「目覚め」に必要な「心のあり方」

今年の前半、そして7月にあったと感じる「回転」の区切り目以後は「沈んでいるもの」の昇華と浄化が実際に(アースワーク的な意味での「物理的に」)起きていて、エネルギー的に厳しいなと感じる事が何度かあったのですが、最近は大気に含まれる気の流れ、プラーナやグレースが「シン」と周波数を上げて、とても気持ちが良い。一方で、その光に照らされてこれまで、見なくても済んでいたような人々の各自の歴史の中の闇のようなものが人それぞれ、浮上してくる時期なのかも。

心のあり方が本当に試される時です。3~4年前に(その当時の)学びの扉のようなものが、内界(地球人類の背後にある高次元の愛の領域=神界)側では締め切られたような時がありました。これは確かにそうだったと思っています… が、いつでもどのタイミングでも「間に合う」というのも事実で。

間に合う、そのコースはそれぞれ変わりますが、もちろん人間として生まれて来て生きることは常に学びであり、いつでも切り替える事は出来るし、「間に合う」ことも出来る。

早く気づいている人はこれまで以上に、そうではない人々の道に迷う姿、それでも気づかずにいる姿、時に、気づいている人を「間違っている」と指摘してくる姿に、出会うのではないでしょうか。多くの偉大な宗教家がそうであったように… その神話的なパターン(原型)が、多くの人々に適用されるという時代が来ているような気がします。

もっとも、それを小さく再現したモデルタイプは常に、スピリチュアル、や、癒しの世界や、人生観などに目覚めが起きた人々には付き物ではありますが。そのような体験を通じて、自分自身の目覚めや覚悟を試される。つまり全て、反対する人や邪魔する人、そう見えている人々や物事があったとしても、自分自身の魂がこの現象界に映し出している、エネルギーであるということ。

小さく再現した個人ヴァージョンではなく、社会全体でそのモデルタイプを体験し、試されるのが、歴史上時折巡ってくる時代の周期の変わり目だろうと思うのですが、今はとても大きい勢いでその周期の入れ替えが来ているタイミングだろうと感じます。

神智学(リードビーター)の人類と太陽系、宇宙の進化サイクルについての理論では、地球のソウルが体験する七つの進化段階の中で、もっとも「波動が下がる」=物質的 のがアトランティスであり、そこを抜けて現在は5番目のサイクルに入った。恐らく12000~13000年前の大洪水以後のことを言うのだと思いますが。

私たちの文明期に残っている伝承・伝説の類では、アトランティス末期の混乱を生き延びて(避難して)、現在の文明のスタートに立ち会った人々から伝わっているものと、現在の文明の始まりを表した創世神話的なものが混ざっていると考えています。

進化サイクルの話に戻ると、5つめの人種期に入ったとは言え、一つ前の人種期のカルマ精算や、情報の整理・おさらいをする時期が必要で、恐らくそこに1万年くらい掛かって、今に至っているのではないでしょうか。

アトランティスの終盤、持っていた能力、ライトボディやチャクラシステム、サードアイ・松果体の活用や、当時なりの生殖システムなど、多くの「宇宙的」遺伝子の働きを封じられて、物質界に閉じ込められてしまった人類。その封印を解いていく時だと考えます。

とは言え、失った、「神々により」封じられたことにはそれなりの理由があり、取り戻していくに当たって、利己的な動機によってただ力、能力だけを開発しようとしても、寧ろ逆効果であろうと思います。ここでは、個人ではなく「人類全体」の歴史やカルマ精算が働く。

能力を拓く、のではなく、もともとあったものを取り戻す。ただ、そこには、「なぜ失ったか」を知り、贖いや、新たな決意・意図といった、心の持ちようの洗礼が必要なのだと思います。

聖書が伝えるように、やはり人間が「利己主義」に陥ったために、光や音や波動といった微細なものを扱う、感じる力を封じられていった。急にではなく、徐々に。

ゆえに「利己的」であること、フィジカルな世界や目に見えるものだけに注意や思考を集中している現在の在り方を頭から「外して」、体や骨格や遺伝情報や隅々に刻まれている「物質的な感性で生きている状態にとどめておく仕組み」を、ほどいていく行程が必要です。

そのプロセスの歩みの中で、ひとつずつ、封印が解かれていく。

私が考える人類の「覚醒」「進化」とはそのようなものです。もちろん、全体を引き上げる力が働いているので、集合意識フィールドの協力体制にシナジー効果が起これば、一気にグンとステップアップするようなことも、準備されているとは思います。ですがそれには、

まずは「心のありよう」を切り替えて、自然界や母なる地球、世界中のすべての人々とともに在るという、ワンネス意識、ホールネス意識、全てはつながり合い、関わりあって、支え合っているのだという意識を持ち、生活や思考を変えていくことから、全てが始まる。

研究者の発表などから、スマートフォンやデジタル生活による人間の脳の危険が問われている最近ですが、100年前に書かれた神智学の先人たちの情報によると、人間は意識の持ちようや自己浄化に励むことで「魂が肉体脳を支配する」という状態になるそうです。

「支配する」というと言葉がよくないかもしれませんが、自分自身がソウルとして生きることで、物質的な肉体的な自分ではない大きな宇宙的な存在として、肉体や、脳を、機能させることが出来る状態になる、ということ。

本当ならば恐らくパンデミック前に、自我をしのぐ魂の力を各自の中で強めておくことが、特にメタフィジカルな探求をしている人々、スピリチュアルに興味を持ったりかじったりしている人々には、求められていたのだろうと思うのですが…(「内界」の「神なる領域」、人類進化を導く世界はそれを促進していたのですが)

というのは、社会における「脳への脅威」はすでに始まっているので。ソウルが優勢、魂に道を開け渡す準備が出来ている、あるいは葛藤はするけれどその用意はある、というような段階の人々は、やすやすと脅威に絡め取られていくようなことはない。けれどもそうでないと、社会や個人にかかるマジックやトリックに、翻弄されてしまう。

「物質的ではない存在である自分」に気づき、目覚めていく。クラウンチャクラやソウルシステムの縦軸から、流れ込んでくるその光と成長のウェーブを受け取り、利己ではなく利他、地球や自然界を愛する方向へ導いていく力に、心と現実を沿わせていきましょう。

「上から来る」、光であるように装って違うものが来ることも多い最近。見分ける、感じ分けるには、左脳的な情報(数字や三次元的な上下関係・地位)ではなく、右脳やハートの感性で測る力も必要で、それにはやはり、自分自身をクリアリングして、淀みを洗い流していく事が大事です。恐れや怠惰や怒りなど、重たい感情を清めることが、最初の一歩です。

2024年、冬至を目前にして。

Love and Grace

Amari

闇と愛と光と

なかなかハードボイルドな日々が続きます。と言ってもあくまでも自分の内側でのことだけれど。「ジェネシス層」が今年は特に動く。動きっぱなしな気がする… いつも一般の人々よりも少し前にずれて、シャンバラの采配による「人類進化プログラム」のフローが、先に適用されるようなところがあるので、2025が境目とよく言われているけれど、それってこういうことか!と、明らかになる頃に、多くの人々が味わうような感覚、リリースであったり、内側の鋳型からのシフトであったり… を、体験している年のような気がします。

その中で、自分個人としてはあまり、フォーカスしたくないな、と日頃から考えている「光と闇」の二元について、どうしても周囲から、状況から、考えざるを得ないような事が多く。私が身を置いて来たようなニューエイジ系の癒しはやはり「愛」を絶対的な基盤としている訳なので、すべての究極的なベクトルは「宇宙の無限の愛」であると、答えが分かっている中で、まだ発展途上のこの物理世界で繰り広げられる二元性に対して、どのような臨機応変な「(暫定的な)答えを出していくか」が、テーマでもあります。

今、4名の受講生の方々と進めている「アースワークカレッジ」でも、参考図書として挙げている「チベッタンヒーリング」という本で、チベットの僧籍を持っていると思われる著者の方が、「シャーマニズム」「タントラ」「ゾクチェン」という、チベットにおける宗教的なアプローチが3階層ある、という説明をしてくれていて、とても分かりやすい。

それらを行ったり来たりしながら、この世は幻想・唯物是真であると分かりつつも、目の前の事象に対処するという時間がまた、「修行者」には必要とされるのだということを実感します。

仏教の世界では、闇と光(仏教では光の代わりに「仏」というのかもしれません。仏はブッディなので「慈悲・智慧」であり、光というよりは愛に近いのですが..)は拮抗し、31vs32で、1点の差で光が勝利すると仏典に書かれています。若い頃から、その「1」とは何なのだろうとずっと思って来ました。が、Harry Potter でも、the Lords of the Rings でも良いのですが、光と闇の相剋が、ああいった「魔法戦争」であるとイメージすると、分かりやすい。

有史以来ずっとあんな感じで世界の見えない部分で摩擦して来ている。いや、個人個人の内部でも、同じです。

神智学では、もっとも闇を極めたのはアトランティス末期であると伝えています。それは、数億年単位で地球を見た場合のこと。そして、仏教やそのベースであるインド哲学では、現在を含む時代は暗黒の世で、光が伝わらない、思想が乱れ、人々が正気を失う時代であると。

神智学のほうは正確には「闇を極めた」というよりは「物質を極めた」のであって、少し意味が違うのかもしれません。。もっと深淵、神妙な、人間のライトボディとフィジカルボディ全体の「システム」が、「物質」というテーマを極めた、という感じなのかも。。仏教が行っているような、心理および社会の「暗黒」と、違う層の話なのかもと最近は思っていますが…

ともあれ、
現在は物質的には豊かな社会が(昔よりは)世界の広範囲に渡っているけれども、人々の心は大事なものを見失い、おそらく最大の問題は、自分たち自身の「存在にまつわる知恵」を失ってしまっているという状況。

インド哲学の文献を残した当時の賢者たちからしたら、「そんな時代が来たら恐ろしい」と思えたのでしょうね。哲学が生き生きと存在していた古代からの視点からすると、それくらい、大事なものを欠如している状況。ゆえの「暗黒時代」という表現なのでしょう。

冷静に考えてみると、自分が何者であり、なぜ人は生きているのか。などの本源的な思想や理解や直感を失った状態で生きるというのはやはり、とてもとても、ある意味「不幸」なことであると私も本能的に思います。それで「人間」なのだろうか、と。

31と32、ほぼ互角に戦ってしまう「光と闇」。それでは、最後の勝利を決める「1」とは何なのだろうか。

やはり、というか当然ですが、「愛」ですよね。
誰もが分かっていること、と言えるかもしれません。そう、本当は誰もが分かっていること。けれども分からない振りをしている。

「愛」ってなんだ?というと、きっとキリストの言葉などを聖書で読むととても分かりやすいのかな。愛は、感情でも、思考でもなく、エネルギーで。宇宙の本源と言えるでしょう。それが、さまざまな階層に降りて来る中で、最終的には感情などになるとも言えそうです。現時点での地球の人間世界では、人々同士の間で行き交う、または感じられるフィーリングとして「愛」をその階層まで下ろして来て、その一端を体験している。

愛は宇宙のエネルギーである。
浄めて育てる「光」と、滅ぼし壊す「闇」
その双方さえ内包しているのが「愛」なのでしょうけれども、科学的に(宇宙レベルの意味で)、闇は愛とは結びつくことが出来ない。光は愛を意識して存在している。

それゆえの「1」の違いで、光により、最終的に闇は浄化され中和される。

なぜ「闇」は愛と結びつくことが出来ないか。もし結びついたならその時点で「闇」ではなくなる。「光」になるのです。なぜなら、「愛を失った光」が、「闇」であるから。

「宇宙の本源(愛)」を見失った世界こそが、「光と闇」の二元の相剋を体験している。

思い出した人からその次元を抜けていく?いや、世界というのは一つのユニットになっていて、他の魂が、思い出すまで手助けをするのだそうです。(仏教にいう「菩薩道」)ニューエイジで活躍している「アセンデッドマスター」はまさにその意味で菩薩たち、ですね。

実はこれは、ヒーリング(癒し)の世界で個人個人の中で起きていることと同じ。「愛を見失った」迷子の過去生やインナーチャイルド、シャドウセルフが、私たちの中で自己主張をしているから、不具合や苦しみや不完全感などが生まれる。それらに「愛」を思い出させることで、癒しが起きる。小世界と、外の世界は、フラクタル構造。同じことが起きています。

本能的・潜在的に「愛」をどのくらい知っているか。魂によりその深さ・度合いが違う。ただ、家系的に受け継がれる性質もそこに加わって、愛により近い魂は「光=生み出し育てる」ことに惹かれてそのように生きようとするし、その逆もある。滅びや破壊に、そのための支配に惹かれるというベクトルもある。

けれども… 「愛を思い出した闇」は、その瞬間に「光」になる。

個人の中では、そんなことを小さく日々、繰り返して、揺れ動いている。それが、現在の人間の世界であるのだろうと。常々、ヒーラー目線でそう思っています。

Love and Grace
Amari(青野芹)