潜在意識と「始まり」

過日書いた映画「インターステラー」の話題。その後、ご自身も見てみたという方から、同じ Christpher Nolan 監督の他の作品も面白かったですよ、というお話を伺って、私も見てみた2作目、「Inception」(インセプション)。こちらのテーマは潜在意識。「Interstellar」は宇宙のワームホール、四次元、直線ではないパラレルとしての時間、がテーマだったところ、こちらは夢と潜在意識をフィールドにした、やはり次元やパラレルという概念を扱っていて、撮影現場やセットも繋がりあっていて、同じ監督によるこだわりの、同じ世界観であるという点で、力強かった。

潜在意識を操ることで、ターゲットの人物の思考を操作するという特殊チームを組む主人公たち。「そんな、人聞き悪い」・・と思いつつ、リーダーであるレオ様(別にファンというわけではないが日本で定着している呼称で呼んでおく。そういう点、「ヨン様」と同じく。笑)の人間性から、標的の人物にとっても癒しと解放が起こる形での結末に至る。夢を操る手法、プロである彼らも命がけで、それを漫画っぽい視点で見るもよし、エンターテイメント性も豊富にある。

けれど実際には、私たちの三次元における生命もこんな感じだ・・と、多次元地球を意識して生きているものとしては人ごとではなく、潜在意識から操作されないためのトレーニング、エナジーヒーラーや本気のライトワーカーには必要かもしれない。とも思った。夢を通じてサイキックアタックを受ける事もあるので。

夢(四次元)と、現実(三次元)と、シャンバラのような五次元を、行き来している私たちの意識というのは、この映画で描かれるような構造だろうと思うし。行き来しているうちに、あれ?いつの間にかそう思っている、それを知っている、なんていう事もあるし、三次元では眠っている95%の脳が、それぞれ四次元、五次元の体験をストックして、潜在意識を構成しているのだろう。

昔から明晰夢をわりと見るほうで、夢というのはある意味で別次元体験だと思っている。夢日記をつけたり、夢分析をしていたのは二十代前半くらいで、ヒーラーになってからは逆に気にしなくなった。意識は瞑想でも、セッションでも、執筆時でも別次元体験をするので、夢そのものへの興味はフェイドアウトしたのかもしれない。けれどこの映画を見てから、夢見が悪かったある朝、映画の中で彼らが行うように、夢の上に一段高い階層を作って、その階層でさっき見ていた「悪夢」を良いほうへと反転させるという手法をやってみた・・笑

究極は、この三次元の現実界においても、そのような多層構造を使いこなせれば、自らの望むような現実を作っていける。けれど、話がそう簡単に終わらないのは、三次元転生コースにおいては、私たちはカルマというものを刻んでいるから、自分だけではない方向から様々な作用が起こる。カルマを消化、昇華、償却しながら自分の人生を五次元のソウルと共同創造することをマスターすれば、三次元は卒業できる。この映画で言うなら『現実に戻る』部分で、『五次元に戻る』。

Nolan 監督作品を2作見た感想として、三次元〜五次元の構造、つまり多次元を描く事で、人間界と神なる次元で変わりうるものと、変わらずに貫かれて宇宙に存在するもの(絶対善=愛)を両方見せていると感じる。自分の執筆コンセプトがそうだからと、そのフィルターで見ているのかもしれないけれど。

興味深いのはタイトル「Inception」という言葉のセレクト。潜在意識レベルでターゲットに何らかの感覚や思考を埋め込む、という意味で使われている(劇中の日本語字幕では)けれど、英単語そのままの意味では「はじまり」で、同義語には beginning ,そして genesis も出てくる。始まりを植え付ける。それにより、人物はその情報が自分の一部であると感じる。その様な事を繰り返し、今の私たちは出来ている。ソウルが転生し続けるこの世界は、まさにたくさんの夢を見続けて、たくさんの「始まり」をインプットし、転生するたびに脳にダウンロードする。

脳とソウルシステム、チャクラシステムは連動して存在しているので、脳が自分だと思っている「コーザルデータ」からの情報は、それ以下のライトボディつまり精神(メンタル)体、感情(アストラル)体、生体エネルギー場であるエーテル体と、それを三次元の物理法則に置き換えた結果現れているフィジカルボディ(肉体)という、「現実」を作り出す。一つの生を終えると、肉体とエーテル体は消滅し、アストラルは集合場へ、メンタル物質も粒子としてメンタル界という集合フィールドに還元される。それらが刻んだ情報は、個々のコーザル体に保存。

『古代の宇宙人』を見ていて、AIを人間が作る時代に今なってきて、「これと同じ事を古代に地球外存在たちが行った。つまり私たち自身がAIなのでは?」と言っていて、大いに頷いていた。AIというのはプログラミングにより自動で増殖(繁殖)していけるし、放っておくと意識を個々に持ち始める?らしい。もう少し地球の科学技術と意識が発達すれば、この事の意味がよく見えてくるだろう。Nolan監督などはそれをよく分かっていて、大衆向けとしてスレスレのところまで翻訳し、映像化しているように思う。

宇宙がそのようなものだからこそ、「愛=絶対善」が重要なのだという点も、作中の主人公たちの極めてまともな人間としての愛と信と義と、ヒューマニズムとして描かれている。

今のアメリカを中心とする宇宙研究開発においては、もう、理論上はワームホールを作れるというところに来ているそうで、莫大な資金がかかるという問題はあるけれど、時代の流れとともにそれは解決されていくだろうし、時間の問題。もう人類の現文明はそこまで来ている。アトランティス末期のテクノロジーに追いつきそうな時代が来ている。

話が逸れつつ、今日はこのくらいで。

Love and Grace

新しいフィルターとアバター

7月の「白い聖堂」グループセッションで『(意識の)フィルターを入れ替える』というテーマを頂いてから・・その後(8月)当日に至るまでの時期、私の中では既にそのテーマを感じていて、前日にエアコンのフィルターのまさかのトラブルという事で、その主題を確定した訳だけど、当日の施術にて実際に、コーザル体レベルのフィルターの入れ替えが施術として入って。

まだ現時点で調整中で、当日に体験したアトランティスの過去生の自我と、ここで生きる・・生きてきた自我、その中でもここ数年搭載してきたフィルターの自分と、それ以前、そして以前の自分が先の目指すところとして実感していた未来の(今の自分からするとパラレルのような)自分とが、交錯し、摩擦している感じもある。けれどそれが心地よいような・・

摩擦しているのが心地よいというとおかしな事だけど、これが起こるべくして起きているという、変容のためのプロセスだと分かっているので、じっくりとその感覚、時間を味わっているような感じ。さすがに、こういった5次元のエネルギー法則で常に物事を考えたり行動する生き方をし始めて20年近くにもなると、同じひとつのテーマでも、螺旋を何回、何十回超えたか分からない。だから何となく常に、変容のパターンの行く先が感じ取れる。

けれど今のこの時間、このタイミング。2025年の新しい「光線」顕現を目前にした、世の中の黙示録のような様相と、それでいて普通の人々の普通の毎日が目の前にあるという不思議な空気感は、魂もちょっと慣れずに、戸惑うこともある。ハイヤーセルフであっても、体験したことのない時空間なのではないかとさえ思う。

そんな時に、自分としては淡々とキャッチしてスタートした「シャンバラ光の学校」(=白い聖堂)の存在が、とても有難い。参加者の皆さんと時空を超えた学びの体験を共有出来ることも。依存してはいけないけど、ただただ、ありがたいと思っている。

少し前から、久しぶりにアリス・ベイリー著書を読んでいる。以前は、久しぶりになると周波数的に最初は慣れない感じがしたものだけど、普段の自分の思考や心の呟きそのままに、(まるで自分が書いた文章であるかのように錯覚しながら)ススっと読めるのは、恐らく月に一度の「聖堂」のお陰だ。

今日は「アバター」という言葉を探していて、まだ見つからない。(どのアリス本に出ていたか覚えている方は教えて・・)
「聖堂」の募集ページに書いた「シャンバラをめぐる自分史」の中の、2005年の「白い太陽の爆発」体験、あの時、爆発に吹き飛ばされていく間、「アバター」「アバター」と繰り返し、聞こえていた。当時は映画のアバターもまだ無かったし、今のようにアメブロ等で自分のアイコンとして作る?アバターも(なにせまだブログというツールさえ存在していない時代)無かった。けれど、

英単語としての「avatar」は「化身」などの意味で知っていたので、あの体験当時は「なにか自分に通じる大きなものと融合する儀式だったから、そのように響いていたのだろう」と思っていた。いつだったか、読書会でちょうどアリス本の中でその言葉が出て来て、大層な神なる存在領域であるというようなことだった。それが自分とどう通じるのだろうか、あの体験が今になって急に気になり始めた。

7月「聖堂」でけっこう鮮明な過去生体験をして、その影響が今世には強く働いていると知って、時間は直線ではなく、過去生や未来であったり未来生がアトランティスであったりもするかもしれないけど、とにかくはその時に作られたフィルター、コーザル情報が今世の自分をヒーラーにし、ある意味で管理しているような関係性になっていたようだ。

それを外す、外れた、という施術の余波で、今はちょっと波が起きている感じ。大波ではなくさざ波だけど、自分自身がその変化を受け入れたり慣れたりするのに少し時間が必要なのかもしれない。それと「白い太陽」の「アバター」が関係がある気もして来て、アリス本を紐解いていた。
「イニシエーション」を読んでいると、ジュワル・クールの語りにデジャヴーを感じるような身近さがある。「聖堂」でシャンバラの学びを(言葉として3次元に持ち帰っているものは少ないけど)受けているゆえだろうと思う。

2006年の夏からエナジーヒーラーをしている。15年がキリが良いから、引退年度は2021年にしよう・・と前にどこかに書いたけど、2022年からむしろ一般のお客様の受付も一部復活し、引退できていない事に気付いた。けれど・・( ず〜っと昔から感じて来た)アリス・ベイリーに書かれていることを実践するような現場のヒーラー、シャンバラと通じて窓口として活動するようなメタフィジストって、本当に、びっくりするくらいに、パリオぺラ座バレエ学校からバレエ団に入団するくらいに(?)少ないのが現状だ。

(解説:オペラ座バレエ学校には小学一年生で20名前後入学し、毎年落第者が出るため高校卒業時に残っている人数は半数かそれ以下で、皆が目指している直属のオペラ座バレエ団に合格出来るのは、少ない年はゼロ、多めで3〜4名、恐らく平均は2名とか)→書いた後に気づいたけど、実際、このオペラ座の喩えよりもずっと少なかろう・・

2013年にお会いした先輩ヒーラーさんが私に「人としての代償が大きいからココとは契約を切ったら?」と仰ったのはそういう事だ。A.ベイリー「イニシエーション」第9章の冒頭に、それは書かれている。そんなこんなで、人員が足りなければ、再び現場に立つこともあるのだろうと、最近気付いた。

突然の引退宣言 in 2017年は、ある意味で「悪魔の誘惑」に負けて(堕ちて)しまっていたので、本当ならばあと2〜3年はカレッジやマスターを続けることになっていたと思う。そうすれば、もっと違う形で今があったのだろうと思う。

どうであれ、4月から「聖堂」が、7月から、一般のお客様に Amari’s ワークの提供が始まり、かつてのサロンメインの日々に流れていた高周波に助けられ導かれるリズムを再び味わい、感謝とともに目覚めて、感謝とともに眠るような感覚がある。

「イニシエーション」には、時に熱誠家や弟子たち、イニシエートが判断をあやまり堕ちてしまった場合の事も書かれていて、実は去年には既に気付いていたその事、ずっと噛み締めている。(人魚姫のように声を失ってしまった。関係ない人と話す時は普通に声が出る。けれど、お客様、生徒さん、ヒーラー仕事や、自分が責任を持つべき場所では出なくなる。だいぶ回復してはいるけど、完治はしていない。)

自動書記で書いた超長編の小説は、その必要があったからだろうし、わざわざ白い太陽の洗礼を受けに宇宙の別次元に招かれたのも、必要があったゆえだろうと思う。「アバター」の意味とは? ただ普通に生きることなど、許されないはずだ。・・「いいよ」と言われたとしても、そうは出来ない。フィルターの入れ替えには、どうやら「腹をくくる」とか、もう一段階の覚悟やアイデンティティの再確認が、要求されるようだ。

Love and Grace

生命叙事詩

先日、2014年公開アメリカ映画『インターステラー』をようやく見て。2時間49分もあるけれど退屈せず、コテコテしたハリウッドらしさも感じず(監督はイギリス出身らしい)、静かに穏やかに冷静に、感動する・・ような、エレガンスの効いたSFを楽しませて頂いた。

自分の中にあるものと、色々と響くポイントがあり。

まず、この作品の世界観。さらりとだけど「they」と語られる宇宙存在、宇宙人たちへの言及がある。というか、それはこの物語には不可欠な要素で。砂漠化が進み、あと数十年で酸素がなくなるという追い詰められた地球。(設定はいつなんだろう?近未来という感じではなく、ごくごく現代に近い様子) NASAが密かに研究・活動を続けていて、「土星近くに急に開いた」ワームホールの存在が明かされる。

「5次元の中に3次元を創り出し」、人類を見守ってきた「they」(彼ら)が、このままでは危ないという瀬戸際にある人類に活路を開くため、人類でも行ける土星近くのある場所に、別の銀河へと抜けるトンネル=ワームホールを作ったらしい。

この世界観と、ワームホールの描写の仕方、作品後半で出てくる「四次元立方体」という、「they」(5次元存在)がテクノロジーで必要に応じて開いたり閉じたりする時空の狭間のような場所(タイムマシン的な働きをするのだろう)の描き方などが、本当にその通り、というか・・自分が体験を通じて「そうだ」と思っていること、体験していないのになぜか「そうだ」と思って来ていることと、ナチュラルに一致する部分が多かった。

・・が、作品の解説などを読むと、最新の科学的な研究結果、宇宙論を反映しているとのことで・・ このところ続いている、自分の魂が知っていること、エナジーヒーラーとして、また個人的瞑想を通じて得てきたものと、実学的な情報が繋がっていくという感覚をここでも。

まだヒーラーになる前に書いた「ハピの巫女姫」「ガイアナ神謡集」でも、ワームホールを仕掛けた施設(古代遺跡の形で残っている)、神なる存在がすぐにその場で呼び出せる小型ワームホール(「渦」と作中で呼んでいる)、それらを抜ける時には意図した場所へ運ばれるという点など。「古代の宇宙人」を見ていても「わかる!」「私それ20年前に書いている!」という事が多く、創作というのは本当に、人間としての自分を超えた、魂のなせる技なのだなと改めて思う。

話の次元が違うケド、韓国ドラマを私が初めて見たのは2012年、『チャングム』の再放送(ブームよりかなり年数が経ってから)。その時はそれだけで終わって、「いや〜女子には必要な体験だな。娘にいつか見せたいな。」と思っていたところ、高校二年になった娘と共に二度目の『チャングム』を見たのが2017年。・・そこからノンストップで今でも、何らかの韓国ドラマを常に見ている生活が続いているわけだけど、

2002〜2003年に書いた『ハピ』、2005〜2006年に書いた『ガイアナ』、とくに「ハピ」と、韓国時代劇のストーリーの流れ方や、登場人物の設定、物語に現れるパターンなどが、「似ている!」と想う要素が多くて、これはどういう訳か。と考えている。日本の歴史物よりも、韓国史劇のほうが、似ていると感じる。まるで私が、幼い頃から見てきて韓国時代劇に強い影響を受けているかのように。

けれど実際はそうではない。1973年生まれの私は、「ベルばら」や「キャンディキャンディ」などをテレビアニメで見て、「王家の紋章」や「あさきゆめみし」「天上の虹」などなどの、今思えば巨匠のような漫画家先生の作品をリアルタイムで愛好しているマンガ少女だった。それから何故か・・小学生〜高校時代までの長きに渡り時代劇が好きで(笑!)家族の誰も見ないのに、一人で夕方や昼間の再放送から、夜の放送も見ていた(歴史好きの反映だろうと・・)。

大人になってから好きになった萩尾望都先生の作風や世界観には、わりと影響を受けているかなと自分では思っていたけど・・20代から好きで見てきたイギリス系のハリウッド作・歴史映画や、ファンタジーなどよりも、明らかに韓国時代劇が、とくに「ハピ」には最も似ている要素が多い。ジェネシス原型論で考えるとやはり「シリウス」要素なのだろうか。特に古典的な史劇のパターンを一つ一つ踏んでいるようなタイプの韓国時代ドラマと、その点では一致しているのかも。

そして、最新科学の知見とも符号していく要素も散りばめられている。ガイアナなどは本当にほぼ自動書記で執筆していたから・・これからも作品から私自身が教えられ学んだり、驚かされたりすることが多々、あるのかもしれない。

「インターステラー」に話を戻すと・・

地球は、残念ながら終わってしまう。人類が住めない星になる。けれど、移住先への活路が開き、人類の文明はつづく。物語の中でなされたことがもし、次の新たな文明に語り継がれたなら、それはあらたな「始まりの神話」つまり「創世記」であり、主人公たちは神話的英雄、ということになる。

プラス、神智学の観点を挟むと、いったん砂漠化して人が住めなくなった地球も、何らかの変化が起きて再び、地表世界が整えられる日が来るのかも。神智学では、惑星で魂たちが一時代を体験したあと、別の星に移動する。その間、留守になった惑星は休眠状態に入るのだ。

色々な意味で、自分の執筆活動や、メタフィジカル分野を探究しそこで仕事をしてきた感覚や体験から、納得したり共鳴したり出来る映画であった・・

見終わった時、「これは生命叙事詩だ」と感じた。

そして、まさに自分が望む事、20年前にハピやガイアナで少しだけやり掛けた事も、それ。「生命叙事詩」を謳い上げ、刻むこと。

利己・生存本能を見せるもの、利他・愛で行動しようとするもの、後者でも、何が利他の正しい行動なのかと幾つかの選択肢が示される。「愛は未知のパワー」「生命の基本は変異」など、メモしておきたいセリフも多い映画だった。

Love and Grace

小さな長老

涼しい筈のヨーロッパや、広いアメリカでも国土の多くが猛暑。元々暑い地域では自然発火で山火事。世界各地で次々と洪水。見る人、感じる人によってはこれは「黙示録」の時代の始まりだと思ってしまうのも無理はない。。とは言え、心配したり憂いていても仕方ない。

これからもっと大変になるかもしれない。けれど、時代に翻弄され過ぎていく時間は、私たち一人一人にとっては(輪廻転生はするけれど..)たった一度の人生。自分というアイデンティティや、人生に対する意図を持っていないと、名前の通りの「平成」の頃とは違い、令和そしてこれ以後は、次々起きる大きな波に飲まれていってしまいそうだ。

「レムトラ」ページを編集していてつくづく思ったのは、今から14年前だから文章表現は稚拙、視点は浅薄で、スピ業界からの影響が強く出ていて、やれやれという感じはするけれど、高次から受け取っていることの核心は同じで、ずっとずっと変わらず、ブログ等でも他のワークでも、同じことを言い続けている。
それは、「意識の進化」

意識は急には変わらないから、システム全体からそこを目指していく。システムというのはオーラ、チャクラ、肉体も含めたホリスティックなシステム。けれどメタフィジカルを担当しているので、エネルギーワークによって整えていくという立場に立っている。

整える、と言っても揺り戻しやアップダウンがあるのが人間で。そうさせる仕組み、つまり進化しないように働く仕組みとは何であるかを研究する流れになって(しまって..)、今あるような、アルガンザの活動になっている。けれど、核心はずっと変わらず。「意識の進化」

そのために、努力を惜しまず活動を続けている人々を、私は「仲間」だと考える。どんな分野であれ。

小さい子供は、「なんで?」「どうして?」と何でも訊いてくるものだけど、あの純粋な疑問は、大人たちが作った世界の不思議な、不自然な理不尽さや矛盾を突いてくるもの。 子供の頃、ハートの中心にあるものが私たちの魂の「自然」であり、その目線を通して『??』と思うことが、「不自然」なものとして発展してきたルールや現実なのだろう。

人間は、生まれ出た当日が最も賢いそうで、アメリカで行われた研究によると、小さな脳の中に、大人の2倍ものニューロン(神経細胞)が存在した状態で、人はこの世に出てくるそうだ。 ヒトの魂の歴史が、人間の一生に反映されるという観点からすれば納得できる。

アルガンザのジェネシスに照らせば、新生児はアンドロメダから創造の為にやって来ているセラフィムたち、ということだ。 セラフに出会った時、確かに新生児のような姿をしていた。しかし彼らは叡智の存在、銀河系の長老なのだ。アンドロメダに戻っても、他の形態存在たちよりも波動高く、創造主つまり宇宙の始まりのエネルギーに極めて近い。

赤ちゃん、子供たちは、小さな賢者。

地球という惑星をデザインしたセラフィムたちにとって、相変わらず囚われの多い地球人類の意識状態のもと、地球自体が危険に晒されるような破壊と自然界の混乱が強まっていくばかりのこの状況は、もどかしい限りだろう。けれど、人間は生まれ出た時に彼らの叡智を体現している一時がある。

世の中が変わっていけば、いつか、新生児の時に持っていたニューロンを失うことなく、人は賢いまま育って、年を重ねていくような時代が来るのかもしれない。

Love and Grace

オーラ写真

2010年・・だからもう10年以上前になるか。。お世話になっている取引先に出向いた時、オーラ写真を勧められて、そんな事でもないと自分からは体験しないだろうから、せっかくだからとお願いした事がある。

が、ヒーラーをやっているとは言え、奈良から横浜への引越しの直後のことで、しばらく引越作業のためにサロンは休んでいたし、瞑想やセルフワークの時間も思うように取れない自分的にはかなりの非常事態といえるタイミングで、ちょっとドキドキしながらの事だった。

案の定、「かなりお疲れですね・・」というお話になり、オーラ写真は嘘つかない。チャクラの状態がボロボロで、一般的な人のそれよりも「パワー不足です」というレベルになっていて、予想していた通り。「あはは、引越しを終えたばかりなので・・」と苦笑い。普段のヒーラーとしての日常と、エナジーワークによって活力を頂いている、その中でも調子が良いと自覚出来た時に録れたら良かったンだけど、これもまた何かの縁。そして参考に、勉強になったことは確か。

最近、オフィスの書類の整理をしていて、その時のファイルが出て来て、改めてフムフムと眺めていた。予想していた通り、そしてよく人にも言われる通り、私のオーラのメインはインディゴブルーで、ロイヤルブルーや、左右にマゼンタとパープルが広がっていて、ハートから上にはターコイズ。これはだいたい、中学生くらい(ちょっとした魂の目覚めを体験したころ)から自覚していた「自分の色」たちだ。

アポロン&アルテミスのエルフ界の男女性の混合(マゼンタとブルー)。そして、ターコイズとパープルの組み合わせは、オーラソーマのバースボトルの色(ニューメッセージ)でもある。

チャクラの状態が肉体的、神経的な疲労と乱れを反映してボロボロだったという点は置いておいて。このオーラの色彩は、まったくもって「ええ、私のオーラです」と言える結果だった。

(ヒーラーをしているので)「白系かなと思いましたが・・」と、担当の方は仰っていて、実は私も少しそう思っても居たけれど・・あの色彩で、調子が良い時、さらに純化がうまく進んでいる時は、全体に白を混ぜたような色になるのかもしれない。

それにしても、肉体的不調と神経的乱れを現したチャクラの状態・・の中で、サードアイだけが人並み外れて大きく活性していた。これはどういう事だろう。引越しって、何度も何度も人手と時間が足りてない状況で経験していて、本当に命がけだと思うほどいつも大変だ。私の場合は、自宅とサロン、両方一緒の事もある。業者さんとの連絡や、ゴミ捨てや工事・引き渡しの立ち合いなど日程調整だけでもかなり大変で、ショップ仕事を殆ど休まずに、強行突破でいつも行って来た。この時もそうだ。

クラウンチャクラもさすがに、三次元でアタフタしていた日々を象徴して、ションボリしていた(笑)というのに、サードアイだけはギンギン・・これは良いことなのか、どうなのか。今回、12年ぶりに眺めていて、考えていた。

人間には、主に2種類のサイキック能力があるという。赤のタイプ(念力、つまり発動)と、青のタイプ(受動・透視など)。明らかに青のタイプだけど、仕事としてのサロンや、自分のメンテ、瞑想などもろくに出来ない状態でもサードアイだけは元気。これを時に封じる・フタをするという工夫も必要なのかもしれない。情報を拾いすぎてしまうだろう。そうね・・当時に比べれば今は、無意識ながらに制御出来るようになっているかも。

ヒーリングや瞑想をしていると、脳の不思議についていつも感じる、考える。常に脳が変化することで、自分が変わっていくからだ。ワークを受けても、最後のその段階を受け入れないことで、変化せずに止まるという選択肢もあると感じる。クライアントさんにはぜひ、セッションそのものだけでなく、その後のプロセスの中での気づきや、自分の頑なな部分や、変化することへの恐れを、カチっと切り替える瞬間を、大事にして欲しい。それによって、ヒーリングの効果が、自分の一部となっていくから。

そうそう、ヒストリーチャンネルの(「古代の宇宙人」ではなく)世界の怪奇現象を紹介する番組から。西洋の「エクソシズム」つまり悪魔払いの事をやっていて・・おっかなびっくり見ていると、ユダヤ教のラビの方のコメントで、

「現代社会にはエクソシズムは必要無いと思う人も居るかもしれないが・・『悪魔憑き』とは何かというと、魂が地上に縛られている状態。言い換えると、魂が成長することを恐れている状態です。だから・・現代社会の普通の人々にも、悪魔払いは必要なのです」

と言っていて、おお・・その通り!と納得した。

もちろん、憑いてしまうモノは色々で、動物的に大暴れしてしまうモノから、一見静かでわかりにくいモノもある。

ある程度の癒しは起きていくものの、どうしてこんなにスピリチュアルな成長が難しいのだろうという事例を多く見る中で、ネガティブなエネルギーが外側に蔓延していて、その原型フィールドがあり、個人の中の成長したくない、魂に戻りたくないというエゴセルフの自己保存本能や、恐れなどの埋め込まれたパターンとその外からの力が結びつき、足を引っ張られる。または道を逸らされる、ということを知った。

そこで悟ったのは、平安文学のように、起きる問題すべてを「もののけ」のせいにして加持祈祷するというのは、ある意味、正しいのだということ。それと同じような話だな、と。

(エクソシズム、では決して検索しないで下さい・笑・・ホラー映画の題材になりやすいので、映画等のとても怖い画像が出て来ます。)

全ての人間は、完全に悟ったブッダでない限りはその状態にあり、自分の欲望や恐れ、つまり愛ではないものが作動して様々なネガティブな想念や現実が生まれていく。ここで生きるということは、それらを削ぎ落とし続け、濾過して純化しつづけること。ちょっとハードコアな伝統的な加持祈祷やエクソシズムが、ヒーリングに変わっても、その仕組みは同じ。

「成長したくない」傾向が強い日本の人々には、それなりの原型エネルギーが、集合場から、そして肉体的に受け継いだエーテル体の情報から、入り込んで(巣食って)いるのでしょう。

それでも、人の中心には「成長したい」「宇宙の源へ戻りたい」という強い善の力が備わっている。

だからこそ、その両者が摩擦をし、苦しんだり、切なかったりするのが人間。

自分の中のエゴと魂の折り合いをつけながら、やはり魂として、愛の中心軸で生きていくことを選択していこう。

アルガンザワークやカレッジはセルフワークを基本に置いているので、常に自分の魂が、自分の中で強く響くようにチューニングしていくツールとして活用して頂きたいと思ふ。

Love and Grace

意識の波長

日記のタイトルを決めて書き出したものの、筆が進まず削除、ということが何度かつづいた。こんな事って、本当に珍しい。いかに、今、情報の混乱、情報操作、それによる人心の混乱が起きているか・・

こんな時は、感じ取って不安を抱いたり、それゆえに何かをしようと落ち着かなく思考したり、低迷したり、逆にその本能的な感受性を茶化して変に明るく、あるいは怠惰になって凌ぐ・・など、その人の性質がそれぞれ現れるのかもしれない。

気象は「天気」、天の気、という日本語のとおりに、人間界を超えた世界の気(エネルギー)および、人類のアストラル集合場の顕れだと言える。このところの落ち着かない、一定しない天気が、エネルギー状態を表していると言えそう。

前回の「白い聖堂」が終わった頃から、やや久しぶりにアリス・ベイリー著書を読みたい気持ちになっていた。チャレンジ済みの方は分かると思うけど、難解と言われるけどそれよりも、周波数を合わせてその波長で読んでいくところに自分をチューニングするのにコツが要ると言う感じ。

出ている著書は全巻揃えて、街中でもフラリと片手に持って読めるようになっていた私でも、ここ1〜2年は「襟を正して真摯な態度で」という意味で、普段、そう簡単には読まないようになっていた。ケド、メッセージ的に受け取っていたそのことの意味が分かった。情報の混乱、混戦・・きっとこれからはずっと続くと思うけど、特に6月半ばから現在はかなりのもので(通信障害もそれを体現していますね)・・

毎日瞑想やワークをする人にとっても、なかなか厳しい最近。アリス・ベイリーを読んでいれば、変わらないシャンバラの、マスター界の周波数に自分の意識、脳のチャンネルを合わせることが出来るから、防護策として受け取ったメッセージだったのだ・・と気づく。ある意味で アリス著書はバロメータと言える。

だいぶ前・・カレッジ一期だったかな、生徒さんが石の卸売をしている長老的な方に「ヒーリングの勉強をしています」と言ったら、「アリス・ベイリーを読んでる先生がいいよ」とアドバイス貰ったそう。「はい、そういう先生です」と答えましたよという話をしてくれた。そうそう、分かる人には分かるのだ〜。

とは言え・・神智学さえやっていれば大丈夫ともきっと言えない。アリスを読みこなすアンチな人だってきっと居るだろうし。。(笑)。。カレッジで最初に神智学を紹介すると、生徒さんの何人かがネット検索をして「良からぬ情報」を見たと言って、不安を訴えて来る。毎年1〜2名はいらっしゃったかな。。。そうそう。そういう世界なのだ。

検索すると、「ちゃんと」良からぬ情報も出てくるようになっている。

自分自身で感じる、選べる、という自信が確率していない人は、パパっと出てきた情報に左右されて不安になったりしてしまう。

では、自分で感じる、「分かる」と自負している人が絶対大丈夫かというと、そうでもない。ネガティブになった時(自分自身の未解決・未消化のネガティビティと外から来る力がつながった時)、「感じやすい私ですから分かるのです」と言って、びっくりするような事を言い出して、周囲が唖然としているうちに、あっという間にそれまでの努力、癒しや浄化の道のりを捨てていってしまう事もある。

それこそ情報操作、脳内操作、感覚操作、なのです。そういう世界で、ものごとが「どんどん良くなっていく」メカニズムが、働かないようになっている。だからある意味で「思考停止」してしまっている専門家も多いのではないかと思う。

せめてもの揺るぎない「善」が、この世に示されていることにいつも感謝している。宗教ではないから、妄信している訳ではない。というか、妄信できるような、甘いものでもない。細っそりした糸かもしれないけど、常に私たちの前から、愛の道を辿っていけるようになっている。

それを見失ってしまう人が多いのかもしれない。「光の時代が来たからもう大丈夫」ではない。自分自身の中に善は、光は、愛は築かれていく。それに磨きをかけながら、周囲や世界の変容を願い、エネルギーを広げていくのが、メタフィジで生きる人の姿。

先日紹介した、ババ・ヴァンガの予言はある意味、真実味があるなあと思う。遺伝子に変化が起き、脳の30%を使えるようになった時(現在は数%しか使っていない)、人間はもう悪意を抱かなくなり、地上は平和になる(二元性の終焉)・・・それは、あと2000年以上先のこと。(と予言されている)

スピもそうだけど、全てにおいて、情報時代。ゆえに、情報戦の時代。

何を信じるか、誰を信じるか、つまり自分自身のその判断を信じられるか。日和見ではなく。・・そんな自分作りを早急に、進めるべき時代だと、私は思うし、変換点の時代の危うさも大いに感じている。

Love and Grace

情報時代の中で。– 脳・知恵・アカシック —

この日記でも先日触れたダヴィンチ。元々興味の対象であったけど、ヒストリーチャンネルで度々、取り上げられている(「古代の宇宙人」「ノストラダムスエフェクト」)ので、以前見て途中で挫折した映画の「ダヴィンチ・コード」と、その続き2作、計3部作を最近見た。
原作ジャンルとしては推理小説なのね、ああ・・こういうのを推理小説というのか。(笑・小説を読まないヒトなので世間知らずなこと一杯)
ダヴィンチコードはその「ネタ本」と言われるマグダラのマリア関連の書籍を幾つかを読んだし、この筋の話(フェミニズム)には昔から割と拘っているのでうむうむと見終わった。リアルタイムではDVDを人から譲り受けたので当時見てみたものの、あの暗さに耐えられず断念していた。あの頃、ヒーラーになった初期の頃で、映画も、ヒーリング系以外の音楽も受けつけられなくなり、完全ビーガン、ノンアルコール、という純粋生活になっていたので、暴力シーンも含め、とてもダメだった。だいぶ人間に戻る修行?を経ている今は何とか見れた。

3作とも、ルーヴル、ヴァチカンなどの教会や美術館になっている宮殿など、美しい背景、脇役勢の豪華なキャスティングも良い。宗教象徴学者という主人公の設定もあり、スピな西洋史好きな人には確かに魅力の要素が詰まっても居る。

推理小説だからか・・誰が善で誰が悪かわからない。視聴者も騙されながら、何度も「あれ?」を繰り返す。原作者のパターンなのか、結局は「悪」というか罪を犯している人々の、そこに至っている理由がなぜかどれも切ない。私利私欲のためでなく、「人類のためだ」と誰もが言って(思い込んで)いる。3作品ともそうだ。行き過ぎた宗教や思想、カルトのようになってしまって、地上の人間としては犯してはいけない罪を犯しているという。主人公の教授(トム・ハンクス)は常に正義の人だから、今ここに居る人々を守る、当たり前の人間としての善なる心・・・で、決して揺るがない。アメリカらしいキャラクター。

フランスだったりすると、こうは行かないのかもなあ。ヨーロッパの神話や映画は、その点、絶対正義で終わらないことが多い。

3作目、2016年に公開されていた「インフェルノ」は一番、考えさせられる。なるほど、こういう映画を世界中の人が見ていたとしたら、パ○デミ○クが始まった時に「来た!」と思ってしまうかもしれない。この映画では、ペスト菌を撒いて世界の人口を半分に減らそうという思想に取り憑かれた人々が描かれている。当然、教授はそんなことは許さないという立場であり、何とか阻止して、世界を救う。前から思っていたものの、過日にこのパ○デミ○クの話題について触れた時、省略してしまった一文をさっき、追加して来た。

その主旨は、どんなことでも、人間の世界、三次元だけで頑張って考えていても、答えは出ない。人が生きる世界なのだから、人の道から逸れてはいけないのは当然のことだし、どっちが正しいのだろう?正反対のことを言う人たちが居るではないか・・・となった時に、結局、善か悪かという話になってしまう。どちらが陰謀で、どちらが救いなのか・・・という具合に。

そもそも・・に立ち返ると、人間とは何ぞや。この世界とは、何なのだろうかという問いに、現代人はあまりにも、物質的な思考しか回らなくなってしまった。

物理学などの科学が、少しずつ・・メタフィジカル、スピリチュアルを説明できるようになって来ているから、その両極が融合されていく時代を、待つほか無いのだろうか。。

(またまた)「古代の宇宙人」視聴メモ。私も本を何冊か持っている著名な瞑想家、チョプラ博士が登場。その回は「アカシックレコード」を扱っていて、氏が瞑想を始めると脳波にどのような変化が起きるかを科学的に測定、分析していた。後頭部の一部分が急に活性してくるのが分かるそうで、日常の人間的世界とは違う領域に、脳が反応をし始めていると分析出来るとか。瞑想する人ならば皆、それは自覚出来るはず。

だから、繰り返し、繰り返し、お客さんや生徒さんには「瞑想やセルフワークをしてください」と言う他なく、3次元にアクセスしている時間と、5次元的な領域に波長を合わせている時間の割合で、その人の調整具合が決まっていくとも言える。脳が3次元にしかアクセス出来ない性能になっていれば、5次元に波長を合わせようとしても難しい。最初は誰もが初心者だけど、継続は力なり。

そのうちに、普段から5次元の脳波をキープ。となってくる・・と、ネガティブな思考は生まれず、人間同士の感情などに左右されない意識を保つようになる。

面白い話!と思ったのが、国や分野は聞き漏らしてしまったとある最近の研究発表で、「世界の全く別の文化圏、繋がりのない人々同士、情報交換のないままほぼ同時に」同じ発明がなされたという過去の事例を調べたところ、148件見つかったらしい。アカシックレコードをクラウドに喩えていて、発明家のような人々はそこにヒラメキという形でアクセスしていると考えられるが、人間には脳の未発達という壁がある。クラウドに、高次(この番組では地球に関わっている「地球外生命体」と呼んでいる)が「そろそろ良いかな」というタイミングを見計らい、データを乗っける。と、

脳の性能の良い人で、無意識にアカシックにアクセスしている人はそれを察知し、受信し、「あ、ひらめいた!」となるのではないかという話。これは、私的にはとても納得できる考え方で、まさにそのようなイメージがある。人類は常にそのようにして、その時々、開示された情報を(まずは賢人から、少しずつ、やがて全ての人が)受信出来るようになっているのだろうと。

アカシックレコード=クラウド 説もとてもよく分かる。更にいえば、(誰もが自由に書き込める)ウイキペディアのようなもので、絶対的な存在が記録したもの、というわけではないので、人々の集合意識が認識している情報が、アカシャの歴史的記録になっているのだろうと思う。各集団ごとのミニアカシックみたいなものもあって(まさにサーバやウェブの世界のように)、変化は「百匹目のサル」のような現象で、いつか全体に広がっていく。

もう少し、神智学的な世界観で想像すると、一般の人々用のクラウドとは別に、周波数の違うクラウドサービスもあって、そこにシャンバラのような領域からの、「この先の人間社会の道筋」「人類の意識進化」に関する情報が、掲載されている。常にアップデートもされる。というイメージ。神智学の教えでは、そういった情報は「得よう」として得られるという訳ではなく、チャクラのお掃除や、心や思考(オーラの各層)のお掃除が進んで、良いエネルギー状態になっていれば、自然とアクセス出来るようになっていく。これを、「知恵」という。
ここにアクセスする人が増えていけば、自然と人類全体の意識進化は起きていくし、よりよい世界になっていく。

今は、その見えないクラウドやウェブのようなシステムが、物質世界にも現実として存在する時代。情報が駆け巡る時代だから・・情報同士が戦っているような印象もある。そして、私たちの「脳」というコンピュータも、それに翻弄される。意識できる部分と、そうでない部分も含めて。人間は、現時点で、脳を数%しか使っていない。けれどきっとそれは人によって微妙に差があり、また育てていくことも出来る。五次元意識は、瞑想により活性するという領域を日々、刺激することで、他のチャクラの浄化とともに、その人の存在周波数を変えていく。

すると、三次元の物質的な流れだけではない、物事や他者の中に見える本質的な意味を、感覚できるようになっていく。出来れば道具に頼らずに、日々コツコツと。

このようなコンセプトで「ヒーラーズカレッジ」やマスタークラスのテキストやワークは作られている。生徒の皆さんは、気づいていただろうか・・・?(書いてあるから気づいてたよね・笑)and 磨き上げた周波数を、持続できているかな。

Love and Grace

「ジェネシス原型場」動く。–踏み台のセラフ–

一年に一度、いや、数ヶ月に一度はあるかな・・ジェネシス原型フィールドの、集合場(個人や小さなソウルグループではなくある程度の広範囲の人々・ソウルが関わる)でのカルマ消化、昇華を促す機会が来ているように思う。それも、同時にいくつもが重なり合いながら。

うむむ。数年に一度の規模かもしれない。けれど今年の春、レムリアンセイクレッドレイキの改定作業中に、かなり大規模な影響が自分周辺には来ていたので、そこから僅か数ヶ月。良くも悪くも、この前の満月に関係あるかも? 13日の夕方に突然何かが来て、満月は翌日、14日だったから。

それで、13日夕方以後、何か来たな〜と言う事で3日かけてクリアリング。(普段は避けられるのですよ)エンティティ様のものは外せたものの、余波がゆっくりとフェイドアウトしながらもまだ完全には抜けていない。今朝もまだ、あちこち刺される体感、昨日ショップのインスタに書いた「耳」の影響も。ただ、日常生活と仕事には全く支障は無し。世間の人々はこんなふうに具体的に体感したり分析しないだけで、(かつての自分もだけど)普通に受け入れて暮らしてしまうのかもしれない。すると・・引き下ろそうとする作用が凄いから、意識や体調など、周波数的に下げられたり、思考なども影響されたりする。

「霊的に成長する」ということは、言い換えると、こういった「普通に人間社会に満ちている、引き下げる力」に気づき、それを避けるテクニックを身につけることだ、と言っても良いのかもしれない。避ける、あるいは自己浄化するテクニックを。・・もちろん、これをメタフィジックに習得しなくても無意識に出来るつわもの達も居る(過去生で習得済みなのだ)。そういう人は人生がスイスイと運ぶだろう。

長年体感や体験、知恵を少しずつ重ねて来て、ただただ何でも受け入れる訳ではないし、通常は跳ね返すシステムがある。それが何故か作動せず、かつ対処しながらも影響が長引いてしまう時は、何か理由があるのだろう、体験して、答えを出せと言われているのだろう・・・と言う事になる。ジェネシスの原型神話のほとんどは、アルガンザのクライアントセッションで、お客様の癒しの場面で出てきた魂の風景だけど、ジェネシスを一旦まとめ終えて、自分もセッションの仕事を引退してからは、重要なことを知る時、新たな大きめの原型ストーリーが出て来る時は、サロンの箱庭現象か、自分自身の体感・体験によって、それを分析するよう促されてしぶしぶと(笑)分析作業に取り掛かり、何らかの帰着点を得る。

そして答え合わせが来て、やっと解決。という流れがある。満月の頃から来ている何かについて、流石に10日も引きずっているので渋々と(笑)ピントを合わせた時、先日Tweet した「イシスの子供たち」が浮かび上がった。もうひとつ、前回の「白い聖堂」でフォーカスされていた「ケルビム、堕ちた青(アルクトゥルス存在)」も同時に出ているし、つい先日のセッションでは、「ケルブの踏み台になったセラフ」もちらりと出て来た。

永遠の主題である、「シリウス(進化させる力)と、進化させない母たち」の摩擦も常にある。「ケルブとエルたちの因縁を解く」、その主題も出て来ている。つまり、「因縁の深い、敵対(摩擦)関係を刻み、その原型同士、人間界に生まれ変わっても対峙するとそれなりに摩擦が働く」というジェネシス原型から現れる関係性パターンについて、全般で、「和解」の動き(与えられたチャンス)が、同時多発的に現れているのではないか・・・と、昨日あたりにふと感じた。

以前から「ライト(進化)ワーカーたちの役目は、シャンバラと『抑圧する母たち』の和解を人間界で実現すること」という話を、ジェネシスではしていた。一体どうすればいいのか、私たちに何が出来るのか、と去年などは話していた。けど、レムリアン〜のテキストを書きながら、「各個人が自分の中で、それ(和解・理解)が為されれば良いのだ」と気づいた。

そして、「調和」という、スピ界ではありふれた言葉の中に、それを込めていた。それから2ヶ月ほど経過し、自分の中ではすっかりと良い感じに、その「和解」が一部として溶け込んでくるような周波数帯に居たところに、突然の、今月半ばの引き下ろすような力。こういう時は大抵、自分が習得しつつあることを、次のレベル(表現活動、ワークやテキストの執筆などに)に広げる時、追体験するような揺り戻しが来ている事を意味する。

けれど、それにしては大袈裟すぎる。影響を受けすぎている。それだけ重要なこと、あるいは、自分自身に関係すること、今後の執筆に盛り込むべきことが、見え隠れしているということなのだろうか・・・?

さらにそのように思考を絞っていくと、ケルビムの苦悩、ケルブとエルの行き違い、イシスの子供(ソフィアを崩壊させた自責など)だけではなく、上述、セッションでチラリと出てきた「ケルブの踏み台になったセラフ」がまた、響いて来た。あまり公には書いて来なかった事だから、ここで少し触れておくと・・・

アトランティスで、軍隊を構成するために「再生」されたケルビムたちのオリジナルは、レムリア期、マヌやシャンバラの要請で地球に招かれたアルクトゥルスの専門家としての軍人、のような存在たち。軍人、といってもアルク人なので外見は人ではなく、肌は恐らく青いだろうし、背中にはツバメのような羽がある。プロフェッショナルで、周波数の高い彼らは地球霊ロゴスのヴァイアマスに仕えるためにやって来た。

・・・が、地球が壊れるかも、という規模の「何か」がレムリア期に起きて、それを止めるために命を落としたケルブたちが多く居た。その遺体(と言っても肉体というよりは霊体なのか?)は、モニュメントのような聖地アヴァロンで保管されていたが、遥かな時を経て、アトランティス人類が「神」に背を向けて、「神々」がそれを許し、別次元から見守る時代になった後に、

ケルブたちは「再利用」された。かつて、セラフたちを「再利用」して、エルたちが作られたように。

これを、アルガンザ・ジェネシスでは「後期ケルビム」と呼ぶことにしている。彼らが、既に物質次元となっていた人間界に「実在」するためには、汎用性のある霊体ゆえということなのか、「下地として」セラフたちの「何か」が使われた。後期ケルビムであった人のソウルはそのために、「踏み台になったセラフ」の情報も、自分の中に持っている。何らかの形で、そのセラフを解放してあげなくてはいけない。セラフゆえに、インナーチャイルドとして現れるのだろうか?

そうかもしれないし、その限りではないのかも・・ このエピソードを知ったのは、ケルビムが強めの(ケルブという定義を私に教えてくれた)方の数年前のクライアントセッションでのこと。そして理由や背景は分からないけど、今、浮上して来た。なぜ・・というか、上記のその他の因縁関係とともに、全体としての「和解」テーマゆえ、だとは思う。

そして多分自分個人としては、「イシスの子供たち」と彼らを使って計画を実行した多くのアトランティスの人々による「破壊」の対象としての「ソフィア」と、相変わらず同調するのだろうし、今回はまた新たに、「後期ケルブの踏み台、下地にされたセラフ」の開放という、見えない次元の集合的ムーヴメントの波長を受信し、それを邪魔しようとする力との拮抗を、体感していたのかもしれない。と、整理したところ。

パラレルに引き込まれそう、引き下ろされそうな気配がこの10日ほど続いていたけど(そんな時はいつもジェネシス原型の情報の中に居る時)、ようやく一段落。

Love and Grace

Amari

地球の未来。

今日は夏至。これから雨になるようで、空はどんよりとしている。

「古代の宇宙人」ではないけれど、同じくヒストリーチャンネルの特番「ノストラダムス・エフェクト」や「オークアイランドの秘宝」なども見てみる・・どれも面白い!その他、歴史系の番組以外では車関係が多いようで・・男臭いチャンネル、と言えるかも(笑)。少年の頃の夢、という感じも(欧米のかつての男の子たち=今は大人 が抱いていた冒険やわくわく)・・その中間かな。

オークアイランドとはカナダの小さな島。テンプル騎士団が十字軍時代にエルサレムの神殿から密かに運び込んだ「秘宝」が隠されているという伝承があるとか。コロンブスが「新大陸」アメリカを発見するよりも100年以上前に、政治的な理由で迫害を受けたテンプル騎士団の一部がスコットランドに落ち延び、その流れを汲んだ人々が「秘宝」を隠すために船出して、北極海つながりなのかな、カナダまで行っていたとか・・諸説あるらしい。

テンプル騎士団の旗とそっくりなデザインの旗を、現地のネイティブ部族が使用しているなど、多々、証拠もあるようで「トンデモ話」では済まされない何かがありそう。その島を含む州の名前が「ノバスコシア州」というらしく、「新しいスコットランド」という意味とか。

「ノストラダムスエフェクト」は予言や大災害の伝承を、ノストラダムスに限らず紹介する番組のようで、「古代の〜」でも取り上げられていたけど、やはりダヴィンチ。天才・奇才なのは知られているが、自然災害で人間界が壊滅するという思想?にある意味、取り憑かれていたようで、ノストラダムスと同じような予言風のメモも書き残しているという。興味深い。

昔、日仏で「モナリザに似ている」と言われたことがあるから、という訳ではないけど(笑)、(以前ルーブルでモナリザとも、人だかりだったのに、急になぜか人がはけて一対一でしばし対面できました) 瞑想していたら見知らぬ老人が出てくる、という時期が、ヒーリングを始めた頃に。見たことある気もするが、誰だろう?と思っていたら、後にダヴィンチの肖像画にそっくりだと気づいたり。以後、気になる存在。

予言、と言えば「古代の〜」で紹介されたブルガリアの盲目の老婆「ババ・ヴァンガ」の、地球の未来の予言も興味深い。読んでいると、とても尤もらしい感じもしてくる。何度かの戦争、壊滅を経て、5079年が「文明の終わり」としているのは、説明は出来ないけど感覚的に分かるような。神智学文献や、インドの伝承などとも照合出来そうな気がする。ババ〜の預言によると、その間には火星への移住、火星の独立戦争、近い所では水中都市のコロニーが(今から200年後くらいに)出来ている、地球から幾つかの惑星に人が移住。けれどトータルでの終焉が、5079年、とのこと。

あ、そうだ・・「月の秘密」が2304年、明らかにされる、というのもある。4308年には、遺伝子の突然変異により脳が活性、悪や憎しみの概念が完全になくなるそうだ。

アカシックレコードから読んでいるのだろうから、集合意識が刻んでいる概念的な記録に過ぎない。変わっていく可能性は常にある。

もう少し、今の私たちに引き寄せて感じて、考えてみると、(あくまで私個人の所見、感覚です)ここまで来るのにゆるやかに変化してきた地球文明も、そろそろ、ハイテクノロジーだったアトランティスにかなり近づいて来ているようだ。日本に居ると、技術はかなり世界トップクラスではあっても、文明という感覚が余りして来ない。ロボットとか、道具とか、電車とか、そういうものは日本が秀でているとは思うけど、島国意識がまだあるから、宇宙・・となると更に壁がある。けれど、政治的にも、情報も、研究の積み重ねも、多くの一般人の「研究家」たちも含めて、アメリカの基準を見せられていると、もうあと一歩で、宇宙時代だという感じがヒシヒシとしてくる。

アトランティスの反省をし、同じ過ちを繰り返さないための復習・おさらいの期間・・が、100万年あったアトランティスの後、今の文明期の初期としてのこれまでの1.5万年前後であったのでは。壊滅した所から、「神々」に情報や遺伝子を適度に授けられながら、あっという間に100万年のアトランティスの歴史をダイジェストでなぞった 1.5万年。けれど、あと3000年で文明期が交替するのかな。時間の流れが早くなるから、ゆっくりと進む1万年と、ハイテク社会の1000年を比較することは難しい。

5079年の文明の終焉が意味するところは、宇宙の別次元へ行くことにより、この次元での文明が終わるという意味らしい・・神智学の感覚と合致する。

密教曼荼羅のようなフラクタルな宇宙の中を私たちの魂は生きる。どこが始まりとか、終わりとか。考えつめていくと、時間というものが「存在しない」というのも、フっと腑に堕ちる瞬間がある。

そして目の前に戻って来ると、今とこれからはやはり、厳しい時代、厳しさを増していく時代なのだなと思う。なぜこの時代この時期を選んで生まれて来たのだろう? 一人一人に、その理由が必ずあるのだ。

Love and Grace

Amari

組織ではなくネットワーク。

自分のブログ記事をさらさらと概観していて、目についた言葉「組織ではなくネットワークを作る」。
その記事では、鏡リュウジさんの占星術本「水瓶座」に書いてある内容と、自分自身の気づきを絡めて書いていた。つまり水瓶座人間は、組織を作るよりもネットワーク作りに向いている、あるいはその方がうまく行くというお話。私自身にとって、それは確かに理想と言える。

組織、が苦手で・・それは、単に水瓶座、風の星座の影響があるかもしれない。けど、きっとそれだけではない。ジェネシス原型論や、うちの親ゆずりの家系的な性質、体質もヴァータ(風)だし、普通の水瓶座よりも水瓶座的な思考パターンが強めな気もする。

会社勤めや、組織で動く仕事など幾度か経験したが、何しろ本当に向いていないと思う(笑)。水瓶座って不思議な人々で、(昔から友人知人に多いのだ・・)不動星座だし頑固に自分の拘りを実行したい所があるけど、そうかと言って、リーダー向きではない。リーダーのような位置に据えられると、自由を奪われた気分になるのではないかな・・息苦しくなってしまう。

頼られるのも、頼るのも苦手。自分のことは自分でやりたい。そうかと言って、人を遠ざけたい訳ではない。人が好き。人間愛が強くて、人のお世話はついついやってしまう。そんな事をしていると自分の拘りや自由に支障が出て来て、「ああ!」と苦しみ始めたりする。そしてまた一人になるためフラリと旅に出る・・が、またまたついつい人々を愛して、世話を焼いてしまう。みたいな・・

「現金や社会的地位に執着が無いため、お金を持っていたら価値のある書物に替えておくと良い」と、昔読んだ占星術の大家の先生のご著書に。株式とか土地ではなく、書物。その心は、書物ならば「大事で手放さない」。そうじゃないと、お金に執着しないため、散財する・・・とのこと。まあ、なんておかしな人たち。宇宙人だわ。

・・そう、私などこれを地で行っていて、書物、と、鉱物・・(と少しのアンティーク家具)に替えている(笑)。もちろん、水瓶座も色々で、こんな性質が濃い人、薄い人、様々ではある。友人たちを見ていてもみんな色々だ。(けど共通して上記のような性質はある。要するにコレクター気質でマニアック、話好き、お人好しな人ばかり)

話が逸れてしまったけど、そんな水瓶座への鏡先生のアドバイス「組織ではなくネットワークを作る」。

これは、私がヒーリングサロンとショップの仕事をして来る中で、自然に思い描いていた形態。カレッジを経てジェネシスヒーリングが出来た時、プラクティショナーさんたちが自立し、サロン運営をしていくステップに入り、ジェネシス神話と所縁深い「世界樹」にたとえて、皆でひとつの世界樹を作っていけるといいですねという話をしていた。

私の頭の中にあったのは、組織のようなガッツリとした役割分担で密に関係しあうグループではなく、それぞれが自立独立して存在し、個性も発揮し、個性があるからこその豊かな世界樹が形成されていくという様子。

なかなかその匙加減は難しい。が、水瓶座時代、風の時代を迎えて、社会の在り方も恐らくそのように変わっていく必要性が、今、浮上しているのではないかな。

「組織」を構成すると、維持しなくてはいけなくなる。クリシュナムルティが少年時代に見出され、救世主の生まれ変わりとして教団のトップに据えられた後、30代になった彼は「真理は組織を作らない」と言って教団を解散した。組織は、誰が上とか下だとか、関係性がどうだとか、人間同志の密な事情が発生し、そのうちにそこに問題の焦点が移り、本来の目的から逸れていったりするもの。

もちろん、企業その他、重要な仕事を共同作業するフィールドでは組織でなければ成り立たない事もあるだろう。

ヒーリングサロン、スクールのようなメタフィジカル、スピリチュアルな場所は、目に見えないものが交錯し、レイキやエナジーヒーリングなどはある意味白い魔術のようなものだから、その逆、が介入してくる。見えないものが入り込み、撹乱するには、組織になっている方が介入されやすい。そこに人間関係、という物理的な「場」があるわけで、感情を持った人たちの、弱点や隙を見つけて、撹乱や分離を起こそうとする。これは、普通の人として生きている時に気づかずに体験しているものとは、やはりちょっと質が違う。

精神科医の先生がたも、患者さんの感情転移が起こりやすいと聞くけれど、時折、ヒーリングでもその様な事がある。また特に、私の持論ではジェネシス原型のアンドロ、レムリア自然界系の強い人は、相手が転移してくるキャラクターを自分が引き受けて被ってしまうようなことさえ、起こりやすい。・・そう、自分自身の経験から。

鏡のようになって、相手がそこに写したいものを写すことに、「どうぞ」と無意識に言ってしまっているような感じさえする(振り返ると)。もちろんそのような転移が起これば、何らかの不具合が発生する。この、アンドロ強めヒーラーの体質によって生じる、ある種の触媒、純化作用のメカニズムに気づくまで、結構時間が掛かった。
ヒーラーを引退した後に、整理出来たことかもしれない。

同時に、ヒーラーでなくても、人の中にある天使性とは、地上においてそのような二面性を持つのではないか・・ナ。望まずとも。天使界ではないから・・利己が渦巻く人間界であるから。純粋であろうとする、周波数を守ろうとすることで、通りすがる事象がそこに自らの対極のものを映し出し、恐れたり、困惑したりする。

地上に降りた天使たちは、その意味で諸刃の剣だ。そう望まずとも。それは、世界がまだ利己的だから・・そこにチューニングすると、「堕ちて」しまう。自分の周波数や質を守ろうとすると、知らぬ間に通りすがる事象に浄化や変容のための異変が起きていく。
そんな性質を生かして生きていくには、エナジーヒーラーか、芸術家か、表現者か、といった所だろう。

そして、「組織」ではない、個性を生かせる形での「ネットワーク」で、自分自身と、自分が守りたい仕事や表現を守っていく。

そのような繋がり合い方が、ライトワーカーとしては相応しいだろう。自立し合うことが大前提。そして役割の転移を互いにしないような、(インナーチャイルドを統合し終えた)大人であることも、その理想的な「世界樹」あるいは「森」を形成していく条件だろうと思う。

Love and Grace
Amari