分断か統合か 『英国総督 最後の家』

11/19の日記『偉業と偏見の狭間で』を書いた時に、神智学の重鎮である C.リードビーター(1854-1934)と、当時の同協会会長(2代目)アニー・ベサントらの啓蒙活動が、イギリスからのインド独立の流れに大きく影響したという事を改めて考えていた。

どういう事かというと、ガンジーがイギリスに留学(当時のインドの知識人層は「本国」であるイギリスの一流大学に留学することが多かったらしい)、その際に神智学協会と交流していて、インドの伝統的な哲学や思想の奥深さを、逆に神智学者たちによって学んだことで、民族意識に火が灯り、政治活動家になっていく流れを作ったらしい。

また、つい最近の「日記」記事に秘教的な地球の歴史・未来史に関わる記事『星々の導き。プレアデス信仰は火星から?』 を書いてその後、近い未来もどうなるんだろう?という国際情勢の中で、「道が別れる」「主義や方向性、譲れない条件によって互いに分断を選択する」ということが、地球文明規模でも起こるのだろうかと考えていた所でもあり。

そこに偶然見つけた映画『英国総督 最後の家』にタイミング的に感じるものがあり、見てみることに。

とても面白かった。面白いと言っていいのか・・「良い映画」だった。

1947年、インドで100万人以上の犠牲者が出る結果となったイギリスからの独立と、同時に行われたパキスタン建国による「インドの分断」を扱った映画である。

監督は、自身の祖母が当時実際に渦中に在り、そのような一般の人々の分断の記憶の痛みを描きつつも、物語の中心にはイギリスから派遣された「最後のインド総督」マウントバッテン伯爵とその家族の人道、ヒューマニズムと迷いの日々を軸として描いていて、映画の作品としてうまくまとめながら、伝えたい事をしっかりと観る者に、印象的に伝えてくる作品に仕上げている。


日記ブログには以前、エリザベス2世女王陛下が亡くなった時には『イギリスのこと』という記事を書いていた。そこで少し触れたが、子供の頃から歴史好きだった私は、高校時代に学んだ世界史において、近代の地域紛争・民族紛争の多くを引き起こしているのは、帝国主義時代のイギリスゆえではないか・・という理由で、思春期の?反発する矛先をなぜか英国、に向けている時期があった。

パレスティナ、香港、アイルランド、そしてこのインドの分断という歴史的な一幕も。その後、解決され得ない問題の始まりとなった。

イギリスは17世紀から300年間、インドを「領有」していた。その支配政策はどうやら(映画で何度かセリフの中に出てくるが)大多数のヒンドゥー教徒と、少数派のイスラム教徒を「適度に争わせ」、その上に母国として君臨するという方法をとっていた。歴史上よくあるように支配者が去っていって「解放された」国では、治安が乱れ、規制するものが不在な中で無秩序に人々が争い合い、国が乱れる。

他民族、他国民を支配することに慣れている「大英帝国」の貴族、王族でもあるマウントバッテン卿は、軍人として東南アジアで日本軍と戦い、その撤退後の収拾が落ち着いた頃に首相チャーチルの采配で、既に独立が確約されているインドの政治的処理を行う人物として最後のインド総督となる。

優しく誠実な人柄をある意味、国に「利用された」結果、「インドを分断させた人物」として歴史に残る形となった。作中、分断直後に大量の難民が発生し、暴徒と化した人々の、イスラムvsヒンドゥーの紛争、暴動は大規模な内乱となり、宮殿のような豪奢な総督邸には難民たちが救いを求めて押し寄せる。その光景を目にして総督は、自分が下した決定ゆえの、その国の有様に涙する。

イスラム教徒を住まわせる為のパキスタンの建国。ただ、人々は数千年に渡りともにインド人として生きて来たのであって、突然に線を引かれたことでパニックに、実際に宗派同士の紛争も勃発している中、命がけで、ヒンドゥ教徒は「インド」国内へ、ムスリムは「パキスタン」と決定された土地を目指す他ない。

この時、1400万人の人々が移動をし、難民となり、100万人が犠牲となったという。

この辺りの流れは、まさにイスラエル建国でパレスティナで起きたことと同じである。

途中、若かりしエリザベス女王の結婚が決まった、という話が出て来た。最近、逝去された女王はこのような激動期のイギリス君主であったのだなあ、としみじみ。もっとも激動していたのはインドのほうではある。ガンジーは、一貫して分断ではなく両宗教がともに生きるインドとして、イギリスから独立することを目指していた。

「インドを解放しに来たのに、切り裂くなんて」

総督夫人のこの一言は、当時の両国に関わったエリートのうち、イギリスの利権だけを考えていた人間でない場合、共有される心情だったのではないだろうか。300年に渡る、はるか遠いヨーロッパの国による支配から、晴れて自分たちで治める自分たちの国であるインド、を夢見ていた人々やその土地、習俗を愛していたイギリス人たちは、複雑な思い、いや、苦しんだことだろうと思う。もちろん、この映画の主人公である総督も。

神智学協会との交流がきっかけとなったにインドの精神文化への開眼が、ガンジーを祖国の独立運動へと導いたという件。300年のイギリスによる支配の間に風潮として定着していたのかもしれないが、当時インドで生まれ育つと、ヒンドゥ教はデタラメだ、と洗脳されていたらしい。ガンジーもそう思っていた所、19世紀末の激変する世界の空気感の中でヨーロッパで生まれた神智学では、古来のインド哲学や秘められた叡智の素晴らしさを「発見」し、掘り起こしを行っていた。

ガンジー初め、少なからぬインドのエリートたちがそんな空気に押されるようにインド独立へと希望を固めていったのだろう。

リードビーターは既に世を去っていたが、クリシュナムルティなどは、そんなインドの様子をどう見ていたのだろうか(彼は恐らく当時はアメリカに移っていた?)。

最近、アジア情勢も不安要素が多いために、中国のこと、朝鮮半島についても同じ様に日本がかつて分断のきっかけを作ってしまったということなどを、よく考える。し、古代史において日本にやって来たいわゆる「弥生人」のルーツ(紀元前の中国由来+もしかするとシルクロード由来+その後断続的な半島からの流入)に昔から興味があるから、最近はその筋の書籍を本棚から手にとって読んでいたりもした。

そして、直近の日記に書いた地球の遠い未来のことまで、思索は飛躍し繋がっていく。

これから、もちろん数百年規模で、だろうけど・・人間の望む未来は二手に分かれていくのではないか、と思っている。もうその頃には宗教の違いなどではなく、科学や生命、もしかすると魂などの量子物理レベルの取り扱いにおいて、人々の思想が大きく二分されていくのではないか。と。ひょっとするとそれが、「宗教」のようなものになっているかもしれない。

ガンジーが言った(この映画の中で)。

「心臓を二つに分けたら、二度と動かない。国も同じだ。」

「インド独立の父」と呼ばれるガンジーは、この映画で扱うイギリスからの独立そして国の分断、のわずか数ヶ月後に暗殺された。イスラム教徒、新国パキスタンと争ってはならないという平和主義を貫徹していたことで彼を逆恨みする、強硬派のヒンドゥ教徒によって銃弾に倒れた。

一方、マウントバッテン卿は、インド総督の後は英雄的な軍人・政治家としてイギリスで活躍していたが、映画で描かれた時代から30年を経た1979年に、なんとIRA(イギリスからのアイルランド独立を掲げる軍組織)により、家族数名ともども暗殺され、世を去っている。

かのヴィクトリア女王のひ孫であられるそうだ。

映画によると、実はイギリス政府は対ソ連対策で、海洋交通の要衝として港を有するカラチでの利権のために、最後の総督マウントバッテン伯爵を派遣するよりも前に既に、パキスタン独立を推進したいインドのイスラム系政治勢力とは話を付けていた、という。反対派(ヒンドゥ教徒)の指導者たちを説得しまとめるために、人間性から人望のある伯爵を総督にした、つまり国に利用されたということだ。– これが事実かどうかは、不勉強のため分からず確認していない–

個人的に、100年前前後のインドとイギリスの文化や人の往来には興味を持っていたのと、ロンドンに行った時にパキスタン系の移民の方々が多く、どのような経緯でインドと別れたのかをいつか勉強しようと思いつつここまで来てしまったので、この映画は大いに響いたし、色々と考えさせられた。

この数年は韓流ドラマ、時代劇をよく観るようになったせいで、ハリウッドやイギリス発の作品でも何か物足りないというか、深みや、ググっと刺さるような人間ドラマの交錯が足りなく感じてしまう症候群・・になっているが、この映画は、中に添えられたインド人の男女の純愛物語もともに、韓流に負けないくらいの力があった。

歴史的な実話ゆえの、迫力もあるのかもしれない。インドという国が持つパワーや波長も、監督自身のルーツでもあるということだから、作品に自然と吹き込まれているのかもしれない。

*興味ある方はぜひ、見てみて下さい* (2018年製作 インド・イギリス合作)

Love and Grace,

Amari

ヒーリング、クリスタル、オーガニックライフを提案 : Arganza

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