今日は祝日だったか・・半分過ぎてから気づいた。そういえば春分でしたネ。

星巫女プロ専科コース(以前有ったヒーラーズカレッジのマスタークラス)の教材として使った事もあるハリウッド映画『イン・ハー・シューズ』。この英語表現は、自分以外の誰かの視点、目線で、物事を感じたり考えたりすることの比喩。日本語でも「〜の立場で」というけれど、立つ、という動詞からやはり足に関係していて、シューズ(靴)という言葉が使われている点が面白い。

他の人の立場や、シンパシーで何かを感じることって、想像力を使えば簡単じゃない?と思うけれど、万国共通で、自分が味わった負の感情がフィルターをかけてくるから、なかなか、簡単とは言えないようだ。

特にこの映画のように姉妹関係だったり、聖書や神話でもよくある兄弟だったり。前に日記に書いた韓国時代ドラマ「スベクヒャン」の姉妹、兄弟、でもそうだし、上司と部下、経営者と労働者、親と子、夫と妻、などなど。人生の全てにおいて、もしかすると人間関係や、自分の人生の流れを良く出来るかもしれないカギとして、「他者の立場で現実の流れや物事を理解する」スキルは、重要なことだろうと思う。

単にスキルとは言い難く、中身の伴ったものでないと、ただ表層だけの世渡りテクニックになってしまって、きっとそれは後々になって学びの機会が用意されることだろう。

違う立場にあったり、違う条件で生まれて、今このように存在している・・その状況を真に相手の靴の中に入って理解する、受け入れる(or受け流す)という行為を可能にするのは何だろう?深い洞察力・・それもあるかも。だけど、やっぱり、「愛」(人間愛)言い換えれば「利他」の心、だろうと考える。

利他の反対、「利己」から逸れることがなければ、いつまでも他人の靴からの風景を感じたり味わったりすることなど出来ないからだ。自分の視点や価値観だけで、どこまでも歩いて行こうとしてしまう。

この映画では姉と妹の愛の流れがちゃんと復旧し、共有していたインナーチャイルドの傷も癒され、互いに切っても切れない絆を愛しいと感じられるところまで。それが叶うには、双方の献身、変化を受け入れる努力、歩み寄りの気持ちや、ハートの愛・・が必要になる。何かキッカケになるような(良くないほうへの)変化が起きると、ある意味、自分の視点や価値観・先入観を見つめ直す機会になる。

多かれ少なかれ、人は一生を通じて、そのチャンスと、受容、変容の連続を経験していく。子供だったところから、大人・社会人になり、親となって、大人や親の苦労を知り、更には社会でも様々な人々と出会って、それぞれの視点や立場を知る。年を取ると丸くなると良く言うように。

時折書いているように、私自身の「アンドロ気質・体質」を振り返ると、恐らく少数派ながらそういう人々は居て(サロンでもお目にかかって来た)、オープンな天使性やハートの力が、逆に「与え過ぎ」ではダメ、「利他もほどほどにしなさい」という学びを必要として、「利己」になることは出来ないけど、人間界の仕組みや、人間の利己性というものをそれなりに学んで理解していく、というコース。

このコースだと、自分に足りていない赤や黄色のエネルギーを強く持っている人々と多く出会い、時に守られながら、人間界というものを(笑)教えられる。学んでも、また偏ってしまったら、再びそのような出会いが用意されていたりもする。もちろん、立場を変えれば(In someone`s shoes)、その逆の事も言える。私は若い頃どちからというと、そちらの作用や出会いに自分が「貢献している」と常に考えていた。

子供の頃から不思議な溢れ出す人間愛のようなものがあって(笑)、小学生時点で今思えば、自主的にヒーラーのようなことをやっていた(笑!)。親も含めて、相手が元気になり、笑顔を見れて、喜んでくれて、(ここがシリウスだけど)以前よりもステップアップする(叡智に近づくような感じ、神をより知っていくような)姿を見ると自分も嬉しかった。その作用が、一方的に自分から相手に流れると思っていた。

けれど今振り返ると、周りに居た、私の考えていることなどよくわからん、と思っているような家族や親しい人たちが、無言の中にも常に、その黄色や赤の力で私を守ってくれていたのだなと思う。

自分自身で縁や現実を完全にコントロール出来るようになるまで・・つまりクリアリングが進んで、ソウルシステムがエネルギーの偏りを示して来なくなるまで。そんな出会いと、必要に応じて起きる「摩擦」と、結果としての「化学反応」=変容、成長、はつづく。

「菩薩道」を生きていきたいと考えたのが二十歳前後。ニューエイジな言葉で言うと菩薩は進化した魂で、それでも地上の人間たちが最後の一人まで覚醒し宇宙を思い出すまで、延々と、転生したり化身したりを繰り返しながら、地球の進化プロジェクトに献身し続けるという。

実はかなり多くのソウルたちがこの「菩薩道」を生きているのかもしれない。様々な靴を履いて、立場や役割を交換しながら。

Love and Grace

Amari