こんにちは 新しいブログサイトへと移行して最初に書く記事です。
また「ソフィアの図書館」もオープンしました。サロン顧客様専用の「世界樹メンバーズ」、今月下旬スタート予定のオンライン読書会「ソフィア・ブッククラブ」により構成されたメンバー専用の有料サブスクリプションサイトです。
さてさて。最近 テレビも見ないし俗世間に疎い私を案じた友人に(笑)薦められ、以前よりYoutubeを見るようになりました・・時代の移り変わりを痛感しています。(年寄り臭いですネ)
それで、ヒストリーチャンネルに去年やっと目覚めたのですが、同じような領域を紹介しているyoutuber のナオキマンさんの番組を見ていて知った話題がとても興味深かったので、今日は記録しておきたいと思います。皆様にもぜひ知って頂きたく。
アメリカの政治学者、ロナルド・イングルハート による世界中の国民性における「価値観」の研究。
このウィキのページを読んでいただくと概要は書かれているので、興味ある方はお読みいただければと思いますが、結論、「日本人とは」
Naokiman さんのまとめの言葉をお借りすると、
集団主義かと思いきや、そうではなく、「生存するための損得勘定から」他人と同じようであろうと努めている、極めて合理的な人々で、実は個人主義であり、自己表現を何よりも望んでいる
ということが、浮かび上がった結果だったと。
同調圧力がとても強いと言われている日本や韓国よりも、アメリカのほうがよほどに「他人と同じでありたい」と望んでいることが分かったという。意外ですよね。
どうも日本の人々は自分たちを「集団主義」だと思い込んでいるけれど、深層心理、表に出さない本心を探っていくと、本当は「人と同じで」ありたいわけではない。ただ、同じであるように振る舞うことで失敗を回避して、本来とてもとても何よりも価値があると思っている「自己表現」を犠牲にして、合理的に振る舞っている。ということが読み取れそうです。
リンク先のwikiページの、「価値マップ」を見ていただくと、この調査で見えてきた各国の価値観を地図にして視覚化しているので、分かりやすい。日本はちょっと飛び抜けた位置にあり、不思議なポジションだということが分かります。これで見ると、とても近いと思っている日本と韓国はまただいぶ違っているのだな、という距離感も分かりますね。
日本人は「世俗性(伝統や因習にとらわれるのではなく現代的な合理性)」が非常に高くて、また、他のどのアジア人よりも、北欧の人々なみに、自己表現を望んでいることが見えて来ます。本当に求めているもの、それは自己表現。
けれど、社会的に安全であるためにそれを封じている。社会的な「空気」に紛れることを演じているために、かなりストレスが掛かっているのではないかな。同調圧力ゆえ、ではなく、自由な自己表現をしないという選択の影で、エゴセルフと(社会とは関係のない無垢な)ソウルセルフが摩擦を起こしているであろうと、メタフィジスト視点では推察されます。
そしてある意味で、ソウルとパーソナリティが統合されている人、自己表現を経て活躍している人、自己表現を懸命に叶えようとしている人などを、本人は無意識でも嫉妬している、羨ましいと思っている人々が、マスメディアやSNSを通じて叩いたり引き下ろそうとしたりするのだろうと。ヒーラーの視点、ヒーリングの観点から言うと、やはりそう思えてくる。
それにしても・・
最近、スピリチュアルな領域でさかんな「日本人=特別」という考え方は、賛同する/しないは私個人的には50/50 なのですが、世界価値観調査マップを見ると、やはりちょっと普通ではないのだな・・・ある意味、飛び抜けた立ち位置。
本心:合理主義で、自己表現に価値を抱いている
実際:非合理主義的にふるまい、自己表現を封印
「くる時が来たら、化ける」というのは、こういう人々なのかもしれない。と、客観的に感じた。その意味では私などは、まったくもって外国人だなあ。と。「自己表現」と「合理主義」を表に出して、そうでありたい、と努めているので。。。ソウルとしては、この重要で不思議な国に、興味を持って今世選んで生まれて来たのかもしれない。
皆さんはどう感じましたか?
・・ああ、だから、日本人は職人気質なのか。淡々とした職人作業の中に、自己表現の道を見出す。けれども職人の世界も長らく男性のフィールドであった時代、日本の女性たちは一体どこに、秘めた自己表現願望を流し込んだのだろうか。
と、エンドレスに考えてしまうこの話題。レヴィ・ストロースの『月の裏側』(世界的な文化人類学者による日本文化論)、買って以来本棚にしまってあるけれど。読んでみようという気持ちになりました。
今日はこのくらいで。
Love and Gratitude
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