最大の壁は「じぶん」

 

 

譲れない願いを抱けば誰もが 栄光の影潜む 悪魔に出会う

というのは、海外の小説の・・・ではなく、ももクロちゃんの歌の一節。(以前も何度か動画や呟きをSNSに載せていた『境界のペンデュラム』)この曲の歌詞はなかなか体育会系で(ももクロはそういうのが多い、特に数年前の曲は)神智学と頭の中で響きあったりする(笑)。アリス・ベイリーを読んでいる周波数と、ももクロ。なぜか共鳴する。知識人層や文化人や、業界人や、普段全くアイドルとは縁遠い人たちにもファンが多いという。歌詞だけでなくご本人たちも普通のムスメさんたちではない(魂が)。

悪魔に出会う、とか、闇に堕ちる、とか、言えば大袈裟に聞こえてしまうけど、メタフィジカルを長年やってきて、当初から、そして今でも、ヒーリングを受け始めたばかりの人も、かなり勉強し続けて(中には10年以上とか)来ている人でも、メカニズムは一緒。後にも先にも、「エゴセルフかソウル(魂)か」常に選択はそれだけ。ソウルかエゴか。そこで「境界の」ペンデュラム、振り子がゆらゆらする。そしてまた、エゴセルフをいつだって選ぶことは許されている= 自由意志。

仮に、その自由意志を悪魔や、闇に堕ちること、と想定して考えてみよう。

それはあながち嘘ではなくて、ソウルや、高次から見たらそういうことなのだ。譲れない願い、つまり感情、想い、思い、思考、反応。・・人間、パーソナリティ(人格)部分で選択をすることは、「普通」ではなくて、グレーゾーンなのだ。高次はそれを「ダメ」とは言わない。けれど、宇宙の神レベルの愛、五次元からすれば、常にそこへと回帰する道のりを推奨していて、指し示して、導きを与えている。

苦しい、生きづらい、などの分かりやすい問題や課題を抱えてヒーリングを受けて、五次元的にエネルギーが作用するコツも体感し、それを楽しく感じて、歩み続けていても、折々で「どうしてもこの壁を越えるには、自分が持っている『ある部分』を変えるしかない」という状況にぶつかることがある。脇で客観視しているヒーラーにとってそれは見えるものだけど、自分自身だと中々、素直にそう思えなかったりする。それは当然で、『ある部分』を含めて自分のパーソナリティ。考えるのも理解するのも同じ自分。脳には決まった思考の回路が固定されている。

それゆえに、高次は・・私たちの魂やそのネットワーク、更に背後に働くワンネスの愛の集合場は、私たちが苦しいと感じるような体験を見せてくる。その状況を何とかしようと立ち上がるには、まだ、私たちには苦しい、大変だ、などの感情のモチベーションが必要な世界に生きている。

歩いているその道を、逸れたり、戻ったりすることがもし出来ないとしたら・・・例えば、もう退路が無い。進むしかない。けれど進める状況ではない、と感じて、恐れや諦めが出て来たとしたら。

それでも他に道が無いから、きっとどうにかする方法を考えるものだろう。恐怖で多少、問題が膨らんで見えていたけれど、とか、気づきもあるかもしれない。実際に感情のフィルターは物事を、ありのまま見せることは無く、その感情や、長年の思考の壁が厚ければ厚いほど、違うように見せてしまう。

今まで楽しく進んできた道に、障害が出て来た。それを越えるには、自分の中を見つめて方法を探せという。そんな時は、エゴセルフは最高潮に現実を脚色することに全力を注いでくる。私たちのエゴとは、それくらい自己保存本能が強い。

面白くない時、辛い時、苦しい時ほど、今まで崩せなかった自分の中にある強力な「壁」を認めて、自ら、パーソナリティの改善、改変を意図しなくてはいけない。けれど多くは、その壁を前に、超えなくてもいい方法を考える。無意識にも。自由意志という活路が与えられているから、別の道へと降りていく。または、感傷や虚しさなどの中に逃げていく。

最近、この本を読んでいて、というのも、やはり少し前に書いた記事のタイトル通り「何かが起きて」いて、脳波、耳からの操作に注意、と日々感じるので、ブレインチューナーや石たちを頼りにするとともに、やはりチューニングする先をシリウス、シャンバラにするには A ベイリーだということで。「イニシエーション」を再読して、続いてこちらに入った。

この本で「非人格性」という言葉が繰り返し出てくる。それが大事であると。

日本語にすると誤解されてしまいそう、嫌悪感を持たれそうな言葉だ。要するにエゴセルフでは無く、感情のグラマーや思考のトリックを超えて高次の「弟子」として機能することで、グループとして成立するし、良い仕事が出来るという、新時代(=ニューエイジ)のための 弟子(=真面目な、本物の、ライトワーカー)への、メッセージ。

A.ベイリーを読むといつも思うのは、自分が常に思考していること、その方向性や、実際に選択してやって来ていることの、手がかり、確認作業となる。もちろん失敗することも多々あるけど、それも含めて書いてあったりする・・(笑)

自由意志が与えられているからといって、本当に自由が無限にある、と思ってしまうのは人間界の良くない性質、性癖である。選択したことは来世を待たずして自分に返ってくるし、常に、こうしている今も、どの瞬間であっても、私たちは自分の周波数、心の持ちよう、発するエネルギー、思考や感情に埋もれるか客観視するか、を選択する自由がある。

そして本当に10年、いや20年前から、結局私もいつも同じことをブログやテキストにこうして書き続けているなあ・・と。同じことを、繰り返し繰り返し。そしてこれからもきっと。

Love and Grace