ヴァイアマスな雲がたちこめる梅雨空の下、だいぶ前・・5年前くらい?からの宿題であった方面に足を向ける。予報ではずっと雨だった時間帯。もしも辛うじて曇りになってくれたら、歩こう。もし、雨が滔々と?降っているようなら立ち寄りません、帰ります・・というつもりで消極的な構え半分、今回は行くことになるのだろうなという予感半分で用事を済ませていると、
空が少し明るくなり、時折パラパラと細い雨が降る程度で傘をさす必要もない、ちょうどよい気象に。今色々とテーマが動いている中で、どうやら「白い聖堂」の役割分担とも関係して、幾つもの小世界でそれぞれのストーリーが展開しながら、反響しあい、時折混じり合ったり、また別々の場所へ戻されたりしながら、全体の曼荼羅が編まれていくよう。
この日の私は男性性的なストーリーを担当していたよう。仏閣の裏山を歩くうちに、体がどんどん(単に歩いているからというだけでなく)温泉に浸っているように上気していって、不思議な世界感。五重塔の下に至って空を見上げると、何か「おわします」感じの雲。ご挨拶する気持ちで写真を撮って・・帰宅してPCの画面で画像を見ていて気づいたのが、右上の黒い影。鳥かな?と思ったけど・・・
↓ 切り取って拡大すると↓
鳥ではなさそう。普通に考えると・・・
「アダムスキー型」??
今朝ちょうど、「古代の宇宙人」のアカウント(twitter)で動画が載せられていたUFOが、以前横浜の青葉台サロンで2014~2018年にたびたび見えていたのとそっくりで、ひとまずイイネをしておいた。興味ある方は見てみて下さい・・だいたい4〜5機でMやWやVの字を書いたり、広がってまた集まったり、ヒュッと瞬間移動したり、フェイドアウトで消えたりまた滲むように現れたりするオレンジ色の光。UFO画像はいろいろあるけれど、今日見た動画はほんとにそっくりで。
様々なバックグラウンドがあるのだろうな・・UFOと言っても。あの頃、ジェネシス情報が一気に進んで2017年12月でまとまるまでの時期、生徒さんやお客様の居る時にも頻出していた。その後は滅多に姿を見せなくなり、私がひとりで仕事をしている日に、時折、1〜2機で比較的静かな動きだけになっていて。最も反応して盛大に長時間、フォーメーションを変えたり繰り返し出没したりと「サービス」してくれていたのは、セイキム伝授の時。何度も。生徒さんたちと長時間眺めていたっけ。
あの時飛んでいたものは、何のUFOだったんだろう?と、ここ数年考える。
ジェネシスが完成していく、プラクティショナーになる人たちが集まっていく様子を、応援しに来ていたのか、もしくは、監視していたのか。高次元由来ならば、私たちのオーラ体の様子や、ソウルシステムに入っているエネルギー、周波数、宇宙遺伝子なども、よく見えるのだろうし、遠隔で計測することも出来るのかも。その後、起きたことを考えると、応援ではなかったのかもしれない、と思うこともある。けれど、地球の中心に在る神なる世界も時に厳しい学びを投げかけ、静観することがある。
先日見たこれは? いやいや、見てはいない。向こうが見ていた、のかな。全く同じ場所で6秒後にシャッターを押した画像には、もう写っていなかった・・・以前来ていたものと、同じなのか、別系統なのか。この時、シリウス系のワークをここでしていたので、いずれにせよ、反応したのではないか?と思っている(これが鳥やドローンであれば別だけど。笑)
たびたび書くことの繰り返しだけど、心と感覚と思考の「奥行き」を育てていくことがやはり大切だ。三次元の価値観や意識のままで、スピリチュアルなことを分類したり判断したり、反応したりしていると、ずっと同じところをグルグルと回ってしまう。スピリチュアルでさえ無くなってしまって、「スピリチュアルな事を題材に何かしているヒト」、となってしまう。ソウル中心の存在として、地上で生きるソウルとして、螺旋を昇りながら成長していく。そのためには、都度、奥行きを持って感じたり気づいたり理解したり、が必要になってくる。
自分の感覚で話をした場合に、聞く人はその人の立ち位置のフィルターを通して理解する。すると返ってくる言葉や反応も当然、そのフィルターが処理した結果となる。その法則をうまく運用できる人は、良きティーチャー、良きセラピト、良きプロフェッショナルとして活動できるのだろうと思う。そのためのコツの一つとして、自分自身が螺旋を回っていることを理解し、相手の話を聞いたり起きている事を見聞きしながら螺旋のめぐりを本能的に想起出来ていたりすると、良き助言者となれる。
その為には、自分自身がたどってきた螺旋を、ちゃんと理解出来ていなくては、ということでもある。過去に固執するのではなく、理解し、受容するために自己や過去の出来事を反芻することは、やはり大事だと思う。自分の為だけではなく、その後、出会う人や未来の出来事を、うまく受け止めていく為にも。そこでもエゴセルフは「自分可愛い」フィルターを掛けて、「歴史」を改竄しようとしてしまいがち。そうならないようにするには、ハートの力。ハートに愛があり、オープンかつニュートラルに思索できるか、という。
スピリチュアルで基本と言われていること、ハートの力、グラウンディング、センタリング、ノンジャッジメント、などなどは、やはり螺旋を幾つ廻っても、その都度また度量を試されるものだ。
Love and Grace
Amari