最近、見ている韓国ドラマは(常に何かしら見ている)『霊魂修繕工』・・見た方いらっしゃるかな? 霊媒師の話?と思ったら精神科のドクターとその患者である女性のラブ?ストーリー。
前に見ていた『マイディアミスター』についても、ヒーリング効果、ジェネシス原型を絡めて一度書こうと思っていたものの、まだ。←こちらもおすすめのドラマです。「霊魂〜」については、完璧な、他とは違うハートフルな、患者に徹底的に寄り添う精神科医・・・のように見えている主人公が、実はトラウマを抱えていて、PTSDで、周囲の仲間たちも認めるほど「病んで」いて、それを癒さないまま、罪の意識からワーカホリックになっている、という真実が、だんだん、明かされていく。
その先、どうなるのかな? きっと患者であるヒロインによって彼も癒されるのだろう・・ けれどまだ見ている途中。それにしても韓国ドラマは、ラブコメだと思って見始めても必ずと言っていいほど、それぞれが抱えているトラウマ、過去の深い傷、インナーチャイルドなどにスポットが当たる。時代劇だともう少し型通りという感じだけど、その分だけ「人間とは」「人生とは」なんぞや、の深いテーマが見え隠れする。きらきら系時代劇だと、現代ドラマの形態に当てはまるのか、やはりトラウマ、インナーチャイルドが出てくる。とにかくは心の傷、深い部分を扱う事が当たり前のように。
もともと遺伝子的にも近く、儒教や仏教の影響という点で、国民性もかなり似ているとは言え、やはり大国中国で常に起きている政変に巻き込まれながら、緊張感とともに生きてきた歴史は、平和ボケの(平和でありがたい)日本の歴史と、その結果の国民性とは異なるものを感じる。日本国内でも東北と西日本、九州、それぞれに「国民」性があるように。深くて深刻な文学や音楽が生まれるのは、ドイツや、ロシアなど寒い国・・であったり。歴史や風土から生まれる国民性というのは、やはり影響が大きい。
あっっ また話を広げてしまった。人を癒す仕事をする中で、自分が傷を追ってしまう事。その仕事それぞれに、はまってしまい易いテーマはあるし、はまってしまった時に、スイっと平常運転に戻れる人もいるだろう。変に真面目で人間愛が深く、仕事を生きがいだと思っていたりすると、長く引きずってしまうのだろうな。精神科医ともなると、下手をすると自ら、精神を患ってしまう(事も少なくない)と聞いたり、本で読んだこともある。
仕事をする上で起きた「事件」を、深い傷として自らに刻む事なしに、「仕事だ」と割り切って「こなす」先生になっていくのも、ひとつの道だと思う。一方でドラマの主人公になるようなキャラクターはきっと、その深い傷を乗り越えて、前よりもさらにヒューマニズムに根差した、愛に溢れた器の大きいドクターになっていくのだろうと思う。
韓国時代劇だと「可哀想な王様」がよく描かれますが・・若い頃は名君だった、とか、途中までは良き君主だった、という謂れとともに、心に傷を負った投げやりな暴君になっていたりする。この世には理不尽がいっぱい。最初は若さとともに希望や喜びで歩み出していたとしても、それぞれのフィールドに巣食う良からぬエネルギーと対峙し(周囲の人間や起きる出来事としてそれが顕現し)、問題はそこから先・・「こなして」いくか、「乗り越えて本物に」なるか、失敗すれば「壊れて」しまうことも。仕事に限らず、誰もがそのような課題に出会う人生後半、なのではないかな。
多くの人は「こなして」いこうとするだろう。だから、そうではない人がドラマの主人公として描かれる。本当はどんな生き方が美しいか・・を、人は知っているから、そのストーリーに惹かれる。
その「美しい生き方」の法則、そこに「シリウス」や「シャンバラ」が、あてはまると思っている。そのように生きなさい、と私たちの魂が言われていること。恐れではなく、愛を選択し、昨日よりも今日、今日よりも明日、大きな器に、より洗練された魂になっていなさいという、教え。
みんな、本当はそれを知っている。だからこそ、ヒーローとは何か、美しい生き方とは何かをドラマや映画、古くは神話、小説で描いている。それがシリウス、シャンバラの教えだ。と私は思っている。
けれど、そう出来ないという選択。愛よりも、恐れゆえの「安全」「保身」「不安を埋める」ために選択していく人生・・・は、多くの、普通の人々の人生であって、そんな姿がドラマや映画になって、うけがちなお国柄もある(それは日本)。さらには、堕ちていく主人公の物語がうけがちな事もある(社会が病んでいるから・・)
そうそう。人類の親だから、本当はみんな「シリウス」「シャンバラ」をよく知っている。だからこそ、そう出来ないという自分が(逆の力による影響が)強ければ強いほど、心がムズムズしたり、反発を覚えたりする。
難しいことをする必要はない。ただ、恐れよりも愛を選択する。利己よりも利他で思考する。という仕組みを、人生の中心に据えておくといい。そこが強固であれば、それと合わないもの、集団、人、と出会った時にも対処しやすい。揺れ動いていると、いつでも絡めとられるから、迷ったり、戻ったり、で、自分の心も落ち着かない。更に真面目さを放棄してしまうと、思考停止で、ただ潮の流れに乗る人になってしまう。
私が、新卒で入った最初の(かなり大きい組織・知らない人は居ない)企業の「新人研修」で言われたこと・・「上司の言うことを聞く人が出世します。仕事ができる必要はない。」
その会社に入って悩み始めた時、先輩に言われたこと・・「真面目なやつほど、みんな辞めていく。俺みたいにいい加減だとずっと残るけど。」
その会社を辞めた後に入った研究施設で、先生方いわく・・「本当は、どうすれば〇〇を防げるかの方法を専門家は知っている。けど、〇〇業界とビジネス的に癒着しているから、それは置いておいて、適度な効果をもたらすものを商品として開発する」
それから二十年以上経て、今の日本社会は、国際社会は、変わっているだろうか?
そのような社会構造や、人々の意識を、「神なる世界」は放っておくだろうか? 本当に今、人間は試されている。ある意味、追い込まれている。最後のチャンス、というくらいに。それをヒシヒシと感じる。
Love and Grace
Amari