不思議なもので、私は高校生の時に世界史が大好きになり、シルクロードとかチベットとか、古代中国とか、ネイティブアメリカンや部族社会などに「贔屓目」を持っていたので当時は白人文化、特にイギリスを嫌悪していました。それでいてイギリスから派生したアメリカは、世代もあって好きでしたが。ハリウッドや洋楽など、当たり前のように。
20歳で仏像と神社、日本の始まりの神秘に「つかまって」、興味対象は一気に世界史から日本の古代へ。それも二十代後半からは中断し、三輪に引っ越した時期にはレコンセクレーションや「白い聖堂」なども始まりましたが、横浜への移動でサロン名が「天と大地」から「アルガンザ」に変わると、恐らく今思うとエル、エルフ界やその背景のシリウスなどに引っ張られて、北欧的な、イギリス的な趣向へと変遷。
その頃にはイギリスへの反抗精神も皆無。というかヒーラーをしているのだからそのような思考的偏りというか、こだわりは既に抜けていました。
どこに興味があるとか、どこかに旅をしたいとか、そういった情動のようなものも、高次のチャネルとして仕事していると消えて行きます。なのでまだブームさえ来ていなかった頃に神社仏閣、聖地を巡っていたけれど、その後はもう.. 自分はまた別の場所(言い方は良くないけれど「高み」)に居るような感覚で、三次元のこのフラットな世界におけるどこかの場所だとか、何かの分野には、自分のサロン仕事や神秘探求に引っかかってこない限りは「必要ない」と、そういう時代でした。
それがちょうど娘をシングルマザーとして育てている時期。仕事を始めた2004年(娘は3歳)から、去年、2024年くらいまで。
本当によく出来ています。去年あたりは、その切り替えが出来ていなかった為に、むしろ後ろから押し出されるような事が起こって、気づけば若大将(娘)も大人になっているし、アルガンザでのジェネシス関連のまとめも、それによるワーク群の改訂も、サイトの作り替えも終わったではないか。と、気がついた。
時を同じくして、一昨年に急にスピリチュアルに目覚めた身内から、Youtube 経由の最新のスピ、およびホリスティック系の情報が入って、自分側からだけでなく、自分から見える世界もまた、二十数年の時間を経てひとつに合流。もっと遡れば、聖地巡りを始めた20歳から数えたら三十年。
恐らく、皆様も何らかの自分人生の歴史が、今年2025年は違う局面を迎えたのではないでしょうか。まさに岩扉開きの年です。
前置き?が長くなりましたが、このタイミングで必要になったのが、多分(高次の、ソウルシステムの意図を察するに)「日本人」への回帰です。(笑)
何しろ、多次元的な意識で、自分をソウルとして捉えてヒーラー仕事をしてきたので、生徒さんたちに「イギリス人ぽい」とか「東洋に愛着を持っているフランス人」とか言われたこともあるように、ソウル還り、前世還りしていた近年でした。神智学の先人たち(欧米出身)に心を寄せていたこともあり。
ですが… 実は、恐らく一般の日本人以上に、日本の神秘への目覚めと愛着の開眼は早かった。1993年、3月に比叡山と琵琶湖を見て何故か胸が震えて涙を流し、5月、奈良への旅で三輪山に一目惚れをし、檜原神社で「ご神気」に感動し、飛鳥の橘寺で聖徳太子に関係する薔薇色の光と風が吹き込んで来るという神秘体験をし。この旅から、日本古代史や神話への探究が始まりました。短大を出て会社員になったばかりの20歳でした。
もっと遡れば幼稚園時代、家族で出かけた佐渡島に神秘的な背景を感じて感動したり、子どもながらに何かをキャッチしていたようで、弥彦神社が大好きで親に連れて行ってとせがむことも多かった。
20歳の「開眼」以後は、休日になると一人暮らしの部屋でもくもくと本を読みあさり、古代史や神話についてまとめて、連休や長期休暇には奈良や伊勢に行くというOL時代を。その中で、日本古代史のシリーズ小説をいつか書こうと。物語の大筋もすでに受信出来ていました。
あれから30年。一作目のタイトルは「霊ノ国(ひのくに)の女王」です。実は7〜8年前に急に言葉や歌が降りて来て、冒頭だけ原稿用紙数枚分、書いていました。そのことを当時のブログでも宣言していたのですが、まだまだ時期ではなかったよう。止まってしまったまま。そして2021年だったか、note アカウントを必要あって作った折に、作家用のアカウントも作り、「いよいよ執筆活動を再開」と。確かにゆっくりな歩みですが、ソフィアの図書館にて新作を書き始めています。
別の理由で押し出されるように今年は、聖地めぐりが出来るようになりました。出来るように、というのは… 時間がある・ないだけではなく、こういったことは意識面で、出来ない時(興味が湧かない時)は、出来ないものです。人が聖地に出向くのは、ひとつには自分が元気になりたいから、また、人によっては聖地を讃えたり国や世界への祈りを伝えたいという人も居るでしょう。
エネルギーワーカー、クリスタルワーカーとしては、「ここ」に居ながらにして歴史をそれも多次元的に感じたり頭の中で描いたりしてしまうし、自分イコール、モナドまで届くソウルシステムとして、イメージできたり体感したりもする。そうなるとどこにも行く必要が無くなり、自分の居場所が、いつでも意図すれば聖地になる… そんな感じなので。
何かを「欲する」としたら、自分のそのような仕事やミッションに関係するという動機のようなものが必要になる。それが無い限り動かない。動こうとしない、そんな感じ。
2025年にはその設定に変化が起こり、内側と外側の世界双方がひとつになりました。動くための条件が揃ったという感じか… 自分の顕在意識とは別のところで、岩戸が開いた。きっとこれから日本古代史もの、構想30年のシリーズ小説を書いていくのだろうと思います。だからこそ、聖地巡りを最近やっていて、何かを集めているような気がする。
情報だったり、自分の記憶だったり。歴史の断片だったり。三次元ベースで考えると色々としがらみもあるだろうけど。三次元ベース(これまでの常識)を超えていくことは、今、誰しもが魂サイドから、求められている変化、進化なのだろうと思うので。
「ソフィアの図書館」の特に「ブッククラブ」購読者のみなさま、サブスクなのに定期的に記事が挙げられていなくて本当に申し訳ないです。これまでに無かった(中断していた)旅や学びを再開したことから、やはり今年の後半は、時間の取り方にまた工夫が必要になっているという課題があります。が、必ず、「ガイアラ」も「マーラの名のもとに」も、そして日本古代史ものも、書いて行きますので、ご辛抱でどうぞお待ちください。
先日21日の「シリウスの白い聖堂(36回)」で入った施術の影響と思われる流れから、これまでも何度か同じようなことを書いている、創作活動にまつわる自分史と、今回アップデートされた(エーテル体やヘッドセンター、意識などの)霊的な部分での『今』について、改めてまとめてみました。読んで頂き、ありがとうございます。
Love & Grace
Amari
