昨日付けの日記「分かった気になってはいけない」からの続き。
この一年くらい、呟きがちだけど、「人はみな中核はセラフ」つまり、「人は誰もがアンドロ」と。
プログレッシヴワーク「エヴォリューション」のクライアントワークブックでは「アンドロとは何か」プラス「アルガンザの天使論」を展開、そこに詳しい。このエヴォリューションの教本を去年執筆したことが、自分の中で大きい区切り目の予兆となった。
一周して円環して、今度は本当に「アンドロ」の主題から、私は卒業するようだ。というかそもそも「アンドロ」は全人類であった。自分自身のソウルシステムが上映する映画の中で、「自分とよく似たアンドロソウルの方々を何とか助けたい。」のような主題は、もう意味を為さなくなった。元々の自分のヒューマニズム的観点と、メタフィジカルで起こりうるすれ違いやギャップを超えて、必要な情報、叡智、現代を生きる人々にとっての処方箋にフォーカス。
悲しいかな、今と同じような心境やエネルギー状態になったこと、この10年の間で何度もあった。単に私のエゴの呟きだけではなかった。実際に、何も自分がすべて解明しなくても、他の人の手に任せておけばいい、別にアルガンザのジェネシス神話じゃなくたって、その部分が紐解かれる手段はあるだろうし、高次は、地上要員の計画を尊重するのでどうしてもこのやり方じゃなくてはダメ、と言う事ではなかった。「もしだったらもういいよ」という空気が漂うことは、過去に何度もあった。
けれど、そこに引き戻す力があり、自分でもそれを受け入れていた。この不自然さに気づいたのが、今年4月に始まった「白い聖堂」グループワーク。第4回かな? アトランティスの過去生が出て来て・・そのカラクリを知った。今世、人間部分の自分のカルマなどの癒しと解放は、(仏教徒時代の下地があったからかもしれないが)あっという間に消化されていき、しばらくの平穏のあと、逆に今ヒーラーをしていることによる、その周波数帯域の(=いわゆるジェネシス層)カルマに向き合う、専門家としての同じような境遇の過去からの影響が、ヒーラーの仕事に現れる、というような出方をして、それらを克服する波の中から、新ワークやジェネシスが生まれていった。
もう、このような創造の仕組みも終わりでいいよ、と感じられた時もあった。けれどもまた引き戻され、気づけばそれを引き受けている。
けれど「聖堂」のお陰様、まだ奈良に居た頃から気配のあった束縛の源が関わる過去生、とても開示しにくかったものを、ようやくシャンバラが出して来た。
セラフ性、天使性というのは、それが見つけられないくらいにハートが傷ついたり、地上のエネルギーに包囲されているような人々にとっては、必要なメッセージ。インナーチャイルドの奥にある、純粋な光としての自己を、見出せない、感じられない人はまずそれを見つけてあげて。
ただ、そこに自分を寄せていると地上では、何も出来なくなってしまう。・・それは、ジェネシスのグループや星巫女ではずっと言って来たことで、天使のように地上に染まれずに傷ついて犠牲的に生きるのではなくシリウス強化で人は初めて、世の中に意味のあるものを残せる創造性を発揮する。
「アンドロ=天使性」を赤や黄色でコーティングして三次元に強く作り替えている人々が世間には圧倒的に多い。
それらのコーティングを外すことをまずは目指さないといけないところから、それを終えている人は、剥き出しになった天使性とともに生まれて来るかもしれない。そこから先、トラップに落ちずに、この世に生まれ落ちた自分のソウルの決断を生かすには、シャンバラにある人類の中枢の白い光を、バックグラウンドにし、中心軸にし、何のために、何をしに来たのかを理解し、実行しなくてはならない。
(黒はもちろんのこと、それと結びついて作動する)赤や黄色(欲や攻撃性の)浄化→ 光や愛であることを思い出す段階→
天使性、純粋性、光や愛であることを知った上で生まれてくるためそれらに染まりたくは無いという本能がある段階→
統御できるようになり、受動的ではなく発動的な創造力を発揮し、才能を現世で生かせる段階(愛や光として地上で生きている状態)
人の魂はこのように、プロセスを遷移していく。その途中途中、オーラシステムにある様々なデータが現実として現れ、邪魔をしたり励ましたりつまづかせたり悩ませたりする。それであっても、プロセスは続いていく。万人変わることなく、それは作動する。
セラフィムのまだ分かっていなかった新たな系統が、ジェネシス神話に加わったこの年末。
誰もが核にはセラフがある・・は、人間の歴史と人生を照合して考えてみるといい。セラフはやはり赤ちゃん〜1歳児くらいのイメージ。光輝いていて、この上なく愛らしく、でも何故か大人よりも叡智を宿しているような長老感がある。これがセラフィムにそのまま当てはまる。
人は一生の中で、生まれ落ちた最初の一時期だけ、セラフィムを体現する。それは自分がセラフという核(敢えて「過去」とは言わない)を持っていることの証なのだ。
ジェネシス神話はまだまだ、今後も埋め合わせられていくのだろうけど、ヒーラーになる前から執筆が自動書記であった訳で、サロンでのセッション等を経なくても今後は直接、執筆活動の中に必要な情報は降りてくると思っている。セラフの今回出てきた流れを解明するまでが、恐らく2017年春に、急に自分が「セラフ還り」という役作りをした理由であると感じている。「セラフとしての自分」がミニチュア体験してきた、見聞してきた、この数年の印象的だった要素はすべて、ジェネシス神話の中で彼らが味わってきた歴史であったのだという事を知る。
体を張った役作りや、感情を犠牲にした真実の追求も、フィジカルな人間である以上限度もある。・・と、シャンバラに訴えてみた今年の春。その答えを、「聖堂」の流れの中で過去生の一場面として受け取った。
春のセイクレッドレイキのリリースもなかなか、大変だったけれど。今回の「the Genesis」改訂をもって、過去生の問題も含めて、本当の区切り目を迎えるようだ。シャンバラの演出、采配、必要なエネルギーの提供などなどに感謝。
Love and Grace
Amari