おはようございます。霧雨が新緑を潤す、静かな朝。2月に引っ越した家は「昭和レトロ」なのですが、私の部屋は「大正モダン」?です。サロンのお下がりのアンティーク家具たちゆえに。障子を少しだけ開いて仕事をしていますが、木々の緑が迫って来て、それだけでもハートが癒される感じがします。あえて緑を見ていただくために影になるよう撮ってみました。
最近思ったことの徒然メモとしてフェイスブックに書いていたのですが、余りに長くなってしまったので、こちらに載せることにします。その為、いつものこちらのブログの口調と違って「ですます」調ですが、直すのも何なのでそのままに。笑
批判目的ではないので、ジャンルは明かさずにおきますが、10年以上前に好きで買い物をしていたショップがありました。そのお店をキッカケにその道に目覚めた、という感じで。オーナーさんはメディアの取材も受けていたり、メルマガなどを綴っていたりして、買い物する立場としては何となくごく自然に、お名前やお顔も印象に入ってくるという感じ。
優しさや真面目な職人気質が伝わってくる、お人柄が見えてくるサイトやラインナップや文章、そして商品に、その世界全体に素直に引き寄せられていくような気持ちでした。・・が、1〜2年くらい経つと、似たようなお仕事を、さらに勢いをもって展開する同業のショップが私の目についてしまい、
一見すると華やかで、ヴァリエーションの広がりに魅了されるように、今度はそちらのお店を利用するようになっていました。それから数年が経ち、先にあげたお店を探したところ、活動をすべてクローズしていて・・勝手な、本当に勝手な推測なのですが、業界の中で成功された後の、裏の反面を体験されて、真面目で優しい気質の方の心が折れてしまった?体調を崩してしまった?のではと、頭をよぎった私でした。
あまりにも思い切った、幾つかの実店舗やウェブすべてのクローズ、だったので、ヒーラー思考でついついそんな風に考え、他の店に気を移した自分のようなファンも、多くいたのかもしれない・・ことに、胸を痛めました。
おそらく先駆者としてのその方の背中を見て、取れるところを取りつつも、その方の生真面目さ、人の良さから展開している丁寧な活動の中には広がりにくいような部分で消費者のニーズを捉え、そこを満たして、バババっと勢いよく事業展開した二つめのお店。気づけばメディアにもそちらのお店のほうが取り上げられるように、確かに途中からなっていたよう。
様々な個性が存在する中で、(私含め)消費者はそのように反応するので致し方ないこと・・・とは思っていましたが、気を移したほうのお店で買い物を数年してくる中で、「あれ?」と想うことがあり、それでも「まあいいか」と、利用を続けていました。それが、今年の4月にちょっとした体験をしたのです。
すべてをクローズしたお店のオーナーさんが、形を変えてご自身の活動を再開されていたことに偶然気づいたのは去年。まったくの直感で、気づけばかつてのお店の名前を検索してみたその日。数年の間に同じようにしてみても「閉店しました」という画面が出るだけだったのが、新たな情報発信のページが表示されて、本当に嬉しく思いました。
去年のその再開から、何度かお買い物させていただいて。うちの娘でも、「商品から伝わってくるまごころみたいなエネルギーが全然他とは違う」と言うくらいの、良いお仕事を相変わらず、なさっています。
一方で、数年間、そのジャンルはそこでしか買わないというくらいに利用していたもう一方のショップさんを4月に利用した際に、手違いがあり、顧客としては1万円弱損をしてしまう状況だったので、問合せをしました。何度か・・けれど、お返事が無かった。この時にふと、霧が醒めるような体験をしました。グラマーが晴れるというか。
確かに、同じような職人仕事をアピールしている。お持ちのバックの力をうまく活用し、スピーディに魅力的なものを生み出している。から、消費者の目には華やかに映る。けれど、そう言えば、「顔が見える」わけではなかった。ブログやメルマガはすべて、どなたが書いているかわからないし、10年くらい買い物をしているのにオーナーさんの名前が表に出ることもなく、ましてお人柄などは全くわからず。
ただ、メーカーとしてのこだわりや取り組みについてはかなり力を入れて発信されていた。ようやく気づいたのですが、ほとんどをネットで買い物をしてきた私が個人的に気に入るお店や会社では、家具屋さんでも、雑貨屋さんでも、洋服屋さんでも、ワイン屋さんでも・・代表の方が表に出て、商品に込めている思いを伝えている。いわゆる「顔が見える」ところばかりでした。
すでに大きく、組織化しているというだけなのかもしれないけれど、同じジャンルで、同じようなものを販売されていても、見えてくるのが「組織」「技術」しかなかった。その時、4月に買い物をしたアイテムも気には入っていましたが、試しに、前者のお店を覗いてみると、同じような素材・色のアイテムが出ていたので、儀式的な意味で、そちらも買うことにしました。
私はよくそういう「儀式」をするのです・・今書いてきたことが、まったくの勘違いで、前者のショップの閉店の理由も状況も違っていて、後者のお店がブラックかもしれない?!という疑惑(笑)が何かの行き違いだったかもしれないとしても、深いところでコンセプトなどに共鳴し応援していた顧客だったのが、見た目の華やかさ(仕事はしっかりしていた)で他に気移りしていたことは確か。それが消費者としては普通のことであったとしても、結果としてまっとうに自分の道を正しく行っていた人を追い落とすような流れに自分も加担していたかもしれない?という可能性に、お詫びも込めて。
損をしそうな件はもう諦めて、代わりに後者のお店とは、サヨナラすることに決めて。気づけば、もう十分足りているではないか・・ついなんと無く、その華やかな発信力に、コレクター気質の私は随分とコレクションしてしまったのだ、もう、終わりでいいということだ、とも。
そしてこんな個人的な現実体験を、ここで語るつもりは無かったのだけど、ずっと前に見ていた「チャングムの誓い」の中の一場面がどうしても、この一件について考えていると頭にちらつく最近なので、同じくショップオーナーとしての自分への教訓としても、ここに刻んでおこうと思いました。「チャングム」の一場面とともに・笑。
宮廷で王の食事をつくる料理担当女官になるべく、修行中のチャングムに、師匠の貧民出身の上級女官である「ハン尚宮(さんぐん)」様は、山に行って数種類の湧水をとって味を覚えろとか、100種類の薬草をとって来て研究しなさい、などの体を使った学びをさせて、素直に励むチャングムは味を体感しイマジンできる料理人として、才能を発揮していきます。
そのライバルの「クミョン」は、それに気づいていて、自分もそのようにして学びたいという気持ちを抱いていると、叔母である(一族代々、最高尚宮を務めてその座を狙っている)チェ尚宮により、諭される。「あんな修行をするのは、『持たざるもの』たちだからだ。我らには代々に伝わる知恵がある」と、数代にわたって料理女官のトップを務めてきた一族秘伝の書物に、頼ろうとします。
ドラマとしては政治的にはチェ一族が暗躍して一時的に勝ってしまうのですが(最後には滅びます)、職人としては無論、チャングムが・・というか師匠であったハン尚宮様の教えが勝利するわけです。色々な神話や物語でもすべてそうですが、所有しているものの上にあぐらをかいて、そのテクノロジー的な勝利でしか物事を見れなくなっていたら、その時点で真実の世界ではすでに負けてしまうということ。
様々な物語の主人公たちが、最初は「持たざるもの」であり、這い上がるように体験するトライ&エラーの中で培った実力こそが、本物であり、紛れもない愛を宿した何かがその仕事や人生に実るのだということ。
チャングムを見た時からこのチェ尚宮の「あんな修行をするのは、『持たざるもの』たちだからだ。」のセリフにはとても反応していました。ハン尚宮様のほっそりとした優し気なたたずまいと貧しかった料理上手な少女がそこまで登りつめた、けれどいつまでも、悲しいくらいに優しすぎる姿に共感していた一人として。放送時はチャングム人気とともに、ハン尚宮ママニームのファンクラブも出来るほどだったそうです。
話が逸れましたが・・同時にこれは人類全体の行く末にも関わるテーマだ、と。歴史学では、物質的に豊かで戦争がない平和な時代がつづくと、人間は精神の上で腐敗していき、その文明は滅びると言われている。
個人の人生においても、同じことです。むしろいつでも自分自身を「持たざるもの」と心得ておくのがよろし、と想う私です。
Love and Grace,
Amari