日本とジェンダーと第四光線

 
ナチュラルスピリット刊 森由里子さん著

ものすご〜く久しぶり(6~7年振り)に、それも突然、ナチュラルスピリットさんのサイトを直感で覗いて、目が合ったので何かありそうに感じるものがあり。著者の森さんは人気の作詞家でとてもご活躍、成功されたキャリアをお持ちで、時々私が呟いたり動画を貼り付けたりしているももクロさん(←母娘でもののふ、「女子のふ」というのかな。けれどマニアックな事をいうと「もののふ」とは古代豪族の物部氏の武者のことを言うので、ソガ系を自称する私としては複雑である。笑)の曲も手がけておられるとのこと。

スピリチュアルなこともされているようなので、もしや私が「シャンバラっぽい」と言って動画など掲載してきた曲は、森さんの手によるものなのだろうか?それはさておいて。

愛子さまに、女性天皇になって頂く。

という選択は、とても重要な日本という国にとっての分岐点になると私も思っています。なので輝かしい経歴をお持ちの森さんが、こういったデリケートな領域に掛かる著書を勇気を持って出された事に、「一票」を投じる思いで自分でも書いておこうと思いました。

スピの界隈ではよく言われているのが「日本は特別な指命を持った国である」ということ。これにも個人的には同意。その背景としての「ジェネシス層」の理由、地球47億年の精神史としての「the Genesis」の中でも少し触れて(仄めかして)書いています。

 

構想は30年前、執筆は20年前になる『ハピの巫女姫』も最後まで読んで頂いた方にはお分かり頂いているかと思いますが、その部分、日本の神秘性についての「はじまり」を作品のラストで描いていますし、そもそも、ハピの執筆のキッカケが、20歳で奈良や伊勢の一人旅をし始めた頃に見ていた白昼夢のような瞑想体験から生まれた、日本のスピリチュアリティの中心軸に流れる、宇宙由来の神秘な力や遺伝子・・を、歴史絵巻にしようという構想の、プロローグ的な作品として、超古代の「ムウ」大陸を描いたという経緯があります。

つまりは、森さんが27年かけて様々な神秘体験や導きをされて、その結論は「愛子天皇」というのと、ルートは別ながらも、私も同じような30年の歩み・神秘体験により、今とこれからのこの国にとって重要な課題は、やはりそこであると思っていて。一緒だなと感じたし、何しろ以前、奈良に移住していた時期のサロン名が「セイリオス三輪」であったけれど、森さんは「セイリオス」という名称の音楽ユニットをされているそう。シリウス存在とのコンタクトがあり、それでのご著書もあるようで。

「ハピの巫女姫」の終盤「新しい時代」が到来(1万1000年前)、そこでの導き手はシリウスの宇宙船団。続編である「ガイアナ神謡集」も時代の守護神たちはシリウス存在。当時は何気なく書いていたけど、それが今のヒーラーとしての仕事に繋がっていて、仕事全般を導くのは常にそのラインである訳で、冷静に考えると「情報ソース」「導き手」が一緒だから、導かれている方向が一緒であるのは当然なのだな、と。

よくある事、のように聞こえるかもしれない。けれど実はスピリチュアル業界においては、むしろ、表向き、ではなく本当にシリウスの仕事をしている人って寧ろ少数派。以前はそうではなかったけど、今はそう感じる。神智学が伝えているシャンバラ、地球のロゴス意識やその守り手たちは、シリウス由来であるのですが・・何故か、地上の「ライトワーカー」たちはその逆の方向に導くところに、接続しているのが最近の風潮だと感じる。

そんな背景を思うと、社会的ステイタスのある方がこういった本を書いていらっしゃる事も、納得出来る。そんなチャレンジを必要とする、本当に良き事をするために勇気を出さなくてはいけない仕事というのは、シリウスが背景にある。

古代日本史、民俗学を趣味で探求してきた者として、「アマテラス」は本来は男性神かもしれないと思ってはいる。けれど、それは今この話においては重要ではなくて、日巫女(ヒミコ)であった女性部族長が魏志倭人伝によって「卑弥呼」と記載されて、要するに日本の古代は縄文時代からの母系社会、女性部族長の伝統があり、その伝統が破壊されながら新興勢力の父権社会や文明に吸収されていったという流れが「ヤマト」の国の始まりや、天皇制と関わり合っているということ。

色々省略して・・7〜8世紀に記紀が編まれた時、女神と古代の女性首長たち=日の巫女が、当時の君主であった持統女帝の存在感とも重ねられて、日本の神話に「アマテラス」という女神が誕生した。少し表現の仕方を私流に変えると、「新時代のアマテラス」は「新時代の日の巫女(古代日本の女王たちの総称)」という事になる。それを「女神アマテラス」と表現されているのが、こちらの本のスタンス。言葉のチョイスが違うけれども言いたい事は同じです。

今、この時代の、さらに特別な短い時期、愛子様が生まれて成長されたこのタイミングで、日本は大変換点を迎えようとしている。女性天皇を受け入れるという選択を国が達成することで、ようやく、日本は歴史上、文明史において、高次によって遠い遠い昔に託された役目を、果たすことが出来るのではないか・・・ちなみに国民の8〜9割が世論調査によると女性天皇に賛成しているという。

この本に導かれて、もうひとつ、良かった、嬉しかった事があり、

30年前になる。実家で見ていたテレビ番組で、世界各地から予言者を招いて日本の未来について予言してもらうという企画があり、他の男性予言者たちの顔や雰囲気や予言の内容などは全く覚えていないのに、一人だけ、短髪の白人女性が言ったこととその人の印象はなぜか強烈に残っていました。

「イランと中国がアメリカに対して宣戦布告し、第三次世界大戦が始まる」

「日本に、三大宗教をひとつにまとめる救世主的な人物が現れる」

あの女性予言者は誰だったんだろう?と、その後、自分がヒーラーになりスピ視点に基づく思想を展開する中で、何度も思い出していて。調べようとしても見つからなかったことも。

それが、森さんのこの本の中で、ブルガリアのベラ・コチェフスカ女史であったと偶然知ることができ、1992年に来日しているというから、テレビ出演のタイミングからしてもきっと間違いない。

ベラさんは前世が日本人であったそうで、思い入れも強かったよう。ある時に霊視で古代日本の指導者の女性を見た、その人のクニが NARA にあったと語ったとか。素直に受け止めればヤマトの連合国家が樹立した際の三輪王朝の、日巫女(=魏志倭人伝の卑弥呼?)、オオヒルメ、トヨ、あるいはヤマトヒメ、その辺りの女性司祭長であっただろうと。

また、来日時に伊勢神宮に行かれたベラさんは、外宮の多賀宮を目掛けて走り出して、境内で涙を流して「ここは、ユダヤ、キリスト、イスラムの『ヤハウェ』を祀っている」と言ったとか。・・・この感覚は私もよく理解できる。20歳、初めて伊勢に言った(1993年、ベラさん来日と1年違い?)時、最も感動してそれこそ泣きそうになったのは多賀宮でした。

最近になって(昨年秋ころから今年にかけて)アルガンザの瞑想ワーク等で一歩一歩、感覚を掴んで来た結果として、「白い炎」の聖地として、中東も日本も、そのほかの各地も、同じものが形を変えて点在し守られている事を、ワークの実感とともに噛み締めて来た所でもあります。

この流れからして、ベラさんについても改めてよく知るために本を買うことに。まだ読めていないけれど・・手元に届いたところ。(こちらはヒカルランドから出版されている)

書籍を探す際に検索していると、2025年7月、日本に起こる大地変について、ベラさんのみならず、ババ・ヴァンガ(前にこのブログでも紹介)、漫画家のたつきさん、そしてシュタイナーまで!予言していると、Youtuberの方の紹介でかなり話題になっているよう。Youtubeでスピ系をよく見ているという友人に「そうなの?」と聞いてみると、私が逆に「予言」を求められた(笑)・・翌週には、別の知人と話していたら同じ事を聞かれて。

アルガンザでは以前から、神智学で伝えられている2025年の「第四光線の顕現」については、ずっと意識をして来て、何度も書いて来ている。それは天災という事ではなく、おそらく「ゆっくり顕現する」と言うので、実際に世の中に変化が起きていくのを後押しするエネルギーなのではないか、と考えています。

で、そのための準備がうまく進まない場合、自然界、その背後にある高次元も致し方なく大地変を起こして、物理面から社会をひっくり返さなくてはならなくなる。という事ではないかと。なので、絶対に来年7月に巨大地震や噴火や隕石落下などのディザスターが起こるとは思ってはいません。ただ、日本は第四光線を宿した国でもあるので、宇宙的に決められている進化のタイミングにおいて日本がキーになっている事は確かで、その主軸は「ジェンダーと聖性」であり、言ってみれば「ヒミコ」(森さんや美内すずえ先生の言葉ではそれが「アマテラス」)であり、イコール「女性天皇」なのではないか、と。

来年7月までに、少しでも動きがあれば。人心や、エネルギー面、意識、集合場の周波数において。愛子さまを天皇に。という象徴的な事象を通じて、日本は高次に試されているようにも思う。それだけではなく、父権社会的な構造の中で起きている弊害や、愛ではない要素が、リリースされるべき時であると、言えるのでしょう。

来年7月に日本に大災害が・・と伝える4つの予言の中で、シュタイナーのものは「日本がなくなる」という衝撃的な言葉だけれど・・ネット上で取り上げているブログなど幾つか拝見すると、その解釈はいろいろです。日本の国土がすべて、海に沈んでしまうとか、壊滅してしまうというのは、少々、考えにくい。次の2つのうちどちらかだろうと思う。。。

  1. 日本語を話す日本人や日本文化が「無くなる」(戦争を経て他国の一部になるかも?)
  2. 日本=日本の皇室(それこそまさに日本人が民族文化の拠り所、精神とするもの)が、なくなる。

どちらも、決して起きてほしくはない。

森さんの本から、幾つか引用させて頂いて、締めくくりとしたい。

何気なく見た青い空。しかし、空が青いのは当たり前ではない。毎日不自由なく生活ができること、争いごとなく安心して暮らせることも、当たり前だと思ってはいけない。なぜなら、戦時中の人々は、それが当たり前にできなかったのだから。日常の生活の一つひとつ、ほかの人からの親切一つしとつに感謝し、他の人を思いやるところから、「平和」は始まるのではないだろうか。

そして、唯一の被爆国に生まれた私たち日本人は、自分の目で見て、感じたことを世界に広く発信していく必要があると思う。「平和」は、人任せにするのではなく、一人一人の思いや責任ある行動で築き上げていくものだから。

(愛子内親王殿下 中学生時代の作文より・p101)

このように国民から愛されるお人柄やご聡明さにおいて比類のないお方が天皇家の直系長子であるのに、もし女性というだけで皇太子の座を閉ざされてしまうとしたら、まさに国民・国家にとっての大きな損失と言わざるを得ない。

片や、愛子さまが立太子されて天皇への道が開かれたら、皇位継承の危機も少なくなり、日本国内に一気に明るい光が差し込むと共に、民主主義国家として世界的に高い評価を得ることだろう。現在、ヨーロッパ王室は、すでに男女の区別のない長子継承制に移行しているという。

(p103)

私はいつも思うのだが、「未来志向」の人間は、時代に吹く風に敏感で、軽やかに前を向いて生きている。「過去思考」(そんな言葉はないが)の人だけが残念な因習にこだわって同じ場所にとどまっている。そして時代の風に乗って進んでいる人の方が現実もうまくいく。つまり運もよくなるのだ。これは個人だけに限らず、集団や国家にも言えると思う。(p111)

参考文献・引用:

『新時代のアマテラス — 愛子天皇の未来へ』

森由里子著 (出版:ナチュラルスピリット)

長子相続制がスタンダードになりつつあるヨーロッパ諸国では、続々と女性の皇太子が誕生していて、いずれ愛子様と同年代のその姫君たちが、女王として即位される時期が巡ってくるそうです。21世紀は女性そして多様性の時代と言われていますが、第四光線の顕現に責任を持つ日本が、進化しようとしている世界基準の波に乗れるでしょうか。大事な分岐点です。

今日はこのくらいで。

Love and Grace

Amari

始まりの奈良。

昨日の帰路の電車で、継体天皇についての書籍を読んでいて・・帰宅後、 前日まで見ていた韓国ドラマが終わってちょうど途切れ目だったので、そんな時に開くNHKオンデマンドですぐに目に入った(topにサムネイルが出ていた)26日に放送されたばかりの『歴史探偵』、「古墳最前線」を見始める。(2023年7月の日記)

日本全国、発見されているだけで16万の古墳があるそうで、コンビニの全店舗数の3倍にあたるとか。もちろん、多くは宅地開発やそれ以前の時代で既に破壊されたり埋もれたりしているだろうから、私たちの生活圏がそもそも古墳だらけ、だということだ。

「おすすめの古墳3選」の中に、出た!継体天皇の陵墓と推測されている大阪、高槻市の今城塚古墳が入っていた。近くの別の古墳が継体陵とされている(宮内庁)そうだけれど、多くの研究者が「こちら、」と言っているのが今城塚のほうらしく、NHKさんも「継体天皇陵と言われている」とナレーションしていた。

そのほか、最近大きなニュースにもなって個人的に注目してYoutubeで見ていたばかりの、富雄丸山古墳も取り上げられていて、いつもいつもそんな調子で、思考や直感と、連動して特に探さなくても入ってくる情報や動きや流れは、「図書館の天使」的なガイドたちの手配なのだろうとまた合掌して見終えると、「関連番組」としてサムネイルのトップに上がっていたのが、昔から割と好きな「新日本風土記」という番組。今年3月に放送された「はじまりの奈良」が目について。今朝はさっそくそれを見てみた。

「はじまりの奈良」その心は、奈良といってもヤマトの国の(とりあえず「正史」である記紀が伝えるに)始まりの舞台である、桜井市・天理市あたりを、山辺の道を軸に、取り上げていた。「正史」がその前提で色々と書き残しているので、「ヤマト王権の始まり」「仏教の伝来」「相撲」「みかん(柑橘類の伝来)」「能楽・芸能(番組では触れなかった)」などの「始まり」と言われている桜井、三輪周辺の色々を紹介していた。三輪そうめんも。

私も20歳の時に最初に奈良にはまった旅は、(何故かガイドブックから選んだ)山辺の道を歩くコース。次々と現れる古墳や、疲れ果てた頃にたどり着いた大神神社に感動して。

移住してから横浜に移るまでの4年の間、幼稚園〜小学校低学年だった娘の引率で歩いた三輪の麓の通学路、地元人しか知らないような田んぼの中の三輪の絶景ポイント、一人で早朝散歩したり、家族で出かけた山辺や桧原神社付近、自宅サロンに来てくれたお客さん達を駅まで送りがてら一緒に歩いた道、素麺屋さんや、みかん狩りに行った付近、娘の幼稚園がすぐそばで生活圏内だった箸墓古墳などなど、懐かしい風景が次々と。纏向遺跡も自転車で見に行ったっけ。奈良びとの絶妙なトークも懐かしい(笑)。

後半の2年、マンションの8階から眺めていた360度の奈良盆地のパノラマ。やはり特別な場所だったと想う。

春分と秋分に、三輪山から太陽が昇り、二上山のふたつの嶺の間に沈む。その観測ポイントが桧原神社。「元伊勢」と言われる。この場所を最初に見つけた人々は興奮しただろうな。縄文の人々か、または農耕のために暦の目安を必要とした弥生の人々か。

ヤマタイコクは何処か?と、相変わらずまだ、決着が付いていないらしい。ヤマタイではなくヤマトであると思うけど・・ただ、連合政権が出来るまでには下地としての王国が、三輪の麓にあっただろうし、葛城、熊野や、出雲はもちろん、丹波、東海〜東国、たくさんのクニグニは存在していた。だから「始まり」と言っていいのかどうかは、本当のところ微妙ではある。けれど一つの国としてまとまろうとした、そのセンターという意味で国史の「始まり」は確かにその通り。

初めて撮影を許可したという、石上神宮の「鎮魂祭」や、土中に刀剣が埋められているという禁足地の映像も興味深かった。宮司さん(森家)が物部氏の子孫ってさすが凄い歴史だなあ。以前飛鳥をひとりで回った時、お目当ての(ソガ系天皇家ゆかりの)遺跡を探していたら民家の庭先だったので、ピンポンしてご挨拶。表札を見ると苗字に「蘇我」が付いててびっくりした事を思い出す。

そしてこの番組のお影で気づいたのは、私はやはり「始まりの地」として、あの付近(磐余(いわれ)という言い方が割と好き)に惹かれたし、今でも凄みを感じるのだなあと。子供の頃から「始まり」を紹介するアニメ番組も好きだったし、ダーウインの進化論を知った時には本当にワクワクしたっけ。・・それが結局『ジェネシス』の仕事にも繋がっているのだ、と。「始まり」を「知りたがる」、あるいは「掘り下げたがる」。

正史にはならなかった、なれなかった沢山の「始まり」もまた日本全国にあるのだろう。そんな事にも思いを馳せながら。

Love and Grace

奈良旅 2020年冬 シルフィードと大地の都、エソテリ旅。Vol. 3

前々記事・前記事 からのつづき

さてさて。

どうやら、前日(2日目)までで色々な層でのお仕事は終わったようで、最終日の3日目はだいたいいつも恒例の、盧舎那仏様へご挨拶。これは、20歳でひとり旅を始めた頃からの定番でもある。

なぜこんなに奈良が、奈良公園が、春日の森が(もちろん今回は行かなかった飛鳥や三輪も)好きなのか。自分でも不思議なほど。私は昔から自分に関係ある、ない、をすぐに感じてしまうような性質があって、人に誘われたから・・とか、メディアで取り上げられていたから・・とか、日本人ならば寧ろ普通かもしれない「周囲がやっているから」という理由で、自分が行動したり、時間を割いたりすることが出来ない。ゆえに必然的に旅などは一人でという事が多く、仕事も今のように自営業が合っているのだろうと思ふ。

興味を持つ分野は10代後半くらいで自我が固まってから殆ど変わっていなくて、それでも人間的に生きて行く上でのスキルの部分では、たえず大人になることを促されるので、少しずつ学ぶ中で、新しい分野をさりげなく?好きになったりもする。時が来れば学びや興味の扉が自動的に開くもので、「ちょっと好きかも」「かじって学んでみました」というコンテンツは少しずつ増えてはいく。

けれど、10代後半〜二十代前半に目覚めて大事にしていたようなものは、ずっと変わらずメインテーマであり続けている。一時、低迷した時代には見失うというか、手放さざるを得なかったり、ヒーラーの仕事で駆け抜けた初期の頃は自我意識が薄くなり、過去の記憶や過去の自分への興味が消えていき、ある意味、別の人になりかけていた(そうそう、その頃は完全にビーガンでノンアルコールだった)。その後色々とシステムから修正が入り、取り戻したり力を付けたり、鍛えられたり。そうなった時に、自我が大事にしていた「好き」もまた戻って来た。そのひとつが「奈良」である。

皮肉にも、奈良に移住して三輪山の麓にサロンを出して仕事に「熱中」していた4年間は、過去の奈良への愛着や、散策したいというモチベーションを失っていた時代。神智学でいう「熱誠家」にあたるのだろうと今では振り返る。スピリチュアルに自分が変容・成長していくことに情熱を持っているような時代。今では確かにちょっと違う。もう少し重たく、責任を感じているし、どう伝えたら伝わるだろう、何を残せるだろう、よりよい形にして人の役に立てるにはどうしたらいいだろう・・と、プロデュースする事に意識が集中しているし、そこにあるのは「情熱」や「楽しさ」でも「やりがい」でもない。

責任という力学を通じて行う、自分なりの愛の表現。そんな感じだ。

その中で、表現や思索を磨いていかねばという今のベクトルに、若い頃に情熱を感じていた奈良や歴史探求、哲学としての仏教や、美術・建築・思想などに触れることの出来る旅が、仕事の流れと統合されていくことが心地よい。「それなりに、キミの情熱と行動は、未来のキミのために役に立っているよ」・・・と、若い頃の自分に語りかけたい気持ちで、東大寺境内を歩いていた。

17歳くらいだったか、今の自分に通じるような、恐らく魂そのものの個性のようなものが固まって以来、頑張り過ぎて駆け抜け過ぎて、仏教信仰と修行、古代史探求と大和路めぐり、小説の執筆、ニューヨーク、ロンドン・パリまで一人旅、忙しい交友関係、日本全国に老若男女の友人たち、常にその人々の人生相談を引き受け、ロックバンドや作詞作曲、ライブ、観劇に大学の通信教育、夜間大学の受講・・・と。そりゃあパンクするよ、壊れるよ。と今なら思うけれど。その後、弾けるようにウツに落ちていき5年を過ごすことになる。

まだ元気で、奈良を歩いていた頃の、貧乏旅行を思い出す。ろくに食事もとらず、ユースホステルに泊まって真夏の炎天下を歩き続けたり。今と違ってスマホも無いので、ナビも時刻表も出せず、紙の地図とガイドブック、事前に書いてきた旅程の自筆のメモ、そして重たい(デジタルでもない)一眼レフカメラ。方向音痴だから道に迷う、電車を乗り間違える。奈良公園は節約のためか、もしかすると文系で左脳処理が乏しく距離感をイメージ出来なかったせいか、基本歩きで通していた。だから目的地に辿り着けず。などなど。

47歳の今は時間も体力も省エネ。バスを多用して移動。そして心強いスマホが居てくれる。不器用極まりない旅をしていたあの頃に比べて、エナジーワーカーとして15年以上を過ごしてきた今は、(スマホのお陰だけではなく)すべてがカチっと巧く噛み合い、運んでいくような絶妙な流れの中で、短い旅の中に必要なことだけがギュっと詰まっているよう。

「奈良」というテーマを巡っても、「vol. 2」に書いたように様々な時代を経て来た。情熱、移住、子育て、ヒーラーとしての関わり、二手に別れていた家族の統合、拠点の手放し。最終日3日目は、それらの全てに感謝しながら、一つの流れになって習合されていく現実、昇華されていく過去のエネルギーを、空に見送るような気持ちで、ゆっくりと歩んで盧舎那仏に会いに行った。

普段より格段と空いている境内。制服姿の修学旅行生と大仏殿・・が、むしろここ最近の雰囲気からして、新鮮に見えた。

定番のショットですが・・やはり少しだけセラフィー、シルフィーな雲がこの時、出ていました。同じ形で飛んでいる、まるで仏教壁画の飛天のような。

こちらも(去年の奈良旅のインスタ記録でもご紹介した)定番。複雑な歴史を持つ大仏殿の境内の中で、創建当時から唯一、変わらずに立っている青銅の八角灯籠。見上げるほど大きい。国宝です。

学生の皆さんから、盧舎那仏の大きさを感じて下さい。(勝手に・・笑)

脇侍は虚空蔵菩薩、反対側に如意輪観音。このお二人が身長7メートル。大仏さんは14メートルです。聖武天皇が創建した当時は、大仏も大仏殿もさらに巨大だった。今はこれでも縮小され、鎌倉期の再建・修復を経て現存しているものが多い。

盧舎那仏の後ろ姿。光背だけでも迫力満点。

こんな様子は見たことが無い・・人が映らない大仏殿。いつも人気の柱の穴くぐりもクローズされていた。

境内で近くを歩いていた私と同じくらいの世代の女性二人が「大きい!」「こんなに大きかったんだね」と、大仏殿が見えて来た頃に驚いていた。そうそう、同じ世代の方々・・私が若い頃に奈良に通っていてもまるで興味なさそうで。奈良出身の人にも「見るとこ無いでしょ?」と言われることも。友人たちが着いて来てくれた事もあったけど・・反応はいまひとつ。これくらいの・・つまり40代も後半になると、お寺や仏像に少しくらいは興味を持つのが一般的感覚なのかな? 自粛ムードで観光客がぐんと減っている中、もしやこんなご時世だからこそ、初めて興味を持って足を運んでみた、という人たちも結構いるような感触を肌で感じた。

テンション高めのアジア圏の観光客の皆さんの姿が無く。奈良好きで通っている風のご夫婦とか、スーツ姿で「仕事の出張で来たけれど時間が空いて・・」風の男性とか。手ぶらでお参りに来ている地元の方? そして本当は海外に行ける筈だったのかもしれない高校生の皆さん。いつもと違う、とても静かな奈良。だから余計に異空間、異次元に感じられて、統合と昇華の計らいを感じやすかった。

「光と影」

「陰と陽」

そんなキーワードもちらつく3日間だった。

帰路へ。大仏殿の裏手から。

ありがとう〜

家族連れかな。

去年の奈良旅でインスタに載せた、「講堂跡」の礎石の写真のシリーズ?を撮るため、同じ石を探したけどちょっと急いでいたこともあって見つからず。似ている石をお借りして記念撮影。今回の旅直前に、儀式的にブーツを新調していた・・・靴はエネルギー視点からも大事なアイテムで、現実をシフトアップしたい時には、良い革の良い靴を買い、古い靴を感謝とともに処分する。

ネットが無かった時代に写真集などで奈良に浸っていたのがスタート地点。その頃からの癖のように、大仏殿を遠くから望むような場所も好き。幾つかお気に入りスポットがあったりする。

感謝とともに。

(記事に載せた写真プラス、写真を足して、また違うセレクトで、アルガンザのInstagram にも投稿する予定。良かったら覗いて下さい。)

Love and Grace,

Amari

奈良旅 2020年冬 シルフィードと大地の都、エソテリ旅。Vol. 2

前記事のつづき

春日野を後にして、近鉄奈良にバスで戻り、特急で大和八木へ。待ち合わせも無事に出来て、要件は約1時間で終了。さてどうしようかな、八木まで来ているのだから、三輪に行く(桜井駅)ならば電車で10分足らず。時間的にもあと2時間ほどで神社仏閣や博物館も閉まるようなタイミング。三輪にいくのが自然かな、と事前には考えていた。けれど、前記事に書いたように今回、春日野で三輪を体験していた。だから、行く必要が無いと感じた。特急の車窓から三輪のお山に挨拶をして、桜井を通過。

何故だか分からないけど、無性に平城宮に行きたいと思った。平城宮跡は何度かレンタサイクルや徒歩で、近所のお寺やホテルに行く途中で見かけたり通り過ぎたりする程度で、ちゃんと「上陸」したことが無かった。せんとくんを生み出した遷都1300年(2010年)前後に、朱雀門や第一次大極殿などが復元され、現在も着々と工事が続いているよう。どこまで再現されるのか分からないけど、広大な平城宮の敷地内に、門や建物、庭園などが当時の姿で蘇っていくのならば、華麗なる李朝時代を伝える韓国ドラマのように、日本でももっと奈良時代のドラマや映画の撮影が可能になって、作品が増えるかもしれない・・それに期待したい。

話を旅程に戻すと・・・平城宮を特急の中から一望したらば(電車で通り過ぎていてもしばらく続いているほどに広い)、ススキが一面に広がっているエリアがあった。あそこに行こう、と決意しつつも、もうひとつ、同じ大和西大寺駅を拠点として散策できる大好きなお寺がある。秋篠宮家のネーミングの由来になった「秋篠寺」。ここも、二十代前半の一人旅の中で好きで何度も訪れた場所。有名過ぎるほどだけど、美しい伎芸天の仏像が人気で、奈良時代から現存している本堂それ自体も国宝。苔むしたお庭も風情があって、全体に清潔感と、守っている方々のセンスの良さ、伝統的な洗練された美意識の高さを感じるお寺。

好きで通っていた、とは言え、何年振りだろう。。。奈良に住んでいる四年の間は結局、行けそうで行けなかったから、かれこれ。。。二十三年振りとか(!)なんと。

山門から、参道に入り、風情のあるお庭を片手に玉砂利を踏む。

時間があれば、ゆっくり眺めていたいようなお庭。(私はちょっと急ぎ足)

こちらの可愛いお堂が本堂。奈良時代から立っているって、法隆寺もそうだけど奈良のお寺ならでは(ダジャレではなく)で、京都は応仁の乱による焼失、再建が多いから、奈良のように古くは無い。やはり独特の古さと、大切に守られてきたオーラを感じる。正確には鎌倉時代に大修理を経ているとのこと。

このあたり、平城宮に近かったエリアなので、当時の皇族がたが発願しているお寺が多い。この秋篠寺も光仁天皇による776年の発願を受けて建立、その子にあたる桓武天皇が平安京に遷都したころに完成しているよう。光仁天皇もなかなか、奥様の井上内親王ともども、悲劇の人でもあり。そんな事を思いながら、参道・入り口を経て、こちらの本堂とその前の玉砂利の広がりに出たら、午前中に春日野で見かけていたエンジェリックな雲から、またすこし様相を変えて、乱舞する羽毛のように。

何故だかここで、ほろりと・・泣けてしまった。

二十三年振りの伎芸天。それから、当時はあまり意識を向けていなかった御本尊は薬師如来。脇侍に、日光・月光菩薩。「薬師十二神将」が、6人ずつに別れて御本尊の左右に。それから地蔵菩薩と不動明王が対応するように左右に。そして伎芸天、対応して反対の端には同じサイズの(共に造られただろう)帝釈天。さらに、区切られた空間の外側の左には「五大力菩薩」という、とても菩薩には見えない、天部かなという怖い形相、武装しているような五体の躍動感ある像。反対側にはコワモテでどのお寺や博物館で見ても引いてしまう赤い肌をした愛染明王。ここも、左右の両端でとても良い感じのバランスだ。

伎芸天は名前からしても分かる通り天女という事で伝わっている。けれど、体つきからして女性ではないことが分かる。本当は何の像なのだろう?といつも興味深く見つめてしまう。けれどご正体が何であれ、とにかく美しさに魅了される。(とても有名な仏像で、検索するとすぐに出て来るので宜しければ「ぎげいてん」と入れて見て下さい)

そんなに広くはないお堂の、中心部、薬師如来の前に立つと、左右のバランスの良さと全ての仏像が調和してひとつのグループを成しているような一体化した迫力が迫って来る。目を閉じて全霊でそれを浴びる。体の芯まで、浄化されていくよう。

お堂の中の小さなブースに座っているのは普通、御老人の職員さんというイメージがあるけど、お守りを買おうと思ってふと見るととても若い、高校生・・大学生かな?お兄さんが座っていた。こんな素晴らしい場所に静かに座っていられるのだから、徳を持っているのだろうな・・なんてオバさん、思いながらお守りを頂く。

お堂から名残おしい気持ちで外に出ると、再び見上げた羽毛の空に・・もう一度泣けてしまった。春日野で解けたものについて、感じてみる。こういう時、「赦し」のような現象が起きるものだと思っていた。ところが、却って、何だか分からないその「相手」に対しての「許せない」という魂の声は高まっていた。それは意外だった。とても静かだけれど、よくよく声を聞いてみると「許せない」「許してはならない」「許す必要はない」という。

けれど全くそれは「感情」や「想い」ではなく、まして「怒り」でもなく。ただエネルギーを読み取り直観する魂の、ありのままの感覚だった。ジャッジメントではなく、自然界の法則と同じように、ナチュラル、自然そのものだった。

「許せない」===けれど、自分が先方に何かを返す必要はないということを、潜在意識ごと悟った。受け入れた、というか。宇宙が返すのだから、自分がやり返す必要も、心や魂を損なわれる必要も、気に掛ける必要さえない。ただ、宇宙があるがままを返すのだから。と。

何でしょう?前世の記憶なのか、いにしえ人の集合場からの受信なのか・・・この、春日野で起きたエネルギーの解放と、秋篠寺で静かに払拭されたことによる気づきの2ステップで、とにかくこの境内では震えるような涙がお腹の底から湧き上がった。

何度か、お礼をしながら境内を後にして山門をくぐる。

バスで大和西大寺駅へ戻り、そこからもう一度、今度は平城宮跡に向かうバスに乗る。

既に夕方で、日が沈んでしまいそう。

何とか、間に合いますように。

間に合った!

おまけに夕焼けで、広大な宮殿跡地と復元された建造物、ススキや紅葉が美しい。

大和盆地の向こう、生駒山系(大阪方面)、そして間近には午前中に出かけていた春日方面の山並みも。秋篠寺から1時間も経っていないのに、エンジェリックな雲たちはどこかへ消えていて、今度は長細く横たわるような優しげな雲。

ありがとう、奈良。

先刻の用事は不動産の売却が成立したための契約。20歳の私が大好きになってしまい、そこから通い続けた5年間。その後、精神的な低迷とともに旅にも出られなくなって5年が過ぎ、30歳を過ぎてからヒーリングと出会って、癒しの道へ。ヒーラーの仕事が安定し始めて33歳の時に奈良へ。一年後に新築の分譲マンションを買い、家族で桜井へ本格移住。その後、シュタイナー学校進学のために娘と二人で横浜へ。2010年。

残してきた両親が今年の10月に神奈川へ。その準備として私たちは先に中古住宅をリフォームしながら待ち受けていた(詳しくはインスタにあり)。まだまだ先かと思いきや、急に買い手の方が良いご縁で現れて、トントンと。これで本当に「奈良の家」は無くなる。けれどまったく執着もなく、不思議なほど寂しさもない。

春日で三輪を体感した、というのとこれは似ているのかもしれない。もう奈良は・・というか、奈良への自分自身の愛着やノスタルジーは当たり前のように自分の一部になり、奈良というテーマは外にあるのではなく全てが自分の内側にある。いつでも自分の中から感じることが出来る。それを確認するために、これからもまた通うのだろうし、若い頃のような切望はもちろん無い。

ごく当たり前のようにそこに居る。ただそれに感謝する。そういう存在になっている。

他の土地や、他の興味についても同じで・・・ひとえに、私自身の変化によるものと言えるかもしれない。欲する、望む、求める・・ということは無い。ただ内側にある響きを、確認するために、響き合わせるために、どこかから聞こえるサウンドに呼ばれるように足を運んだり、何かや、誰かに、出会ったりするのかもしれない。

写真↑の正面奥に写っているのが「朱雀門」。結局、ここまで歩いて平城宮の反対側へ抜けることにした。朱雀門前のバス停から、バスでホテルに帰る。

(たぶん、「つづく」)

Love and Grace,

Amari

奈良旅 2020年冬 シルフィードと大地の都、エソテリ旅。Vol. 1

テレビを見ない私でも、さすがにニュースがちらちらと目に入り、世相的には旅をするタイミングではないと感じつつ、冬の奈良へ。どうしても避けられない事務的な要件があり、最初は「代理人では?」とか「オンラインでは?」と尋ねてみたくらいだったけど、そうは行かないということで、ならば一年半振り、ご縁のある場所や以前から思い入れのある場所へ寄って来ようということに。

出発2日前に予約したホテルは平日ということもありガラガラで。去年利用した時とはまったく違う鎮まり感。さすがに観光地・奈良なので人が居ないという訳ではないけれど、いつもの外国人観光客のにぎわいが引いて、25年以上、奈良に通っている私の目には初めてというくらいに人出が無かった。無理もないけれど。私も本当は「自粛派」。

去年はやはり用事もあって二度、奈良に行っていて。確かSNS等では「ブログで旅日記を綴ります」と宣言していたけど、書けず仕舞い。もしかすると今回の記事を書きながら、話がつながって行ったりしたら、自然と去年の旅記録も載せられるかも?・・なんて淡く期待を抱きながら、今回は記憶が新しいうちに、書き始めてみよう。

ただいま、アルガンザでは今年リリースのプログレッシヴ版「エヴォリューション」の(プラクティショナー伝授は1年前に始まっていたものの)ようやく、クライアントの皆様にお届けする「ワークブック」の最初の2冊が配本できる状態になったところ。そこに至るまでの、いつもの高次が用意する試練のような流れを、執筆中の私も、ワークの現場を担っていくプラクティショナーさんたちも共有しながら、各自の修行、そして全体の潮流を体験し、関係する「サンダルフォンニュートリション」や、(来年改訂に着手する)「レムリアンセイクレッドレイキ」なども、同じ世界観の中つながり合うエネルギーゆえに動いていて、

新しい情報も多く集まり、それによって「ワークブック」の内容に手を加え、「天使」の一般概念をアルガンザ流でガラリと書き換えながらの「アルガンザ天使学」の展開(のまずは触りだけ。ライフワークくらいの難題でもあるから。)という動きも起きている。行く先々でエンジェリックな、天使の羽のような雲が、出発前の関東から、移動する先、する先に着いてくるように現れ、しばし感じ入って感謝していると、その地を去る頃には薄まって消えていく、を繰り返して。何かとても、意義深い時間なのだろうなと感じていた。

奈良に着いてすぐ、定番の奈良公園に。近鉄奈良駅から歩き出すとすぐに見えてくる興福寺で、お決まりの「最初の一枚」。さっそく、雲が凄かった。

先日インスタグラムに書いたようにトーハクの会員優待期限がなんとこの日、最終日。少しでも活用しなくては・・と、同じ国立博物館ならば使えるので、奈良公園内の奈良国立博物館へ。仏像館、ほとんど一人で見て回る(人が少なくて)ような状態で、とても贅沢。やっぱり、飛鳥・白鵬・奈良時代までの仏像が好き。せめて平安かな、けれど鎌倉期の運慶・快慶はやはり凄いと想う。

冷静に見ていると、どんな分野でもそうだけれど、上手い人の技術の高さは卓越して見えるものだ。とはいえ、素朴な市民が彫ったらしいというものでも、良い雰囲気で引き付けられるものもある。だからこそ、博物館で大事にされているのだろう。

雲が向かっているのか、そこから現れている(ように見える演出?)のか、大事な御蓋山(みかさやま)のフォーカスを予感させる。20歳の新人会社員時代に大和路ひとり旅を初めた時も、幾つかフォーカスしていたテーマのひとつが春日山付近の古代祭祀で、中途半端であまり深く掘り下げないまま年月が・・(27年も!)経っての今だけど、去年の奈良旅では、ここ10年くらい寧ろ避けていた春日について、「和解の旅」とか名付けて、興福寺の薪能と合わせて心をオープンにして臨んだ。ところが、ひとりよがりの「和解」設定はまあ、良かったものの、拮抗するエネルギーの厳しい逆流があり、やはりそう簡単な問題ではないのだなと痛感して帰って来ていた。

あれからそのテーマもすっかり忘れて、今回何も考えずに用事のために出向き、優待券を活用せねばという三次元思考で奈良国立博、に行ってみたらば、特別展示で「春日大社の祭祀」を取り上げていて、呼ばれた感じもし始めた。展示そのものはどう、ということでは無かったものの、「そう言えば主祭神はタケミカズチだなあ」「ヒタチの国から鹿に乗って御蓋山に降り立ったという伝承だったなあ」と考えていると、

昨年こころみた「和解」旅のカラクリ、個人的な魂の影響力などが解けていく予感がした。若い頃に春日山周辺に思い入れていた理由は、巫女らしい女性たちや女神系エネルギーの気配があり、恐らく縄文時代〜ヤマト国により再編成されるまでは、古来の神奈備だったに違いないし、なぜ神様が(栗本慎一郎氏が、縄文以来の本来の日本、ヒノモトの重要地だったと表現している)ヒタチ(茨城県)から、奈良に移動してしまったのだろうかという事を考えると、古代史に詳しい人々ならば言わずもがな、ご存知だろうけど・・藤原氏の台頭の影響によるもの。もっと言えば、藤原氏による、蘇我氏の権力・土地・神話・バックの神様 の乗っ取り・・というと言葉が悪いか・・・「成りすまし」・・もっと悪いか、まあ、そういう事なのです。(笑)

どこの国の歴史でも、いつの時代でもあることで。もちろん色々な考えの人がいるし、私は古代に興味を抱いた20歳ころから色々と読んで来た中で、エナジーワーカーとしての経験、体感や直感などもともに、ここ数年は、栗本氏の著書で展開されるソガ=イズモ(日本海側の広い範囲)、アズマ(東国・東北の広い範囲)の首長的な存在だったという説に、賛同している。もちろんルーツは、古来言われて来たように「渡来人」だとは思うけれど、早い時期にやってきて、ネイティブの縄文の部族社会と仲良くしていたのだろうと。

話が逸れたけど、

何か偶然ではない、博物館での「春日祭祀」に誘導されるように、翌日の午前中は春日大社の奥の方へ、行ってみようとふと思いつく。

そして明くる日。まずは、ホテルからバスで奈良公園エリアへ、「春日大社参道入り口」で降りる。本当はもっと大社に近いところまで、歩かずにバスで入りたいと思っていたところ(午後に大事な用事があったので体力温存のため)・・その路線が本数が少なく、「入り口」バス停を利用することに。けれどお陰で、昔は大好きでよく行っていた「飛火野」エリアを満喫できた。広大な芝、春日原始林から継続的に点在する森の巨木たち、鹿たちもここでは広々と群れで広がっていたり。そして、大事な神奈備も背後に見える。

2007年、家族がこの近くで大変な事になり、救急車を呼んだ。遡ればもっとずっと前、若い時分の旅でも、何度か「問題」が起きたり、ヒヤっとしたり、という経験が春日の森、春日野ではあり、2007年の一件から、以前の思い入れは引いて「近づきたくない」という気持ちが続いていた。去年の「和解」を経てもまだ、今思えば少しどこか、心を開けない感覚が残っていたのかもしれない。

今回、直前までのスケジュールが過酷だったので、一切計画を立てず。ただ博物館だけは行くというラフな予定から、結果的に誘導されてみると、この日は本当に世界が美しく違う次元に居るようで不思議。空気の粒子が違うというのだろうか。それでもヒーラーとしてこの数年、様々なエネルギーの拮抗を「研究」してきて、そうそう簡単に喜べない、簡単に解決するとは思えない、という構えが出来ていた。だからこそ全く期待をせずにふらりと向かう旅だったのが、良かったのかもしれない。

顕在意識ではよく分からないけど、何か過去生に関する記憶、更にその原型はアルガンザの「ジェネシス」概念で言う、「ジェネシス層」のいろいろに由来・起因している何かが、奥へ、奥へと登っていくにつれて解けていくようだった。春日のいわゆる「大社」は御蓋山の中腹にあたるそうで、今回インスピレーションを得た大社よりも奥のゾーンへ足を進めることにした。

飛火野で遭遇した、「鹿寄せ」という楽しいイベントは動画をフェイスブックに載せたので、良かったら覗いてください。

大社にももちろんご挨拶に立ち寄る。ちょうど御神事の最中で、琴と横笛、祝詞と巫女さん二人の舞の美しい場面にも遭遇。

御蓋山自体は神が降臨した聖地。ということで「禁足地」とされていて、一般ピープルはここから拝んでいいよ、という「遥拝」の場所が幾つかあり。その他、たくさんの摂社に出会いながら。

神社として、オヤシロを建てるようになったのは6世紀に朝鮮半島から仏教が伝来して、お寺という立派な建築物に圧倒されたヤマトの人々が、祭祀にも建物が必要だと考えるようになったから、と言われている。それ以前の神祀りは、きっとこんな風↑だったのだろうな、と思う。木々や岩を神なる場所として区切って、祭祀を行う。

これまでは自分の中に色々な区別、識別が起きていたのだろうと思う。今回、この春日の山の中腹や、森の中を歩いていて、「三輪」を感じた。20歳の旅で「ひとめぼれ」して通い続け、10年以上過ぎてからその麓に移住し、四年間住んでいた、三輪。

一方で、何かこう、興味を持って通いつつも、自分との相性の悪さを感じていた春日。けれどその幻想がスルっと外れて、「ああ、同じものだ」と腑に落ちたような瞬間があった。相性が悪かったのは、その地ではなく、歴史の断片、一側面、確かにそこにあったマジカルな力と、それが自分の過去生や、持っているエネルギーと出会すと実際に作用していた拮抗するもの、それが顕現して現象化していたこと。

人の感情にヒーリングが起きるのと同じような体験を、その土地、歴史的なテーマにおいて、体感したようだった。ただ、あるのは祝福と、光、感謝だけ。間に分け入って邪魔をするエネルギーにより、仲違いさせられていたような・・・喩えて言うならば。

そんな訳で、今回は三輪には行かなかった。その必要が無かった・・・春日で、三輪と会っていたから。

そして!

面白い「落ち」もある。旅から帰って来て一晩過ぎて、翌朝気がついたのは、実は私、自宅のある神奈川県、サガミの国のアースワークのためにあれこれと調べたり、ソフィア他、クリスタルでワークしていた中で、つい最近「これは春日信仰について調べないとな」と思っていたのだった。信じられないことに、旅の道中、まったくその事を忘れていた。けれど春日信仰の中心地、春日大社と春日山には行っていたという。笑

昔から変わらないこの天然振り。ここが高次と仕事をする上ではきっと大事なのよ〜・・ある種の才能なのよ〜・・と、自分に言い聞かせてみたり。

そうそう。もちろん、春日信仰という言葉によって私がイメージしていたのは、縄文の石器時代の人々による太陽崇拝=春分の日、春の太陽(春の日・カスガ)、にまつわる信仰のことで。春日大社がタケミカズチ神を主祭している、というのとは内容が違う。ゆえに春日大社に行きたかった訳ではなくって、春日信仰がおそらく縄文の人々によって行われていた一つの拠点であった春日山、御蓋山に行き、その空気を体感することが、ポイントだったのだろうと後からしみじみと理解する。さらに、その地で「三輪を感じた」ことにも深く納得。三輪山も同じように、縄文の人々による太陽崇拝の拠点であったのだから。

時間がないのと体力的にもかなり問題がある中、ただ導かれるまま駆け抜けたような旅だったけれど、とても重要なエネルギーの動きがあったと感じている。

長くなりそうなので、幾つかに記事を分けることにします。

今日はこのくらいで。〜〜「つづく」〜〜

Love and Grace,

Amari

太陽とサクヤヒメ

 

Introduction

二十歳のころ、ふらりと行った奈良旅で、三輪山と「再会」し、スイッチが入った日本古代史、日本神話、民俗学への探究。1993年のことなので、当時は今のようにスピ系の女性たちが神社や神話に興味を持っているような状況もなく、友人たちにも余り理解されず、現地では「なぜここなの?」「もっと行くところあるでしょう、若いんだから」と現地人の方々に言われる始末。

歴史好きは子供の頃から、だったと思うけど、自分自身もそれまでは世界史にしか興味がなく、高校時代はシルクロードやモンゴル、チベットなどの東アジア史や、古代ギリシャ、メソポタミアに興味を高めていたっけ。私は本当に水瓶座というか、第一光線というか、人からの影響では心も行動も動かされることなく、自らが体験したことしか、自分を変えたり進ませたりするキッカケにならないタイプ。

高校2年の修学旅行で何となく京都には無い気配、自分との相性を奈良に感じて、「大人になったら(?)ゆっくり奈良に来よう」と思っていた。短大時代は相変わらず興味は世界に向いていて、卒業後にようやく、会社員となって最初の休暇で奈良に出向いたのだった。その時、さっそく神秘的な体験も幾つかあって、「自分の体験でしか動かされない」私が、自分でも驚くまさかの「日本」探求者となった。その時、二十歳。

間は省略・・時流れて、三十三歳。エナジーヒーリングと、ヒーリンググッズショップを生業とするシングルマザーになっていた私は、娘、両親とともに奈良の三輪山の麓へ移住。

三輪の麓が散歩道となり、大神神社で御神水をいただくことも日常になっている中で、その森で、水辺で、サスラ姫、サクヤ姫、セオリツ姫と感じるエネルギーを体験する。それらは同根で、ヴァリエーションの違いであると悟ると同時に、奈良に移住するころに夢で見たり、レコンセクレーションTM(アルガンザのオリジナルワーク)を受け取ったプロセスでは、菊理姫と呼ばれる女神意識、エネルギーが関係していた。

同時に、地球のロゴスと言われるサナトクマラのシャクティ(女性性の側面)としての「白山姫」を体感するに至る。それらが整理されていくにはある程度時間が必要だったけれど、2008〜9年頃には、地球ロゴスのシャクティとしての白山姫、それが地上に近い形で降りて来たのが菊理姫、そして菊理姫から別れた形で火、水、風、を体現するのが、サクヤヒメ、セオリツヒメ、サスラヒメであると位置付けて、その概念は幾つかのワークにも反映されていた。

それからまた、長い、10年という月日が流れて、依然として同じエナジーヒーラーという仕事を続けている私が、今年向き合ったガイアワークの中で、この四相一体の女神と、そのオーヴァーソウルである白山姫(ロゴス)について、分かった事の一部を、とても重要と感じるので、刻んでおきたいと思う。

============

神智学文献では、エレメンタルつまり四元素を神秘家が取り扱うのは危険で、お勧めできない、という記述もある。私たちのエネルギーシステムにおけるチャクラは、ルート、セイクラル、ソーラープレクサスの1〜3の低位チャクラが土、水、火の元素の世界と通じていて、ハートチャクラが空気・風。それらの元素の力を取り込むことで、栄養になる、という。アルガンザのカレッジでもそれを取り入れた四元素のワークを導入している。アーユルヴェーダも人間の肉体や外界(季節や時間)、臓器やその働きすべてを四元素をベースにした「ヴァータ・ピッタ・カパ」という力学に当てはめて、足りない元素を補い、強すぎる元素を抑える、という法則からの処方箋が体系化されている。

恐らく、一般的な、物質界レベルでの話ならばこれでいいのだろうと思うけれど、秘教を学ぶ者としては何か引っかかる感じがずっとあって・・上記の、四相一体の女神のコンセプトとエネルギーをワーク化した「四女神の柱をオーラに立てる」メソッドを、レコンセクレーションの伝授に導入していても、いまいちの感じがずっとあり、また、秘教的な学びの中でも「四元素は封印である」「呪縛である」というフレーズにも出会い、長いこと気に掛かっていた。

2011年頃だったか、それまで数年に渡り直輸入していた、アメリカのワーカーさんからの「四元素ドラゴンストーン」を、アルガンザの周波数の遷移の動きの中で、ちょうど先方も石の仕事を辞めるというタイミングだったので、取り扱いを終えるに至っていた。けれどその後、カレッジで紹介すると生徒さんたちの関心は高く、また、女性たち、それも巫女的・神秘家的な女性たちは四元素が妙に好きなのだ・・・けれど、本格的に「見えない世界」を命がけで探求している神智学では、「危険だからエレメンツとのワークは勧めない」という。

(もちろんアーユルや、チャクラに元素・・という自分の健康に扱うのは、全く問題ないし、むしろ人間の本質・真実なので有効な知恵である)

そのようなモヤモヤが数年越しでずっとあったところ、今年、2019年は「火」のエレメンツを中心にして、体験から、分かったこと、見えてきたことが多くあった。

縄文期の日本人の一部になったと考えられる南方からの流れを持つ人々は、インドのドラヴィダ人由来という説がある。その言語で「神聖なもの」を表す「フィー」が、日本に来て「日」「火」になったという説を、カレッジのテキストでも紹介して来た。韓国語でも「火」は「ファ」で、恐らく同じルーツだろう。日本は「ひのもと」という元来の国名が、漢字が入って来てから「日本(にほん)」となったらしく、縄文からの流れを受けたこの列島の本来の名称は「ひのもと」であったと個人的には信じている。

その「ヒのもと」の「ヒ」とは何であるか・・が、重要なキーだとずっと思って来た。

「霊」と書いて「ヒ」と読ませ、神にまつわる言葉を構成している日本語がある。ヒモロギ(神が宿る場所)、ヒルメ(神の巫女)、ヒルコ(神の子)など。以前から旧ブログにも書いて来たが、鹿島・香取の両神宮のある茨城県の常陸(ひたち)なども、恐らく「霊」=「ヒ」=「神なるもの」と関係していると考えている。

では、日本の歴史の根幹となる「ヒ」とは、何なのか。今、私たちが知っている「火」と「日(陽)」とは、ひとつに括れるものなのか・・そのテーマを長いこと、それこそ奈良に通い始めた20歳の頃から、25年以上何となく考え続けて来た。

今、アルガンザの新しいワーク体系として「プログレッシヴワーク」というスタイルに改変するため、旧来のワークの幾つかを再編成しているところで、そのうちのひとつ、サスラ、サクヤ、セオリツ、キクリの四相一体の女神による禊(浄化)のワークである「さくらしおん・四女神の変容プログラム」を、新ヴァージョンでモニタリングしながら、スクール卒業生の方々に受けて頂いている。その中で、画期的な進展があり、長年の「ヒ」(火・日・フィー・霊)についての考察が深まり、突破口が開けた。

さくらしおんの今回の改変では、長年のモヤモヤを解決し、物質界の呪縛であるという四元素を超えて、すべてを第五元素、さらにより高い層へ統合し、ソウルシステムを拡大し強化するような宇宙的なワークにしたいと意図していた。故に、最初につながるのはシリウスで、そこから、シャンバラにあるシリウスの恒星のミニチュアに降りて来て、その、地球の中心とも言える白い太陽とともにワークをする、という試みで進めている。

4段階のワークのうち、2段回目にあたる「サクヤヒメ」の時。段取り通りにシリウスから地球の太陽、白山姫、と降ろして来て、サクヤ姫のエネルギーにチューニングする。白山姫の桜色と、シャンバラの白の2色はベーストーンとしてあり、そこにサスラなら紺色、セオリツは水色、サクヤは黄緑色が加わる。一段階目のサスラの濃紺色の意味は既に分かっていて、それは人間の中心軸のスシュムナーに関係している。サクヤの黄緑は何だろう・・と、先日、セッション前日に考えていた。

すると、自宅の窓から見える森の緑、自宅の室内の植物たちが陽を受けて輝く黄緑が目を惹きつけた。彼らは光合成で成長する。葉緑素が太陽光で育ち、緑色を呈する。でもなぜ緑色なのか・・・・・

そう考えてみた時、「太陽のエナジーが緑色だからだろう」と、当然のように自分の中から答えが返って来た。そういえば、カメラで撮る時に映る太陽光のプリズムも、明るい黄緑色。自称・太陽人とか長年言っている私・・でもそこは余り考えた事がなかった。コノハナサクヤ姫は、木の花、つまり桜の女神であるから「植物神である」ということと、富士山に祀られる浅間神社も含めて「火の女神」としても伝わっていて、神話では表向き、山の神であるオオヤマツミを父とするけれど、火の神である愛宕(あたご)神が、同神であるという。そして姉の磐長姫のエピソードも気になるところだった。

が、太陽のエナジーが黄緑色であり、それが地球の植物たちを緑色にしているならば、サクヤヒメが、白山姫のベーストーンに加えて、植物神という様相を担当して黄緑色のイメージで見えている訳が、良く分かった。つまり、サクヤヒメの「ヒ」とは、「火」ではなく「日(陽)」=太陽なのだ。

先日、フェイスブックに書いたこと。古代朝鮮の神話について調べていて、導かれた韓国時代ドラマのファンタジー「太王四神記」(ヨン様こと、ペ・ヨンジュンさん主演)を見ていて更にヒントが来た。同ドラマは「四神」つまり朱雀・白虎・玄武・青龍の四元素の守神たちと、古代朝鮮の神がかった王権のカルマ、光と影の物語。その中で、朱雀は火の力であるが、その力を見つけた守護部族は、「地中から火を見つけた」とのこと。朱雀の主であるその部族の「火の巫女」は「大地の母」と呼ばれている。

火は、日が地上に降りてきた表現なのだろうと長年、思って来た。けれど、そうではないと感じ始め、ワーク改定での上記の気づきがあった所に、このドラマの世界観は大いに示唆を与えてくれる刺激となった。「日」は、地球のロゴスの上の階層、太陽ロゴスのエネルギーである。地球の魂である私たちにとって、「神」とは太陽ロゴスであるという表現も、神智学で目にしたことがあるが、まさに縄文やケルト、世界中の新石器時代人が、ストーンサークルなどを建てて、崇拝していた神としての太陽なのだ。

一方で、火は、一部の人間が地球の地下世界で発見した「力」だという。もっと遡れば、アトランティスに起因するだろう、地球内部の力学を地上に引き出してきたもの。地球、ガイアの中でも肉体である大地、地下のマグマの世界に属するものなのだ。古代世界において、火を神聖なものとする宗教が複数、生まれた。私の印象では、それらは生贄や、構造的な文明の構築、つまり都市や軍隊の編成などに向かっていく古代世界を襲った新たな潮流・・そして歴史を塗り替えて、各国、各地で太陽崇拝の部族社会を駆逐し、征服していった潮流に通じている。

「ヒ(フィー)」を神なるものとして、ひとつで考えていると、答えは出なかった。本来はまったく別のものを、低次元に引き下げながら、置き換えていった。「日の巫女(ヒミコ)」「ヒツギノミコ(日本の皇太子)」などの元になった「ヒ」」を、どう捉えるかによって、古代日本における、古代世界における宗教のあり方が全く違って見えてくる。この「引き下げ」からの分離を表しているのが、日本神話におけるサクヤヒメとイワナガヒメの物語であると、気づいた。

姉である磐長姫は、日本神話では「器量がわるい」と言って、嫁に出した天孫から親元に返された。上記の韓国時代ドラマでは、神代に天から降った神の息子の愛を得た「妹」に対して、「姉」である「火の巫女(大地の母)」が嫉妬し、「リリス化」してしまう。その因縁が持ち越され、2000年後に転生する主人公たち。同じく姉は愛を得られない悲壮からリリス化したところ、彼女の持っている火の力を破壊力として使おうとしているネガティブな宗教結社によって、操られるままダークサイドに堕ちていく。(ドラマの冒頭にある神代の二人の女性は姉妹ではないが、2千年後の転生で姉妹として生まれている)

このドラマがベースとしている朝鮮神話、檀君神話の中に、ドラマのような二人の火の巫女姉妹の話が実在しているのかどうか、調べてはいないのだけど(檀君神話には虎と熊が出て来て、熊が王のお嫁さんになるという話は出てくるが)、日本には在る。まさに「サクヤヒメ・イワナガヒメ」であり、弥生人の渡来が日本建国を開いたと思えば、同じ原型的な神話が日本に伝わった可能性も十分考えられる。

更には、より秘教・神智学・ジェネシス概念の中で考えて行くと、かつて「ヒ」という神なる力は太陽そのものであったが、人類が物質界に染まって利己に落ちていくプロセスの中で、地下世界から取り出した物質的な火に習合され、やがて火そのものを崇拝することで、アトランティスに起因する火の破壊力を活用した原型エネルギー、集合場と繋がっていき、人類はさらに戦闘的になっていった。牧歌的な石器時代の人々の思考体系とは、明らかに変わっている。世界中で同じように、戦闘的で残酷な神を崇拝する文明に塗り替えられていく古代の動きを、ずっと不思議に思っていた。

本来は同一であったものから、二極化が起きる。堕ちたサイドは原型的な闇の力の一員となり、破壊力を発揮する側になっていく。イワナガヒメを、大地の女神としてワークに加えようか?リュミエールのブレスレットにしてみようか?と着想してみたことがかつてあったけれど、いずれの場合も「何か違う」と流していた。最近は、このエネルギーをリリスの一種として体感、体験することが続き、ライトワーカーたちを阻む力として動いていると、仲間内でも話している。

ちなみに「イワナガ姫」の「ナガ」は日本語の中にも広く浸透している「蛇」としての「ナガ」の音を彷彿とさせるけれど、蛇の姿で見えるという話も出ている。蛇や龍が好きなスピ女子たちも多く、神社巡りをするうちに知らずに繋がってしまっている人々も居るし、セッション等でその種のものが出て来て伝えても、当人が愛着を持っていて、切り離せないこともある。神社の場所は元々、古い元素霊が封じられた場所に建っていることも多い。自分の周波数が高くないと、またシンパシーを潜在的にでも持っていたり、攻撃や破壊・虚栄心などネガティブなエネルギーが人間性の中に有ると、繋がってしまうこともあるだろう。

神社巡り、土地巡りが好きな女性たちの中には、エレメンタル、つまり自然界に封じられている元素霊たち(「龍神」など)を「解放」している人々の話も聞く。以前からそれを危惧していたけれど、意味があって封じられているものまで、次々と解放されているようで、危険な破壊力をもったスピリットが放たれることで、スピリチュアルなアンテナを伸ばした人々が更にそれをチャネリングとして受け止め、逆側のメッセージを発したり、攻撃的なエナジーをヒーリングとして流したりしている。

神智学の先人が、「エレメンタル(元素)とワークするのは危険。お勧めできない。」と言っている理由、今ではよく分かる。「堕ちたもの」「封じられたもの」にシンパシーを感じている人も多いが、それがもっとも危険な入り口である。古代の人々も馬鹿ではない。今の私たちよりも霊的なアンテナは鋭く、天と通じる人々も多かった。理由があって封じた、荒々しい破壊的な元素霊たちを、よく深く考えることもなく解放している人々はまた、人間の進化を阻む力の方に、動かされていることに気づいていない。

今年は火の破壊力が大いに動いていた。上記のようなワーカーたちにより解放されたものたちなのか、時代の変わり目ゆえの、歴史の層から自然と炙り出されたものたちなのか。それを水によって鎮めなくてはならない状況になっていたようで、台風19号はそれゆえに、猛威を奮ったのだろう。各人の中でも、「火の破壊力」にまつわるカルマが動いていただろうと思う。

これらの気づきから、ちょうど改定していた「さくらしおん四女神の変容プログラム」の第二段階「サクヤヒメ」では、太陽ロゴスの黄緑色のエナジーを、太陽神経叢とハートに注ぐという内容にした。思えば528ヘルツはハートチャクラの周波数、そして太陽の周波数とも言われ、それは明るい緑色だと知られている。サクヤヒメの「フィー」とは太陽の力であり、ゆえに桜の花の女神と伝わるサクヤヒメは、植物界をグリーンに育む植物神なのだ。

サスラ姫の第一段階は、中心軸の奥にある空の領域に向かってスシュムナーを洗浄する。サクヤで第3チャクラとソウルセンターを太陽の力で洗浄する。そしてセオリツの宇宙の水の力でアストラル体を洗浄し、最後にキクリ姫でくくり、第五元素から宇宙の源のゴールドへ、統合する。お陰様で、神智学ベース、ソウルシステム的なワークへとリニューアルすることが出来て、10年越しのモヤモヤが払拭され、安心したところ。

人間は物質界の存在だけれど、物質界のしがらみ、呪縛を「超えていく」ために存在していると考える。ゆえに「四元素は封印」であり「呪縛」なのだ。私たち人間を、物質界に封じているものが四元素であり、物質体としては食事やチャクラの栄養として親しみつつ、やがてはそれを超えていくものだという認識が、少なくともメタフィジカルを学ぶ人々には必要だと考える。浄化が進んでいき、アンタカラナが自然と開発されていけば、チャクラのひとつひとつも分離なく、すべてが白い光へと統合されるという。

四元素という縛りを超えていく。第五元素、さらにその先へ。

Love and Grace,

Amari