インド・中東を感じる/石巫女的アースワーク

先日のエミリー・ディキンソン(1/26 の日記 2023年)からの流れで、彼女の詩集を買う際に、以前から読みたいと思っていたインドの詩人タゴールの詩集を何冊か買って、最近はこの、対照的な二人の詩集を覗いている。あまり詩集を愛好するような時間は、今までの人生では無かった(金子みすず、宮沢賢治、イエイツ他数冊しか手元には無い)けれど、「読む」というよりはまさに「覗く」、その詩人の心象という特別な次元空間を、柱の影から覗くような時間で、50代という、古代インドでは「森に入る」(瞑想生活に入る、日本でいう隠居という感じか)年頃にも差し掛かった自分としては(笑)意外なことに馴染んでいる。

エミリーは自らの詩をほとんど発表することもなく家族とともに暮らす実家に引きこもり、難病を患い56歳で死去。一方のタゴールは生まれながらに芸術家を輩する家系で、そうかと言って恵まれている人生というよりは、苦難に満ちた年月を経ての50代以後、アジア人で初めてのノーベル文学賞を受賞、インドを代表する、更には世界的な詩人として名を馳せる。

タゴールについては以前も一度、ブログかな、もしかすると当時のツイッター等呟きレベルだったかもしれないけど、存在を知って、(リードビーターと同じく)顔写真に魅せられて興味を持った時期があり。自分の内に存在する「絶対的な神」への賛歌を謳い、宗教詩人とも呼ばれているそうだ。けれど当時、20世紀初頭の西洋人にはノーベル賞を取るほど評価されたという点が興味深い。ヒンドゥーの神概念と、キリスト教とは大きな違いがあるにも拘らず。

また、深堀りした話は後日、書きたいと思う。

そんな、タゴールの詩集や伝記でインドに浸っていたある日、「古代の宇宙人」を(前に何度も見ている回を)何となく流していたら、「インド、ラジャスタン州のタール砂漠」に、今世紀に入ってからの新しい発見で、核爆発のあった可能性が広大な面積で見つかっているという話が耳に響いて、改めて思考していた。インド神話にはその出来事と思わせるような神々同士の壮絶な戦いや、核兵器のような破壊兵器が登場している。

更にはその日、同じ地域に居るインド人の方と話していて(もちろんオンラインで)、そのせいか尚更に、現地との繋がりが出来てしまったのかもしれない、今思うと。瞑想ワークをしていたらば、かなり壮絶でゴチャゴチャした集合場と繋がってしまって、トランスを経て、瞑想から覚めた時、「インドの歴史の中に入っちゃった・・・」と、(時々ある)呆然とした後味とともに。インド、というよりは厳密にいうと今はインドに含まれているラジャスタンや、パキスタン、アフガニスタン、あたり。インドの国の北側、西の端の地域。「古代の〜」によると、ラジャスタンとパキスタンに、その(核爆発があった)想定地があるらしい。まさにそこに繋がってしまった気がする。

トランスから起きた時に「ああ、そういうことか。ユダヤの一神教の神!」みたいな思考が残っていたけど、こちらの周波数に戻るともう何のことがわからず。たくさんのヘブライのような文字が瞑想中に降っていたのは覚えている。それと、インドが「日本雛形説」でいうとどこに当たるかが急に気になり、ネットで見てみると伊豆半島、のよう。それもパキスタンだと、伊豆半島の西側だから静岡県だろうか・・雰囲気的には愛知県あたりか。

ヘブライ人の一神教と言えば、実はエジプトで宗教改革をしたイクナートン(アクエンアテン、ツタンカーメンの父王)の、兄である「トトメス」が、イコールモーゼであるという説を、過日「古代の宇宙人」で見て驚いていたこともあって。トトメスという名は「トト神の息子」という意味で、「トト神の」の部分をとると MOSE、モーゼになるのだとか!!これは衝撃。この説を提唱したのはなんとフロイト(エジプト学者でもあった)だったそうだ。

以前からどうしてモーゼが、エジプトの王家で育っているのだろうかと不思議で仕方なかったけど、エジプト王家で文字通り「異端児」、一神教への宗教改革を起こして一代でそれを潰されてしまったアクエンアテンの何らかの関係者(例えば義兄弟、乳兄弟のような意味での)=「兄」である人物が、その一神教がアクエンアテンの死後、一気に政治的に潰される流れの中で、奴隷の人々を連れて独立しようとした、というのが「出エジプト」神話の真相ではないかという説は、なかなか説得力がある。(この辺りを描いたリドリー・スコット監督の映画「エクソダス」あり)

モーゼが率いた「ユダヤ人たち」は、結果として生まれたユダヤ教を信じた人々(ユダヤ教の信徒となる人々)であり、色々な人種の入り混じったエジプトに居た民衆、奴隷だちだったのではないかという説。歴史として考えるなら、そのほうが自然。ひとつの人種だけを大人数引き連れて脱出するのは現実的ではない。

話が逸れてしまったけど、この瞑想ワークと思索のあとに、そうだった、トルコとシリアの地震。とようやく気づいて。そして思い出したのが、以前の「石巫女アースワーク専科」のクラス、2018年期に、土地ごとの石でグリッドを組んで、その土地の鉱物界を感じてみよう、必要とあらば当地の自然界へのワークをしよう・・ということで、毎回、実施していた。その中で、「ちょっと怖いけど・・」と言いながら一度、「パキスタン、アフガニスタン、トルコあたり」の石たちを集めてグリッドし、ワークをした事があった。

記憶が曖昧だけど、予想していたよりも「光」を感じ、オリオン的な男性エネルギーの輝きのようなものを感じつつ、やはりそこから生まれた争いの歴史のようなエネルギーも、垣間見たような。

そして思ったのは、石をグリッディングして行うアースワークを、またやった方がいいのかな、2023〜2024年は。。と。

正直なところ、手間が掛かるので石巫女は大変、と、体力気力的に復活するつもりは無かったものの、今の遠隔のみのスタイルであれば、何とか石を毎回集めて、グリッドを組んで、それを画像でシェアして、一緒に瞑想・・という形であれば出来るかもしれない。

Judy Hall さん著書でも、土地や地球へのワークについて書かれた一冊もあり(未邦訳)、検討してみよう。というか、瞑想のトランスから醒めた瞬間に「やらなくちゃ」というヴィジョンは入っていたので、小規模ながらに、4月からスタートしようと思う。以前の石巫女は教材になる石たちを、石の種類ごと、産地ごとに用意するのが大変で、自宅にあるものはキャリーで運び、不足を感じるとわざわざ仕入れをしたりしていた・・・そこまでは今は出来ないけれど、「土地」に的を絞って、遠隔の良さで、小さめのグリッドでも良いと考えれば、出来そうだ。

日本雛形説・・を、結構普通に信じていて、いつも世界で何かあると、日本で言えばどこにあたるか、を考える。日本は地震、災害大国で、土地へのワークで何か少しでも高次の計らいが最善の中、地上で働くこと、人心の集合意識の乱れや、まつろわぬエネルギー層を鎮めることで回避できたりすることもあるのならば。そして、地上で生きる人々の状態が、少しでも良い方へ向かうという意味での土地、集合場へのワークが成り立つならば。

何年か前にゲリー・ボーネルさんが、日本で巨大地震が来そうだからとそれを鎮めるために日本向けに本を出して注意喚起し、ワークショップに来日された際、ご本人は(普段はひかない)風邪を引いて体調不良の中のWSだったと聞いた。地震を鎮めるには、堕天使たち、地中に居ると言われているような存在たちに働きかけるワークをされていたよう。・・アルガンザとしてもそれは大いに納得、過去の事例から。

私も今回のワークで、瞑想から醒めるや、普段ない風邪の引き掛けのような体調になっていて驚いて。けれどアースワークでは軽く不調が出ることは時折あることで。その日の後半の瞑想や翌日に再ワークすることで昇華し復調するというパターン。上記、ゲリーさんの例を思い出した。そしてセルフヒーリングをしながら、ここに書いているような事を頭で整理しているうち、体感、体調も復調した。

以前2期、講座を展開した石巫女は、様々な驚きの体験、ミラクルを引き起こし、今の「ジェネシス」世界観の下地となる情報もたくさん、受け取っていた。ウラルの土地にワークをして「ウラルの水晶と出会えそう」と思った時には、業者さんがマスターウラルと今では呼ばれている水晶が入荷したという連絡をくださり、ヒマラヤの造山活動に繋がって太古を体験するというワークをしていた直後にはまさにそこで生まれて最近発見された「アースシードライト」が登場する、とか。社会的な大きな動きとも連動していた。

ジェネシスと同じく、地球46億年を相手にするので、畏怖心のような、たまに出る私の逃げ腰が・・パンドラの箱を開けるようで、もうあんな仕事は出来ないなとずっとここ数年は考えて来た。けれど、そうは言ってられないよう。むしろ以前のような周波数帯域で仕事をしていないと、本来のアルガンザではないのだ。。。この数年、「ジェネシス」の副産物のように出て来たアンチマターの収拾に務めていた。けれど、時代は先に進んでいく・・今年は本当の意味で、変換点としての力場が働き出す。

高次が進めるプロジェクトに合わせて、地上でエネルギーワークで波動を調整する。・・・考えてみれば(今思えば)マヌの仕事、と言える。エルフ族、エルたちの仕事。

「白い聖堂」と両輪で、どんな風に実現できるか、考えてみようと思ふ。

Love and Grace

Amari

脳と波動と現実の秘密

脳科学、量子物理学、インド哲学。この3つがあればきっと、スピリチュアル、の問題はすべて解決する。

インド哲学には既にもともと、その秘密が継承されていて、幾らかは書き換えや捏造もあったとしてもキリスト教ほどではなく、神智学(ジュワルカル)がインドを「保存する」という役目をもった国だと言っている通りなのだろうと思う。日本人が中国から来たと思っている古代の知識や伝統は、大概、インドから中国に渡っている。

古代世界ではローマであってもとても敵わないような国力を中国が持っていて、さらには、古代の途中まではインドの盛えは凄かった、という。古代ギリシャといったら現代でも超えられない様な、哲学や数学などの知識の殿堂であった訳だけど、ギリシャの哲学者がインドまで出向いて教えを受けて、「いやあインドは凄いよ」と文献に書き残したりしているらしい。聖人つまり哲学者たちが森に住んで修行に励み、覚醒したり、教えを説いたりしている「賑わい」のような、哲学メトロポリスみたいな世界だったのかも。

そんな中から、ヴェーダや、数々の哲学の流派や、ヨーガ、アーユルヴェーダが生まれていった。キリストも一説には、若い頃にインドに行って学び、帰って来て布教を始めたという話もあり。それを聞いた時は「ええ、まさかあ」と思ったけど、ギリシャの哲学者たちがやっているのだから、時代的にも状況的にも、キリストがやっていたって全然不思議ではない・・。つまりは、シュタイナーの言うように「すべてはインドから」なのかも。

とはいえ、インド大好きという風には私はなぜかなれなくて、アーユルヴェーダの3日間終日連続講座では、2日目の夕方には、ヨーロッパ的な空気を自分に入れたくなって(笑)そういう雰囲気の雑貨屋さんに立ち寄ってみたりしていた。講座でご一緒の方々には「やっぱりインドに勉強に行きたいの?」と訊かれたりして。皆さんはもちろんそうだし、既に何度も行っているという方々も。

インドは最近、都市では空気汚染が深刻で、それで体調を壊す市民が少なからず、というほどの問題になっているよう。知識の保存庫とはいっても、現代のインド社会は多くの問題を抱えている。この先、中国とともにインドのありようや進む方向が、世界の未来を決めていくようになるのだろう。

脳科学。

ヒーリングを仕事にして来て・・というより自分自身のあゆみにエナジーワーク、ヒーリングを活用してきて、つくづく思う。癒しは脳である、と。チャクラやライトボディ、肉体を含めたシステムで起こる癒しや解放、活性や調整も、最後に脳に反映されるからこそ、その人の現実の一部となる。そして、まだまだ知り得ていない脳とエネルギーの仕組みがあることを最近、実感する。

中々変われないという人は、ヒーリングを受けたりセルフでチャクラや体の調子が一時的に良くなったとしても、管制塔である脳までがリニューアルできなくて、また慣習的にチャクラなどの状態も、時間が経つに連れて戻ってしまうという仕組みなのかもしれない。

悟りは脳波がガンマ波になることだという話もある。それも、あり得ると思っている。覚醒もワンネスも、現実創造も、みな脳であると言える。けれど、では脳だけが変化、進化すればいいのかというと決してそうではなく、チャクラの状態、エネルギーの周波数、波動的健康状態を反映した上で、脳が情報を管理して現実を運営するという構図。

逆に言えば、脳を操作することで、肉体もエネルギーも、周波数や健康状態を上げたり下げたりすることも出来るだろうとも思う。脳の情報はコンピューターのようなものだから、ハッキングするようなテクノロジーが存在し、人の状態をそこから変えてしまうようなこともあるだろうと・・・何も、新手のサイキックアタックだとか、良からぬ宇宙人がやっている事だ、という話ではなく(それもありだけど..)丸腰の無自覚な普通の人々もまた、ただただ本能的、動物的に、他者の脳に独自の手法で介入したり、という方法をそれぞれが持っていそうだ。(もちろん無意識に、ネ)

アストラル体のフォースが強い人は、人望を集めたり、リーダーシップを取りやすかったりする。それとは正反対の、周波数が高い宇宙人タイプの人だと、脳科学的なことをシステムが知っていて、悪気なく自分のエネルギーを他者の意識の中に送信したり、ハッキングのつもりなどなくても、同化願望が強いタイプの人(魚座とかかな?)だと相手に寄り添い寄り添いしているうちに、相手の意識世界の住人になってしまっていたり?

思春期の密に仲良くしている女子の親友同士とかだと、そういう事が起きていそう。若い恋愛中のカップルとか(若い、というところがポイント。まだ自立した大人になりきっていない段階の)。以心伝心、のような現象。メンタル情報、アストラル情報を身近な人からコピーしてしまう現象も親子間などにありそう。日本人の「空気を読む」という性質を、海外の人は「テレパシーを使う」と表現しているよう。国民性として日本人は特に、ハートというより脳で繋がり合っているかも…(だから操られ易いということになってしまう?)

私たち自身は3次元のことしか自覚できないけれど、4次元、5次元的には、色々な事が起きているのだろうと思う。それを、いまだ現代の科学では説明し切れていない。人間の脳や人体や、さらにサトルボディ(オーラシステム)のことを。一般科学ではなく量子物理学だけが、スピリチュアルに近づきつつある。そこまで行くと、物理学といえども見えない世界になるからだ。それらを全て、数千年前に説明しているのが、インド哲学。

脳科学、量子物理学、インド哲学。・・そういえば、これらの3つはカレッジのマスタークラス「意識の学校」で導入を試みた3本柱だ。私自身がまだまだ力が足りず中途半端であったけれど。そして古代インドの「ウパニシャッド」のイメージで、師匠と弟子の一対一の対話によって、成長の進路を導き出していくという手法をとった(少なくとも私はそのつもりだった・・生徒さんたちに伝わっていたかは微妙だけど・・一応説明はしていた・・笑)。

エナジーワークと、脳の関係の不思議(本当はまったく不思議ではないけど、解明されていないから..)は、驚きと共に多角的に経験してきている。ヒーリングと出会ってまっしぐらという感じでヒーラー仕事を始めて、4年を過ぎたころに一度、「自我を取り戻す」という体験をしている。当時はヒーリング以前の記憶が淡く、それ以前の自分に興味が全くなくなり、ただただ高次のチャネルであれば良いという状態。軽く?ウオークイン状態だったのかも.. ヒーラーになる前年に、白い太陽の爆発体験をしているし。何かの化身のようになっていたか。

そこから、自我を取り戻すという選択をしたことがあり。システムの周波数はかなり下がって、宇宙人化していた意識に、人間としての自分の意識が戻って来て、少し苦労したけど、やがて統合された。オーラシステムの状態・周波数帯と、脳のありかたと、人格・現実への反映は、繋がりあっていて連動してセットされる。けれど、ただただ上げていくのがどうやら目的ではなく、私の場合は多方面からの情報を体験を通じて集積して、何か・・・きっと、理解、そして執筆へと、反映させたいらしい。。

美輪さんもだいぶ前の著書で同じようなことを仰っていたっけ。

行ったり来たりを繰り返すうちに、かなり何かを掴めて来た気がする。過去の自分の状態も含めて、チャクラやカルマだけでなく、脳と、システムの周波数との関連性。

長くなったので今日はこのくらいで。。

Love and Grace,

Amari

煤(すす)が描いた黒い渦の話

今朝あった出来事。些細なことからの気づき。(23年2月の日記)

瞑想タイムのためにキャンドルを灯すにあたり、オイルウオーマーの蓋をティーライトの受け皿にしようと思いつく。しかし、以前ウオーマーとして使用した時のススがたっぷりとその裏側についていて、蓋を載せた私の片手は真っ黒に。さらにそこからこぼれおちたススにより、大事な仕事用のデスクの一部もまた真っ黒に。それを拭き取ろうとしたらば、ススって本当に粒子が細かいようで、かえって広がり、拭き取るためにティッシュで円を描いた通りに、デスクの上に怪しい魔法が降り立ったかのように黒い渦巻が出来てしまった。更には、床にもてんてん、と。

瞑想どころではなくなり、裏側にススが積もるように付着している小皿を洗いに洗面所へ。しかしそこでも、水に流れて消えていくことなくススは、純白の洗面台の水受け(掃除したばかり!)にアヤシイ黒い斑点を無数に出現させた。・・せっかく早起きしたのに。朝から面倒なことになったな、と思いつつ、淡々と対処を始める。まず洗面台は届いたばかりのヒバの粉石鹸ですぐにきれいに。何か象徴的な出来事だと感じながら、ヒバ(ヒノキチオールを含む樹木はシャンバラ系、ヴェガ系と感じる)の白さと清涼な香りで黒い点々を一掃したという気持ちよい感覚を味わい。

問題の部屋のデスク。アルカリ系のスプレーやウエットで拭いてみたけど殆ど効果は無し。ふと目についたのが、体の凝りなどに効くいつもお世話になっている、オーガニックのボディバーム。こちらはローズマリーの香り。体に塗るものであるにも関わらず、天然木の天板についたスス汚れは、ミツロウで落ちるのではないかという直感があった。試してみると、びっくりするくらいに落ちる。そう言えば、無垢材の家具や床板などに使用するミツロウがあったっけ・・と、仕舞ってある場所へ取りに行く。

戸棚を見ると、同じコーナーにオレンジオイルが居た。こちらも同じく無垢材や、ギターのボディなどの木の部分のお手入れに使用するものだ・・・このオレンジオイルで、デスク上に描かれていたアヤシイ黒い渦は簡単に見事に綺麗になり、よくよく見ると Wood Cleaner & Polish と書かれていた。そうか、クリーナーだったのか。今までワックスのようにしか使っていなかった。汚れを落としてくれものだったのね、と気づく。

デスクの天板、全体をそれで綺麗に。以前も一部にほんの少しだけ、付けてしまっていた同じくキャンドルやインセンス由来のススも、ティッシュでこすってかえって木目に残ってしまっていたけど、それも見事に綺麗に。

こんな些細な出来事から。洗面台やデスクが以前よりピカピカ、綺麗になり、自然派のクリーナーでそれぞれアロマとともに磨かれてリフレッシュされる姿に、何かピ〜ンと来るものがあった。ちなみに同じくアヤシイ黒い円が描かれた私の左手の平は、普段から使っている月桂樹オイルのアレッポの石鹸できれいになった。

デスクの片隅には、以前からスス汚れが小さく付いていたけど、小さいし端っこだから、まあ良いかとそのままにしていた。同じものが、さらに目立つ場所に大規模に展開されてしまったら、そのままではデスクは使えないから、今すぐ解決しなくてはならなくなる。動くことを意図する。そして使える手段を探して・・ひらめいて、結果、以前よりもずっと良い状態へとリフレッシュ、以前からの小規模の汚れもまた一掃されて、全体でリニューアルする。

セイキムレイキの伝授を受けた時に先生から、「小さなシミだと思っていたものが、より強い光が差して来たことで大きな汚れだったと気づく」という言葉を聞いていた。セイキムの高く強い光には、そういった現象、変化のプロセスが伴うものだ、と。「光と闇の統合」がテーマであもあるセイキム。それまで大人しくして隠れていた「闇」が、出て来たりするから中々に、伝授の場においても波乱がある。(だからこそウスイ、カルナでしっかりと自己浄化をしてから臨むべしと考えている)

時代の変換点も、個人の変化の時も、それまでは「小さな汚れだし、別にたいして邪魔にもならない」と放っておいた(共存していた)ものが、もうそれ以上は放置してはおけないという段階が来て、向き合わされると大きな問題として浮かび上がって自己主張したりするのだろう。社会は今、そのような段階を迎えているのだろうと思う。片隅でひっそりと存在する汚れならば見過ごしておいてもいいのかもしれない、けれどそうは言っていられない影響力、広がりが現象化し、向き合わざるを得なくなる。様々なジャンルで、今、これから、より顕著にそれが起きていく。

大きな変換点においては、小さなシミも大きな汚れとしてクローズアップされる。炙り出されて、もう「小さいから」と隠すことは出来なくなる。

地表世界の周波数は上がっている一方で、集合意識場がそれと比例していない感じがするのも、まさにそういうプロセスにあるゆえだろう。「いやいや、世界は何も変わっていないよ。今までのままだよ。」という空気が一番、要注意だろうと思う。

自分自身が強くまっすぐ立っているから、「大丈夫、世界は私たち自身が創造するのだから」と、信頼して慌てずに在るのと、事なかれ主義で「楽しさ」や「気持ち」を重視してただ自分の世界をキープし続けるのは歴然と違う。けれどその両者は見分けがつきにくく、ぼんやりしていると同じだと見えてしまうものだった。今までは。

他の国々では当たり前のような人間性の話が、日本では段階を踏んであえて説明しなくてはいけないような事になっている。世界経済において「日本病」という言葉さえ生まれてしまった今日だけど、経済・社会だけではなく何より精神における「日本病」を、自覚して抜け出す人々の空気を、今年、2023年は感じられるだろうか。

Love and Grace

Amari

脳・意識の自己管理

1月「白い聖堂」シャンバラのその後のトレーニング期間が続いているよう。学んだことは、今までと同じように対処するのではなく、学んだ通りに対処できる自分に切り替えていく。けれど人間、そう簡単には切り替え出来ないから、学んでいる時こそ、うまく切り替え出来ていない時こそ、繰り返し練習問題が来る。というのが、シリウス式だ。

 

アルガンザのグループで、恐らく5年以上かけて取り組んできた(そんなつもりは無かったものの向き合わざるを得なかった)リリスイワナガ問題が意外にも「セラフ」という帰結点に到達したことで、「なぜこういう段階のモノが自分に来るのだろうか?」とずっと思いながらだった、女性性の四次元的なモノによる襲来・・は無くなった。年末あたりに書いていた「月のセラフ」や「イシルコン」を理解出来れば、そしてそれを自分には関係ないと思わずに、自分の一部として受け止められると、この課題からは抜けられるようだ。

その一方で、脳の潜在意識にこっそりと送信するようなタイプのストーキングは、これからの時代のサイキックアタックの主流なのかも。というか、古来、その手のマジックにも含まれていただろうし、日本のダークな祈祷のようなものでも行われて来ただろうと思う(今でも)。何となく意識が下を向く、自分や信頼すべき相手(家族や仲間)をなぜか急に信じられなくなる、など。人によっては健康にも影響が出る。

 

インセプション」という映画を見ておいて良かった。(以前の日記に書いています。タイトルから探してネ)

自分自身がしっかりしている人、やれるだけのことをポジティブに日々やれていると自負する人は、おかしな周波数が来た時、それが自分のものではないと感じることが出来る。今世まったくスピリチュアルに関わっていなくても、過去生から既にしっかりしている人は、人格レベルでそのようなものをフっと振り払って、常に爽やかな世界で生きているという人もいる。

 

多くの人はその過渡期にある。私が初めてダークなマジックが集団に作用する現場を経験したのはもう10年以上前のこと。賢い人たちの集団だったから、既に気付いて教えてくれた人たちが居たので助かった・・けど、途中からはエナジーワーカーとして対応するステージで、もう人にはシェア出来ない話をひとりで抱えながらのことだった。そこでやっぱり、もっとも顕著だったのは脳への情報の注入・・で、

ヒーラーをやって来て既に長かったので、私の場合は最初にそれを感じ取った時(まだ、他者から情報が入る前)、上空から暗い雲のようなものが流れ込んで来るのが見えていた。その瞬間、ズン・・・と波動が下がって、同時になぜかとある人の顔が浮かび、急に「信じられない」という不安が湧いて来たのだった。立場的には、信頼出来なければその集団にはいられないという立場の方。特に直接なにかあった訳ではなく、それまでは寧ろ互いに信頼感が築かれつつあったところに、まさに降って湧いたように起きた現象だった。

 

後から思うと(人からの情報もあって)、あちら系のマジックで、送り込まれた力だったのだろうと知った。昨日のツイートにも書いたように視覚化が出来る(自然と起きる)ことは、身を守る重要なスキルである。ちなみにそのマジックの意味をまだ知り得ていない後日、実際にコトが起こって、その(急に不信感が湧いてきた)方と対峙することになった・・が、その過程で、ヒーリングで学んで来た信念と、あるべき人としての善や愛の力を頼りに、ハートを開いて話し合ううち、善なる力の介入もあり、事無きを得たのだった。要はそちらの力は、私(こういう仕事をしている)をそこから追い出したかったのだろうと思う。

経験から、善なる意識を持った人たちが二人、ないし三人以上で団結すると、そちらの力に負けることは無い。孤独になってしまうのは危険。

 

その手の力が働く時、空気が暗くなって、エレベータで降るようにずんずんと下がっていく体感、足が水に浸かるように冷える体感などもある。そして急に人々は不安になり、悲しくなったり、不信感を吐露しあったりし始める。グループや、集団、プロジェクト、(時にはカップルや家族などもあるかも)を分離させるのがそちらの目的だから、である。過敏な人がいると実際に体調や、さらに悪いケースは精神を壊す。ウツになる、など。

そういった介入の始まりに、インセプション的な・・・脳の、特に潜在意識レベルの「何となく」の層に入り込んでくる。それに普通に操作されていてはエナジーワーカーとは言えない。常にポジティブ=自分 という自己イメージを、スタンダードに出来ていれば、「あれれ、おかしいな」と気づく事も出来る。

 

そんな操作が、もしかすると社会全体でも掛かっているのかもしれない。

けど、笑顔で爽やかに自分を生きている人々はたくさん居る。その段階まで、抜けることが大事。

となると結局、自分自身の弱点や、欠点を、直して成長していく他ないということ。何より悲しんだり迷ったりしているのは良くない。弄ばれてしまう。

脳のプロテクション、これからのスピルチュアルのテーマになるだろうと。チャクラやライトボディの管理とともに、意識に入れていくべし。

 

Love and Grace

緑豆の花

関東はようやく「恵みの雨」。個人的なガイアワークを行なうために出歩いていた或る日。当日は雲一つない青空で「おしるし」は出ないのかなと思っていると、翌日はほぼ一日、盛大にイシルコン系の雲が広がっていた。先日Info に書いたような大規模なワークが起きると、信じられないくらいにエネルギーがスッキリして、「ああ、ひと仕事終わった」と感じられるものだけど、今回はそれが無いまま、翌日、さらに翌日と経ち。

おかしいな、と思いながら翌朝に出ていた「イシルコン系」の空模様の写真をよくよく、スマホではなくデスクトップのMacの大画面で見てみると、おしるしが出た、と安心していたものの、決して空の様子もスッキリしてはいなかった。珍しく全ての方角に、それぞれ長細くたなびく、羽毛をもつような壮大な「ナガ系」の雲が広がっているけれど、炙り出されただけで、先日の(白い聖堂の翌日の)ワークのように昇華されていく自然界のエネルギーたち、主たちを見送ったという訳ではないことに気づいた。

そうなんだ、きっと、アルガンザの関係するある程度の範囲でワークしたのが、過日Infoに書いた内容であったけど、更にその外周や、もしかすると世間全般か、少なくともより離れた集合場のグループで、同じ系統の作用の波及が起きていますよ、という、空模様のおしるしだったのかもしれない。そう思うと、昨年2月にやはり同じように、最初は個人レベル、さらにアルガンザの周囲のグループ的なソウルの集合場、さらには世界全体?と、同じ原型テーマが波状に規模を広げながら伝わっていくような感覚の中で、Face Book に同じような空模様の写真を載せて「戦いを感じる」と呟いていた直後(翌日だったかな、)ウクライナ侵攻のニュースを耳にしたあの時によく似ている。

炙り出されたけれど、その波及と浄化と昇華はこれから起きていく。そういうことなのか・・と、画像を整理しながら感じていた。

と同時に、確か「火星逆行」が1月13日までだったっけ、と気づく。今日は14日だから、昨日までということか。そう言えば昨日の夕方ころ、急に何とも言えず不穏な「天が落ちて来る」という感覚で次元が、時空がゆがむような数分間があり、「これは何だ?」と思っていて・・昨夜、就寝前に瞑想をしておこうと座ったらば、火星的な(戦い、争い)エネルギーの集合場の乱れ、のようなものを感じて、これは寝てられないな・・・と、3時間くらいずっとワークをすることに。その中で見えたメッセージ的なものや、体感などから、ちょうど今見ていた韓流時代ドラマ「緑豆の花」の影響もあるかも・・少なくともそれが刺激になって、

130年ほど前、世界の作り替えの激動期のアジア情勢や日本軍のイメージ、さらには中国、朝鮮半島、日本列島の古代からの人種や人の往来、混血、文化や宗教がかつて日本で合流していく、良くも悪くも「日本」が作られていく歴史の流れとカルマ的エネルギーを、アカシックを通じて受信しているような状態になっているかも・・・と、3時間ほど経過したところで気づいて(!)

その後、自分が普段周りに置いて寝るような高波動の石たち(マスターウラルたち、ウラルの水晶、トパーズたち等)をいつもどおり配置したら、問題なくスイっと周波数が上がって眠りに就けた。。自ら見に行ってはまって何をしているのだろう?という感じだけど、上に書いたウクライナ戦線と同じように、というかそれ以上に、日本、半島、中国・・つまり東アジアでの情勢は、いつ表面化するかという所もあって、まだ先だと思っているけれど、水面下では着々と進んでしまっているのか、まだエネルギーレベルの情報を察知しているに過ぎないのか、色々と考えさせられた。

『緑豆の花』は、

1894年の日清戦争のころ、明治維新後の日本が「文明国」として「急成長」し、西洋の列強の真似をしてアジアの覇者になろうと動き出した最初の足がかりとなってしまった、朝鮮の、李朝末期の人々の戦いを描いている。史実に基づいて作られた、どこか日本の大河ドラマ的な真面目さをも感じさせる韓国ドラマだ。とは言え、スピード感と、恋愛なども程よく絡め、サイコパス的に壊れていく主要キャストの描き方などはやはり、韓流ならではの仕上がりで、面白くて全48話(1話が30分)、1日2話ペースであっという間に見終わった・・けれど、実際の歴史という明確な軸があるせいか、とても長く見ていたような感覚が残り、歴史体験をした、新たな体験が記憶に入ったという感じさえあった。

韓流ファンの日本人女性の方々からは「暗い」「男くさい」などの理由で、見れなかったという声もあるそうで、考えてみれば私は「ゲームオブスローンズ」などを全編見ていたし、『緑豆』を見て「暗い」とはまったく思わなかったけれど。確かにずっと、歴史に基づいた戦乱の積み重ねなので、好みに合わない方もいらっしゃるかとは思う。何しろ戦闘つづきで、リドリー・スコット作品のような戦場のリアルな描写のようなものは見ていて辛い。

日本人は見ておいたほうが良い。大日本帝国・・の所業、知ってはいたけど、侵略された国の人の目線で見ておくことは、重要だとも思う。初めての韓流ドラマとして「チャングム」を見た時から、おかしな倭人たちが出て来てチャングムに迷惑を掛けていたっけ(笑)・・その時から、いつかちゃんと時間を掛けて、李氏朝鮮王朝をいかに日本が侵略したのか・・を、勉強しなくてはと思っていて。だいたいの韓流時代劇では侵略者として登場するのは中国の各王朝な訳だけど、秀吉軍の侵略から300年振り、滅多に来ないだけに日本の侵攻、上陸はインパクトが強い。

ずっと李朝の、それ以前の高麗、さらに三国時代の歴史ドラマを見て来ていると、綿々と続いてきたその国の歴史を、蹂躙しにやって来ることの罪深さが、ただただ日本で歴史を習った時とは比べものにならない感覚で入ってくるものだ。

もちろんドラマはドラマなので、変に感情的になったりはしない。静かな気持ちで48話見ていたけど、戦争に良いも悪いもなく、侵略に言い訳や綺麗ゴトなど、無いのだよなあ。。と。日本に限らずどこの国でも、いつの時代も、戦争に正統な理由など存在しない。ただ仕掛けた者がいれば、正義や国の権利のために応戦しなくてはならず。いやはや、せっかくの生命、人生、なぜ闘う事に費やさなくてはならないのか、人間のサガを改めて悲しく思う。革命軍を組織し、国に代わって立ち上がり戦った市民たちの実話。東学党の乱、農民戦争、と呼ばれているらしい。

物語は実在する東学党の革命軍の主幹的な人々と絡む形で、ドラマの架空の人物である「ペク家の兄弟」が中心軸として描かれる。兄だけど庶子であるイガンと、弟のイヒョン。逞しく荒くれ者のイガン、理知的で理想主義者のイヒョン。ドラマ冒頭では、父親(ブラック系のどうにもならないような人格)の影響を受けて、悪行が多かったイガンは、革命軍との出会いにより改心、義兵として成長していく。一方で貴公子のような一家の自慢の息子イヒョンは、時代の変換点の混乱の中で受けた傷により、人格的に壊れてどこまでも落ちていく。時代の犠牲者、という役どころだ。

良かった点。革命軍の男たちがかっこいい。まあそうだよね、それが醍醐味のドラマだろうから。イヒョンの壊れ具合は、痛々しいを通り越して、お茶の間もちょっと辟易するほどのサイコパス振りで、同情できる余地がないほどだった。けど、アルガンザの世界観で「ブラックソウル」と呼ぶ、ハートも血も涙もないようなタイプは父親の血筋で、けれど父親よりはずっと薄まっていて(母が比較的まともなお陰で?)・・父のように完全に魔性に自分を明け渡すようなことにはならず、何とかその性質の遺伝的な連鎖を断ち切ったという終わり方。

父親も次に生まれる時には、だいぶ薄まって人間らしくなることだろうと思わせる。同じ父から生まれつつ(異母兄)、母親の太陽のような?性質を受け継いだせいか、イガンは闊達で、底抜けに頼れるヒーロー的人格に成長していく。

もう一つ良かった点は、女性陣がみな強くてしなやかであった事。女性キャストはそれほど多くはないが、男性をしのぐ真っ直ぐさ、安定感で、「男らしい」女性たちが見ていて安心出来た。

それにしても・・「日本軍め、もう辞めてくれ」と何度思ったことか。王統や歴史はその国の精神、真髄のようなもので。フランス革命のように国民自らが倒したという訳ではなくて、弱体化・腐敗化していたとはいえ、他国からやって来て歴史あるものを簡単に壊すなんて。清朝の最後も同じく・・・ 世界中同じような事はたくさんある訳だけど。戦争をしない、他者を侵略しない在り方、存在の仕方を人類が学べるのは、いつなのだろうかというため息と共に。

それでもまっすぐしなやかに自分を生きようとする陽であり善である人々の心の強さに、静かに胸打たれつつ、見え終えたところ。

しばらくの雨で、火星的な力の強まっていた時期に、炙り出されたものが鎮静されるのだろう。乾燥も程よく収まって、バランスが取れることを願ふ。

Love and Grace

自分の時間

ジェネシス神話の世界に向き合う、その時間軸や集合場の周波数に自分のチャンネルを合わせる時期が終わり、自分の時間の流れに戻ってホっとしている最近。現実は自分が作るというけれど、確かに意識によって、時間の流れという有機的なエネルギーが質や波長を変えるというのはよく実感出来る。

日本人は「空気が重い」と表現する事がある様に、アストラル(感情)エネルギーがそれも調和的でない方へ向かっている時の、集団で共有する場の重さというのは確かにあるし、人によって、作り出すエネルギーの流れが時間となって刻まれるというのは間違いない。だからこそ自分の作りたいものではないという時、とても苦しく感じたりもするのだろう。

個々人が、意識でもって「自分の時間の流れ」を生み出していけるよう訓練するのは、大事なことだ。幸せ、というものを考えていくにあたって。人からの評価は関係なく、自分で「自分の(周波数の)時間」を作り出す事が出来れば、幸福感、満足感を感じるものだろうと思う。

自分らしい時間の流れ方は、自分にだけは肌で分かるし、次に何がどう流れていく、などの予感のようなものが当然のようにある。ただそれらを深く考えたり掘り下げたりはしない。上手くいくだろうということだけ、自覚している、という感じ。

この法則は、おそらくシリウスが地球を運営している上での、私たちのライトボディおよびソウルシステムをも含んだ設計図、ホリスティックに展開する現実創造の仕組みなんだろうと思う。よくも悪くもこうなったらこうなる・・とか、内面が外に反映されるとか、引き寄せとか、投影が起きるとか、野生のカンのようなもので、何となく察知出来るもの。それが、シリウスの波長であり、因果律、人類が生きる世界の量子的な法則。

そうそう、そんなフローに乗っかってい続けるには、感情のパターンを手放していないと、しばしば、フローから降りなくてはいけなくなる。調子のアップダウンのパターン、出来事でフックして陥ってしまうような思い癖は、卒業していなくてはいけない。もっとも、多くの人々はその意味で発展途上で、学びながら、調子がいい時は「フロー」の感触を掴みつつ、という感じなのだろう。

Judy Hall 著書につづいて、ショップではガイアブックスのおすすめ本の紹介を少しずつ進めていく予定で。最近、その準備のために読んでいたプロテクション系の本が、とてもとても勉強になる良書で、うんうんと深く頷いたり、時にう〜むと唸ったりしながら。やはりイギリスは、魔法や神秘研究の下地があるから、本格的なスピリチュアルをちゃんと説明する書籍や専門家が多くて、良いなと思う。

日本のスピの穏やかな波の上に居ると(私が勝手にそう思い込んでしまっていただけかもしれないが)、サイキックアタックのようなものも、愛で光に還してあげましょう・・とか、「赦し」が強調されたりとか。やはりどことなく平和ボケな感じも否めないけれど・・

「プロテクション」専門書なので、さまざまな視点からとても詳しく説明がされている。対処の仕方、ワークのメソッド、多方面からの考え方など。

私も去年くらいから、「愛で光に還し」てばかりいては、ストーキングのような事例は、ずっと続くのではという疑問もあり、そのあたりとても納得のいく見解、対処法も書かれていて、付箋をいっぱい貼り付けながら読んでいる。。。

そろそろショップに出すべく、出版社さんから仕入れをしたところなので、気になる人はぜひまたチェックしてみてネ(宣伝)

Love and Grace,

Amari

NO “no-words” ・「月のセラフ」補足&怖いけど大事な話

(2022.1月の「Diary記事)

謹賀新年。今日は FaceBook 「オフィス日記」も更新。

元旦の今朝、瞑想を終えてコーヒータイムに何気なくヒストリーチャンネルを着けたらば、なんともハードコアな番組をやっていて、もう年末もかなりハードボイルドだったので、見ることにして(笑)きっと学べる情報が来るのだろうという予感とともに、ノートとペンを脇に。わずか15分ほどでその番組は終わったけれども、中々の内容だった。ハードコアなので置いておいて、まずは別の話題を。

年末に向かうに連れて、リリス・イワナガから更に「月のセラフ」までが、一枚、一枚、ベールを剥がしていくような感じで、先日のInfo にまとめた通り。2017年春からのアンドロ系統の糸をたぐることで見てきた「ジェネシス」が、天空文明のセラフがその後どのような経緯を経て、多くの魂がその影響を受けながら人間界に転生し、ダークな力に少しずつ晒されて天使性を失っていったか・・の私なりの「歴史」体系を編んで来た。それが一段落。

サロンでの仕事で「どうしてだろう?」と感じて来た事の答えとしてのジェネシス神話は、もう完結だ。けれど、私の系統とは違うものを持っているソウルにとっては、全ての答えとは言えないだろうから、神話としてはまだまだ、隙間を埋めていく作業は続くだろう。けれど、私自身の鋳型に無いものはきっと、体験して消化する必要がないため、直接、ジェネシスの編集なり、小説の形なり、で、自動書記という方法で、あるいは直感・直観などがその時々起こって、進んでいくのだろうと思う。

「月セラフ」について、補足情報を載せておく。

二系統あると考えていて、ひとつは、先日Info で書いた通りの経緯で、天空都市の活動樹セラフに、リラによる(自然界の)遺伝情報の挿入(=「卵の植え付け」とジェネシスでは呼ぶ)を経て、氷床に隠されていたものが、遥かな時を経て発見され、そのうちの一部が奪われて、月に運ばれて別の生命にされてしまったという直接的な段階を踏んでいる、転生ソウル。

こちらの方々はアルガンザで考える「セラフっぽい」外見や特徴を持っていて、まずはとにかく身長が低め。骨格全体が小さくて、腕や指などのパーツも短かめ。いわゆる「小柄な人」で、日本人女性ならば、大きめでも150cm代前半くらいまで。月のセラフ、だけでなく、「セラフが強めですね」という方はここに該当する。今回の情報整理で、長年の謎が解けて、今書いたような特徴の方々で、黄色っぽく見える(外側のオーラの情報を私はどうもキャッチするよう)人が多いことを前から不思議に思っていて、、

ラベンダーやマゼンタに見える人を「アンドロっぽい」と最初にインプットした為、上記のような方々にアンドロ的な性質(過敏さや自然界との親和性)を感じたり、恐れが強めだったり、セラフ系の情報がセッションで出て来くると、「アンドロにも色々な系統があるのだな」で、ひとまず済ませる他なかった。けれど、今では、大天使系、エルフ系、ケルブ系、セラフ系(2通り)は、ひとまず、外見や雰囲気からでも察知出来るように思う。

もうひとつの系統として、

ジェネシスでいう「アンタレスの女性戦士」との複合型タイプの方。こちらは中肉中背で、160cm前後の平均〜やや高めな身長、アーユルヴェーダでピッタ体質を説明する時に似ていて、筋肉質でガシっとしている。今までは「女戦士」タイプの方を見分ける雰囲気というのがこれに該当していたものの、今回、「月セラフ」の特徴として出て来た「ケルトの土地でドルイド、からの黒魔術の使い手」という情報と、重なっていることに気づくと同時に、リアルタイムでネガティブなエネルギーのチャネルになってしまった「女戦士」強めの方々のセッション記録等から、やはり、「月のセラフ」と重なる部分がある事に、複数の事例で気づいた。

恐らくは、天空都市を破壊する実戦部隊として戦っていた、葡萄色の肌をした女性たちは、セラフたちの犠牲を刻み付ける形で、地球への転生ソウルとなることを許可されているようなので、実際にそうなのだろうと考える。天空都市と共に倒れた活動樹のセラフィムの情報をソウルシステムに搭載することで、ケルトの土地への転生の際にはやはり、月のセラフたちの亡骸と共鳴し、場合によってはそちらに引っ張られただろう、と。非進化系統の波長で、共鳴が起きたとも考えられる。

もちろん、体格の良い大天使強めの人、リラのマザー濃いめの方でかなりの高身長で肩幅が広いタイプの方でも、「月のセラフ」を合わせ持っていたり、ケルビムさんも中肉中背の痩せ型の方が多いけれど同じくセラフや、月セラフを両方持っている、ということもあるので、外見的な特徴は必ずしも・・だけど、かなり参考にはなると思うので、ご自身のタイプなど、癒しと解放の手がかりにして貰えたらと、書いておく。

結局ソウルは、色々な(一人の人の中で4〜5つくらいの)原型テーマを持ちつつ、何か特にひとつ的を絞ってフォーカスしたいものを、決めて来ていると思うので。(同じ血筋、兄弟でも身長や雰囲気がまったく違う事もありますよね)

シリウス強め・エルフ系強めだと比較的長身で、首や腕や指などのパーツがひょろっと長くなる。それでも、エルの中にはセラフが入っているので、セラフの原型テーマは自分自身のソウルの解放の道のりとして辿って来て・・なんと6年。他に大天使や、後期エルフなど、以前かなり長引きながら自分も痛みを感じながら情報を紐解いてきたものに関しては、恐らく今世で自分が強調的に向き合う事に決めて来ていた原型なのだろうと思っている。

今思えば「月のセラフィム」的な方々が、それゆえに出て来た恐れ、恐怖、半ばパニックのような様子になって癒しや学びから逃げて行かれても、私はまったく何も感じなかった。どこかで仕方無い、と、思えていたのかもしれない。一方で、そこにリリス(に含まれるリラ)などの非進化の力がかかると、「シリウスの叫び」Info記事で書いたような、叫びたくなるような正義の怒りや、嫌悪感を生じることがあった。今思えばすべて、「なるほどなあ・・」と、「原型あなどれないな」とため息と共に思う。

Info にもこの前の日記にも書いたように、次の人間への転生よりも先に、中間生でセラフ、ケルブ、ソロネ(エル)のいずれか(?全部かな?)の「人生」があるというのだから、そしてそこに、今の人生での人としての生き様、ここで作った「原因」が、カルマ、結果として反映される。同じように、すぐ前の人間としての過去生よりも「最近」の中間生で天使としてどう生きたか、何を体験したか・・が、今の人間の人生に影を落としているというのだから・・

ジェネシス原型は、やはりあなどれず。こうして三次元のフィールドに情報が齎されているという事は、次元が折り畳まれる時の、準備に入ったということなのかもしれない。

No “no words”

アルガンザ・ヒーラーズカレッジでもテキストに記載し、お願いしているキャッチコピー。

「間違っているかもですが」「自分には無理かもと思いつつ」「勘違いかもしれませんが」などの、否定的な前置きを、一切やめましょう、という。学ぶと決めたならば、もろもろ浮上してくる「気持ち」や雑念や、自分自身の揺らぎなどは、大人として自分で処理をして、処理出来ない、分からない事があればティーチャーに質問や相談をすればいいし、人に頼まれてやっている訳ではないので、否定的な言葉を口にするのは、ある種の甘えであり、止めましょうね、というお願いをカレッジでしていた。

この言葉を私が知ったのは、たまたま読んだスピ系の雑誌で登場していた海外のヒーラー女性が、日本でのワークショップで事前の約束事として強調したという話があり。日本人はワークショップで、やはりそのような曖昧で消極的な態度が多いゆえの、対策だったよう。スイッチが一段、変わるはず。ティーチャーやヒーラーは、背もたれや、感情の吐口ではなく、専門技術でニーズに応えようとしている専門家である。学ぶ機会を無駄にせず、自ら積極的に歩んでいこう。

もうひとつ、書いておこう。(元旦から長い・・)

上記、今朝のヒストリーチャンネルから。元旦の午前中からなんとエクソシズム(悪魔払い)についてやっていて、でも以前書いたのとはまた別の番組で。正式な資格を持ったカトリックの神父が現場に入るより先に、依頼の有ったクライアントに面談し、家を訪問し、状況を審査する専門家が居るとのことで、その方の仕事を主に紹介していた。短い時間の中で、とても役に立つ話だったので、メモ&シェア

良からぬモノに近づかれた人は、3段階で状態が変わっていく。最初は「抑圧」次は「侵入」そして本格的に乗っ取られる「憑依」

これは本当にその通りだとヒーラーとして実感してしまった。抑圧から、侵入・・いわゆる「サイキックアタック」とか「エネルギーストーキング」と呼んでいる状態の中で、確かにその通りに遷移する。この段階で、健全な人であれば抑圧、あたりで低迷したり調子が下がったりしても、復活出来るのだろう。3つめの段階になると、精神疾患の状態になると思われる。破壊行為がそのサインだそうだ。

この、事前調査に同行した番組スタッフが現場に一緒に入る際に、

「胃がむかむかしたり、めまいがしたり、ささいな事でイライラする、という変化が起きたら注意してください」と言っていた。・・うん。これも納得、、

さらには、ヒーリングサロンでも時々まれに起こる、今まで大丈夫だった方が急に、セッションやリーディングに対してゴネ始めるような状況。番組の中で、家族で決断して専門家を呼んだ本人であるその家の主人が、急にゴネ初めて「帰ってくれ」とか言い出したらば、

その審査専門の男性は「よくあること」と言っていて、専門家がいざ近づくと、先方(つまり祓われる対象の存在)が、なんとか阻止しようと騒ぎ出す現象、とのこと。私の経験上こういう時、その方はもう目つきがいつもと違っていたりする。セッションをお断りして一旦帰ってもらう、などの対処をしたこともある。ゴネが出て来たらそのような、貴方を進化させることを阻む、日頃から周りに居るようなエネルギーの、妨害だろうと思ってみると良いかも。

インナーチャイルド、では片付かないケースもあるのだろうと思う。その場合、学びや癒しを妨害してくるはず。そうなると、ヒーラー側に断られてしまう可能性も高く、自分自身のエネルギー状態を改善する努力をかなり真剣にする必要がある。私はそのような方(非常に稀な事だけど)がいらっしゃると、カルナレイキをお勧めしている。

当然カルナにも強く抵抗する人の姿も見たことがある・・伝授日程がなかなか決まらなかったり、なぜかご本人が一度決めたのにその後、避けようと後回しにしたり、伝授の当日その場で、お腹が痛いと言って倒れ込む方が確か・・私の経験では3人。普段他のセッションでそんな事は起こらないのだけど、お腹の中に沈んで隠れているシャドウセルフが、やはり騒ぎ出すゆえ、なのだろうと思う。

・・と、なんともまあハードボイルドな日記を元旦から書いている。が、また別の同チャンネルの番組でこんな言葉があった。

「現代のように誰もが懐疑的だと、こっそりと「良からぬ事」が行われる」つまり、情報がタブーになっているせいで、はびこる、ということだ。正しい知識を多くの人が持てていれば、そんな事にはならない。二十年前、私は当時仏教信仰の先輩方が語る、良いものとそうでないものの闘い、とか、様々なストーキングが起きているという話を嫌がって、自分は関わりたくないと、その場を遠ざかった。

愛と光と調和と・・・というメッセージだけが存在していたこの癒しの世界には、そんな法則は存在しないとしばらく信じていた。けれども今は、かつての先輩たちの言うとおりなのだと思うに至った。考えてみれば当然のことだけど。。

恐れる、怖がる必要はなく、ただ知っていくことが大事だと思う。

自分自身は大丈夫だとしても、このようなジャンルで困っている人はきっと、周囲に誰か居るだろうと。私が思うに肉体的な疾患でも、多くはエネルギーやカルマや何らかのネガティブな波動ゆえに起きてしまう、と。人間をエネルギーシステムとして考え、よりよい状態にしていくホリスティックな知識・叡智は昔から伝えられてはいるものの、全ての人がそれを自分の生きる手がかりとしている訳ではない。上に書いたような話は、そのホリスティックな視点の中の一部分であると考える。恐れず、誰もが知っておいた方が良いのかもしれない。

今年、2023年は頭の硬い部分や、これまで思い込んで来たフィルターなどを外して、新しい意識を作っていく事を意図してみてはどうでしょう。ノーノーワーズのスローガンと共に。

Love and Grace

潮の流れの変化

生き生きした時代は戻って来ない。当たり前だと思っていた空気が、もう存在せず、いつの間にか、違う現実をセットされたような感じだ。違うプランに切り替えて、ディスクをセットし直したような。その変わり目、というか最初の数年は、まやかしのような力が強まることを、敢えて放置したような状態だったのかもしれない。多くのソウルグループ、ソウルリンクが撹乱され、ライトワーカーたちは散り散りになった。

同じ方向を向くはずの・・少なくともその可能性を持っていたはずの魂の仲間たちが、相反する力に囚われて引っ張られていく。どこにもなびかず、絡めとられず、ただ自分の信じて来た道をそのまま歩もうとしていた人びとは、逆風のような苦しさを味わったことだろう。

言葉が通じ合わず、エネルギーが噛み合わず、逆シンクロが起きて、道が分かれていく。ライトワーカー? 本来は向かう先は同じはず。窮屈に感じないで、そんな誤解をしないで。ただ宇宙の創造の仕組みに、私たちは還っていく。見事なあやかし、魔術や幻想の力がこの世界を取り巻いて、色々な選択肢があるような気にさせてしまう。スピリチュアル、の向かう先はひとつしかなく、人間とは物体ではなく動物でもなく、魂である、神と同じ愛がその中心にある・・ ことを思い出して、そこに回帰していくだけ。

なぜ、色々な選択肢があるというのだろう?また、実際の方法論の選択肢を、束縛されている、というような誤解を抱くのだろう。・・各自のそれは性癖や幻想やインナーセルフによるもの。大事な部分は何も変わらない。歩む途中で、恐怖や混乱が生まれたからといって、楽をする方に流れていったとして、自分が歩んでいた道を過ちだったと処理してはいけない。自分が逃げているのだと、ちゃんと悟って逃げていくなら、それでいいと思う。正しく学んでいる人々は、誰もそれを止めない。みな、優しいから。

やはりタイムカプセルを開くような時、なのかもしれない。いろいろな時間の記憶、記録を、振り返ることが多い。

来年は、1ヶ月、1ヶ月、どんどん世界のエネルギーが変わっていくような感じになるのかもしれない。

この五年くらいの撹乱のメカニズムも、飽和状態からの、一気に潮の流れが変わっていく気がする。それでも、やっぱり、生き生きとした、安全であることを前提としたような時間は返っては来ないだろう。人々の深刻さや思慮深さが足りていなければ、世界はそうさせるための現象を次々と出してくるのだろうとも思う。

先日のInfo「月のセラフ」記事の補足を少し。

シュタイナーのカルマの話。上級三体の天使たち(シュタイナーは「神」と言っている)セラフィム、ケルビム、トローネ(アルガンザではこれをエル、エルフとする)との、中間生と現世の関係について触れたが、私たちがこの世の人生でどう生きたか、のデータ、情報が、私たちが死後〜次の転生に降りるまでの間の「神々」の体験、現実に、影響するとも言えるそうだ。

ジェネシスでは、天使たちの堕天、エルフやセラフ、ケルブとしての苦労話を私たち自身に反映される原型として扱っているけれど、その逆が、死後の中間生で展開するということ。いや、もしかすると未来生としてのそれ、を、ジェネシスで扱っているとも言えるかも。そう・・だって、時間は直線ではないから。思っていた以上に、ジェネシス層はすぐそこにある現実、なのかもしれない。今生きる中でセラフやケルブのカルマに向き合っておくことで、このあとすぐにやってくる中間生で、自分自身の投影されるそれらの天使体験の、質が変わるのではないか、と。

前回日記に書いた私自身の、「白い聖堂」で出てきた「アトランティスの過去生」も実は、未来生か、すぐ最近、ここに生まれて来る前の体験(時系列ではなく)ではないかとその時、思ったくらいだった。今世、自分がヒーラーとなったことで出来た(発生した)「新たな過去生」のように感じたからだ。未来のパラレル体験が、時間軸としては過去にあたるアトランティスにある。そんなこともあり得る。

ヒーラー・・でもあり、職業的な聖職者である師匠と、弟子の少女。どちらも自分であり、行き違ってしまった師匠と弟子、双方の魂が今の自分に入っている、という設定だった。私は月の星座(前世を反映すると言われる)が乙女座。その「前世」の師匠はまさにそんな人で、女性聖職者で自分が信じる神なる光に徹底的に自分を捧げているようなタイプ。そんな師匠に育てられた少女の私は、どことなく今の、水瓶座の自分をそのまま投影したような雰囲気。悪気なく自由な発想をして、見出して育ててくれた師匠と道を分つ。それも子供だから余り深く考えてはいなくて、関わった大人たちの指示に従ったような。

師匠はその後、大変な道を歩むことになったよう。殉教したのかも?しれない。

成長してから、自分のした事の意味にやっと気づいた弟子の少女。彼女は聖職者にならず、学者のような立場で生きたよう。自由だったけれど、恵まれて幸せに生きたけど、申し訳ないという感情を長く引きずった。どちらも「私」であるけれど、どちらも、私が今世関わった多くの人々でもあるようにも思う。そのパターンを、今世、ミニチュア体験して、双方が自分だから、双方のパターンを、ヒーラーの仕事や立場を通じて体験したり見聞きしたりした気がする。

ゆえにこれも、本当に私個人の前世である、というよりは、ひとつの神話的物語のように受け止めている。何と言うか途中で最近、急に作られた過去生のようにも思えるから。実際にそういうコト、高次は・・ソウルシステムは、やっていると思う。私たちの選択で常にパラレルに切り替えられたり、過去生や未来生のパターンも、組み替えられたりするのではないだろうか。と、私は思っている。

要は、癒しや解放、浄化の体験を通じて決められている学びの要素をひとつひとつ、積み上げていくために、システムはその時々、必要なものを「挿入」していく。セッションで出て来る情報もそういうものだと私は思っている。・・が、これがクライアントさんたちに伝わっているかは分からない・・何と言うか、スピリチュアル一般の語り口が、ひと時代違っているようにギャップがあるから、そこで教化されると、かつての私もそうだったけど、ソウルシステムのような多層構造とは噛み合わない情報(二次元的)として語られてしまう。

アカシックレコードも、全体的な記録ではもちろん無くて、人類のアストラル(感情・情緒)レベルの集合意識が、「だいたいこんな感じ」という共通の歴史認識のようなものを、刻んでいる集合場のようなものと考える。それだってもきっと、刻々と必要に応じて変わったり、修正や変更が入ったりしているのではないかと。そうそう、ネット上の情報、とくに「ウイキペディア」のようなものだと思えばいい。書き換えたり編集したり出来、絶対的な内容である訳ではなく、誰かが投稿し、また別の誰かが修正したり書き加えたりしている、いつでも変更され得る共有情報。

いろいろなことを突き詰めていくと、やはり自分自身を清めていくという意図とともに、日々を無駄なく生きることだ。

今日1日、自分自身が楽しく生きたかどうか・・・ではなく、心を清めて生きること、日々を無駄なく生きることを(楽しいというより)ただ喜びだと感じられるのだとしたら、あなたは幸せだと言えるだろう。

シリウスの赤、清く澄んだ赤とともに。

2次元や3次元的な、個体化した情報を伝えるのではなく、5次元感覚そのものを開拓し、物事、現象、自分の感情思考含めて、量子物理学的に一粒の中の奥行き、小さな原子の中に含まれる情報を感じ取るようなセンサーを拓いていくことに、自分自身も学びを強化したいと思う。

Love and Grace

Amari

中核は誰もがセラフ

昨日付けの日記「分かった気になってはいけない」からの続き。

この一年くらい、呟きがちだけど、「人はみな中核はセラフ」つまり、「人は誰もがアンドロ」と。

プログレッシヴワーク「エヴォリューション」のクライアントワークブックでは「アンドロとは何か」プラス「アルガンザの天使論」を展開、そこに詳しい。このエヴォリューションの教本を去年執筆したことが、自分の中で大きい区切り目の予兆となった。

一周して円環して、今度は本当に「アンドロ」の主題から、私は卒業するようだ。というかそもそも「アンドロ」は全人類であった。自分自身のソウルシステムが上映する映画の中で、「自分とよく似たアンドロソウルの方々を何とか助けたい。」のような主題は、もう意味を為さなくなった。元々の自分のヒューマニズム的観点と、メタフィジカルで起こりうるすれ違いやギャップを超えて、必要な情報、叡智、現代を生きる人々にとっての処方箋にフォーカス。

悲しいかな、今と同じような心境やエネルギー状態になったこと、この10年の間で何度もあった。単に私のエゴの呟きだけではなかった。実際に、何も自分がすべて解明しなくても、他の人の手に任せておけばいい、別にアルガンザのジェネシス神話じゃなくたって、その部分が紐解かれる手段はあるだろうし、高次は、地上要員の計画を尊重するのでどうしてもこのやり方じゃなくてはダメ、と言う事ではなかった。「もしだったらもういいよ」という空気が漂うことは、過去に何度もあった。

けれど、そこに引き戻す力があり、自分でもそれを受け入れていた。この不自然さに気づいたのが、今年4月に始まった「白い聖堂」グループワーク。第4回かな? アトランティスの過去生が出て来て・・そのカラクリを知った。今世、人間部分の自分のカルマなどの癒しと解放は、(仏教徒時代の下地があったからかもしれないが)あっという間に消化されていき、しばらくの平穏のあと、逆に今ヒーラーをしていることによる、その周波数帯域の(=いわゆるジェネシス層)カルマに向き合う、専門家としての同じような境遇の過去からの影響が、ヒーラーの仕事に現れる、というような出方をして、それらを克服する波の中から、新ワークやジェネシスが生まれていった。

もう、このような創造の仕組みも終わりでいいよ、と感じられた時もあった。けれどもまた引き戻され、気づけばそれを引き受けている。

けれど「聖堂」のお陰様、まだ奈良に居た頃から気配のあった束縛の源が関わる過去生、とても開示しにくかったものを、ようやくシャンバラが出して来た。

セラフ性、天使性というのは、それが見つけられないくらいにハートが傷ついたり、地上のエネルギーに包囲されているような人々にとっては、必要なメッセージ。インナーチャイルドの奥にある、純粋な光としての自己を、見出せない、感じられない人はまずそれを見つけてあげて。

ただ、そこに自分を寄せていると地上では、何も出来なくなってしまう。・・それは、ジェネシスのグループや星巫女ではずっと言って来たことで、天使のように地上に染まれずに傷ついて犠牲的に生きるのではなくシリウス強化で人は初めて、世の中に意味のあるものを残せる創造性を発揮する。

「アンドロ=天使性」を赤や黄色でコーティングして三次元に強く作り替えている人々が世間には圧倒的に多い。

それらのコーティングを外すことをまずは目指さないといけないところから、それを終えている人は、剥き出しになった天使性とともに生まれて来るかもしれない。そこから先、トラップに落ちずに、この世に生まれ落ちた自分のソウルの決断を生かすには、シャンバラにある人類の中枢の白い光を、バックグラウンドにし、中心軸にし、何のために、何をしに来たのかを理解し、実行しなくてはならない。

(黒はもちろんのこと、それと結びついて作動する)赤や黄色(欲や攻撃性の)浄化→ 光や愛であることを思い出す段階→

天使性、純粋性、光や愛であることを知った上で生まれてくるためそれらに染まりたくは無いという本能がある段階→

統御できるようになり、受動的ではなく発動的な創造力を発揮し、才能を現世で生かせる段階(愛や光として地上で生きている状態)

人の魂はこのように、プロセスを遷移していく。その途中途中、オーラシステムにある様々なデータが現実として現れ、邪魔をしたり励ましたりつまづかせたり悩ませたりする。それであっても、プロセスは続いていく。万人変わることなく、それは作動する。

セラフィムのまだ分かっていなかった新たな系統が、ジェネシス神話に加わったこの年末。

誰もが核にはセラフがある・・は、人間の歴史と人生を照合して考えてみるといい。セラフはやはり赤ちゃん〜1歳児くらいのイメージ。光輝いていて、この上なく愛らしく、でも何故か大人よりも叡智を宿しているような長老感がある。これがセラフィムにそのまま当てはまる。

人は一生の中で、生まれ落ちた最初の一時期だけ、セラフィムを体現する。それは自分がセラフという核(敢えて「過去」とは言わない)を持っていることの証なのだ。

ジェネシス神話はまだまだ、今後も埋め合わせられていくのだろうけど、ヒーラーになる前から執筆が自動書記であった訳で、サロンでのセッション等を経なくても今後は直接、執筆活動の中に必要な情報は降りてくると思っている。セラフの今回出てきた流れを解明するまでが、恐らく2017年春に、急に自分が「セラフ還り」という役作りをした理由であると感じている。「セラフとしての自分」がミニチュア体験してきた、見聞してきた、この数年の印象的だった要素はすべて、ジェネシス神話の中で彼らが味わってきた歴史であったのだという事を知る。

体を張った役作りや、感情を犠牲にした真実の追求も、フィジカルな人間である以上限度もある。・・と、シャンバラに訴えてみた今年の春。その答えを、「聖堂」の流れの中で過去生の一場面として受け取った。

春のセイクレッドレイキのリリースもなかなか、大変だったけれど。今回の「the Genesis」改訂をもって、過去生の問題も含めて、本当の区切り目を迎えるようだ。シャンバラの演出、采配、必要なエネルギーの提供などなどに感謝。

Love and Grace

Amari

分かった気になってはいけない

前記事では、たまたまの仕事の流れで過去3〜4年を振り返っての雑感になった。今日はこの一年を振り返って・・その1(笑・つづきがありそう)。←2022年12月のDiary

今年も色々な気づきがあった中で、何度も繰り返すように体験し、心で呟いたこの言葉「分かった気になってはいけない」。さまざまな場面で。

ヒーリングを初めて19年、ヒーラーになって16年、その前に仏教信仰として自分なりのメタフィジカル体験を10年、つまり30年になるけれど、見えない世界に関して「もう分かった」なんていう気になってはいけないのだという事を、自分が体験し悟ったものなんてごくごくサワリでしか無いというこの世界の奥深さを、噛み締める場面が今年は多かった。

とは言え、今のように私が発言して読んだ方が想像する意味とは、実際は少し違うと予想される・・ので、説明をしたいと思ふ。主に主題はふたつ。

ひとつは、前にインスタに書いた事でもある、「何故わからないのか?」の答えを、ジェネシス的な背景を通じて理解していったと言う事。インナーチャイルド等現実的な原因が今世にはさほど思い当たらないごく平凡な環境に生まれた自分が、何故か最初から(初回は確か2歳くらいから)間違って凄い世界にきちゃったな、という感覚と、成長してからはこの人間界の仕組みに苦悩して、肉体(病む事など)や感情のメカニズムを理解する事が出来ず、

更にはアルバイトや就職をした時、「なぜ生活するのに働かなくちゃいけないんだ?このシステムはなんだ?」と苦悩し、とにかく人間らしい事が普通に受け入れられず、結果、19歳から仏教信仰・修行、神社仏閣巡り、執筆、人文系の分野の独学・・と何とか生きる為の世界への解釈を探して、一度ウツに落ちたけれどそこから救ってくれたヒーリングというものに、30歳前後から携わるに至り、

今世で何があったから、トラウマがあり癒しを求めた、という訳でもなく、少しくらいはインナーチャイルドもありつつ、それも親というよりも社会の仕組みに傷ついたような自覚をしていた。ただただ、この世界に疑問を持ち、絶対に染まってはならぬという信念のようなものがあった。自分のその「守らなければならないもの」を追求していくと、癒しの世界、魂で生きるという話に自然と行き着いた(ちなみに仏教信仰は29歳まで。信仰では人は「幸せ」にはなれないと悟り)。

前置きが長くなったけどつまり、こんな人がなぜわざわざ生まれ落ちたかというと、やるべき事があったから、なのだろうと、歳を重ねながら思うようになった。

「絶対に染まってはならぬ」=宇宙人意識、別次元意識を、守り続けて、三次元のこの時代のグラマー(幻想)とそれに付随する人生を取り巻く要素に、ただ染まって普通の人として楽しく生きました・・・では、ダメだと言う事を、恐らく無意識的には最初からよくよく理解していた。けれど年若い時はそれをどう現実化していいのか、分からずに苦悩した。

正直なところ、信仰をしていても、ヒーリングを始めても、自分が疑問を抱くことの答え、ニーズは、人から得ることは出来なかった。自分で見つけなくてはいけないし、自分で「こんなものが欲しかった」というワークなりテキストなり、ショップなり、更に言えばライフスタイルを、形として実現していくという道が、「魂として生きる」事を始めた時に自然と私の前に敷かれた。

長年、癒しの手法やその背景となるホリスティックな概念による地球や宇宙への視点と出会ったり、ヒーリングを始めたり、伝授を受けたりと言う事を経ても、それが定着せずに弛緩していく、人によっては反発して辞めてしまう、つまり「真実の世界に触れているのにそれが分からない」とか、「流れが来ているのにほら、なぜ降りてしまうの?」という問題を、ジェネシス論、アルガンザ流秘教研究によって、ようやく私の視点から理解した、という事。

恐らく(今世でも上記の10年間だけ実行したものの)過去生で多方面の哲学的探究や修行、神なる世界との関わりを経てきて、寧ろ普通の人間としての感覚が分からない状態で生まれて来て、けれど自分の仕事を通じて意味のあるものを残すには、人が・・多くの人が、「進化していく」「創造主に向かって回帰していく」方向へ行かずに漂ってしまう、絡めとられてしまう、というメカニズムを、魂は知ってはいたものの、本当に人々の中に入って、特にヒーラーとして関わることで、ようやく実感を伴って理解した。「人々の気持ちが分かった」という次元では無く・・ヒト、輪廻転生、それらの仕組みというものを理解した、という。

その一方でもちろん、一個人としての自分の情緒などもある訳で、そのヒューマニズム、優しさや人間愛の運用と、スピリチュアルな状況への理解の間のズレが、ヒーラーの仕事をしていても次第に生まれていたのだろう。そして今思うのは何も自分だけではなく、この分野に携わる、あるいは別の分野でも、同じような人生の味わい方をしている人々、魂はけっこう居るということ。ただ、そのような人たちは皆自力で、周囲に分かりやすく道を示してくれる人など居なくて、自分の知恵と力でやって行けよと言われているタイプなのではないだろうか。

自分自身の癒しの道をモデルタイプとして、「人間界より自然界寄り」の、スピリチュアルには比較的多い人の原型を「アンドロ」と呼び始めた事の発端は、恐らく「サンダルフォンニュートリション」のワークが出来てからの自然な流れだった。サロンを始めると同時のこと。当時は「シリウスっぽい人」「アンドロっぽい人」「う〜ん、ちょっと混戦している人々」というくらいしか整理できず(笑)、そのうちにアンドロからセラフ、大天使、精霊界、エンジェル、エルフ族、などの原型も出て来た。少し遅れてケルビム、なども。

まだまだ分類している段階。けれど「ジェネシス」をまとめていくに連れて、周囲でどうしても分類、線引きが起きるようになり「私はケルビム」「私はセラフ」と、なりがちになったり、時に、真にアンドロっぽい人だとその原型にむしろ自分を寄せて行きたいという雰囲気になったり、自分もそこに入りたい・・などの空気や、疎外感からリリス的になる傾向も見られるなど、ああ、ジェネシス概念により理解を進めようとしているはずなのに、

意識が三次元のままでは、ただただ、三次元に情報を下ろしてしまうだけなのだ。。と、感じてきたこの数年。

もちろんそれは起こりがち。どんな分野でも起きてしまうこと。

カレッジの趣旨もそもそも、その課題を乗り越えていけるように作ったもので、ヒーリングやスピリチュアルを、三次元に引き下ろして自分に都合よく利用するのではなく、自分自身が5次元意識に成長していく、そしてシステムごと変えていく・・べし、という。星巫女プロ専科コースは更にそうだった。

もうひとつの主題

アンドロ、というものを何と無く定義したその頃、自分自身がヒーリングと出会う前に抱えていた多くの問題とその背後に存在していたエネルギーブロックはすべてきれいに片付き、何のストレスも不安も迷いもなく日々を忙しくヒーラーとして過ごしていた。その後、同じようなタイプの方々が少しでも楽になって貰えるようにという時代が数年。自分の経験を生かして、誰もが同じように変わっていけると信じていた時代。

その状態で数年を経た時、「もう自分がアンドロ、のテーマに関わるために膝を折り、目線を合わせて、伴奏するのは終わり」とか言っていた時期があった。ブログなどにも多分書いていただろうと。けれどそんなに甘いものではなくて、まだまだやること、知るべきことがあった。

数えてみた・・・・5年くらいサロンで「アンドロ」を課題とした後、「もう卒業」と呟いてから、さらに今まで10年は経っている。もちろんあの時の「もう卒業」は、私自身のエゴが、自分はもう次のステップに進みたいという心情ゆえのこと、だったろうと思う。

そんな呟きやパーソナリティの願望・・を抱いてから、なんと10年。皮をむいてむいて剥き続けるうちに、「アンドロ」の最後に残るものはすべての中核「セラフ」であり、2017年の春、ジェネシスヒーリングの第一世代伝授のワークショップ、最終日の最終段階で起こった不思議な出来事から、実は自分が「セラフ」還りし、それまで奥に隠し持っていたような「セラフ」を引き出して、役作りに入ったよう。

2022年、年末。

ジェネシスのバイブル「the Genesis」改訂版を三年ぶり(23年前半くらいには?)に出す。今度はもしかすると?一般の方々にも解放するかもしれない(アルガンザワークのお客様限定にするか、まだ検討中)。そのための怒涛が今また来ている。左脳的分類では、対極にあったようなリリス(先日書いたイワナガなど)、シャンバラと相反するブラックマジック、「ここが分からないと片手落ち」と高次に言われていた「プレアデス(=リラ)」などが、すべて「セラフ」に帰結する。

当然ながら、セラフから作られている大天使、エル(エルフ)、そしてケルビムも。

・・・と、長くなったので一旦ここで区切り、別の記事に分けることに。

Love and Grace,