時つ風 〜善と悪のメカニズム〜

9月に入り、時間の流れが早く感じるようになったなあ・・と思っていたら、満月を境に、時間が長く伸びているような感覚がある。これもまたそろそろ変化しそうにも感じる。

個人的な事象としては、1年くらい継続していた「状況」の変化が具体的に地殻変動のように起きていたのが6〜8月まで。象徴するように、1年近く通っていた場所とのご縁に一区切りがあったり、プロジェクトの幾つかがひとまず区切られたという事も。このような共通する場面で感じたのは、「トレーニング期間」の終了と、各自の選択による道の分かれ目。

世間でもきっとこのようなテーマが、実感されていく秋なのではないかな。

エリザベス女王の逝去が、まさに時代の変わり目の象徴でもあるのだろう。ほぼ1世紀の、連邦国家の君主としての人生。ただその座に居続ける(正気で、健全な状態で)だけでも大変なことで、強く気高い魂でないと、カルマや歴史の重みに乱されてしまう。前回の記事の続きとして・・

BBCで女王の人生を振り返る中で、ダイアナ元妃が亡くなった直後、孫たちの面倒を見るため地方の城に留まった事に対し、世間のダイアナ元妃に想いを寄せる人々は「弔う気持ちが無い」と反感を示したそうだ。女王はそれを受けて、母を失ったばかりの孫たちを残してロンドンに戻ったという。

ちょうどそのニュースを見ていた数日前、ネットで視聴中だった韓国時代劇『ヘチ』で、歴史上数奇な王で知られる英祖の若かりし頃、兄王が死去した際に、空位の間に暗躍する政治的な派閥を牽制するべく、通常より(喪に服する期間を早めて)即位を急ぐという決断をし、反勢力の煽りもあって民衆から「弔う気持ちが無い」と騒がれ非難され、挙句には自分が兄王を毒殺したという噂まで広まって、悲壮するという場面を見ていた。

歴史上諸説あって、詳しくない私には何が真実であろうという推察をする程にも至らないけれど、このドラマでは少なくとも、欲を持たずに兄を支えつづけていたし、毒を守られた兄王を助けようと必死で動いていた為、「人間としての心情から愛ある人の行動を取っていたのに、真逆の捉え方をされて非難を受ける」という、(女王のエピソードと)同じパターンを見ていて、君主や責任ある立場というのは、こういう悲しみをたくさん味わうものだよなあ・・・と呟いていた。

そうそう、この『ヘチ』も質の良いドラマだった。去年NHKで放送していたそうで、見ている方もいるかと思うけど・・この前に『奇皇后』を見ていたので、この昔ながらのドロドロ激しい欲望と権力の〜 という古風なパターンからの『ヘチ』、最初は上品な映像と展開に、ぼんやりしてしまった(笑)。ヘヴィメタを聴いていた所から、ボサノバに変わったような。

どうしようかな?と思ったけれど、

出ている俳優さんたちが、他の現代ドラマや映画含む作品で「良いなあ」と思った方々ばかりだったので、見続けることに。4〜5話くらいから、『奇皇后』等の「史劇ハードエンターテイメント」とは違う、新しいタイプのよりリアリティに近い人間ドラマを、美しい、目に見えるような時間の流れと映像で表現しているのだな、と理解し、その旋律に乗ることが出来た。

『ヘチ』とは、古代中国から朝鮮にも伝わった伝説上の生き物だそうで、狛犬のような、獅子のような、麒麟のような姿をしている。けれど「正義の守護者」で、「人々が争った際に、悪のほうを滅ぼす」という性質があるそうなので、獅子、ライオンのイメージが強いのかなという気がしている。

時代的には以前見た「トンイ」や「チャン・オクチョン」その他、思い出せない幾つかの作品でも描かれている英祖(「イサン」のお祖父ちゃんにあたる)の若かりし頃。印象的だったのは、タイトルが「ヘチ」であるにも拘らず、若くして苦労した英祖が味わったのは、「善と悪の共存」がこの世界の真実であり、それを変えることは出来ないという法則。

韓国の歴史ドラマには多かれ少なかれ、このテーマはいつも流れていると感じる。けれどそれがタイトルでもあるように、最終回の結論的な概念となっていた。・・それでいいという訳ではなく。。

善に向かえばまたすぐに悪が追い付き、進んだと思ったらまた戻される。良いほうへと努力をし続けても、少しずつしか進まない。多くの人はそんな世の中の仕組みを知り、そこで諦めてしまう。若い頃の情熱や純粋さを失い、適度に悪(といっても極悪非道というレベルではなく、普通の人々の普通の慣習、怠惰など)に染まって適度に生きていくものだけど、

この主人公は違う、そんな姿に自分は目を醒まされた、という感じで、ストーリーの軸でもある重臣が政治から引退し陶器に絵付けなどしているラストの場面に、このドラマの言いたい事が詰まっていた。通常の古風な時代劇は、赤い衣装を来た重臣たちにはそのような人間性とともに描かれる事はなく、ただただ権力のために策謀ばかり巡らす、主人公にとっての「倒すべき壁」として描かれる。

けれど、寧ろこのドラマはそのラスト、隠居した大物政治家がその境地に至った事が隠されたメインテーマであり、最初から(若いのに)人間的に出来上がっている主人公とその周囲のキラキラした人々のほうが、トリクスターなのかもしれないと思わされた。その他、悲しみや傷心から堕ちてしまった悪役たちの描き方も独特で、流罪になる権力者なのにちゃんと反省している人々(笑)など、異例のキャラクターが多かった。

エナジーワーカーをしていると、善と悪のテーマは単に概念ではなく、エネルギー的な存在として体感される。最初に体感があり、人を善から引き離そうとする力の働きを見ることになる。善が働こうとすると、逆を向かせる力が常に動くことが見てとれる。「ヘチ」で示されたように、一進一退なのだという仕組みが良く分かる。

世界の全てにそれが働いているということを悟った時、尚且つ、自分は常に善を向いていようと決めた時に、大きな切なさに襲われる。けれどそれすらも乗り越えて、一進一退でも少しずつ前に進めればいいさという境地に至った(既に最初からそのように生きている)人々が『ヘチ』の主人公サイド。

ちなみにではその「善と悪」とは分かりやすく言うと何か?の問いの答えも、劇中のセリフでちゃんと現れていた。「利他」か「利己」かということ。「他」というより全体のため、愛ある人としての当然の行動を取る人。自分の利をベースに物事を考え行動する人。・・・悪というのは何も、特別な法外の行為を言うのではない。

そして「まあ今はこのくらいで」「今は周囲の(慣習・怠惰・日和見)流れに乗っておこう」という選択をしていると、それは結果的には善であろうとする人々の「邪魔をしている」=「悪に加担している」事に他らならないと、人間がもっと気づいていくべき時だなあ・・・と、感じ入りながら、身終えたのだった。

「日和見(ひよりみ)」は言葉が可愛いから、日本ではその深刻さが伝わりにくい。もしその便利な言葉が無ければ、言い換えれば「傍観者」であり、イギリスの諺「善人が何もしなければ悪がはびこる」・・つまり、悪に加担していることになるのだ。

タイトル「時つ風」

「程よい頃合いに吹く風」を意味する古い日本語。「自節に適った風」「順風」(Weblio)

眠ったままか、起きていても何もしない=悪に加担(日和見)の人々と、新しい風の時代に乗って自らを自分の意志で変えていこうとする人々と。

お試しや練習問題、その中で考え気づく機会を与えられていたシーズンが終わり、道が別れていく。今はそんな変わり目だと感じる。時の風をうまく生かして、人生のかけがえのない時間を、一歩一歩、刻んでいって欲しい。

Love and Grace

イギリスのこと

エリザベス2世女王陛下の御逝去にまつわるニュースを、日本では翌朝になるのかな、なぜかその日はアメリカでも日本のニュースでもなく、BBCを見ようと覗いて知った。6月の在位70周年の記念イベント、コンサートなどもBBCで(世界的アーティスト達がぞくぞく登場するので)目を離せず、長時間見ていた記憶もまだ新しい。

ごくごく個人的な、イギリスについての雑感を書いてみよう。というのも、ウクライナ戦線が始まった時、「ロシアのこと」として、ロシアにまつわる自分史的雑感をここに書こうと思っていたので(まだ実行していないけど)・・今回のニュースをキッカケに、振り返ってみる。

現生を生きる私にとっては、イギリスに実際に滞在したのは7泊8日、一度きり。24歳の夏、一人旅だった。ただ、心理的な、理由は分からないけれど直感的なイギリス、というメタフィジカルな枠でとなると、けっこう色々と浮かんでくる。まず、最初に個人的に抱いた、英国への感情というのは、「怒りと嫌悪」だった。思えば不思議なことで、むしろ過去世で繋がりがあったからこその反応だったと思う。

前にも書いたように、歴史ものの少女漫画や、日本の時代劇が好きな(笑)子供時代で、今思えば、要するに歴史が好きだったんだろうと思う。そんな私が、高校時代に専攻した世界史に没頭するうちに、フツフツと湧いて来た感情が、思春期特有の極端な反応も手伝って、「今在る世界的な問題はみな、かつてのイギリスのせいではないか」という反感だった。思春期の子供が親や大人の社会に対して抱くような、ちょっと頑固で視野の狭い感情に過ぎないが、当時の自分にとっては、日本社会への嫌悪感とともに、かなり強く抱いていた感情だった。

当時は、オリエントやグレコローマン、イスラム文明、古代中国や、チベット、シルクロードや中央アジアの歴史、ネイティブアメリカンの文明、などに好感を持っていたため、まあそうなるかもね、という筋ではある。でもアメリカ合衆国が大好きだったので、矛盾してはいる。(笑・いかにも若者)

それが不思議なことに、イギリスへの反感やある種、逆恨みのような(笑)若い怒りは、24歳で渡英するころには全く消えて無くなっていた。理由は定かでないけど・・19歳から仏教信仰をしていて(〜29歳まで)、過去世のカルマに向き合う修行なども個人的に続けていた中で、イギリス人としての過去世のようなものも実感されて、国が嫌いで、「脱出!」と世相に乗ったこともあってアメリカへ移住したような人物を、当時よく見ていた夢や、修行中のヴィジョンとして体験していた。

ニューヨークが好きで、初渡米として21歳の時に、短期留学をしてとにかく楽しくて幸せでしかたなかった訳だけど、ニューヨークの摩天楼の、意外と実は100年以上を経ているような古いビルの雰囲気が好きだった。街の作りも古風で、無秩序な日本の街とは違い、平安京や平城京のような碁盤の目のようなアヴェニュー&ストリートは心地よく、中央にセントラルパーク。なんて素敵な街だろうと。世界中の人と文化が集まっている。

白黒映像で見るような19世紀後半あたりのニューヨークにも、反応する所があった。19世紀〜20世紀初めにかけては、多くの移民がヨーロッパからアメリカへ。その玄関口はニューヨークシティ、マンハッタン島だった。そのあたりの記憶がとてもある。ゆえに、イギリスが嫌いなイギリス人で、ニューヨークに向かったのだろうと、信仰時代に自分の過去世のひとつを自覚していた。恐らくもっとも最近の過去世だろうな。この頃は、神智学協会の先人たちも多くアメリカに移住している。

ニューヨーク旅行から3年を経て、今度は仕事の夏休みにロンドン・パリへと一人旅をすることに。1997年。本当はパリに行きたくて、でもパリは敷居が高く、終盤の3日だけ滞在。ロンドンには確か7泊8日、週単位で借りられるウイークリーマンションのようなものを借りて滞在。毎日自炊しなくてはいけなかったけど、大概は地下鉄の駅近くのサンドイッチ屋さんでカスクートのようなものを買い、ハイドパークに行って、半分だけ食べる(大きいので)。残りの半分を持ち帰って、夕飯にする、みたいな生活をしていた。日本国内の一人旅でもいつも割とストイックな旅をしていたので、それで大丈夫だった。

美術館や博物館を巡り、ミュージカルを見て、多少の観光スポットにも行き。ただ、私のロンドンの印象、感想は「つまらない」「刺激がない」「なんか盛り上がらない」というもので、決してイヤではないのだけど、馴染み過ぎて、普通過ぎて、ワクワクしないというものだった。きっと、前世で住んでいたのだろうと思う。。東京のほうがよほど、居心地が悪くて緊張感がある(笑)。街並みや漂う雰囲気も、先にニューヨークを体験してしまったため、退屈に感じられた。でも、住むには良き、と思った。(その後向かったパリには、マンハッタンと同じようなワクワクや興奮があった)

パリからの帰りの飛行機、チェックインの際に「空いているから」とビジネスクラスに乗せてもらうという嬉しいギフトも。隣に座った日本人ビジネスマン(パリ在住とのこと)の方と、妙に話が盛り上がってしまい、聞けば獅子座生まれ、私は水瓶座。この組み合わせはワイワイと盛り上がり、楽しくなりがち(でちょっと危険)。そのおじさまがず〜っと、JALの素晴らしいおもてなし、ビジネスクラスの美味しいワインや夜食を次々と注文し、「お嬢さんもどうですか」というので、ちょっとした小さな宴、状態。そのうちに、キャビンアテンダントの方に注意され、ライトを消されてやっと黙る。

ヨーロッパを熟知するおじ様の楽しい話の中に、「イギリスは女王が居るということだけで、国民が深いところでの安心感、安定感を抱いている。アフリカ系の人々も、パリとロンドンでは全く違う」と。確かにそれはその通りだった。ロンドンの人々は、人種はどうであれ「イギリス人」をまとっていた。日本もそうだけど、ロイヤルファミリーが居るということが、いかに国際関係上、有利で、国民がその恩恵を受けているか。を、説いてくれた。そうか〜・・・と、当時まだ遠い存在のようだったイギリス王室のことを、その時、少しだけ身近に考えてみたりもした。自分がイギリス人であれば、どんな風に今の王室を捉えているだろうか?と。

その旅から、日本での日常に戻り10日ほど経ったころ、ダイアナ元妃の事故のニュースが。ロンドンに滞在し、バッキンガム宮殿前の広場でのんびりと過ごしたり、飛行機での講釈から少しだけイギリス王室を身近に感じるようになっていたタイミングでのその衝撃で、尚更に、英王室の歴史などを改めて学んでみようと思うようになった。パリにも滞在し事故現場近くも体験していたので、驚きも身近さも、普段の自分が感じたであろうものよりも、強まっていた。

その後ゆっくりと時間をかけて(子育ての時期など中断も経て)、映画観賞をする際には自然と、イギリスの歴史もの、王家の周辺を描いたものが多くなって、我が家にはちょっとした「イギリス王室コレクション」の映画DVDがあったりもする。。。

とはいえ、日本の一市民として、やはり距離があり、もっと詳しく入り込まないとその複雑な歴史的な全体像は理解できていない。

日本の古代史、天皇家のルーツ、古代の・・奈良朝くらいまでの流れは、個人的興味の雑学と、奈良への旅を重ねて体感として自分の中にあるような感じ。明らかに、双方古い歴史を持つけれど、内包しているテーマは全く違うと感じる。イギリス、現在のウインザー家の王統は比較的最近、ドイツから血縁をたよりに迎え入れられたもの。単なる血筋や家だけではなく、日本でも、イギリスでも、土地・・・に重要なテーマがあり、そこで展開するロイヤルの系統は、そのエネルギーを継承し(もしかすると秘されて存在している)神秘を、取り扱う担い手としての役目を引き受けておられるのでは・・と、思ったりもする。

日本とイギリス。ずっと前から一人でブツブツとこういう場所に何度も書いてきたけど、秘教的に、世界が維持される上でのキーとなる二つの土地、と感じている。

呼応しあっている。実はここで、バランス、のようなものが生み出されているような気がする。詳しくは分からないけど・・

日本の王統、皇統はどうなるのでしょう。このまま行くときっと男系が貫かれると思うけど、ここで変化を作る時、という気もしている。

Love and Grace

マヌのお仕事

先週、水曜日の途中から何か集合場での重たい空気を感じていて.. 今朝は少し抜けたような気がする週末の朝。

神智学が伝える「マヌ」とは、文明の管理者のような立場。文明といっても、インダス文明、黄河文明、のような地域ごとに発生する小さい規模だけではなく(それも含めて)、人種期の準備をし、その中で生まれる各文明を概観し、歴史の流れを見守りつつ必要な修正を加えたり刺激を与えたりしながら、ひとつの人種期の「終わり」を見定め、そこで得られたデータや記録を保管しつつ、実際の「終わり」を演出。そして次の人種期へと引き継ぐ・・というような、壮大なプロジェクトの管理者のような人々。人というより、ソウルたち、と言った方が良いかも。シャンバラの一部門に属する。

この説明は神智学の本からの内容に、私のフィルターも入っているので、「本に書いてあるのと違う」と思う方も居るかもしれない(?)。やはり体験重視、体感重視なので、尊敬する先人たちの記述や教えがすべて、というよりは、自分の感性や体験をまずは中心に据えて、それを理解・整理するための手がかりとして、偉大な先人たちの著書を紐解く。そう、神智学に出会う前に、既に『ハピの巫女姫』において、何気に「マヌ」として地上で生きる人々を書いていた・・彼らに付けた、インスピレーションからの名称は「ヤ・ヌー」・・(笑)ダジャレのようだけど。。

「人種期」とは、レムリア人種、アトランティス人種、現在の「アーリア人種」のような大きい「型」という意味での人種。ひとつの人種は恐らくエネルギーシステムやソウルシステム、カルマシステムなどのレベルでその都度、デザインされ、実験のような段階を繰り返して「完成」され、リリースされる。iPhone のモデルみたいなものなのかもしれない。。時代、世代によってアプリケーションやOSも変わっていく。

今の我々の「アーリア人種期」は、『ジェネシス』では12000年前から始まっている。けれどちょっと気になるのが私たち日本人含むモンゴロイドはアトランティス人種だとどこかに書かれていたっけ。旧モデルらしい。ガラケーのような立場?(笑)

・・これは書かれた当時の時代意識によるものかもしれないとも思う。神智学の先人たちは霊能力と、研究者としての頭脳と態度を持ち合わせていた天才たちばかりではあるけれど、やはり生身の人間である限り、生きている時代の意識から完全に抜けて中立的かどうかはまた別で。人種的な、偏見・・というほどではなくとも「先入観」くらいは、あるのかもしれない。時々、読んでいて感じたりもする。

だからこそ、定期的に?人間界にやって来て、情報をアップデートしなくてはいけない。そんな役目もやはり、多く地上に転生しているマヌ部門のソウルたちの仕事なのかもしれない。と思ったりする。

私の中に在る、最初から在った、気づいたら創作物の中で物語の主軸に据えていた「ヤ・ヌー」という名の「マヌ」のソウルたちは、今後も恐らくすべての小説の中で主軸として描くのだろうと思う。最初に書いた歴史もの、文明ものである『ハピの巫女姫』はまさに、主人公の巫女姫を含めて、ヤ・ヌーたちのやっている仕事が「マヌ」そのものだ。これは後々から、神智学での「マヌ」の記述と出会って、『ハピ』を書いてから15年以上過ぎた時点で気づいた。ほんの数年前に。

ひとつの文明期の終わりに立ち会い、そこでの人々の動きを、「神々」のニーズに合わせて導き、自らもそのニーズに沿った役目を引き受ける。そして、次の新しい文明の始まり、デザインに関わる。時に神の化身のようになって、チャネルとして高次のエネルギーを地上世界のグリッドや地上の人々の生活の中に刻みつける。

人として生きながら、自分個人の人生の大きな流れは、選択の余地は無いのかもしれない。けれど、それは既に選択している結果なのだろうと。何をしに生まれて来るのか? 忘れているゆとりは無い。魂の選択により、人間世界に来ているのだから・・「思い込み」を逆転させれば、それが見えてくる。

マヌ、に限らず・・魂はもれなく、選択によってこの世界に来ている。けれど、地上での仮の「人格」が主導権を握ってしまうと、自分(人格)の良いように振る舞うことが「選択」であると逆転する。そうそう、「自由意志」としてそれが許されている上に、それを見破り、乗り越えて(という言葉に抵抗がある場合は「統合して」)、本来、ここに来た理由に気づき(思い出し)、それをどこまで実践出来るかに、残った時間を使う。転生は、その繰り返し。

経験の深さは人によって違うので、気づき(目覚め)が早い人は子供のうちから自分の道を見つけたりする。し、カルマ的な課題をすでに終えていれば、邪魔立てすることなくその使命を手助けしてくれる環境の中に生まれる。天才児が、その才能を見出し見守れるような両親のもとに生まれる、例えばそんな風に。

またまた話が逸れてしまった。

デザインしたものを種として物質化させて(種とはまさに情報を詰め込んだ奇跡のような仕組み)、それが育つための土壌を整え、種を播き、芽吹いて育つのを見守り、見届けて、・・・最終的にはまた種として保存・保管して、次に受け継ぐ。そんなマヌのお仕事を、地上で体現して生きる「ヤ・ヌー」たちの人生はきっと、作って、育てて、広げては畳み、を繰り返しながら、静かに洗練させたエッセンスを、また次の創造に使う。そんな事の繰り返しのように(他者からは)見えるかもしれない。

自分自身も、魂よりも人格の響きが大きいうちは、そんな現象に悲しんだり、虚しさを刻んだりするのかもしれない。それを、人間界レベルの「パターン」や「人間関係の問題」だと、思ってしまうのかもしれない。当人がそう思い込んでいるうちは、実際にそうなのだ。それは全てのカルマにおいて、言えること。

当人が、悲壮感や虚しさという幻想のトリックを抜ける、超えることが出来れば、ただただ、魂の仕事に打ち込めるのだけど。それが中々、難しい。だって私たち、生身の人間だもの。このトリックゆえに、「目的」のコースを出入りするソウルも多かろう。けれど迷うことは、操作できないのに無理をして壊れてしまうよりは良い。分からない時は、立ち止まったほうがいい。自分だけでなく、周りをも壊してしまったら大変だ。そういう人も見て来たから・・無理は禁物。

更に話が逸れてしまった。。

難しい話はさておいて。人はそれぞれの人生を見つけて、それぞれの人生を生きる。見つかっていない人は探せば良いし、偏見や思い込みを外して心を澄ませれば、すぐに見つかる。どんな人生でも良い。けれど、全てに共通してどうしても破れないルールは、「愛」と「清浄さ」に向けて生きるという方向性だ。これを破ってしまったら、何度でも逆戻りして、やり直しを繰り返す。毎日、「愛」と「清浄さ」に向けて生きているかを自分に問う。そうすれば、魂と人格は自然と統合されていく。

Love and Grace

文明に秘された真実

歴史上、争いの絶えない「禁断の土地」つまり紛争地域。そこは、古代遺跡や遺物が多く何らかの「古代の秘密」が眠る土地であり、紛争によって破壊されたり、禁足地になるなどして、人類が古代の秘密、つまり自分たちが宇宙のルーツを持つということを知らないままでいさせるという、力が働いているのではないか・・という仮説。これも自分の以前からの興味と響き合うテーマで、面白かった。

『古代の宇宙人』(ヒストリーチャンネル)から。

やはりこの番組の制作サイドは、視点が通常のこの手の分野を扱うメディアとは一段違っていて、押しつけも無く、中立的で心地よく見ていられる。
紛争、歴史上の征服戦争など絶え間ない争いの中で、古代の叡智に手が届かないようにしている力が働いている、というけれど、エジプトなどは堂々とピラミッドや遺跡が発掘されているではないか・・と思うかもしれない。が、実はほとんどはまだ砂の中で、発掘できているのが何と1%程度だという。

いわゆる古代エジプトの時点で既に砂に埋れた遺跡が多かったというから、さらに古い時代。エジプトの「神代」は『ゼプテピ(最初の時)』というらしい。きっとアトランティス、或いはアトランティス終焉後の始まりの時だと思うけど、都市がまるごと、まだ埋まっていると考えられる。また、エジプトの王朝衰退後、ヌビア、アッシリア、ペルシャ、そしてギリシャ(アレクサンダー大王)と異民族が支配している時代が長く、文献や遺物は多く破壊されているという話は有名だ。(アレキサンドリア図書館も)

メソポタミアの大図書館も、中国でも、王朝が変わるたびに古い叡智は破壊され、書物は焚書にあっている。西洋人による「新大陸」征服も同じく。小さな島国日本でもおそらく、隠蔽された時代があったことだろう。縄文の記録や、太古文明の名残の建造物、聖地なども。聖職の人々の血筋や、存在も抹消されていったのかも。

チベットは密教による国政だけではなく何らかの古代の叡智を守るために、鎖国状態だったという話はよく聞く。中国による侵攻でダライ・ラマがラサを追われた数十年前から、中国軍はやはり宗教遺物の破壊などを行っているようだ。

歴史上よくあるこの人間の慣習、他文化を否定し征服者としての自分たちの歴史に塗り替えていくためであろうと思って来たけど、この番組ではそこに、地球に関わっている宇宙人たちによる力が働いているという仮説を提示している。理由は、(数名の話者によって若干の見解の違いはあるが)人類にまだ「真実」を知らせるべきではないという配慮、あるいは宇宙人側の事情、都合から、文明や人類の状況を操っているという。。

それが悪意かどうかは置いておいて、その通りだろうと思うし、実際に「ハピの巫女姫」や「ガイアナ神謡集」で(2003~2006年に執筆)そのように描いていた。ただ、番組ではそこまで踏み込んでいなかったけれど、ニューエイジのスピで言われているように、様々な宇宙存在のグループがあり、人類と文明を巡って色々な事が起きている、というのがポイントだ。人類の進化を見守り導く勢力、そこの「親子関係」の邪魔をし人類あるいは地球を搾取し、利権を得ようと?している勢力、両者の拮抗。もっと様々な勢力、グループが混淆しているのかも。

中南米にもジャングルの中に膨大な数のピラミッドや都市があることが近年の衛星写真などから判明したが、政情不安や危険な組織による占拠で近づけなくなっているらしい。イスラム諸国でもニュースで伝えられていたように、多くの遺跡が破壊され、博物館などの収蔵品さえ襲われ壊され、失われている。イスラエルの神殿の丘は、秘密が隠されているというが、3宗教の争いから発掘調査なども難しい。

日本でよくある「天皇陵」により発掘できない古墳や、神社などの禁足地なども・・もしや、そのような宇宙由来の何かを守るためという事も考えられる。

この「古代文明の遺物に残る真実」に触れさせないための手段として「人間同士を争わせる」ことが起きているとすると? 番組で紹介されていたのが、人間の遺伝子に手を加えて、暴力性を引き出すというちょっと怖いけどありそうな話。最新の遺伝子研究で、マウスで実証されているそうだ。ウイルスを遺伝子操作して脳に埋め込み、特有の光パルスを当てると、その信号を受け取ったマウスたちが暴力的になり争い始めるという。

当初番組が放送されたのは(シーズン9だから)2019〜2020年頃だと思うけど、今見るとちょっとデリケートで、人ごとではない世の中になっている。。。

たとえば埋め込むのが「暴力性」ではなく「怠惰性」でもアリかもしれない。というか、与える刺激によってそれを変動させることも可能かもしれない。ラジャス過剰にするも、タマス過剰にするも、操作できるということになる。これはあくまでも「古代の宇宙人」の話で、地球外生命体、つまり人類を作り、古代文明を導いた「神々」であった彼らは、遠からず確かに遺伝子や、パルスを操作しながら、地球上をマネージメントしてきたはずだ。もしかすると、神智学でいう「宇宙光線」もそうかもしれない。=光パルス

『ガイアナ神謡集』の中で、やはり「神々」が人間界に対して「周波を変える(水脈などを通じて特定の波動を流して人間界の波長を変える)ことで意識を変化させる」「一定の時代の記憶を全人類から消す」「一神教の神に扮して信仰を与える」「遺伝子に変化を齎すために神々が降臨し人間に受胎させる」などのエピソードを、描いている。今、もう執筆から15年を経て、「古代の宇宙人」のような映像化された「資料」や、ヒーラー仕事としてまとめた「ジェネシス神話」などがまた足がかりとなって、「失われた時代」の人類の歴史、その特殊な時代を生きる人々の生命叙事詩を、書いていくことが出来そうだ。

私の仕事などはあくまでも文芸作品・芸術作品であり、考古学でも科学でも無いから。空想や夢想を盛り込みながら、美しい叙事詩に編み上げていこう。『翠の公子』、始まりの章とだいたいの流れは、『神族の巫女姫』を書き終えた2006年時点から既に頭の中に流れていたけど、先日急に考え事をしていたら、最後の結末が浮かんだ。・・私の執筆パターンでこれはとても重要なファクターで、最後が決まれば、向かう先がインプットされるので、あとは自動で途中途中の物語は出来上がっていく。人物たちが勝手に喋り、場面が展開し、国が、歴史が動いていくのだ。

いよいよか・・長かったな。15年のブランクを経て。note での連載?が始まったら、興味ある方はぜひ、読んで下さいネ。

Love and Grace

(注意:ネットで「翠の公子 ガイアナ」と入れると全く関係ないサイトが出て来て、当時(ガイアナの配信が終わった頃)私が書いていたコメントの一部をペーストしているものを見かけましたので、ご注意ください。時々あるのですが、関係のないサイトです)

小さな長老

涼しい筈のヨーロッパや、広いアメリカでも国土の多くが猛暑。元々暑い地域では自然発火で山火事。世界各地で次々と洪水。見る人、感じる人によってはこれは「黙示録」の時代の始まりだと思ってしまうのも無理はない。。とは言え、心配したり憂いていても仕方ない。

これからもっと大変になるかもしれない。けれど、時代に翻弄され過ぎていく時間は、私たち一人一人にとっては(輪廻転生はするけれど..)たった一度の人生。自分というアイデンティティや、人生に対する意図を持っていないと、名前の通りの「平成」の頃とは違い、令和そしてこれ以後は、次々起きる大きな波に飲まれていってしまいそうだ。

「レムトラ」ページを編集していてつくづく思ったのは、今から14年前だから文章表現は稚拙、視点は浅薄で、スピ業界からの影響が強く出ていて、やれやれという感じはするけれど、高次から受け取っていることの核心は同じで、ずっとずっと変わらず、ブログ等でも他のワークでも、同じことを言い続けている。
それは、「意識の進化」

意識は急には変わらないから、システム全体からそこを目指していく。システムというのはオーラ、チャクラ、肉体も含めたホリスティックなシステム。けれどメタフィジカルを担当しているので、エネルギーワークによって整えていくという立場に立っている。

整える、と言っても揺り戻しやアップダウンがあるのが人間で。そうさせる仕組み、つまり進化しないように働く仕組みとは何であるかを研究する流れになって(しまって..)、今あるような、アルガンザの活動になっている。けれど、核心はずっと変わらず。「意識の進化」

そのために、努力を惜しまず活動を続けている人々を、私は「仲間」だと考える。どんな分野であれ。

小さい子供は、「なんで?」「どうして?」と何でも訊いてくるものだけど、あの純粋な疑問は、大人たちが作った世界の不思議な、不自然な理不尽さや矛盾を突いてくるもの。 子供の頃、ハートの中心にあるものが私たちの魂の「自然」であり、その目線を通して『??』と思うことが、「不自然」なものとして発展してきたルールや現実なのだろう。

人間は、生まれ出た当日が最も賢いそうで、アメリカで行われた研究によると、小さな脳の中に、大人の2倍ものニューロン(神経細胞)が存在した状態で、人はこの世に出てくるそうだ。 ヒトの魂の歴史が、人間の一生に反映されるという観点からすれば納得できる。

アルガンザのジェネシスに照らせば、新生児はアンドロメダから創造の為にやって来ているセラフィムたち、ということだ。 セラフに出会った時、確かに新生児のような姿をしていた。しかし彼らは叡智の存在、銀河系の長老なのだ。アンドロメダに戻っても、他の形態存在たちよりも波動高く、創造主つまり宇宙の始まりのエネルギーに極めて近い。

赤ちゃん、子供たちは、小さな賢者。

地球という惑星をデザインしたセラフィムたちにとって、相変わらず囚われの多い地球人類の意識状態のもと、地球自体が危険に晒されるような破壊と自然界の混乱が強まっていくばかりのこの状況は、もどかしい限りだろう。けれど、人間は生まれ出た時に彼らの叡智を体現している一時がある。

世の中が変わっていけば、いつか、新生児の時に持っていたニューロンを失うことなく、人は賢いまま育って、年を重ねていくような時代が来るのかもしれない。

Love and Grace

情報時代の中で。– 脳・知恵・アカシック —

この日記でも先日触れたダヴィンチ。元々興味の対象であったけど、ヒストリーチャンネルで度々、取り上げられている(「古代の宇宙人」「ノストラダムスエフェクト」)ので、以前見て途中で挫折した映画の「ダヴィンチ・コード」と、その続き2作、計3部作を最近見た。
原作ジャンルとしては推理小説なのね、ああ・・こういうのを推理小説というのか。(笑・小説を読まないヒトなので世間知らずなこと一杯)
ダヴィンチコードはその「ネタ本」と言われるマグダラのマリア関連の書籍を幾つかを読んだし、この筋の話(フェミニズム)には昔から割と拘っているのでうむうむと見終わった。リアルタイムではDVDを人から譲り受けたので当時見てみたものの、あの暗さに耐えられず断念していた。あの頃、ヒーラーになった初期の頃で、映画も、ヒーリング系以外の音楽も受けつけられなくなり、完全ビーガン、ノンアルコール、という純粋生活になっていたので、暴力シーンも含め、とてもダメだった。だいぶ人間に戻る修行?を経ている今は何とか見れた。

3作とも、ルーヴル、ヴァチカンなどの教会や美術館になっている宮殿など、美しい背景、脇役勢の豪華なキャスティングも良い。宗教象徴学者という主人公の設定もあり、スピな西洋史好きな人には確かに魅力の要素が詰まっても居る。

推理小説だからか・・誰が善で誰が悪かわからない。視聴者も騙されながら、何度も「あれ?」を繰り返す。原作者のパターンなのか、結局は「悪」というか罪を犯している人々の、そこに至っている理由がなぜかどれも切ない。私利私欲のためでなく、「人類のためだ」と誰もが言って(思い込んで)いる。3作品ともそうだ。行き過ぎた宗教や思想、カルトのようになってしまって、地上の人間としては犯してはいけない罪を犯しているという。主人公の教授(トム・ハンクス)は常に正義の人だから、今ここに居る人々を守る、当たり前の人間としての善なる心・・・で、決して揺るがない。アメリカらしいキャラクター。

フランスだったりすると、こうは行かないのかもなあ。ヨーロッパの神話や映画は、その点、絶対正義で終わらないことが多い。

3作目、2016年に公開されていた「インフェルノ」は一番、考えさせられる。なるほど、こういう映画を世界中の人が見ていたとしたら、パ○デミ○クが始まった時に「来た!」と思ってしまうかもしれない。この映画では、ペスト菌を撒いて世界の人口を半分に減らそうという思想に取り憑かれた人々が描かれている。当然、教授はそんなことは許さないという立場であり、何とか阻止して、世界を救う。前から思っていたものの、過日にこのパ○デミ○クの話題について触れた時、省略してしまった一文をさっき、追加して来た。

その主旨は、どんなことでも、人間の世界、三次元だけで頑張って考えていても、答えは出ない。人が生きる世界なのだから、人の道から逸れてはいけないのは当然のことだし、どっちが正しいのだろう?正反対のことを言う人たちが居るではないか・・・となった時に、結局、善か悪かという話になってしまう。どちらが陰謀で、どちらが救いなのか・・・という具合に。

そもそも・・に立ち返ると、人間とは何ぞや。この世界とは、何なのだろうかという問いに、現代人はあまりにも、物質的な思考しか回らなくなってしまった。

物理学などの科学が、少しずつ・・メタフィジカル、スピリチュアルを説明できるようになって来ているから、その両極が融合されていく時代を、待つほか無いのだろうか。。

(またまた)「古代の宇宙人」視聴メモ。私も本を何冊か持っている著名な瞑想家、チョプラ博士が登場。その回は「アカシックレコード」を扱っていて、氏が瞑想を始めると脳波にどのような変化が起きるかを科学的に測定、分析していた。後頭部の一部分が急に活性してくるのが分かるそうで、日常の人間的世界とは違う領域に、脳が反応をし始めていると分析出来るとか。瞑想する人ならば皆、それは自覚出来るはず。

だから、繰り返し、繰り返し、お客さんや生徒さんには「瞑想やセルフワークをしてください」と言う他なく、3次元にアクセスしている時間と、5次元的な領域に波長を合わせている時間の割合で、その人の調整具合が決まっていくとも言える。脳が3次元にしかアクセス出来ない性能になっていれば、5次元に波長を合わせようとしても難しい。最初は誰もが初心者だけど、継続は力なり。

そのうちに、普段から5次元の脳波をキープ。となってくる・・と、ネガティブな思考は生まれず、人間同士の感情などに左右されない意識を保つようになる。

面白い話!と思ったのが、国や分野は聞き漏らしてしまったとある最近の研究発表で、「世界の全く別の文化圏、繋がりのない人々同士、情報交換のないままほぼ同時に」同じ発明がなされたという過去の事例を調べたところ、148件見つかったらしい。アカシックレコードをクラウドに喩えていて、発明家のような人々はそこにヒラメキという形でアクセスしていると考えられるが、人間には脳の未発達という壁がある。クラウドに、高次(この番組では地球に関わっている「地球外生命体」と呼んでいる)が「そろそろ良いかな」というタイミングを見計らい、データを乗っける。と、

脳の性能の良い人で、無意識にアカシックにアクセスしている人はそれを察知し、受信し、「あ、ひらめいた!」となるのではないかという話。これは、私的にはとても納得できる考え方で、まさにそのようなイメージがある。人類は常にそのようにして、その時々、開示された情報を(まずは賢人から、少しずつ、やがて全ての人が)受信出来るようになっているのだろうと。

アカシックレコード=クラウド 説もとてもよく分かる。更にいえば、(誰もが自由に書き込める)ウイキペディアのようなもので、絶対的な存在が記録したもの、というわけではないので、人々の集合意識が認識している情報が、アカシャの歴史的記録になっているのだろうと思う。各集団ごとのミニアカシックみたいなものもあって(まさにサーバやウェブの世界のように)、変化は「百匹目のサル」のような現象で、いつか全体に広がっていく。

もう少し、神智学的な世界観で想像すると、一般の人々用のクラウドとは別に、周波数の違うクラウドサービスもあって、そこにシャンバラのような領域からの、「この先の人間社会の道筋」「人類の意識進化」に関する情報が、掲載されている。常にアップデートもされる。というイメージ。神智学の教えでは、そういった情報は「得よう」として得られるという訳ではなく、チャクラのお掃除や、心や思考(オーラの各層)のお掃除が進んで、良いエネルギー状態になっていれば、自然とアクセス出来るようになっていく。これを、「知恵」という。
ここにアクセスする人が増えていけば、自然と人類全体の意識進化は起きていくし、よりよい世界になっていく。

今は、その見えないクラウドやウェブのようなシステムが、物質世界にも現実として存在する時代。情報が駆け巡る時代だから・・情報同士が戦っているような印象もある。そして、私たちの「脳」というコンピュータも、それに翻弄される。意識できる部分と、そうでない部分も含めて。人間は、現時点で、脳を数%しか使っていない。けれどきっとそれは人によって微妙に差があり、また育てていくことも出来る。五次元意識は、瞑想により活性するという領域を日々、刺激することで、他のチャクラの浄化とともに、その人の存在周波数を変えていく。

すると、三次元の物質的な流れだけではない、物事や他者の中に見える本質的な意味を、感覚できるようになっていく。出来れば道具に頼らずに、日々コツコツと。

このようなコンセプトで「ヒーラーズカレッジ」やマスタークラスのテキストやワークは作られている。生徒の皆さんは、気づいていただろうか・・・?(書いてあるから気づいてたよね・笑)and 磨き上げた周波数を、持続できているかな。

Love and Grace

過去を見る目で今を見る

4部作のようになった、「パン○ミ○ク」絡みの日記記事の、今日はしめくくりになるかな?

というのも、いつものように長い時間をかけて考えたり感じたり、高次に求めたり受け取ったり、その間、その間に、体験がともない、直感でキャッチして、改めて整理し、ようやく理解できてきて・・お腹に収まる、更に時間をかけて時期をみて、こういう場所で一連の流れを記して、ご縁の方々や、必要でたどり着く方々へシェアする・・・というプロセスが終わった時に、高次からは「答え合わせ」が来る。

今朝、見ていた(またまた)「古代の宇宙人」。リアルタイムで配信されるものを素直に見ているので自分が選んだ訳でもなく、『地球外ウ○○ス』というタイトルがちょうど巡って来た。

シーズン3だから2011年に放送されたもののようだ(#23)。この番組の基本コンセプト「色々なものが地球外から来ている」のテーマの中に、過去の歴史上のパン○ミ○クを事例に話が展開する。そう、世界史において深刻な被害を出したパン○ミ○クが始まる直前、白昼、人々の目に触れる形でUFOが目撃されているという。古記録などからも多く例を挙げていた。

この番組がすっかり気に入ってしまったのは、映像や音楽などの演出と、出演者のクオリティ(UFO系の作家のみならず各分野の学者や専門家なども次々と話者として登場)だけではなく、何か根底にあって垣間見える制作側のコンセプトのようなものが、自分の基準に近く感じられたから。中立的でありながら、やはり基本は、「人類を生み出し、見守り、進化を導いている存在たち」としての「地球外生命」という像が、はっきりと存在しているように見える(今のところは。私の見方がズレていなければ)。

けれど、思想を押し付けるようにならない配慮か、(・・うん、まあ必要だと思う・・・)「絶対そうだ」とは言えない中立の立ち位置で一応は、毎回のテーマでさまざまな古代文明と宇宙の関連性などが紹介されている。「地球外のウ○○ス」は、上述したように地球外から、UFOなり隕石なり、宇宙存在たちが意図的に地球上にもたらしたものではないか、という話を、二極の可能性で紹介している。一つは、地球外の勢力が地球を滅ぼし手に入れようとしている、あるいは地球人を使って実験をしようとしている、などの、悪意によるものという考え方。

もう一方はその逆。人間の社会や文明のあり方を「正す」「気づかせる」ために、そのような手段を取る「神々」が居るのかもしれない・・という。

番組の終盤、結びのように、よく出演される考古学者の方が次のように語っていたのが、「まとめ」として配置されていたのではないかな。

「病気は人を変える。疫病を通じて、人間を進化させることも、進化を止めることも出来る。感情や思考に集団で変化を起こすことも可能。世界文明としての地球を変える何かが起きているのかもしれない。その準備をさせるために、『神々』(地球人類を作り、その歴史を見ている宇宙存在たち)は時折、歴史の中で(疫病を通じて)人類に準備をさせるのかも。」

・・・前回の日記に書いた「ライトボディの目覚め」にあったように(あれは宇宙存在や大天使のチャネリングによる本)、ウ○○スや、疫病という形態を取っているけれど、それが人類を進化させるためのスイッチ、である可能性を、ヒーリングなどの自己浄化体験を知っている人ならば、実感とともに理解できるだろう。ヒーリング後の浄化期間、好転反応が起こり、それが過ぎ去った時、スッキリして軽くなり、生まれ変わったように感じられたり、今まであった思考回路に変化が起こり、リニューアル、というのはよくあることだ。

そうかと言って、多くの人が犠牲になるのも仕方ないと言っているわけではなく、もちろん、医療や社会全体も、力を合わせて奮闘し、その難局を乗り越えるべき。その態度も含めて、個人の成長と同じく、試されるのだろうと思う。

この問題を、人間界だけでフラットに(単に三次元のみで)考えてしまうと、人間界の中で陰謀を企んでいる人や組織が居るとか、映画「インフェルノ」他のように人口を減らそうとした誰かが○イ○スを撒いたのかも?という、人間同士の分離的な発想になり、恐れが増幅・感染していく。そもそもの人間という存在、生命は大自然の一部であり、大自然とは神の領域、あるいは具現である、という視点を忘れずにいられれば、落ち着いて考えられる。

研究とはすべて、今と未来のために行われているものだと思う。どのようなジャンルも。過去に実際に起きたことを検証し、データを集め、考察し、今に生かして未来、よりよい現実世界を作るために生かしていく。

自覚したのはいつ頃だったか・・小学生くらいかな、歴史が好きだったお陰でとても役に立っている。特に研究史とか、研究者の人生そのもの、などに興味を持つことが多くて、ここ数年は、カレッジのマスタークラスのコンテンツや、ジェネシス世界観の構築のために、人文・宗教系だけではなく、自然科学や物理学など本来苦手な理系の分野でも、先人たちの歴史的な研究、発見や、その周囲で起きた各界や社会の人々の反応などについても、本を読んで来た。

シャンバラのような場所(善の高次領域)と繋がっている才能のある誰かが、使命に突き動かされるように、人生を賭けて素晴らしいもの、人類にとってプラスになる偉大な発見をした時、大概、既存の学術的な領域の人々はそれを冷ややかに見る。(テクノロジーや医学については余り抵抗なく新発見が受け入れられるかもしれない)

突拍子もない、既存の固定観念の枠を超えたものを見せられると、人々は抵抗をする。けれど、少しずつ事態は動き、認められていく。その後、また揺り戻しが来たりもする。歴史・考古系でよくあるのは、新しい資料が発見され注目された後に、「偽書だった」と「暴かれる」「叩かれる」などの抵抗する力が働く。けれどこれは、「古代の宇宙人」でも、映画「ダヴィンチコード」でもそんなセリフがあった気がするけど、一旦世に出してみたものの、人間の受け止め方がまだまだ期待するほどではなかったから、取り下げよう・・というような、高次の計らいが働くこともあるのかもしれない。

そんな風に、これから起きることも、誰かが何かを証明した途端、別の視点が挟まれ、論争になったり、良い流れが生まれては掻き消されたりするかもしれない。情報が混乱し、混迷していく中で、その都度、踊らされる社会であっては、ますます混乱を深めていくだろう。現象の中に、どのような力が働いているか・・体感したり、本能的に感じ取ったり、一番良いのは自分自身の高い部分(分かり易く言えばハイヤーセルフ)と連携し、人間社会に渦巻く二極のどちらかに、その時々でなびくのではなく、自立したエネルギーと意識をキープし、自分自身としての意図を、常に繰り出せるようにしておくことだ。

知識だけでは賢く学んだことにはならない。けれど直感だけでは、渡り歩くことに限界がある、複雑で混迷した時代の到来。

ほどよく知識を吸収しながら、実践・体験とそれを結びつけ、物質だけではない物事の道理、エネルギーの法則を体と感覚で身に付け、知識とともにそれで自身を磨き上げていく。

そのプロセスで、多くの、不要なものが外れて、静かに落ち着いていく。

ただ知識を身につけるだけでは、自分自身が複雑化していく可能性がある。(男性性の傾向)

ただ直感でその時を渡っていくだけでは、何が起きているか分からないから、未来について無関心になる。(女性性の傾向)

どちらも、危険な落とし穴を生み出す。メタフィジカルな学びにおいて、バランスの悪さは、成長ではなく、持っている性質をより色濃く深めることで、問題が根本的に解決しないゾーンにはまってしまう。

水瓶座時代の自立したニンゲンとは? バランスのとれた、迷わず、踊らされない、自分自身の内側から答えを引き出せる人、ではないかと思う。そこを目指していければ・・自然とそこに多くの人々が向かっていれば、パン○ミ○クは必要なかっただろうし、戦争や大災害のような更なる刺激も、止めることが出来るのではないかな。

日本に直接、迫る脅威のようなものは、まだもう少し先、10年〜15年先のような気がしている(あくまでも私の本能)。その間、社会の変化が感じられたら良い。高次は常に情報を更新し、プラン変更をするから。

みんな頑張っている筈だ。それぞれの分野で。

Love and Grace

モノリス

またまた「古代の宇宙人」視聴メモ。アルガンザのジェネシス神話、の中のアトランティス中興記〜末期や、自分なりに20歳ころから考えて来た「超古代」(歴史として認められてはいないけれど存在していたと思われる失われた文明期)、その「空白」時代に設定を置いて20年前に執筆した「ハピの巫女姫」「ガイアナ神謡集」(現・世界樹ブックス)、そして、それらの背景にあるシャンバラを含めた多次元的な地球という構造論・・と、通じる部分多く、うんうんと納得しながら、理系の方々が解説したり実験したりで論拠を見せて頂けるので、ありがたく。

2009年の最初のシリーズ5話は全部見て、新しいヴァージョンも見ていると、同じ話題を改めて取り上げていることも多いよう。けれど繰り返して貰えることで頭に入るし、NASAや考古学的発見、各ジャンルから上がってくる最新の研究結果などは常にアップデートされる訳で、大枠は同じでも更新して再び番組に・・というのは更にありがたい。

今のところ、日本のことは全く出て来ないけど・・(それは雑誌「ムー」などを開くと良いのかな?日本ではきっとそうなりますネ)日本で発見された「特別なもの」と同じと思われる話が出て来た。最初のシーズン、第四話から。「モノリス」を扱った回。モノリスとは、巨大な一枚岩による石造物のこと。ストーンヘンジのような。驚いたのは、エジプトやメソポタミア、南米にもあるオベリスクは、一本の石で出来ているとか・・アメリカで近年作られ首都ワシントンに聳えているオベリスクは、石のブロックを積み上げているそう。

(その後、ほぼ全シーズン視聴しましたが・・日本の話題も時々、出て来ています)

前にもどこかで聞いたことがある、ギザのピラミッド「発電所」説。細い左右の通路から薬品(物質の名前を忘れた・・)を流し込み化学反応させ、地球そのものの振動(シューマン波のこと?)を起こす仕組みと、その化学反応によって猛烈な勢いで水素ガスを発生させ、ピラミッドの先端部から放電。それを、近くに設置されたオベリスクが受信して、バランスをとった形で(電波塔の役目)放流。世界各地にある受信システムがそれを受信する。ストーンヘンジのような巨石建造物もその受信システムだったかもしれない。という話。

もちろん、太陽崇拝や天文観測の意味もあったと個人的には思っているので、ストーンヘンジ自体がどうかはわからないけど、ピラミッドとオベリスクに関してはとても納得。エチオピアにもオベリスクがあるそうだ。古い文明があると言われている場所だし・・(日本には無いのかな?もしあるとしたら、きっと熊野ではないかと直感的に思った。

モノリスの例として、ボスニアヘルツエゴビナやコスタリカで見つかったというほぼ完全な球体の石。わずかな誤差しかない球体を、硬い花崗岩で作っていて、大きいものだと直径3メートル。・・・これです、これ。奈良県の「神野山」付近で、工事の際に直径7mの巨大な球体が幾つも発見されたという話。近くには様々な超古代巨石文明の形跡が見つかっているよう。大好きな羊がいる牧場も近くにあるからぜひ行きたいと家族に頼んだものの、奈良に住んでいる間は見に行けなかったなあ(車が無いと行けないような所なのです)。

真剣になって探せば、きっと日本も。いや世界中で、アトランティスの痕跡も見つかるだろう・・し、ハンコック「神々の指紋」のように、頑なに有史時代の遺跡だと言われているようなものの多くが、実はアトランティス・・や、(名前は何であれ)有史以前の遺跡であることは多々なのだろう。インダス文明の遺物と言われているモヘンジョダロが、核爆発で滅びたという形跡が見られるという研究もあるとか。南米にも。そうそう、リビアングラスも、核爆発から生まれたガラスではないか・・という話もあった。インパクトガラスと言われているけど、隕石が落ちた場所が特定されていないのだとか。

オベリスクに花崗岩が使われているのは石英の結晶を沢山含むゆえで、伝導率を上げるため。波動を変換して電動するクォーツの力を応用したのだろうという話も。水晶の誤用・・でアトランティスが滅んだという説も確かにある。そうだ、カイラス山が、東洋の発電所だったという仮説も登場! カイラス、語源のカイラーサ(サンスクリット)が「ケーラーサー」=水晶、という説もあるので、水晶と発電・送電、の関係からも気になる。

アトランティスから今の文明期への切り替わり時期は、本当に興味深い。

そういう意味で、歴史はミニチュア化して繰り返すという事を改めて感じる。ミニチュア化、というのは、神智学では前文明のテーマやあり方を小さくして、次の文明の初期段階で体験・おさらいするという考え方がある。いや、本当にそうだと思う。それについても書きたい所だけど、長くなってしまうので、また。

Love and Grace

地球を守る力

先日も日記に書いた、ウェブ配信の「古代の宇宙人」シリーズ。今朝はクロップサークルと、古代の神々(宇宙人同士)の戦い、を見た。予備知識が無かったものの、毎日一度は見る時間があって、番組の特徴、構成が分かって来た。たくさんのテレビ配信サービスがあると言われるアメリカで、ヒストリーチャンネルという、名前の通りのチャンネルによる番組で、どうやら、この筋、つまり地球には昔から宇宙人が来ていた、今も関わっている、というジャンルで著名な本を書いている著者が次々と登場して語っている。

皆さん、だいたい同じテーマを踏まえているから、毎回テーマごとに、複数の著者や博士、時折それ以外の証言者が、同じテーマに対してコメント。その証拠画像や参考資料、再現CGや、実際に遺跡などを訪問した映像などが組み込まれている。見ているうちに次々とテーマも変わっていく、テンポが早い番組。私個人としては、今のこの時期、これを見始めたことが偶然とは思えない。もっとも、日頃から見る映画やドラマ、NHKのドキュメンタリーも含めてすべて、シンクロやタイミング的な意義を感じ、何かしらに繋がっていくので。

そうそう。もちろん、主題である「古代から宇宙人が来ていて、地球に関わっている」ことは分かっているし(笑)、出てくる話題はほとんど既に、これまでの25年くらいの読書や探究で知っている事が多く、それと、ヒーリングの現場で見て来たこと、体験するエネルギー、神智学からの情報も含めて、総合して私の中の「地球の宇宙史」が出来て、『ジェネシス』になっている訳だ。驚く事ではないわけだけど、二つ、今の自分に響くポイントがあると感じた。

ひとつには、本を買う時や、何らかの情報を受け入れる時、私は必ず著者や提供者の人相をじっと観察。エネルギーを感じて、判断するようにしている。日本語訳されて日本の出版社を通していると伝わりきれないものが、名前を知っている著者が実際にVTRで話している姿を見ると、人相やエネルギーがとても良く分かるので、画期的。「マル」と判断した時に、その著者が語っている情報は信憑性をもって入って来る。本の活字から伝わっても来るけれど、リアルさが違う。声、英語の発音、目の輝きや言葉のリズムなどに、何か・・ジェネシス原型の各種の宇宙エネルギーと結びつくものがあるのだ。

もうひとつ。ヒーラーとしてのセッションの現場での体験と、それが何であるかを知るために取り入れるようになった神智学やシュタイナー、インド思想や、昔から好きだった各国の歴史・文明史・人類学・民俗学・神話学・宗教学などの雑学的知識が結びつき、かつニューエイジのチャネリング情報なども参考にして、整理してきた結果の「ジェネシス」世界観。そうしよう、と思った訳ではなく、あくまでもヒーラーとしての仕事からニーズを感じて、深めていくうちにそこに至った。ジェネシスのような絵巻に「したい」と自発的に思ったことは、そういえば一度もなく。気づいたらそこに向かっていた、という感じ。

一方で、この番組で語っている著者の方々は、実際にある古代遺跡、次々と新しく入ってくる考古学的発見、UFO目撃情報、英米では珍しくない元々あるこの手の研究分野の新情報、そして神話や古代文献などの調査・・・・など、ジャーナリスト的に調査研究し、本を書いている。ヒーリングが属するニューエイジのように、「宇宙人とチャネリングしました。それによると地球とは・・」という話ではない。物的証拠や文書を当たるという点で、アカデミックな研究や、ジャーナリズムと同じ方法で本を書いている人々だ。

その情報が、自分が違う方面から集めて、構築してきた世界観と符合し、裏付けられていくのは、重要なことだと感じた。

その双方が功を奏してか、この番組を見ると波動が上がるし、意識が活性する。単にその手の情報が自分をそうさせる、というのもあるかもしれない。けれど、読書とは違う効果があるよう。最近は、その日見る内容を事前に夢で見ていたり、前日考えていたりして、番組を見て符号したことでまた、新たな気づきが付加されたりもして、自分でも驚いている。

もしや、レギュラーのコメンテーターのうちの何人か、本当に宇宙人(良いほうの)かもしれないと、思ったりもし始めた。(笑)

今日見たところから・・メモ。

地球を取り巻く磁気層、ヴァン・アレン帯は、隕石の落下や良からぬ宇宙勢力の攻撃から地球を守っているとも考えられる(現実的な科学者たちはもちろん別の事を言っているが)。シベリアに古くから現地の部族民にも伝承されている「大釜」(金属で出来た大きな釜のように彼らには見えたのだろう)は、地中に眠っていて、必要になると地面から出てきて、空から来る危険なものを撃ち落とす。。

それらについて話者たちは、インドや世界中の神話に見られる神々同士の壮絶な戦い。その戦いに勝利した神々が、地球と人類を守るために設置しているのではないか、と語っている。

人類を生み出し見守っているその勢力に対して、いまだ諦めずに人類を自分たちの為に利用するか、地球を狙っている、人類の未来の進化を恐れる別の勢力が、たびたび侵入を試みている。つまり、地球と人類をめぐる神々同士の争いは、今も続いている。

これはまったく、ヒーリングという特殊なジャンルの現場で、人々と、それを巡って起きている宇宙エネルギーの関係性の、古くは数億年前から、今に到るまでを見て来て、実感とともに納得する。

「スピリチュアル」な分野で、未来へのメッセージを受信し、宇宙からのエネルギーを運用する人が出てくればまた、同じ分野に紛れて、良からぬ(地球や人類を愛している訳ではない)エネルギーが似たようなことを通して、逆の効果を挟み、「良い流れ」を邪魔立てする。

これがきっと、どの分野でも起きている。

つまり、現状からしてノンデュアリティなどまだまだ程遠い。人間が賢く、その見えない善悪の攻防を見極めて、判別し、自分の生活や人生や判断を善の力、愛の力とともに作っていく時代の先には、自然と、二元性の相克が終わる時が来るだろうということ。

まずは多くの人が「気づく」こと。そして「見抜く」こと。そして「選ぶ」こと。

まだその段階なのだ。というか、今その時が来ている。分岐点。

ももクロちゃんの『Neo Stargate』が頭の中で流れ始めたゾ。(笑)

Love and Grace

lumiereblanche.shop

仕事のうつわ — 「仕事」で傷を負ってしまった時の分かれ道。

最近、見ている韓国ドラマは(常に何かしら見ている)『霊魂修繕工』・・見た方いらっしゃるかな? 霊媒師の話?と思ったら精神科のドクターとその患者である女性のラブ?ストーリー。

前に見ていた『マイディアミスター』についても、ヒーリング効果、ジェネシス原型を絡めて一度書こうと思っていたものの、まだ。←こちらもおすすめのドラマです。「霊魂〜」については、完璧な、他とは違うハートフルな、患者に徹底的に寄り添う精神科医・・・のように見えている主人公が、実はトラウマを抱えていて、PTSDで、周囲の仲間たちも認めるほど「病んで」いて、それを癒さないまま、罪の意識からワーカホリックになっている、という真実が、だんだん、明かされていく。

その先、どうなるのかな? きっと患者であるヒロインによって彼も癒されるのだろう・・ けれどまだ見ている途中。それにしても韓国ドラマは、ラブコメだと思って見始めても必ずと言っていいほど、それぞれが抱えているトラウマ、過去の深い傷、インナーチャイルドなどにスポットが当たる。時代劇だともう少し型通りという感じだけど、その分だけ「人間とは」「人生とは」なんぞや、の深いテーマが見え隠れする。きらきら系時代劇だと、現代ドラマの形態に当てはまるのか、やはりトラウマ、インナーチャイルドが出てくる。とにかくは心の傷、深い部分を扱う事が当たり前のように。

もともと遺伝子的にも近く、儒教や仏教の影響という点で、国民性もかなり似ているとは言え、やはり大国中国で常に起きている政変に巻き込まれながら、緊張感とともに生きてきた歴史は、平和ボケの(平和でありがたい)日本の歴史と、その結果の国民性とは異なるものを感じる。日本国内でも東北と西日本、九州、それぞれに「国民」性があるように。深くて深刻な文学や音楽が生まれるのは、ドイツや、ロシアなど寒い国・・であったり。歴史や風土から生まれる国民性というのは、やはり影響が大きい。

あっっ また話を広げてしまった。人を癒す仕事をする中で、自分が傷を追ってしまう事。その仕事それぞれに、はまってしまい易いテーマはあるし、はまってしまった時に、スイっと平常運転に戻れる人もいるだろう。変に真面目で人間愛が深く、仕事を生きがいだと思っていたりすると、長く引きずってしまうのだろうな。精神科医ともなると、下手をすると自ら、精神を患ってしまう(事も少なくない)と聞いたり、本で読んだこともある。

仕事をする上で起きた「事件」を、深い傷として自らに刻む事なしに、「仕事だ」と割り切って「こなす」先生になっていくのも、ひとつの道だと思う。一方でドラマの主人公になるようなキャラクターはきっと、その深い傷を乗り越えて、前よりもさらにヒューマニズムに根差した、愛に溢れた器の大きいドクターになっていくのだろうと思う。

韓国時代劇だと「可哀想な王様」がよく描かれますが・・若い頃は名君だった、とか、途中までは良き君主だった、という謂れとともに、心に傷を負った投げやりな暴君になっていたりする。この世には理不尽がいっぱい。最初は若さとともに希望や喜びで歩み出していたとしても、それぞれのフィールドに巣食う良からぬエネルギーと対峙し(周囲の人間や起きる出来事としてそれが顕現し)、問題はそこから先・・「こなして」いくか、「乗り越えて本物に」なるか、失敗すれば「壊れて」しまうことも。仕事に限らず、誰もがそのような課題に出会う人生後半、なのではないかな。

多くの人は「こなして」いこうとするだろう。だから、そうではない人がドラマの主人公として描かれる。本当はどんな生き方が美しいか・・を、人は知っているから、そのストーリーに惹かれる。

その「美しい生き方」の法則、そこに「シリウス」や「シャンバラ」が、あてはまると思っている。そのように生きなさい、と私たちの魂が言われていること。恐れではなく、愛を選択し、昨日よりも今日、今日よりも明日、大きな器に、より洗練された魂になっていなさいという、教え。

みんな、本当はそれを知っている。だからこそ、ヒーローとは何か、美しい生き方とは何かをドラマや映画、古くは神話、小説で描いている。それがシリウス、シャンバラの教えだ。と私は思っている。

けれど、そう出来ないという選択。愛よりも、恐れゆえの「安全」「保身」「不安を埋める」ために選択していく人生・・・は、多くの、普通の人々の人生であって、そんな姿がドラマや映画になって、うけがちなお国柄もある(それは日本)。さらには、堕ちていく主人公の物語がうけがちな事もある(社会が病んでいるから・・)

そうそう。人類の親だから、本当はみんな「シリウス」「シャンバラ」をよく知っている。だからこそ、そう出来ないという自分が(逆の力による影響が)強ければ強いほど、心がムズムズしたり、反発を覚えたりする。

難しいことをする必要はない。ただ、恐れよりも愛を選択する。利己よりも利他で思考する。という仕組みを、人生の中心に据えておくといい。そこが強固であれば、それと合わないもの、集団、人、と出会った時にも対処しやすい。揺れ動いていると、いつでも絡めとられるから、迷ったり、戻ったり、で、自分の心も落ち着かない。更に真面目さを放棄してしまうと、思考停止で、ただ潮の流れに乗る人になってしまう。

私が、新卒で入った最初の(かなり大きい組織・知らない人は居ない)企業の「新人研修」で言われたこと・・「上司の言うことを聞く人が出世します。仕事ができる必要はない。」

その会社に入って悩み始めた時、先輩に言われたこと・・「真面目なやつほど、みんな辞めていく。俺みたいにいい加減だとずっと残るけど。」

その会社を辞めた後に入った研究施設で、先生方いわく・・「本当は、どうすれば〇〇を防げるかの方法を専門家は知っている。けど、〇〇業界とビジネス的に癒着しているから、それは置いておいて、適度な効果をもたらすものを商品として開発する」

それから二十年以上経て、今の日本社会は、国際社会は、変わっているだろうか?

そのような社会構造や、人々の意識を、「神なる世界」は放っておくだろうか? 本当に今、人間は試されている。ある意味、追い込まれている。最後のチャンス、というくらいに。それをヒシヒシと感じる。

Love and Grace

Amari