした。家族から移る、というような普通の物理的な現れ方をする。

けれど、意味合いとしては「ライトボディのシフト」なのだ。実際に、エネルギーがまず存在し、その情報を物質化するにあたって、何らかの三次元的脚色や前後関係が現実化する。「医者に行ったらインフルと言われたので、インフルです」ということは関係なく、エネルギー的な青写真を考えなくてはいけない。

風邪を引いて「ただの風邪です」と仰る人もいる。「ただの腰痛です」と。「ただの」というのは存在せず、エネルギーが先にあるということを、徹底的に脳に分からせないと、物事をいつまでも三次元的に考えてしまう。

日々のデトックス、免疫力UP、心と意識の周波数UP、すべての基盤である心身の健康、心がけていきましょう。

Love and Grace


月の裏側

このところ毎度毎度の『古代の宇宙人』通信です・・

先日の朝、現在リアルタイム配信の、第111話(だったかな。凄いですネ〜この内容で100話を超えるとは。毎回1時間のボリューム)で、「月の裏側」の話をしていた。地球からは見えない月の裏側に宇宙基地がある、説。内部が空洞であることはNASAの見解でもあるとか。内部と、裏側に、何かありそうだという話。

時折、ツイートその他にも書いているように、私は月とは微妙な存在だと考えている。もちろん、現在の自然界や人間のあり方、つまり地球の生命の現状は、月がなくてはあり得なくなっている。それを恩恵と捉えるか、否か。

以前は普通に、月が好きな日本人、のひとりだったけど、いつ頃からか。ヒーラーの仕事をするようになってから、何か引っかかると感じて、そのうちにニューエイジ系の書籍でも月と陰謀説を絡めたお話を目にしたりしていた。けれど、陰謀説については私はまたちょっと独自の考えがある。それはジェネシスにて整理されつつある。つまり宇宙の視点を持てば白か黒かの問題ではないということ。

今日はそれは置いておいて・・月の裏側、について。

ジェネシス神話をまとめていた時にシュタイナーの記述に出会い、自分なりにその辺りを整理した。かつては地球を納めていた「古き神々」が、新しい「神々」と懐を分かち、地球を去っていく。その際に、月を拠点にして、月の内部に止まり、地球で生まれる生命を自分たちの影響が届くようにした。シュタイナーは、「生殖だけに関わるようになった」と言っている。それを参考にジェネシスでは、感情や欲望、も月に支配されていると。

旧約聖書にいう「失楽園」からの、アダム(男性性)とイブ(女性性)への神の「呪い」は、これを表していると考える。

生殖、つまり月経や出産。そして性衝動、それ以外の感情や欲望、利己、などについても、月が関係している・・と。

上記番組では、「古代に飛来していた宇宙存在たちが地球の文明の始まりに関与し、その後去っていった。月に基地を作り、見守っているのでは」という表現に留めていた。二勢力の争い、のような話はここでは踏み込んでいない。(先日書いたように、別の回では「神々同士の戦い」を特集している)

確かに、地球上に今、生命が溢れているのは月のお影だ、というのは分かる。けれど私の宇宙人的(水瓶座的?)思考では、もし月が無ければ、無いなりの生命圏が生まれていたのではないかと。それはそれで素晴らしい、美しいものだったかもしれないし、また違ったドラマが展開していたのかもしれない、と。

月は内部が空洞の、巨大な「人工物」で、基地であることが知られないよう、星に似せて作られたもの。。とか。

地球にマルデックがぶつかって、別れたものが月になったという話は有名だけど、宇宙人ならば計算により故意にそれを引き起こし、配置することも出来るだろう。人工物、あるいは計算された結果じゃなければ、地球からの距離と月自身のサイズで、日食や月食が起きることを偶然で済ませるほうが寧ろ不自然だ。

極論を言えば、月に愛着を抱いているうちは、ヒトは、進化よりも肉体的感性、物質的視点、感情的思考、に支配される帯域から、抜け出せないのではないか・・

進化の道は、太陽の道なのだ。

とはいえ、ジェネシス神話をまとめながら、高次から受け取っている重要なメッセージ、マヌたちの役割は、「和解」である。成長させまい、進化させまい、自分たちの星の自分たちのものである・・と人間を位置づけ、生殖や欲望を通じて支配しつづけている「母たち」を、退けるのではなく。和解とは、一体どうするべき事なのかと、ずっと考えて来た。

ひとつだけ分かっているのは、私たちの内側で、それは為されるということ。

ニンゲンが、現在の自分たちの親である「神なる世界」と、それと対立してきた、まだ「利権」の一部を握ろうとしている「古き母なる神々の勢力」による影響を、自分たちの中で「和解」させる他ない。これは、単純な白と黒という問題ではなく、より複雑かもしれない。

以前この状況を、韓国時代劇の、「ジョナー(王様)」と「テビママ(王の母)」に喩えてFB等に書いていたけど、テビママにはやはり重臣、一緒に謀(はかりごと)をしている権力者のネットワークがあり、まして、ジョナーの母親なのだから、事は複雑だ。宇宙においても、偉大なる母たち・・への敬意は守られるべきという考えがあるよう。けれどジョナーが誠意と敬意を尽くしても、テビママの要求は自分本位で、権力や影響力を息子に奪われると言って難題を押し付けて来たりする。。

ジェネシスのバイブルも、アトランティスを描いた小説(執筆中)も、目下その「和解」についての考察が、テーマのひとつになっている。日本古代史小説もそうだ。。

だから、現在のフェミニズム思想、スピリチュアルと結びついたフェミニズムの盛り上がりに、大きな可能性を感じる。

ちょっと荒らされている、乱されている感じもあるけど・・ ちゃんとしている人たちも沢山いるはず。自然派、ヒーリング、太古的フェミニズムの見直しなどが、今後重要な役目を果たしていく。(と、20年前から思っている。)

視聴した番組からの考察メモとしてこちらを書きつつ、以前から「あとで買う」に長いこと入っている人類学者レヴィ・ストロースの「月の裏側」を思い出して注文した(笑)。それは宇宙基地の話ではなくて、日本文化や日本人についての考察の本。

ではでは、今日はこのくらいで

Love and Grace

Amari

 

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地球を守る力

先日も日記に書いた、ウェブ配信の「古代の宇宙人」シリーズ。今朝はクロップサークルと、古代の神々(宇宙人同士)の戦い、を見た。予備知識が無かったものの、毎日一度は見る時間があって、番組の特徴、構成が分かって来た。たくさんのテレビ配信サービスがあると言われるアメリカで、ヒストリーチャンネルという、名前の通りのチャンネルによる番組で、どうやら、この筋、つまり地球には昔から宇宙人が来ていた、今も関わっている、というジャンルで著名な本を書いている著者が次々と登場して語っている。

皆さん、だいたい同じテーマを踏まえているから、毎回テーマごとに、複数の著者や博士、時折それ以外の証言者が、同じテーマに対してコメント。その証拠画像や参考資料、再現CGや、実際に遺跡などを訪問した映像などが組み込まれている。見ているうちに次々とテーマも変わっていく、テンポが早い番組。私個人としては、今のこの時期、これを見始めたことが偶然とは思えない。もっとも、日頃から見る映画やドラマ、NHKのドキュメンタリーも含めてすべて、シンクロやタイミング的な意義を感じ、何かしらに繋がっていくので。

そうそう。もちろん、主題である「古代から宇宙人が来ていて、地球に関わっている」ことは分かっているし(笑)、出てくる話題はほとんど既に、これまでの25年くらいの読書や探究で知っている事が多く、それと、ヒーリングの現場で見て来たこと、体験するエネルギー、神智学からの情報も含めて、総合して私の中の「地球の宇宙史」が出来て、『ジェネシス』になっている訳だ。驚く事ではないわけだけど、二つ、今の自分に響くポイントがあると感じた。

ひとつには、本を買う時や、何らかの情報を受け入れる時、私は必ず著者や提供者の人相をじっと観察。エネルギーを感じて、判断するようにしている。日本語訳されて日本の出版社を通していると伝わりきれないものが、名前を知っている著者が実際にVTRで話している姿を見ると、人相やエネルギーがとても良く分かるので、画期的。「マル」と判断した時に、その著者が語っている情報は信憑性をもって入って来る。本の活字から伝わっても来るけれど、リアルさが違う。声、英語の発音、目の輝きや言葉のリズムなどに、何か・・ジェネシス原型の各種の宇宙エネルギーと結びつくものがあるのだ。

もうひとつ。ヒーラーとしてのセッションの現場での体験と、それが何であるかを知るために取り入れるようになった神智学やシュタイナー、インド思想や、昔から好きだった各国の歴史・文明史・人類学・民俗学・神話学・宗教学などの雑学的知識が結びつき、かつニューエイジのチャネリング情報なども参考にして、整理してきた結果の「ジェネシス」世界観。そうしよう、と思った訳ではなく、あくまでもヒーラーとしての仕事からニーズを感じて、深めていくうちにそこに至った。ジェネシスのような絵巻に「したい」と自発的に思ったことは、そういえば一度もなく。気づいたらそこに向かっていた、という感じ。

一方で、この番組で語っている著者の方々は、実際にある古代遺跡、次々と新しく入ってくる考古学的発見、UFO目撃情報、英米では珍しくない元々あるこの手の研究分野の新情報、そして神話や古代文献などの調査・・・・など、ジャーナリスト的に調査研究し、本を書いている。ヒーリングが属するニューエイジのように、「宇宙人とチャネリングしました。それによると地球とは・・」という話ではない。物的証拠や文書を当たるという点で、アカデミックな研究や、ジャーナリズムと同じ方法で本を書いている人々だ。

その情報が、自分が違う方面から集めて、構築してきた世界観と符合し、裏付けられていくのは、重要なことだと感じた。

その双方が功を奏してか、この番組を見ると波動が上がるし、意識が活性する。単にその手の情報が自分をそうさせる、というのもあるかもしれない。けれど、読書とは違う効果があるよう。最近は、その日見る内容を事前に夢で見ていたり、前日考えていたりして、番組を見て符号したことでまた、新たな気づきが付加されたりもして、自分でも驚いている。

もしや、レギュラーのコメンテーターのうちの何人か、本当に宇宙人(良いほうの)かもしれないと、思ったりもし始めた。(笑)

今日見たところから・・メモ。

地球を取り巻く磁気層、ヴァン・アレン帯は、隕石の落下や良からぬ宇宙勢力の攻撃から地球を守っているとも考えられる(現実的な科学者たちはもちろん別の事を言っているが)。シベリアに古くから現地の部族民にも伝承されている「大釜」(金属で出来た大きな釜のように彼らには見えたのだろう)は、地中に眠っていて、必要になると地面から出てきて、空から来る危険なものを撃ち落とす。。

それらについて話者たちは、インドや世界中の神話に見られる神々同士の壮絶な戦い。その戦いに勝利した神々が、地球と人類を守るために設置しているのではないか、と語っている。

人類を生み出し見守っているその勢力に対して、いまだ諦めずに人類を自分たちの為に利用するか、地球を狙っている、人類の未来の進化を恐れる別の勢力が、たびたび侵入を試みている。つまり、地球と人類をめぐる神々同士の争いは、今も続いている。

これはまったく、ヒーリングという特殊なジャンルの現場で、人々と、それを巡って起きている宇宙エネルギーの関係性の、古くは数億年前から、今に到るまでを見て来て、実感とともに納得する。

「スピリチュアル」な分野で、未来へのメッセージを受信し、宇宙からのエネルギーを運用する人が出てくればまた、同じ分野に紛れて、良からぬ(地球や人類を愛している訳ではない)エネルギーが似たようなことを通して、逆の効果を挟み、「良い流れ」を邪魔立てする。

これがきっと、どの分野でも起きている。

つまり、現状からしてノンデュアリティなどまだまだ程遠い。人間が賢く、その見えない善悪の攻防を見極めて、判別し、自分の生活や人生や判断を善の力、愛の力とともに作っていく時代の先には、自然と、二元性の相克が終わる時が来るだろうということ。

まずは多くの人が「気づく」こと。そして「見抜く」こと。そして「選ぶ」こと。

まだその段階なのだ。というか、今その時が来ている。分岐点。

ももクロちゃんの『Neo Stargate』が頭の中で流れ始めたゾ。(笑)

Love and Grace

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