それぞれの役割 –時代の変わり目において–

 

久しぶりに会った人たちが、毎回纏っているエネルギーの様子や目が違う、ということがこの所多い。オーラの状態や、目を見ると、その人の調子の良い悪いは分かる・・これは誰でもそうだろうと。
特に意外と男性は、私が思うに直感なのか直観なのか、あるいは野生的な勘なのか、感じとる人が少なくない・・けれど恐らくこの物質社会、男性社会で、そこに蓋をして生きている。でも潜在意識的には分かっている。

本来、直感やハートは女性の方が素直に働くものだけど、それはある意味、社会の責任その他から比較的自由であったことによるのかも。でも情緒的である分だけ、「こうであってほしい」が働いて、直感で感じ取るものも、特に人間関係などにおいては編集が入った状態で脳で処理されてしまう為に、結局は直感をうまく活かせずに感情で事に処しがちなのかもしれない。

人の感情とは、中々難しいもの・・・。論理的・理性的でありながら、ハートの愛をうまく使って、人々や事に処していく。これが理想だけど、自分一人の範囲でそれがうまく行ったとしても、人生はそれだけではないから・・まあだからこそ与えられている地上で生きるという機会なのだろうけど。

シュタイナー、人智学研究者で、占星術研究もしておられる丹羽敏雄先生の本。私は余り、シュタイナーにせよ、神智学にせよ、それを解説した特に日本の先生が橋わたしをされている書籍は読むことはなく、何かに興味を持つとなるべく直球でその源泉に近づくようにしているので珍しい事だけど、以前ジェネシスをまとめている2017年に参考書としてたまたま、手に取った事をきっかけに、丹羽先生の本は幾つか拝読している。

今回こちらもそんな流れで、書店の天使?に薦められ、読んでみた。タイトルの通りで、シュタイナー的カルマ論、つまりこの日記やInfo記事で昨年の暮れ頃に触れていた、現世→死後の天界での生→来世 という魂(自我)の流れと、12星座と、カルマ、について優しい文体で解説して頂いている。

ところで神智学では(シュタイナーは「人智学」)黄道12星座による、地上の我々へのカルマ的法則は、シャンバラが作ったシステムだということ。それは考えてみれば、(シャンバラと呼ぶかどうかは別として)誰かが決めてプログラミングしていなければ、今、占星術は普及しているけど、そのように星と人生が連関し合うなんていう仕組みが出来るはずは無い。星座は、地球から見てどう見えるかの配置によって描かれていて、宇宙の普遍的事実ではないから。つまり占星術・占星学とは、自然・・というより、超自然的な法則だ。

12星座・占星術について、シュタイナーの人間観とカルマ論からの解説は、私としてはとても有り難く、また、メタフィジを学んでいる人、ニューエイジを基盤に思考する(人間は輪廻転生する、地球だけが魂の故郷ではない、と考えている)人には、おすすめしたい。12星座の概念は私は若いころから他者を理解するのには非常に役立っている。運勢のアップダウンのような事には余り興味はないものの、今世、カルマ的に運命付けられた「鋳型」の中をみな、生きているという理解と愛は、人間関係において役に立つ。太陽星座による人生への影響力を丹羽先生は「流儀」と書かれていて、それもまた良いな、と感じた。

私の以前からの直感では、今年の1月には「逆転」が起こり、4月には良き創造の波が加速する・・と感じていて、過去、こういった野生のカンは常に当然のように当たるものだった。が、今年1月も、この4月も、イメージしていた通りには「急に流れは変わらない」。そしてそれが、今、本格的な時代の変わり目の難しい変換点の特徴なのだろうと気づいた。   1月、何がどう、とは言えないものの、自分にとっては確かに大きなシフトポイントがあり(「意図」の重要さなどの)スイッチが入ったことは確か。その後、順調に行くように思っていると、逆風が来たという、エネルギー次元の体感がある。

同じように3月後半〜4月の頭は、3月前半の心地よい風が吹いて来た感覚から、また再びひっくり返されたような。あくまでも体感で、見えない世界の感触。 が、世界の周波数は確かに上がっていて、世界のあちこち、質が上がりつつある。意識的に目覚めた人たちも増えて来ている。それは間違いない。けれど、自分やその周囲のシフトだけではなく、社会、世界全体のシフトが起こっている時だからこそ、良風のあとには、逆風が来る。もう、このリズムに慣れたほうがいいのかも。。。

私はついつい自分自身がヒーリングと出会い、メタフィジカルに生き始めた頃からの「常識」、価値観でエネルギーの動きを期待してしまうから、ここは本当に切り替えないといけないなと思う。
同時に、これまでは自分が「カナリア体質」として、世界の変化をまだ誰も気づいていない時に察知しているような、それを人々に伝えなくてはいけないような感覚を常に開いていたけれど・・(たとえば「日本人の意識の問題」「環境問題」「地球の危機」などについて)さまざまな課題が現実レベルで一般の人々の周知となり、全体の意識の中にすでに常識として上がって来ている今、もう自分が(というかスピリチュアル、メタフィジカルの人々が)そこを敢えて語ったり書いたりする必要もないのだ、とこの数年考えてきて。

元々、ニューエイジ思想(出発はやはり神智学の誕生)などは、やはり反社会的な精神によるムーブメントであったはず。そこを切り替えて、問題意識はキープしつつ、既に全体にとっての議題となっている「地球を守ろう」「人間の尊厳」「自由そして平等」など、本来スピリチュアル分野が大事にしてきた思考を、一般社会と共有しながらも、スピ、メタフィジを貫いていく必要ってあるのだろうか?   それとも、ならばもう、その全体の流れに乗っていれば良いのでは・・(時代は変わりつつあるのだから)・・という問いが、恐らくこれまでメタフィジカルを探求してきた人たちに、浮上してくるこれからなのではないかと思う。

あなたはどちらを選びますか?

ここはもう、私としては答えはずっと昔から決まっていて、社会が追いついた場合?のメタフィジの役割のようなものを発揮する時こそが、本来の「ライトワーカー」的ソウルたちの仕事場、だと思っている。

けれどもまあ、社会全体を家族として、浄化やアップダウンの波を超えていく時代なのだと思うと、「特殊な世界」の「マニアックな人々」としてスピ、を実践している時よりも、はるかに忍耐力や持久力が、試されるのではないかと思う。スピ、業界の情報などは、人様のブログさえ見ないし、ワークショップ等にも行くこともないので全く分からないけど、どの分野でもそうであるように、これから個人もグループも組織も、試されていく時代なのでしょう。

Love and Grace
Amari