煤(すす)が描いた黒い渦の話

今朝あった出来事。些細なことからの気づき。(23年2月の日記)

瞑想タイムのためにキャンドルを灯すにあたり、オイルウオーマーの蓋をティーライトの受け皿にしようと思いつく。しかし、以前ウオーマーとして使用した時のススがたっぷりとその裏側についていて、蓋を載せた私の片手は真っ黒に。さらにそこからこぼれおちたススにより、大事な仕事用のデスクの一部もまた真っ黒に。それを拭き取ろうとしたらば、ススって本当に粒子が細かいようで、かえって広がり、拭き取るためにティッシュで円を描いた通りに、デスクの上に怪しい魔法が降り立ったかのように黒い渦巻が出来てしまった。更には、床にもてんてん、と。

瞑想どころではなくなり、裏側にススが積もるように付着している小皿を洗いに洗面所へ。しかしそこでも、水に流れて消えていくことなくススは、純白の洗面台の水受け(掃除したばかり!)にアヤシイ黒い斑点を無数に出現させた。・・せっかく早起きしたのに。朝から面倒なことになったな、と思いつつ、淡々と対処を始める。まず洗面台は届いたばかりのヒバの粉石鹸ですぐにきれいに。何か象徴的な出来事だと感じながら、ヒバ(ヒノキチオールを含む樹木はシャンバラ系、ヴェガ系と感じる)の白さと清涼な香りで黒い点々を一掃したという気持ちよい感覚を味わい。

問題の部屋のデスク。アルカリ系のスプレーやウエットで拭いてみたけど殆ど効果は無し。ふと目についたのが、体の凝りなどに効くいつもお世話になっている、オーガニックのボディバーム。こちらはローズマリーの香り。体に塗るものであるにも関わらず、天然木の天板についたスス汚れは、ミツロウで落ちるのではないかという直感があった。試してみると、びっくりするくらいに落ちる。そう言えば、無垢材の家具や床板などに使用するミツロウがあったっけ・・と、仕舞ってある場所へ取りに行く。

戸棚を見ると、同じコーナーにオレンジオイルが居た。こちらも同じく無垢材や、ギターのボディなどの木の部分のお手入れに使用するものだ・・・このオレンジオイルで、デスク上に描かれていたアヤシイ黒い渦は簡単に見事に綺麗になり、よくよく見ると Wood Cleaner & Polish と書かれていた。そうか、クリーナーだったのか。今までワックスのようにしか使っていなかった。汚れを落としてくれものだったのね、と気づく。

デスクの天板、全体をそれで綺麗に。以前も一部にほんの少しだけ、付けてしまっていた同じくキャンドルやインセンス由来のススも、ティッシュでこすってかえって木目に残ってしまっていたけど、それも見事に綺麗に。

こんな些細な出来事から。洗面台やデスクが以前よりピカピカ、綺麗になり、自然派のクリーナーでそれぞれアロマとともに磨かれてリフレッシュされる姿に、何かピ〜ンと来るものがあった。ちなみに同じくアヤシイ黒い円が描かれた私の左手の平は、普段から使っている月桂樹オイルのアレッポの石鹸できれいになった。

デスクの片隅には、以前からスス汚れが小さく付いていたけど、小さいし端っこだから、まあ良いかとそのままにしていた。同じものが、さらに目立つ場所に大規模に展開されてしまったら、そのままではデスクは使えないから、今すぐ解決しなくてはならなくなる。動くことを意図する。そして使える手段を探して・・ひらめいて、結果、以前よりもずっと良い状態へとリフレッシュ、以前からの小規模の汚れもまた一掃されて、全体でリニューアルする。

セイキムレイキの伝授を受けた時に先生から、「小さなシミだと思っていたものが、より強い光が差して来たことで大きな汚れだったと気づく」という言葉を聞いていた。セイキムの高く強い光には、そういった現象、変化のプロセスが伴うものだ、と。「光と闇の統合」がテーマであもあるセイキム。それまで大人しくして隠れていた「闇」が、出て来たりするから中々に、伝授の場においても波乱がある。(だからこそウスイ、カルナでしっかりと自己浄化をしてから臨むべしと考えている)

時代の変換点も、個人の変化の時も、それまでは「小さな汚れだし、別にたいして邪魔にもならない」と放っておいた(共存していた)ものが、もうそれ以上は放置してはおけないという段階が来て、向き合わされると大きな問題として浮かび上がって自己主張したりするのだろう。社会は今、そのような段階を迎えているのだろうと思う。片隅でひっそりと存在する汚れならば見過ごしておいてもいいのかもしれない、けれどそうは言っていられない影響力、広がりが現象化し、向き合わざるを得なくなる。様々なジャンルで、今、これから、より顕著にそれが起きていく。

大きな変換点においては、小さなシミも大きな汚れとしてクローズアップされる。炙り出されて、もう「小さいから」と隠すことは出来なくなる。

地表世界の周波数は上がっている一方で、集合意識場がそれと比例していない感じがするのも、まさにそういうプロセスにあるゆえだろう。「いやいや、世界は何も変わっていないよ。今までのままだよ。」という空気が一番、要注意だろうと思う。

自分自身が強くまっすぐ立っているから、「大丈夫、世界は私たち自身が創造するのだから」と、信頼して慌てずに在るのと、事なかれ主義で「楽しさ」や「気持ち」を重視してただ自分の世界をキープし続けるのは歴然と違う。けれどその両者は見分けがつきにくく、ぼんやりしていると同じだと見えてしまうものだった。今までは。

他の国々では当たり前のような人間性の話が、日本では段階を踏んであえて説明しなくてはいけないような事になっている。世界経済において「日本病」という言葉さえ生まれてしまった今日だけど、経済・社会だけではなく何より精神における「日本病」を、自覚して抜け出す人々の空気を、今年、2023年は感じられるだろうか。

Love and Grace

Amari