趣味はなに?と訊かれたら「ワイン」それも「オーガニックで無添加のワインのみ」と答える私。石や神秘や歴史の探求などはすでに仕事の一部となり(まことにありがたいこと・・)純粋にシュミと言ったら、日々のささやかな喜びの一場面といったら、やはりワインであらうな。
とはいえ、ヒーリングを学び流れに乗って来たころ(神智学的にいえば熱誠時代)は、若いころ好きだったワインも、ビールふくめアルコール飲料は飲めなくなっていた。お肉もダメ、乳製品もイヤ、というビーガン状態で5年くらい、生きていただろうか。あの頃同居していた母の作った食事を頂いていたわけだけど、私のビーガンゆえに母はずいぶん苦労したようだ。
2009年にあった大規模な変化から(ソウルシステムに関わる)人間性を取り戻すという流れがきたという話は、たびたび色んなところで書いたり話したりして来たけれど・・その頃、ワインも復活。そして2013年だったか、仲間と旅に出かける前に何でも食べられるよう二ヶ月かけて「訓練」し、普通の食事ができる人間に戻った。それでもヒーラー、エナジーワーカーをしていられる新しいシステムもその後、定着し、今も発展中。
ただ、どうしても受け入れがたいのが、添加物の入った工業的な食品。ワインも同じく。復活してしばらく、スーパーでも買える「オーガニックワイン」を飲んで満足していたけれど、波動の低さは気になる。食品をほぼオーガニックにする流れの中で、ワインについても学ぶこととなった。結果、一般には知らされていない事実が、やはりたくさんあると知った。ここ五年ほどは、写真の本の著者・田村氏の経営するMaviにお世話になっている。maviとはフランス後で「我が人生」とのこと。ワイン好きにとって、ワインはまさに「我が人生」。そこが、単なる「アルコール飲料」ではないのだ。
ちなみに私は日本酒や他のお酒はまったく飲まない。ビールはベルギーの修道院ビールなどはエネルギー的にも質としても、まあ飲めるという感じ。なので「お酒は飲んでいるの?」と訊かれると「お酒」は飲んでいない、ワインは飲むけれど、と答える(笑)。本物のワインは、中に詰まっているエナジーやその世界観からしても、特別なのだ。「お酒好き」でワインも飲む人と、「ワインが趣味」は、まったく違う。(単に言い訳のように聞こえるかもだけど、まあ仕方ない。笑)
日本酒にも、奥深い文化としての存在感があり、職人技の世界なのだろうけれど、私は新潟出身ながら、むしろ日本酒は苦手で。神社のお神酒で口にするくらい(笑)。ビールや他のアルコールも含め、原料が穀物だと、やはり重たく感じる。ワインは葡萄である点が、ポイントなのだろう(体に合うというか)。ただ、新潟人はDNA的に酒に強いと言われているそうで、そこはお陰様かも。
アルコールが苦手な体質、いわゆる「げこ」は、モンゴロイドにしか遺伝子が無いらしい。ヨーロッパではお昼休みにアルコールを飲んで午後にまた仕事に戻るし、アルコール分解の能力が全く違うのだろう。けれど、日本の中でも新潟人がお酒に強いとすると、習慣から遺伝子の変化が起きているということだ。そのうちグローバル化によって、いつかアジアにも「げこ」がいなくなったりするのだろうか。
そうそう、確かヴァルドルフ系の雑貨をシュタイナーショップで買った際に、Maviさんのリーフレットが同梱されていたんだっけ。シュタイナー学校に娘が転入して、すぐの頃にライアを買い求め、見つけたシュタイナーグッズのショップだった。シュタイナーの世界は、オーガニック生活が基本。学校の保護者もそういう方が多い。が、そうでない人もいるから、そこでハードルの高さは感じないで欲しいけれど。。
「シュタイナーのお店が推奨しているならば、安心して飲めるワインなのだろうな」というのが第一印象。その後も色々と試してみたけれど、立派なお店で立派なお値段のワインを買っても、良質さに首を傾げてしまうようになり。オーガニックと無添加に拘りながらも直輸入ゆえか良心的なお値段だと納得するに至る。つまり同じお値段を出しても、オーガニック&無添加じゃないワインには、体が合わなくなっていき、そうなるとコストパフォーマンスからしても、「オーガニック&無添加のほうが良い」という結論に。
写真下の大判の本は、イザベル・レジュロンという方が書いた洋書の翻訳(株エクスナレッジが出版)。前書きには、ヨーロッパは今オーガニックブームで、食品に関しては「ちゃんとしたものを食べよう」という空気に変わって来ているものの、ワインについては添加物や香料の使用が横行していても、気づいていない人々が多い・・という現状から、啓蒙のために書かれたようだ。
・・と、日本で熱く語っても、あまり伝わらないかもしれないが、ヨーロッパにおいてワインは、歴史を人類とともに歩んできた非常に重要な文化なのだ。欧米の映画やドラマを見ていると、水を飲むようにワインを飲んでいる人々の姿がごく自然とある。ランチでも、ブランチでも、学者の方に聞いたところ学会中のランチ会のような席でもワインを飲む。水が日本のように豊富ではないヨーロッパは、自然と発酵して出来るビールやワインは水分補給だったと聞いたこともある。
歴史、文化としてヨーロッパの人々の生活の一部として存在するものなので、本来のワインのあり方にこだわる自然派の作り手たちは、工業化された商業的ワインの世界と戦いながら、自然に翻弄されながら、信念を捨てずに闘い続ける有志たち、という印象。単にオーガニックワインを作る、ではなく、自然主義者である生産者さんたちは、地球環境に害にならない農法、生活をしていて、畑を耕すのも馬や牛を使う。。など、徹底している。
思想の違いから、本物の自然のエナジーが詰まったワインが生まれる。今後、オーガニックがブームとなって、その方が売れるという姿勢でオーガニックワインを作ろうとする人も出てくるかもしれないが・・やっぱり、生き様や思想から生まれる作り手のエネルギーを、畑は、葡萄は、酵母たちは・・ちゃんと感じ取り、本物のワインが生まれ、その違いを、自然派ワイン好きな人々は感じ分けることが出来るだろう。
ワインの文化はそれだけ歴史が古く、奥が深く、作り手は企業オーナーであり、醸造家という専門家であり、農家でもある。土や自然の移ろいとも語り合いながら、よりよいものを作り上げようとする、職人以上の何かだ。実際に、フランスには「巨匠」と呼ばれるような作り手が居るそうで、本物に厳しいフランスならではなのは、「ちゃんとしたもの」が高い評価を得ていく、という点。
私は一度気に入ると、冒険せずにずっとリピートする性質で・・白ワイン、赤ワイン、スパークリング、ともに定番が決まっている。同じものをずっと飲み続けていて、どちらも自然派&無添加で、ビオディナミ(バイオダイナミック農法・シュタイナー農法)を採用している生産者さんのもの。月の満ち欠けや天体の動きを考慮して行う農法で、娘も中等部の農業実習で2週間、九州に学びに行っていた。牛の角の中にハーブ等を仕込み、土に埋めるという・・何ともマジカルな感じるのする独特の調剤を使用する。
そういえば311の震災の折、その「マリアトゥーン調剤」を希望者に配布するという配慮も、学校にして頂いていた。放射性物質の浄化が可能ということで、チェルノブイリ事故後のヨーロッパで活用されていた事例があったとのことで。他にも効果があるというオイルの配布もあったけれど、うちは私がエナジーワーカーで、色々と対応できると感じてそれらを頂かずに対処していた。けれど、こうした自然界を知り、寄り添って生きるというシュタイナー思想で集った共同体の尊さを、この時感じたものだ。
話をワインに戻すと・・ 興味ある方はご紹介の本をぜひ読んでみていただきたい。普通のワイン、安いワインが飲めなくなるかもしれません。。。(笑)
そして、文化の一部として根付いているワインが、工業化の時代にそのように質が落ちることを経験した、その中で気づいて目覚めた生産者や本の著者などは、我々、東洋人が想像するよりはるかに、ショックを受けただろうと思う。そして、今すでにジワジワと、オーガニック&無添加が高い評価を得るということが、自然な成り行きで起きていることに、やはりヨーロッパは意識が高い、少なくとも進んでいるな、と感じる。
単なるオーガニックでも、葡萄はオーガニックのものを使い、工場で大量生産、そして香りづけや、フルボディを作りたいならそれなりにするためにタンニンなどを添加する、などは普通に行われているそうで、「オーガニック」では安心できず、「無添加」であること。ほぼ必ず入っている酸化防止剤の亜硫酸塩についても、自然派ワインは天然の硫黄を燃やした煙を充填する一方で、工業的ワインでは手軽に入れられる石油化学由来の亜硫酸塩を加えるのだとか。ワインを一杯飲んでも悪酔いする、という人は添加物に酔っている可能性が高い。無添加ワインならば1本飲まないと酔わない私でも、安いビールや安いワインを少しでも飲むとぐるぐるするし、エナジーワーカーとしては、エネルギーが一気に下がるのを感じる。
加えて自然派としては、製品がどうであれ作っている人々の姿勢にもやはり注目しなくては、と思う。たとえば、「オーガニックで無添加」ワインを工場で大量生産し、環境を汚すような企業であってはやはりダメだと思う。
自然派の基本は、自分が健康になる、自分が美味しく食べる・飲む という利己ではなく、地球を思う、世界を思う、自然を思う・・・ことから起因しているもの。だから、生産者を選ぶというのは、とても大事なこと。自然派の農業というのは、相当な手間と苦労があるわけなので、それを乗り越えても地球に優しく、飲む人に優しく、という精神が入って、本物の「自然派ワイン」と言える。
ワインに限らず、あらゆる製品がそうであるべきだし、何しろ消費者が根本的に意識を変えていかなくてはならない。多少、高くでも人体にも地球にも優しいものを買うという意識を持っていれば、世の中はさらに変わっていくだろう。
NHK で去年、放送された番組「プロフェッショナル・仕事の流儀シリーズ」で、日本から単身、二十三年前にフランスに渡ったワイン醸造家・仲田晃司さんを紹介している。感動してしまう仲田さんの職人振りと、フランスのワイン文化の奥深さがとても印象に残った。おすすめの番組。オンデマンドでも見れるので興味ある方はぜひ。
仲田氏も最初は、フランスワインの聖地ブルゴーニュで起業した直後、気を張っていたのか、まだ若かったゆえか、「流行りのワイン」を添加物を入れて作っていたそう。けれど、伝統にこだわるフランス、日本から来た若い製造者が平凡なものを作っても、まったく売れなかった。相談したワイン界の重鎮の方に、「自分が飲んで本当に美味しいと思うものを作ればいい」と言われたとか。
そこから、日本人の丁寧な職人的仕事、仲田氏の人間性がうまく展開していく(とはいえ、起業から二十三年の間には、語り尽くせない苦労があっただろう)。今では現地の人々にも受け入れられ、フランスワインの作り手としても高評価され、世界各国へも輸出されている。番組を見ていると本当に、お人柄が素晴らしい。日本でも自然農法などを志している農家の方は、綺麗な笑顔、眼差しをされているものだが、仲田さんもそのような印象。けれど、ひとたびワインの仕込みになると、醸造家という独特の、まるでアーティスト、芸術家のような厳しい表情になる。
雨が降るという予報を目前に、ブドウがダメになって損をしないようにという発想ではなく、ブドウにとって一番良い方法をとりたいと、夫婦喧嘩をしてまで(笑)決断をギリギリまで伸ばし、まだ種が完全に熟しきっていない事から、赤ワインの予定をロゼ(種まで絞らない・価格は赤より落ちてしまうが、そのブドウのポテンシャルを最大限に生かしてあげたいという意図から)に変えるなどのインスピレーションを実行している姿などは、もう半ば神がかっているようで、職人・醸造家としての器も異国の地でそこまで大きく育てたのだな。と、尊敬の眼差し。私と同じ46歳のよう。
よく日本の人々は、「日本人は素晴らしい」と言いますが・・本当に素晴らしい日本人は、本物であろうとする人は、日本を出ていってその資質を発揮できた人だったり、日本を出て初めて、海外で評価されたりというケースが多い。日本で、草の根的に素晴らしい志を実行している方々も、もちろんたくさん居るけれど・・社会のあり方、意識において、やはりヨーロッパなどは先を行っているなあと思う。人を作るのは「教育」だから、まずはそこだろう、と。
地球をひとつの有機体であると感じて、自分が発するものは、物理的にも非物理的にも地球に影響するのだということを、意識レベルで、生活レベルで、ごく自然と考え感じて、行動していけるような次世代を作っていくというのが、大人になったはずの人々の仕事だ。いわゆる持続可能な、という姿勢。けれど・・大人になっていないまま、年だけ取っている人が多い日本。ただある社会構造に、文句は言うけれど、結局はそこにはまって生きていく、処世術や世渡りを次世代に伝えるだけで、生きている人が多いのではないか。
仲田さん含め、勇気をもって苦労しながらも自分という存在以外の何かのために行動しているワイン生産者のエピソードに心動かされる。どんな分野でも同じだから。けれど同時に、それが高評価を得るというのはフランスだからだろうな・・とも思ってしまった自分の思考を、ここに刻んでおこう。そうかと言って自分の考え方や生き方を変えるつもりは無いわけで、周囲が反対する中、我が子をシュタイナー学校に入れたことと同じで、本当に大事なものを常に探し、仲田氏の「自分の損得ではなくブドウ(ワイン)にとって一番いいことを選択する」と同じ精神で、これからも行動していきたい。
Love and Grace
Amari
追記:
エナジーヒーラーという仕事をしながらも(A.Baily著書には「醸造酒は避けるべき」と書かれている)自然な形で「ワイン別に飲まなくていいかな」と思う時が来るだろうからその時まで・・と思っていましたが、2022年春に突然その時が来て、買わないし外でも飲まないようになり。全く突然その瞬間は訪れて、その後、一度も欲することもなくなりました。瞑想やヒーリングをしている人ならではの急な変化でした。次は「不食」が来るのではと思っていたりします・笑