
Arganza info等ブログやSNSでお知らせしているように山梨県北杜市にオフィスを移転しました。山々に囲まれた田んぼや畑の広がる風景の散歩道は、夏の花がたくさん咲いていました。
最初に誤解ないよう。「陰謀論」と呼ばれている(名付けられてしまった)考え方、あるいはその真偽については、それ自体がグラデーションでさまざまなレベルや深度があるのだろうから深く触れることはしませんが、私個人は、自分の周りで話が合う人や信頼出来る人々の多くはそういった概念を持っている人が多いです。
とは言え、情報を鵜呑みにして「信じ込んでいる」のではなく、ゆるやかにその筋?で考えて、自分なりの対応をしている人が多いという感じかな。もともとアウトサイダーな仕事(スピリチュアル系自営業・秘教探求)などをしてきているので、知人もそういう人々ばかりですし、むしろ誰もこの世界がタテマエ通りに出来ているとは元々、思っていない人々が集まるような場所に私も居ます。
更に少し説明すると、恐らくそういうことに気づいたのは高校一年生くらい、16歳の頃で。「そんな世の中に」これから出て行くにあたって、どうしたら自分の個性や魂が消えないか、守って行けるかを、考え続けてトライし続けて、失敗したりうまく行ったり、を、繰り返して。30歳を過ぎてから今の仕事に辿り着いているという感じです。
なので最初から、物質世界がリアリティではないし、けれどそれが現実世界であるというおかしな設定には、呆然としたり、理解しがたいとストレスを抱えたり、まだそれを濃厚に帯びていた周囲の世界(自分の身近な環境の人々の固定観念など)と(若いころは)戦おうとしてみたり、疲れて諦めたり、精神的に落ちたり、また復活したり。そんな青年期でした。
アウトサイダーな魂だから、アウトサイダーな仕事と在り方を自分なりに見つけて、親としても何とかやっていける子どもの修学環境に辿り着き(うちの娘はシュタイナー学校へ3年生から)、ひとり親として苦労しながらも、ある意味、ひとり親の自営業者だったから守り抜けた自分自身の世界、というここまで(現在53歳)でした。
長い前置きになりましたが、常々思っているのは、人間の世界の複雑なモザイク構造と、魂の輪廻転生システム、世界に掛けられている宇宙レベルの進化計画というものの中で、時代の変わり目として今起きていること、これから更に起きていく変化は、はじめから決まっている歴史の流れであるということです。
私はこの仕事(ヒーラーおよび秘教探究者)の道を歩んで来る中で、神智学や人智学、インド哲学などに助けられて来ましたが、歴史として文明を見るという観点では、神智学の、リードビーター等が伝えている宇宙規模の進化論というものに納得できる部分が大きい。
それに照らすと人類は今、もっとも「底」を体験したアトランティス末期から少しずつ、抜け出している段階ということなのですが、何から抜け出しているかというと、
「物質主義」「利己主義」「二極の分離=つまり善と悪のマジカルな衝突」。とても簡単に言えば「光と闇の二元」ということに。なぜならば、闇とは「物質主義」であり「利己主義」であり、人類がそこに深く囚われてしまった集団と、そうでない集団にくっきりと分かれてしまったところに、アトランティスの終焉がやってきた(ノアの方舟。「神々は残したい人間、つまり利己的でない本来の「まともさ」を保持している人々だけを残そうとした)。
そんなアトランティスでの人間の「退化」もシナリオとしては元々、用意されていた訳です。そこには「月」が一役買っていて、月の出現(設置?)により、人類の機能は物質界に縛られることに。月その他の外部からの働きかけにより、霊的な感性や機能に対してブロックが掛けられるという出来事が、アトランティス末期に起きていたようです。
これから月がどうなるのかは分からないけれど.. (巨大な発信装置だと思えば、新時代に相応しい周波数が月から放たれるのかも?)、最も重たいアトランティス末期の摩擦と混乱で刻まれたカルマを、それ以前のレムリアや更に古い天界的な魂の記憶も含めて、リセット後の12000年かけて追体験しているというのが、今私たちが生きているこの「文明」のこれまでの意味、ということになります。
特にアトランティス、の部分といえばきっとここ最近の近代200年くらいが、その「ミニチュア再現」にあたるのでしょう。
再現・おさらい、なので、きっと今回はリセットとはならない?と思いつつも、神智学的な視点で言うと、幾らでもリセット、の可能性はあります。そこで大事なのは、自分自身の心と思考のあり方を、「進化」の波に乗れるように調整しておくこと。なのです。
今の世界のあり方、これからも起きていくだろうさまざまな課題・社会の混乱は、そのための練習問題であり、世の中のおかしな部分に対して湧いてくる怒りや悲しみなどの自分の(輪廻転生をまたいだ)記憶や感情を、マスターして収めていく、修めていく、という、練習問題(ある意味「試験」)の中に置かれているのだと思います。
そうかといって病み(闇)を放置して良いという意味ではなく、目の当たりにする自分自身や周囲の人々や、世の中の「闇」つまり「物質主義・利己主義」に対してはその都度、しかるべき対応をしていくことも「試験」の一部と言えるでしょう。
神智学の祖であるブラヴァツキー夫人の言葉
「恐れと憎しみは同じものの表と裏である」
「恐れは(神を信じていないという意味で)神への不敬である」
そして私は常日頃思うのですが、
神、というのは私たち自身である。神性から宇宙の創造主に通じるまでの周波数すべてを、私たちのソウルシステムは搭載している。
ただそれを使えていないので、ひとつひとつ、ブロックするものを外して、眠っていた機能をオンにして…をずっとやっていく。輪廻転生を超えても、それを続けていく。
表裏一体である「恐れ」と「憎しみ」を超えていくこと。
自分の内側でそれがなされていけば、「恐れ」や「憎しみ」を感じさせるための現実要素は、自分の前には現れなくなります。練習課題のために、それを味わせるものをどんどん見せてくる。それが社会規模の集合意識で起きている、行くのが、今とこれからの時代です。
「恐れ」「憎しみ」を超えていこう… 行けますか? という課題(試験)からは、誰一人として逃れる事は出来ない。という、追い詰められるようなジリジリとした、高次元からの圧迫感がある今という時期。そして高次元というのは、私たち自身の高い部分なのです。
ごまかそうとする自分のエゴセルフを、いかに祓っていくか。大事なのはそこであると、言い換えることも出来るでしょう。
長くなりました。今日はこのくらいで。
Love & Grace
Amari
*note に同日掲載した同タイトルの記事と同じ文章です*



