奈良旅 2020年冬 シルフィードと大地の都、エソテリ旅。Vol. 3

前々記事・前記事 からのつづき

さてさて。

どうやら、前日(2日目)までで色々な層でのお仕事は終わったようで、最終日の3日目はだいたいいつも恒例の、盧舎那仏様へご挨拶。これは、20歳でひとり旅を始めた頃からの定番でもある。

なぜこんなに奈良が、奈良公園が、春日の森が(もちろん今回は行かなかった飛鳥や三輪も)好きなのか。自分でも不思議なほど。私は昔から自分に関係ある、ない、をすぐに感じてしまうような性質があって、人に誘われたから・・とか、メディアで取り上げられていたから・・とか、日本人ならば寧ろ普通かもしれない「周囲がやっているから」という理由で、自分が行動したり、時間を割いたりすることが出来ない。ゆえに必然的に旅などは一人でという事が多く、仕事も今のように自営業が合っているのだろうと思ふ。

興味を持つ分野は10代後半くらいで自我が固まってから殆ど変わっていなくて、それでも人間的に生きて行く上でのスキルの部分では、たえず大人になることを促されるので、少しずつ学ぶ中で、新しい分野をさりげなく?好きになったりもする。時が来れば学びや興味の扉が自動的に開くもので、「ちょっと好きかも」「かじって学んでみました」というコンテンツは少しずつ増えてはいく。

けれど、10代後半〜二十代前半に目覚めて大事にしていたようなものは、ずっと変わらずメインテーマであり続けている。一時、低迷した時代には見失うというか、手放さざるを得なかったり、ヒーラーの仕事で駆け抜けた初期の頃は自我意識が薄くなり、過去の記憶や過去の自分への興味が消えていき、ある意味、別の人になりかけていた(そうそう、その頃は完全にビーガンでノンアルコールだった)。その後色々とシステムから修正が入り、取り戻したり力を付けたり、鍛えられたり。そうなった時に、自我が大事にしていた「好き」もまた戻って来た。そのひとつが「奈良」である。

皮肉にも、奈良に移住して三輪山の麓にサロンを出して仕事に「熱中」していた4年間は、過去の奈良への愛着や、散策したいというモチベーションを失っていた時代。神智学でいう「熱誠家」にあたるのだろうと今では振り返る。スピリチュアルに自分が変容・成長していくことに情熱を持っているような時代。今では確かにちょっと違う。もう少し重たく、責任を感じているし、どう伝えたら伝わるだろう、何を残せるだろう、よりよい形にして人の役に立てるにはどうしたらいいだろう・・と、プロデュースする事に意識が集中しているし、そこにあるのは「情熱」や「楽しさ」でも「やりがい」でもない。

責任という力学を通じて行う、自分なりの愛の表現。そんな感じだ。

その中で、表現や思索を磨いていかねばという今のベクトルに、若い頃に情熱を感じていた奈良や歴史探求、哲学としての仏教や、美術・建築・思想などに触れることの出来る旅が、仕事の流れと統合されていくことが心地よい。「それなりに、キミの情熱と行動は、未来のキミのために役に立っているよ」・・・と、若い頃の自分に語りかけたい気持ちで、東大寺境内を歩いていた。

17歳くらいだったか、今の自分に通じるような、恐らく魂そのものの個性のようなものが固まって以来、頑張り過ぎて駆け抜け過ぎて、仏教信仰と修行、古代史探求と大和路めぐり、小説の執筆、ニューヨーク、ロンドン・パリまで一人旅、忙しい交友関係、日本全国に老若男女の友人たち、常にその人々の人生相談を引き受け、ロックバンドや作詞作曲、ライブ、観劇に大学の通信教育、夜間大学の受講・・・と。そりゃあパンクするよ、壊れるよ。と今なら思うけれど。その後、弾けるようにウツに落ちていき5年を過ごすことになる。

まだ元気で、奈良を歩いていた頃の、貧乏旅行を思い出す。ろくに食事もとらず、ユースホステルに泊まって真夏の炎天下を歩き続けたり。今と違ってスマホも無いので、ナビも時刻表も出せず、紙の地図とガイドブック、事前に書いてきた旅程の自筆のメモ、そして重たい(デジタルでもない)一眼レフカメラ。方向音痴だから道に迷う、電車を乗り間違える。奈良公園は節約のためか、もしかすると文系で左脳処理が乏しく距離感をイメージ出来なかったせいか、基本歩きで通していた。だから目的地に辿り着けず。などなど。

47歳の今は時間も体力も省エネ。バスを多用して移動。そして心強いスマホが居てくれる。不器用極まりない旅をしていたあの頃に比べて、エナジーワーカーとして15年以上を過ごしてきた今は、(スマホのお陰だけではなく)すべてがカチっと巧く噛み合い、運んでいくような絶妙な流れの中で、短い旅の中に必要なことだけがギュっと詰まっているよう。

「奈良」というテーマを巡っても、「vol. 2」に書いたように様々な時代を経て来た。情熱、移住、子育て、ヒーラーとしての関わり、二手に別れていた家族の統合、拠点の手放し。最終日3日目は、それらの全てに感謝しながら、一つの流れになって習合されていく現実、昇華されていく過去のエネルギーを、空に見送るような気持ちで、ゆっくりと歩んで盧舎那仏に会いに行った。

普段より格段と空いている境内。制服姿の修学旅行生と大仏殿・・が、むしろここ最近の雰囲気からして、新鮮に見えた。

定番のショットですが・・やはり少しだけセラフィー、シルフィーな雲がこの時、出ていました。同じ形で飛んでいる、まるで仏教壁画の飛天のような。

こちらも(去年の奈良旅のインスタ記録でもご紹介した)定番。複雑な歴史を持つ大仏殿の境内の中で、創建当時から唯一、変わらずに立っている青銅の八角灯籠。見上げるほど大きい。国宝です。

学生の皆さんから、盧舎那仏の大きさを感じて下さい。(勝手に・・笑)

脇侍は虚空蔵菩薩、反対側に如意輪観音。このお二人が身長7メートル。大仏さんは14メートルです。聖武天皇が創建した当時は、大仏も大仏殿もさらに巨大だった。今はこれでも縮小され、鎌倉期の再建・修復を経て現存しているものが多い。

盧舎那仏の後ろ姿。光背だけでも迫力満点。

こんな様子は見たことが無い・・人が映らない大仏殿。いつも人気の柱の穴くぐりもクローズされていた。

境内で近くを歩いていた私と同じくらいの世代の女性二人が「大きい!」「こんなに大きかったんだね」と、大仏殿が見えて来た頃に驚いていた。そうそう、同じ世代の方々・・私が若い頃に奈良に通っていてもまるで興味なさそうで。奈良出身の人にも「見るとこ無いでしょ?」と言われることも。友人たちが着いて来てくれた事もあったけど・・反応はいまひとつ。これくらいの・・つまり40代も後半になると、お寺や仏像に少しくらいは興味を持つのが一般的感覚なのかな? 自粛ムードで観光客がぐんと減っている中、もしやこんなご時世だからこそ、初めて興味を持って足を運んでみた、という人たちも結構いるような感触を肌で感じた。

テンション高めのアジア圏の観光客の皆さんの姿が無く。奈良好きで通っている風のご夫婦とか、スーツ姿で「仕事の出張で来たけれど時間が空いて・・」風の男性とか。手ぶらでお参りに来ている地元の方? そして本当は海外に行ける筈だったのかもしれない高校生の皆さん。いつもと違う、とても静かな奈良。だから余計に異空間、異次元に感じられて、統合と昇華の計らいを感じやすかった。

「光と影」

「陰と陽」

そんなキーワードもちらつく3日間だった。

帰路へ。大仏殿の裏手から。

ありがとう〜

家族連れかな。

去年の奈良旅でインスタに載せた、「講堂跡」の礎石の写真のシリーズ?を撮るため、同じ石を探したけどちょっと急いでいたこともあって見つからず。似ている石をお借りして記念撮影。今回の旅直前に、儀式的にブーツを新調していた・・・靴はエネルギー視点からも大事なアイテムで、現実をシフトアップしたい時には、良い革の良い靴を買い、古い靴を感謝とともに処分する。

ネットが無かった時代に写真集などで奈良に浸っていたのがスタート地点。その頃からの癖のように、大仏殿を遠くから望むような場所も好き。幾つかお気に入りスポットがあったりする。

感謝とともに。

(記事に載せた写真プラス、写真を足して、また違うセレクトで、アルガンザのInstagram にも投稿する予定。良かったら覗いて下さい。)

Love and Grace,

Amari

奈良旅 2020年冬 シルフィードと大地の都、エソテリ旅。Vol. 2

前記事のつづき

春日野を後にして、近鉄奈良にバスで戻り、特急で大和八木へ。待ち合わせも無事に出来て、要件は約1時間で終了。さてどうしようかな、八木まで来ているのだから、三輪に行く(桜井駅)ならば電車で10分足らず。時間的にもあと2時間ほどで神社仏閣や博物館も閉まるようなタイミング。三輪にいくのが自然かな、と事前には考えていた。けれど、前記事に書いたように今回、春日野で三輪を体験していた。だから、行く必要が無いと感じた。特急の車窓から三輪のお山に挨拶をして、桜井を通過。

何故だか分からないけど、無性に平城宮に行きたいと思った。平城宮跡は何度かレンタサイクルや徒歩で、近所のお寺やホテルに行く途中で見かけたり通り過ぎたりする程度で、ちゃんと「上陸」したことが無かった。せんとくんを生み出した遷都1300年(2010年)前後に、朱雀門や第一次大極殿などが復元され、現在も着々と工事が続いているよう。どこまで再現されるのか分からないけど、広大な平城宮の敷地内に、門や建物、庭園などが当時の姿で蘇っていくのならば、華麗なる李朝時代を伝える韓国ドラマのように、日本でももっと奈良時代のドラマや映画の撮影が可能になって、作品が増えるかもしれない・・それに期待したい。

話を旅程に戻すと・・・平城宮を特急の中から一望したらば(電車で通り過ぎていてもしばらく続いているほどに広い)、ススキが一面に広がっているエリアがあった。あそこに行こう、と決意しつつも、もうひとつ、同じ大和西大寺駅を拠点として散策できる大好きなお寺がある。秋篠宮家のネーミングの由来になった「秋篠寺」。ここも、二十代前半の一人旅の中で好きで何度も訪れた場所。有名過ぎるほどだけど、美しい伎芸天の仏像が人気で、奈良時代から現存している本堂それ自体も国宝。苔むしたお庭も風情があって、全体に清潔感と、守っている方々のセンスの良さ、伝統的な洗練された美意識の高さを感じるお寺。

好きで通っていた、とは言え、何年振りだろう。。。奈良に住んでいる四年の間は結局、行けそうで行けなかったから、かれこれ。。。二十三年振りとか(!)なんと。

山門から、参道に入り、風情のあるお庭を片手に玉砂利を踏む。

時間があれば、ゆっくり眺めていたいようなお庭。(私はちょっと急ぎ足)

こちらの可愛いお堂が本堂。奈良時代から立っているって、法隆寺もそうだけど奈良のお寺ならでは(ダジャレではなく)で、京都は応仁の乱による焼失、再建が多いから、奈良のように古くは無い。やはり独特の古さと、大切に守られてきたオーラを感じる。正確には鎌倉時代に大修理を経ているとのこと。

このあたり、平城宮に近かったエリアなので、当時の皇族がたが発願しているお寺が多い。この秋篠寺も光仁天皇による776年の発願を受けて建立、その子にあたる桓武天皇が平安京に遷都したころに完成しているよう。光仁天皇もなかなか、奥様の井上内親王ともども、悲劇の人でもあり。そんな事を思いながら、参道・入り口を経て、こちらの本堂とその前の玉砂利の広がりに出たら、午前中に春日野で見かけていたエンジェリックな雲から、またすこし様相を変えて、乱舞する羽毛のように。

何故だかここで、ほろりと・・泣けてしまった。

二十三年振りの伎芸天。それから、当時はあまり意識を向けていなかった御本尊は薬師如来。脇侍に、日光・月光菩薩。「薬師十二神将」が、6人ずつに別れて御本尊の左右に。それから地蔵菩薩と不動明王が対応するように左右に。そして伎芸天、対応して反対の端には同じサイズの(共に造られただろう)帝釈天。さらに、区切られた空間の外側の左には「五大力菩薩」という、とても菩薩には見えない、天部かなという怖い形相、武装しているような五体の躍動感ある像。反対側にはコワモテでどのお寺や博物館で見ても引いてしまう赤い肌をした愛染明王。ここも、左右の両端でとても良い感じのバランスだ。

伎芸天は名前からしても分かる通り天女という事で伝わっている。けれど、体つきからして女性ではないことが分かる。本当は何の像なのだろう?といつも興味深く見つめてしまう。けれどご正体が何であれ、とにかく美しさに魅了される。(とても有名な仏像で、検索するとすぐに出て来るので宜しければ「ぎげいてん」と入れて見て下さい)

そんなに広くはないお堂の、中心部、薬師如来の前に立つと、左右のバランスの良さと全ての仏像が調和してひとつのグループを成しているような一体化した迫力が迫って来る。目を閉じて全霊でそれを浴びる。体の芯まで、浄化されていくよう。

お堂の中の小さなブースに座っているのは普通、御老人の職員さんというイメージがあるけど、お守りを買おうと思ってふと見るととても若い、高校生・・大学生かな?お兄さんが座っていた。こんな素晴らしい場所に静かに座っていられるのだから、徳を持っているのだろうな・・なんてオバさん、思いながらお守りを頂く。

お堂から名残おしい気持ちで外に出ると、再び見上げた羽毛の空に・・もう一度泣けてしまった。春日野で解けたものについて、感じてみる。こういう時、「赦し」のような現象が起きるものだと思っていた。ところが、却って、何だか分からないその「相手」に対しての「許せない」という魂の声は高まっていた。それは意外だった。とても静かだけれど、よくよく声を聞いてみると「許せない」「許してはならない」「許す必要はない」という。

けれど全くそれは「感情」や「想い」ではなく、まして「怒り」でもなく。ただエネルギーを読み取り直観する魂の、ありのままの感覚だった。ジャッジメントではなく、自然界の法則と同じように、ナチュラル、自然そのものだった。

「許せない」===けれど、自分が先方に何かを返す必要はないということを、潜在意識ごと悟った。受け入れた、というか。宇宙が返すのだから、自分がやり返す必要も、心や魂を損なわれる必要も、気に掛ける必要さえない。ただ、宇宙があるがままを返すのだから。と。

何でしょう?前世の記憶なのか、いにしえ人の集合場からの受信なのか・・・この、春日野で起きたエネルギーの解放と、秋篠寺で静かに払拭されたことによる気づきの2ステップで、とにかくこの境内では震えるような涙がお腹の底から湧き上がった。

何度か、お礼をしながら境内を後にして山門をくぐる。

バスで大和西大寺駅へ戻り、そこからもう一度、今度は平城宮跡に向かうバスに乗る。

既に夕方で、日が沈んでしまいそう。

何とか、間に合いますように。

間に合った!

おまけに夕焼けで、広大な宮殿跡地と復元された建造物、ススキや紅葉が美しい。

大和盆地の向こう、生駒山系(大阪方面)、そして間近には午前中に出かけていた春日方面の山並みも。秋篠寺から1時間も経っていないのに、エンジェリックな雲たちはどこかへ消えていて、今度は長細く横たわるような優しげな雲。

ありがとう、奈良。

先刻の用事は不動産の売却が成立したための契約。20歳の私が大好きになってしまい、そこから通い続けた5年間。その後、精神的な低迷とともに旅にも出られなくなって5年が過ぎ、30歳を過ぎてからヒーリングと出会って、癒しの道へ。ヒーラーの仕事が安定し始めて33歳の時に奈良へ。一年後に新築の分譲マンションを買い、家族で桜井へ本格移住。その後、シュタイナー学校進学のために娘と二人で横浜へ。2010年。

残してきた両親が今年の10月に神奈川へ。その準備として私たちは先に中古住宅をリフォームしながら待ち受けていた(詳しくはインスタにあり)。まだまだ先かと思いきや、急に買い手の方が良いご縁で現れて、トントンと。これで本当に「奈良の家」は無くなる。けれどまったく執着もなく、不思議なほど寂しさもない。

春日で三輪を体感した、というのとこれは似ているのかもしれない。もう奈良は・・というか、奈良への自分自身の愛着やノスタルジーは当たり前のように自分の一部になり、奈良というテーマは外にあるのではなく全てが自分の内側にある。いつでも自分の中から感じることが出来る。それを確認するために、これからもまた通うのだろうし、若い頃のような切望はもちろん無い。

ごく当たり前のようにそこに居る。ただそれに感謝する。そういう存在になっている。

他の土地や、他の興味についても同じで・・・ひとえに、私自身の変化によるものと言えるかもしれない。欲する、望む、求める・・ということは無い。ただ内側にある響きを、確認するために、響き合わせるために、どこかから聞こえるサウンドに呼ばれるように足を運んだり、何かや、誰かに、出会ったりするのかもしれない。

写真↑の正面奥に写っているのが「朱雀門」。結局、ここまで歩いて平城宮の反対側へ抜けることにした。朱雀門前のバス停から、バスでホテルに帰る。

(たぶん、「つづく」)

Love and Grace,

Amari

奈良旅 2020年冬 シルフィードと大地の都、エソテリ旅。Vol. 1

テレビを見ない私でも、さすがにニュースがちらちらと目に入り、世相的には旅をするタイミングではないと感じつつ、冬の奈良へ。どうしても避けられない事務的な要件があり、最初は「代理人では?」とか「オンラインでは?」と尋ねてみたくらいだったけど、そうは行かないということで、ならば一年半振り、ご縁のある場所や以前から思い入れのある場所へ寄って来ようということに。

出発2日前に予約したホテルは平日ということもありガラガラで。去年利用した時とはまったく違う鎮まり感。さすがに観光地・奈良なので人が居ないという訳ではないけれど、いつもの外国人観光客のにぎわいが引いて、25年以上、奈良に通っている私の目には初めてというくらいに人出が無かった。無理もないけれど。私も本当は「自粛派」。

去年はやはり用事もあって二度、奈良に行っていて。確かSNS等では「ブログで旅日記を綴ります」と宣言していたけど、書けず仕舞い。もしかすると今回の記事を書きながら、話がつながって行ったりしたら、自然と去年の旅記録も載せられるかも?・・なんて淡く期待を抱きながら、今回は記憶が新しいうちに、書き始めてみよう。

ただいま、アルガンザでは今年リリースのプログレッシヴ版「エヴォリューション」の(プラクティショナー伝授は1年前に始まっていたものの)ようやく、クライアントの皆様にお届けする「ワークブック」の最初の2冊が配本できる状態になったところ。そこに至るまでの、いつもの高次が用意する試練のような流れを、執筆中の私も、ワークの現場を担っていくプラクティショナーさんたちも共有しながら、各自の修行、そして全体の潮流を体験し、関係する「サンダルフォンニュートリション」や、(来年改訂に着手する)「レムリアンセイクレッドレイキ」なども、同じ世界観の中つながり合うエネルギーゆえに動いていて、

新しい情報も多く集まり、それによって「ワークブック」の内容に手を加え、「天使」の一般概念をアルガンザ流でガラリと書き換えながらの「アルガンザ天使学」の展開(のまずは触りだけ。ライフワークくらいの難題でもあるから。)という動きも起きている。行く先々でエンジェリックな、天使の羽のような雲が、出発前の関東から、移動する先、する先に着いてくるように現れ、しばし感じ入って感謝していると、その地を去る頃には薄まって消えていく、を繰り返して。何かとても、意義深い時間なのだろうなと感じていた。

奈良に着いてすぐ、定番の奈良公園に。近鉄奈良駅から歩き出すとすぐに見えてくる興福寺で、お決まりの「最初の一枚」。さっそく、雲が凄かった。

先日インスタグラムに書いたようにトーハクの会員優待期限がなんとこの日、最終日。少しでも活用しなくては・・と、同じ国立博物館ならば使えるので、奈良公園内の奈良国立博物館へ。仏像館、ほとんど一人で見て回る(人が少なくて)ような状態で、とても贅沢。やっぱり、飛鳥・白鵬・奈良時代までの仏像が好き。せめて平安かな、けれど鎌倉期の運慶・快慶はやはり凄いと想う。

冷静に見ていると、どんな分野でもそうだけれど、上手い人の技術の高さは卓越して見えるものだ。とはいえ、素朴な市民が彫ったらしいというものでも、良い雰囲気で引き付けられるものもある。だからこそ、博物館で大事にされているのだろう。

雲が向かっているのか、そこから現れている(ように見える演出?)のか、大事な御蓋山(みかさやま)のフォーカスを予感させる。20歳の新人会社員時代に大和路ひとり旅を初めた時も、幾つかフォーカスしていたテーマのひとつが春日山付近の古代祭祀で、中途半端であまり深く掘り下げないまま年月が・・(27年も!)経っての今だけど、去年の奈良旅では、ここ10年くらい寧ろ避けていた春日について、「和解の旅」とか名付けて、興福寺の薪能と合わせて心をオープンにして臨んだ。ところが、ひとりよがりの「和解」設定はまあ、良かったものの、拮抗するエネルギーの厳しい逆流があり、やはりそう簡単な問題ではないのだなと痛感して帰って来ていた。

あれからそのテーマもすっかり忘れて、今回何も考えずに用事のために出向き、優待券を活用せねばという三次元思考で奈良国立博、に行ってみたらば、特別展示で「春日大社の祭祀」を取り上げていて、呼ばれた感じもし始めた。展示そのものはどう、ということでは無かったものの、「そう言えば主祭神はタケミカズチだなあ」「ヒタチの国から鹿に乗って御蓋山に降り立ったという伝承だったなあ」と考えていると、

昨年こころみた「和解」旅のカラクリ、個人的な魂の影響力などが解けていく予感がした。若い頃に春日山周辺に思い入れていた理由は、巫女らしい女性たちや女神系エネルギーの気配があり、恐らく縄文時代〜ヤマト国により再編成されるまでは、古来の神奈備だったに違いないし、なぜ神様が(栗本慎一郎氏が、縄文以来の本来の日本、ヒノモトの重要地だったと表現している)ヒタチ(茨城県)から、奈良に移動してしまったのだろうかという事を考えると、古代史に詳しい人々ならば言わずもがな、ご存知だろうけど・・藤原氏の台頭の影響によるもの。もっと言えば、藤原氏による、蘇我氏の権力・土地・神話・バックの神様 の乗っ取り・・というと言葉が悪いか・・・「成りすまし」・・もっと悪いか、まあ、そういう事なのです。(笑)

どこの国の歴史でも、いつの時代でもあることで。もちろん色々な考えの人がいるし、私は古代に興味を抱いた20歳ころから色々と読んで来た中で、エナジーワーカーとしての経験、体感や直感などもともに、ここ数年は、栗本氏の著書で展開されるソガ=イズモ(日本海側の広い範囲)、アズマ(東国・東北の広い範囲)の首長的な存在だったという説に、賛同している。もちろんルーツは、古来言われて来たように「渡来人」だとは思うけれど、早い時期にやってきて、ネイティブの縄文の部族社会と仲良くしていたのだろうと。

話が逸れたけど、

何か偶然ではない、博物館での「春日祭祀」に誘導されるように、翌日の午前中は春日大社の奥の方へ、行ってみようとふと思いつく。

そして明くる日。まずは、ホテルからバスで奈良公園エリアへ、「春日大社参道入り口」で降りる。本当はもっと大社に近いところまで、歩かずにバスで入りたいと思っていたところ(午後に大事な用事があったので体力温存のため)・・その路線が本数が少なく、「入り口」バス停を利用することに。けれどお陰で、昔は大好きでよく行っていた「飛火野」エリアを満喫できた。広大な芝、春日原始林から継続的に点在する森の巨木たち、鹿たちもここでは広々と群れで広がっていたり。そして、大事な神奈備も背後に見える。

2007年、家族がこの近くで大変な事になり、救急車を呼んだ。遡ればもっとずっと前、若い時分の旅でも、何度か「問題」が起きたり、ヒヤっとしたり、という経験が春日の森、春日野ではあり、2007年の一件から、以前の思い入れは引いて「近づきたくない」という気持ちが続いていた。去年の「和解」を経てもまだ、今思えば少しどこか、心を開けない感覚が残っていたのかもしれない。

今回、直前までのスケジュールが過酷だったので、一切計画を立てず。ただ博物館だけは行くというラフな予定から、結果的に誘導されてみると、この日は本当に世界が美しく違う次元に居るようで不思議。空気の粒子が違うというのだろうか。それでもヒーラーとしてこの数年、様々なエネルギーの拮抗を「研究」してきて、そうそう簡単に喜べない、簡単に解決するとは思えない、という構えが出来ていた。だからこそ全く期待をせずにふらりと向かう旅だったのが、良かったのかもしれない。

顕在意識ではよく分からないけど、何か過去生に関する記憶、更にその原型はアルガンザの「ジェネシス」概念で言う、「ジェネシス層」のいろいろに由来・起因している何かが、奥へ、奥へと登っていくにつれて解けていくようだった。春日のいわゆる「大社」は御蓋山の中腹にあたるそうで、今回インスピレーションを得た大社よりも奥のゾーンへ足を進めることにした。

飛火野で遭遇した、「鹿寄せ」という楽しいイベントは動画をフェイスブックに載せたので、良かったら覗いてください。

大社にももちろんご挨拶に立ち寄る。ちょうど御神事の最中で、琴と横笛、祝詞と巫女さん二人の舞の美しい場面にも遭遇。

御蓋山自体は神が降臨した聖地。ということで「禁足地」とされていて、一般ピープルはここから拝んでいいよ、という「遥拝」の場所が幾つかあり。その他、たくさんの摂社に出会いながら。

神社として、オヤシロを建てるようになったのは6世紀に朝鮮半島から仏教が伝来して、お寺という立派な建築物に圧倒されたヤマトの人々が、祭祀にも建物が必要だと考えるようになったから、と言われている。それ以前の神祀りは、きっとこんな風↑だったのだろうな、と思う。木々や岩を神なる場所として区切って、祭祀を行う。

これまでは自分の中に色々な区別、識別が起きていたのだろうと思う。今回、この春日の山の中腹や、森の中を歩いていて、「三輪」を感じた。20歳の旅で「ひとめぼれ」して通い続け、10年以上過ぎてからその麓に移住し、四年間住んでいた、三輪。

一方で、何かこう、興味を持って通いつつも、自分との相性の悪さを感じていた春日。けれどその幻想がスルっと外れて、「ああ、同じものだ」と腑に落ちたような瞬間があった。相性が悪かったのは、その地ではなく、歴史の断片、一側面、確かにそこにあったマジカルな力と、それが自分の過去生や、持っているエネルギーと出会すと実際に作用していた拮抗するもの、それが顕現して現象化していたこと。

人の感情にヒーリングが起きるのと同じような体験を、その土地、歴史的なテーマにおいて、体感したようだった。ただ、あるのは祝福と、光、感謝だけ。間に分け入って邪魔をするエネルギーにより、仲違いさせられていたような・・・喩えて言うならば。

そんな訳で、今回は三輪には行かなかった。その必要が無かった・・・春日で、三輪と会っていたから。

そして!

面白い「落ち」もある。旅から帰って来て一晩過ぎて、翌朝気がついたのは、実は私、自宅のある神奈川県、サガミの国のアースワークのためにあれこれと調べたり、ソフィア他、クリスタルでワークしていた中で、つい最近「これは春日信仰について調べないとな」と思っていたのだった。信じられないことに、旅の道中、まったくその事を忘れていた。けれど春日信仰の中心地、春日大社と春日山には行っていたという。笑

昔から変わらないこの天然振り。ここが高次と仕事をする上ではきっと大事なのよ〜・・ある種の才能なのよ〜・・と、自分に言い聞かせてみたり。

そうそう。もちろん、春日信仰という言葉によって私がイメージしていたのは、縄文の石器時代の人々による太陽崇拝=春分の日、春の太陽(春の日・カスガ)、にまつわる信仰のことで。春日大社がタケミカズチ神を主祭している、というのとは内容が違う。ゆえに春日大社に行きたかった訳ではなくって、春日信仰がおそらく縄文の人々によって行われていた一つの拠点であった春日山、御蓋山に行き、その空気を体感することが、ポイントだったのだろうと後からしみじみと理解する。さらに、その地で「三輪を感じた」ことにも深く納得。三輪山も同じように、縄文の人々による太陽崇拝の拠点であったのだから。

時間がないのと体力的にもかなり問題がある中、ただ導かれるまま駆け抜けたような旅だったけれど、とても重要なエネルギーの動きがあったと感じている。

長くなりそうなので、幾つかに記事を分けることにします。

今日はこのくらいで。〜〜「つづく」〜〜

Love and Grace,

Amari

報われない偉業

大シフトの8月、も終盤のせいか、糸を手繰っているうちに自分でも深い、大きめのもの(消化・昇華するべきテーマ)が出て来た。

去年から少しずつ、奈良の家からオフィスへと、古い書類群を送っていた段ボール数箱。なかなか本腰を入れて整理できずに月日が過ぎていたところ、今週は助っ人の手もあり、作業を進めることが出来て・・

 アルガンザになる前の「ロザリア」「天と大地」時代のサロンの記録のボリュームと、当時の自分の集中したエネルギーの注ぎ方が書類群から激しく伝わって来て、古代史探求や、20代の仏教信仰、さらには受験勉強なども同じくだったが、いつも必ずタイムマシーンを開ける作業(記録の整理)は、決まって物悲しくなってしまう。
もう定番だったので、そういうものだと思って気にして来なかった・・・が、今回スタッフさんが手伝いに入っていたことで、客観的な視点が自分の中にも生まれて、「この悲しい感じ、変ではないか?」と、自覚するに至った。実際には過去の努力・奮闘は報われなかった訳ではなく、必ず良い結果を連れて来てくれた。パーソナリティの中心はその部分をちゃんと分かっていて、信念のようなポジティビティもある。けれど、そこから分離している「何か」が、悲哀に変換してしまうのだ。
冷静に堀り下げてみようと決意した瞬間に、整理している書類の中から、2007〜8年ころ、当時メル友のような関係だった東北に住む女性 — 同じ歳、同じ本名の、タロットや占星術やチャネリングアートをしていた女性が見てくれた、星読み&サイキックリーディングの鑑定結果の書類が、出て来た。
「秘教の研究においてトラウマがある」と書いてあった。当時は「秘教の研究」と言われても読み流していたようで印象に残っていない。けれど今ならば、「秘教徒を前世でもしていて、続きをしに来ている」と数年前から生徒さんたちにも話していたからよく分かる。加えて、何らかの研究者としての「トラウマ」については、ちょうど考えていた所でもあった。
石巫女クラスで取り上げたウェーゲナーの「大陸と海洋の起源」を、最近持ち歩いて電車で読んでいたりもしていた。私はこういう、「先駆的な研究を堂々とやってのけたけど、悲壮感の中で死んでいった」とか、「まだ時代に受け入れられず当人は絶望の中で早逝した」とか・・「研究者の悲哀」に妙に敏感なのだ。そしてこれは、最後に残った「理由のない感情パターン」でもある。
ヒーリングと出会ったころ、今世では身に覚えが無いにも拘らず自分の中に深く入っていて、ネガティブな感情反応を生み出しているパターンを多く抱えていた。私の場合、ネガティブの中身はほとんど「悲しみ」や「虚しさ」「恐怖」などだった。父権制への恐怖、十字架、ギロチン、高所恐怖症、閉所恐怖症、伴侶である男性の死と犠牲、そこへの罪の意識(「ハピの巫女姫」のリーヴ、「ガイアナ神謡集」のレオダイなどに反映)、などなど。それらが一つ一つ、セルフワークやセッションを通じて癒されていった。
自分になぜか入っている多くの原型的エネルギーからの感情パターンがクリアリングされると、本当に嘘のように「反応」も消えていき、そのような感情に理由もなく落ちるようなことは、無くなるもの。これは或る意味とても「科学的」だと言える。感情や思考が情報の注入、セッティングであり、的確な手順でそれを外したり中和できれば、翻弄される自分のメカニズムそのものが、無くなっていく。
この数年どうも、悲しい末路のエピソードがあったり、偉業の割にはパっとしない人生、みたいな先人たち(研究者・執筆家)にシンパシーを感じていた。かつて若いころは上記のほかに、「狂ってしまった人」や「自殺する芸術家」に同情するクセがあったが、これらもまた、過去生を癒すことであっさりと消えていた。この二つは、実際にそのような過去生が、比較的新しい時代にあった為に、影響が強く出ていたパターンだった。
「秘教研究や執筆の、(前世の)続きを、今世でやっている」と自覚している今、その仕事に直結する、打破しなくてはいけないトラウマがあるのだと、漸く気付く。これを綺麗にしなかったら、この先には進めないというくらいに自分の今世の「本題」であるがゆえに、むしろ子供の頃や若い頃は息を潜めていて、ここ数年で浮上して来ていたのだろうという事にも、やっと気付く。
過去の自分の「反応」パターンを振り返り、その本質を理解するのに時間は必要なかった。。過去生では、自分の弟子、または共同研究者のような立場の人々に裏切られてしまったのだろうと納得する。そして過去生のさらに深層にある原型パターンを既に「ジェネシス」で紐解いて、体験もしているから、断定しやすかった。
アトランティス文明期、叡智のマトリックス「ソフィア」から、情報だけ取り出してソフィアとその守り手のエルフ界を破壊した「革命派」の人々。数年前、このジェネシス情報が開示された時、私はソフィアの意識になって、ウオンウオンと大泣きしていた(笑)。
先にそれを体験していた(鋳型を癒していた)から、もっとも近い過去生だったゆえに生々しくお腹の中に沈んでいたとは言え、意識を向けただけでスルスルと解け始めた。過去に大きなテーマと向き合うには、かなり大掛かりな体勢が必要だったり、長期的に少しずつ分かっていったりしたものだけれど。鋳型に先に触れていたから残照のようなものだけが残っていたか、またはこれからの仕事に直接関わるからこそ今、ソウルのデーターバンクから改めて降りてきて、お腹に入ったとも言えるかもしれない。
悪気のないちょっとした不注意(利己の波動)、人がついついやってしまうというレベルの利己による他者の侵害に、過度に悲しくなる性癖も、ここに起因していそうだ。人魚姫に助けられた王子がそれに気づかず魔女が化けた女性が命の恩人だと勘違いするシーンに、子供のころに号泣した理由も(笑)
ウェーゲナーの大陸移動説は、すぐには理解・評価・賛同を得ることは難しかったけれど、当人の死後、価値に気づいて取り上げる学者が出て来て、評価されるに至る。さらに技術革新からデータによって彼の気づき、研究、主張が正しいと認定される時代が到来した。こういったタイムラグが生まれるのは、「天才と凡人が居るから」で片付けられる問題ではない。自身に感情的な違和感があったとしても、それは自分の中に在るものが反応しているのではないか?という謙虚さとともに、「普通ではない」ことを言い出す人々の声と真摯な態度に、ハートを開く感性が、人々にあれば解決すること。
ある程度のワンネス的叡智の周波数の共有は、やはりこれからは必要だと思う。そうでないと、自由になった人類は各自の利己で暴走する。地球は持続可能ではなくなる。
・・と、話が逸れたけど。私個人の記憶だけではなく、
アトランティスにおいて、自我の目覚めを体験しつつある人類の中から、神なる世界に手厚く保護され、闇に染まる、利己で暴走する、という状態にさえ未だなりようが無い仕組みの中に居たところから、「俺たちは結構賢いから、何でも自分たちでやってみようゼ」という「革命」が起こった時、彼らは宇宙的叡智のマトリックス「ソフィア」を電磁的に攻撃して破壊し、かつ、ソフィアに蓄えられていた情報だけは自分たちが活用するために吸い取った(アルガンザ「ジェネシス」でのストーリー)。・・ここで、ソフィア側だったソウルは人類の(愛を注いでいた存在たちの)仕打ちを深い傷として刻んでいる。
「愛しんでいたものたちに、情報だけ持っていかれ、自分は滅ぼされる」
このパターンを持っている人々は、少なからず居るはず。ソフィアを守っていた存在たち、その世界、人間界に居てソフィア側だった魂も多く居たのだから。・・そういえば日本人は「判官贔屓」で、民族のDNAとしてはやはり、自然界系、レムリア系、ソフィアの守り手たち・・の流れを濃く継いでいるのかもしれない。そのために「大人になれない(進化に乗れない)」人々が多いのだろうか?
タイムカプセル、自分の過去の「頑張った記録」を見るにつけ、悲壮感に包み込まれていたことも、過去に多くの「反応パターン」が嘘のように消えた、思い出せないくらいに関係なくなった事例と同じように・・過ぎ去っていくものなのだなあ。。。と、意外な、不意にやって来た新しい秋の風の到来を予感している。
ちなみに上記の、占星術とタロットで鑑定してくれた女性は、私がまだ奈良に居たころに急な発病を経てあっという間に天に還られた。亡くなる直前、彼女が好きだった「マグダレーナ」という洗礼名で洗礼を受けてクリスチャンになっていたということを思い出して、これは偶然ではなく、彼女のスピリットがくれたメッセージだったのでは?と思った。というのも、ちょうど執筆物のための文献として、マグダラ関連の本を4冊並べて、読んでいた最近だったから。
太古フェミニズムが、縁を繋いでくれたのだった。女性性や女神のテーマは、自分がずっと前に昇華したために、最近はほとんど頭を過ぎることもなく。『聖娼』のキーワードで私を検索で見つけたと言っていたっけ。。もう15、6年も前のこと。マグダラの読書をしていても、申し訳ないことに彼女を思い出さなかった。けれど、私は当時何を読んでどんなふうに感動し、母系社会や聖娼制度の国を舞台にした「ハピ」や「ガイアナ」を書いたのだっけ・・・と記憶を辿ってはいた。なぜか抜け落ちていたけど、書き上げたばかりの「ハピ」をメルマガで購読してくれ、まだ高揚感でワクワクしているような当時の私の世界観を、ひととき一緒に、喜びとともに感じてくれていた一人だったのだ。
「過去の努力を振り返ると押し寄せる悲壮感」のパターンは過去生ゆえだと気付いたことで、過去も現在も未来も、創造の1本の流れにあるという、何か、「魂の生み出す力」のようなものが戻って来た。
そう言えば、世界史の中でもっとも「報われない偉業」と呼ぶべきは、近年までのマグダラのマリアの立場、だったかもしれない。ここ30年くらいで、報われつつある。2000年越しの誤解と偏見を超えて。本来、イエスと対等に扱われるべき人物なのではないか・・とさえ、思っている(ジョン&ヨーコのように)。世が世なら。つまりちょうどあの頃に盛っていった父権制・男社会へのシフトの波の中で、情報を改竄されることが起きていなかったならば。
いろいろと話が枝葉を広げつつも。
まさしく、変容の夏。
読んでくれたみなさまにも、華麗なる変容を!
Love and Grace,
Amari

New エソテリ、或いはメタスピ。

 

こちらのブログは「スピリチュアル」が好きではない、どこか怪しいと思っている(笑)人々にも読んで欲しい、そしてその「すぴ」の括りの先入観を外して、メタフィジカルな探求者の中には、宇宙文明とか惑星の進化とか言いながらもそれを歴史として取り扱い、真剣に人類の過去と未来、そして現在を研究し模索する中に身をおいて、何とかプロ(専業)として目に見えないエネルギー、魂というものをケアし導くという仕事をしようとしている者たちが居るということを伝えたいと、スタートして2年半が過ぎた。

同時に、そのような在り方をする新しい時代の「すぴ」を超えた、バランスのとれたエナジーワーカーたちが次世代、次々世代に生まれて欲しい、という両方向からの目的で、以前の「いかにもエナジーヒーラー」のブログ群を閉じて、リニューアルするべく開設したもの。

今書いた「目的」はこのブログに限ったことではなく、数年前からの、そして今後の私の活動指針でもある。2016年で一般クライアントの受付を終了し、2017年にはスクールの縮小、小数精鋭を育てていくマスタークラス、伝授、勉強会に的を絞って来た。来年春にそれらも終えることになっていて、一部の例外的活動(既にアルガンザワークのプラクティショナーである人々だけを対象にする伝授が幾つか来年まで続く)を除き、「エナジーヒーラー」としての仕事を「引退」する。

現場に立つ専業者は、一つ一つの事例に集中し、クライアントのニーズを満たすことで、サービス業としてお客様に報いる必要がある。それと、研究や新たな道を切り拓くための模索、広角で広い視野を持ち、未来に焦点を当ててその分野ごと「進化させていく」ためのチャレンジを、同時に行うことは出来ないからだ。

上記の、「真剣に人類の過去と未来、そして現在を研究し模索する中に身をおいて、何とかプロ(専業)として目に見えないエネルギー、魂というものをケアし導くという仕事をしようとしている者たち」は、もちろん昔からずっと居た。それは「秘教」とか「オカルト」とか呼ばれて綿々と一部の知識人たちに受け継がれ、時にアブナイ集団や思想を生んだ事もあるだろうし、最近ならば140年前のブラヴァツキーを初代とし、シュタイナー、アリス・ベイリー、そしてクリシュナムルティを輩出した『神智学教会』が知られている。

現在、ニューエイジと呼ばれている(日本ではいわゆる「スピリチュアル」)ジャンルは、ここから派生している。多くのチャネリング情報、ヒーリング体系、出版、スクールがどんどん生まれ、特に日本では「江原さん効果」でスピに参入した人々も加わって、質や方向性が錯綜し、今はかなり混乱している。

メタフィジカルな分野は、神智学、があれば十分だと実は思っている。そもそもブラヴァツキー夫人、2代目のアニー・ベサントの試みは、古今東西の秘教的叡智からエッセンスを追いつつ、直観や東洋の聖人の教えも取り入れ、、リードビーターやアリス・ベイリーは更にインドのヨーガ思想や哲学、チャクラやオーラの概念、ソウルシステムまでを現在の表現でわかりやすく説明した。思想の違いで離脱したシュタイナーは、単に思想や癒しだけでなく医学・建築・農業・教育・美術などあらゆる分野に神智学と直観的世界を活用しメソッド化するという「人智学」を打ち立てた。

そして、神智学教会の幾らか犠牲のような側面もあったクリシュナムルティは、人生の後半、そんな彼だからこそ説得力のあった独特の思想哲学を、ボームなど科学者とコラボしながら紹介し続けた。これだけ、天才たちが集まり、完璧な役割分担を演じたのだから、もうこれ以上、何も必要ないというくらいに、「すべて」が詰まっている。私はそう感じている。

けれど・・・アリス・ベイリー著書の中で、情報源であるチベット僧のジュワルカルは言っている。時代に応じて、探求者たちは変化(進化)していく。地球の表面世界に届く高次元世界からの光線、意識やチャクラに刺激を与えるウェーブも、変わっていく。その時代時代に生きる人々や状況に合わせて、伝えるための表現も、変化していく必要がある。

今は過渡期だと信じたい・・情報だけではなく、メタフィジカルなエネルギーも錯綜し、混乱している。向かう方向、引っ張っていこうとするベクトルがバラバラで、このジャンル自体が、以前のような心地よさや輝きを感じさせない。

深淵な神智学の語りに触れ、または効果のあるヒーリングと出会い、歩み始めた人々がそんな混乱の中で道に迷い、中にはガッカリしてしまうケースも多々あるだろう。

2002年、このジャンル(ニューエイジ、癒し)に本腰を入れて付き合うことになった私のキッカケは1本のフラワーエッセンス(花のエネルギーを転写した波動水)。なぜか最初から体感もあり、起きるものごととエネルギーの仕組みもすんなりと、理解できるという今思えば不思議な「初心者」だった。エッセンスを一回飲んだだけで起こる自分と周囲と体の変化や浄化の強さに驚いて、2本目を試すと、エッセンスの中に入っている植物の意識のようなものをヴィジョンで見るという体験をした。

20代の10年間、仏教徒として真冬の水行や、白装束での未明の登山などの修行をしていたという下地?があったからかもしれない・・過去生でも繰り返し「秘教」に触れていたからかもしれない・・・ともあれ、あっという間に強い信念を気づけば抱くようにになり、半年後にはヒーリング雑貨や石を扱うウェブショップをオープンした。計画したわけではなく、娘を保育園に入れるために「仕事を作らねば」という状況にお尻を叩かれた故だったが(幼稚園ママは自分には無理だと悟っていたので・・)。

当時のスピの主流である、女性的なハートの勢いで、エナジーヒーラーとして一気に駆け抜けた。来年春、15周年での引退となるが・・実際には、密度としては、それ以上だったと思う。これもまた計画していたわけではなく、シングルマザーゆえに娘を育てるという大業を前に、休む間もなく構えているところへ、うちのサロンの見えないマネージャーたちは次々と仕事を運んで来た。ヒーリングをする立場でも、そのエネルギーに常に自分が癒され、いつでも元気、やる気満々で駆け抜けていた。最初の・・前半の8年くらいは。

9年目に入った頃、あるキッカケから「パチン」とエネルギーの膜が弾けて、「スピ」というグラマー的集合エネルギーから、数秒間の時空変動のような体感とともに、醒めてしまった。ヒーリングスクールである「カレッジ」3期の真ん中、中級と上級の間の夏休み、8月のことだった。

カレッジ3期は、急に起こった自分自身の変化を反映させた章がテキストに幾つか追加され、また、1期を行いながら構築していったフルで1時間の「虹と大地の瞑想」を、知人の作曲家に頼んでオリジナルで音源化し、CDの形で仕上げた。つまりカレッジとしてはここで完成を見ていた。今振り返ると、カレッジだけではなく「新たに作る」「広げる」というエネルギーはその夏までの、前半の8年に凝縮されていたのだと思う。今整理してリニューアルしているオリジナルワークも、その頃までに原型が出来ていたり、情報を既に受け取り終えていたものばかり。その後のマスタークラス、ジェネシス、プラクティショナー育成も然り。

山のピークを登り切り、ゆっくりと降りながらその山を去るために整理をしている。2015年の夏からはそんな歩みの中にあった(当時は自覚なく、自分もやや混乱していた)。このブログを作った頃は、最初に記事に書いたようにまだ名前もなく、この先の表現活動を何と呼ぶべきか分からなかった。が、最近ふと「メタスピ」(「スピリチュアル」を超えたもの)で良いんではないかと思いつく。

そして昨夜、自宅でのこと。

デスク脇の小さなアンティーク風の棚の石は、手にとるというよりは置いてあるだけで高周波を発する「装置」のような位置づけが多い。シュンガイトやヌーマイト、メテオライト、サルファーなど。そのコーナーから珍しくグリーンアパタイトに引きつけられ、何となく手にして階下での夕食に向かった。部屋に戻り、元の位置に戻した時に側にあるシチリア島のサルファーを落としてしまった。が、何とも思わずそのまま明かりをつけずに、薄暗い部屋で瞑想し、就寝。

今朝起きて、朝日を浴びているデスク上に、レモンイエローのキラキラしたものが散らばっているのに気づいて、状況を察した。そうだった、サルファーは脆い。忘れた訳ではないけれど、近距離でちょっとした高低差だったのに・・あたりどころが悪かったか。同時に悟ったのは、昨夜はアポフィライトに呼ばれていた訳ではなく、それを戻す時にサルファーを落として欠けさせるというセレモニーが、必要だったのである。昨日、一昨日と、シチリア島サルファーが2014〜15年に関わって起きた「ジェネシス世界観」にまつわる一部の情報について、プラクティショナーさんへのメールで触れていたところだった。

その関連は、こちらよりも右脳的なブログ「アルガンザ・アップデート」で後日、記事にしようかと思う。それは秘教的・神秘的な水面下の流れであるとして。以前同じサルファーが粉々になったという記事を書いたっけ、と自分の古い記事アーカイブ「パサージュ」を覗いた。こちらの記事:

これを読んで当時と今を同時に比べた時に、上に書いたように2015年8月に起こったキッカケから、既に山の頂上を去る歩みが始まっていたことに気づく。この記事は同年9月13日に書いたもの。丸々一つ、約3センチ四方のサルファーが割れてしまっていた。

今までも、ただならぬ変化は2017年から、も少し視点を変えると2016年から・・と書いて来たけど、確かにグラマーが醒めるという経験をしていたのが2015年8月であり、カレッジ体系の完成も同じくその頃だった。この、興味ない人々にはどうでも良さそうな話—私の仕事の背後にあった設計図が(笑)、私自身に思い出させられたことによって・・実はこちらのブログにとっても、小さからぬテーマであった「今後の新たな表現方法を何と呼んでいくべきか」の答えを見つけることに繋がった。

古い記事の粉々のサルファーの画像を眺めていたら、「新しいエソテリシズム(神智学)」=「水瓶座時代の New エソテリ」と、頭の中で響いた。「エソテリ」と外来語を途中で止めるといういい加減さ、ユルさが、新しい日本語っぽくて良いではないか?

皆で流行らせましょう。。。笑

天才たちが集った100年前のムーブメント「神智学」が、現代と調和しながら、「秘教」ではなく「常識」になっていく日を夢見て。それは世界平和、地球環境、人類の進化、全てにとって持続可能な流れに乗せていくための「必然」のように私には思われる。いやいや地球など、人類など壊して終わらせたいのだよ・・という意見の持ち主以外の、すべての人々にそれが伝わるように。怪しいものではない、秘められたものでもない、日本的に混乱した「すぴ」でもなく、怖いものでもない・・・ヒトという形をとって、魂がこの地上で生きていくための常識的な知恵であり、全ての人が健康と幸福のためにそれを知るべきであるし、その時代が来ているという事が、伝わるように。

「新エソテリ」「メタスピ」、どちらも使って行こうかな。

まずは、このブログのカテゴリーとして作ってみた今日。その記念を刻むべく記事を書いてみました。

Love and Grace,  Amari

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「持たざる者たち」のララバイ

 

おはようございます。霧雨が新緑を潤す、静かな朝。2月に引っ越した家は「昭和レトロ」なのですが、私の部屋は「大正モダン」?です。サロンのお下がりのアンティーク家具たちゆえに。障子を少しだけ開いて仕事をしていますが、木々の緑が迫って来て、それだけでもハートが癒される感じがします。あえて緑を見ていただくために影になるよう撮ってみました。
最近思ったことの徒然メモとしてフェイスブックに書いていたのですが、余りに長くなってしまったので、こちらに載せることにします。その為、いつものこちらのブログの口調と違って「ですます」調ですが、直すのも何なのでそのままに。笑
批判目的ではないので、ジャンルは明かさずにおきますが、10年以上前に好きで買い物をしていたショップがありました。そのお店をキッカケにその道に目覚めた、という感じで。オーナーさんはメディアの取材も受けていたり、メルマガなどを綴っていたりして、買い物する立場としては何となくごく自然に、お名前やお顔も印象に入ってくるという感じ。
優しさや真面目な職人気質が伝わってくる、お人柄が見えてくるサイトやラインナップや文章、そして商品に、その世界全体に素直に引き寄せられていくような気持ちでした。・・が、1〜2年くらい経つと、似たようなお仕事を、さらに勢いをもって展開する同業のショップが私の目についてしまい、
一見すると華やかで、ヴァリエーションの広がりに魅了されるように、今度はそちらのお店を利用するようになっていました。それから数年が経ち、先にあげたお店を探したところ、活動をすべてクローズしていて・・勝手な、本当に勝手な推測なのですが、業界の中で成功された後の、裏の反面を体験されて、真面目で優しい気質の方の心が折れてしまった?体調を崩してしまった?のではと、頭をよぎった私でした。
あまりにも思い切った、幾つかの実店舗やウェブすべてのクローズ、だったので、ヒーラー思考でついついそんな風に考え、他の店に気を移した自分のようなファンも、多くいたのかもしれない・・ことに、胸を痛めました。
おそらく先駆者としてのその方の背中を見て、取れるところを取りつつも、その方の生真面目さ、人の良さから展開している丁寧な活動の中には広がりにくいような部分で消費者のニーズを捉え、そこを満たして、バババっと勢いよく事業展開した二つめのお店。気づけばメディアにもそちらのお店のほうが取り上げられるように、確かに途中からなっていたよう。
様々な個性が存在する中で、(私含め)消費者はそのように反応するので致し方ないこと・・・とは思っていましたが、気を移したほうのお店で買い物を数年してくる中で、「あれ?」と想うことがあり、それでも「まあいいか」と、利用を続けていました。それが、今年の4月にちょっとした体験をしたのです。
すべてをクローズしたお店のオーナーさんが、形を変えてご自身の活動を再開されていたことに偶然気づいたのは去年。まったくの直感で、気づけばかつてのお店の名前を検索してみたその日。数年の間に同じようにしてみても「閉店しました」という画面が出るだけだったのが、新たな情報発信のページが表示されて、本当に嬉しく思いました。
去年のその再開から、何度かお買い物させていただいて。うちの娘でも、「商品から伝わってくるまごころみたいなエネルギーが全然他とは違う」と言うくらいの、良いお仕事を相変わらず、なさっています。
一方で、数年間、そのジャンルはそこでしか買わないというくらいに利用していたもう一方のショップさんを4月に利用した際に、手違いがあり、顧客としては1万円弱損をしてしまう状況だったので、問合せをしました。何度か・・けれど、お返事が無かった。この時にふと、霧が醒めるような体験をしました。グラマーが晴れるというか。
確かに、同じような職人仕事をアピールしている。お持ちのバックの力をうまく活用し、スピーディに魅力的なものを生み出している。から、消費者の目には華やかに映る。けれど、そう言えば、「顔が見える」わけではなかった。ブログやメルマガはすべて、どなたが書いているかわからないし、10年くらい買い物をしているのにオーナーさんの名前が表に出ることもなく、ましてお人柄などは全くわからず。
ただ、メーカーとしてのこだわりや取り組みについてはかなり力を入れて発信されていた。ようやく気づいたのですが、ほとんどをネットで買い物をしてきた私が個人的に気に入るお店や会社では、家具屋さんでも、雑貨屋さんでも、洋服屋さんでも、ワイン屋さんでも・・代表の方が表に出て、商品に込めている思いを伝えている。いわゆる「顔が見える」ところばかりでした。
すでに大きく、組織化しているというだけなのかもしれないけれど、同じジャンルで、同じようなものを販売されていても、見えてくるのが「組織」「技術」しかなかった。その時、4月に買い物をしたアイテムも気には入っていましたが、試しに、前者のお店を覗いてみると、同じような素材・色のアイテムが出ていたので、儀式的な意味で、そちらも買うことにしました。
私はよくそういう「儀式」をするのです・・今書いてきたことが、まったくの勘違いで、前者のショップの閉店の理由も状況も違っていて、後者のお店がブラックかもしれない?!という疑惑(笑)が何かの行き違いだったかもしれないとしても、深いところでコンセプトなどに共鳴し応援していた顧客だったのが、見た目の華やかさ(仕事はしっかりしていた)で他に気移りしていたことは確か。それが消費者としては普通のことであったとしても、結果としてまっとうに自分の道を正しく行っていた人を追い落とすような流れに自分も加担していたかもしれない?という可能性に、お詫びも込めて。
損をしそうな件はもう諦めて、代わりに後者のお店とは、サヨナラすることに決めて。気づけば、もう十分足りているではないか・・ついなんと無く、その華やかな発信力に、コレクター気質の私は随分とコレクションしてしまったのだ、もう、終わりでいいということだ、とも。
そしてこんな個人的な現実体験を、ここで語るつもりは無かったのだけど、ずっと前に見ていた「チャングムの誓い」の中の一場面がどうしても、この一件について考えていると頭にちらつく最近なので、同じくショップオーナーとしての自分への教訓としても、ここに刻んでおこうと思いました。「チャングム」の一場面とともに・笑。
宮廷で王の食事をつくる料理担当女官になるべく、修行中のチャングムに、師匠の貧民出身の上級女官である「ハン尚宮(さんぐん)」様は、山に行って数種類の湧水をとって味を覚えろとか、100種類の薬草をとって来て研究しなさい、などの体を使った学びをさせて、素直に励むチャングムは味を体感しイマジンできる料理人として、才能を発揮していきます。
そのライバルの「クミョン」は、それに気づいていて、自分もそのようにして学びたいという気持ちを抱いていると、叔母である(一族代々、最高尚宮を務めてその座を狙っている)チェ尚宮により、諭される。「あんな修行をするのは、『持たざるもの』たちだからだ。我らには代々に伝わる知恵がある」と、数代にわたって料理女官のトップを務めてきた一族秘伝の書物に、頼ろうとします。
ドラマとしては政治的にはチェ一族が暗躍して一時的に勝ってしまうのですが(最後には滅びます)、職人としては無論、チャングムが・・というか師匠であったハン尚宮様の教えが勝利するわけです。色々な神話や物語でもすべてそうですが、所有しているものの上にあぐらをかいて、そのテクノロジー的な勝利でしか物事を見れなくなっていたら、その時点で真実の世界ではすでに負けてしまうということ。
様々な物語の主人公たちが、最初は「持たざるもの」であり、這い上がるように体験するトライ&エラーの中で培った実力こそが、本物であり、紛れもない愛を宿した何かがその仕事や人生に実るのだということ。
チャングムを見た時からこのチェ尚宮の「あんな修行をするのは、『持たざるもの』たちだからだ。」のセリフにはとても反応していました。ハン尚宮様のほっそりとした優し気なたたずまいと貧しかった料理上手な少女がそこまで登りつめた、けれどいつまでも、悲しいくらいに優しすぎる姿に共感していた一人として。放送時はチャングム人気とともに、ハン尚宮ママニームのファンクラブも出来るほどだったそうです。
話が逸れましたが・・同時にこれは人類全体の行く末にも関わるテーマだ、と。歴史学では、物質的に豊かで戦争がない平和な時代がつづくと、人間は精神の上で腐敗していき、その文明は滅びると言われている。
個人の人生においても、同じことです。むしろいつでも自分自身を「持たざるもの」と心得ておくのがよろし、と想う私です。
Love and Grace,
Amari
 

 

太陽とサクヤヒメ

 

Introduction

二十歳のころ、ふらりと行った奈良旅で、三輪山と「再会」し、スイッチが入った日本古代史、日本神話、民俗学への探究。1993年のことなので、当時は今のようにスピ系の女性たちが神社や神話に興味を持っているような状況もなく、友人たちにも余り理解されず、現地では「なぜここなの?」「もっと行くところあるでしょう、若いんだから」と現地人の方々に言われる始末。

歴史好きは子供の頃から、だったと思うけど、自分自身もそれまでは世界史にしか興味がなく、高校時代はシルクロードやモンゴル、チベットなどの東アジア史や、古代ギリシャ、メソポタミアに興味を高めていたっけ。私は本当に水瓶座というか、第一光線というか、人からの影響では心も行動も動かされることなく、自らが体験したことしか、自分を変えたり進ませたりするキッカケにならないタイプ。

高校2年の修学旅行で何となく京都には無い気配、自分との相性を奈良に感じて、「大人になったら(?)ゆっくり奈良に来よう」と思っていた。短大時代は相変わらず興味は世界に向いていて、卒業後にようやく、会社員となって最初の休暇で奈良に出向いたのだった。その時、さっそく神秘的な体験も幾つかあって、「自分の体験でしか動かされない」私が、自分でも驚くまさかの「日本」探求者となった。その時、二十歳。

間は省略・・時流れて、三十三歳。エナジーヒーリングと、ヒーリンググッズショップを生業とするシングルマザーになっていた私は、娘、両親とともに奈良の三輪山の麓へ移住。

三輪の麓が散歩道となり、大神神社で御神水をいただくことも日常になっている中で、その森で、水辺で、サスラ姫、サクヤ姫、セオリツ姫と感じるエネルギーを体験する。それらは同根で、ヴァリエーションの違いであると悟ると同時に、奈良に移住するころに夢で見たり、レコンセクレーションTM(アルガンザのオリジナルワーク)を受け取ったプロセスでは、菊理姫と呼ばれる女神意識、エネルギーが関係していた。

同時に、地球のロゴスと言われるサナトクマラのシャクティ(女性性の側面)としての「白山姫」を体感するに至る。それらが整理されていくにはある程度時間が必要だったけれど、2008〜9年頃には、地球ロゴスのシャクティとしての白山姫、それが地上に近い形で降りて来たのが菊理姫、そして菊理姫から別れた形で火、水、風、を体現するのが、サクヤヒメ、セオリツヒメ、サスラヒメであると位置付けて、その概念は幾つかのワークにも反映されていた。

それからまた、長い、10年という月日が流れて、依然として同じエナジーヒーラーという仕事を続けている私が、今年向き合ったガイアワークの中で、この四相一体の女神と、そのオーヴァーソウルである白山姫(ロゴス)について、分かった事の一部を、とても重要と感じるので、刻んでおきたいと思う。

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神智学文献では、エレメンタルつまり四元素を神秘家が取り扱うのは危険で、お勧めできない、という記述もある。私たちのエネルギーシステムにおけるチャクラは、ルート、セイクラル、ソーラープレクサスの1〜3の低位チャクラが土、水、火の元素の世界と通じていて、ハートチャクラが空気・風。それらの元素の力を取り込むことで、栄養になる、という。アルガンザのカレッジでもそれを取り入れた四元素のワークを導入している。アーユルヴェーダも人間の肉体や外界(季節や時間)、臓器やその働きすべてを四元素をベースにした「ヴァータ・ピッタ・カパ」という力学に当てはめて、足りない元素を補い、強すぎる元素を抑える、という法則からの処方箋が体系化されている。

恐らく、一般的な、物質界レベルでの話ならばこれでいいのだろうと思うけれど、秘教を学ぶ者としては何か引っかかる感じがずっとあって・・上記の、四相一体の女神のコンセプトとエネルギーをワーク化した「四女神の柱をオーラに立てる」メソッドを、レコンセクレーションの伝授に導入していても、いまいちの感じがずっとあり、また、秘教的な学びの中でも「四元素は封印である」「呪縛である」というフレーズにも出会い、長いこと気に掛かっていた。

2011年頃だったか、それまで数年に渡り直輸入していた、アメリカのワーカーさんからの「四元素ドラゴンストーン」を、アルガンザの周波数の遷移の動きの中で、ちょうど先方も石の仕事を辞めるというタイミングだったので、取り扱いを終えるに至っていた。けれどその後、カレッジで紹介すると生徒さんたちの関心は高く、また、女性たち、それも巫女的・神秘家的な女性たちは四元素が妙に好きなのだ・・・けれど、本格的に「見えない世界」を命がけで探求している神智学では、「危険だからエレメンツとのワークは勧めない」という。

(もちろんアーユルや、チャクラに元素・・という自分の健康に扱うのは、全く問題ないし、むしろ人間の本質・真実なので有効な知恵である)

そのようなモヤモヤが数年越しでずっとあったところ、今年、2019年は「火」のエレメンツを中心にして、体験から、分かったこと、見えてきたことが多くあった。

縄文期の日本人の一部になったと考えられる南方からの流れを持つ人々は、インドのドラヴィダ人由来という説がある。その言語で「神聖なもの」を表す「フィー」が、日本に来て「日」「火」になったという説を、カレッジのテキストでも紹介して来た。韓国語でも「火」は「ファ」で、恐らく同じルーツだろう。日本は「ひのもと」という元来の国名が、漢字が入って来てから「日本(にほん)」となったらしく、縄文からの流れを受けたこの列島の本来の名称は「ひのもと」であったと個人的には信じている。

その「ヒのもと」の「ヒ」とは何であるか・・が、重要なキーだとずっと思って来た。

「霊」と書いて「ヒ」と読ませ、神にまつわる言葉を構成している日本語がある。ヒモロギ(神が宿る場所)、ヒルメ(神の巫女)、ヒルコ(神の子)など。以前から旧ブログにも書いて来たが、鹿島・香取の両神宮のある茨城県の常陸(ひたち)なども、恐らく「霊」=「ヒ」=「神なるもの」と関係していると考えている。

では、日本の歴史の根幹となる「ヒ」とは、何なのか。今、私たちが知っている「火」と「日(陽)」とは、ひとつに括れるものなのか・・そのテーマを長いこと、それこそ奈良に通い始めた20歳の頃から、25年以上何となく考え続けて来た。

今、アルガンザの新しいワーク体系として「プログレッシヴワーク」というスタイルに改変するため、旧来のワークの幾つかを再編成しているところで、そのうちのひとつ、サスラ、サクヤ、セオリツ、キクリの四相一体の女神による禊(浄化)のワークである「さくらしおん・四女神の変容プログラム」を、新ヴァージョンでモニタリングしながら、スクール卒業生の方々に受けて頂いている。その中で、画期的な進展があり、長年の「ヒ」(火・日・フィー・霊)についての考察が深まり、突破口が開けた。

さくらしおんの今回の改変では、長年のモヤモヤを解決し、物質界の呪縛であるという四元素を超えて、すべてを第五元素、さらにより高い層へ統合し、ソウルシステムを拡大し強化するような宇宙的なワークにしたいと意図していた。故に、最初につながるのはシリウスで、そこから、シャンバラにあるシリウスの恒星のミニチュアに降りて来て、その、地球の中心とも言える白い太陽とともにワークをする、という試みで進めている。

4段階のワークのうち、2段回目にあたる「サクヤヒメ」の時。段取り通りにシリウスから地球の太陽、白山姫、と降ろして来て、サクヤ姫のエネルギーにチューニングする。白山姫の桜色と、シャンバラの白の2色はベーストーンとしてあり、そこにサスラなら紺色、セオリツは水色、サクヤは黄緑色が加わる。一段階目のサスラの濃紺色の意味は既に分かっていて、それは人間の中心軸のスシュムナーに関係している。サクヤの黄緑は何だろう・・と、先日、セッション前日に考えていた。

すると、自宅の窓から見える森の緑、自宅の室内の植物たちが陽を受けて輝く黄緑が目を惹きつけた。彼らは光合成で成長する。葉緑素が太陽光で育ち、緑色を呈する。でもなぜ緑色なのか・・・・・

そう考えてみた時、「太陽のエナジーが緑色だからだろう」と、当然のように自分の中から答えが返って来た。そういえば、カメラで撮る時に映る太陽光のプリズムも、明るい黄緑色。自称・太陽人とか長年言っている私・・でもそこは余り考えた事がなかった。コノハナサクヤ姫は、木の花、つまり桜の女神であるから「植物神である」ということと、富士山に祀られる浅間神社も含めて「火の女神」としても伝わっていて、神話では表向き、山の神であるオオヤマツミを父とするけれど、火の神である愛宕(あたご)神が、同神であるという。そして姉の磐長姫のエピソードも気になるところだった。

が、太陽のエナジーが黄緑色であり、それが地球の植物たちを緑色にしているならば、サクヤヒメが、白山姫のベーストーンに加えて、植物神という様相を担当して黄緑色のイメージで見えている訳が、良く分かった。つまり、サクヤヒメの「ヒ」とは、「火」ではなく「日(陽)」=太陽なのだ。

先日、フェイスブックに書いたこと。古代朝鮮の神話について調べていて、導かれた韓国時代ドラマのファンタジー「太王四神記」(ヨン様こと、ペ・ヨンジュンさん主演)を見ていて更にヒントが来た。同ドラマは「四神」つまり朱雀・白虎・玄武・青龍の四元素の守神たちと、古代朝鮮の神がかった王権のカルマ、光と影の物語。その中で、朱雀は火の力であるが、その力を見つけた守護部族は、「地中から火を見つけた」とのこと。朱雀の主であるその部族の「火の巫女」は「大地の母」と呼ばれている。

火は、日が地上に降りてきた表現なのだろうと長年、思って来た。けれど、そうではないと感じ始め、ワーク改定での上記の気づきがあった所に、このドラマの世界観は大いに示唆を与えてくれる刺激となった。「日」は、地球のロゴスの上の階層、太陽ロゴスのエネルギーである。地球の魂である私たちにとって、「神」とは太陽ロゴスであるという表現も、神智学で目にしたことがあるが、まさに縄文やケルト、世界中の新石器時代人が、ストーンサークルなどを建てて、崇拝していた神としての太陽なのだ。

一方で、火は、一部の人間が地球の地下世界で発見した「力」だという。もっと遡れば、アトランティスに起因するだろう、地球内部の力学を地上に引き出してきたもの。地球、ガイアの中でも肉体である大地、地下のマグマの世界に属するものなのだ。古代世界において、火を神聖なものとする宗教が複数、生まれた。私の印象では、それらは生贄や、構造的な文明の構築、つまり都市や軍隊の編成などに向かっていく古代世界を襲った新たな潮流・・そして歴史を塗り替えて、各国、各地で太陽崇拝の部族社会を駆逐し、征服していった潮流に通じている。

「ヒ(フィー)」を神なるものとして、ひとつで考えていると、答えは出なかった。本来はまったく別のものを、低次元に引き下げながら、置き換えていった。「日の巫女(ヒミコ)」「ヒツギノミコ(日本の皇太子)」などの元になった「ヒ」」を、どう捉えるかによって、古代日本における、古代世界における宗教のあり方が全く違って見えてくる。この「引き下げ」からの分離を表しているのが、日本神話におけるサクヤヒメとイワナガヒメの物語であると、気づいた。

姉である磐長姫は、日本神話では「器量がわるい」と言って、嫁に出した天孫から親元に返された。上記の韓国時代ドラマでは、神代に天から降った神の息子の愛を得た「妹」に対して、「姉」である「火の巫女(大地の母)」が嫉妬し、「リリス化」してしまう。その因縁が持ち越され、2000年後に転生する主人公たち。同じく姉は愛を得られない悲壮からリリス化したところ、彼女の持っている火の力を破壊力として使おうとしているネガティブな宗教結社によって、操られるままダークサイドに堕ちていく。(ドラマの冒頭にある神代の二人の女性は姉妹ではないが、2千年後の転生で姉妹として生まれている)

このドラマがベースとしている朝鮮神話、檀君神話の中に、ドラマのような二人の火の巫女姉妹の話が実在しているのかどうか、調べてはいないのだけど(檀君神話には虎と熊が出て来て、熊が王のお嫁さんになるという話は出てくるが)、日本には在る。まさに「サクヤヒメ・イワナガヒメ」であり、弥生人の渡来が日本建国を開いたと思えば、同じ原型的な神話が日本に伝わった可能性も十分考えられる。

更には、より秘教・神智学・ジェネシス概念の中で考えて行くと、かつて「ヒ」という神なる力は太陽そのものであったが、人類が物質界に染まって利己に落ちていくプロセスの中で、地下世界から取り出した物質的な火に習合され、やがて火そのものを崇拝することで、アトランティスに起因する火の破壊力を活用した原型エネルギー、集合場と繋がっていき、人類はさらに戦闘的になっていった。牧歌的な石器時代の人々の思考体系とは、明らかに変わっている。世界中で同じように、戦闘的で残酷な神を崇拝する文明に塗り替えられていく古代の動きを、ずっと不思議に思っていた。

本来は同一であったものから、二極化が起きる。堕ちたサイドは原型的な闇の力の一員となり、破壊力を発揮する側になっていく。イワナガヒメを、大地の女神としてワークに加えようか?リュミエールのブレスレットにしてみようか?と着想してみたことがかつてあったけれど、いずれの場合も「何か違う」と流していた。最近は、このエネルギーをリリスの一種として体感、体験することが続き、ライトワーカーたちを阻む力として動いていると、仲間内でも話している。

ちなみに「イワナガ姫」の「ナガ」は日本語の中にも広く浸透している「蛇」としての「ナガ」の音を彷彿とさせるけれど、蛇の姿で見えるという話も出ている。蛇や龍が好きなスピ女子たちも多く、神社巡りをするうちに知らずに繋がってしまっている人々も居るし、セッション等でその種のものが出て来て伝えても、当人が愛着を持っていて、切り離せないこともある。神社の場所は元々、古い元素霊が封じられた場所に建っていることも多い。自分の周波数が高くないと、またシンパシーを潜在的にでも持っていたり、攻撃や破壊・虚栄心などネガティブなエネルギーが人間性の中に有ると、繋がってしまうこともあるだろう。

神社巡り、土地巡りが好きな女性たちの中には、エレメンタル、つまり自然界に封じられている元素霊たち(「龍神」など)を「解放」している人々の話も聞く。以前からそれを危惧していたけれど、意味があって封じられているものまで、次々と解放されているようで、危険な破壊力をもったスピリットが放たれることで、スピリチュアルなアンテナを伸ばした人々が更にそれをチャネリングとして受け止め、逆側のメッセージを発したり、攻撃的なエナジーをヒーリングとして流したりしている。

神智学の先人が、「エレメンタル(元素)とワークするのは危険。お勧めできない。」と言っている理由、今ではよく分かる。「堕ちたもの」「封じられたもの」にシンパシーを感じている人も多いが、それがもっとも危険な入り口である。古代の人々も馬鹿ではない。今の私たちよりも霊的なアンテナは鋭く、天と通じる人々も多かった。理由があって封じた、荒々しい破壊的な元素霊たちを、よく深く考えることもなく解放している人々はまた、人間の進化を阻む力の方に、動かされていることに気づいていない。

今年は火の破壊力が大いに動いていた。上記のようなワーカーたちにより解放されたものたちなのか、時代の変わり目ゆえの、歴史の層から自然と炙り出されたものたちなのか。それを水によって鎮めなくてはならない状況になっていたようで、台風19号はそれゆえに、猛威を奮ったのだろう。各人の中でも、「火の破壊力」にまつわるカルマが動いていただろうと思う。

これらの気づきから、ちょうど改定していた「さくらしおん四女神の変容プログラム」の第二段階「サクヤヒメ」では、太陽ロゴスの黄緑色のエナジーを、太陽神経叢とハートに注ぐという内容にした。思えば528ヘルツはハートチャクラの周波数、そして太陽の周波数とも言われ、それは明るい緑色だと知られている。サクヤヒメの「フィー」とは太陽の力であり、ゆえに桜の花の女神と伝わるサクヤヒメは、植物界をグリーンに育む植物神なのだ。

サスラ姫の第一段階は、中心軸の奥にある空の領域に向かってスシュムナーを洗浄する。サクヤで第3チャクラとソウルセンターを太陽の力で洗浄する。そしてセオリツの宇宙の水の力でアストラル体を洗浄し、最後にキクリ姫でくくり、第五元素から宇宙の源のゴールドへ、統合する。お陰様で、神智学ベース、ソウルシステム的なワークへとリニューアルすることが出来て、10年越しのモヤモヤが払拭され、安心したところ。

人間は物質界の存在だけれど、物質界のしがらみ、呪縛を「超えていく」ために存在していると考える。ゆえに「四元素は封印」であり「呪縛」なのだ。私たち人間を、物質界に封じているものが四元素であり、物質体としては食事やチャクラの栄養として親しみつつ、やがてはそれを超えていくものだという認識が、少なくともメタフィジカルを学ぶ人々には必要だと考える。浄化が進んでいき、アンタカラナが自然と開発されていけば、チャクラのひとつひとつも分離なく、すべてが白い光へと統合されるという。

四元素という縛りを超えていく。第五元素、さらにその先へ。

Love and Grace,

Amari

歩き出さなければ、次の道は見つからない

二日前の朝、目覚めとともに「まずは己を知ることから始まる」と心で呟いていたので、ブログにでも書くのかな?と思っていた。ブランチを食べながら見るために、オンデマンドで番組を探していたら、『永平寺』が目につき、メニューが和食だったからちょうどいいかなとチョイス。

道元が開いた福井県の永平寺は禅の曹洞宗の大本山。仏教史を学んだ中で道元の思想というのは私はちょっと合わないと感じていたけど、禅は海外のインテリにも人気、ジョブズも永平寺に行きたがっていたらしい。禅問答の世界は左脳も刺激しそうだし、他の宗派とは違い、東洋独特の(インド、中国、チベット、そして日本の)民族宗教の湿りっけが混ざっていないドライさも、西洋人には抵抗なく受け入れ易いのかも。
さほど食いついて見ていたわけではなかったところ、修行に入って年数が浅い禅僧(雲水:うんすい)たちがまず徹底して学ぶことは「自己を知ること」と出てきて、おおっ「夢で先に見ていたのかな」と、導かれている感じが高まり、集中して見始めた。
まずは己を知り尽くすこと・・そこに立ててようやく、禅の修行者として歩み始める。己を知り、不要なもの(煩悩)をそぎ落としつづける。やがて自己そのものを捨て去ることで、解脱・悟りへ向かう。・・と、他の仏教や神智学からしても、ヒーリングやニューエイジでも、当然のことなんだけど、改めてなぜかそのフレーズ「まずは己を知ることから・・」を、メッセージされた。
同時に、なぜ人間は「自分を知る」ことにそんなに長い行程や、迷いの日々が必要なのだろうかと、日頃思っていることでもあるので、改めて考えた。私自身は水瓶座か、第一光線か、単に過去生で(今世でも)修行をしてきている?からか、気が着いたら最初から「わかっていた」。自分の進む方向、やりたいこと、やらなくて良いこと、全てはっきりしていて、若い頃から迷わなかった。ただ、はっきりし過ぎていて、そうではない事柄との摩擦で苦しみはしたが・・・
雲水さんたちが厳しい修行の中で見つけていくのはもちろんそういう事ではなく、24時間の生活の全てに決められた厳しい作法があり、四季の移ろいで暑い・寒い、毎日の座禅が辛い事もあるだろうけど、その中で立ち上ってくる自我、感情や思考のゆらぎを通じて、「自分」つまり「自分の中にいかに迷いが隠れているか」を体験し、「己を知っていく」のだろう。
「自分探し」に何十年とかかっている人々も居る。同じパターンを繰り替えしているのに、そこから学んだ筈なのに、見ていて祝福と成長の道筋に乗れているのに、当人はあるものを「無い」と言い、盲目的にまたいつもと同じ行動をとって、乗れていた道筋を無駄にする。そんなことも少なくない。そんな人は、神智学に言う「グラマー」に染まっているから、言葉で止めることは出来ない。

人はなぜ、「自分」を知らないのか。

シュタイナー教育を見ているとなおさらそう思う。18歳で子供たちは、ある程度人として出来上がる。自分のことを知っているし、世界の中で自分をどう活かそうか、さて・・と、自然体で当然のように考えている。
ヒーラーをしてきて最大の疑問は、「変わればいいのになぜ人は変わらないのか」「なぜ道を示されているのに、歩みはじめて手応えを掴んでいるのに、また堕ちていくのか」ひいては、この世の仕組みの中で、人の心・意識はなんと弱いのだろうか、と。傲慢さ、頑固さ、愚かさ、甘さなどから、人は成長していく(現実を改善していく)道からわざと自分を逸らす。・・・けれど、それが自分で分からないから、長引く。
お寺の厳しい修行の中で、自分の傲慢さ、頑固さ、愚かさ、甘さなどに気づいていき、それを超えていくという仕組みなのだろう。つまり、甘い環境の中で生きていると、自分を見つけることさえ出来ないのかもしれず。歴史的にも、豊かになりすぎると人心は腐敗し国は滅びに向かう。ただ、甘い環境にいる(自分を甘やかしている)人が、「自分は厳しい状況にいる」と思い込んでいるケースも多く、それでは抜け出せないよなあ。。。という感じだ。
 永平寺は厳しい修行寺として知られている。世界中にファンが居て、サテライトのお寺も海外にあるらしい。道元は中国に留学した折、どんな深淵な教えと修行が待っているのだろうかと思っていたところ、生活そのものが全て禅である、修行である、という考え方を学び、体験し、二年ほどの留学期間に「心身脱落」(解脱・悟り)に至り、帰国。もとは京都の公家の生まれで比叡山に籍を置いていたが、あえて北陸、福井に大本山として永平寺を開き、曹洞宗の宗祖となった。
日本の仏教史、そしてインドでの発祥から全体の仏教史と、二度、学ぶ機会があった中から、少々、予備知識をご紹介。
インドには無かった禅宗は中国で生まれ、五家七宗に分かれ、そのうち臨済宗と曹洞宗が日本に入っている。禅における思想的な軸は「ありのままを受け入れる」か「ありのままを超えていくか」の解釈であり、考え方の違いにより宗派が分かれていったそう。また「ありのまま」の本来性をどこに求めるか、の解釈にも相違が生まれ、人間としての「あるがまま」を自己とするか、別次元の(魂?)自己をそれをするか、により系統が分かれたりと。
そのような伝統を受けて、道元は自ら新しい哲学を打ち立てる気迫で、仏典、釈迦の伝承や言葉を自ら改めて解釈しなおし、既存の禅を否定しつつ独自の思想体系を構築していったようだ。大著書「正法眼蔵」の世界観は凡人には理解しがたく難解。言葉遊びをしているようで、落ちがあるのか無いのかも分からないようで、結局何か言いたいのか、特に何も言う気はないのか・・それが落ちなのか。という感じ。
以前、ちらっと読んだ時は「ああ、ダメだわ。合わないわ。」と、自分の好みではないと決めてしまっていた。けれど今回、「永平寺」をふむふむと見終わった私にNHKさんは「関連番組」として「100分で名著」の『正法眼蔵』を進めて来た。分かり易く解説してくれる同番組なら、何か新境地を感じれるだろうか?と、見てみることに。要点と、興味深かったことを以下にざざっと。解説者ゲスト、ひろさちやさんのお言葉を中心に。
自我を捨てるのが悟りだが、「悟りたい」と思うのは自我であるから邪心である。(から悟れない)
→ほんとにその通りだ。悟りとは、自然と至るものであらう。
本当は既に悟りの世界(全宇宙)に生きているのに、迷うのが人間。
とにかくは歩み始めることだ。そうすれば、自然と次の道が見つかる。
→その通り。いつもうちのクライアントさん、生徒さんたちに言いたい「始める前から心配しないで。とにかく始めないと。」
迷うことは道元は一切否定していない。しっかり深く迷いなさい。そうすればいつか抜けられるから。
→これも本当にその通り。そこに真剣さが必要で、深く生きるということだろう。迷いを打ち消すことは出来ない。とことん迷って、ナチュラルな責任意識とともにそこから抜ければいい。
「悪を行うなかれ」ではなく、日々の修行生活をしっかり生きていると、自然と「悪など行えなくなる」
→これもよく分かる。きちっとした身のこなし、清潔さを保つ、無駄をせず食す、などの厳しい規律の中で生きていると、波動が高まるのだろう。そうなると、波動の低いもの、低い思考や感情は抱けなくなる。これはヒーラーとしての生活からよく実感できる。
「あるがまま」を肯定する禅の一つであるし、何に対しても結論づけるのではなく、あらゆるものが、世界そのものが既に仏であるとし、悟りは向こうからいつかやってくる、と説いている道元はいわゆる「他力(たりき)」の教えであると誤解されることもあるそうだ。けれど解説のひろさちや氏いわく、ヒンドゥーの喩え話を使って、
サルの親子。子ザルは、母ザルのお腹に自分でエイっとしがみつき、自力でぶら下がっていなくてはならない。母ザルが運んでくれるとは言え、これは自力である。一方で、ネコは他力。子ネコは母に咥えられ、運んでもらう。子ネコ自身は何もしなくても安全な場所へ運んでもらえる。
道元の教えは前者、サルの「自力」であるという。運んでくれるのは仏。けれど、仏を信じるという努力が、自分サイドで必要である。
→これも全く強く同感で、いつも皆さんに言って来たことでもある。高次が運んでくれる流れがある。常にその流れを感じれるように。そうすれば乗っていくだけだから、と。
・・・でも、どうして流れに乗れない、というか流れさえ見つけられない人々が居るのだろう?というのが、私の疑問でもあった。冒頭に書いていたこととも重なるが・・エネルギーワークや、瞑想や、ヨガでも他の何かでもいい、学びは全て同じだが、何か新たな「良きもの」と出会えば、学ぶ意思があれば、自分が「変わらない筈はない」というのが、自分の自然な感覚だった。逆に「変われずに居られる筈がない」と。
まして、ヒーリングやエナジーワークでエネルギー層に働きかけるなら尚更のこと。セッションや伝授を受けて、「分からない」「変わっているのか?」と疑問を口にする人が、ごく稀だけれど居る。一方で、スイスイとひとつひとつを理解して、進んであっという間に成長する人たちも居る。怠慢さや、信じる気持ちの欠如からちゃんと活かそうと努力していないから、という単純な理由もあるかもしれないが、もっと掘り下げれば、シャドウセルフや周囲のエネルギーなどから、変わっていけない仕組みが隠れている、と、解釈することもできる。そこには、適切な処方も必要だろう。けれどやはり、当人の「変わりたい」という強い意思、信念がなければ何も根付いていかない。(ヒーリングも「他力」ではないのだ)
昨日もちょうど、生徒さんたちとセミナーでそのような会話をしていた。永平寺の特番を見ていたのは一昨日だが、昨日あらためて大きな疑問、問題意識を抱えて帰って来たところ、「100分で」を見て、その子ザルの比喩が本当に、ピッタリだと感じた。
「自分は最初から仏の世界に存在している、仏の子である」と信じなさいと道元は言っている。苦しむ時も、迷う時も、それはそれで良し。いつか仏が、悟りが、迎えに来ると信じてしっかり苦しみなさい、迷いなさい。けれど・・・「信じる」「信じ続けるという努力」は、自力で、自己責任で、われわれサイドに欠かせないもの、ということ。
ヒーリング、エネルギーワークも全く同じだ。
以前から何度も、同じようなことをブログに書いてきた。「信じる力があるかどうか」・・・もし私に、ヒーラーとして何か才能があるとしたら、それくらいだろう、と。あとは高次がうまく運んでくれる。それを信じて、アルファ波的なリラックス状態でクライアントの横に座っている。自分からガザガザと考えたり、セッションをうまく運ぼうとは考えず、無欲で。
それが中々、人々に通じなかった。みんな心配し、うまく出来るのか、これでやれるのかと呟く。5年、10年と学んできた人でも、強い恐れが発動し逃げるように去っていく姿も。「信じるという才能」が、ヒーラーには必要なのだ。
・・・と、自分には合わないと思っていた道元さん。急に親しみが、そしてもちろんレスペクトが湧いてきて、「100分で」を全部(4回で100分)見ることに(笑)した。
天才肌だったのでしょう、一般的な仏教における解釈とは違う論を、新たに展開したという特徴もあるよう。そうそう、当時は平安末期からの末法思想の蔓延で、人々は若干パニック。天災や戦乱などにおびえる民衆はいよいよ末法の到来だと、大いに恐れていた。そんな大衆の処方箋として、現世ではなく死後の阿弥陀浄土へ行けるように阿弥陀様を信仰しようという浄土宗、浄土真宗が大衆レベルでウケた。
同時に、都と幕府の対立の中で権力者たちは加持祈祷を行う密教系の僧侶を重用した。どちらも、仏の真の教えからかけ離れているとして、道元は危機感を感じていた。ブッダの教えを改めて提示し、本来の仏法を教え、残さなくては・・そこに、使命感を感じたよう。禅宗や、曹洞宗であるというアイデンティティにこだわるよりも。
そうそう、仏教の勉強を趣味でして来た者として、番組を見ている途中で、これは原始仏教、つまりシャカ自身の哲学に近いのでは?と思っていた。法華経や華厳経含め、いわゆる大乗仏教はシャカの死後数百年を経て生まれた新しい潮流で、それぞれなんらかの土壌を持ち、なんらかのニーズに応えるものとして生まれていた。シャカの本来の仏教ではない、とさえ言われることがある。
一人の人間として自分を徹底的に見つめ、自己を乗り越えて自らの中に悟りを引き寄せ解脱する。密教のようなマジカルなパフォーマンス、華厳のような絢爛豪華な世界観は無い。
なぜ、道元が京都を離れて福井県の山深い地に永平寺を開いたのか。については、諸説あるそうだが、ひろさちや氏の解釈では、
「プロフェッショナルな仏教者」「本物の修行者」としての弟子たちを育てるために、隔離された場所で、少数精鋭を純粋培養しようとしたのだろう、と。
本物の、プロフェッショナルな者たちを育てようとした。
世間で横行している、権力(ビジネス)に媚びた仏教ではなく、大衆受けするための教義ではなく(けれど浄土宗や日蓮宗などは、当時の不安を抱えた力のない一般の人々の助けになったことと個人的には思っている)、
ブッダの真の教えを再現し、それを純粋なまま実践篇で体現していく修行者を育てていくための、指南書「正法眼蔵」、そして修行場の永平寺。
急に道元さんが、他人とは思えなくなって来た(笑・分かる人にだけ分かるところ)。
そして800年もの間受け継がれ、今では世界から注目される存在となっている。
いつの世も、思想やスピリチュアリティにおいて、起きることは同じだと今回もまた改めて深く感じ入った。同時に、二日前の目覚めの瞬間に響いたフレーズからのこの流れは、メッセージでもあり、シンクロニシティでもあり、ガイダンスでもあったのだと感じた。
感謝。
Love and Gratitude,
Amari
P.S. 生徒さん向け、アップデートブログも本日、更新しています。

日本列島の誕生・秘教的考察

 

インド、ヒマラヤ、チベットのマスタークリスタルたち。(私物)

日本列島は、かつてはユーラシア大陸の一部であった・・古代史や考古学をやっていると自然と出会う情報ですが、頭に入れたのが20年前だったせいか、単に氷河期が終わって氷が溶けて、日本海が出来た・・とかつてはなんとなく思っていました。Amari’s 小説の『ハピの巫女姫』(2003年執筆)においては、1万1千年前の天変地変・大洪水にて、日本が大陸から切り離されたということにしていて・・

近年の研究から次々と色々なことが分かって来て、そういう面からも時代の変わり目を感じています。不思議なほど、各ジャンルで画期的な新発見と発表が相次いでいるこの数年。

2016年春、1期目の石巫女アースワーク専科でも取り上げていたのですが、日本列島というのは非常に特殊な、面白い経緯で出来上がっているのです・・今年もまた石巫女クラスが進行中・・ということで、再び新旧の文献やメディアの資料などを覗いていました。一度、整理のために書いておこうと思います。

今年は地震、天変地変という側面でも注意が必要な時だと思うので、少しでも意識を向ける人が増えればいい。去年放送されたNHKの『ジオジャパン・奇跡の島はこうして生まれた』がヴィジュアル的にもお薦めなので、ご紹介します。気になる方はぜひ、オンデマンド等で見てみて下さい。

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『ジオ・ジャパン』での表現や学者の方のインタビューなどをお借りして、書いてみることに。。。日本列島の誕生は、遡ること3000万年前に始まる。神戸大学の乙藤教授の研究で、火成岩に含まれる鉄が示す磁気の測定から、西日本と東日本に、それぞれ逆向きの回転する力が加わって、大陸から引き離されたことが推測された。さらに、岐阜県とハバロフスクでそっくり、ほぼ同じ地層が発見されたこともあり、ユーラシア大陸と一連の部分であった日本が、大陸から、なんらかの理由で逆回転、いわば観音開きのように西日本と東日本が引きちぎられた事が分かった。

そんなことは世界でも稀で、他に例を見ないらしい。全世界には十数枚のプレート地殻がある中で、太平洋プレートはもっとも広大、それゆえに流動する成分が溜まって境界付近では100kmもの厚さになるという。その巨大で重たい海洋プレートが大陸プレート(ユーラシアプレート)の下に沈み込みを続けているうち、力の負荷から逆向きのマントル対流が生まれ、ユーラリア大陸のヘリがどんどん地下の力で引き伸ばされて、薄くなっていく。そして、ついに大陸本体から剥がれてしまった。。

3000万年前に生まれたその剥離の動きから、2500万年前には観音開きで西日本が時計回り、東日本が反時計回りに大陸からちぎれた。双方の間は離れていて、別々の島を呈していた。1500万年前に、ほぼ今の位置に落ち着いたらしい。たまたま地球最大の太平洋プレートに接していたため、ユーラシア大陸のヘリが裂けた。・・地球史上でも稀な、類を見ないことが起きた。

太平洋プレートの南には別の海洋プレート、フィリピン海プレートがあり、それが上方での3000〜1500万年前に起きていた動きにも影響を受けていた。1500万年前に、大陸から引きちぎられた「日本列島の元」が今の位置に定まると、それまで西方向に沈み込みを続けていたフィリピン海プレートの向きも変わり、北へと方向を変え始めた。そこには、一列に並んでいる海底火山の列があり、方向転換したプレートに運ばれる形でその火山群は次々と、東西に分かれていた日本列島の間を偶然、埋めるようにして、連続衝突していった。

一列に並んだ火山島が次々と衝突し、島と島の間の海峡を埋めて地続きにするという、地球史上他にないことが起きた。1500〜500万年前の出来事。

それにより、中部の山々(櫛形山地、御坂山地、丹沢山地)と伊豆半島ができ、それらの衝突運動でたまったマグマが噴出する形で、後に富士山もできた。

時を同じくして・・1500〜1400万年前の西日本では、同じく海洋プレートの沈み込みにより地下にたまったマグマが原因で、世界でも最大規模の超巨大カルデラ噴火が起きていた。それにより世界の気温が10度も下がるという影響力を持つほどの地変である。冷えて固まったマグマは紀伊半島の地下で、神奈川県サイズの巨大花崗岩となって今でも存在しているのだとか。。その一部が地殻変動で地上に出ることもあり、熊野地方には巨石が多く(!)、火山もないのに温泉がカルデラの噴火口そのままの半円状に点在しているという。

紀伊半島だけではなく、同じ頃に西日本でカルデラ噴火が多発していた。マグマだまりに地表が陥没→火山灰・マグマが噴出→冷えて巨石・巨岩となる→ 海底の花崗岩が(マントルの中では軽い成分のため)浮力により上昇、地表を押し上げた結果、山地ができる・・これによって、もとは平原だった西日本に山々が形成されたのだとか。

なぜ、このような地殻変動、マグマの運動が起きたのか? それは、上記の大陸から観音開きで引き裂かれて今の位置に落ち着いた西日本が、たまたま、高温のマグマを抱えたフィリピン海プレートの上に乗り上げてしまったから。

このあたりは地質学者の三浦大助氏の研究チームの研究によるもの。

そうして、山々がそびえる西日本が先に出来上がった。まだ半分が海の中に沈んでいた東日本は、300万年前に突然の隆起が起きる。房総半島の側で沈み込みを続けるフィリピン海プレートが、太平洋プレートとぶつかった為に方向を北西に変えた。それにより大陸プレート(北米プレート)を圧縮する形になり、結果、東日本の山脈が生まれたという。この東西圧縮の動きの最後の最後、房総半島が海から顔を出し、今の日本が完成。50万年前のこと。

ちなみに、今でも圧縮による隆起は続いているという。プレートが他のプレートにぶつかって方向を変えるというのは、地球史上、滅多に起こらないと、番組の解説をされていた火山学者、神戸大学の巽好幸教授。

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こうして文章に書き起こそうとすると、文系頭では思わずスピードがいつもよりも落ちてしまうのだけれど・・CGというヴィジュアルで解説して頂ける今の時代は便利。

駿河湾と相模湾、そして熊野とその周辺の海底。房総、茨城沖など、ここ数年気になってきた場所には、プレートレベル、海底レベルで何かあるのだろうと思って来たけれど、熊野に実際に旅した時に感じた超古代・・を通り越した原古の地球の記憶のようなものをも、想起しながら番組を何度か繰り返し見ていた。

個人的には関東の地震よりも南海トラフがとても気になっている。

そして東北、北日本はかつて地震などの災禍を「引き受ける」ことがあると感じていたけれど、ジェネシス概念や、地球史に照らすと、北日本は高次自然界のエネルギーを強く残している、上空にもその繋がりが残っていると感じて来たことと無関係ではないのかも。純粋な自然界の王国の名残が、その世界の自己犠牲的な性質が、大地にも投影されているのかもしれない。

紀伊半島はこれから少し、キーになるかも(シャレではないけど)。地下にあるという神奈川県サイズの花崗岩も気になる存在。そう、3年前に出向いた熊野ではイザナミの墓所といわれる海岸近くの花の窟(いわや)神社に行っていた。火の神カグツチを産んだことで亡くなったと言われるエピソードと、この1400万年前のカルデラ大噴火は関係があるかも? ならば夫婦神での国生みは恐らく1500万年前ということになるだろうか。

そう。1500万年前、というのが秘教的観点からすると見過ごせないものがある。諸説ありつつ、アルガンザ・ジェネシスでは現在の地球の管制ロゴスたちの地球への到来を、1500万年前としている。そして、以前からガイアワークを考える際にいつも頭に置いているのが「地球雛形説」だ。今回、日本列島の成り立ちの全容を改めてNHKさんの『ジオジャパン』で眺めていると、ナレーションや解説の中の「たまたま」「偶然」の連呼が気になる。そして「1500万年前」がひとつのポイントになっているという点も。

現在のシリウス系の管制グループは、進化プロジェクトのある局面を担うために招かれた(あるいは配属された)エキスパートだと考えるが、その到来と日本列島の外枠の完成=1500万年前 が一致するのは興味ふかい。雛形の中に地球全体の様々な勢力やエネルギーやテーマをミニチュア状態で盛り込み、レイラインや高次世界との次元トンネルや、宇宙エネルギー同士のカルマなどを、日本列島やこのフィールドに「仕込み」地球プロジェクトを考えていく為の、進めていく為の小さな実験場。それを早急に作る必要があり、プレートの向きを変える、マグマ溜まりを動かす、などの手を加えたのかもしれない。。「神々」にとってそれは難しいことではないだろう。

花の窟神社で感じた、とろけるような女性的な空気は、アルガンザで扱っているリラ由来の創造の蜜色エネルギー「ディーザ(Devine Mother)」の空気感によく似ていた。伊勢神宮のような清々しい高周波はシリウス。明らかに違っていた。旧システムから新システムへの切り替えも、新勢力であるシリウス系マスターたちの到来後に起きている。母神イザナミの物語も、それを表現するものかもしれない。

それにしても、日本列島の成り立ちは本当にミラクルだ。番組のゲストの方が言っていた。「偶然といっても余りにも凄すぎて、最初から仕組まれていたのではと思っちゃいますよね」・・・

・・・『ふふふっ』と心で笑う私であった・・・(笑)

地球史・地質学方面だけではなく、人類史においても、この2〜3年で画期的な発見が相次いでいるようで、ちょっと目が離せない感じがしている。時代の変わり目には、生きる人々の意識や生活・概念や文化が変わるだけではなく、それらを固定していた人類全体のマインド、メンタルフィールドに変化が起きなくてはいけないということか。学者の人々がある意味、導かれ、インスピレーションで動いたり閃いたりして、これまでどうしたって見つからなかったものが急に見つかったり、新しい学説が生まれても、もみ消されずに育ったりして、メンタル界から変化が起きる。そうすると、

それを受け取り、生活レベルに落としていく民衆レベル、民衆のニーズに応えようと常にアンテナを立てている企業・産業レベルにも、否応無しに変化が起きていく。芸術文化面の人々も、連動する流れをキャッチして、作品を生み出していく。それがまた民衆の感性や行動に変化を起こしていく。

ああ、こうして本当に、世界が今、変わろうとしているのだ・・・と、噛み締めてしまった最近。石巫女でも二年前の時点で「もしや鉱物界というより、ワーク対象はプレートでしょうか?」と言っていた時もあったけれど、私たち、物質界の生命圏を載せているプレートは、何よりも我々の運命を握っていると言えるかもしれない。

地学方面からの列島史、人類の発祥や日本への流れについても色々と分かって来ると、それが神道や神話、古代史あたりまでと結びついて、我々のルーツがより明瞭になっていく。そのような思考的・思想的・実学的な形を通してでないと、実際の社会や人間の意識は変わっていかないのだ。私たち個々の癒しと成長においても、ただヒーリングのエネルギーが入ったり、ハイヤー層から降りて来たとしても、それだけでは定着していかず、本当の変化は起こらない。全レベルにおいて、同じトーンが響くからこそ、実際に変容が起きていく。それと同じだと感じた。

今日はこのくらいで。

Love and Grace

Amari

エゴをくすぐらないのが、善なるスピリチュアル。

頼りになるスフィアたち。インスタでも呟いた、偶然にも同じサイズ。運命を感じる・・(インド産ガーネット、セラフィナイト、ガブロ=ミスティックメルリナイト)

イギリスのドラマを見ていて、出て来たセリフ ==「悪が喜ぶのは、善人が何もしないこと」・・・本当にその通りだ。個人的にはそうであってはいけないと思っていて、特に「何もしなくていいよ〜。しないほうがいいよ〜。」という風潮で一人また一人と、第二チャクラでそのアストラル幻惑に囚われてしまう人間の性質が好きではなく、日本人はまさにこの言葉にハマる国民性だとも思った。みんな善人、そしてみんなで何もしない。大きな悪ははびこらないかもしれない。けれど、善も発展しない。。。

「さすがイギリス!」と言えるのだろうかと考えてみる。同じ島国で似ている所もあるけど、行動力に関しては、市民革命は政治レベルで無血で済み、奴隷解放はアメリカのように戦争をせずともやはり議会レベルで実現した。つまり勇気を持って社会を変えようと立ち上がるインテリが居て、議会にそれを持ち込んだということ。そしてイギリスと言えば、ビートルズを、ストーンズを、パンクを生んだ国。・・そして確か黒人音楽やマイケル・ジャクソンへの評価も、本国ではなくイギリス人のアンテナが成し遂げたと聞いたことがある。・・つまり偏見や固定観念で新しい時代の萌芽を抑圧せずに、変化やエネルギーの解放を受け入れる勇気を持っているのかもしれない?仮説。イギリス人は正義感が強いのだろうか?

もっとも、歴史の流れや美徳と言えるかつての要素は、日本も似ていた。世界大戦に負けるまでは・・恐らく日本人も正義感が強かったに違いない。

「悪が喜ぶのは、善人が何もしないこと」

哲学者バークの言葉と言われている。英語では、

All that is necessary for evil to succeed is for good men to do nothing.

これをブログにでも書こうかしら・・でも、ま・いっか。と流していたら、10日と経たないうちに別のイギリス映画を見ていたら、同じセリフが出た!そちらの字幕では「善人が何もしないと悪がはびこる」となっていて。10日のうちに2度も見てしまったので、書いてみようかな?と思った次第。

本当かどうか分からないけど、塩分をとるなと言われて塩分不足になっている日本人は、自分で考える力が削がれているとか、戦後にアメリカから牛乳を飲むように指導され、それにより松果体が石灰化しているとか・・色んな話がある。そういえば、私は子供の頃から塩分大好きで、今も積極的に塩分を摂取(控えたほうがいい、という世間の風潮は全く気にしていない)。ただ、良い塩分しか取らない(化学調味料や食塩は取らず天然のもの)。それに、子供の頃から牛乳が苦手で飲まないようにしている(でも乳製品は食べる)。

まさかそんな理由ではないと思うけれど、集団の中でのいわゆる無気力状態というか、学校(高校生以上にその傾向)でも、会社でも、世間全体においても、自分自身で感じたり頭を働かせたりして、生き方を決めて行くのではなく、空気としては少しモヤモヤっとしたまるで魔法に掛けられるような集団心理に素直に身を預け、そこから自分の人生を決めていくという在り方が、ずっと理解できずにいる。若い頃はそれこそ、パンクのように暴れ出しそうな勢いだった。(実際にハードロックが好きだった・・)

人々が思っている以上に、人間社会の病(やまい・病み=闇)は深刻なのだ、というのが今年、強調されて入ってくるメッセージの中心にある。問題は行動力ばかりでなく、判断力が働かないようになりつつあること。

アルガンザでは、去年からの情報の混乱期から1月、2月と徐々に抜け出し、更に今年とこれからの意味付けを悟るために、3月・4月は象徴的な出来事を見たり聞いたりと続き、だんだん高次の言いたいことが、本当の意味で理解でき、これからの7年の役目とそのための意識や周波数の設定がさらに整理できて、5月に入る頃にはそのためのエネルギー補充で、強化されていく感じがあった。そんな折・・今からちょうどひと月前に、珍しく偶然に人様のお仕事振りを拝見する機会があって、衝撃を受けた。

10年以上前から知っていて、個人的に好感が持てるクオリティの高い良い仕事をなさっている方。が、低迷期にあり、すっかり弱ってらっしゃる様子だった。そして、戸惑っているポイントや起きている現象などに、規模は違えど共感できた。私自身も去年、そんなターニングポイントが来ていたから。何か同じ(ライトワーカーとしての)流れに乗っていると感じた。カオス期の中で、善なるものが、変容期の渦に巻かれてしまっているような。

けれど、自分としては上記のように、集合意識の背景にある善のほうの力の意図することを受け止め、なるほど〜と思ったところだったので、目上の方・尊敬する大先輩でありながらも励ましの言葉と、黙って癒しの波長を送らせて頂いていた。

その後、アルガンザのお仕事の流れは更に、新しいサイクルに適応せよと言われるような現象とサインが続いて、ある種の高次の采配で、シンクロニシティや、逆シンクロと私が名付けている現象が、関係者の人々に一つひとつ説明できないくらいに同時多発で起きているうちに、分かったことが、

(三次元パーソナリティとしては認めたくない気持ちもありつつ・・)

「光の振りをしている闇」と、本物の光 の争いの本格化が起きている。

・・もちろんいつの時代でもずっとあるのですが、先日書いた記事のような今年からの7年サイクルの中で、どうしても避けられないようだと、受け取った。

そして、「争い」と書いたものの、表立ってバチバチッと争う訳ではなく、結果的にそうなるという・・更には、「もう争いはいらない」というメッセージを発するところこそ、本当のライトワーク=人類を進化させるために必要な作業、つまりその「争い」に参加をしない・させないという意味で、「光の振りをしている闇」と言えるという、パラドックス。これを、人々が見抜くことが出来るのだろうか?

今書いていて気づいたのは、まさに上に挙げたイギリスの言葉に照らせば、この潮流の中で何もしない、という人々が多ければ、良い方へ行かないということになる。

光の振りをしている闇 と、本物の光 の争いの本格化

「争い」・・は、誰も望んでいないはず。けれど、通過しなくてはいけないゾーンのようだ。ノンデュアリテイ・非二元のメッセージも、本当に真髄として伝えた人たちが居たところから、またその言葉のもつ力を落としめる風潮もすぐに生まれた気がしている。メタフィジ界でも、学問でも、何でも、誰かが素晴らしいものを高次から受け取って世に出すと、少し時間が経って、その質を(支持している振りをして)落とす逆の動きが生まれる。というか、やっている人々は無意識で、背後でそういう力が働くのだ。

ある方が、去年からの潮流や現象を分析した結果、この変動期のカオスの中で、本当ならば進化していけるはずの要員だった人々でさえ、乗っていけない魂たちの悪あがきに巻き込まれ、足を引っ張られて滑落しているのではないか・・という話も、最初に聞いてから3ヶ月ほど経った今は、「そうかもしれない」と思う。実例をいくつか見てしまった気がしている。

「・・の本格化」というメッセーを受け取ったことで、上記の、レスペクトしている仕事人の方の様子を見に行ってみた。ら、このひと月で良い流れが生まれたようで、すっかりお元気になられていて、安心した。一月前、その方の言葉で、「人々のエゴをくすぐる仕事は、善なる仕事ではない」と聞いていて、そういう姿勢の方が低迷されるなんて・・と、幾らか自分も悲壮感を味わっていたので、その後、持ち直されていて本当に良かった。先方はもちろんのこと、その変化が、自分自身とも時期的に一致していたことにより、やはり同じ時代の変化の流れに乗っていると、確認も出来た。

エゴをくすぐる・・は、電化製品や食産業だったらいいだろう。けれど、メタフィジカルではだめ。なぜなら、エゴセルフをてなづけてソウルセルフに主導権を渡していくように促し導くのが、メタフィジカル(スピリチュアル)の本来なのだから。あらゆる自然療法、ホリスティック、癒し、そして覚醒などの目標を掲げたメタフィジカルな世界の前提は、「人は肉体にあらず。魂=エネルギーである。」

にも関わらず、メタフィジ界に、決して魂の領域には進ませないように仕事をしているスピリチュアル専門家 が沢山いる。繋がっているところが違うのだ!(本人さえ気づいていない人も沢山いるし、元々のメソッドやシステムがそうなっていてそれを採用することで闇側の要員になっている人も)

楽そうに見える道には落とし穴。または、どこまでいってもゴールにつかない堂々巡りの道。

「こういう学びは一本道で、進むか戻るかしかない。」と言うと、不思議なほど反応する人が多い。おそらく聴いている意識の層が違うのだろうと思う。「道は沢山ある」と返ってくる。・・・・・そういう意味ではない。道は確かに地上レベルでは沢山あるだろうけれど、森羅万象・全ての生命(魂)をつなぐ仕組みは宇宙でたった一つしかなく、それが宇宙そのものなのだ。宇宙それ自体と調和するよう自分を純化していく、ただそれだけのこと。

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Love and Grace!

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