「ソフィアの守り手たち」その役目に思いを馳せて。& 保護の祈り

こんにちは。さきほど「ジェネシスの方舟」記事をひとつ書いて来ました。リリスと桃色マーラとエロヒムについて、最近出てきた情報です。ちょっと自分がボンヤリしていたせいか、気づいていなかっただけで、やはりこの季節は例年通り、エルフ界の記憶が出てくるのだということを、思い出し、実感する最近です。

「ラサンテ」や天使学講座を昨年進めながら、天使とはすなわち、ジェネシスでいう「エルたち」の、グループや役割分担や、繰り出す光線や担当部門などの名称が、〜エルとして伝えられたものであろう、という考えに至っていた訳ですが、それはいつの間にか、かつてジェネシスをまとめた2017年当時に「エルフ」と呼んでいた存在たちと、イコール、のようになって溶け込んでいました… 私の頭の中で。

しかしながら、最初に「エルフ」と(ロードオブザリングにちなんで)呼ぶ事にした存在たちに感じていたのは『ソフィアの守り手』という立場でした。そうなると、すべてのエルたち(つまり天使界を構成する存在たちすべて)が、ソフィアに関する仕事をしているのか?と考えてみると、「いや、違いそう」という気が最近して来ました。

私自身は、最初にそれらしい記憶が出て来た時には「ソフィアの守り手」という印象が強かった訳で、その後、ソフィア崩壊の記憶・トラウマが出て来た時は自分がソフィアと一体化するような感情を味わったり、また、24年のガイアメディテーションにて「水門ソフィア」が降りて来て、それを取り扱う窓口のようになっていることからしても、やはりソフィアとの縁の深さ、強さを、自覚して来ました。

もしかすると、エルたちの中でも「ソフィアの守り手」というのは特別なグループなのかもしれないな?と、今更ですが思いました。ソフィアへの思い入れが強いし、その手の(人類の意識に関する)仕事をしに来ているという感じが昔からずっとある。

そして、アルガンザのお客様、こうして読んで下さっている皆様はやはり、そこで繋がっているのではないかなと思います。ソフィアというのは、このサイトの名前にもなっていますが、癒しの源泉であり、生命の源泉であり、叡智の源泉でもあります。図書館のように、光で癒しや知恵を受信し、活用するというもの。

パーソナリティを超えた感覚を自分が味わう瞬間などに、ガイアの歴史をすべて見ているような感覚になることがありますが、すべて見てきた大長老.. という訳ではなくって、ソフィアの図書館の情報に共鳴している瞬間なのだろうと思います。

アカシックレコードが、人類のアストラルやメンタル、つまり感情や思考といった人格レベルの情報の集合場であるならば、ソフィアは、ロゴスやシャンバラなどの地球を運営する神々の目線の情報図書館でもあり、光の祝福でもあるのだろうと思っています。

その響きと一体化する時、というのが、自分が整った状態であるというスッキリした感覚、そしてハートの無条件の愛が機能する状態であると感じます。

それをずっとキープすることは中々、難しいのですが、前記事でも書いたようにエロヒムやエルたち、その上に存在するロゴス、とくに白山姫の周波数的な面影を辿ることで、共鳴感が得られると感じています。そして、セラフィムの純粋無垢な光が、ハートが曇らないよう、曇った時は洗い清めてくれるよう、働いてくれます。

お陰様で、ここ最近のお客様たちのセッションの流れと、今月の聖堂38(今週末22日/お題は「光」)の影響と思いますが、久しぶりに、エロヒムのテーマを体感しつつ内省とワークを続けるうちに、白山姫やソフィアといった大いなる源泉と、一体化するような瞑想体験が続きました。高い視点から見ると、普段恐れたり反応したりする情報も、ただ幻想で幻影であることが分かります。

かなり前に(奈良に居るころ?)に一度、何かの企画セッションで体験したのですが頭頂からユニコーンの角のようなものが白い光で上へ上へと伸びていく… そして何かの源泉に繋がっているという感覚。以前はシリウスではないかと考えていたのですが、これを久しぶりに体験して、その先にはソフィアがあることが分かりました。故に、ソフィアの守り手としての名残がもしあなたにあれば、今は眠っているかもしれないけど、クラウンチャクラから白いユニコーンの角のようなものがどこまでも伸びていくという.. 仕組みが、あるかもしれないです…そしてソフィア源泉に接続されている。

そんな感覚に浸っていると、言葉が降りて来ました。「ソフィアの守り手たちの保護の祈り」。皆さんに使っていただけるようPDFにしましたので、ぜひダウンロードやプリントをしてお使いください。

光の使い手、守り手たちは、その逆サイドの目による監視や妨害が入ることが多く、それはパーソナリティレベルでも働きますし、霊的な意味でも働きます。そして自分自身の人格の一部がそれを引き寄せてしまうのも厄介な問題です…が、自分もヒトである以上は、仕方ない。その部分に意識を向けて、神性を伸ばし光らせて、魂が持ってきた、そのためにわざわざ生まれて来た役目を、生きていきたいものです。

Love&Grace
Amari

風の時代、3歩進んだら、下がるのは2歩だけ。

ヒーラー歴20年。エネルギー次元を肌で感じとりながら日々を過ごして来たけれど、明らかに変わったと感じる最近。最近と言っても… 色々な「最近」があるけれど、う〜ん、この半年くらいだろうか。

癒しの世界ではよく「3歩進んだら2歩下がる」と言われることがあります。ヒーリングを受けた後などに、エネルギーの高まりがあり、気づきもあり、成長できた気がする… というのに、周囲や自分自身のもろもろの調整、現実を作り替える作用などがある中で最終的に「落ち着く」と、一度上がったと感じた目線やエネルギー状態よりも「また下がってしまった」と感じてしまうことがある。一度高まっていただけに、尚更に。

けれども、3歩進む、いや、ヒーリングを受けた直後などは自分の高い部分との融合が起きているから、3歩どころかもっと、高まっているように感じるかもしれない。そこからの調整は、全体の現実に変化が起きていくためには必要なプロセスであり、折り合い点に着地した時には、決して元の立ち位置より下がっている訳ではなく、ただ、セッション直後のグインと上がった時よりは、物質界の自分寄りに着陸している、というだけ。

そのことを「ヒーリングは、3歩進んで2歩下がるものなので…」と、クライアントさんや、スクールの生徒さんに説明をしたりする。それが、

ここ半年くらい、つまり2025年の夏を過ぎた頃から、3歩進んだ後に確かに調整が入り2歩下がるのだけど、そこからすぐにグン、とまた1歩上がる。そんな感じなのです。こういったエネルギーの上がり下がりを、自分レベルと、(仕事ではお客さんや生徒さん)、また世の中、などから日々感じることを仕事としている… それも休みなく20年、そんな私が思った。。世界にプログラムされている(高次システムとの)エネルギー作用の仕組みが、確かに変化した!

神智学(アリス・ベイリー等)では2025年は歴史の変換点であると予言的に書かれています。それは地球人類の生きる世界をある意味プログラムする世界光線というものの中のひとつ「第四光線」が、少しずつ2025年から顕現し始めるということによる。摩擦や争いを経て到達する調和、というテーマを持つ。それはもう、抗えないこの時代を生きる人々の宿命でもあります。

今年2026年から世界はさらに激動するとか、言われています。日本人も平和ボケを卒業して、色々と覚悟が必要なのかもしれません。けれど良いこともあります。成長できるエネルギー的な仕組みが変わって、3歩進んでも、1歩だけ戻れば良い。これまでの仕組みに体やオーラや現実創造システムが慣れているせいか、ついつい2歩戻ってしまう??ような調整は入るけれど、ちゃんとその後、1歩また上がる。そんな感じがしています。

去年秋から今年始めにかけて、そんな見えない次元のエネルギーの変化を感じていたところですが、その分だけ、試練のようなものも強まっているのかもしれないとも感じます。「テストが増えている」気がする。これまでの古い時代の自分の調子で、ゆるりと対峙していると「ペケ」をつけられてしまいそう。

恐れてしまう、悲しんでしまう、反応してしまう、疑ってしまう、不安になってしまう、などの、人それぞれの「思いグセ」がありますが… そのような、人それぞれのパターンに対するテストの勢いというか、回数?量、あるいはスピード感が高まっていて、テンポよく、それも古いパターンやクセにハマらずにポジティブに「回答」「選択」していかないといけない気がする。もしも旧パターンに戻ってしまったら? これまでの時代以上に、あっという間に、「居たい場所」から遠ざかってしまいそう。つまり逆流の流れもまた、強くなっている、ということ。

とはいえ、ただ穏やかに、ポジティブでいられたら、何の心配もいりません。

とある先生が(Youtubeで拝見)「これからの時代は立ち向かった人だけが生き残る」と言っていたことの意味が、理解できた気がしました。古典的な神話やアニメの主人公のように、試練を与えられても乗り越えようとするような態度が、すべての人に求められている時代、と言えるのかもしれません。「そんなのは特別な人だけ」と、逃げることが出来ていたのは、今までの時代のエネルギー設定の中。つまり、既に古い時代なのかも。

「立ち向かう」とはどういうことか?
「自分自身」であろうとすること。その自分とは、なにか?
「魂」です。個性とは、魂のことであり、自分自身の魂を死守する態度が、これからの時代を生きていく私たちには、必要なのでしょう。本当はそれはヒトとして当たり前のことなのに、現代人はどこかおかしくなってしまっていた。魂が抜けたような状態で生きている人が多かったということです。

魂とは、神智学が伝えるに、動物魂と神性魂のふたつが合体しているという。まさに「二極化」と言われる点はそこ、なのではないでしょうか。神性の魂を持って次代に生き残れる(転生しつづける?)人々の数に対して、現在の人類は増えすぎたのではないかと私は密かに思っています。

また、上記の先生のご持論では、もともと60億人分も魂は存在しないのでは、ということです。。考えると少し怖いですが、神性魂を持っていない人間もかなり居るということでしょうか。

そうだとしても、本人が強く望むことで、神性はちゃんと降りて来て宿ってくれると私は信じたいけれど。創造よりも破壊、調和よりも分離を好むような人々はもしかすると、神性を搭載せずに地上に生まれているのかなと思うことがあります。

今の時代は恐らくそこの別れ道でもあり、魂を宿す存在として地球の進化プロジェクトからこぼれ落ちずに、この美しい地球とともに生きていくソウルを「利他」「調和」「愛」などの宇宙のポジティブな周波数を手がかりにして、ある意味、ふるいに掛けているような、時期なのかもしれません。全員が「魂ですか?」と、問われている訳ですね。

「愛であろうとする」などの、魂にとっての究極のお題だけではなく、「自分自身である」ことに対峙するというテストが課されているからこそ、その都度、日々の小さなテストをパスした時の成長は、3分の2、に、ヴァージョンアップされたのかも。そんなことを考えていた最近です。

読んでいただき、ありがとうございます。
Love & Grace
Amari