前にこの日記にも書いた記憶がある。NHKの番組を見た流れで・・「人間は情報である」という量子物理学の考え方について。実感としてこれはとても分かる。エナジーワーカーとして、また自分自身の元々持っている感覚からも、情報の集まりがソウルシステムであり、その情報が肉体レベル、可視の三次元の物質世界に「顕れて」いるものが、私たちの物質的な(感情や思考も含めて)「現実」である。
ゆえに、情報を変えて行くことで、当然ながら現実も変わる。変えたい部分、体や心の不快な部分(病気、不調、痛み、など)を変えるには、情報レベルでその「設計図」に変化を起こしていく。これがヒーリングということになる。ヒーリングのみならず、ホリスティックな癒しの手法はこのメカニズム。
毎日、空が美しかったりドラマティックだったり、「非凡さ」を感じる最近の空模様。それが時折ではなく、毎日のように。けれど天候や気候は一定せず、絶えず変化して日本の気候も変わったなと実感する。世界各地で、それぞれの「らしさ」とは違う天候や気温や空模様が展開していて、Climate Changeとして、問題意識を持たれている。地球の環境問題だけではなく、時代の変わり目で秘教的な意味での世界の作り替えが起きていて、それが天候不順や、別次元の気配を感じさせる空の様子などに日々、顕れているように思う。
『古代の宇宙人』最近はシーズン7を見ていて、いつもあの番組の内容は「え!?」ではなく「そうですよね」と頷きながら、更に多くの知識をもらって良い刺激になる。ニューエイジでも言われている「人類を取り巻いている様々な思惑を持った『宇宙存在』たち」について、実際に欧米の国家の中枢に居た立場で、退職後にそれが事実であると証言する人々が少なからず居る。人類は知るべきであると・・一部の人々だけが知っているのは良くないことだと。
予定通り・・時に想定外の事象に対処しながら、地球を運営してきた宇宙存在たちは、「人類を自分たちのように進化させよう」というコンセプトを持っている。かたや「愚かで欲深い存在のままにさせておこう」という思惑を持った存在たち、あるいは集団もあるのだろというお話。双方のエネルギーや情報が、地上世界に混淆して、人間たちを通しても現実化される。結果、「上にあるものは下にも」。人間社会も混淆し、それを映した現実が常に三次元でも展開される。
ずっとその歴史は続いている。けれど時代の大きな変わり目、大枠の地球プログラムは予定通り働こうとしていて、それを止めることは出来ないのではないかと思う。運営している「地球の管理者」の領域が、そもそも「時代の変わり目」を設定している訳で、あくまでもその範囲内で、邪魔をする力が介入しつつ、大枠は変えることは出来ないのだろうと個人的には思っている。ただ、そちら(管理者=ロゴス)の情報ではなく、介入して来ているものが発信する情報に、人類の多くが、あるいは重要なポジションの人々が耳を傾けたりすると、結果として「ノアの大洪水」のようになってしまうのだろうと考える。
ただその情報戦・・人類のテクノロジーが発展して、グローバル化し、集合意識を物質化させたようなネットワークが現在はウェブ、それも無線で飛び交う時代。ロゴス側の情報を撹乱させるための、逆向きの操作も佳境、なのではないかと感じる。
一番上に書いたように、「情報」とは何も文字で書かれたもの、だけではない。人間そのものが情報の集まりであり、目に見えない情報も含めて考え、感じなくてはならない。文字で書かれた情報だけではなく、世界を飛び交う周波数、電波のようなレベルでも、「情報の混交」が起きている。それが大気や空に現れているのかもしれない。
私たちが生まれてからの数十年は、長い歴史の観点から見ればずっと「時代の変わり目」の範囲内になるだろう。確証は無いけれど感覚的に、マヤ暦の終わりである2012年末から、「進化」は加速している気がする。マヤ・・・は、ロゴスとは違う(逆向きの)意図を持った力に導かれていたかも?と少し思っている。つまり、プレアデス系。そちらが優勢でいられる=人類の進化をとどめておける時間が、2012年で終わった・・ということ?あくまでも仮説。
その「個人的仮説」に拠れば、進化の切り替えポイントが、2013年からということになる。植民地が返還されたようなことだろうか。歴史を見ていると、「自由」を取り戻した後、しばしその国や民族は混乱する。「風の時代」は、否応なしに人類の次のステップ、意識や霊性を高めていく上昇気流が動き出す。宇宙的背景同士の条約、決め事があったのかもしれない。その期限が切れて、植民地が返還された(?)
けれどまだまだ、前時代の情報の名残と、人間社会がインプットしてしまった、体や心や意識、ソウルシステムにさえ染み込んだ・刻み込んだ「霊性の進化を止められた時代」の情報が私たちを支配していて、社会制度も一瞬では変えられない。時間をかけて、人間も社会も「変換ポイント」を無事に成し遂げる必要がある。
古代の始まりにおいて、人間社会は前文明(アトランティス)の名残り、知識を持っていた。けれど古代社会同士の騒乱の中で、それらの証拠は破壊され、中には文明ごと消息が分からないようなものも。アレクサンドリア、バグダッドなどの大図書館は壊され、中国でも焚書がたびたび行われた。一神教で塗り固められた社会は、超古代の叡智を参照して活用することも、人間の意識を進化させることも封じるような世の中を作っていく。
ルネサンス頃からゆっくりと開花。市民革命、産業革命、帝国主義から始まっていたグローバル化、その行末の世界大戦、その後の復興、物質的に豊かな時代。そして情報化社会、パンデミック。
テクノロジーではなく、霊性の成長、進化ということを自分たちの課題としてどこまで向き合えるか。物質的な社会、欲を満たして恐れを回避する社会構造や気風に、どれほど自分自身の心身魂が馴染んでしまっているか、を自覚し、その幻想を剥がし、剥がして、情報を選んで取り入れる。・・文字になっている情報だけではなく、あらゆる意味での「情報」。
一昨日の昼間の曇り空と、夕方の晴れ間。
そして、爽やかに晴れていた昨日の空。
長細いシルエットの雲が壮大に広がる空が続く。
生活を根本から見直す、思考的な慣習や自分の属する環境を見直す。自分自身の長年の思い込みや家系や環境から「当たり前」の一部として取り込み固めてその範囲でしか考えたり行動したり感じたり出来なくなっているような、服、あるいは鎧のような「世渡り」「常識」「無難」のエネルギーを見直し、必要に応じて脱ぎ捨てることも、多くの人に必要になるだろう。それを促されるだろう。
感情が言い訳、逃げ道になる時代が長く続いた。けれども感情という重荷を背負っていると、情報化の風の時代に仕掛けられる罠には、易々と捕まってしまいそう。
情報には情報で対処。意識の時代。自分を客観視、必要に応じて(自分自身そして社会の健全さのために)その情報に変化を加えていく。これまでのように感情や「気持ち」ベースで居ると、次々にやってくる変化の波を「試練」と感じて辛くなってしまうことでしょう。
心地良い、変化として、時代の風に乗っていけるように。
Love and Grace
Amari