過去を見る目で今を見る

4部作のようになった、「パン○ミ○ク」絡みの日記記事の、今日はしめくくりになるかな?

というのも、いつものように長い時間をかけて考えたり感じたり、高次に求めたり受け取ったり、その間、その間に、体験がともない、直感でキャッチして、改めて整理し、ようやく理解できてきて・・お腹に収まる、更に時間をかけて時期をみて、こういう場所で一連の流れを記して、ご縁の方々や、必要でたどり着く方々へシェアする・・・というプロセスが終わった時に、高次からは「答え合わせ」が来る。

今朝、見ていた(またまた)「古代の宇宙人」。リアルタイムで配信されるものを素直に見ているので自分が選んだ訳でもなく、『地球外ウ○○ス』というタイトルがちょうど巡って来た。

シーズン3だから2011年に放送されたもののようだ(#23)。この番組の基本コンセプト「色々なものが地球外から来ている」のテーマの中に、過去の歴史上のパン○ミ○クを事例に話が展開する。そう、世界史において深刻な被害を出したパン○ミ○クが始まる直前、白昼、人々の目に触れる形でUFOが目撃されているという。古記録などからも多く例を挙げていた。

この番組がすっかり気に入ってしまったのは、映像や音楽などの演出と、出演者のクオリティ(UFO系の作家のみならず各分野の学者や専門家なども次々と話者として登場)だけではなく、何か根底にあって垣間見える制作側のコンセプトのようなものが、自分の基準に近く感じられたから。中立的でありながら、やはり基本は、「人類を生み出し、見守り、進化を導いている存在たち」としての「地球外生命」という像が、はっきりと存在しているように見える(今のところは。私の見方がズレていなければ)。

けれど、思想を押し付けるようにならない配慮か、(・・うん、まあ必要だと思う・・・)「絶対そうだ」とは言えない中立の立ち位置で一応は、毎回のテーマでさまざまな古代文明と宇宙の関連性などが紹介されている。「地球外のウ○○ス」は、上述したように地球外から、UFOなり隕石なり、宇宙存在たちが意図的に地球上にもたらしたものではないか、という話を、二極の可能性で紹介している。一つは、地球外の勢力が地球を滅ぼし手に入れようとしている、あるいは地球人を使って実験をしようとしている、などの、悪意によるものという考え方。

もう一方はその逆。人間の社会や文明のあり方を「正す」「気づかせる」ために、そのような手段を取る「神々」が居るのかもしれない・・という。

番組の終盤、結びのように、よく出演される考古学者の方が次のように語っていたのが、「まとめ」として配置されていたのではないかな。

「病気は人を変える。疫病を通じて、人間を進化させることも、進化を止めることも出来る。感情や思考に集団で変化を起こすことも可能。世界文明としての地球を変える何かが起きているのかもしれない。その準備をさせるために、『神々』(地球人類を作り、その歴史を見ている宇宙存在たち)は時折、歴史の中で(疫病を通じて)人類に準備をさせるのかも。」

・・・前回の日記に書いた「ライトボディの目覚め」にあったように(あれは宇宙存在や大天使のチャネリングによる本)、ウ○○スや、疫病という形態を取っているけれど、それが人類を進化させるためのスイッチ、である可能性を、ヒーリングなどの自己浄化体験を知っている人ならば、実感とともに理解できるだろう。ヒーリング後の浄化期間、好転反応が起こり、それが過ぎ去った時、スッキリして軽くなり、生まれ変わったように感じられたり、今まであった思考回路に変化が起こり、リニューアル、というのはよくあることだ。

そうかと言って、多くの人が犠牲になるのも仕方ないと言っているわけではなく、もちろん、医療や社会全体も、力を合わせて奮闘し、その難局を乗り越えるべき。その態度も含めて、個人の成長と同じく、試されるのだろうと思う。

この問題を、人間界だけでフラットに(単に三次元のみで)考えてしまうと、人間界の中で陰謀を企んでいる人や組織が居るとか、映画「インフェルノ」他のように人口を減らそうとした誰かが○イ○スを撒いたのかも?という、人間同士の分離的な発想になり、恐れが増幅・感染していく。そもそもの人間という存在、生命は大自然の一部であり、大自然とは神の領域、あるいは具現である、という視点を忘れずにいられれば、落ち着いて考えられる。

研究とはすべて、今と未来のために行われているものだと思う。どのようなジャンルも。過去に実際に起きたことを検証し、データを集め、考察し、今に生かして未来、よりよい現実世界を作るために生かしていく。

自覚したのはいつ頃だったか・・小学生くらいかな、歴史が好きだったお陰でとても役に立っている。特に研究史とか、研究者の人生そのもの、などに興味を持つことが多くて、ここ数年は、カレッジのマスタークラスのコンテンツや、ジェネシス世界観の構築のために、人文・宗教系だけではなく、自然科学や物理学など本来苦手な理系の分野でも、先人たちの歴史的な研究、発見や、その周囲で起きた各界や社会の人々の反応などについても、本を読んで来た。

シャンバラのような場所(善の高次領域)と繋がっている才能のある誰かが、使命に突き動かされるように、人生を賭けて素晴らしいもの、人類にとってプラスになる偉大な発見をした時、大概、既存の学術的な領域の人々はそれを冷ややかに見る。(テクノロジーや医学については余り抵抗なく新発見が受け入れられるかもしれない)

突拍子もない、既存の固定観念の枠を超えたものを見せられると、人々は抵抗をする。けれど、少しずつ事態は動き、認められていく。その後、また揺り戻しが来たりもする。歴史・考古系でよくあるのは、新しい資料が発見され注目された後に、「偽書だった」と「暴かれる」「叩かれる」などの抵抗する力が働く。けれどこれは、「古代の宇宙人」でも、映画「ダヴィンチコード」でもそんなセリフがあった気がするけど、一旦世に出してみたものの、人間の受け止め方がまだまだ期待するほどではなかったから、取り下げよう・・というような、高次の計らいが働くこともあるのかもしれない。

そんな風に、これから起きることも、誰かが何かを証明した途端、別の視点が挟まれ、論争になったり、良い流れが生まれては掻き消されたりするかもしれない。情報が混乱し、混迷していく中で、その都度、踊らされる社会であっては、ますます混乱を深めていくだろう。現象の中に、どのような力が働いているか・・体感したり、本能的に感じ取ったり、一番良いのは自分自身の高い部分(分かり易く言えばハイヤーセルフ)と連携し、人間社会に渦巻く二極のどちらかに、その時々でなびくのではなく、自立したエネルギーと意識をキープし、自分自身としての意図を、常に繰り出せるようにしておくことだ。

知識だけでは賢く学んだことにはならない。けれど直感だけでは、渡り歩くことに限界がある、複雑で混迷した時代の到来。

ほどよく知識を吸収しながら、実践・体験とそれを結びつけ、物質だけではない物事の道理、エネルギーの法則を体と感覚で身に付け、知識とともにそれで自身を磨き上げていく。

そのプロセスで、多くの、不要なものが外れて、静かに落ち着いていく。

ただ知識を身につけるだけでは、自分自身が複雑化していく可能性がある。(男性性の傾向)

ただ直感でその時を渡っていくだけでは、何が起きているか分からないから、未来について無関心になる。(女性性の傾向)

どちらも、危険な落とし穴を生み出す。メタフィジカルな学びにおいて、バランスの悪さは、成長ではなく、持っている性質をより色濃く深めることで、問題が根本的に解決しないゾーンにはまってしまう。

水瓶座時代の自立したニンゲンとは? バランスのとれた、迷わず、踊らされない、自分自身の内側から答えを引き出せる人、ではないかと思う。そこを目指していければ・・自然とそこに多くの人々が向かっていれば、パン○ミ○クは必要なかっただろうし、戦争や大災害のような更なる刺激も、止めることが出来るのではないかな。

日本に直接、迫る脅威のようなものは、まだもう少し先、10年〜15年先のような気がしている(あくまでも私の本能)。その間、社会の変化が感じられたら良い。高次は常に情報を更新し、プラン変更をするから。

みんな頑張っている筈だ。それぞれの分野で。

Love and Grace

ライトボディのシフト

2018年(カレッジ5期を終えたばかりの頃)、普段風邪も引かずに過ごしているのに、年初の2月に38-39度の発熱、その状態でセイキムセミナーをしているという、ヒーラー時代の中でもその時だけの異例の事態に始まり、

次は同年春〜初夏にかけて2度、咳がひどいタイプの風邪を引き、それが治りきらないまま夏になり(2ヶ月咳をし続けて)、遠距離通勤が辛くなって横浜から八王子移転を決めて。さらに八王子移転後、2019年の始めに地元神社に出かけた帰り道からゾクゾク・・熱を出し、やはりひどい咳をともなう風邪を引いた。この時、私から移った家族が病院に行くとインフルと判定された為、予定していた講座をお休みにするべくインテンシブの受講生の方にメール連絡をした、という。これもまた長らく仕事をしてきてその時だけの異例中の異例の出来事だった。

ヒーリングを始めた当初は、家族ぐるみで風邪や感染症なども良くあったし、長年ためこんだものをデトックスする意味でも、体調に出るということは2~3年続いた。その後、ヒーラーになった頃からはすこぶる健康で、一度、新型インフルに2009年にかかった(それも恐らく何らかのシフトゆえ)以外、風邪を引くことも、体調不良がサロンの仕事と被ることなども無かった。

エネルギー的に厳しい時期だったので、「自分の波動が落ちているからこんなことに?」と自戒していたけど、2017年春〜12月でまとめた「ジェネシス」完成後に起こった、非・進化の力による嵐のような出来事が続いていた時期だったし、その中で強く影響(攻撃)されていた赤のネガティビティが、呼吸器系や感染症を起こすことも、仲間たちとともに突き止めていた。そのエネルギーレベルの影響も大きかったと思う。

そんな逆風をあえてガイドたちが放置していたのは、この体験のお陰で、「ジェネシス」後のワーク改訂、プログレッシヴワークには、それらへの対策が盛り込まれた事からも、納得している。

 自分なりに、実はこれが、多くの人々よりも先にずれた形で体験していたシフトの手厳しいイニシエーションであり、新しい時代の進化に向けての洗礼だったのではないか・・と、パン・・・・が始まった時から考えていた。私、と、身近でアルガンザを見ていた仕事仲間たちが体験した、アトランティスでの社会秩序の混乱や、ジェネシス層のカルマ原型のミニ体験の一連の流れは、二元性の相克を乗り越えて、昇華して、調和に向かうという選択を自分の中で各人が成し遂げるプロセスの体験であったと思っている。

(SNSで偶然見かけた「パンデミック前年の2019年に同じように呼吸器系の風邪を引いた、シフトを先に体験していたよう、だからパン〜には共鳴しない=感染しない」という会話。そう考えている人もやはり居るのだなあと。私の場合は更に前年の2018年で。けれどエナジーワーカーとしての仕事の性質からすると、そのくらい前倒しで来るのはあり得るとも思う)

自分が体験し感じたことを整理した時、ジェネシス、という地球と人類ソウルの長い歴史の中で、そのポジション、意味を理解した。

神智学で説明されるように、今は地球で5番目の「アーリア人種期」という時代。その序盤には、前のアトランティス人種期を人類規模でミニチュア体験するという。カルマの火種を消して、軽くして、新しい時代のモードに本格的に入るという事だろう。その変わり目が今だろうと私は思っていて・・ゆえに世界規模、全体でのカルマの現出、浄化のための選択、シフトのための刺激が来ているのだと思う。(2022年の日記。パンデミックのこと)

「赤のネガティビティ」との魂の関わりの現出なので、呼吸器系の病気として現れていたのだろうと・・

『ライトボディの目覚め』という本(ナチュラルスピリット)があるカレッジでも参考文献にしているし、ニューエイジ思想やヒーリングと出会ったころに読んで、以後も大事にしている位置づけの一冊だ。ここに、「インフルエンザの様に見える形でやってくる、ライトボディのシフトの症状」についても書かれていて、実際に、自分がヒーリングを始めてから特に最初の頃に、何度かそのような体験をした。家族から移る、というような普通の物理的な現れ方をする。

けれど、意味合いとしては「ライトボディのシフト」なのだ。実際に、エネルギーがまず存在し、その情報を物質化するにあたって、何らかの三次元的脚色や前後関係が現実化する。「医者に行ったらインフルと言われたので、インフルです」ということは関係なく、エネルギー的な青写真を考えなくてはいけない。

風邪を引いて「ただの風邪です」と仰る人もいる。「ただの腰痛です」と。「ただの」というのは存在せず、エネルギーが先にあるということを、徹底的に脳に分からせないと、物事をいつまでも三次元的に考えてしまう。

日々のデトックス、免疫力UP、心と意識の周波数UP、すべての基盤である心身の健康、心がけていきましょう。

Love and Grace


モノリス

またまた「古代の宇宙人」視聴メモ。アルガンザのジェネシス神話、の中のアトランティス中興記〜末期や、自分なりに20歳ころから考えて来た「超古代」(歴史として認められてはいないけれど存在していたと思われる失われた文明期)、その「空白」時代に設定を置いて20年前に執筆した「ハピの巫女姫」「ガイアナ神謡集」(現・世界樹ブックス)、そして、それらの背景にあるシャンバラを含めた多次元的な地球という構造論・・と、通じる部分多く、うんうんと納得しながら、理系の方々が解説したり実験したりで論拠を見せて頂けるので、ありがたく。

2009年の最初のシリーズ5話は全部見て、新しいヴァージョンも見ていると、同じ話題を改めて取り上げていることも多いよう。けれど繰り返して貰えることで頭に入るし、NASAや考古学的発見、各ジャンルから上がってくる最新の研究結果などは常にアップデートされる訳で、大枠は同じでも更新して再び番組に・・というのは更にありがたい。

今のところ、日本のことは全く出て来ないけど・・(それは雑誌「ムー」などを開くと良いのかな?日本ではきっとそうなりますネ)日本で発見された「特別なもの」と同じと思われる話が出て来た。最初のシーズン、第四話から。「モノリス」を扱った回。モノリスとは、巨大な一枚岩による石造物のこと。ストーンヘンジのような。驚いたのは、エジプトやメソポタミア、南米にもあるオベリスクは、一本の石で出来ているとか・・アメリカで近年作られ首都ワシントンに聳えているオベリスクは、石のブロックを積み上げているそう。

(その後、ほぼ全シーズン視聴しましたが・・日本の話題も時々、出て来ています)

前にもどこかで聞いたことがある、ギザのピラミッド「発電所」説。細い左右の通路から薬品(物質の名前を忘れた・・)を流し込み化学反応させ、地球そのものの振動(シューマン波のこと?)を起こす仕組みと、その化学反応によって猛烈な勢いで水素ガスを発生させ、ピラミッドの先端部から放電。それを、近くに設置されたオベリスクが受信して、バランスをとった形で(電波塔の役目)放流。世界各地にある受信システムがそれを受信する。ストーンヘンジのような巨石建造物もその受信システムだったかもしれない。という話。

もちろん、太陽崇拝や天文観測の意味もあったと個人的には思っているので、ストーンヘンジ自体がどうかはわからないけど、ピラミッドとオベリスクに関してはとても納得。エチオピアにもオベリスクがあるそうだ。古い文明があると言われている場所だし・・(日本には無いのかな?もしあるとしたら、きっと熊野ではないかと直感的に思った。

モノリスの例として、ボスニアヘルツエゴビナやコスタリカで見つかったというほぼ完全な球体の石。わずかな誤差しかない球体を、硬い花崗岩で作っていて、大きいものだと直径3メートル。・・・これです、これ。奈良県の「神野山」付近で、工事の際に直径7mの巨大な球体が幾つも発見されたという話。近くには様々な超古代巨石文明の形跡が見つかっているよう。大好きな羊がいる牧場も近くにあるからぜひ行きたいと家族に頼んだものの、奈良に住んでいる間は見に行けなかったなあ(車が無いと行けないような所なのです)。

真剣になって探せば、きっと日本も。いや世界中で、アトランティスの痕跡も見つかるだろう・・し、ハンコック「神々の指紋」のように、頑なに有史時代の遺跡だと言われているようなものの多くが、実はアトランティス・・や、(名前は何であれ)有史以前の遺跡であることは多々なのだろう。インダス文明の遺物と言われているモヘンジョダロが、核爆発で滅びたという形跡が見られるという研究もあるとか。南米にも。そうそう、リビアングラスも、核爆発から生まれたガラスではないか・・という話もあった。インパクトガラスと言われているけど、隕石が落ちた場所が特定されていないのだとか。

オベリスクに花崗岩が使われているのは石英の結晶を沢山含むゆえで、伝導率を上げるため。波動を変換して電動するクォーツの力を応用したのだろうという話も。水晶の誤用・・でアトランティスが滅んだという説も確かにある。そうだ、カイラス山が、東洋の発電所だったという仮説も登場! カイラス、語源のカイラーサ(サンスクリット)が「ケーラーサー」=水晶、という説もあるので、水晶と発電・送電、の関係からも気になる。

アトランティスから今の文明期への切り替わり時期は、本当に興味深い。

そういう意味で、歴史はミニチュア化して繰り返すという事を改めて感じる。ミニチュア化、というのは、神智学では前文明のテーマやあり方を小さくして、次の文明の初期段階で体験・おさらいするという考え方がある。いや、本当にそうだと思う。それについても書きたい所だけど、長くなってしまうので、また。

Love and Grace

地球を守る力

先日も日記に書いた、ウェブ配信の「古代の宇宙人」シリーズ。今朝はクロップサークルと、古代の神々(宇宙人同士)の戦い、を見た。予備知識が無かったものの、毎日一度は見る時間があって、番組の特徴、構成が分かって来た。たくさんのテレビ配信サービスがあると言われるアメリカで、ヒストリーチャンネルという、名前の通りのチャンネルによる番組で、どうやら、この筋、つまり地球には昔から宇宙人が来ていた、今も関わっている、というジャンルで著名な本を書いている著者が次々と登場して語っている。

皆さん、だいたい同じテーマを踏まえているから、毎回テーマごとに、複数の著者や博士、時折それ以外の証言者が、同じテーマに対してコメント。その証拠画像や参考資料、再現CGや、実際に遺跡などを訪問した映像などが組み込まれている。見ているうちに次々とテーマも変わっていく、テンポが早い番組。私個人としては、今のこの時期、これを見始めたことが偶然とは思えない。もっとも、日頃から見る映画やドラマ、NHKのドキュメンタリーも含めてすべて、シンクロやタイミング的な意義を感じ、何かしらに繋がっていくので。

そうそう。もちろん、主題である「古代から宇宙人が来ていて、地球に関わっている」ことは分かっているし(笑)、出てくる話題はほとんど既に、これまでの25年くらいの読書や探究で知っている事が多く、それと、ヒーリングの現場で見て来たこと、体験するエネルギー、神智学からの情報も含めて、総合して私の中の「地球の宇宙史」が出来て、『ジェネシス』になっている訳だ。驚く事ではないわけだけど、二つ、今の自分に響くポイントがあると感じた。

ひとつには、本を買う時や、何らかの情報を受け入れる時、私は必ず著者や提供者の人相をじっと観察。エネルギーを感じて、判断するようにしている。日本語訳されて日本の出版社を通していると伝わりきれないものが、名前を知っている著者が実際にVTRで話している姿を見ると、人相やエネルギーがとても良く分かるので、画期的。「マル」と判断した時に、その著者が語っている情報は信憑性をもって入って来る。本の活字から伝わっても来るけれど、リアルさが違う。声、英語の発音、目の輝きや言葉のリズムなどに、何か・・ジェネシス原型の各種の宇宙エネルギーと結びつくものがあるのだ。

もうひとつ。ヒーラーとしてのセッションの現場での体験と、それが何であるかを知るために取り入れるようになった神智学やシュタイナー、インド思想や、昔から好きだった各国の歴史・文明史・人類学・民俗学・神話学・宗教学などの雑学的知識が結びつき、かつニューエイジのチャネリング情報なども参考にして、整理してきた結果の「ジェネシス」世界観。そうしよう、と思った訳ではなく、あくまでもヒーラーとしての仕事からニーズを感じて、深めていくうちにそこに至った。ジェネシスのような絵巻に「したい」と自発的に思ったことは、そういえば一度もなく。気づいたらそこに向かっていた、という感じ。

一方で、この番組で語っている著者の方々は、実際にある古代遺跡、次々と新しく入ってくる考古学的発見、UFO目撃情報、英米では珍しくない元々あるこの手の研究分野の新情報、そして神話や古代文献などの調査・・・・など、ジャーナリスト的に調査研究し、本を書いている。ヒーリングが属するニューエイジのように、「宇宙人とチャネリングしました。それによると地球とは・・」という話ではない。物的証拠や文書を当たるという点で、アカデミックな研究や、ジャーナリズムと同じ方法で本を書いている人々だ。

その情報が、自分が違う方面から集めて、構築してきた世界観と符合し、裏付けられていくのは、重要なことだと感じた。

その双方が功を奏してか、この番組を見ると波動が上がるし、意識が活性する。単にその手の情報が自分をそうさせる、というのもあるかもしれない。けれど、読書とは違う効果があるよう。最近は、その日見る内容を事前に夢で見ていたり、前日考えていたりして、番組を見て符号したことでまた、新たな気づきが付加されたりもして、自分でも驚いている。

もしや、レギュラーのコメンテーターのうちの何人か、本当に宇宙人(良いほうの)かもしれないと、思ったりもし始めた。(笑)

今日見たところから・・メモ。

地球を取り巻く磁気層、ヴァン・アレン帯は、隕石の落下や良からぬ宇宙勢力の攻撃から地球を守っているとも考えられる(現実的な科学者たちはもちろん別の事を言っているが)。シベリアに古くから現地の部族民にも伝承されている「大釜」(金属で出来た大きな釜のように彼らには見えたのだろう)は、地中に眠っていて、必要になると地面から出てきて、空から来る危険なものを撃ち落とす。。

それらについて話者たちは、インドや世界中の神話に見られる神々同士の壮絶な戦い。その戦いに勝利した神々が、地球と人類を守るために設置しているのではないか、と語っている。

人類を生み出し見守っているその勢力に対して、いまだ諦めずに人類を自分たちの為に利用するか、地球を狙っている、人類の未来の進化を恐れる別の勢力が、たびたび侵入を試みている。つまり、地球と人類をめぐる神々同士の争いは、今も続いている。

これはまったく、ヒーリングという特殊なジャンルの現場で、人々と、それを巡って起きている宇宙エネルギーの関係性の、古くは数億年前から、今に到るまでを見て来て、実感とともに納得する。

「スピリチュアル」な分野で、未来へのメッセージを受信し、宇宙からのエネルギーを運用する人が出てくればまた、同じ分野に紛れて、良からぬ(地球や人類を愛している訳ではない)エネルギーが似たようなことを通して、逆の効果を挟み、「良い流れ」を邪魔立てする。

これがきっと、どの分野でも起きている。

つまり、現状からしてノンデュアリティなどまだまだ程遠い。人間が賢く、その見えない善悪の攻防を見極めて、判別し、自分の生活や人生や判断を善の力、愛の力とともに作っていく時代の先には、自然と、二元性の相克が終わる時が来るだろうということ。

まずは多くの人が「気づく」こと。そして「見抜く」こと。そして「選ぶ」こと。

まだその段階なのだ。というか、今その時が来ている。分岐点。

ももクロちゃんの『Neo Stargate』が頭の中で流れ始めたゾ。(笑)

Love and Grace

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シナプスの組み替え

第一回目、4月30日の「白い聖堂」の余波による調整が、まだ続いていたよう。「ここ数日頭がクラクラ」と一昨日「お知らせ」で書いていたけど、実は一昨日〜昨日の朝にかけては頭痛も。時折ある、シナプスの組み替え、かなと気づく。

昨朝まだ余韻のような頭痛があり、・・いつだろう? お昼ころかな? 痛みが抜けて、今度は入れ替わるようにハートで何か始まったよう。シャンバラからの受信・刺激はヘッドセンター(松果体〜脳下垂体)から来る。マスター界からはハートに来る、と A.Baily にも書かれている。それにしても随分長く影響が続くのだな〜 今日で2週間か。

ヒーリングセッション等を受けた後に、頭痛がするのはシナプスの組み替えだ・・と教わった媒体が何だったかな、もう忘れてしまった。ライタリアンのテキストかな。ヒーリングはエネルギーによりライトボディにある情報が変化し、肉体に降りてくる段階で、脳にも変化が起きる。意識の変化。

今までの感情や思考パターンの中から、要らないもの、成長進化していく、癒され解放されてより創造的になっていくために邪魔になっている思考回路などが、組み替えられる必要があるから、実際に脳の思考パターンや記憶を司っている領域で、神経節(シナプス)同士の組み替えが起きる。ということだろう。極めて科学的。

以前やっていた『意識の学校』というマスタークラスで、脳科学も少し取り入れた。ヒーリングを考えていく上で、重要な分野のひとつ。最近の研究で、相互につながり合いも見えて来ている量子物理学も。ユングの原型論なども。・・それらの内容に通じるものを既に数千年前に語っているインド哲学も。・・・このあたり、すべて『意識の学校』でかじっていた。広げすぎた上に熟成できないうちに三期で終了になったクラスだけど、内容的にはとても大事な部分をカバーしていると思う。

同時に、ひとりひとりの学びの習得の仕方は本当に様々で、ヒーラーとしてのタイプ論と、ジェネシス原型なども固まりつつあった時期だったので、インド哲学の古来の学びの方法に乗っ取って、マンツーマンでよくその人の話を聞く。そしてリアルタイムでその人向けの「意識」のための教材を用意して導入していく、という方法を取っていた。アリス・ベイリー等の学びも同じくで、深めれば深めるほど、やはり学びは個人的、パーソナルなもの、になっていく。

初級〜中級においては、カレッジでやっていたように、クラス制度、楽しい交流、分かち合う場所、が、励みにもなり、力にもなる。それぞれ良い部分がある。今年これからリリース準備をする新しい「カレッジ」は、基本的にティーチャーとのマンツーマンで、遠隔・オンライン・自習(通信教育)で構成されるので、上記の双方の良いところを併せ持つような形に出来るかな。カレッジ終了後に実施していた「インテンシブマスタークラス」で既にその試みを敷いているけど、運営をお任せするティーチャーさんたちがやり易い、進めやすいという視点でも、(私自身がティーチャーである時とは違う)改良、改善を入れていこうと思う。

また、課題がひとつ・・遠隔では伝授が難しいセイキムレイキのこと。盛大な儀式的な、ティーチャーが動き回り体力も使う伝授。最初に日本に入って来た時、20名以上を同時に伝授したという話で・・・いや〜すごいな。アルガンザではいつも3名だったけど、準備から当日から、エネルギーの動きも相当で、ティーチャーの力量が試される伝授なのだ。

カルナレイキとは違い、事務的な規則が無く、テキストもティーチャーが独自に作っても良いと言われている・・・ 伝授の遠隔可は私の感覚でちょっとまだ抵抗がある。やはり、あの儀式感を現場で、味わった方が良いと思うし・・・できれば2名以上のグループが、良いと思っている。マンツーマンでも何度か実施したけど、グループだとそれなりのテーマが動き、学びも深まる。アルガンザのテキストを書きおろそうかとも思っているけど、それを挟むと、カレッジのリリースがだいぶ先になってしまう。う〜む。

Amari’s Works 、ヴァンダームワークの二つがセイキムと関係して生まれた様に、ジェネシス概念の整理の行程にも、セイキムは欠かせないものだったように、とても重要なワークなので、セイクレッドレイキのリニューアルを終えた今の目下の課題は、そこ。どうせならば、アルガンザオリジナルのテキストで、新しいカレッジの皆さんに、ご提供出来るのが一番だと。

そうだ、セイキムレイキのページをまずは、参考ページとしてこのサイトに出そうと思っていたんだった。忘れてた・・・(最近多いな。アラフィフな私。) まずはその作業をしながら考えてみよう。

昨日ニュースで「天の川銀河の中心のブラックホールの撮影に成功」とあったので、タイミングも感じる。

Love and Grace,

Amari

仕事のうつわ — 「仕事」で傷を負ってしまった時の分かれ道。

最近、見ている韓国ドラマは(常に何かしら見ている)『霊魂修繕工』・・見た方いらっしゃるかな? 霊媒師の話?と思ったら精神科のドクターとその患者である女性のラブ?ストーリー。

前に見ていた『マイディアミスター』についても、ヒーリング効果、ジェネシス原型を絡めて一度書こうと思っていたものの、まだ。←こちらもおすすめのドラマです。「霊魂〜」については、完璧な、他とは違うハートフルな、患者に徹底的に寄り添う精神科医・・・のように見えている主人公が、実はトラウマを抱えていて、PTSDで、周囲の仲間たちも認めるほど「病んで」いて、それを癒さないまま、罪の意識からワーカホリックになっている、という真実が、だんだん、明かされていく。

その先、どうなるのかな? きっと患者であるヒロインによって彼も癒されるのだろう・・ けれどまだ見ている途中。それにしても韓国ドラマは、ラブコメだと思って見始めても必ずと言っていいほど、それぞれが抱えているトラウマ、過去の深い傷、インナーチャイルドなどにスポットが当たる。時代劇だともう少し型通りという感じだけど、その分だけ「人間とは」「人生とは」なんぞや、の深いテーマが見え隠れする。きらきら系時代劇だと、現代ドラマの形態に当てはまるのか、やはりトラウマ、インナーチャイルドが出てくる。とにかくは心の傷、深い部分を扱う事が当たり前のように。

もともと遺伝子的にも近く、儒教や仏教の影響という点で、国民性もかなり似ているとは言え、やはり大国中国で常に起きている政変に巻き込まれながら、緊張感とともに生きてきた歴史は、平和ボケの(平和でありがたい)日本の歴史と、その結果の国民性とは異なるものを感じる。日本国内でも東北と西日本、九州、それぞれに「国民」性があるように。深くて深刻な文学や音楽が生まれるのは、ドイツや、ロシアなど寒い国・・であったり。歴史や風土から生まれる国民性というのは、やはり影響が大きい。

あっっ また話を広げてしまった。人を癒す仕事をする中で、自分が傷を追ってしまう事。その仕事それぞれに、はまってしまい易いテーマはあるし、はまってしまった時に、スイっと平常運転に戻れる人もいるだろう。変に真面目で人間愛が深く、仕事を生きがいだと思っていたりすると、長く引きずってしまうのだろうな。精神科医ともなると、下手をすると自ら、精神を患ってしまう(事も少なくない)と聞いたり、本で読んだこともある。

仕事をする上で起きた「事件」を、深い傷として自らに刻む事なしに、「仕事だ」と割り切って「こなす」先生になっていくのも、ひとつの道だと思う。一方でドラマの主人公になるようなキャラクターはきっと、その深い傷を乗り越えて、前よりもさらにヒューマニズムに根差した、愛に溢れた器の大きいドクターになっていくのだろうと思う。

韓国時代劇だと「可哀想な王様」がよく描かれますが・・若い頃は名君だった、とか、途中までは良き君主だった、という謂れとともに、心に傷を負った投げやりな暴君になっていたりする。この世には理不尽がいっぱい。最初は若さとともに希望や喜びで歩み出していたとしても、それぞれのフィールドに巣食う良からぬエネルギーと対峙し(周囲の人間や起きる出来事としてそれが顕現し)、問題はそこから先・・「こなして」いくか、「乗り越えて本物に」なるか、失敗すれば「壊れて」しまうことも。仕事に限らず、誰もがそのような課題に出会う人生後半、なのではないかな。

多くの人は「こなして」いこうとするだろう。だから、そうではない人がドラマの主人公として描かれる。本当はどんな生き方が美しいか・・を、人は知っているから、そのストーリーに惹かれる。

その「美しい生き方」の法則、そこに「シリウス」や「シャンバラ」が、あてはまると思っている。そのように生きなさい、と私たちの魂が言われていること。恐れではなく、愛を選択し、昨日よりも今日、今日よりも明日、大きな器に、より洗練された魂になっていなさいという、教え。

みんな、本当はそれを知っている。だからこそ、ヒーローとは何か、美しい生き方とは何かをドラマや映画、古くは神話、小説で描いている。それがシリウス、シャンバラの教えだ。と私は思っている。

けれど、そう出来ないという選択。愛よりも、恐れゆえの「安全」「保身」「不安を埋める」ために選択していく人生・・・は、多くの、普通の人々の人生であって、そんな姿がドラマや映画になって、うけがちなお国柄もある(それは日本)。さらには、堕ちていく主人公の物語がうけがちな事もある(社会が病んでいるから・・)

そうそう。人類の親だから、本当はみんな「シリウス」「シャンバラ」をよく知っている。だからこそ、そう出来ないという自分が(逆の力による影響が)強ければ強いほど、心がムズムズしたり、反発を覚えたりする。

難しいことをする必要はない。ただ、恐れよりも愛を選択する。利己よりも利他で思考する。という仕組みを、人生の中心に据えておくといい。そこが強固であれば、それと合わないもの、集団、人、と出会った時にも対処しやすい。揺れ動いていると、いつでも絡めとられるから、迷ったり、戻ったり、で、自分の心も落ち着かない。更に真面目さを放棄してしまうと、思考停止で、ただ潮の流れに乗る人になってしまう。

私が、新卒で入った最初の(かなり大きい組織・知らない人は居ない)企業の「新人研修」で言われたこと・・「上司の言うことを聞く人が出世します。仕事ができる必要はない。」

その会社に入って悩み始めた時、先輩に言われたこと・・「真面目なやつほど、みんな辞めていく。俺みたいにいい加減だとずっと残るけど。」

その会社を辞めた後に入った研究施設で、先生方いわく・・「本当は、どうすれば〇〇を防げるかの方法を専門家は知っている。けど、〇〇業界とビジネス的に癒着しているから、それは置いておいて、適度な効果をもたらすものを商品として開発する」

それから二十年以上経て、今の日本社会は、国際社会は、変わっているだろうか?

そのような社会構造や、人々の意識を、「神なる世界」は放っておくだろうか? 本当に今、人間は試されている。ある意味、追い込まれている。最後のチャンス、というくらいに。それをヒシヒシと感じる。

Love and Grace

Amari

「進化」とは、世界が平和になること

 

約一年ぶりの記事になってしまいましたが、今年に入ってから、Instagram で散文的な文章を綴り、また3月には二年越で細々と準備していた新しい「オフィス・アルガンザ」のサイトを公開し、新しいメニュー、ページも書き下ろしたり、サイトのInfo やDiary にも日々の呟きや伝えたい事などを、割と頻繁に書いています。

以前のペースにだいぶ戻って来たかな? しばらく「書かないように」していたのは寧ろ、自分にとっては例外的な期間でした。その分、ショップの商品ページが長文になったりして・・

このブログを、基本的には「書き物」の本拠地としたいのですが、仕事の全体像から言って準備が整わず、の日々でした。今後は、少しこれまでよりはリズムが出来てくるかと思います。

数年間かけて行ってきた「移行期」の、これまでの仕事の整理と、これからの仕事の準備。今年度は、移行期の最後の一年として、少しずつ、「これからの仕事」の一部分が表に出せるようになって来ました。その一連で、浮かんで来たメッセージを、今日も書いてみます。

「進化」とは、世界が平和になること

先日、12年ぶりにリモート(遠隔)グループセッション(『白い聖堂』旧・シャンバラ光の学校)を行うにあたってのページ作りで、「進化」「進化」と連呼していて、神智学などメタフィジカルな学びと、ヒーリングという分野を通じて歩んで来た自分としては当たり前の概念・言葉なので、普段は特に説明することもなく書いている訳だけど・・ふと、

「わたし別に進化なんてしなくてもいいワ」という、昔、時折サロンで聞いたような言葉を思い出して、ああ・・確かにそういう人の意見、少なからずあるなあ。特に日本社会は、平和なお影で「世の中を良くしよう」みたいな話が苦手で、引いてしまうし。若い人々の間では、「意識高い系」なんていう分類のワードも存在するよう

・・・・「系」も何もなく、当たり前の事なんだけどなあ・・ といつも思っている訳だけど、そんな「別の視点」が、頭を過ぎりました。

ヒーリングなど「スピリチュアル」な分野でも、話がオオゴトになると引いてしまう女性たちが多いし、俗の友人たちでも、「歴史」や「国際社会」みたいな話題になると「壮大だね」「知識が凄いね」「勉強してるのね」と返ってくる。いやいや、普通の思考なんだけれども・・と、若い頃からそれは変わらず。皆、面白がって私からそういった話を聞き出す時間を楽しんでくれてはいたけど・・・

年を重ねた今は、日本がそれだけ平和であり、また女性たちが、あまりややこしい事を考えないように育てられているという社会の性質ゆえだと思っている。

最近、ジェンダー的な話題は盛り上がりつつあり、何よりだと思うけど、実は女性達の方が社会的責任を自分が背負うことを望まない傾向が、日本にはあると私は感じる。自分はシングルマザーを自営業でやって来て、父親的な、世帯主・事業主としての役割と、母親としての役割を一人で両方やって来て、

普通ならば男性たちが味わう、家族を背負う責任感、そのために常に意識を張り詰めている世帯主としてのプレッシャーから来る、自分自身の不自由さと、口には出せないやるせなさの様なものも、理解出来る。女性側の、子供の母親としてのプレッシャー、家事に追われる辛さ切なさも、理解出来る。その上で思うのは、ジェンダー問題よりも前に、一人の独立した人間として、自分の頭で考えること、自分で結果に責任を持つことを前提に選択をすること、が、日本人には欠けがちで、潮の流れに受け身で乗っている、という、大衆意識が強いと思う。

歴史もあるし、風土が培った国民性の結果だから(日本の、日本人の良い面もたくさんあるし)そこを批判するのが目的ではなくて、『進化』という意識が、なぜ日本社会の空気の中で育ちにくいか、定着・浸透しにくいかを説明するために、今、そこに触れている。

アルガンザのワーク、ショップに綴る文章、SNS等でも、当たり前のように「進化」「進化」と書いてしまっているけれど、人によっては上記のように、「別にそんな必要は。楽しく生きていられたらそれでいいケド・・」と思う人も居るかもしれず。

そういえば昔よく母親に言われたっけ・・・(私が)自分では、皆が同じように分かっていると思って説明を省略して、その先の話をしているせいで、話が通じず、誤解されがち。と。

友人たちにも「私たちのところに降りて来て」とよく言われたっけ・・(笑)

『白い聖堂』について、シャンバラ、神智学について書いていて、ふとそんな事を思い出していたので、今日は原点に立ち返り、「進化とは」「なぜ進化することが必要か」について、伝えておこうと思う(ここまで前置き。笑)。

社会は様々な問題を抱えている。地球の自然破壊もかなりの所まで来ていて、昨今、それらの多くの課題が、世界的にSNSなどのメディアを通じて共有され、「エシカル」意識も普及しつつある。言葉としては飛び交っていても、やはり日本の人々の構えはまだまだ、世界基準に比べると足りていないのではないだろうか。

自然科学の分野では定説として、地球上6度目の大量絶滅が、人類によって引き起こされる、いや、すでに始まっているとも、言われている。

自然破壊、社会的格差、貧富の差、医療などの地域差、飢餓の問題、そして戦争。

それらの原因はと考えていくと、当然ながら、人間の利己や利欲、無知、怠惰などの種族的に持っている「欠点」ゆえの、結果の現象化に他ならない。

そのままにしておくと、地球上の問題はさらに進み、もう手遅れということになる。なぜ、問題をそのままにしておけない、と思っていても、人類総出で急いで何とかしよう、と団結して、一気に解決したりしないのか? どんな分野でも同じで、良い方への変化を、常に邪魔する力は働く。個人の人生、生活のレベルでも、社会レベルでも。会社などの組織でも、良い方への変化の流れは、そう簡単に為されないのは、大人ならば皆、経験していることと思う。

人間の中には良心、善の性質、仏教で言えば仏性(ブッディ・慈悲)、無条件の愛、があって、自分が悲しい思いや苦労をした人が、「こんな想いは自分だけで沢山」と発言する姿を、見たことがあるだろう。そういう人が、社会を変えなくてはという運動に着手する、というケースも少なくない。

一方で、人間は、逆の力がフックするためのネガティブな種も持ち合わせている。分かり易いネガティビティだけではなく「怠惰」や「人任せ」のような、インド思想で言ういわゆる「タマス(怠性)」もまた、人や社会が良くなろうとする時に邪魔をする要素になる。日本人はこの要素が強いのだろうと思っている。逆の「ラジャス(動性)」が足りない、とも言える。

ヒーリング、という分野でサロン、スクールをしてきたアルガンザの活動を通して、癒しや成長が人をどれほど、輝かせるか・・を目の当たりにして来た。エネルギーワークでヒーリングが起こり、日々のメンテナンスをするようになると、肉体・エネルギー両レベルから綺麗になっていくので、印象や顔つきも全く変わっていく。生き生きして、最初にお会いした時に被っていた影や重さが消えていくので、それぞれが持っている個性の魅力が開花していく。

ご本人ももちろん、生きることへの苦しみが減って、思考や感情が変わり、周囲の人々や家族にまで、時にその変化の波は波及する。

これを、大きいスケールで考えてみれば当然、社会や、世界全体が、苦しみや問題を手放し、創造的で自由になり、争いや不平等もなくなり、比較や嫉妬や破壊もなくなり、地球の自然界も守られて、世界が平和になっていく。・・・当然、そうなるだろう。

けれど、

外に広がっている、私たちが所属している、社会や物理的な現実の中では、ヒーリングやエネルギーワークの成果・効果は立ち消えやすく、影響を受けて乱されやすく、周波数をずっとキープしていくことが難しい(それゆえにアルガンザではセルフワークを何より重視し、クライアントや生徒さんたちにオススメしている)。

ヒーリングを受けた効果は一生消えたりはしない(オーラ体に記録される)けれど、自分の周波数が落ちてしまうと、その周波数の自分でしか存在出来ないのだ。癒しや解放が起きた時の周波数をキープしてこそ、変容の一歩一歩を、確実なものにしていける、ということ。

楽器の練習や、スポーツのトレーニングや、バレエのレッスンと同じだと思って欲しい。ずっとその意識、周波数を続けていかないと、今は、難しい。衰えてしまう。出来たことが出来なくなり、逆戻りもしてしまう。「今は」というのは、集合意識、人間社会の意識場、エネルギーが、まだそれだけ荒々しい故だ。

一人一人が、ネガティビティを自分の中で克服し、意識的な変化を起こしていかなければ、社会、世界は変わらない。けれど、自分がまだ、生きることが苦しかったり、目の前の問題に追われていたりすれば、当然、まずはそれを解決させなくてはならない。癒しや解放を経て、生きることが楽になったり、問題の解決方法の糸口をつかむ(スピリチュアルな意味での)知恵を身につけることが出来た時、当然、次の扉が開いていくものだ。

世界がなぜ、大変な問題を多く抱え、六度目の大量絶滅を迎える日が近いとまで言われているか。それを回避し、世界が存続して、地球上で人々が、自由に創造的に、健康的に暮らせるために、どうしたら良いか。同じ仕組みを、ヒーリングを体験し、効果を実感した人は、個人レベルで身をもって知った筈だ。

けれど扉の向こうに、歩みを進めようとする人は少ない。

立ち止まったり。戻ってしまったり。そこに、人間が良い方へ変わっていく、つまり進化する力学を止めようとする力が、働くのだ。

神智学や、アルガンザに言う「進化」とは、社会、世界の問題を解決していくために、人間そのものが変わっていく方法論に他ならない。それは意識的な学びや知識だけではうまくいかないし、チャクラやライトボディ、ソウルシステムとして分かっている古来の叡智を手がかりに、まずは、個人の問題を克服、解決していくために働き、

その先、進化成長した個人が、より多くの人にその知恵をシェアしていき、結果として、個人の癒しで為されたのと同じように、社会で、ひいては世界規模で、同じ様に癒し・問題の解決・成長・良きほうへの変容、創造 が、実現されていく。ひとつの同じ流れの上にある。

不平等の為に、不均衡の為に、理不尽なシステム故に、悲劇をこれ以上生み出さない為に、各分野で、奮闘している人たちが居る。世界をより良くするために。苦しみや悲しみではなく、喜びや笑顔を増やしていきたいと願うのは、ヒトが持っているハートの愛、善性、慈愛、仏性ゆえ。

メタフィジカル、スピリチュアルの分野は、古来の知恵が伝えるチャクラやライトボディ(オーラ)、ソウルシステムの知識とともに、個人レベルであれ、世界レベルであれ、「平和」を生み出すために、良き変化を起こしていくことを説き、一人からさらに周囲へと伝えることで、結果的に、世界が平和になり、自然界と地球が無事に保たれ、その中で生きるヒトの未来を、実現しようと奮闘するものではないか、と私は思っている。

ネガティビティを克服し、よりよい地球という現実を創造できる人類に変容していくこと、

それが『進化』だ。

結果として、世界、地球そのものも『進化』する。

またまた自分の話で恐縮ですが、

14歳でマザーテレサの存在と活動を知り、16歳でマイケル・ジャクソンの『Man in the Mirror』に刺激を受け、19歳でオノヨーコさんのフェミニズム思想に影響を受けた。それら全て、「何とかしなくちゃ」という突き動かされるような情熱の一つの流れとなって、日本社会の実態もそこそこ理解できた高校生当時、日本に居てはダメだ、と思った。

アメリカで大学・大学院を出て、世界を旅しながら学者をやって、人類の意識に影響を残せるような研究と著述をしよう。高校二年の時にそんな志をしてはみたものの、親の経済力をまったく推し量れていなかった。留学に備えて勉強に明け暮れた高校時代だったけれど、親の現実との妥協点から、日本から出れなかったし、公立の短大限定という制限を設けられた中で精一杯の選択をした。

その後、会社員時代、子育て時代に二度、通信や夜間部で大学の続きの学びを試みたものの挫折。何しろ自己メンテナンスの方法、人間の心と体の健康の仕組みも知らず、意志は強くてもそれ以外は弱かった。

この辺りの理想と現実、やる気と、実際の(人間界の)壁の摩擦から、またエネルギー面でも実は過敏だったこともあり、二十代半ばでウツになり、30歳を過ぎて、ヒーリングと出会った。

そして、自分を助けてくれたこの癒しの世界に、恩返しするためにまだ携わっている。「光の世界」だけは例外と思いこんだものの、どんな世界とも同じ、下手をするとそれ以上の闇の網が張られている。人類全体に同じ力が働いているのだ、分野は関係ない。逃げても仕方ない。個人の人間の中に、その「逆向きの力」の種があるのだから。(陰謀論の話ではなく)

世界には、こんな問題が存在している。今この瞬間、苦しんでいる人々がいる。社会のこのようなひずみから、苦しみ嘆く人が後を絶たない。・・・・このような話に触れた時、何も思わず、何が出来るかなと考えたりしない、自分には関係ないと処理してしまうようなことがもし、あるとすると、その心の「病み」具合を、心配するべき。目立たずに静かに起きている「病み」「闇」があると言ってもいい。もしかすると多くの人が、そうなのかもしれない。

「わたしは別にこのままでも・・」と思うこともまた、ある種の、「闇」「病み」なのだ。それが分かりにくい。だから、変化が起きにくい土壌、と言える。

光が自らを二つに分けて、闇を作ったという神話もある。

まさに私たち人間は、そんな風に用意された二元の世界で、自由な意志という選択権を与えられて生きている。自由な意志で、選び取らなくては、意味が無いからだ。

自由な意志で、判断し、自ら選択しなくては、「進化」は起こらないように出来ている。

自由な意志、結果を受け止める勇気、選択する心の強さ、ぜんぶ 日本人には苦手なもの。

(他の国の人々にもそれぞれ、課題、テーマがあるだろうと思う。)

本来、人間は、「皆で世界を平和にしよう」と思う気持ちを持っている。それが無条件の愛、仏性というものだ。世界が平和になる、ということは、人間が進化する、ということなのだ。

人類の進化プログラムを見守る世界のまなざしは、地球そのものを壊したりはしない。わざわざ造ったのだから。

「ハコブネ」は地球そのものであり、地球の歴史は今後もつづく。

そのハコブネに、乗っていられる文明レベルかどうか、によって、今後の方向は変わっていく。科学的に分かっているだけで、地球上の生命はもう5回、大量絶滅(ほぼ全滅)している。

それぞれの分野で、ハコブネのために奮闘している人々が居る。私はエナジーヒーラーゆえに、エナジーワークやヒーリング、メタフィジカルな情報を通して、説明をしています。

うちのワークを受けなさい、とか、石を買いなさい、という意味では全く無し。(笑)・・そもそもそんな精神でこの仕事をしていたら、数年しか続かないことでしょう。無条件の愛やエネルギーのクリアリングを謳う分野なので、そんなに甘くはない。シビアであり、それ故に、他には無い「やり甲斐」や感動もある。

話が逸れつつ、今日はこのくらいで。

Love and Grace,

Amari

古き良き

「白い聖堂」、急な告知にも拘らず、思いの他たくさんの方々が参加してくれることになり、ありがたい限りです。

サロンでお会いしていた懐かしい方々、リュミエールブランシュのお客様がたも。サロンの仕事を辞めて、ショップの運営だけだと、お客様とのコミュニケーションは限られているから、どのくらいの方達が、見てくれているか、何か感じてくれているか、が、中々見えにくい。SNSやHPのアクセス情報はあっても、数だけでは、計れないものだから。

感謝とともに。明日は皆さん、宜しくお願い致します。

ここ3日くらいのエネルギーは凄いな(大変)・・と思いつつ、必要に応じて「見る」現実の、個人的体感なのかも。

今朝のツイートの続きのようだけど、そこにフックする必要が無ければ、何も感じないわけだし、人間(の魂)がレムリア末期に「自我」を持って以来、永い時を生きてきて、それだけ、重荷や、ガラクタや、心身の病理・病癖、レイキでいう「セイヘキ(性癖)」、それらが家系で受け継がれてゆく気質や体質、などなど。情報が溢れて、そこにまた今世でインプットしてきたもの、壊れてしまった健全さ、などなどの情報が重なって、

自然界のように、幼い子供のころ(天使時代やレムリア自然界の記録を再現して生きる時期)のように、シンプルではなくなっているからこそ、ネガティビティと共に生きるようになる。不安になったり、人と比べたり、怠惰や欲に左右された、感情のアップダウン。人間らしいからそれでいいさ、というメッセージで世の中、溢れているんだけど、矛盾している。

それでいいさ・・・では、世界は良くはならないから。

人間の感情・思考・ライフスタイルのネガティビティを「それでいいさ」と言っていたら、結局、環境汚染や、社会的格差、戦争、差別、などは無くならない。スピでいうアセンションや、ノンデュアリティなど、実現はしない。

個々の人間、ひとりひとりの心と体、その設計図であるエネルギーから、見つめ直して、改善していかないと、何も変わらない。

man in the mirror なのだ。まさに。

2012か、13年ころだったかな、「マンスリー・フォーカス・ワーク」と名付けて、月に一つオリジナルワークの中からフォーカスを当てて、モニター価格でご提供するという試みをしていた時。出来たばかりだった、「レムリアンセイクレッドレイキ」を選んだ月にたくさんのご希望があり、ほぼ毎日、そのエネルギーに浸るというような時期があって。

結果として、ほんの数日だったけれど、自分自身がワンネス的覚醒状態になっていた事があって、今回、セイクレッドレイキのテキストにそのことも書こうと思っていたのに、忘れていたことに気付いた。。。

あの時は、いわゆる「あるがまま」を実体験して、見るものすべて、例えば机や湯呑みや、街ゆく人々すべて、日本という国や、自民党政権でさえ(笑)「ああ、ありがとう。本当に、ありがとう。おかげで私がここに居て、あなたも居る!」みたいな感動と至福の状態になっていた。

セイクレッドレイキの「ソフィア」との接続や、横軸の復活、のプロセスが、毎日のようにセッションしていたことで、自分自身に強く作用した結果だと思う。

感覚としては、何を見ても感じても、「それ」が存在している宇宙普遍の「意義」のようなものが、ピコピコピコと自分に入って来て、理解と愛着が瞬時に生まれる。そして、

「ああ!」と涙する。(という現代人からしたらおかしな状態です・笑)

あれが、レムリアの『ワンネス』なのだろうと思っている。『あるがまま』を、理解し、愛する感覚。はるかに、人間社会の周波数や思考などを超えたものであり、仏教的な、シャカの悟りのようなものだろうと思うわけです。(私は1週間弱つづいて、その後ゆるやかに元に戻りました)

それが、もっと人間的なレベルで「あるがまま」つまり、「エゴのまま」でいいというのが、今のスピリチュアル界隈のメッセージになっている。

もう、多分10年以上前(まだ奈良に居たころと記憶しているので)、ブログだか、メルマガに、「このままだと、一般的な人たちの意識が変わっていき、気付いたらスピ、をやっている人たちのほうが、取り残されるのでは・・」と、書いたことがあった。今でも、その雰囲気は大いにある。現実逃避的なスピ、ということ。

またまたタイトルから逸れつつあるので戻しますと!

人それぞれ、かもしれないけど、私の場合は人生で唯一、小学校時代が一番、無邪気に自分を生きて、興味のまま動いて、楽しい時代だった。韓国時代劇でもよくありますよネ〜 きらきらした、初恋の想ひで・・のような。実際にはいろんなことが側で起きていただろうし(親とか大人的に)、昭和の激動の社会状況もテレビで見ていただろうし。けど、自分はただただ、自分を生きていて、楽しかった。

小学校卒業が迫った時に、友人たちと、「嫌だ〜中学生にはなりたくない」とぼやいていたのをよく覚えている。レムリアの終末期って、あんな感じだったのではいかと。ジェネシス神話をまとめていると、感じたりもする。

もう自由ではなくなる。責任や義務や、課される事柄ばかりが増えていく。楽しくなさそうな大人の社会へ、近づいていく。未知なる変化が起きていく。ああ、私たちのワンネス、自然界が壊れていく・・・もう、このままでは居られないのだ・・・という。

韓国ドラマと同じように、純粋だったころの、キラキラした古き良き思い出、だからこそ、ずっと宝石のように心に残っている。けれど、その分だけ、失ったことへの悲しみも深い。失っていくプロセスにおいての、傷も深い。

だから、みんなこんなにレムリアに惹かれる。

・・はず、なんだけど、上記のとおりの界隈のトリックで、知らぬ間に、浸って動かなくても、「大丈夫」と言って貰えるフィールドになってしまう。そのトリックは巧みで、レムリア、に限らずだけれど、一見しても判別は難しい。色々な目に遭っていくと(笑・・対・人ではありませんヨ。原型エネルギー=「神」のようなモノや四次元的なモノのこと)嫌でも、メカニズムを知ってしまう。

そんな話は、「プログレッシヴワーク」3つの、クライアントワークブックでもたくさん、書いています。

締め括りが宣伝のようになってしまったケド、今日はこのくらいで。エヘヘ ^^

Love and Grace

P.S.

カレッジの改訂、リニューアル・リリースに入っていく準備段階として、かつての対面式の「ヒーラーズカレッジ」のページを、参考ページとしてUPしました。メニューの「School」からお入りいただけます。概要と、卒業生の皆さんのご感想です。懐かしいですネ、、それこそ「古き良き」日々。良きおもひで、となっています。卒業写真は本当に皆さん、良い顔をしているなあ、と。半年ちょっとのカレッジで、多くの変容、気づきを体験し、見違えるように輝いていく生徒さんたちの様子を、懐かしく振り返りながら。タイムカプセルを開けるような作業でした。

In her shoes 誰かの目線

今日は祝日だったか・・半分過ぎてから気づいた。そういえば春分でしたネ。

星巫女プロ専科コース(以前有ったヒーラーズカレッジのマスタークラス)の教材として使った事もあるハリウッド映画『イン・ハー・シューズ』。この英語表現は、自分以外の誰かの視点、目線で、物事を感じたり考えたりすることの比喩。日本語でも「〜の立場で」というけれど、立つ、という動詞からやはり足に関係していて、シューズ(靴)という言葉が使われている点が面白い。

他の人の立場や、シンパシーで何かを感じることって、想像力を使えば簡単じゃない?と思うけれど、万国共通で、自分が味わった負の感情がフィルターをかけてくるから、なかなか、簡単とは言えないようだ。

特にこの映画のように姉妹関係だったり、聖書や神話でもよくある兄弟だったり。前に日記に書いた韓国時代ドラマ「スベクヒャン」の姉妹、兄弟、でもそうだし、上司と部下、経営者と労働者、親と子、夫と妻、などなど。人生の全てにおいて、もしかすると人間関係や、自分の人生の流れを良く出来るかもしれないカギとして、「他者の立場で現実の流れや物事を理解する」スキルは、重要なことだろうと思う。

単にスキルとは言い難く、中身の伴ったものでないと、ただ表層だけの世渡りテクニックになってしまって、きっとそれは後々になって学びの機会が用意されることだろう。

違う立場にあったり、違う条件で生まれて、今このように存在している・・その状況を真に相手の靴の中に入って理解する、受け入れる(or受け流す)という行為を可能にするのは何だろう?深い洞察力・・それもあるかも。だけど、やっぱり、「愛」(人間愛)言い換えれば「利他」の心、だろうと考える。

利他の反対、「利己」から逸れることがなければ、いつまでも他人の靴からの風景を感じたり味わったりすることなど出来ないからだ。自分の視点や価値観だけで、どこまでも歩いて行こうとしてしまう。

この映画では姉と妹の愛の流れがちゃんと復旧し、共有していたインナーチャイルドの傷も癒され、互いに切っても切れない絆を愛しいと感じられるところまで。それが叶うには、双方の献身、変化を受け入れる努力、歩み寄りの気持ちや、ハートの愛・・が必要になる。何かキッカケになるような(良くないほうへの)変化が起きると、ある意味、自分の視点や価値観・先入観を見つめ直す機会になる。

多かれ少なかれ、人は一生を通じて、そのチャンスと、受容、変容の連続を経験していく。子供だったところから、大人・社会人になり、親となって、大人や親の苦労を知り、更には社会でも様々な人々と出会って、それぞれの視点や立場を知る。年を取ると丸くなると良く言うように。

時折書いているように、私自身の「アンドロ気質・体質」を振り返ると、恐らく少数派ながらそういう人々は居て(サロンでもお目にかかって来た)、オープンな天使性やハートの力が、逆に「与え過ぎ」ではダメ、「利他もほどほどにしなさい」という学びを必要として、「利己」になることは出来ないけど、人間界の仕組みや、人間の利己性というものをそれなりに学んで理解していく、というコース。

このコースだと、自分に足りていない赤や黄色のエネルギーを強く持っている人々と多く出会い、時に守られながら、人間界というものを(笑)教えられる。学んでも、また偏ってしまったら、再びそのような出会いが用意されていたりもする。もちろん、立場を変えれば(In someone`s shoes)、その逆の事も言える。私は若い頃どちからというと、そちらの作用や出会いに自分が「貢献している」と常に考えていた。

子供の頃から不思議な溢れ出す人間愛のようなものがあって(笑)、小学生時点で今思えば、自主的にヒーラーのようなことをやっていた(笑!)。親も含めて、相手が元気になり、笑顔を見れて、喜んでくれて、(ここがシリウスだけど)以前よりもステップアップする(叡智に近づくような感じ、神をより知っていくような)姿を見ると自分も嬉しかった。その作用が、一方的に自分から相手に流れると思っていた。

けれど今振り返ると、周りに居た、私の考えていることなどよくわからん、と思っているような家族や親しい人たちが、無言の中にも常に、その黄色や赤の力で私を守ってくれていたのだなと思う。

自分自身で縁や現実を完全にコントロール出来るようになるまで・・つまりクリアリングが進んで、ソウルシステムがエネルギーの偏りを示して来なくなるまで。そんな出会いと、必要に応じて起きる「摩擦」と、結果としての「化学反応」=変容、成長、はつづく。

「菩薩道」を生きていきたいと考えたのが二十歳前後。ニューエイジな言葉で言うと菩薩は進化した魂で、それでも地上の人間たちが最後の一人まで覚醒し宇宙を思い出すまで、延々と、転生したり化身したりを繰り返しながら、地球の進化プロジェクトに献身し続けるという。

実はかなり多くのソウルたちがこの「菩薩道」を生きているのかもしれない。様々な靴を履いて、立場や役割を交換しながら。

Love and Grace

Amari

New エソテリ、或いはメタスピ。

 

こちらのブログは「スピリチュアル」が好きではない、どこか怪しいと思っている(笑)人々にも読んで欲しい、そしてその「すぴ」の括りの先入観を外して、メタフィジカルな探求者の中には、宇宙文明とか惑星の進化とか言いながらもそれを歴史として取り扱い、真剣に人類の過去と未来、そして現在を研究し模索する中に身をおいて、何とかプロ(専業)として目に見えないエネルギー、魂というものをケアし導くという仕事をしようとしている者たちが居るということを伝えたいと、スタートして2年半が過ぎた。

同時に、そのような在り方をする新しい時代の「すぴ」を超えた、バランスのとれたエナジーワーカーたちが次世代、次々世代に生まれて欲しい、という両方向からの目的で、以前の「いかにもエナジーヒーラー」のブログ群を閉じて、リニューアルするべく開設したもの。

今書いた「目的」はこのブログに限ったことではなく、数年前からの、そして今後の私の活動指針でもある。2016年で一般クライアントの受付を終了し、2017年にはスクールの縮小、小数精鋭を育てていくマスタークラス、伝授、勉強会に的を絞って来た。来年春にそれらも終えることになっていて、一部の例外的活動(既にアルガンザワークのプラクティショナーである人々だけを対象にする伝授が幾つか来年まで続く)を除き、「エナジーヒーラー」としての仕事を「引退」する。

現場に立つ専業者は、一つ一つの事例に集中し、クライアントのニーズを満たすことで、サービス業としてお客様に報いる必要がある。それと、研究や新たな道を切り拓くための模索、広角で広い視野を持ち、未来に焦点を当ててその分野ごと「進化させていく」ためのチャレンジを、同時に行うことは出来ないからだ。

上記の、「真剣に人類の過去と未来、そして現在を研究し模索する中に身をおいて、何とかプロ(専業)として目に見えないエネルギー、魂というものをケアし導くという仕事をしようとしている者たち」は、もちろん昔からずっと居た。それは「秘教」とか「オカルト」とか呼ばれて綿々と一部の知識人たちに受け継がれ、時にアブナイ集団や思想を生んだ事もあるだろうし、最近ならば140年前のブラヴァツキーを初代とし、シュタイナー、アリス・ベイリー、そしてクリシュナムルティを輩出した『神智学教会』が知られている。

現在、ニューエイジと呼ばれている(日本ではいわゆる「スピリチュアル」)ジャンルは、ここから派生している。多くのチャネリング情報、ヒーリング体系、出版、スクールがどんどん生まれ、特に日本では「江原さん効果」でスピに参入した人々も加わって、質や方向性が錯綜し、今はかなり混乱している。

メタフィジカルな分野は、神智学、があれば十分だと実は思っている。そもそもブラヴァツキー夫人、2代目のアニー・ベサントの試みは、古今東西の秘教的叡智からエッセンスを追いつつ、直観や東洋の聖人の教えも取り入れ、、リードビーターやアリス・ベイリーは更にインドのヨーガ思想や哲学、チャクラやオーラの概念、ソウルシステムまでを現在の表現でわかりやすく説明した。思想の違いで離脱したシュタイナーは、単に思想や癒しだけでなく医学・建築・農業・教育・美術などあらゆる分野に神智学と直観的世界を活用しメソッド化するという「人智学」を打ち立てた。

そして、神智学教会の幾らか犠牲のような側面もあったクリシュナムルティは、人生の後半、そんな彼だからこそ説得力のあった独特の思想哲学を、ボームなど科学者とコラボしながら紹介し続けた。これだけ、天才たちが集まり、完璧な役割分担を演じたのだから、もうこれ以上、何も必要ないというくらいに、「すべて」が詰まっている。私はそう感じている。

けれど・・・アリス・ベイリー著書の中で、情報源であるチベット僧のジュワルカルは言っている。時代に応じて、探求者たちは変化(進化)していく。地球の表面世界に届く高次元世界からの光線、意識やチャクラに刺激を与えるウェーブも、変わっていく。その時代時代に生きる人々や状況に合わせて、伝えるための表現も、変化していく必要がある。

今は過渡期だと信じたい・・情報だけではなく、メタフィジカルなエネルギーも錯綜し、混乱している。向かう方向、引っ張っていこうとするベクトルがバラバラで、このジャンル自体が、以前のような心地よさや輝きを感じさせない。

深淵な神智学の語りに触れ、または効果のあるヒーリングと出会い、歩み始めた人々がそんな混乱の中で道に迷い、中にはガッカリしてしまうケースも多々あるだろう。

2002年、このジャンル(ニューエイジ、癒し)に本腰を入れて付き合うことになった私のキッカケは1本のフラワーエッセンス(花のエネルギーを転写した波動水)。なぜか最初から体感もあり、起きるものごととエネルギーの仕組みもすんなりと、理解できるという今思えば不思議な「初心者」だった。エッセンスを一回飲んだだけで起こる自分と周囲と体の変化や浄化の強さに驚いて、2本目を試すと、エッセンスの中に入っている植物の意識のようなものをヴィジョンで見るという体験をした。

20代の10年間、仏教徒として真冬の水行や、白装束での未明の登山などの修行をしていたという下地?があったからかもしれない・・過去生でも繰り返し「秘教」に触れていたからかもしれない・・・ともあれ、あっという間に強い信念を気づけば抱くようにになり、半年後にはヒーリング雑貨や石を扱うウェブショップをオープンした。計画したわけではなく、娘を保育園に入れるために「仕事を作らねば」という状況にお尻を叩かれた故だったが(幼稚園ママは自分には無理だと悟っていたので・・)。

当時のスピの主流である、女性的なハートの勢いで、エナジーヒーラーとして一気に駆け抜けた。来年春、15周年での引退となるが・・実際には、密度としては、それ以上だったと思う。これもまた計画していたわけではなく、シングルマザーゆえに娘を育てるという大業を前に、休む間もなく構えているところへ、うちのサロンの見えないマネージャーたちは次々と仕事を運んで来た。ヒーリングをする立場でも、そのエネルギーに常に自分が癒され、いつでも元気、やる気満々で駆け抜けていた。最初の・・前半の8年くらいは。

9年目に入った頃、あるキッカケから「パチン」とエネルギーの膜が弾けて、「スピ」というグラマー的集合エネルギーから、数秒間の時空変動のような体感とともに、醒めてしまった。ヒーリングスクールである「カレッジ」3期の真ん中、中級と上級の間の夏休み、8月のことだった。

カレッジ3期は、急に起こった自分自身の変化を反映させた章がテキストに幾つか追加され、また、1期を行いながら構築していったフルで1時間の「虹と大地の瞑想」を、知人の作曲家に頼んでオリジナルで音源化し、CDの形で仕上げた。つまりカレッジとしてはここで完成を見ていた。今振り返ると、カレッジだけではなく「新たに作る」「広げる」というエネルギーはその夏までの、前半の8年に凝縮されていたのだと思う。今整理してリニューアルしているオリジナルワークも、その頃までに原型が出来ていたり、情報を既に受け取り終えていたものばかり。その後のマスタークラス、ジェネシス、プラクティショナー育成も然り。

山のピークを登り切り、ゆっくりと降りながらその山を去るために整理をしている。2015年の夏からはそんな歩みの中にあった(当時は自覚なく、自分もやや混乱していた)。このブログを作った頃は、最初に記事に書いたようにまだ名前もなく、この先の表現活動を何と呼ぶべきか分からなかった。が、最近ふと「メタスピ」(「スピリチュアル」を超えたもの)で良いんではないかと思いつく。

そして昨夜、自宅でのこと。

デスク脇の小さなアンティーク風の棚の石は、手にとるというよりは置いてあるだけで高周波を発する「装置」のような位置づけが多い。シュンガイトやヌーマイト、メテオライト、サルファーなど。そのコーナーから珍しくグリーンアパタイトに引きつけられ、何となく手にして階下での夕食に向かった。部屋に戻り、元の位置に戻した時に側にあるシチリア島のサルファーを落としてしまった。が、何とも思わずそのまま明かりをつけずに、薄暗い部屋で瞑想し、就寝。

今朝起きて、朝日を浴びているデスク上に、レモンイエローのキラキラしたものが散らばっているのに気づいて、状況を察した。そうだった、サルファーは脆い。忘れた訳ではないけれど、近距離でちょっとした高低差だったのに・・あたりどころが悪かったか。同時に悟ったのは、昨夜はアポフィライトに呼ばれていた訳ではなく、それを戻す時にサルファーを落として欠けさせるというセレモニーが、必要だったのである。昨日、一昨日と、シチリア島サルファーが2014〜15年に関わって起きた「ジェネシス世界観」にまつわる一部の情報について、プラクティショナーさんへのメールで触れていたところだった。

その関連は、こちらよりも右脳的なブログ「アルガンザ・アップデート」で後日、記事にしようかと思う。それは秘教的・神秘的な水面下の流れであるとして。以前同じサルファーが粉々になったという記事を書いたっけ、と自分の古い記事アーカイブ「パサージュ」を覗いた。こちらの記事:

これを読んで当時と今を同時に比べた時に、上に書いたように2015年8月に起こったキッカケから、既に山の頂上を去る歩みが始まっていたことに気づく。この記事は同年9月13日に書いたもの。丸々一つ、約3センチ四方のサルファーが割れてしまっていた。

今までも、ただならぬ変化は2017年から、も少し視点を変えると2016年から・・と書いて来たけど、確かにグラマーが醒めるという経験をしていたのが2015年8月であり、カレッジ体系の完成も同じくその頃だった。この、興味ない人々にはどうでも良さそうな話—私の仕事の背後にあった設計図が(笑)、私自身に思い出させられたことによって・・実はこちらのブログにとっても、小さからぬテーマであった「今後の新たな表現方法を何と呼んでいくべきか」の答えを見つけることに繋がった。

古い記事の粉々のサルファーの画像を眺めていたら、「新しいエソテリシズム(神智学)」=「水瓶座時代の New エソテリ」と、頭の中で響いた。「エソテリ」と外来語を途中で止めるといういい加減さ、ユルさが、新しい日本語っぽくて良いではないか?

皆で流行らせましょう。。。笑

天才たちが集った100年前のムーブメント「神智学」が、現代と調和しながら、「秘教」ではなく「常識」になっていく日を夢見て。それは世界平和、地球環境、人類の進化、全てにとって持続可能な流れに乗せていくための「必然」のように私には思われる。いやいや地球など、人類など壊して終わらせたいのだよ・・という意見の持ち主以外の、すべての人々にそれが伝わるように。怪しいものではない、秘められたものでもない、日本的に混乱した「すぴ」でもなく、怖いものでもない・・・ヒトという形をとって、魂がこの地上で生きていくための常識的な知恵であり、全ての人が健康と幸福のためにそれを知るべきであるし、その時代が来ているという事が、伝わるように。

「新エソテリ」「メタスピ」、どちらも使って行こうかな。

まずは、このブログのカテゴリーとして作ってみた今日。その記念を刻むべく記事を書いてみました。

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