方舟航海もあと二年。

今日は何気なく「乙女座」の話をしていたら、そう言えば昨日23日からは乙女座の時節なのか・・

私は月星座が乙女座で。そして乙女座には「研究・勉強好きな修道女」のイメージがある。男性であっても、分野が違っても・・たとえば「探求熱心な僧侶」でもいいと思う。つまり純粋性と、探究心、そして奉仕が一緒になっているイメージ。月の星座は過去生だとも言うけれど、確かにとてもそんな気はする。

ずっと以前、ネット上で知り合った占星術系の方が、「女性の場合は月との関係、陰のエネルギーの作用から、他者から見ると月の星座の印象で見られるのではないか」という仮説を聞いた・・そしてこれもきっとそうだ、と思っている。周囲の人、身内も含めて、少し距離のある「他者」から受ける印象は月の星座的な評価で、自分の自己イメージとのギャップがあるよう。

他者から見える、というだけでなく、やっぱり自分の中でも太陽、月、に限らず。さまざまな要素があると思う。それをいかに情報を収集しながら、統合していくか。今は特にそれが重要な時だと感じる。アルガンザのグループでは、アリス・ベイリー著書が伝える2025年、第四光線の顕現・・に、注目し、「時代の変わり目」という意味で意識を置いている。

けれども、私の感覚では、新しい時代=よりスピリチュアルが高まる ものだとずっと思って来たものの、なにかこう、まったりとした怠惰な空気感で、今まで立てることができていた知性のアンテナも、立てにくくなっているような空気感を感じる。街を覆うエネルギー、集合意識に漂う雰囲気も。

それで、今朝は一般の人々が、地球の変化や気候変動などにどれほど危機感や意識を向けているのか、を、人に聞いていたりした。私の周囲、日々顔を合わせる人々はもちろん一般の人々ではあるけれど、スピか、半スピ・・少なくとも私の話を聞き慣れていて普通に聞いてくれる人々だから。

それと、どうも気になっているのが、目が「どよん」とか「とろん」としている人が多い。今は夏の暑さもあるけど、それだけでではなく。ここ数年レベルで。

・・と、「第四光線」のイメージがどうもまだうまく掴めないので、改めて調べてみた。色は黄色だそうだ。なるほど。世界がなんとなく黄色に包まれている感じはしている。

そして日本は国単位の「パーソナリティ光線」が、第四光線・・なのかな? なるほど。日本は黄色だ、確かに。

テーマは、調和、統合・・・ けれども、その為に厳しめの修行や浄化が起きるというのを踏まえると、これまでのスピリチュアルな「常識」もちょっと脇において、感じて考えていかねばと今更に思う。

う〜ん。改めて調べた結果、やっぱりよく分からなくなってしまった。今漂っている雰囲気も含めて。

でも思うのは、自分自身は2018年になぜか「コロナ」的なテーマを超えていて、10年来風邪も引いていなかったのに、呼吸器系にこじらせる風邪を一年のうち3回も引いて長引き(その後、2019年以後は普段の自分通りまったく風邪も引いていない)、2019~2021年も「試練の時」というという感じだったけど、2022年から着々と、「なにか」から抜けつつある。石井ゆかりさんの本から「方舟の七年」の話を前に書いたけれど、


2018年5月から始まったというそのサイクル、(もしU字型の変容期をイメージするならば)真ん中の谷間を抜けるのは2022年の春、というイメージ。私自身の体感としては、確かにそこで「白い聖堂」が始まり、前半期(2018年明け早々からの混乱期)に比べれば、その頃(2022年春)に現象化していた問題たちは解決していって、確かに次の時代に向けてというテーマが自分の中に今は自然にある。

光線の到来、顕現といってもそれに対する反応は恐らくかなり個人差がある。社会全体などはきっと、顕現すると言われている25年以後、具体的な影響を受けていくのだろうけれども、私のような仕事をしていると恐らく「その後」の時代感覚のようなものが今、(変容期を経て)自分の中で動き出しているように感じる。統合、調和がやはり目下のテーマだ。

「黄色」という色で表現されたりイメージされてきた、(戦隊モノの黄色担当も・笑)「欲」「自我(エゴ」「怠惰」など、人類をダメにしてきたネガティブなほうの要素を、人類が克服していく時代、と、捉えたらいいのかな。ということは、黄色の良いイメージは、ポジティブさ、陽気さ、目標意識、という感じ。

もっと言えば、人類のエゴセルフそのものが、欲や利己を乗り越えていかなくてはいけない時代。そのテストがうまくいかなかったら、人類は滅びる。滅ぼされる、くらいの時代がこれから来るのだろう。「第四光線の顕現」はつまり、シャンバラからのテストだ。甘やかせるために光線を提供するわけではもちろんなく。

(2024年現在また少し違った見解ですが、折々で改めて書いていきます)

神智学の、「地球全体の歴史を見る、感じる」視点は、やはり必要だ。その層で考えていないと、人間とはなぜ存在するか、人の歴史や社会とはなにか、その中で「今」の位置付けなどは、到底、想像ができないだろう。その視点で物事を日常的に考えている、各分野のアカデミズムの先生方、などの考えや著作に触れているから、「こんな呑気な感じでいいの?」と、感じてしまう。(←けれどいつの世も多分、一般社会とはそんな風なのだろうとも思う。だから、突然「その時」が来てしまう。本当は全然、突然なんかではない。)それが(上に書いた)今朝の会話にも通じる。

とにかくは、発信しつづけることだ。そして、一緒に発信してくれる仲間たちを、作っていくこと。

Love and Grace

ロスト・エモーション

 

縄文土器と縄文の森

リドリー・スコット(監督)の名前につられるように、映画『ロストエモーション』を見た。核戦争で地球が壊滅状態になったあとの、生存者たちによるハイテク管理社会。遺伝子操作で感情を持たない新たな人類が生きていて、感情を「発症」すると病気として治療を受けるという。重症になれば隔離されて安楽死、という何とも悲しい設定。

リドリー・スコット監督は、以前日本の大林宣彦監督もそうであったように、監督その人の雰囲気や人柄が好きでファンになり、作品も見るというシリーズで。今回は制作総指揮で、プロデューサーになるのかな。監督は別の監督で、原作も手掛けているよう。独特の演出は未来のハイテク管理社会の機械的な雰囲気を出しているのだろうけど、青白く、影の多い暗い映像、静かすぎる、そしてどこか切なすぎる空気感に負けて、長時間見られず。

数回に分けてようやく見終えたところ。こういう見ていて切な苦しい映画はきっと、最後まで見ると救われるのかなという予感もしていた通り、まずまず爽やか。でもやっぱり切ない終盤。

日頃、神智学やヨーガ思想から、「感情を収めて」と繰り返し言っているので、常々、心配していることでもある。誤解されがちな事なので。

けれど結論として、この映画の予告編の「ユートピア?それともディストピア?」という問いかけは、当然、ディストピアでしょうと言いたい。もちろん・・

ヨーガの実践者、先生方なども、アリス・ベイリーの代弁者の方々もそうだろうと思う。感情を超えていくプロセスこそが、人間の成長、人類や社会の進化と平和に向かっていくために大事なことなので。感情をバッサリと切り落としたら、ヒトの中の本能のような部分が、支障を来たすに違いない。遺伝子操作、人間を作った「神々」がこれをいつか行ったとしても、人間それ自体が行うこと、引いてはそのようなテクノロジーの使い方をしてしまう事自体、きっと道を外れてしまうのだろうと・・個人的には思ふ。

若いころ、自分の中の苦しみや、収集のつかない部分の要因を探っていった結果として、「感情を超越できるなら生きているうちにそうなりたい」と呟いた私に、友人がやや怒りまじりに反論して来た。「感情が無かったら人間じゃないでしょう」と。

更には、同僚の女子たちとの恋愛観トークで「人間として、ではなく魂として自分を必要とする人」と答えると「人間としてではなくって何よ」と一人が怒りだした(笑)。

また、フランス人的な冷静な客観的語りで相手が傷つかないよう別れ話などしていると相手は「血は流れているのか、植物人間じゃないの?」みたいなことを言って来たっけ(笑)。

それらの全てが「誤解」なんだけど、伝わらないからいつも諦めてしまう。人間性として人以上に人情的だったりするところ、だからこその「感情を超えたい」という発言も、相手を極力傷つけないための客観的な態度も、それぞれ聞く人々のエゴセルフのフィルターを介すと、その人の思い通りにならなければ『冷たい人』になってしまう。

詳しくは、先日紹介したエイミー・アダムス関連の映画のメインブログの記事(「アライバル」で大泣きした、という部分)と繋げて読んでいただくと、ご理解いただけるかも?

そう、それから、スクールをやっていた時にも生徒さんたちの反応も時折、怒りのようなものが垣間見えるのが、やはり神智学の感情についての部分、それから闇、ダークサイドの話。なぜか怒りを感じて反発したくなる様子を何度か見かけた。人間って、というよりエゴセルフって、そういう風に出来ている。進化と逆行するエネルギー、プログラムが、仕掛けられているからだ。。

それを全て味わい尽くして、時に許して、解き放って、その仕組みに人生をコントロールされないように、カルマ(常に感情が関係)を乗り越えていく。感情についても、その他、エゴセルフの「魂の内部に統合されたりしたくない」という声についても同じ。

感情の揺らぎや反応は、そこ、その部分にこそ、自分のカルマや問題点の根っこがあるよと教えるサインでもある。だから急にブツっと消されたら、それこそ神智学的な神なる世界(人類の親)の進化プログラムは元もこもなくなってしまう。可愛い子には旅をさせよ、と、自由意志を許して見守っている視点、ガイアという魂たちの成長プロジェクトの計画が、為されなくなる。

この映画については、原作者でもある監督は、無神論者であるのかな? 人間の背後や周辺には、人間しか居ない、という思想でないと、こういうストーリーは生まれないかも。。

ネイティブアメリカン、ケルト、縄文・・つまり世界中の石器時代までの人々は、循環する生命の仕組みとその背後の力を知っていたし、そこと自分たちとの間にはしっかりと一体感があった。やはりその感覚を思い出していく他、ないのではないかと思う。「仏教では」「インド思想では」「神智学では」と切り出すと、宗教だと言われて(また誤解されて)しまいそうだから・・。

アニミズム(自然崇拝)と、仏教(インド思想・輪廻転生する宇宙観=これはきっと正しい)的感性を、ナチュラルに合わせ持っている日本人はやはり重要な立場にある。

今日もまたひとつ、あるいはそれ以上、地球の未来のためになることをしよう。毎日必ず、そのことを考えよう。そして何か行動しよう。小さなことでも。

Love and Grace

Amari

想い出は魔法

ディズニー映画の中でもかなり好きな『魔法にかけられて』の続編の、ネット配信(劇場公開はしないよう?)の報せをツイッター等で見かけてから、半年以上。ようやく見ることが出来た。

主演のエイミー・アダムスについては、以前もブログで「魔法に〜」含めて三作品について語った記事あり。

それで、いつものようにネタバレ失礼しながら、メタフィジ目線で感想を。昨年11月の時点で予告編を見て、検索して口コミもザザっと見ていて、1が好きだからという以上に、2を見るのが楽しみになっていた。

初作の原題は Enchantedで、そのまま邦題は訳されている→「魔法にかけられて」(enchant 「呪文を掛ける」「魅了する」など)

で、今回の続編は日本では「魔法にかけられて-2」ということになっているけど、原題がまた面白くて『Disenchanted』。魔法に掛ける「enchant」の受身形だった前作に対して、それが外れた「dis-enchant-ed」で、普段この単語は日本語では「幻滅する」などの意味に訳される。

語源的には dis= 外れる、で、「呪いが解ける」という感じか。

初作ではまだ若いプリンセスであった主人公「ジゼル」が、二次元の世界から魔女に魔法を掛けられて三次元のマンハッタンに次元移動・・ニューヨークの弁護士という現実世界のエリート、それもシングルファザーの男性と恋に落ちる。そこに、ジゼルの婚約者である二次元世界(アニメ)のプリンス・エドワードが「助けに」やってきて、更にはその継母である邪悪な女王(笑)も追いかけて来て。

ある意味、ニューヨーク舞台のラブコメの形をとった、ディズニープリンセスの新たな境地で、セントラルパークや摩天楼など、ニューヨークの風景とともに進んでいく、けれどそのストーリー展開はとてもディズニーで、悪者を倒して(王子ではなくジゼルが倒す。。)、恋も成就。婚約者のプリンスではなく、弁護士のロバートと。

ロバートの恋人であるナンシーは、NYのキャリアウーマンという設定だけど実は乙女チック、ロマンチックな恋を求める女性で、登場するたびに笑えるほど「ディズニーの王子」を大げさにコメディタッチに表現しているエドワードに、意外にもときめく(笑)。そして二次元の花嫁になるという(!)。

このナンシー役が、歌うシーンすら無いのになんと、アナ雪で世界的に名が知られることになったイディナ・メンゼルが演じていて、当時は私も気づかなかったけど、後でブロードウェイの有名な女優さんだと知って、歌えば良かったのに〜勿体ない!と思っていたっけ。今回続編ではさすがに、たっぷりとイディナが歌うシーンがあって何より。満足。

(ちなみにアナ雪はご縁が無いのか、ビビっと来る事もこれまで無く、まだ見たことがない。笑)

メタフィジ視点で印象的だった箇所を幾つか。

まず、ディズニープリンセスの「型」をそのまま、アニメの二次元から、現実世界のニューヨークに移動させた、という点でまさにコメディ要素もある「ラブコメ」でもあり、プリンセスの様々な「型」をあちこちの場面やエピソードに散りばめた点が前作の魅力であり、多くの人に愛され支持された。

しかし乍ら・・私は「さすがディズニー、さすがアメリカ」と唸ったんだけど、恐らく続編にがっかり(disenchanted)された人々は、その「型」を崩されたことに「ルール違反!」のような気持ちになってしまったのかも。期待が大きい分だけ、そうなるのかも。

制作のブランクは15年だけど、設定は10年後らしく、当時7~8歳だった可愛いモーガン(ロバートの娘)は高校生のお姉さんに。思春期真っ最中らしく、おとぎの国?出身のジゼルにはそれが理解出来ない。何がいけないのかしら、今までは完璧だったのに。。と。加えて、ロバートとの実子の新たなベイビー(ソフィア)が生まれて、夫婦共働きのニューヨーカーとしての育児生活に疲れ果てたという事情もあったよう。。

そこに、「まさに現代のおとぎの国!」みたいな看板を見かけてその郊外の街へと引っ越すことに。続編はそんな風に始まる。

(詳細は、ぜひ、予告編を覗いて下さい。)

で、ヒーラーおよびジェネシス視点で深読み混じりに分析するに、

ジゼルがモーガンの思春期を理解できずに悩み始めた、という時点で、現実の周波数が下がる。そこに、見知らぬ街に引っ越し、家の修復が大変だったり、町内づきあいに戸惑ったり(強烈なおばさまがヌシとして君臨している・笑)そこで更にジゼルは悩む。

天真爛漫で、魔法の国出身なので、ある意味天性の魔法使い。ジゼルが歌うと動物が集まってくる、勝手に家が掃除される、みたいな。・・ところが、そんな彼女が更に悩み始める。こういう波動の高い人が悩みを抱えると、普通の人以上に、天性のマジカルな才能が、それなりの現実創造をし始める。(だからヒーラーさんはなおさら、日々の自分の心や意識に注意が必要なのダ)

「魔法の杖」を引っ越し祝いに故郷から貰ったジゼル、その杖で現実世界に「魔法の国になりますように」と願いごとをしてしまって・・続編の醍醐味はここで。三次元の「郊外の街」が、ディズニーで普段描かれる「魔法の存在する世界」にシフト。光と闇とがドタバタと・・そして魔法が自分に跳ね返った形で、ジゼルが何と(実際にモーガンの継母なので)「いじわるな継母」へと変容し始める。

気づいてもその変化を止められず、葛藤して分裂症のような状態になった彼女を、周囲の人々が助ける。特に決め手はモーガンとの10年間の愛の軌跡、絆という「想い出マジック」。

ジゼルの出身地(二次元)アンダレーシアでは、「想い出は最高の魔法」と言われているそうだ。

今回、配偶者との「真実の愛〜♪」ではなく、思春期を迎えて距離が開いたことに胸を痛めていた義理娘の、母への愛が、ジゼルと二つの世界(三次元も二次元も)を救ったという形に。

その時、すっかり良いナイスミドルというか、ちょっとまるで最近のハリソン・フォードを思い出させるような活躍を見せるロバート、新たなモーガンのボーイフレンド候補の少年、も、それを手伝っている所も良い感じ。

幻滅した、というタイトルは、ジゼルがこちらの世界の「そう甘くはない」現実に、10年過ぎてから体験した気持ちなのかな?と思いつつも、

「呪いが解けた」という意味での Disenchanted であるならば、ダークな継母に完全にシフトしてしまう直前になんとか、皆の助けでジゼルも世界も魔法から逃れたという部分もあるし、両方、掛けつつ、前作のタイトルを踏んだ絶妙なネーミングなのかもしれない。

そしてひとつ気づいたこと。「想い出は最高の魔法」

つまり、魂が呪われてしまった時。その人自身の愛や尊厳を思い出させることが大事であるという意味で、ヒーリング視点でも理にかなっている。ジェネシスヒーリング、レムリアントランスミッションほか、アルガンザワークもまさに魂レベルでそこ、その人の魂の本源を思い出してもらうような体験、光線、施術であると。

本日「ノストラム」の遠隔グループセッションを終えたところ。この映画を一昨日に見たのもまさに、天使の采配。

Love and Grace

Amari

アースデイのアースワーク

本日、クリスタルラボ・アースメディテーションがスタート。地鎮、広く言えばアースワーク、ガイアワークを石たちとともに行っていくグループ瞑想会。とは言ってもリモートであるし、オンタイムで参加出来ない方々はコールインで受け取ってもらうことから、「瞑想会」というよりは、「好きな時に受け取って下さい」というオンライン講座(・・にエネルギーワークが付いているもの)という感じでの2023年版のスタート。

今日の「鏡開き」(柱下ろし?)を経て、今後どう展開していくかが決まるでしょう・・ということで、臨んだ初回。
やはり以前の石巫女とは全然違うし、そうかと言って、更に古いアースワーク系講座や瞑想会ともまた違う。新しい何か。まだまだ未知数、そして2023年の今とこれからの活動なのだろうと思う。

偶然にも今日は、世界共通の「アースデイ」、地球の未来に想いを寄せる日。世界中でイベントが開かれている。

セイキムレイキの伝授を受けた時、地球が最初に「想念」から始まって・・それがやがて光になり、デザインになり、幾何学から・・少しずつ物質を成していって、形のある地球が出来るという様子を見ていた。自然科学としての地球の始まりは、太陽系が出来た後にその周囲にあった物質、隕石や小惑星どうしがぶつかりながら、出来上がったと言われている。確かに「物質次元の歴史」としてはそれでいいのだろう。私たち一人ひとりに、肉体としての誕生と、魂の再誕生としての受肉があるように。ストーリーは層、次元が変われば語られる内容、言葉も変わるもの。

どちらが正しく、どちらが間違い、とは言い切れない。どちらも正しい、どちらも真実であるとも言える。
見る角度や、語る際の焦点が変われば、言葉や物語は変わっていく。

一枚のヒラっとした紙に書かれた「事実」が、真実として存在するわけではない。・・・それは二次元。
けれど人々の思考はよく、三次元を通り越して二次元的に「固定」することを好む。紙や画面上に書かれた情報から吸収し、またその紙面上で自分も思考してしまうのかもしれない。三次元、縦横高さの次元に居るのに、思考は二次元となりがち。縦横高さ、それに加えて奥行きや量子物理学的な視点が加われば、三次元の住民であっても五次元的に機能し思考・創造できるのだろう。

アースワークや、ジェネシスのような世界観と向き合っていても同じで、直線の時間や、「右と左」のように両極として分けられることばかりではない。ヒーリングでも同じく、出てくる情報も多層的で、絵に描いたような二次元的なストーリーに収まるわけではない。けれども何とかそれを翻訳しながら、今の三次元のパーソナリティの視点に合わせるように努める。うまく行くこともあるけど、私の話が他のヒーラーさんたちの話よりも複雑で分かりにくいと、クライアントさんが感じることも多々あるだろうと思う・笑。けれど、奥行きを感じ取っていながらそれに言及せずにいる事は、心理として難しい。ここが課題。

ヒーラーになるよりも前に「ハピ」や「ガイアナ」でうまく行ったように、五次元的な密度の詰まった世界から適度に抽出して三次元的様相、ヴィジョン、感情や人間関係を語っていく事は心地よいし、読む人はちゃんとそれを受け取ってくれていた。本気を出すと・・つまりハイヤーシステムと繋がった状態で仕事をしていると、そのような次元の壁は消えて、難なく「五次元から三次元」への投影が出来るものだ。ちょうど、フィルムから映画をスクリーンに映し出すように。

そのような創作の瞬間を、いかに全ての仕事と、生活の全ての場面で、実現できるか・・ということ。ソウルの地上での顕現。スロートチャクラの仕事。

未来の人類は、今の太陽神経叢ではなく、スロートチャクラにパワーの中心が移ると神智学は言う。誰もが、ソウルとパーソナリティを統合して生きているのかもしれない。

話を戻すと、セイキムレイキの伝授瞑想中に見たヴィジョン、その時に体験したソウルの叫び・・地球が物質を為す前からずっと見ていて、組成されていくプロセスに関わって、こんなにも大事、大切な創造の結晶なのに・・人間たちは何をしているンだ!と、こういう場所(瞑想やヒーリング中)に泣くことなんて無い私が、そこで号泣していた。後で気づいたのは、その時ちょうど瞑想を誘導する先生の語りが、「あなたが地球に生まれてきた理由を思い出しましょう」というものだったよう。自覚はなくトランス状態だったけど、どうやらその「理由」は、そういうことらしい。

さてさて、その理由のために、何が出来るか。これからも考えて行こう。

Love and Grace

幻想に打ち勝つ

先日、ガンダルヴァ・・の Diary記事を書いた時、本当はその朝の気づきをツイートしようかと思ってPCに向かっていたものの、意外と頭の中に文章のフレーズがワワっと入って来たので、では一度まとめてから、その後、関連のツイートをしようと。それで記事にしてから、結局、ツイートするのを忘れてしまった。何を言い添えようとしていたのかというと、

男女ともに、更年期には恐らく、その性の中に組み込まれている原型エネルギーの堕ちた部分(リリス、ケンタウロス)と、向き合わされるのではないか、ということ。もちろん人、魂による。いつも言っているように輪廻転生の中で既に多くを昇華している人もいれば、まだまだの人も居る。人生を通じてそういったエネルギーや、現象化する問題がテーマだという人や家系もあるだろう。けれど、

そうでもなく、比較的穏やかに平和に生きてこれたと言う人も、また、ヒーリング等で多くを解放してきた人も例外ではなく、それぞれの程度の差や、出方の違いはあるにしても、男性に生まれればケンタウロス、女性に生まれればリリス、の原型エネルギーは、DNAの中に組み込まれているのではないかと考える。普段は大丈夫な人でも、更年期には何らかの形で現れるのでは?と。

最近更年期ネタが続きます(笑)・・友人や知人とも「老眼はどう?」「五十肩は?」みたいな会話をしてる(笑)。健康そのものでもう二十年、病院にも行っていない。今もどこか特別に調子が悪い訳でもないけれど、さすがに、自分の性能が全体的に落ちる感じは実感される。何となくの体調や意識や周波数では、私の仕事は支障が出るので、常にそれを敏感に感じるようにしているせいだろうと思う。

そしてもうひとつ。ジェネシス等の仕事の流れの結果といえばそれまでだけど、主にプログレッシヴの執筆〜去年末ころのイワナガ、リリス、まで。その筋のエネルギーと向き合わざるを得ず、それが(自分の中から出るというより、また、現実でもその要素はもともと人生パターンとしても現れていなかったので)サイキックアタック等の外部からの現象として、エナジーワークの仕事を通して、私の場合は向き合う結果となったのだろう、と。

ジェネシスのグループでも数年前から、PMSの時にはリリスの原型エネルギー集合場と繋がりやすいということを、プラクティショナーさんたちと話していた。満月=狼男 なども男性ヴァージョンで言えるのかもしれない。

そんな事をぼんやり考えていた日。NHKオンデマンドに何となくフラっと入った。そういう時はだいたい何かピンと来るものを見つける。小室哲哉さんのインタビュー、と目が合った。これまで全くファンでもなく寧ろ、全盛期に私は二十代と既に大人で、小室氏の仕事が日本社会に満ちている時は批判的な気持ちを抱いていた。(クラシカルな洋楽のロック愛好家なので・・若い頃、海外アーティストのライブによく行ったっけ・・)

なので、普段はどこかで氏にまつわる記事や情報を見かけても、特に興味を持つこともなく。それが、何故か気になり見ることにした。(きっと皆さんは既にご存知のことと思いますが)2018年に引退宣言をして、2021年に復帰されたとのこと。引退を決めた当時は、常にずっと持てていた自信、自尊心が全く無くなって、自分なんかダメだという気分に堕ちていたとか。そこに至るまで、色々とあっただろう事はニュース等を通じて何となく、私も記憶があるけれど。そこで掛かった原型エネルギーによる低下、落下、低迷・・のような、周波数の遷移もあったのだろうと。

なるほど、こうして拝見していると、とてもアンドロっぽい方なんだな。私は日本の音楽シーンには殆ど興味を持たずに来たけど、きっとアーティストさんたちは、やはりアンドロ系の方が多いのだろうし、小室氏のマルチなタイプの才能や、話している様子からもそれも感じた。才能を発揮して仕事を広げた後、弱い部分に何かの形で、引き下ろす力が働く。才能の器が大きい人ほど、創造あるところに、常にやってくる破壊の力。

そして男性の更年期、にちょうどスランプ期が当たったのだろうし、勝手な想像だけれど、外部からのケンタウロスやリリスの原型エネルギーが作用したのだろうと思いながら、拝見していた。自分がずっと信じてきた、自分自身を成功させ続けてきた実績がありながらも「自分なんか」と思わせる、引き下ろす力は強烈なものだ。けれど、魂が持っている光が強い人ならば、一旦は引き下ろされても、その幻想に負けずに復活できるのだ。

ちなみに、小室氏は無国籍な雰囲気がある・・日本人らしくないというか。私が思うに、魂で生きている人って印象が国籍不明なのだ・・ 娘がお世話になったシュタイナー学校の先生方もそうだった。ヒーラーさんも、ヨーガ等の先生方もそういう方が多いかな。三次元の大衆的グラマーから抜けた周波数域で、独自に生きているから、「日本人らしさ」を纏っていない、という説明が出来るだろう。

それから、シュタイナーの子供たちは、両親にあまり似ていない。そして、驚くほどにぽっちゃりの子がほぼ居なくて、スラっとしている。やはりテレビやメディアを見せず、ゲームや受動的なおもちゃなどにも晒されていないから・・子どもの時点で既にグラマーのエネルギー情報を吸収して育つのではなく、個として、魂として、育っているゆえだろうと思う。

(レムリアンセイクレッドレイキの「大地のサナトリウム」はその行程にちょうどフィットするように構成されている。第一段階で幻想や強い恐れのパターンを引き起こした「抑圧」や「攻撃」のレムリア等ジェネシス層からの原因にも、現在の抑圧状態にも響き、第二段階で細胞・神経レベルで深い癒しと再生、第三段階で周波数の引き揚げ、「復活と上昇」)

私がいちば〜ん最初に、ヒーリングやスピリチュアルに興味を持った時に、ある方から聞いた言葉、「恐れや不安は幻想」・・・そのたった一言を信じて、徹底的に信じて来たから、ここまで来れた。

後にも先にも、メタフィジカル道を、魂のフローに乗って進んでいくには、そのフレーズを常に忘れてはいけない。

そして必要に応じて、浮上してくる、または炙り出された恐れや幻想に、対処していく。

ではでは

Love and Grace

ガンダルヴァとイシスの巫女たち

 

桜も散り始め、早くも新緑が目立つようになってきた関東。

確定申告の第二弾も、先日無事に出し終えてひと安心。頭の中を数字と簿記用語が行き交う中、なんとか書いていた日記が今朝また消えてしまって・・一旦頭をリセットして、話題を絞って再度書くことに。今日の話題は「ケンタウロス」。

アルガンザのセッションの中で、いつ頃からかちらほらと出るようになり・・自分のセルフワークでもその前後から出ていて、何だろう、と思いながら幾つかのステップを踏み、一度2015年ころ?出来たばかりの「リリスリリース」の姉妹ワークとして、「乳海のニンフとケンタウロス」というものを作って。「リリスリリース」と同じ石たちやエネルギーソース、メソッドを使って、ケンタウロスを外す、というもの。リリスを外すか、ケンタウロスを外すか、という違いで、今思えば男女それぞれのヴァージョンでの同じワークだったと分かる。

いつもそうであるように、同じワークに組み込まれることの意味を、当時はあまりよく分かっていなかった。か、当時は分かっていたものの、ここ数年は忘れていたのかもしれない。今回、先日 Info記事に書いた「イシスの巫女たちの堕落」と、ケンタウロスが改めて一緒に出てくる体感や、セッション内容が続いて、両者は関連性があるのだろうと書いていたっけ。冷静に考えてみると、関連性がある、どころか、一対のテーマなのだ。出来たばかりの「リリスリリース」に、ケンタウロスを当てはめている時点で、そこまでは気づいていなかった。

何か別のものを、同じ手法で外すのだろうと。。。思っていた。

けれど、先日のInfoを書いてからさらに、何かあったという訳ではなく、頭や記憶を整理していくうちに気づいた。ケンタウロスが憑いて、巫女たちの約半数を「堕とした」ということだ。具体的には、神に仕え、人々の為に祭祀を担う無私の、公的な立場としての巫女たちが、自我により他者を蔑んだり、権力や名声を奪い合ったり、といった、今の人間社会にも存在するネガティブな精神を自らの中に「拓いた」・・・想像力が必要かもしれないけど、当時はまだ、人間はもっと純粋で利他であったと私は考えている。

そのため、「巫女たちの堕落」は、強烈な出来事であったと思う。彼女たちだけではなく、祭祀の中にもネガティブな神的エネルギーが流れ込み、結果として社会全体が堕ちていった。人類の堕落、いくつもの段階がある中の、ひとつの変換点であったと思う。

なぜ、ケンタウロスという、四次元存在(肉体を持たない)が、巫女たちを堕としたのか。

それは、ケンタウロスたちが配偶していた「乳海のニンフ」の転生者たちが、当時、巫女たちの半数を占めていたからだということに、気づいた。

リリスの発祥に、ケンタウロスが関わっている。ならば、当時のワーク「リリスリリース」で、堕ちた女性性リリスと、堕ちた男性性ケンタウロスを外すという2テーマが対になっていたのも今、ようやく、理由がはっきりした。

そして、改めての「イシスの巫女たちの堕落」を整理していた最近、以前にもう収束したはずのケンタウロスの気配がまた、やって来ているのも納得。体感もあり、ヴィジョンもあり、セッションでも出てくるし、以前シャンバラがすべて(ケンタウロスを)収容したという情報を受け取っていたのに、また何が起きているのだろう?と、思っていた。。

理由が分かって深く納得したところで、確認作業のひとつとして、改めて「ケンタウロス」を調べてみようと、ウェブのレベルだけど検索をしてみる。すると、幾つかの情報源には、以前も調べて、ナゾの男性性の怪しい四次元存在を「ケンタウロス」と名付けた動機となっているようなものが多く目に付く中、非常に興味深い新しい情報源を見つけた。以下、引用

Gandharva(ガンダルバ=仏教が日本に伝わった際の音訳は乾闥婆:ケンダツバ=インドからギリシャに伝わりケンタウロスとして神話に組み込まれたと考えられる)

サイト「コトバンク」より 出典小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)

古代インドの半神半人の精霊。音訳は乾闥婆、犍達婆で、意訳は香神、嗅香(きゅうこう)、尋香(じんこう)。虚空に住む天界の音楽師とされ、天の踊り子アプサラスを配偶者とする。古くは『ベーダ』聖典に出て神酒ソーマの守護者とされ、雨や雨雲と関係が深い。しかし、婚礼の歌ではビシュバーバスという固有名詞となって現れ、新婦にまといつく男の精霊とされる。また、ヒンドゥー教では天の楽人となり、図像学的には半人半鳥の姿で描かれるが、しばしば人に憑(つ)く精霊として、夜叉(やしゃ)や羅刹(らせつ)などと同列視されて恐れられた。終始婚姻や性愛との関連を離れず、つねに女性を愛している。仏教に入ると天竜八部衆(てんりゅうはちぶしゅう)の一人とされ、酒肉を食せずただ香のみ求め、緊那羅(きんなら)(半人半鳥の美女)とともに帝釈天(たいしゃくてん)に奉侍(ほうじ)して伎楽(ぎがく)を奏するとされる。ときに今生(こんじょう)に死して次生(じしょう)に生まれる間の中有(ちゅうう)、中陰(ちゅういん)の義にも用いられ、天の楽人と中有の結び付きは、なおつまびらかにしえない。[原 實]

https://kotobank.jp/word/ガンダルバ-49231

これは本当に「答え合わせ」的な、画期的な説明だった。アンダーラインを引いた「アプサラスの配偶者」・・恐らくこのくらいしか、以前に「ケンタウロス」と定義づけた根拠は無かった。セッションやセルフワークでのヴィジョン、情報から分かっていたのは、「ニンフ」と配偶する男性性であり、何らかの理由で闇の存在となった、それゆえにニンフであった魂の女性に、今でもつきまとう、という内容だった。ニンフは、インドでいう「アプサラス」であり、ギリシャではアフロディーテの語源・イメージソースであると考えられる。

ジェネシス神話にも、既に「ニンフとケンタウロス」は出来た当初から書いているけど、ここまでハッキリと、こちらで感じている体感やヴィジョンと、一致する情報はこれまで出会っていなかった。(今回いとも簡単にネット検索で出て来たのだけど・・)

太字にした部分にご注目。新婦に「まといつく」、「常に女性を愛している」「聖愛との関連を離れず」これは、アルガンザのセッションで以前も今も、感じ取れるケンタウロスの性質であり、さらに言えば、自分だけが置いていかれないように、その女性の霊的な進化を邪魔している。。

それはそうだ。本来、レムリア当時は乳海という五次元の楽園で、ニンフという女性種族との配偶が常に保証され、神の膝下で、むつまじく暮らしていたところに「何かが起きて」、ケンタウロスだけが堕ちてしまった。けれど配偶者であるニンフを自分のものであるとしておいかけ回す・・ニンフたちも混乱し共に滅びる、・・というのが、ジェネシス神話に既に組み込まれている両者のストーリー。天界に住い音楽や香をたしなむ?存在であったというインド神話の記述も、堕ちる前の彼らを表すようで興味深い。

今回分かったことは、

そのニンフたちが時を経て、アトランティスの一時期に人間界でイシス神殿の巫女として生きているところへ(アトランティスでは原型ごとに転生の機会が与えられ人々が自分のレムリア以前のルーツを知っていて、それに応じて職業に就いているよう)、「何らかの理由で」霊としてのケンタウロスが解き放たれ、自分の配偶者である巫女たちに「憑いて」、引き下ろしたということだ。恐らく人間社会にその混乱、闇を招きたいという「何かの」意志が働いて、のことだろう。。

より詳しい部分、「何らかの」の内容は、改訂中のアルガンザジェネシスのバイブルに、反映させたいと思う。

ゆえに、今、ケンタウロスがまたウロウロしているように見えたり感じたりするのは、私たちの記憶から来ているのかしら・・それとも? 人類全体のシフトアップの今、原型物語が動き、各自の中のリリス、各自の中のケンタウロスが炙り出されているのかしら。。

リリスも、ケンタウロスも、性愛と結びつき、リリスはお金や経済にまつわること、ケンタウロスは精神の成長・霊的進化・人としての成功などの面で、それぞれ、対象となる異性存在の状態を悪化させる。実際に生きている私たちの中に存在している、魂の歴史に由来する、リリス性、ケンタウロス性が、今現在も現実面で共に生きる伴侶や異性に良からぬ影響を引き起こして、相手からパワーを奪い弱らせているかもしれないし、四次元存在としてのリリスやケンタウロスが、人として生きる私たちに「憑いて」いることもあるだろうと思う。

前に一時、ハイウェアで「ケンタウロス・ソースリダクション」というワークがメニューにあった。

GATのソースに、どんどん、見つけたら送り込んでいいと(笑)聞いていたので、その方法でケンタウロスをクライアントさんから「外して」、ミカエルに立ち合ってもらい、7次元に送るという内容だった。けれど、今また浮上して、情報が補強されている中で、発見したものをどう扱えばいいのか?考えながら・・ひとまずお客様のセッションでは同じようにミカエルに託しつつGATへ。また新たな直感、ガイダンスの受信があれば、シェア出来ることはシェアしたいと思ふ。。。

まあ、私の感覚としては、ずっと以前からアルガンザでは取り扱って来たテーマであるし、今回、バイブルや「アトラスハシス」により詳しく書く・・ことが、重要なのではないかと。それにしても、インドでは伝統的に「花嫁に憑く」「精霊存在」と言われていたとは。以前ケンタウロスの定義付けを、比較的すんなりと直感的に出来たのは、私の中にその記憶が、あったからかもしれない。

そうだ!大事なこと。

プラクティショナーさんたちに、数年前の「プロテクション専科」で伝授したサンスクリットの魔除・呪詛避けのマントラの文言の中に、よくよく考えてみると「ケンダツバ」として、名前が出て来ている点に注目してみて下さい。。リリスもだけど、排除すれば良いというものではないので、やはりシャンバラに委ねてソースに返していくという事になるけれど、嫌がらせは辞めて貰わないといけないので、そんな時には例のマントラも活用すると良いかなと思います。

そしてこれを読んで怖くなってしまった、心配になってしまったという方が居たらごめんなさい。もしその「怖い」が記憶や潜在意識の反応であれば、現世で起きている問題の解決の糸口かもしれません。プラクティショナーさんにご相談でも良いですし、Amari’s Work の場合は Utpalaの自動セッション(スピリチュアルコース)でも、レムリアントランスミッションでレムリアからアプローチしてみる、でも、良いかもしれません。気になる方はご相談ください。。

Love and Grace,

Amari

遺伝子の記憶 

以前、アメリカ「ヒストリーチャンネル」の番組を見ていたら、イタリアの研究チームが、「ナチスのホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)を生還した、PTSDなどの症状を持つユダヤ人」の子孫を調べたところ、精神疾患の発症率が高い事が分かった」とあった。

人間の気質は、ヒーリングの視点で表現すれば、エネルギーのデータとなって、過去生由来の当人のものだけでなく、親から、そして先祖代々受け継がれるものだと言える。

ヒーラーとしての私のイメージ(セッションでの見え方・感じ方と、神智学からの情報をすり合わせて)は、ソウルの転生データは宇宙に保管されていて、転生する際に胎児の段階のどこかでソウルが体に宿るその時に、データが移動して、オーラ第四層のコーザル体に搭載、そこから徐々に、エーテル(1)、アストラル(2)、メンタル(3)体と、整備されていく。

一方で、両親から受け継いだ遺伝子の中にあるフィジカルだけではなく、気質や本能的感覚などもまた、エーテル、アストラル・・と浸透していって、ソウルからの情報と混ざり合って、個人の特徴付けが起きていく。この辺りは胎児の段階なのか、生まれてからなのかはよく分からない。シュタイナーはどこかで書いていた(述べていた)気がする。

ホロコーストのようなかなり強いストレス、恐怖、飢餓や痛みなどの身体的苦痛を伴う記憶は、当人だけではなく、生き延びた後に生まれた子孫にもコピーされ継承されるという。より詳しく知るためにネット上で検索してみると、ホロコーストだけではなく、同じようなPTSDと子孫への遺伝を扱った研究が、世界各国の研究チームにより、報告されているようだ。

この事について、ヒーラー目線で更に考えていくと、ご先祖が苦しんだ記憶は遺伝子に何らかの変化を起こし、先天的な情報となってその後の子孫たちに継承される。ヒーリングを必要とする理由は様々であるけれど、体質だけでなく気質や、本能的なパターン、精神なども、家系の影響を受けていると言うのは、納得出来る。

今世それほど、苦労や苦痛を味わったわけではなく、平凡に幸せに生きて来た筈なのに、この常にある「空虚感/悲壮感/自己否定感/不安感/謎の怒り/疎外感/孤独感 etc.」はなに?というようなご相談は割とある。

その場合、考えられる路線は2つあり、

一つは、今世の自分にトラウマ等はなくても、過去生などの魂の記憶にその情報がある。

もう一つは、家系的、遺伝的に受け継がれている気質、である。

そして、双方は重なっていることが多い。魂は、未解決の課題を消化するために同じ鋳型、カルマパターンを持った家系や親を選んで生まれて来るからだ。

さらには、土地が持っている歴史・・という要素も、先祖代々その土地に住んでいるとしたら、影響を受けているかもしれない。

もちろん、皆が皆ではなく・・例えば古戦場近くに住むある家族が居て、代々、同じような病いや、嫁が来ないとか、男子が生まれない、などのカルマが持ち越されているとしても、ある時にキラキラと高周波でパワフルな人がその家系に生まれて来て、引き寄せでその人に同じようなパワフルな嫁が来て(笑)、悩まされて来た問題が一気に解決するかもしれない。

中和されたり・・また戻ったり・・ということもあるだろうし。私が実際に見聞きした中で、先祖が開拓・開梱していると、そこに住んでいた動物たち、特に駆除された蛇などのエネルギーがその家系に憑くということも。地主さんは神社を建てて祀ったりとされてる事がよくあるけど、やはりそういう事は大事なのだなと思う。

蛇について言えば、夫婦の繋がりが強いそうで、伴侶を奪われたりすると仇となった人間、その一族を恨んでしまうとか。

ニュータウンに住んでいて、さほどその土地に歴史は無いと思っていても、開発・開拓などで一気に広範囲の自然が破壊される時、そこに眠っていた(最近まで雑木林で隠れていたような)遺跡や遺物なども掘り返されて、昔の地主さんのような宗教的儀式をせずに工事を進めてしまう事もあるだろうから、ニュータウンでも安心は出来ない。実際に幾つも、そういった事例を聞いている。

それと、私自身が割と引越しが多かった為に、土地のエネルギーがそれぞれ全く違うことを体験するうちに、気の流れが良い/悪い なども感じやすくなっていて、最近だと事前に物件の前にその土地を見に行くようにしている。開発・開拓によって土地の性質が生かされずに損なわれている事も多々あるだろうと思う。

話が逸れたので元に戻すと・・この事は、アルガンザで基盤に据えている地球と魂の創世記「ジェネシス」世界観における、様々な原型エネルギー、原型種族との関連付けからも、説明することが出来る。家系に「〜の原型エネルギーが強め」などの表現をする事もあり、また家庭内で、家族同士それぞれの原型パターンを持って、互いに学びの為に生まれて来たりする。

土地についても、ジェネシスにいう宇宙由来の原型エネルギーや、その混合で生まれて来ているレムリア、アトランティスなどの先文明(非物質含む)のエネルギー、自然界の集合場、種族のグループ的な情報を持っていることもある。

一度、仏教徒して信仰・修行していた時代がある私としては、「先祖供養」「土地(歴史)の浄化」などのテーマでも、当時は学んだ事も多かったけれど、今はそれとは少し違ったスタンスを持っている。今ここ、の遺伝子をヒーリングによって癒す時、その遺伝子で繋がっている先祖の魂もまた、癒されると考える。同時に、誰かに癒しが起きると、同じ原型で繋がっているソウルたちの集合場にも、癒しが波及する。その逆もある。

見えないもの=霊、スピリットなど神秘的な領域 ではなく、

私たち人間の物質要素も、非物質要素も、魂も、すべてデータ(情報)で出来ているというのが、今、量子物理学などと接近してきた新たな時代期の「スピリチュアル」である。そうかと言って機械的なあり方や考え方、心や温かさをカットしたような世界観ではなく・・数学的であっても、その中に宇宙を貫く創造主の愛を感じられるような意識を、私たちが拓いていく時代が来ているということだ。

そうそう。同じくヒストリーチャンネルだったか、NHKだったか・・コンピューターを動かしている「0と1だけで表現される言語」=2進法。遺伝子もある意味、2進法なのだとか。つきつめて&意識を広げて考えると、遺伝子を始めとして、あらゆる人間の物質・非物質が同じ原理で説明が出来るのかもしれず。肉体でも、感情でも、魂でも、過去生でも、関係なく、同じ言語で記述されているのだとすれば、

インド哲学や仏教の宇宙観にあるような、宇宙の創造主はミクロにしてマクロであり、それが私たち自身である、というような話も、数学的に謎解ける日が来るのかもしれない。

今はまだ人間の知識、技術、科学的センスが追いついていない訳だけど、量子論、脳科学や医学の研究も、遺伝子の解明も、すべてが一つの法則で説明出来るはずであるし、古代インドの人々は・・少なくとも一部の哲学者や執筆者は、それを知っていたのだろう。

遺伝子に刻まれているあらゆる記録、データから、直接話を効くヒーリング、みたいな手法が生まれるかもしれないし、先祖供養や地鎮や霊媒や憑依などの「非科学的」な現象や手段も、きわめて科学的なアプローチによるエネルギー変換であるということが、理解される時代も遠からず、来るのだろうと思う。

ニコラ・テスラは電気を発明し、世界中に無料で配ろうとして阻止された。A.チューリングは二進法によりコンピュータの土台を発明したが、時代の犠牲者となって失意のうちに世を去った。それでも人類の歴史は少しずつ賢くなり、先駆者だった天才たちの偉業を少し遅れて理解し、実用化する。

これもある種のワンネスで、今ここにある世界こそが、私たちの魂が共に作り上げて来た結果である。良いことも、そうでないことも。遺伝子の中には、そんな人類・・いや、ヒト種族になる前からのソウルたちの、地球における歴史が詰まっている。

ジェネシスヒーリングのバイブル「the Genesis」の改訂作業をしていたら、時々ある、個人を超えた「歴史そのものと同化する」「アカシックレコードになる」ような感覚が訪れた。

ワンネスと言いつつも、まだ悟りに至った訳ではない私にはどうしても、固めておきたいコンセプト、自分の仕事を通して伝えるべきメッセージがある。

色々有って、良いと思う。それぞれ、の役目や立場で、良いと思う。それぞれの速さ、高さ、遅さ、低さ、自由な角度、あっていいと思う。ラジャスとタマスを行き来しながら、サットヴァにはいつか、それぞれのペースで行き着けばいい。

むしろ自分自身がそれにこだわり、世間や周囲になびくではない、自分のライフスタイル、生き方を重視して来た。

自由な人間が、自分自身としてそこに立ち、自分の足で歩いていけば良い。

けれど、滅ぼす力、壊す力、奪う力、損なう力、枯れさせる力、だけは、人類は無くしていくよう意図しなくてはいけないのではないか、と思っている。

戦争や破壊がある限り、遺伝子は傷を記録するから・・人類は負のループから抜けられなくなる。急には無くならないとしても、少しずつ創造と破壊の比率が変わっていき、いつか悲しみを伴うような攻撃や、奪い合い、戦いが、個人のレベルでも、国同士のレベルでも、起こらなくなることを願う。

Love and Grace

Amari

「今ここ」は「わたしの心」

スピリチュアルな世界でよく言われる「今ここ」(が大事という話)。

物理的にだけではなく、時間、この瞬間に「着地=グラウンディング」する、というニュアンスだ。もちろん大事なこと。

NHKオンデマンドで『ヒューマニエンス』の最近の回を見て・・(タイトルを忘れちゃったけど)印象的だったのでメモしておく。

人間は、地球の自転に合わせた体内時計を(各内臓レベルで)持っている、という話から、後半は脳科学の先生の研究や見解から、表題のような哲学的なフレーズが導き出された。

時間というものはそもそも存在せず、過去、未来、という直線的な流れがあるわけではない。・・という話は、近年は量子物理学からも説明されている。脳科学から?一体どんな見解なんだろうと思って興味深く見ていると、

直線的な時間は存在しない、過去も未来もなく、様々な瞬間瞬間の記憶が、同じように散らばっているのだ・・とすると・・では「今」って何だろう?

それは、「わたしの意識そのもの」なのではないか、というお話。(大阪大学・北澤茂教授)

自分が「ここに居る」「何をしている」「何を見ている」という感覚が、自分自身の意識となっていて、「今」という認識を生み出している。その前のことは過去となり、まだ起きていないことが未来となる。

そもそも、動物たちは「未来」という概念を持たない。そのため、例えばチンパンジーは様々な感情を持っているが、未来という概念がないため、何かに絶望することもないだろう、という。

類人猿に限らず、比較的知能のある動物たちは確かに、喜怒哀楽やちょっとした知恵を持っているけど、絶望したり苦悩したりはしない。

未来、という概念を自らの世界観の中に生み出した事により、人間は難しい存在、自らを生きにくい存在にしてしまったのかもしれない。

脳とは、実際に起きている現象をすべてありのままに知覚するものではなく、0.1秒単位で入ってくる情報の中から、取捨選択してそれらしい現実を編集するのだとか。「今ここ」がスピにおいて重要と言われるのは、過去のこだわりや偏見、ネガティブなフィルターや、未来への不安や恐れに紐づいた取捨選択、脳による「編集」を通さずに、

あるがままに、起きていることを自分の中に取り入れ、冷静にことに当たるべし、という意味でもあるだろうし、この瞬間の自分の心(意識)が、「今」となって、本来直線ではない時間の一部として刻まれていく、未来に影響を与えていくのだから、

「自分みずからが人生をクリエイトしているのだ」ということを忘れずに、「今」=瞬間瞬間、0コンマ1秒の創造を、よりよきものにしていこう、という意味であろうと。改めて思った。

メタフィジカルの基本中の基本であり、最後までなかなか超えられない高い壁であろうとも思う。

たぶんみんな、ずっとそこをトレーニングしつづけるのだろうと。

それですべてが解決する けれど そうはならないのは、まだ人間が、感情の時代を引きずって生きているから。動物ではなく、意識そのものである、という段階へ、ソウルが進化していく大きな過渡期。大きな・・数千年掛かっているのだろうか?そうかもしれない。

まだまだ「感情崇拝」はつづく。ゆえに、まだこの時代においては、ヒーラーは感情的な問題やそれによって起きる現実の不具合を「幻想である」ことを知って貰うために、クライアントを導いていく役目がある。

それが幻想であると全てのソウルが悟ったら、みんな神になってしまう。けれどみんな本当は神なのだ・・インド哲学、ヨーガ哲学が言っているように。宇宙の創造主ブラフマン、その化身であるアートマン、それは私たちなのだと言っているから。ブラフマンは量子サイズで、魂の数だけ存在している。つまり「生きとし生けるものすべてに宿る」。そして、宇宙で最大のものでもある。

脳は0.1秒の「今」を集めて取捨選択し、編集して「自分」を作っているそうだ。

脳科学も、量子物理学も、インド哲学も同じことを言っている。

Love and Grace

地球が緑の星の理由(昔は紫だった!)

前回の日記から、なかなかその後も「時空のはざま」の感覚が続いて、一方で仕事はありがたく忙しくて、Diaryを書くゆとりのないまま・・2週間くらい経っちゃったかな。本当は短くてもいいから日記らしく毎日書けると良いと思ふ。

昨日は「ストロマトライト」の丸玉をショップに出した。30億年前に生まれた地球最初の生命=シアノバクテリアが作り出す「ストロマトライト」という形態。それが化石化して、ジャスパーとなっている石。シンクロは日常的に起きるとはいえ、自分ながらに驚いたのが、夜に空いたちょっとの時間に何か見ようと、契約している配信会社(サブスクとか今は言うのかな。subscription)のホーム画面を開いて・・

普段見ない領域へ入っていって、何となく、こういう時は手が勝手に。うろうろするうちに辿り着いた「ドキュメンタリー」、BBCの自然系ドキュメンタリーから「緑の惑星 地球進化の謎」というよく有りそうな邦題に訳されたシリーズをポチっと。NHKオンデを通して時々好んで見るような、BBCらしいセンスよく知的なそれでいて愛嬌があって楽しめるドキュメンタリーだった。始まって数分でストロマトライトが出て来て感激。

以前「石巫女」クラスで地球の始まり、いや太陽系の始まりからザザっと学び、海が、陸が、鉱物が、植物が、そして自然界が出来ていく流れを追いながら、超大陸パンゲアを中心に、地球という生命の歴史を探究。その橋渡しとして石たちに語ってもらい、地球のあゆみを鉱物界の視点、あるいはそのバックに(内部に・上空に)ある、高次の眼差しに触れるという試みを。後で思えばこれは数年後にまとめる「ジェネシス」の準備だった。当時はまったくそんな意識はなかったけど、ひとつの目的に向い、多方面から準備が進んでいたのだ。

そう、そんな「石巫女」ではもちろん、ストロマトライトも取り上げていて。私が持っているドイツ産の磨きものを教材にしたりしてたけど、まさか!!別の回でゲスト出演した自宅の巨大丸玉が、ストロマトライトであった事を当時は知らなかった。今回、アフリカから直輸入する際に「カンババジャスパー」が「ストロマトライト」であると知って。とても重要な鉱物であることは知りつつ、先日のインスタから、昨日のUP時にはサラリと書いてUPしたので何か物足りなさを感じていたところ。昨夜の番組で不足を補われたので、まずはここにメモしておこう。

ヘマタイトが赤いのは「地球で最初に出来た酸素に触れた」鉄鉱石であるから。という話からスタートして、地球誕生から間も無く出来た海。太陽から強烈に降り注ぐ強すぎる紫外線を、海水が防いでプロテクト。ゆえに生命は海から生まれた。

30億年前、海水の中で生まれたバクテリアは、紫色だった。塩水を含む湖、そして殆どの地球表面を覆っていた海の全体に広がった。当時の地球は宇宙から見ると、紫色だったそうだ。それが少し進化?した、あるいは変容した形で、深海で生まれたバクテリアは、その深さでも届く光の中で「たまたま」ある色だけを吸収し、自ら染まった。それは「みどり色」。

このシアノバクテリアが、現在地球上にひろがる「みどり」つまり植物の祖先になった。そして、地球は「緑の星」になったというわけだ。

紫のバクテリアには出来なかった光合成を、シアノバクテリアはするようになる。それにより酸素が地球の大気に、それまでは薄かったものの、増えて、どんどん増えて、やがて形成されたオゾン層。このオゾン層が、太陽から届く有害な影響を防ぐプロテクションの膜となって、準備が完了。安心して生命たちは、海から陸に上がるという冒険に踏み出した。

(この先、ストロマトライトとは関係ないがメモをつづける)

それから遥かな時が流れ・・・陸に上がったとは言え、沿岸部でホワホワと揺れていた不思議な形状の「植物」たちが、根っこを生やすというイノベーションが起きたのが4億年前。陸といえば当時は岩石ばかり。砂や土はまだ無かった。この「根っこ」により、植物は効率よく水や養分を吸収できるようになり、彼らの働きで(枯れた植物、雨、岩石などの反応が起こり)土が作られた。1000年で2センチしか作られない土。さらに長い時間をかけて地球全体に土の層が広がる。

そして葉っぱを持つという再びの植物界のイノベーション。太陽光や雨の水分、摂取する空気中の炭素を効率よく吸収することが可能に。

3億年前、つまり根っこを「開発」してから一億年かけて、「森」が出来た。それにより、豊かな陸の世界を目指して海の生き物たちが陸に上がる。

ちょうどこの辺り、「ジェネシス」では超大陸パンゲアとその関係で展開している「アルカテラス」文明の時代で、上空で暮らす移住者たち(アルクトゥルス、シリウス人たち)は、地表世界の面倒も見ていた。恐らく「根を持つ」「葉を持つ」「森ができる」などの植物界の変異の影で、宇宙光線や遺伝学の知識を導入して刺激を与えていただろうと。けれどこの頃の自然界は、今とはかなり様相が違う。何もかもが大きい。今のような自然界になる為には、そこから先何度も、地表世界は大量絶命のクライシスを体験しなくてはならない。

1億5千万年前ころから、巨大化した恐竜たちと、植物界の生存競争が起きていた。大量の植物を食べる恐竜たち。そう、肉食獣は少なくて9割の恐竜は草食とのこと。危機を感じた植物界はトゲや硬い殻などを生み出し、身を守る策に出る。が、6500万年前、よく知られる最も最近起きた大量絶滅のキッカケとなった隕石落下で、恐竜は絶滅。その後もこの番組はvol3まで続く。花の誕生、草の誕生、と。

最初に提示されていたテーマ、そして最後の結論は、「地球の進化は植物界が導いている」というもの。確かに確かに。

花や果実、草を生み出したことで、その後、哺乳類が栄えて今に至る。

植物界を危機に晒すと、6500万年前の恐竜たちのように、人類のほうが絶滅させられるのでは?と思う。

植物界をベースにした生存の仕方が、望ましい。と、個人的には思う。森や草原の恵みの中に、私たちが住まわせてもらっている、という意識が。

植物界のお役に立つような発展の仕方をすれば、人類も地球で生き延びることが出来るのではないか。

もう一つ、この番組で取り上げられていた「シリカ」(珪素)。砂の主成分ということだけどつまり地中、鉱物界から、植物の根、それを食べた動物たちの糞、という流れで大地に。それを新たな種族の植物「草」が取り込み、自らのコーティングに使っているという。それを食することで?哺乳類も進化してきて、人類に至る。人体が珪素、シリカで出来ているというのはそういうことか。もちろんシリカといえば水晶、クォーツだ。

元素としてのシリカは確か、八角系だとか。ここにはアルクトゥルス・リラが共存した「天空文明」(アルガンザのジェネシスで想定している10億年前の非物質「文明」)を感じるし、水晶は形状や構造からしても六角形、6の数字、つまりシリウスが関与しているとわかる。

ジェネシスでまとめてきた地球の歴史を改めて確認できた気がした。

「ニンゲン」であることに(意識が)こだわるか。「自分はかつて植物、いや元素だったかも?」くらいに頭が柔らかいか。・・何となく浮かんだのは、地球という生命体そのものやその歴史、酸素のある地表つまり植物界の温存を意図するか、人類のことだけを考えて「地球がだめなら他の星へ」と考えるかで、未来、あらゆる分野で道が分かれていく気がする。前にも書いたけど・・物凄く大きな分岐点だ。ある種の思想、もしかすると哲学的、宗教的な分岐となって、人類を二分するかも。

地球温存主義、と、人類優先主義。二極化はいろいろな層や切り口で起きると思うけど、これが遠い未来、最大の二極化現象となって、人類を二分するのではないかという気がする。自分が魂であると知る人は、「今はたまたま人類ですが」と分かっているので、前者になるだろう(無意識であっても)。他人ではないのだ、植物界も。藻類も。地球のすべてが、自分たちなのだ。

だから上の「二極化」を言い換えると、人は魂なのか、物質人間なのか、という事になる。

思想の二極化はすでに始まっている。物質人間として新たに物質的創造物を生み出し(機械、AI)、人類が「神」になるという流れ(風潮)を、止めることは出来ずとも、修正することは出来るか。「植物の星、地球」という概念は、そのキーになるはずだ。

Love and Grace

Amari

タイムカプセルその2・時空のはざま

昨日は(2023年2月の日記)、いつも通りオフィスに行ったものの、普段の当然のような仕事の流れに体が乗らずに、何故か部屋に吹き込んで来た独特の空気、情報とともに「時空のはざまの様な日」、と感じた。こういう事はそうそう無い・・・けれど、年に数回はあるのかなという気がする。

2020年、実家が奈良を引き上げた事で、奈良の家に残してあった創業当時からのショップ関連の書類、自分が学び始めた頃のテキストやネット情報のコピーや修了書、なんと新潟時代からの書類の山が、ダンボールで数箱、移動して来た。FaceBook のオフィス日記などで何度か呟いていたように、整理しなくては、と言っては少しいじって止まって。まだまだ最近まで、オフィス書斎ルームの大テーブルの下に。

趣味というくらいに整理整頓は好きな筈なのに、様々なエネルギーが詰まっている過去の記録ゆえか、その置き場所がうまく完全にダンボールたちを匿ってくれてほとんど目につかず邪魔にならないせいか、そのまま長い時間が経過。例えば、ヒーリングと出会った頃に貰ったヒーラーさんがたによるリーディングや、当時の自分の瞑想体験を記したノート、そして2004年にスタートしたショップの仕入れ、直輸入に関する膨大な書類。何一つ捨てていないという状態。

今のところ、まだ参考になる場面もあるから、ほとんどのものをそのまま、オフィスのキッチンの奥の棚につくってあった場所へ。そうそう、オフィスのビルは居住用のマンションだけど(何軒か店舗やサロンも入っている)デザイナーズ物件で、代々私が自宅として住んで来た賃貸のマンションと比べても、とても立派なキッチンやお風呂場がある。生活スペースではないのでそれらのゆとりの場所が、物品の置き場所のようになっていて・・

それでも、入れるものが無く余っているようなスペースの頑丈な棚があり、整理した書類の置き場所にはピッタリなのだ。

昨日は、二年前から引きずっていたこの仕事をようやく完全に終えた。何かの立場を「やめた」という段階では、人はそこまでの時間の記憶、記録を整理しにくいものだ。暫くそのままとっておこうと。けれど、更にその次のステップ、「やめた」ことを再び別の角度から、別の方法で、別のバックグラウンドで、「また始める」となった時は、取捨選択や区切りの必要が出てくるから、整理しながら次の流れを作っていくという作業が必要になるもの。

そんな流れの中で、フォトフレームだけを設置して中身が無いまま、祭壇のようになっていた故人を偲ぶ場所。急に思い立ち写真を印刷しに街に出た。こんなに簡単なことなのに何故か、2年もカラのフォトフレームを飾っていたのだ。その人が亡くなった日は、いつも乗っているバスを降り過ごして先のバス停で降りるとそこは縄文遺跡の広大な広場。そういう場所には次元のポータルがある、少なくとも必要な時には開いたりするのか、急にその場所でその人の魂を感じて、初めて悲しみと涙がこみ上げた。

泣きながら、バス停ひとつ分の慣れない夜道を歩いて家に帰り着くころ、晴天の霹靂。予報も出ていなかった急な激しい雷雨。それも凄い音、稲光、豪雨。そして地鳴りまでし始めた。雨が止んだ後も、しばらく地鳴りが続いた。「やはりただものでは無かったのね」と感じて、ホっとするような、「らしいな」と思って嬉しさ、笑いも出てきた。

プチシンクロとしては、昨日作業をしながら「前にもタイムカプセルがどうの・・って日記に書いた日があったな」と思っていたところ、夜にお客様からのメールでその日の記事についての言及があった。12月末の『タイムカプセルを開く』

昨日もまさにそんな日で、自分の普段のフローからは完全に降りて、ミクロではこの2年の。マクロでは2003年(まさにその頃からの記録、書類と向き合っていた)からの20年の、自分の味わってきた時間の整理をすることになった。そのマクロの中で、何がどう働いて直近のこの数年の出来事があったのか。ちゃんと対処が出来ていたのか、取りこぼしたものは?この先の課題は?と、先に進んでいくための整理も出来た。

人生には不可抗力でやってくる事象もたくさん。全てを直感したりできる訳ではない。・・というか、そういった要素が無ければ何も学ばず、ただ平穏な時間を過ごすだけならば何も人間界に降りて来ることは無い。まだ不完全ではあるけれど、自分の仕事を通して理解してきた人間の魂とこの世界に関しての(自分なりの)法則、歴史、エネルギーの相互作用の仕組みという「知恵の書」を通じて、ヒーラーやショップを起業してからも、その前の人生も、今ここの立ち位置も、見えて来ている。

人間的にあるべき部分と、「普通の人間」ではダメな部分と、さじ加減が難しい仕事である。以前のスタッフさんたちには「歴史と伝統のある神社に仕える神職である」というような意識で、サロンやショップに携わっているという私のスタンスを伝えた事があったけど、これはなかなか、難易度が高い(笑)。けれど、私が「毎日サロンを出る時に一礼をする」と話したら、大先輩のヒーラー先生は「もちろんです!」というお応えだった。やはりその姿勢は必要なんだろうと。高次との連携、導きでこそ、運ばれていく仕事。

時折スタッフさんを迎えると、色々な事が起きる。私がもう十五年やっていても起きていないようなミスやびっくり時変が(例えば関係する業者さんのミスや、スタッフさん自身のミス)が起きる。人によってはその連続で、ご本人がパニックに陥ることも。うちの娘は小さい頃、サロンに遊びに来ては眠気に抗えずソファで昼寝してばかり・・本人は手伝う!と言って来るにもかかわらず(笑)。そして大きくなってからも、ふだん家ではしないようなミスを(ものを壊したり)したりしていた。また、ベランダのラティスにペンキ塗りをする時は急に強風が吹いて気温が下がりとても続けられなくなり、私が替わったら風が止み、あっという間に終わってしまった・・と、手伝う人員には少なからず、日常とは違う波長へと周波数を持ち上げる(気を引き締める)ための「修行」が起こる。

そのような現象を体験して、娘は仕組みを理解し、オフィスに来る時は本当に「参拝する」ような姿勢で今ではやって来る。普段の自分よりも意識を持ち上げて来るので、ミスも起こらなくなる(もちろんミスがあったって良いのですが。当人が気にしてしまうので)。スタッフさんの中にもそれを理解し適応してくれていた方も居たし、うまく回っていかない事で混乱し、続けられなくなることも。今振り返るとそれはご本人たちの問題というよりも、同時に通ったり関わったりしているスピリチュアルなワークなり団体なり時にはご家族などから来るエネルギーが、アルガンザのエネルギーと拮抗し、摩擦が生じる為に起きる現象でもある。

まあ、それも含めてご本人の責任内、という事にもなるケド。この(シリウス式の)厳しさは私自身がヒーラーになってからずっと、歩んで来た道でもある。

これが最初に起こったのが、忘れていたけど今回の書類の整理で判明した、まだ奈良に居た時に親しくなったお客様がたと作った四人グループで、メルマガを出したりと活動を始めていた時だった。スタートして1ヶ月足らずで、今思うとアンドロっぽい方でよく起きるパターン、一方的に情報を捉え違えて傷ついて去っていくという・・この件が最初だった。私の個人的な人生では起きないような事だったので当時は驚いたけど、その後、何度そんなことがあったか。。。そのうちに、これが「スピリチュアル」という分野なのだと知った。

生徒さんやクライアントさんとは違い、スタッフさんや、一緒にプロジェクトを進めるメンバーとなると、厳しい高次の姿勢が現象化する。シリウスっぽい風が吹く。そこでどう受け止めるのか、試される。そこまでの自分の選択や流れ、高次やアルガンザとの縁を、信頼出来るかどうか、も。

「歴史と伝統ある神社に仕える神職」の意識?(比喩ですが)がないと、失敗ばかりが際立ってしまうような周波数。意識だけではなくエネルギーの実際も、鏡となって現れる。自分がその周波数に適応しようと努力するかが重要になる。思えばずっと、その努力をし続けて来た。変に力むこともなく、いつしかそれが普段の自分の生活とも融合し(まだまだ足りてないが)。人としての知恵を得るというのは、「神職」に染まっている魂としては逆に色々と難しさを感じるものだけど、双方を統合し、守るべきものは守り、伝えるべきものは伝え、前に進んでいく。

Love and Grace

Amari